昭和二年十月〔於京都〕東十両筆頭幡瀬川〔後関脇、楯山理事〕の星取表。●汐ヶ濵(十両3)=後幕内〇源氏山(〃2)〇泉洋(前七)〇綾錦(同十一)〇新海(同十四)=後関脇〇白岩(同九)●鏡岩(十両9)=後大関〇池田川(前十五)〇外ヶ濵(同十二)〇劔岳(十両5)=元幕内〇常陸嶽(前十)対幕内戦は7番も数える。“貧乏神”で優勝…
江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。
去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。
拙作&私家版『相撲史発掘』━創刊35周年記念号(第105号)ができました。内容は次のとおりです。☆35周年記念特別読切り★八百長華やかなりし頃=『文藝春秋』昭和34.10元武藏山稿1~4頁および8~11頁〇江戸大相撲熱戦譜第85回●天保十五年春場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表5~7ページおよび折込み両面〇兵庫県出身入幕力士一覧●江戸12名、明治6名、大正3名、昭和戦前9名昭和戦後12名、平成12名。〇古今平幕最優秀力士星取表●昭和22秋~同24秋頒布を御希望の方は、二折り定形郵便ならば94円切手、折らずに定形外郵便ならば120円切手を同封〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。「35周年記念号」堂々完成!!
※昨日の閲覧…416・訪問者…307トータル訪問者数1,090,571拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年冬場所━は、現在鋭意執筆中で、起・承・転・結のうち「起」と「承」の相当箇所が一応終っている。但し、自ら“添削”するかも知れない。当該場所、東方幕尻の新入幕である桂野の対戦相手を検証してみたい。〇錦(幕下)●御用木(前頭筆頭)〇桐山(幕下)〇柏戸(前頭二)〇千田川(同八)〇黒柳(幕下)〇佐渡ヶ嶽(〃)✖雲生嶽(前頭三)〇三ッ鱗(同六)や彼が対抗する西方は、関脇猪名川や小結荒馬が10日間不出場で、好調なのだから、再大関の岩見泻改め秀の山〔三日目改名〕と取組ませるべきなのに、七日目の相手であるⅤ佐渡ヶ嶽〔松ノ浦で幕内挑戦〕の当場所は六日目まで1勝5敗の不振だったから不可解。しかも、9戦のうち4番が対幕下戦な...180年前の不可解な取組編成
昭和二二年秋〔十一月〕場所、西序ノ口十一枚目、野口〔後幕内七ッ海〕の星取表である。〇石井(序ノ口9)や〇久保田(序ノ口9)や〇大ノ岩(序二段23)や〇松前山(序二段23)〇播磨山(序ノ口6)や●大幡山(序二段21)当初は民謡歌手だった三橋美智也が唄った『快傑ハリマオ』の歌詞のなかに「七つの海を駆け巡り…」━ところが、その7つの海洋とは何…、この度鳥渡ばかり調べてみた。南太平洋・北太平洋・南大西洋・北大西洋・南氷洋・北氷洋・印度洋。『地理寳鑑横綱之圖』なんて在るんだが、「地理」は苦手なもので、太平洋・大西洋・印度洋しか思い浮ばず、前2者を南・北に分割するなんて知らなかった。お恥かしい。尚、上記の本場所、序ノ口優勝は同点の鶴嶺山(後関脇鶴ヶ嶺)だった。後幕内七ッ海、序ノ口V逸す
※昨日の閲覧…426・訪問者…275トータル訪問者数1,090,264昭和六年十月〔於大阪中之島〕場所、東幕下二枚目石山〔元十両〕の星。●國ノ濱(幕下1)=後幕内や〇能登錦(幕下12)や〇筑波嶺(幕下14)=後幕内や〇開心(幕下8)=元十両や●鷹城山(幕下9)=後幕内や〇七尾泻(幕下15)=後十両幕下二枚目なのに対十両戦が組まれていない━当時としては珍しいのではないか。尚、彼は「春秋園事件」で脱退、でも最後まで天竜三郎らと一緒に行動したとは限らず…、その後の消息は不明となっている。明治37年、滋賀県大津市出身、春日野部屋。本名は武田源次郎、最高位十両六枚目。勝越しながら協会を脱退
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(21.6×15.4cm、466頁、平成四年、新人物往来社刊、函入、定価5,000円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いいたします。主要内容は、次のとおりです。①日本相撲史②大相撲の組織③土俵の主役力士④大相撲本場所⑤相撲と芸術宅急便の着払いよりも格安な郵便での送本法が御座いますか…?お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。32年前の『日本相撲大鑑』を…!
※昨日の閲覧…606・訪問者…405トータル訪問者数1,089,989自民党A派「5人衆」の“責任”問題が世間を騒がせているが、当ブログの勝手に選抜した「7人衆」は前回と同じ顔ぶれ。●翠富士5勝10敗〔幕内最軽量〕「肩透し」を格下力士に“多用”するのはやめて慾しい。〔「永遠の風雲児」天竜三郎氏の…をやめさせろ云々を想い出す。〕未だ、実力不足で上位陣にはあまり通じないだろう。〇王鵬10勝5敗〔横綱大鵬の孫〕今場所、「押し…」相撲で6勝した。でも「押しの一手」じゃぁ上位進出は難しい?幕下二枚目〇北石番磨〔元幕内〕4勝3敗春の関取カムバックが微妙なところでは…。幕下三三枚目●照強〔元幕内〕3勝4敗「不戦敗」で負越し決定。もう関取復帰は難しくなったのか…?三段目八三枚目●炎鵬〔元幕内〕全休春は序二段へ陥落だろう…...7人衆の総括&寸評
恒例の春…「私製三役番附」━これは相撲協会編成のものを「予想」するものに非ず、あくまでも「理想的」なものを追求したいわけなんです。主に、最近3場所の成績を基準に…但し、幕内中位以下の好成績を抜擢することは余程のことがない限りあり得ません。横綱<該当力士なし>東大関琴ノ若傑太33勝12敗西大関霧島鐵力33勝12敗註=同点だが、直近で琴ノ若が2勝上回る。東関脇豊昇龍智勝28勝16敗・1休西関脇照ノ富士春雄13勝2敗・30休東小結大栄翔勇人28勝17敗西小結貴景勝貴信22勝12敗・11休今場所は大関じゃぁなく横綱が優勝して胸をなで下ろしている。仮に、三つ巴の決定戦で霧島Vならば横綱推薦基準に合致だ━と屁理屈をつけて━想定外ではなかったからね。霧島4敗でホッとした…!
※昨日の閲覧…426・訪問者…336トータル訪問者数1,089,584彦山光三が「相撲評論家」の立場に非ず、大相撲協会嘱託のときに書いた論文を抜萃。〔前略〕私どもの少年時代(明治末期)、相撲協会において横綱を推薦する場合には、その必須要件として〔中略〕大関であって、二場所全勝するか、四場所「土つかず」の成績をあげ、そのうえ、将来何場所か、横綱として十分に面目を保持することができるものということになっており、当時は、その内規どおり推薦されてきた。しかし、大正時代になって、大ぶんこの標準が低下してきた傾向があったが、最近の双葉山は、美ごとに、完全に、この要件をそなえていた。今日では「分」、「預り」が廃止されたから「土つかず」は条件にならなくなったし、期限が延長された関係上、全勝ということも容易でなくなったから...立場変れば考え方も変る…彦山翁
昭和十年夏場所、東前頭五枚目能代泻錦作〔元大関〕の星取表。〇瓊ノ浦(前十一)寄倒し〇和歌嶋(同十)下手投●武藏山(大関)引落し●出羽ノ花(前四)寄切り●綾曻(同五)送出し〇番神山(同六)寄倒し〇富ノ山(〃)押切り〇新海(関脇)押倒し〇綾川(前四)小手投〇鏡岩(同一)腰砕け〇海光山(同八)押出し翌春は再小結に昇進したが出ず…当該場所が事実上の最後の土俵。尚、彼の体格は170cm・124㎏と記録され、当時として所謂“あんこ”型力士であろうが、実際に観たM氏に拠れば、そんな感じはしなかった云々━即ち、「堅肥り」タイプだった模様。「有終の美」の元大関…
※昨日の閲覧…395・訪問者…284トータル訪問者数1,089,248岸田内閣の支持率が恢復しない。なぜか。その要因は、自民党の保守的「岩盤支持層」はLGBT法案を成立させたり…で愛想(あいそ)が尽きてしまってるからじゃぁないか。扨て、国会議員の何人に1人が日本最高の権力者である「総理大臣」になれるか━その確率など思考した政治記者はいないかも…。では、大相撲界最高の栄誉である「横綱」に到達するのは、新弟子の何人に1人なのか…?かつて、たしかY記者が「力士の昇進率」を調査・発表していた。それに拠れば、幕内力士は新弟子10人に1人、横綱をゆるされるのは、大体150~200人に1人の“狭き門”なのである。そんな智識なんか現代の相撲記者とか横審の委員たちは御存知ないであろう…。むかし江戸~明治中期頃、末端の力士予...150人に1人の“狭き門”なのだ…!
昭和三一年秋、東前頭十七枚目出羽ノ花好秀の星取表である。●廣瀬川(前十八)寄切り●福ノ海(〃)仝●嶋錦(同十二)仝〇大蛇泻(〃)裾返し〇大ノ浦(同廿一)寄切り〇清惠波(〃)外掛け〇緋縅(同十九)仝〇若瀬川(同十七)仝●平鹿川(同二十)寄倒し●星甲(同十三)突出し●起雲山(同廿二)吊出し〇泉洋(同十六)外掛け〇潮錦(同十五)内掛け〇若葉山(同八)外掛け〇國登(同六)掬い投9勝のうち「外掛け」で5番━得意手じゃぁないのかな…?尚、これが出場した最後の本場所なのであった。「外掛け」5番で「有終の美」
※昨日の閲覧…460・訪問者…332トータル訪問者数1,088,964本日づけS紙の「言葉のひと解き」が頗る面白い。鳥渡ばかり抜萃してみたい。〔前略〕「リュウ・たつ」を龍と書くか竜と書くかで大いに迷っている。新聞では原則的に常用漢字の竜を用いることになっており、広辞苑や大辞林などの国語辞典も竜宮、竜虎、竜安寺、芥川竜之介、竜巻、竜田川…と竜を使っている。〔中略〕世間一般でも龍こそが正統な字体だとして竜を嫌う人が多い。わけても「芥川竜之介」の不人気ぶり〔中略〕漢和辞典の多くは竜を俗字とする〔後略〕当方の手許に在る角川漢和中辞典では、竜は「当用漢字表に加える字」で、龍は「人名用漢字表」に入っている。兎に角、正字が「龍」で、新字体「竜」は俗字だが、昔は坂本竜馬で今は「龍馬」表記が主流だろうし、芥川龍之介も「たつ...164年前に龍・竜とも使用
江戸大相撲熱戦譜第86回☆天保十五年冬場所★天保年間最後の本場所である十五年(1844)の冬は旧十月二十六日(太陽暦十二月五日)より本所回向院境内にて晴天10日間興行。〔文化期29、文政期25、天保期27が各期間の興行回数となっている=途中打切りを含む〕横綱不知火(←濃錦里)引退で岩見泻(後横綱秀の山)が5場所ぶり大関に復した。その西方は猪名川(←稲川)が6場所ぶり再関脇、後関脇荒馬が新小結へ昇ったけれど、春は4日しか出場してない前者を小結に据置き、6勝1敗の好成績を残した荒馬の関脇抜擢が穏当だと思える。桂野の入幕は内容を評価…?勝越して下降はないが、猪名川みたいに負越しながら桂野が新入幕━でも前場所、関脇岩見泻ら幕内8力士に挑戦し3勝をあげ、対幕下戦の黒星は皆無だから立派。元大関の武隈(←湖東山←手柄山...「天保十五年冬場所」序章
※昨日の閲覧…354・訪問者…285トータル訪問者数1,088,632戦後初の本場所である昭和二十年秋場所、東十両十二枚目越後山の星取表。●鏡里(十両15)=後横綱●岩平(幕下2)=元小結若葉山〇葦葉山(十両9)=元幕内●新川(〃11)〇斜里錦(〃8格)=元幕内〇明瀬川(〃13)=前幕内〇穂波山(〃2)=後小結大起〇小松山(〃6)=元幕内〇大平山(〃8)〇八幡野(仝)翌場所は最高位の十両四枚目だが出場せず角界訣別。その後の消息不明。角界に“見切り”をつける?
昭和十七年春場所、西幕下二四枚目冨良錦〔後十両冨久錦〕の星取表。●三徳川(幕下24)〇本田(〃30)や〇楯曻(幕下37)や〇愛知山(幕下30)=後幕内〇浦ノ里(〃5)やや〇因州山(幕下7)=後幕内やや〇松竹(幕下41)=後小結五ッ海〇大和泉(〃10)や当場所の幕下優勝は、筆頭の山陽山(元十両)が同点ながらの上位V〔当時、決定戦なし〕となっている。大正九年生れ、北海道出身、二所ノ関部屋。終戦の年、角界訣別し、その後の消息不明。初日黒星が惜しかった
※昨日の閲覧…385・訪問者…300トータル訪問者数1,088,347昭和八年夏場所、西幕下十一枚目開心栄〔←弥彦山・元十両〕の星。〇江戸ノ花(幕下11)〇北海山(〃13)〇種子ヶ嶋(〃8)=後幕内鶴ヶ嶺●肥州嶽(〃14)=後大関五ッ嶋〇源氏山(〃10)=後幕内〇土ヶ﨑(〃7)=後関脇出羽湊〇豊泉(〃24)〇神威山(〃4)=後十両●佐田岬(〃3)=後…前田山●錦岩(〃19)●玉ノ海(三段目1)=後関脇当場所、三段目以下は11日間のうち、6日出場となっているみたい。当場所を最後に開心は土俵と訣別。明治34年生れの彼も「消息不明」となっている。勝越して角界訣別の元十両
改名の珍・怪記録を鳥渡ばかり採りあげてみたい。昭和二四年秋場所、西前二一枚目格藤田山改め藤田9勝6敗同二五年春場所、西前頭十二枚目藤田改め藤田山6勝9敗同二五年夏場所、西前頭十六枚目藤田山改め藤田8勝7敗同二五年秋場所、東前頭十三枚目改名せず…藤田2勝13敗同二六年春場所、十両へ陥落昭和二六年秋場所、再入幕藤田改め藤田山15日間を全休同二七年春場所、十両優勝。改名せず藤田山13勝2敗同二七年夏場所、3度めの入幕同二八年夏場所、十両へ陥落同二九年初場所、幕下へ陥落昭和二九年秋場所前廃業、プロレス転向。同四四年…45歳で急逝。出羽海理事長(元横綱常ノ花)から改名は「いい加減にせんか」と叱られたそうな。変てこな連続改名記録
※昨日までのトータル訪問者数1,088,047昭和十一年夏場所、東序二段筆頭小役丸勇走〔後十両=本名が醜名〕〇紀州山(序二段1)〇浦戸泻(〃2)や〇知惠ノ矢(三段目37)や〇岩錦(三段目34)や〇直井(三段目27)や〇照國(序二段17)=後横綱や照國は、序二段優勝を逃した。この元十両小役丸は、昭和十六年春に「応召」、同十八年春まで在籍したらしいが、終戦の年の十一月…満29歳の若さで急逝してしまった。後十両…、後横綱を破り序二段V
昭和三一年春場所、西幕下三七枚目北ノ花〔非関取〕の星取表である。〇谷ノ花(幕下37)〇栃旭(〃38)やや〇初昇(幕下39)や〇萩ノ里(幕下31)〇富士昇(〃45)やや〇志岐(幕下53)や〇佐賀ノ里(幕下20)=後幕内宮柱●九十九海(〃31)や7番相撲まで“全勝同士”で取組んだが、8戦めの相手は初日「●萩ノ里」と記録。楽日のV決定戦は、佐賀ノ里ら4力士が争いの末、北ノ花が幕下優勝となる。でも、関取の仲間入りができずに終った。尚、A対Bの勝者対C対Dの勝者━の形式だと思うが、“籤”の結果はわからない。幕下V体験の非関取
※昨日の閲覧…720・訪問者…410トータル訪問者数1,087,818「戦後最強」説もある横綱大鵬幸喜だが最悪・最低成績は“二桁”白星ではない。昭和四十年夏場所の東正横綱…〇大豪(小結)下手投●北の冨士(前三)外掛け●豊國(同二)下手出投〇淺瀬川(〃)寄切り〇若秩父(同一)寄倒し●開隆山(〃)寄切り●玉乃島(小結)外掛け〇琴櫻(関脇)突出し〇清國(〃)上手出投〇海乃山(前三)寄切り〇北葉山(大関)突落し〇豊山(〃)寄倒し●柏戸(横綱)押出し〇栃ノ海(張〃)突落し■佐田の山(〃)──厳密に云えば“皆勤”じゃぁないが、10勝未満は横綱失格だ。尚、当場所前に「拳銃不法所持」が発覚し、精神的ダメージは測り知れない。昔の税関管理体制の杜撰は遺憾至極であった。大横綱…の最低成績
さきに、自由民主党と日本相撲協会の派閥の“相違”について、「無派閥」の有・無だ━趣旨を記述した。もうひとつ、政界と角界の大きな相異を指摘しておきたい。先ず、政界では政治・政局の“安定”のためには「離合集散」は好ましくないであろう。例えば、“壊し屋”と揶揄されたO氏の如き存在は、「有権者」を困惑させるものだ━と愚考する。角界では、江戸時代は勿論のこと、明治・大正・昭和戦前を通じて「離合集散」が繰返された。各系統での“勢力争い”の結果、「一門」なるもの、よく壊されたもの。壊れずとも、出羽海系のように、その傘下に加わる者・離脱する者━いつの時代にも少数派ながら存在していた。ところが、50年以上前に15人の「理事」を10人に削減されると、理事選への“競争”が激化する筈なのに、逆に“無競争”になり、大抵「無投票当選...政界・角界、「離合集散」の是非
※昨日の閲覧…400・訪問者…280トータル訪問者数1,087,408平成四年七月、新人物往来社刊、窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像=函入定価5,000円、466ページ】を御希望の方先着1名様に無代進呈いたします。主要内容は次のとおりです。①日本相撲史②大相撲の組織③土俵の主役力士④大相撲本場所⑤相撲と芸術一応、提案。送料として千円〔切手代用可〕をお送りください。折り返し、差額分とともに送本いたします。〔当方、約束は必ず履行いたします。〕〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799『日本相撲大鑑』無代進呈!
拙稿「天保十五年冬場所」を現在鋭意執筆中である。今夜は、当場所の新入幕桂野について……。当場所、東方幕尻(前頭九枚目)に入幕した桂野は、当年春場所は幕下(現十両)三枚目で4勝5敗の負越しだったのである。〇岩見泻(関脇)〇御用木(前頭筆頭)〇柏戸(同三枚目)●荒馬(同二枚目)●千年川(同九枚目)●黒雲(同七枚目)〇黒柳(幕下3)●雲生嶽(前頭五枚目)●三ッ鱗(同八枚目)や私見では、昭和戦後に総当り制・15日制が復活、「勝越したら降下せず」なる不文律が存在すると思われる。江戸番附は、成績やその内容は殆んど無視されて編成━でも、上記は極めて“例外”的だと思う。なにより強調したいのは、幕下からの黒星が皆無なので、幕内力士と遜色がないと「評価」され、入幕するに至った━と愚考する。桂野の入幕は内容を評価…❔
※昨日の閲覧…462・訪問者…310トータル訪問者数1,087,128昭和三二年春、東大関若ノ花の星。〇三根山(前三)掬い投〇若羽黒(同二)押出し●出羽錦(小結)打棄り〇成山(前一)寄切り〇嶋錦(同二)掬い投〇栃光(小結)上手投〇清水川(前一)押出し〇鶴ヶ嶺(同三)打棄り〇信夫山(小結)…出投●朝汐(関脇)…出投●大内山(〃)寄切り●千代の山(横綱)〃〇鏡里(〃)二枚蹴●松登(大関)吊出し〇栃錦(横綱)…出投当場所の成績が「大関若乃花」として一番わるい成績だったのであり、他の大関在位成績はつねに11勝以上の好成績。平成・令和の所謂「駄目大関」とは段違いの強く立派な大関力士なのである。大関若乃花、最低成績とは…
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」第86回━━天保十五年冬場所の本文執筆を開始した。当場所、幕内人員は24名であるが、初日から千穐楽まで不出場、即ち「全休力士」が西方関脇の猪名川、同じく西小結の荒馬、それに平幕では相生・常盤山・千年川の計5人、更に東大関劔山が二日目から休場し、三役の皆勤はいない。その反面、平幕の九日目まで連日出場の実質的皆勤は7力士を数える。文化年間29場所のうち、全休が5人以上は4場所で、就中、文化十一年春は8名を記録。文政年間25場所では、5人全休が3場所あるが、6人以上は皆無。天保年間27場所での3場所が5人以上で、天保十年春の6人全休が最多だ。文化~天保期「全休」記録
※昨日の閲覧…415・訪問者…315トータル訪問者数1,086,818なにやら…ややこしい報道と感ずる。岸田首相が「派閥解散」なる言葉を発したけれど、「衆議院解散」と勘違いした人が全然いないと思えるの……?「派閥解消」が正確な表現と考える。現自民党の“老害”とは━。「二階から目薬」ならぬ“2Fから現生”体質のN長老=派閥のボスだが、16年前か…準大手のゼネコンN建設から「違法献金」を懐へ…の疑惑の主だ。彼が派閥離脱の女性議員に「誰のお蔭で大臣になれたと思っとるのか」と云わんばかり─自ら「何様」なのか。もう「引退」して慾しいW県の利益代表だ。角界でも「金権体質」が解消されてはいまい。それは「年寄名跡」の売買に億単位の金銭が絡む。表面上は禁止されていたって…。年寄名跡を襲名する者には、その先代年寄である、前名...党の派閥解消と協会の金権体質
昭和十九年春〔一月〕場所、西方横綱双葉山定次の星取表。〇九州山(前十一)突倒し〇櫻錦(同十)寄切り〇出羽湊(同四)〃〇備州山(同八)上手投□清美川(同五)─●松ノ里(同九)渡込み〇若瀬川(同七)外掛け〇笠置山(同三)掬い投〇綾曻(同六)寄倒し〇肥州山(同一)寄出し●増位山(小結)内掛け●汐ノ海(同十二)押倒し〇相模川(関脇)上手投〇豊嶋(前二)〃●照國(横綱)寄切り当場所、番附が東西不均衡━東方は2横綱・零大関…で、西方は2横綱・2大関…。双葉山に対抗する大関を欠いており、平幕“二桁”2人とも対戦。『大相撲』誌「総評座談会」で彦山翁が四敗(しはい)じゃぁ賜杯はもらえないと駄洒落を云ったことがある。大横綱双葉山4敗の最低成績
※昨日の閲覧…358・訪問者…250トータル訪問者数1,086,503昭和三一年初場所、西張出横綱栃錦清隆の星取表である。〇若瀬川(前五)…出し投〇安念山(同四)寄切り●琴ヶ濵(同六)突落し〇北ノ洋(同五)押出し〇若葉山(同四)押倒し〇三根山(同二)掬い投〇玉ノ海(同三)…出し投〇双ッ龍(同一)押倒し〇若ノ花(大関)寄切り●朝汐(関脇)寄切り●松登(大関)突放し●時津山(関脇)寄倒し●吉葉山(横綱)寄切り●鏡里(〃)仝〇大内山(大関)寄切り横綱力士たるもの、“不調”のときだって「5連敗」もしてはいけませんよ。名横綱栃錦の最低成績
所謂「横綱候補」の取口をみて、彦山光三がスポーツ新聞N紙へ寄稿した「横綱栃ノ海は時機尚早」と題する論文を聯想した。去る昭和三八年九州場所で14勝1敗の優勝を成し遂げたが、翌三九年初場所は横綱大鵬が全勝優勝、後大関の清國が14勝で「準優勝」だから13勝2敗の栃ノ海は「第3位」なのに連覇に“準ずる成績”だ━と、横綱審議委員会が「拡大解釈」して横綱推薦OKの答申を相撲協会が“尊重”して新横綱を誕生させてしまった。栃ノ海が横綱初土俵を踏む前から「地力不足」を鋭く指摘したのが横綱力士のお目付役、彦山翁であった。その後、栃ノ海は3場所連続8勝7敗の不名誉な記録も…。総評座談会で「首投げ」や「小手投げ」を喰うのは拙いと発言したのも彦山翁だと記憶する。尚、大正期の三流横綱鳳(おおとり)の決り手で10番ほど「小手投」での白...「横綱霧島」は時機尚早…!
※昨日までのトータル訪問者数1,086,253古雑誌『大相撲』(読売新聞社刊)の連載「…大相撲図書解題」(21)より転載。★窪寺紘一「日本相撲大鑑」(21.6×15.4㌢466㌻、平成4年7月、新人物往来社)相撲に関する知識・データを集大成した書。世界各地の格闘技から書き始め、相撲の成立、大相撲の組織と制度、歴史的由来、相撲と芸術について記している。資料編として、年表、相撲部屋案内、力士人国記、決まり手などがつく。著者は平凡社勤務の後フリーになった人で、歳時記関係の著書が多い。この『日本相撲大鑑』(定価5千円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈します。送料は御負担をお願いいたします。32年前の相撲書籍を無代進呈
久しぶり古雑誌『大相撲』を引張り出してみた。24年前の平成十二年二月号━「三宅充の目◆板井八百長講演の大嘘部分」から核心箇所を抜萃しよう。〔前略〕板井が言う「自分が現役の頃は30番中、真剣勝負は5~6番か3番位のときも…」というのは大嘘、八百長取材中、疑った相撲がガチンコとわかってホッとしたことも多かった。とくに最近は〔中略〕八百長はぐんと減り、優勝争いも常に混戦になっている。〔後略〕かつて週刊P誌が八百長暴露記事を連載、元十両A〔元関脇長谷川の従兄弟〕の云ってることも可笑しいところがある━と三宅記者から直接聴いた。誇張された八百長報道
※昨日までのトータル訪問者数1,086,028栃錦・Ⅰ若乃花の横綱在位成績の比較。〇栃錦清隆292勝84敗・44休7割7分7厘。〇若乃花幹士254勝66敗1引分け・55休7割9分3厘僅かながら若乃花が優っている。尚、「254」と云う数値は偶然とはいえ、雷電爲右エ門が江戸本場所で勝利したものと完全に一致しているのである。254なる数字が…!
手許の漢和中辞典で「閥」にはどんなものがあるか鳥渡ばかり調べてみた。学閥・門閥・軍閥・財閥・閨閥・藩閥など、現代では存在せぬものも含まれている。輿論調査でも自由民主党の「派閥解消」を望む意見が少なくないみたい。嘗て『時事放談』で細川隆元氏と加藤寛・土屋清両氏何れかとの対談で…組織が大きくなれば派閥を生ずるのは理の当然━なる趣旨の発言をしていた。当時、たしか自民党では、派閥に非ず「政策集団」だと或る種の“言葉の綾”の如き主張が罷り通っていたように記憶する。廃刊してしまった『大相撲』誌の記者座談会「協会理事選を斬る!」だったかの小見出しに「派閥は絶対になくならない」とあったのを忘れない。ひとつだけ指摘しておく。自民党と・日本相撲協会の派閥の相違とは、前者に「無派閥」があり、そこから大臣選出の可能性もあるのに対...自民党と相撲協会の派閥
※昨日の閲覧…397・訪問者…316トータル訪問者数1,085,788天保十五(1844)年冬場所の幕内番附をみて、西方下位に注目せずにいられない。西前頭七枚目に千年川(←大蛇泻)、同八枚目に越の海改め千田川…と並んでいる。当場所、千年川は全休なのだが、仮に土俵へ上っていても、「ちとせ…」と「せんだ…」を行司や呼出しが混同するわけもない。でも、文字に書き表す場合、「千」が同じで、5画の「田」と6画の「年」を見誤るのを想定外にできまい。現に、『…起顯』の筆記者は「雲生嶽」と「雲早山」を混同するミスを犯していたのである。因みに、翌弘化二年春は上記の両力士は各々1枚昇進、こんどは千田川の方が不出場だ。更に、同年冬になると千田川が東、千年川が西で前頭六枚目に対峙している。千年川と千田川
昭和六年三月〔於京都〕場所、郷土力士が三段目で全勝優勝を記録してる。東三段目八枚目、濱ノ石政吉の星。〇十勝石(三段目8)〇東川(〃7)や〇黒部岳(三段目6)や〇小ノ錦(三段目3)や〇嶋田川(三段目10)や〇関高山(三段目9)や春秋園事件で“繰上げ”十両へ昇進、2場所とも各3勝しか出来ず幕下陥落し、肥州洋と改名。6勝5敗と勝越したのに、その後土俵と訣別してしまった。山口姓、長崎県、明治40年生れ━それ以上の詳細が不明。郷土の関取、詳細不詳
※昨日の閲覧…652・訪問者…349トータル訪問者数1,085,472平成四年、新人物往来社刊、窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(函入り462ページ・定価¥5,000)を御希望の方、先着1名さまに無代進呈いたします。ただ、送料は御負担を願います。〔発送方法は御希望を選択可〕著者の略歴。昭和十七年、千葉県出身。早大卒、平凡社編集部勤務を経て、著述家。著書に『イスラム学事始……』などがある。相撲書籍を無代進呈
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年冬場所━は、未だ本文執筆に至らず、明日から当該場所の星取表を作成する予定。その天保年間最後の江戸本場所は、下記の幕内取組が〇●の決着がつかなかった。初日中入り前三ッ鱗(前六)━縄張(幕下)引分け四日目中入り後鏡岩(小結)━三ッ鱗無勝負御用木(前一)━常山引分け六日目中入り後要石(前五)━千田川(前八)引分け武隈(関脇)━雲生嶽(前三)無勝負八日目中入り後雲生嶽━桂野(前九)引分け前場所と比較すれば、十五年春の取組数は88番で、うち14番が〇●何れでもなかった。当場所は92番に増えて、引分け等は減少している。なによりも鳥渡ばかり不可解なのは、当時「無勝負」なる判定は文政期に比し激減していたのに、2番も記録した反面、勝負「預り」が皆無だ。天保年間、最後の珍現象…?
※昨日の閲覧…386・訪問者…269トータル訪問者数1,085,123昭和二三年夏場所、東幕下二五枚目東川の星取表である。〇宮錦(幕下23)=後小結〇大竜山(三段目1)=後幕内大龍や〇大蛇洋(幕下16)や〇巴海(三段目4)や●若風(幕下24)〔「風」は別の字?〕やや〇太登(幕下21)当場所、幕下は7力士での優勝決定戦となって東川が優勝。でも、彼は残念ながら関取の仲間入りができず……。幕下7力士の決定戦でVだが…
拙稿「天保十五年冬場所」は、「幕内関係勝負」の作成が一応終った。『相撲起顯九輯』での取組順序の検証。現代とは異なり横綱・三役だって“中入り前”の土俵に登場する場合も少なくない。『起顯』の「六日目〔中入〕前勝負附」浪渡り太孝山縄はり君ケたけ尾上佐渡ケたけ浪渡は当場所の新入幕で、西方幕尻。前場所まで幕下では五十嵐と名乗っていた。縄張も君ヶ嶽も当場所番附は幕下である。なんで中途に幕下取組が入ってるのか…?東前頭八枚目の白山が尾上と改名したのは当場所中の三日目だが、『起顯』は翌四日目中入り前“結び”5番めに「白山改尾上」と記載しているのは、杜撰な編輯だ。粗さがしをすれば、二日目中入り前の出場力士「雲生嶽」を「雲早山」とミスしているが、当場所幕下の雲早山は全然出場していない。杜撰な『起顯九輯』
※昨日の閲覧…360・訪問者…258トータル訪問者数1,084,854大正十一年夏場所、東幕下三五枚目相ノ川の星取表である。〇冨士嵐(幕下28)や〇小田ノ山(幕下17)=最高位十両?や〇太郎山(三段目2)=後幕内や〇大岬(幕下9)や〇古賀ノ浦(幕下29)=後幕内や当場所の幕下優勝。当方所蔵の『武侠世界・臨増・相撲画報』に拠れば、大阪出身で出羽海部屋。明治卅年生れで本名北村常吉と云う。残念ながら関取には昇格できなかった。幕下全勝V…関取になれず
資料整理の一環〔「終活」に非ず〕として下記を御希望の方、先着1名さまに無代進呈。送料は御負担をお願いします。平成四年、新人物往来社刊、窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(函入462ページ、定価5,000円)であります。主要の内容は次のとおり。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役・力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術その本の重量が凡そ1㎏なので、宅急便の着払いでは“割高”になるでしょうか…?尚、保存状態は並より上で、切抜きや書込みなどは全然ございません。32年前の古本を無代進呈
※昨日の閲覧…409・訪問者…279トータル訪問者数1,084,596嘗てプロレスでタッグを組んだ元関脇力道山と、元横綱東冨士。金銭に細かい前者と、逆の立場の後者で“馬”があう筈もない。〔尤も、東冨士の最後の職業は「サラリーマン金融」社長ではなかったか…。〕①昭和二三年夏場所二日目西大関2●東冨士(打棄り)力道山〇東前頭二②同二三年秋場所四日目西大関〇東冨士(寄倒し)力道山●東小結③同二四年春場所九日目西張横綱〇東冨士(叩込み)力道山●西小結④同二四年夏場所十日目東横綱〇東冨士(引落し)力道山●西関脇⑤同二四年秋場所三日目西張横綱●東冨士(寄切り)力道山〇西前頭二⑥同二五年春場所九日目西横綱〇東冨士(寄切り)力道山●西小結⑦同二五年夏場所九日目西横綱〇東冨士(打棄り)力道山●西関脇7場所連続対戦を記録して...最初・最後とも「打棄り」だ!
平成横綱の実績くらべ━数日前に追加して列記してみたい。先ずは「駄目横砂」の代表は……。鶴竜力三郎266勝117敗・227休その勝率が6割9分5厘━横綱の重責を全然果してない。白鵬の引立て役に過ぎぬ。その白鵬翔。899勝129敗・232休で勝率は8割7分5厘、千代の富士や貴乃花を凌駕している。その白鵬の大連勝を阻止した稀勢の里寛は、36勝36敗・97休で計算するに及ばぬ━昭和初期の武藏山武同様5割ジャストだ。双葉山の大大連勝阻止の安藝ノ海節男は38勝19敗・25休、6割6分7厘━安藝・稀勢とも横綱と云うより「連勝ストッパー」と称した方がびったりじゃぁないか。情けない“横砂”たち…
※昨日までのトータル訪問者数1,084,317昭和五年十月以来の福岡市での本場所となった同三十二年九州場所、東十両十五枚目、佐賀光の星取表。〇伊勢錦(十両15)〇朝錦(〃16)〇二瀬山(〃12)=元幕内〇那智ノ山(〃20)=元幕内〇羽子錦(〃13)=後幕内●秀湊(〃18)=元幕内〇太刀風(〃8)=元幕内●豊ノ海(〃23)=後幕内〇鎌錦(〃22)〇福ノ里(〃5)=元幕内〇伊集院(〃20)〇佐久昇(〃16)〇前ヶ潮(〃7)=後幕内〇芳野嶺(〃1)=元幕内〇増巳山(〃9)=元幕内秀湊との同点決勝を制し十両V。しかし、最高位は十両五枚目で終った。十両13勝V、入幕できず…
力道山のプロレス中継を視聴していたとき、同じく元力士の芳ノ里(←神若=二所ノ関部屋〕と豊登(立浪部屋)の姿もあった。両者は、大相撲の土俵で2度ばかり対戦していた━この度の調査でわかった。昭和二六年秋場所千穐楽東十両筆頭●神若━豊登〇東十両十一同二九年初場所十四日目西十両四〇豊登━芳ノ里●西十両八某書に拠れば、神若は174cm・84㎏、豊登は173cm・105㎏となっており、後者の“体力勝”であろう━と想像するしかない。芳ノ里0━2豊登
※昨日の閲覧…611・訪問者…307トータル訪問者数1,084,080拙稿「江戸大相撲熱戦譜」第86回━━天保十五年冬場所は、未だ本文執筆に至っていない。『相撲起顯』第九輯によって「取組順序」の検証中なので…。当場所の幕内取組総数は92番。それが90に達したのは、天保初期の三年冬の97番以来、実に24場所ぶりなのである。しかしながら、「三役戦」が七日目の西大関岩見泻改め秀の山(後横綱)対東小結鏡岩(後大関)━たった1番しかみられず、本場所大相撲としての評価は決して芳しいものじゃぁなかった。今も・昔も真に充実した本場所は滅多にあるものではないことを痛感させられる。多い取組数なのに…
今夜は最近の「横綱力士」実績くらべ。横綱在位期間トータルの勝率を算出した。〔但し、〇●などの数値はHPに準拠。〕先ず、ウルフこと「小さな大力士」千代の富士貢。625勝112敗・148休8割4分8厘〔「や」はノーカウント、以下同様。〕彼の弟弟子、北勝海信芳(現八角理事長)はどうか…。250勝76敗・109休7割6分7厘━兄弟子より相当遜色がある。同時代の肥満体、大乃国康。155勝79敗・111休6割6分2厘てんで“駄目横砂”の典型じゃぁないか。若・貴兄弟は如何だったか。貴乃花光司429勝99敗・201休その勝率は、8割1分3厘ウルフと比しても遜色は殆んどなかった。ところが若乃花勝〔3代め…幹士に非ず〕、61勝38敗・57休、6割1分6厘大乃国より低率だから、小坂秀二氏「横綱の器ではない」意見に賛同せざるを得...勝率6割台は綱の責任放棄だ!
※昨日の閲覧…368・訪問者…269トータル訪問者数1,083,773大正十年春場所、西幕下三十枚目出羽ノ花栄市の星取表である。〇谷嵐(幕下38)や〇黒潮(幕下36)や〇立ノ山(幕下39)や〇高ノ濱(幕下25)や〇淀川(幕下34)や春秋園事件で幕下から“繰上げ”入幕となった出羽ノ花國市(後武蔵川理事長)の“先代”であるが、関取になれなかった。当方所蔵の古雑誌に拠れば、北海道の富良野出身、明治卅一年生れで、松岡姓となっている。尚、翌場所は東幕下筆頭まで躍進し、逆に5戦全敗の体たらくだった……。幕下Vで非関取の出羽ノ花
拙作『相撲史発掘』35周年記念号が予定どおり脱稿したので、拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年冬場所の下調べが始った。天保年間最後の本場所、先ず幕内力士略歴表の作成が一応終ったところ。当場所の特色・話題は豊富にある。先ずは、江戸最弱横綱不知火諾右エ門が前場所かぎり引退、“後釜”の西方大関に岩見泻(後横綱秀の山)が就いた━と、云っても「新大関」に非ず、再大関昇進なのである。過去連続3場所在位していたので、通算4場所めの大関だ。鳥渡ばかり見逃し易いのが、東前頭筆頭の後大関小柳常吉の番附頭書だ。前場所までの「江戸」から「阿刕」と変った。元横綱阿武松の弟子だが、徳島藩抱えになったもの。更に、前場所幕下〔現十両〕三枚目で4勝5敗と負越した桂野が新入幕。この検証は後日に……。天保年間最後の江戸本場所
※昨日の閲覧…371・訪問者…274トータル訪問者数1,083,504昭和二九年春場所、西十両二十枚目愛知山〔元幕内〕の星取表である。〇照美山(十両21)〇太刀風(幕下3)=後幕内〇神生山(十両20)=後幕内、昭57不慮の事故で歿。〇前ヶ潮(〃16)=後幕内〇荒馬(〃17)=元幕内豊山鬼吉、政治家に転身。〇若椿(〃15)〇國若(〃19)●若前田(〃6)=後関脇〇白雄山(〃9)●若ノ海(〃13)=後小結〔一時荒岩〕〇千曲錦(〃11)=元幕内〇芳ノ里(〃9)=元幕内神若、プロレスラーに転身〇松緑(〃15)〇秀湊(〃7)=後幕内〇大龍(〃8)=元幕内当場所の十両優勝。でも、その後十両三枚目までカムバックしたが、「再入幕」は成らなかった。十両優勝後、再入幕成らず…
慣用句に「講釈師、みてきたような嘘を云い…」なんてのがあるらしい。相撲部屋における力士たちの稽古を見学した経験は全然ないばかりか、長崎巡業での稽古相撲をみた記憶もない━その分際で「偉そうなこと」を記述するのは僭越なのも承知です。むかしの名力士は、正月元旦以外は鍛錬を怠らなかった━稽古を一日休むと“取戻す”のに“骨”が折れると云う訳だ。ところが、平成・令和の現代力士は、364-(15✖6)=274日のうち「猛稽古」に励むのは何日位なのか。例えば、“綱獲り”と騒がれた九州場所前、その当事者たる大関が「首が痛い」の理由でまる一日土俵へ上らなかった━それが「横綱候補」だとすれば、全然お話にならない。大正十二年の「関東大震災」以降、日本全国に「鉄道網」が整備され、長距離の移動は“乗り物”利用が主流派となった。角界で...僭越ながら…
※昨日の閲覧…412・訪問者…276トータル訪問者数1,083,230仮令「自民党」が潰滅したって、野党側に肝腎の“受皿”がない━困った日本政界だ。プロレス界はかつて失格力士の“受け皿”として存在してるかのような時期があった。逆に、プロレスから力士へ変身し、立派に関取になった天山(二所ノ関部屋)が幕下Vを惜しくも逸した昭和三三年九州場所の星。西幕下五三枚目、甲泻の星取表である。〇富永(幕下51)や〇福錦(幕下50)や〇扇山(幕下52)=後幕内や〇元吉(幕下58)〇沼田(〃63)やや〇増登(幕下30)〇鷲ヶ谷(〃49)や●海乃山(幕下39)=後関脇や「技能賞」を3度受賞している海乃山だが、あまり好印象じゃぁなかった。もと兄弟子の名関脇信夫山(治貞)なんかと比較するまでもあるまい。後十両天山、幕下V逸す
昭和二年の「関西大場所」の嚆矢である三月〔於大阪〕、西十両十一枚目源武山源右エ門の星取表である。〇駒ヶ嶽(十両9)=後幕内駒錦〇晴ノ海(〃7)=後幕内●玉碇(幕下1)=後幕内〇鳥ヶ峰(十両12)〇太郎山(〃6)=元幕内〇幡瀬川(〃3)=後関脇、楯山理事●開月(〃5)=後幕内〇汐ヶ濵(〃4)=後幕内潮ヶ濵〇鬼風(〃3)=元幕内〇小金山(〃8)〇瀬戸山(〃12)見事に「十両優勝」を果したが、入幕力士に列していない。尚、隠語「源武」のもとになった珍力士とされている。相撲隠語の登場人物…
※昨日の閲覧…608・訪問者…341トータル訪問者数1,082,954明治二九年春場所、東十両二枚目逆鉾与治郎〔後関脇〕星取表。〇小松山(前三)〇楯甲(同十二)〇一力(同九)●鳳凰(同一)〇大碇(大関格)●谷ノ音(前二)や〇大蛇泻(前七)〇不知火(同十三)✖荒岩(幕下2)=番附は「眞竜德藏」五日目が「大関対十両」の最後の記録だ、と思っているが異説もありそう─。同時に「三役対十両」の最終戦と愚考。鳥渡ばかり摩訶不思議なのは、当場所十両逆鉾は、十両力士と対戦が全然なかったのである。128年前「役力士対十両」最終戦
3代め二十山(←鰐石=その前名で対幕内戦なし)の幕内力士との顔合せ【つづき】第15回戦明治元年冬初日東前二〇宮城野━廿山(幕下9)第16回戦同二年春初日西前五〇朝日嶽━廿山(幕下9)第17回戦………二日目西前七✖尾上━廿山第18回戦同二年冬初日東前三〇磐石━廿山(幕下8)第19回戦同三年春初日東前六✖尾上━廿山(幕下9)第20回戦………二日目東前五〇田子ノ浦━廿山第21回戦同三年冬初日東前七●尾上━廿山(幕下9)第22回戦同四年春初日西関脇〇大纒━廿山(幕下7)第23回戦………二日目西前一〇朝日嶽━廿山第24回戦同四年冬初日東関脇〇両國━廿山(幕下6)第25回戦………二日目東前三〇鯱ノ海━廿山第26回戦同五年春初日東前二〇鯱ノ海━廿山(幕下5)最終戦………二日目東前一〇磐石━廿山通算では、1勝23敗・3引...1勝23敗3分の二十山だった!
※昨日の閲覧…350・訪問者…265トータル訪問者数1,082,613鰐石改め二十山の対幕内戦を幕末~明治初期の記録として徹底的に調査。①文久三(1863)年夏二日目西前二〇白眞弓━鰐石(幕下11)②同三年冬初日西前二〇出釋迦山━鰐石(幕下11)③元治元(…64)年春二日目西大関〔横綱〕不知火─鰐石(幕下12)④同元年冬初日西前三〇荒馬━二十山(幕下11)⑤………二日目西前七〇越の海━二十山⑥同二年春初日西前三〇荒馬━二十山(幕下8)⑦慶應元(…65)年冬初日西前四〇両國━二十山(幕下11)⑧………二日目西前四〇綾浪━二十山⑨同二年春初日西前四〇両國━二十山(幕下11)⑩………二日目西前七〇君ヶ嶽━二十山⑪………七日目西前八✖桑ノ弓━二十山⑫同二年冬初日西前二〇東関━二十山(幕下13)⑬同三年春初日西前二...27回も幕内対戦の二十山だ!
鳥渡ばかりタイトルが長いのですが、『大相撲行司の松翁と四本柱の四色』(令和二年、専修大出版局刊)税抜き2,700円=根間弘海氏の労作〔本文178ページ〕を重複所蔵しており、御希望の方1名さまに無代進呈したいと存じます。「お負け」に昨年希望者皆無の…明治天覧相撲の絵葉書をつけます。扨て、問題は郵送料なんです。これは負担していただきたいのですが、一番安い方法を御検討して慾しいと思います。宅急便の着払いより安い法がありませんか。根間氏の労作を進呈します
※昨日までのトータル訪問者数1,082,348鳥渡ばかり“意外な記録”がわかった。日本相撲協会機関誌『相撲』新年号の附録に登場する二十山十五郎〔本名は中條十五郞〕は、最高位幕下二段目十両格五枚目で、入幕力士に列してないけれども、幕末から明治初期にかけて相当数、幕内取組に出場していたのだ。明治元年冬以降の対三役戦を列記。明治四年冬場所初日東関脇〇両國━廿山(東下6)申し訳ない。役力士との対戦は当1番の他みつからず、でも平幕力士と多数の対戦記録を残している。尚、文政十三年旧二月…生れで、明治三十二年六月…、数え69歳で歿している。中改め→検査役には選出されなかった❔対幕内戦が多かった二十山…
戦時下の大相撲─昭和二十年夏〔六月〕場所、東十両七枚目智異ノ山の星取表。□鬼竜川(帰還別格)=応召で地位不明瞭〇明瀬川(十両9)=後幕内●三濱洋(〃6)=後幕内〇力道山(〃4)=後関脇〇陸奥ノ花(帰還別格)=仝●前ノ山(〃〃)=仝●双子岩(十両5)=後幕内4勝3敗で勝越し、同年秋〔十一月〕場所は十両三枚目(最高位)まで上ったのに出場せず、角界を去り、その後の消息不明。尚、本名が盧火プラス夏子で別名では豊川正一郎と云う。金信洛→百田光浩の如く朝鮮→日本人に変身したのか…❔勝越して…角界と訣別
※昨日の閲覧…403・訪問者…282トータル訪問者数1,082,113「錦洋」と名乗った力士は数人いて、鳥渡ばかり紛わしい。大正十年春場所西十両十五枚目〔最下位〕錦洋慶祐は、全勝して優勝相当の星を残した。〇太刀ノ海(十両11)=後幕内や〇青葉山(十両10)や〇白鷺山(十両7)や〇汐ヶ濵(幕下14)=後幕内潮ヶ濵〇陸奥ノ山(十両5)=後幕内眞砂石やや昭和の土俵に登場してないため、S氏提供資料の一代個人別星取表に欠けている。最高位は、十両三枚目とされている。大正10春、錦洋慶祐の星
N市のI氏より「…序ノ口優勝力士はどんな土俵人生をたどったか?なんて企画はいかが…」と云うリクエストを頂戴したので……。幕下優勝力士は、関取になる・なれる“確率”が相当高いと思われる。そこで、旧國技館開設後で“幕下止り”で終った…幕下優勝力士を調べてみよう━と、思いたった。大正八年春場所、東幕下三十四枚目筑後川〔福岡県出身?〕の星取表である。や〇磐梯山(幕下42)や〇関ヶ原(幕下41)や〇中ノ山(幕下39)や〇千葉ノ音(幕下27)や〇一ノ鳥(幕下28)楽日の相手は“全勝”に非ず、3勝1預りであった。尚、筑後川は翌場所幕下七枚目に昇進、3勝2敗で勝越している。その後の番附運がわるかった…?関取になれぬ幕下優勝力士
御訪問の皆さま、新年あけましておめでとう御座います。本年も昼・夜の毎日2回更新いたしますので、当ブログを何卒よろしくお願い申しあげます。一昨、令和四年大晦日までのトータル訪問者数992,663昨、令和五年一月三十一日までのトータル訪問者数1,000,013で延べ百万を突破いたしました。そして昨日の大晦日までのトータル訪問者数1,081,831と記録されましたので、昨令和五年の訪問者数は、89,168となりまして一日平均が244.3人の方に御訪問いただいた勘定と云うわけであります。244名の御訪問を深謝します
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昭和二年十月〔於京都〕東十両筆頭幡瀬川〔後関脇、楯山理事〕の星取表。●汐ヶ濵(十両3)=後幕内〇源氏山(〃2)〇泉洋(前七)〇綾錦(同十一)〇新海(同十四)=後関脇〇白岩(同九)●鏡岩(十両9)=後大関〇池田川(前十五)〇外ヶ濵(同十二)〇劔岳(十両5)=元幕内〇常陸嶽(前十)対幕内戦は7番も数える。“貧乏神”で優勝…
※昨日までのトータル訪問者数1,257,754昭和二年京都〔十月〕場所、西方前頭十四阿久津川〔後佐渡ヶ嶽理事〕〇玉錦(前一)突出し〇若葉山(同二)叩込み〇柏山(同六)押出し〇開月(十両1)突出し〇白岩(前九)突出し〇若常陸(同三)掛け投●雷ノ峰(同四)寄倒し●外ヶ濵(同十二)寄切り〇新海(同十四)上手投〇桂川(同七)突出し〇綾鬼(同十五格)突出し阿久津川の一番優秀な成績を残した場所だった。尚、当場所の優勝は横綱常ノ花で10勝1敗だが、不戦勝が一つ含まれている。阿久津川9勝2敗
相撲番附の文字は、「相撲字」乃至「根岸流」と云われる。大正九年まで唯一“世襲年寄”の根岸治右エ門が主に番附や勝負附の作成から発行━所謂「版元」だったのである。その相撲文字は、“国字”を含む漢字のほか、ノ・ッ・ヶなどの片仮名、の・い〔元大関の清國が幕下時分「若い國」の醜名だった。〕等平仮名に限られており、たしか明治末の旧國技館開設後の或る期間、東京大角力協會の電話番号が“洋数字”に非ず、一・二・三…で番附最下段に書かれていた。68年前の昭和三二年九州場所番附に…福岡「スポーツセンター」と蒙御免の下部に記載された━片仮名8文字は矢張り劃期的だった。かつて『大相撲』誌「古今珍名物語り」でY氏が大阪番附の明治期、「見習」欄に三ツ△鶴吉を発見され、「鱗」を△で誤魔化した云々。過日、亡父に訊いたら、△は「うろこ」と読...名古屋…新「番附」は伝統の半壊?!
※昨日までのトータル訪問者数1,257,571古本『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!本の重量が凡そ1.6kg〔梱包前〕なので、一番廉価での送本法を御教示ください。jhisa104@ybb.ne.jp『相撲ロマン大事典』進呈
拙稿「“時代”を超えた力士たち」の現況。登場5力士の拙文。八甲山本文26行平ノ石本文14行玉手山本文27行石山本文23行「平ノ石」は“短文”になっているので、もうすこし“肉づけ”しなければならない。「明石竜」は未だ1行も執筆してない。その明石竜の話題。彼は、横綱力士は勿論のこと大関・関脇・小結との対戦が皆無なのであった。一番上位に挑戦した取組は、明治四十五年春場所二日目の「●竜ヶ﨑」で対手地位は前頭筆頭だった。それでも序盤戦に同十三枚目明石竜の“対戦範囲”として相当に“破格”的な“割”だと思える。尚、竜ヶ﨑は大正二年夏場所、小結に昇進。同二年春、明石竜は自身最高地位の前頭十枚目で、このとき同三枚目の大ノ川(元小結)が一番上位であった。横綱・三役戦が皆無の明石竜
※昨日の閲覧…414・訪問者…276トータル訪問者数1,257,365昭和十八年春場所、西幕下十枚目琴錦〔後小結、佐渡ヶ嶽〕の星。〇岩ノ里(幕下8)や●羽嶋山(幕下11)=後関脇や〇達ノ里(幕下2)=元十両や●竜ヶ﨑(幕下12)や〇播州山(幕下3)や〇新川(幕下12)=後十両や〇石狩岩(幕下7)=後幕内緑嶋〇五ッ海(〃5)=後小結や幕下の“二桁”で2敗、しかも「関取試験」的取組なしで、翌場所十両昇格。幕下2桁で2敗なのに…
拙稿「“時代”を超えた力士たち」は、八甲山・平ノ石・玉手山・石山の執筆が一応終った。明日から「明石竜」を俎上に載せる所存。前頭筆頭を最高位とする石山であるが、残念ながら金・銀星は皆無だった。対横綱戦は、大正二年夏場所初日の「●常陸山」、同五年夏と六年春の「●西ノ海」━3戦3敗であった。対大関戦の内訳は、駒ヶ嶽に2戦、Ⅱ西ノ海・大錦(卯)に各々3戦━結局、計8戦して8敗を記録したのである。対大関8戦8敗の石山
※昨日の閲覧…992・訪問者…251トータル訪問者数1,257,089昭和三一年秋場所、東三段目七十枚目羽賀〔後十両田代岩〕の星取表である。〇照ノ里(三段目70)や〇鶴若(三段目69)や〇荒ノ海(三段目64)や〇福力(三段目65)=後十両信山〇津軽泻(〃73)や〇松﨑(三段目92)やや〇出羽ノ山(三段目46)や●仙葉山(三段目38)楽日の相手は初日●を記録していた。計7力士の同点決勝で後関脇羽黒花の千葉が三段目V。漫画家、楽日●で三段目V逸す
昭和戦後のパーフェクト記録。最高地位は、横綱同士なのである。①昭和三四年夏場所五日目東横綱〇栃錦(寄切り)柏戸●東前頭四②同三四年秋場所三日目東横綱〇栃錦(押出し)柏戸●東前頭三③同三四年九州場所十一日目西横綱〇栃錦(上手投)柏戸●東小結④同三五年初場所十日目東横綱〇栃錦(掬い投)柏戸●東小結⑤同三五年春場所九日目東横綱〇栃錦(突落し)柏戸●西張関脇栃錦は、「円熟の境地」だったのに対して、柏戸(←富樫)は、未だ・未だ未熟ものなのだから致し方あるまい。栃錦5━0柏戸
※昨日の閲覧…617・訪問者…342トータル訪問者数1,256,838昭和二十六年秋場所、西十両十二枚目小坂川〔元幕内〕の星取表である。〇朝若(十両13)=元幕内〇玉ノ海(〃8)=後関脇玉乃海、片男波監事〇大達(〃14)〇大天龍(〃10)=後幕内Ⅳ海山〇宮坂(幕下3)〇宮錦(十両4)=後小結〇五ッ洋(〃3)=後幕内〇今大嶋(〃8)〇大田山(〃15)=後幕内●出羽湊(〃5)=後幕内〇日本錦(〃10)〇白龍山(〃3)=元幕内〇若國(〃16)〇大瀬川(幕下2)=後幕内●若嵐(十両7)=元幕内同系で対戦しなかった後小結の潮錦との決定戦で敗北してしまった。同系との決定戦で…
昭和十六年夏場所、東十両七枚目輝曻〔後関脇〕の星取表である。〇布引(十両7)〇武ノ里(〃6)=元幕内〇大ノ森(〃11)=後幕内〇大熊(〃6)=後幕内〇富ノ山(〃4)=元幕内富野山●矢筈山(〃8)〇廣瀬川(〃14)=後幕内〇神風(〃2)=後関脇、解説者〇照ノ海(〃15)〇一渡(〃4)=元幕内〇若瀬川(〃2)=後小結、解説者〇平戸灘(〃9)佐賀県出身〇常陸海(〃11)=後幕内〇小戸ヶ岩(前廿一)〇朝明山(十両13)翌場所入幕なのだから、対幕内戦がたった1番は少なすぎる。たった1番の対幕内戦
※昨日の閲覧…568・訪問者…331トータル訪問者数1,256,496昭和十四年春場所、西幕下三五枚目若瀬川〔後小結〕の星取表である。〇江戸桜(幕下35)〇葵竜(〃34)=後幕内駿河海や〇陸奥ノ里(幕下19)=後幕内や〇鐘ヶ渕(幕下42)=後十両大平山や〇武ノ里(幕下17)=後幕内や●安武(幕下24)=後幕内八方山、不知火監事。や〇照錦(幕下39)=元十両や当場所の幕下優勝は、東幕下筆頭で“同点”の後十両、松若であった。幕下で優勝同点の後小結…
「個人別星取表」の資料的価値を高めるためには、対戦相手名のみならず、対戦当時の相手地位も記入すべきだ━と思っている。ところが今まで出版された相撲諸書掲載の星取表で対手地位まで載っているものは極めて稀れであろう…。前頭筆頭を最高位とする石山昇之助は、“改名歴”がない〔但し、『日本相撲史』に拠れば、幕下時分は下の名前が登之介となっている。〕彼は十両2場所めの明治四四年春、六日目〇平ノ石、八日目〇近江冨士、楽日〇大緑━幕内力士を3人も破り翌場所新入幕を果している。ところが、その入幕場所5勝4敗1引分けと勝越したけれども、相手の過半は十両力士だったのである。新入幕前・後の石山は…
※昨日の閲覧…432・訪問者…302トータル訪問者数1,256,165大正末期~昭和初期の好取組と、その結果。最高位は両力士とも横綱なのです。①大正十五年夏場所八日目西横綱〇西ノ海(寄切り)玉錦●東前頭六②昭和二年春場所四日目東横綱〇西ノ海(寄倒し)玉錦●西前頭三③同三年春場所六日目西張出横綱〇西ノ海(押出し)玉錦●東張小結対戦回数は少ないけれど、弱い横砂が負けていないのは意外な気がするのである。3代め西ノ海3━0玉錦
古本『日本相撲大鑑』(窪寺紘一氏著。平成四年、新人物往来社刊。函入466頁定価5,000円)および名力士の写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&名力士写真
※昨日の閲覧…553・訪問者…350トータル訪問者数1,255,863昭和十六年春場所、東十両二枚目双見山〔翌場所入幕〕の星取表。●豊嶋(十両3)=後幕内〇八方山(〃3)=後幕内〇倭岩(前十八)〇國光(十両11)〇大熊(〃10)=後幕内〇二瀬川(前十九格)=後関脇〇若潮(十両4)=後幕内〇増位山(前十六)=後大関〇一渡(十両12)=元幕内〇陸奥ノ里(前十七)〇十三錦(同十三)〇大邱山(同十五)〇四海波(同十九)●若瀬川(十両13)=後小結〇小戸ヶ岩(〃5)=後幕内豊嶋も13勝しているが、同点決勝は行われていない。7人の幕内と対戦…
『江戸時代相撲名鑑』で調査すれば“1字名”も意外と少なくないけれども、「狼(おおかみ)」と名乗ったやつは残念ながら皆無━京・阪の番附を対象にしても……。関脇玉手山の“初名”が狼なのであった。彼は、在幕15場所で関脇を2場所、小結を3場所つとめている。〔名人と称賛される玉椿は、関脇4・小結7場所だった。〕最高位が横綱や大関に対する玉手山の通算成績を調べてみた。太刀山ら5横綱のうち、太刀山と大錦(卯一郎)からの白星は皆無だが、栃木山ら3横綱から各々1勝を記録している。対大関戦跡では、駒ヶ嶽や伊勢ノ濵から各1勝、朝潮(←朝汐←朝嵐)・九州山(十郎)・對馬洋から各々2勝している。大正六年春場所は東小結で、初日から9連敗━急速に衰えたとみえるのは甚だ残念だった。玉手山を名関脇と評価
※昨日の閲覧…546・訪問者…335トータル訪問者数1,255,513拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーが下記の如く在ります。第99号(令和4年2月)【残部僅少】〇全勝力士が消えた星●天保十二年春場所〇明治大正の新聞記事から●昭和二十年代の重量力士〇島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(令和4年6月)●日本國技の洋風化について〇天保十二年冬場所●大正期の新聞記事から〔改題〕〇場所中改名物語●徳島県出身入幕力士一覧第101号(令和4年10月)〇“時代”を超えた力士たち(新連載)●天保十三年春場所〇大正期の新聞記事から●昭和二十年代の短身力士〇香川県出身入幕力士一覧第102号(令和5年2月)●“時代”を超えた力士たち〇天保十三年冬場所●大正期の新聞記事から〇昭和二十年代の長身力士●広島県出身入幕力...No.99から旧号揃ってます
私見では明治以降の最強力士とする太刀山。明治四十四年春場所後、吉田司家から「横綱免許」となって、番附で正横綱〔片屋(東方もしくは西方)は個人成績が反映されない。〕となり、Ⅱ梅ヶ谷は「正」位置から「張出」へ廻った。この正横綱太刀山、張出……梅ヶ谷の両横綱の位置は、4年=8場所変らなかった。(明44夏~大正4春)ところが、“角聖”と尊称される常陸山引退に因って異変が起った。雷(いかずち)部屋所属の梅ヶ谷と、友綱部屋の太刀山を東・西に対峙させて、両者の“初顔合せ”をいわば売りものにしたい━協会の思惑があったのじゃぁないか…?しかし、大正四年夏場所は東横綱が梅ヶ谷、西横綱が太刀山の番附だったが、梅ヶ谷は最早「引退決意」の状態で初日~楽日を欠場し結局、梅ヶ谷対太刀山の好取組は実現せず…。幻の好取組梅ヶ谷━太刀山
※昨日の閲覧…415・訪問者…261トータル訪問者数1,255,178明治大相撲のパーフェクト記録。最高地位は、関脇対前頭筆頭であった。①明治六年春場所初日東前頭五●鬼若━武藏泻(十両格3)②同六年冬場所七日目東前頭五●鬼若━武藏泻(十両格1)③同七年春場所六日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭六④同七年冬場所三日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭三⑤同八年春場所七日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭四⑥同十年春場所八日目西前頭二〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭四⑦同十年夏場所四日目西前頭二〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭三⑧同十年冬場所八日目西前頭筆頭〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭二⑨同十二年春場所五日目西関脇〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭三⑩同十三年夏場所九日目西小結〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭五引分け等が多かった頃、パーフェクト記...関脇武藏潟10━0勝ノ浦
「元少年力士」の梅ノ花市五郎は、個人別星取表掲載資料が平幕止りのため殆んど存在しないであろう。なので我国最高の相撲文献『日本相撲史』で入幕直前場所および在幕の10場所の星を調べてみた。彼、梅ノ花は横綱との対戦が皆無だった。〔但し、最高位が横綱力士と云う意味に非ず、対戦当時の相手の地位に限っての話である。〕そこで彼が対戦した三役のみを列記してみる。明治四三年春四日目〇小結朝嵐〃四五年夏六日目●小結大ノ川八日目●大関駒ヶ嶽千穐楽●大関西ノ海尚、対戦時が関脇との取組も全然なかった。彼の最高位は、大正二年夏場所の東前頭四枚目だが、初日~千穐楽を休場してしまったのも要因で横綱や関脇との対戦がなかったものと思われる。小結戦の白星が唯一の殊勲…
※昨日の閲覧…419・訪問者…291トータル訪問者数1137980拙作&私家版『相撲史発掘』の冒頭連載記事「“時代”を超えた力士たち」<明治→大正篇>は、当初予定どおりタイトル・見出しを含んで本文3ページ半を近日中に脱稿する所存であります。C級横綱、鳳(おおとり)谷五郎…二枚目、八嶋山平八郎関脇、黒瀬川浪之助小結、小錦八十吉(←山泉)関脇、大鳴門灘右エ門(←司天竜)以上、5力士の執筆が一応終って、本日から前頭四枚目を最高位とする梅ノ花市五郎を俎上に載せる。鳳から梅ノ花まで6力士
世界的な「衝撃事件」発生で、61年前の『大相撲』(読売新聞社刊)記事を想い出した。執筆者は故三宅充氏でタイトル「大相撲界反省のとき」(九州…決算号)〔前略〕初日の前日に大牟田と鶴見で大惨事があったのを皮切りに、衆院選挙、ケネディ暗殺事件とつづき、相撲界でも八百長問題あり、河豚中毒事件ありで、内に外に問題が多かったが、大相撲界にとってもっとも肝腎な土俵内容がまた大荒れに荒れっぱなしのまま幕がおりた。〔後略〕大牟田の惨事とは、三池炭鉱の爆発事故。八百長問題とは、後都知事兼作家が柏・鵬の全勝決戦を相撲協会の“工作”と決めつけ、告訴さわぎに発展…。扨て、「全米ライフル協会」からの献金をこの度の暗殺未遂事件をうけた共和党は、今後一切“腐れ縁”紛いなので転換して、「銃規制」を本格化させる方針を明言すべし。もとよりアメ...61年前の三宅氏記事を…
※昨日の閲覧…959・訪問者…445トータル訪問者数1,137,689昭和十一年春場所千穐楽(十一日目)幕内VS十両7番が記録されている。東前十六〇射水川(寄切り)加古川●十両3西前十五●綾錦(上手投)星甲〇〃3東前十四●三熊山(寄切り)太刀若〇〃2西前十三●防長山(仝)照錦〇〃4東前十三●九州山(吊出し)天城山〇〃1西前十二●大八洲(肩透し)大浪〇〃2東前十二●桂川(浴せ倒し)綾若〇〃5当時、幕尻と“貧乏神”との「実力差」は“紙一重”だったみたい…。千穐楽、幕内1━6十両
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)ならびに名力士写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士のモノクロ写真は次の通りです。1、出羽錦身長181cm、体重143kg2、時津山身長182cm、体重137kg3、安念山身長181cm、体重111kg4、若ノ海身長169cm、体重114kg5、栃光身長176cm、体重128kg尚、力士の体重は“変動”があるはずで、当該写真撮影時のそれは必ずしも一致しないと思われる。〔私見では、若ノ海よりも安念山の方が“重量感”があった印象をもっている。〕御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りい...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈
※昨日までのトータル訪問者数1,137,244どうも面目も・なにも御座いません。調査不足でした。S氏から頂戴した資料に、「郷錦廣次」の序ノ口以来星取表がありました。彼も“広義”の戦争被害者━昭和十四年夏から翌年夏まで「応召」━土俵へ上れませんでした。そのブランクがなければ同十六年夏の十両成績、3勝12敗で幕下陥落、その後一時「轟山」と改名するも、再十両昇進は成りませんでした。尚、彼は「新入幕優勝」の両國━武隈と同郷で直弟子だった。昭和二十年秋、廃業後の消息は不明となっている。関取1場所の郷錦
昭和十九年春、東幕下三一枚目國登〔後小結=改名歴なし〕の星。●藤錦(幕下29)=後幕内〇清惠波(〃32)=後幕内や〇川﨑(幕下36)〔後十両泉州山とは別人〕や〇岩頭(幕下36)や〇石川(幕下40)やや〇郷錦(幕下35)や〇咸陽山(幕下29)=後十両智異ノ山や〇鉾錦(幕下30)=後小結清水川参考資料は「略歴星取表」ではないので、例えば郷錦は幕下止りなのか?尚、当場所の幕下優勝は巨漢不動岩。初日●が惜しかった
※昨日までのトータル訪問者数1,137,017軽量級人気力士、元幕内の炎鵬が名古屋…の土俵から復帰するらしい。→十両→幕下→三段目→序二段→…5段階の落武者で矢張り「相撲勘」が心配・懸念される。本音を云えば、「序ノ口7戦全勝」をめざして慾しいが…。もし、仮に初日或いは二日目の「1番相撲」が「惜敗」なんて羽目になった場合、「自信喪失」になりはせぬか━杞憂している。因みに、現炎鵬は「年寄襲名」の有資格者じゃぁなく、土俵と訣別なら角界とも“縁”をきらねばならぬ運命と思える。元幕内炎鵬、「序ノ口V」は可能❔
昭和六年三月〔於京都〕場所千穐楽(十一日目)の入れ替え戦。西前十六〇常盤野(下手投)池田川●十両6東前十四〇鏡岩(押出し)高ノ花●〃2西前十五〇大嶋(引落し)高登●〃8東前十三〇吉野山(吊出し)綾若●〃1〃前十二〇若瀬川(打棄り)大和錦●〃3西前十一●伊勢ノ濵(突出し)錦華山〇〃8〃前頭九〇肥州山(吊出し)大潮●〃4幕内力士からみると平幕“一桁”が……。一方、十両の東・西八枚目が幕内に挑戦。93年前、楽日幕内6━1十両
※昨日の閲覧…516・訪問者…319トータル訪問者数1,136,779窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は次のとおりであります。1、出羽錦忠雄昭和22年入幕~39年引退。2、時津山仁一〃24年入幕~36年引退。3、安念山治〃29年入幕~40年引退。4、若ノ海正照〃30年入幕~38年引退。5、栃光正之〃30年入幕~41年引退。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈
昭和二七年春場所、西前頭八枚目輝昇〔元関脇〕の星取表である。ここでは決り手を省略して、相手の前日までの勝・敗を調べてみた。〇國登(前頭九)━━━〇鳴門海(同八)1勝。〇琴ヶ濵(同九)1勝1敗〇清惠波(同五)3勝。〇不動岩(同十)2勝2敗〇米川(同十三)4勝1敗。=後横綱A〇羽嶋山(同四)3勝3敗〇吉井山(同十七)6勝1敗〇松登(同七)5勝3敗〇常ノ山(同六)7勝2敗〇潮錦(同十五)6勝4敗●琴錦(東小結)4勝7敗●栃錦(東張関脇)7勝5敗●鏡里(東大関)10勝3敗〇出羽錦(前頭五)10勝4敗翌二八年夏、前頭六枚目で時津山が全勝優勝したとき、三役戦は小結出羽錦だけ。矢張り当時「取締」(理事長を含む)の弟子は番附も・取組編成も“有利”に扱われる。平幕Vを逸した元関脇輝昇
※昨日の閲覧…652・訪問者…348トータル訪問者数1,136,460去る夏場所幕下V藤青雲の星取表。〇矢後(幕下12)=元十両や〇日翔志(幕下13)やや〇聖富士(幕下14)や〇出羽ノ龍(幕下18)〇大辻(〃7)や〇風の湖(幕下32)や〇草野(幕下60格)や藤青雲自身より“上位”相手だったのは5番相撲だけで、あとは下位力士ばかり━「関取試験」に相当する取組はなかった。7番相撲は、十両下位の幕下陥落〔未確定〕候補者と対戦させるべきだ。「関取試験」的取組なしで…
「15日間」制本場所の嚆矢、昭和十四年夏、西三段目五七枚目諏訪登〔後幕内信州山〕の星取表である。●今錦(三段目58)●山中(〃58)や〇荒船山(三段目45)や〇橋詰(三段目44)やや●谷口(三段目57)や●東洋(序二段4)〇西ノ宮(三段目43)や〇紀勢山(序二段1)残念ながら対戦相手力士に後の関取はいないみたい…。初の15日制で…
※昨日の閲覧…1,123・訪問者…350トータル訪問者数1,136,112昭和五年夏場所二日目の幕内VS十両。東前十四〇綾ノ浪(極倒し)潮ヶ濵●十両4〃前十三〇若常陸(叩込み)晴ノ海●〃4〃前十二●藤ノ里(上手投)池田川〇〃2西前十二〇若瀬川(寄出し)伊勢ノ濵●〃2東前十一●荒熊(〃)肥州山〇〃3西前十一〇剱岳(打棄り)駒錦●〃3東前頭十●常陸嶽(浴せ倒し)沖ッ海〇〃1当時は「東西対抗」制度で、出羽海部屋所属力士が多数派のため取組編成のスタンスが現代とはまるっきり違うけれども…。昭和5夏2日目幕内対十両戦7番
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本の保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は、プロのカメラマン撮影に非ず、素人が撮ったものと思えますが、撮影年月は全然わかりません。1、出羽錦東京出身、出羽海部屋、最高位関脇。2、時津山福島出身、立浪部屋、最高位関脇。3、安念山北海道出身、立浪部屋、最高位関脇。4、若ノ海秋田出身、花籠部屋、最高位小結。5、栃光熊本出身、春日野部屋、最高位大関。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて御送付いたします。〒852-8113長...『日本相撲大鑑』と5力士写真進呈
※昨日の閲覧…2,420・訪問者…264トータル訪問者数1,135,762去る夏場所、最軽量力士の宇瑠寅は2勝5敗と、負越したけれど、序ノ口陥落を免れている。その十日目、2勝めの相手、京の里━『相撲』誌の略歴星取表に拠れば、身長185cmで体重が165.6kgとある。宇瑠寅は61.3kgなので、凡そ自身の2.7倍の重量級を翻弄したことになる。「小よく大を制す」の大相撲の醍醐味を観客は味わったはずだ。宇瑠寅、2.7倍の重量級を翻弄!
さきに採りあげた力道山対出羽錦だが、実は両力士は昭和十五年夏場所の初土俵なので「同期生」と云うわけだ。この昭和十五年夏の初土俵組には、大ものがすくなくない。小結・清水川光男→明於小結・國登國生関脇・時津山仁一(純一)関脇・信夫山治貞幕内・若嵐武〃・平ノ戸千代藏幕内・出羽湊秀一〃・福ノ里牛之助昭和15夏初土俵、10名が入幕
※昨日の閲覧…1,618・訪問者…311トータル訪問者数1,135,498日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』の表紙には、3月号「春場所本物新番付」5月号「夏場所本物新番付」と誰にも目立つように赤丸で表示していたのに、今度の最新号には全然それがない。唯、35頁「目次」の上部中央に「…付録名古屋場所本物新番付」と記載しているだけだ。はっきり云ってしまえば、表紙の「大の里」顔の右側に表示するのをうっかり忘れちゃった編集部のミス。“失態”を演じた場合、誰だってその“責任”をとりたくない風潮が…Bマガジン社に限った話じゃぁないね。『相撲』最新号の大ポカだ!
拙稿「“時代”を超えた力士たち」の「明治→大正篇」④は、横…鳳・八嶋山・関…黒瀬川の記述が終り〔但し、爾後編輯の過程で自ら“添削”するかも知れぬ〕現在、山泉改め小錦を鋭意執筆中である。この2代め小錦の入幕直前“貧乏神”での珍・怪記録を御紹介したい。明治四二年春場所、東十両筆頭山泉●藤見嶽(西前十四)〇有村(東前十五)〇立川(西〃)●男嶋(東前十五格)〇鬼竜山(西前十一)や〔東前12両國に休まれる?〕〇神﨑(東前十三)●大ノ川(東前十一)〇大緑(東前頭十)△小櫻(十両2)当時、十両以下は現行「部屋別」総当り制と殆んど変らないので、対戦相手は東・西に関係なく取組が編成されていた。幕内8力士と対戦した“貧乏神”…
※昨日の閲覧…562・訪問者…312トータル訪問者数1,135,187窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は次のとおりで、撮影年月はわかりません。1、出羽錦忠雄7cm×10.5cm2、時津山仁一8cm×12cm3、安念山治仝4、若ノ海正照7cm×10.5cm5、栃光正之8cm×12cm御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて御送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@...『日本相撲大鑑』+力士写真5枚進呈