プロフィールPROFILE

《河童》の旅メモさんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
《河童》の旅メモ
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/kappa3939
ブログ紹介文
旅の途中でのメモ
更新頻度(1年)

160回 / 365日(平均3.1回/週)

ブログ村参加:2015/09/16

読者になる

《河童》の旅メモさんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 12/15 12/14 12/13 12/12 12/11 12/10 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 980,751サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 10 0 0 10/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
旅行ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 43,501サイト
旅日記・旅の思い出 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,186サイト
今日 12/15 12/14 12/13 12/12 12/11 12/10 全参加数
総合ランキング(OUT) 82,860位 83,910位 83,929位 84,107位 84,145位 圏外 圏外 980,751サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 10 0 0 10/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
旅行ブログ 3,165位 3,223位 3,238位 3,233位 3,241位 圏外 圏外 43,501サイト
旅日記・旅の思い出 94位 97位 101位 99位 95位 圏外 圏外 1,186サイト
今日 12/15 12/14 12/13 12/12 12/11 12/10 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 980,751サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 10 0 0 10/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
旅行ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 43,501サイト
旅日記・旅の思い出 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,186サイト

新機能の「ブログリーダー」を活用して、《河童》の旅メモさんの読者になりませんか?

ハンドル名
《河童》の旅メモさん
ブログタイトル
《河童》の旅メモ
更新頻度
160回 / 365日(平均3.1回/週)
読者になる
《河童》の旅メモ

《河童》の旅メモさんの新着記事

1件〜30件

  • 駅の真ん前にある「福山城跡30」

    ホテルから見る夜の福山城跡。改めて新幹線・福山駅は「城内」にあることがわかる。疲れた足で向かった、歴史博物館が臨時休業だったのが残念だった。伏見城から移設された湯殿や櫓等をみて、徳川家康は信長と同盟(同格)であり、秀吉は信長の家臣(家来)であったので、立場上、信長の後継者としては認めがたかった。そのような家康の跡を継いだ秀忠も「秀吉嫌い」だったことが感じられた福山城だった。(完)今日の暦:元禄15(1702)年、赤穂浪士が吉良邸に討ち入る。駅の真ん前にある「福山城跡30」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡19」

    疲れた足を引きずり(?)城が見える食事処へ。入口に「本日のおすすめ海鮮ひつまぶし海鮮丼・金目鯛」が目に付いた。「鰻のひつまぶし」の鰻を金目鯛に替えた「海鮮丼」とのこと。初めて口にする「金目鯛」だたが、テレビでレポータが言っているような味覚は感じなかった。「ちょい呑みセット908円+お重+お刺身+選べるアルコール1杯」が気になった。よく見ると言い訳がましく但し書き。生ビールは「グラス」、ハイボールは「薄め」などと。思わず「にやっ」と。今日の暦:(1937)年、日本軍が南京を占領する。駅の真ん前にある「福山城跡19」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡28」

    福山駅南側のバスターミナルに福山城の遺構の一部が整備復元されている。「この遺構は外に面しており中央大手門にあった。その外堀東側に舟入があり、御水門(おみづもん)と二重櫓があった。入船は瀬戸内海から入江を通って外堀に来た船をつなぎ留める施設だった。海へ開かれた福山城郭の特徴を示す遺構」との説明。石垣のみ復元されていると言うが、よくわからない。今日の暦:昭和36(1961)年、旧軍人らのクーデター計画(三無事件)が発覚駅の真ん前にある「福山城跡28」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡27」

    鏡櫓、月見櫓の1×3の綺麗に積まれている算木積を東側から見上げ、福井駅の南側にある「復元遺構」へ向かう。北側とは異なり、緑のない「大都会」だっ。ふと見上げると焼き鳥屋の看板の上に「鳩」が…。「新鮮な焼き鳥」にされるのを待っているかに見え、思わすシャッターをきった。今日の暦:(1968)年、東京・府中市で3億円強奪事件がおこる。駅の真ん前にある「福山城跡27」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡26」

    三蔵稲荷神社の狭い境内には「能舞台」がある。ちなみに、「ミス」と三蔵稲荷との関係は知らないが、毎年11月には「ミス三蔵稲荷神社コンテスト」が開催されていて、今年は第32回目を向かえたと言う。今日の暦:昭和20(1945)年、GHQが農地改革を指令。これにより、農地の多くが耕作者の手に開放された。駅の真ん前にある「福山城跡26」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡25」

    護国神社の東側、石段が続く鳥居が三蔵稲荷神社への参道。「初代福山藩主水野勝成が福山の鬼門にあたる、この位置に築城の時、備後の国の守護神として祀った神社」とある。今日の暦:昭和19(1944)年、東海地方に大地震と津波が起こる。駅の真ん前にある「福山城跡25」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡24」

    博物館前で30分程大休止するが、時間的にまだ早いので博物館でもらった「公園文化ゾーンマップ」を見ると、直線距離で200m程北東方向に「三蔵稲荷神社」があるので、足は疲れていあが、そちらに向かう。途中福山美術館もあったが、「スルー」し「だらだら坂」を降り護国阿部神社へ。「阿部神社は文化10(1813)年、時の福山藩主歴代の祖霊を祀ったのが始まり」とあり、現・国旗の「日の丸」を制定された老中筆頭の阿部正弘をお祀りされており、近年国家のため殉じられた英霊を合祀、備後靖国神社と合併…とある。駅の真ん前にある「福山城跡24」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡23」

    疲れていたが、城跡近くに、鎌倉時代から室町時代の約300年間存在した都市(大規模集落)の出土品が展示されている県立博物館行くも、運悪く、「令和元年6月11日から6月14日まで臨時休館いたします」と言う「冷たい」張り紙があり「がっくり」。博物館や資料館はたいてい、月曜日が休館。それが分かっていて「今日」火曜日に訪れたのに、一度に疲れが出て、動く気も失せ大休止。今日の暦:昭和44(1969)年、国連総会で地下核爆発を含む核実験停止を決議。駅の真ん前にある「福山城跡23」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡22」

    鐘櫓を西側二の丸からみる。「鐘櫓は本丸西側に位置し、時の鐘と半時(1時間)の太鼓を打っていたといわれる。当初は、柿葺きか檜皮葺きであったが、明治以後、荒廃が激しく、たびたびの補修のため、原形をとどめない状況であった。昭和54年銅版葺きで旧規に復した。尚、写真左側奥には、二の丸から本丸への御台所門があった」。現在では、門跡は石垣で埋められ、現在通行出来ない。今日の暦:(1961)年、日本柔道がオランダのヘーシングに敗れる。駅の真ん前にある「福山城跡22」

  • 久しぶりの京都

    一年ぶりに京都へ。昨年までは、ここ清水坂を歩くには人を避けて歩くのに一苦労したもんだ。しかし今回はそのようなこともなく、例の試食「おたべ」も難なく頂けた。これはやはり、外国観光客の減少が一因だろうか。あまり外国語も耳にしなかった。そして「茶碗坂」との三叉路で今回も居酒屋「336」で、地ビールを1杯頂き「やっぱりここは日本だっ」と「確認」。久しぶりの京都

  • 駅の真ん前にある「福山城跡21」

    綺麗に積み上げられた角石が多い。伏見櫓の石垣の「ノミ」の跡も残る「はつり仕上げ」の石を測ってみると、長さ187×縦76㎝あった。大坂城で多く見られる大きさだ。今日の暦:昭和16(1941)年、ハワイ作戦機動部隊が南千島から出発。駅の真ん前にある「福山城跡21」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡20」

    鐘櫓は本丸西側にあり、近世城郭で唯一本丸内に位置する鐘櫓とされるが、往時は鐘突堂と呼ばれていた。鐘を吊り太鼓を駆け、時の鐘と判時(1時間)の太鼓を打っていたと云われている。建物は鐘撞人の宿舎に利用されたことから、内部、外部ともに甚だしく改変され、何処までが本来の構造か正確には分からない。昭和31年(1956年)に鐘撞人が廃止されると廃墟同然の状態となった。昭和54年に改修された(ウイキペディアより)。今日の暦:昭和19(1944)年、アメリカの爆撃機B29が東京を初空襲する。駅の真ん前にある「福山城跡20」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡19」

    これも、京都伏見城から移築された「湯殿」。昭和41年に木造で再建されたが、湯殿部分は現在流しやトイレになり、湯殿は存在しない。軒丸瓦に「五七の桐」と呼ばれる紋。桐の紋と云えば「豊臣秀吉」。調べてみると桐の紋には、五七の他に五三の桐、太閤桐、土佐桐、桐揚羽蝶などあがる。で、現在、日本国政府の紋は「五七桐」である。今日の暦:昭和38(1963)年、ケネディ大統領がダラスで暗殺される。駅の真ん前にある「福山城跡19」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡18」

    この月見櫓も伏見城の櫓を移築したといわれる。「2層2階建てで北側に附櫓を有していた。2層目には廻縁があり展望台の機能を持っていた。現在の月見櫓は昭和41年(1966年)に天守と同時に鉄筋コンクリートで復興されたものであるが、古写真とは南側正面にある石落しの有無や窓の配置など大きく異なっている。内部は御茶会などの貸会場として用いられている(ウイキペディアより)」とある。今日の暦:明治27(1894)年、日本軍が旅順を占領する。駅の真ん前にある「福山城跡18」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡17」

    鏡櫓。「2層2階建てで築城時に建てられたが廃城後間もなくに取り壊された。名称から鏡を収蔵していたと思われるが、往時は北側に天守直下まで多聞櫓が続き、この多聞櫓は本丸御殿と渡り廊下で繋げられていたことから、御殿の倉庫としての役割もあったようである。現在の鏡櫓は昭和48年(1973年)に市民の寄付により鉄筋コンクリートで建てられたもので、建物の形状や窓の配置など往時とは大きく異なっている。現在は文書館として利用されている。漆喰風の鉄扉が閉められた状態であるため来訪者に施設の存在が気付かれにくい(ウイキペディアより)」。今日の暦:昭和31(1956)年、米原京都間が電化され、東海道本線全線の電化が完成。駅の真ん前にある「福山城跡17」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡16」

    天守の北側には、先の大戦で無差別爆撃で焼失した旧天守の礎石が移築保存されている。今日の暦:明治5(1872)年、神武天皇即位の年を日本の紀元として制定。駅の真ん前にある「福山城跡16」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡15」

    天守最上階・展望台南側からは城の前に福山駅、そしてその向こうにはビル群が並ぶ「大都会」の雰囲気。西側にはゴシック建築の教会かとおもってが、「ホーリーザイオンズパークセントヴァレンタイン」という、一度では覚えきれない結婚式場と言う大聖堂で、ヨーロッパスタイルのウエディング場。「天高くそびえるゴシック建築の尖塔は日本最大級」であると。今日の暦:昭和23(1948)年、極東国際軍事裁判の判決が下りる。駅の真ん前にある「福山城跡15」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡14」

    「刃長68.5㎝、反り7分で、刃先約30㎝ほどが両刃になっている小烏丸。山形三山の一つ、月山を銘とする刀工は平安時代からあり、最盛期は南北朝時代とされている。鎌倉から室町時代にかけて活躍した、刀工の月山鍛冶が天保年に大阪へ移住し"大阪月山"を開き、その後各時代にさまざまな苦難を乗り越えながらも、現在の月山貞利(奈良県指定無形文化財保持者)、また後継者へと技術は受けつながれ、今、奈良県桜井市に月山日本刀鍛錬道場を構えられている」と。この他に室町時代、一乗谷にある春日神社には、春日大社の神使(しんし)である神鹿(しんろく)が彫られた刀があった。今日の暦:大正7年(1918)年、第一次世界大戦終わる。駅の真ん前にある「福山城跡14」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡13」

    博物館内の展示は個人所有の鎧、兜が多く展示されていた。城郭関係の主だった物は全体模型ぐらいだった。目を引いたのは、波紋の代わりに三本の筋がある日本刀である。説明によると「平家代々の名刀、小烏丸(こがらすまる)を昭和13(1939)年10月に宮内庁お抱えの刀匠である月山貞勝が鍛刀した太刀。小烏丸は平安京を開いた桓武天皇が伊勢神宮の使いから授かったという逸話の元。その後平家の手に渡り皇室御物となる…」とある。今日の暦:昭和31(1956)年、南極観測船「宗谷」が東京を出発。駅の真ん前にある「福山城跡13」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡12」

    「天守閣(博物館)は五重六階地下一階。別に二重三階の付櫓を持つ複合天守で、葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる。北面には砲撃対策として厚さ3㍉程度の鉄板が最上層を除いた壁面全体に張られて、全国の天守にも類例がなく最大の特徴だったが、再現はされなかった。昭和20年(1945年)の福山大空襲で焼夷弾2発が命中して焼失、昭和41年(1966年)に天守が鉄筋コンクリート構造により再建された。しかし資料が多く残っているにもかかわらず、美観が優先され最も不正確な姿での再建となり、"復元"ではなく"復興"に分類され、博物館として利用されている」と。今、名護城再建でいろいろと取りざたされているが、石垣を含め現代の技術で再調査し、資料による「復元」が良いと思う。今日の暦:昭和6(1931)年、東京国立博物館が上野に開館。駅の真ん前にある「福山城跡12」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡11」

    筋金御門を潜るとすぐに伏見御殿跡がある。「本丸には築城当初に城主の初代水野勝成と二代勝俊のみが居住しただけの居館があった。三代藩主勝貞は三の丸東側に御殿を造営して移り住み、廃城まで三の丸が居館となる。表居間(伏見御殿)は、これも伏見城から移設されたとの説明があるが疑問も残る」とある。今日の暦:天正6(1578)年、信長の水軍が毛利輝元の水軍を摂津木津川口で破る。駅の真ん前にある「福山城跡11」

  • 古墳の調査発掘体験

    久しぶりの野外活動。国内最大の円墳「富雄丸山古墳」の発掘体験が始まり、昨日は観光協会主催市外対象発掘体験の16組の参加があった。約1時間熱心に、期待を込めて発掘体験がなされた。最初は粘土片や小石を「遺物かっ」と質問を受けたが、時間が経つにつれ、それらと遺物の区別が出来るようになられ、埴輪の破片、鉄鏃片が出土した。体験参加その他の問い合わせは奈良市埋蔵文化調査センターへ。古墳の調査発掘体験

  • 駅の真ん前にある「福山城跡10」

    1×3の算木積の角が綺麗に一直線になている。細かくノミではつりを施された「はつり仕上げ」の石垣。見栄えを良くするには時間と根気が必要な作業だ。今日の暦:文禄2(1593)年、豊臣秀吉が台湾高山国の入貢(使節が貢物を持って来ること)をうながす。駅の真ん前にある「福山城跡10」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡9」

    伏見櫓の向いにある、これも伏見城から移設された「筋金御門(すじがねごもん)」。柱の角には筋金を施し、扉には12条の筋金を鋲打ちし、乳金具を飾っている。これらの事から「筋金」の名が付けられた。この門も昭和20年の戦火を逃れ現存している。「左に渡櫓、右に多門を連接させたもので、後代の桝型多聞の型を取らない初期様式のものである」と。門を潜ると直ぐに伏見御殿跡がある。駅の真ん前にある「福山城跡9」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡8」

    昭和20年の戦火を免れた三重の伏見櫓。「伏見城松の丸にあったものを水野勝成の福山築城にあたって、将軍秀忠が移設させた」と、正面に「どーんと」ある。土で埋められた大坂城と云い、伏見城と云い、秀吉を嫌った徳川秀忠の「秀吉嫌い」に思いを馳せる。その右側にこれも伏見城から移設されたものと云われている、福山城の正門である筋金御門があり、他にも伏見城から移築された櫓がある。その奥に昭和41年に復元された天守の福山城博物館が見える。今日の暦:明治23(1890)年、浅草に12階建ての凌雲閣が完成し、日本初のエレベーターが設置された。駅の真ん前にある「福山城跡8」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡7」

    「福山城跡は、元和5(1619)年、福島正則の改易後、大和郡山より転封してきた(同じ奈良県と言うだけで親近感が湧く)、水野勝成が3年を費やして構築した近世最後の完成された城郭で、築城術の粋を誇る名城とも。しかし今は、内堀、外堀は埋められ、三の丸(現・福山駅辺り)と共に市街化している」とある。石段を登ると左手に、築城時、京都・伏見城の「松の丸東櫓」を移築された国重文の「伏見櫓」と「筋金御門」がある。今日の暦:昭和48(1973)年、江崎玲於奈のノーベル物理学賞が決定。駅の真ん前にある「福山城跡7」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡6」

    刻印が残る石の多くは「〇+I」か「◎」である。後に博物館で刻印石の資料があるかと尋ねたが「ない」との「つれない」返事。想像だが、石を切り出した関係者「石工」の刻印ではないだろうか。今日の暦:大正8(1919)年、東京-大阪間の郵便飛行が初めて成功駅の真ん前にある「福山城跡6」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡5」

    矢穴のある石に、石の「はつり」技法の一つ「すだれ仕上げ」または「すだれがけ」という技法が用いられた石が、「突然に」ある。近年の石垣修理の際にこの位置に置かれたのだろうか。今日の暦:(1903)年、第一回早慶対抗野球試合が行われる。駅の真ん前にある「福山城跡5」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡4」

    石垣を見上げると、綺麗に積まれた理想的とされる1×3の算木積み。大きな石から切り出し、成形された「矢穴」が残る石が使われている。「巨石を割って石材にすれば、大きさや質が安定し、効率的に積むことが可能になり、矢穴技法は石垣の発展に大きな影響を与えた。この技法は専門的な技術が求められる(千田嘉博・石垣の名城より)」と。今日の暦:昭和19(1944)年、神風特別攻撃隊が編成される。駅の真ん前にある「福山城跡4」

  • 駅の真ん前にある「福山城跡3」

    ホーム北口を出ると目の前には道路を挟んで、「くちなしの花」が少し盛りは過ぎていたが咲いていた。「老花(おいばな)」が、人生の盛りを過ぎた「吾輩」を出迎えていてくれるようである。今日の暦:昭和42(1967)年、中国が初の原爆実験に成功。駅の真ん前にある「福山城跡3」

カテゴリー一覧
商用