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  • 富雄川流域探索「浄福寺の巨樹」

    大倭神宮南東約70mには、浄土真宗本願寺派・浄福寺がある。「小野妹子の玄孫・小野福麿をと弔うために建立された六福寺の一つ」との伝承がある。境内にはクロガネモチの大木があり環境省・巨樹・巨木データーベース、2000年6月22日確認によると「樹齢推定200~199年、幹の周り315㎝、樹高=20m」とある。手を伸ばし幹に触れてみる。富雄川流域探索「浄福寺の巨樹」

  • 富雄川流域探索「大倭神宮」

    大倭神宮は聖徳寺と道を挟んで向かい側にあり、木々や竹藪に囲まれた中に磐座がある。「熊野を迂回して大和に攻め込んだ狭野命(神武天皇は幼少時代)の軍は連戦連敗だった。登美の軍(長髄彦)が勝ち鬨を挙げようとした時、一天にわかにかき曇り氷雨の襲来とともに、金鵄の瑞光があって、両軍矛を納めて大地に平伏した。この天啓によって両軍和議が成立、長曽根日子命が差し出した条件を狭野命が無条件に受諾、長曽根日子命はヤマト国を狭野命に譲り、媛蹈鞴五十鈴媛命を正妃としてヤマトの婿養子となったと言う。また、物部、蘇我戦争の際に祖先のトミノオミトイチヒは聖徳太子の矢を背負ったことから"矢追"と言う名を賜ったと伝えている」とHPにある。富雄川流域探索「大倭神宮」

  • 富雄川流域探索「聖徳寺」

    大和国鹿島香取本宮の近くに、融通念仏宗・聖徳寺があるが、「五七の桐の紋」の暖簾が掛かっている。大和郡山市城主であった豊臣秀長と何か関係があるのだろうか。詳細は不明。富雄川流域探索「聖徳寺」

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