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  • 一年前のブログ

    六十余州名所図会加賀「加賀」金沢八勝之内蓮湖之漁火蓮湖は、金沢市と河北郡にまたがる河北潟のことで、広域で生息していた鬼蓮から蓮湖と呼ばれた。海水が浸入する気水湖であり、魚の種類が豊富で漁業......>続きを読む一年前のブログ

  • 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏

    「神奈川沖浪裏」欧米では、北斎と言えばまずこの絵が言及されるほど有名な絵だ。北斎の絵が初めてヨーロッパに渡った時から、北斎の代表作として受け取られた。クロード・モネはこれをアトリエの壁に架けて常に楽しんでいたと言うし、音楽家のドビュッシーは、交響曲「海」の楽譜の表紙に採用した。北斎の、この絵は大胆な構図と力強い線だと思う。逆巻く波を前景いっぱいに配置し、それとの対比で静かな富士の姿を遠景に配している。動と静、自然と人間のダイナミックな対比が大胆な画面構成のなかで強調し表現されている。富嶽三十六景神奈川沖浪裏

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    六十余州名所図会越前「越前」気比ノ松原敦賀は、敦賀湾を擁し天然の良港が造られた。古代から朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んで、使節を迎える為の「松原客館」が置かれるなど、海陸交通の要地であっ......>続きを読む一年前のブログ

  • 六十余州名所図会 対馬

    「対馬」海岸夕晴対馬は、南北82km、東西18kmと細長いリアス式海岸で形成されており、風光明媚な景色が魅力的であった。又、晴れた日には目視できるほど朝鮮半島と近く、大陸との交流で重要な役割を果たしていた。本図では、対馬の入り組んだ海岸に無数の船が描かれており、海路が賑わっていたことが分かる。「六十余州名所図会」最終に相応し、虹を天空高くかけた快晴の対馬を描いている。次回より「富嶽三十六景」の投稿予定六十余州名所図会対馬

  • 一年前のブログ

    六十余州名所図会若狭「若狭」鰈網若狭の小浜は日本海側では有数の漁港として栄え、若狭湾を中心に漁業が盛んな地域であった。古くから京都と陸路で結ばれていたため若狭街道は「鯖街道」と呼ばれ、京都......>続きを読む一年前のブログ

  • 六十余州名所図会 壱岐

    「壱岐」志作長崎県壱岐市は、玄界灘およそ20kmの沖に位置する。朝鮮半島との要路にあたるため、古くから知られ、「いき」または「ゆき」と呼ばれていた。壱岐という字が定着するまでは一支、伊伎、伊吉、伊岐、等の表記が中国の史書などに記録されている。このあたりは暖流の対馬海流が流れているため、比較的暖かく、図のように雪が積もることはめったにない。古名の「ゆき」に関係しているのかも知れません。壱岐に行ったはずのない広重が「ゆき」という言葉もふまえ、雪景の壱岐を描いた様です。副題に「志作」という言葉が包まれているが壱岐には志作という地名も字名もないとのことです。六十余州名所図会壱岐

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