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82回 / 365日(平均1.6回/週)

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切り絵 浮世絵さんの新着記事

1件〜30件

  • 木曽海道六十九次 小田井

    「小田井」追分宿のはずれ、北国街道といわれる小諸・上田経由で善光寺へと通ずる、広々とした原野がつづく小田井宿。遠く浅間を望み、すすきの生い茂る無人の荒野を「本堂造立」の旗を持つ勧進憎と三人連れの巡礼の人々が淋しく孤独な旅路を続ける風情を、追分原の風景に溶け込ませている。木曽海道六十九次小田井

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次岡崎「岡崎」岡崎の矢作川に架かる橋の名は矢矧之橋と云い、東海道中で一番長い橋で、208間(378m)ある。画面は曲線を用いて長さを強調している。大名行列が橋を渡っているところであり......>続きを読む一年前のブログ

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次藤川「藤川」棒鼻ノ図地方役人たちが土下座している。御弊をたてた駒と一緒に御馬献進の一行がゆく。幕府は毎年8月に朝廷に馬を献上することになっており、広重は天保3年にこの行列に参加し......>続きを読む一年前のブログ

  • 木曽街道 追分

    「追分」追分宿は中仙道と善光寺道の分かれる所で、中仙道で最も高い地点にある宿駅である。上信国境に裾を広く拡げた美しい山をもつ浅間山は、三重式活火山で那須火山帯に属す。標高2,542m富士山と同じく成層火山で、火口は小さく、山麓ほど緩やかな傾斜をもつ。北側に溶岩流の鬼押出がある。画面の最上辺にとどくほどに浅間山を描き、その麓を歩む人々を添え、信濃路最大の象徴を示している。木曽街道追分

  • 木曽海道六十九次 沓掛

    「沓掛」軽井沢・沓掛・追分は浅間三宿と云われ現在は軽井沢が最も都会化している。寒風吹き荒ぶ沓掛宿の入口辺りの風景かと思われる。浅間山の南麓一帯が寒気の浅間おろしが厳しい原野であるという。近景に描かれるのは、この辺りを行き交う旅人や荷物を運ぶ牛を引く人の姿で、風は雨を含み、かっぱの袖がはためき、旅人は笠を押さえて歩む、樹も大揺れ雨足の激しさを感じる。木曽海道六十九次沓掛

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次赤坂「赤坂」〈夏の月御油より出でて赤坂や〉赤坂宿は西の藤川宿から約9km、東へ行けばわずか約2kmで御油宿に着く。赤坂宿と御油宿間は東海道五十三次で最も宿駅間が短く、夏に月......>続きを読む一年前のブログ

  • 木曽海道六十九次 軽井沢

    「軽井沢」軽井沢宿の風景で浅間山を背景に、馬上の客と馬子が煙草の火を付けあっている。腰を屈めて焚火から煙管の火を取る旅人の姿には、侘しさが漂う。小田原提灯や焚火の灯りが光源となって、樹木や馬上の旅客を照らし出している。木曽海道六十九次軽井沢

  • 木曽海道六十九次 軽井沢

    軽井沢木曽海道六十九次軽井沢

  • 一年前のブログ 保永堂版東海道

    東海道五十三次御油「御油旅人留女」御油は、浜名湖の北岸を迂回する姫街道の分岐点にも当たる交通の要地だった。次の宿場である赤阪の間が東海道中で最も距離が近く(1.7km)宿屋の客引が非常に強引で......>続きを読む一年前のブログ保永堂版東海道

  • 木曽海道 坂本

    「坂本」刎石山を借景に坂本宿を俯瞰して旅人達で賑わう街道と、その北側の家並みを描いている。この宿場内の街道の長さは392間あり、道の中央には往来する馬の飲み水や防火用に4尺幅の用水が通っていた。用水には17の石橋が架かり、用水の両側との往来がし易くなっていた。さらに家庭用の用水が家並みの裏を通っていた。宿場の家は川の両側で161軒であった。この中で南側の家々は道路と平行して建てると裏鬼門に向いて縁起が悪いというので、各家とも少しずつ北へずらして建ててあった。木曽海道坂本

  • 一年前のブログ 保永堂版東海道

    東海道五十三次吉田「吉田」吉田宿はかつて「今橋」と呼ばれた。画面の左側に大きく描かれている吉田大橋は、豊川に架かっている橋で、江戸から京都までの間にある四橋の1つである。豊川から伊勢へ行く早船が......>続きを読む一年前のブログ保永堂版東海道

  • 木曽海道 松井田

    「松井田」大きな松を中心に、緩やかに曲がる坂道を描く。往き来する人もまばらで、荷を積んだ馬ものんびりと歩む、道の傍らに小さな祠があり、それにふさわしい小さな幟が二つ立ち、その傍らには高札と棒鼻が立っている。松井田宿は奇峰天に聳える絶壁でなりたつ山容の妙義山を正面に見える所にあるが、その山塊には一顧もせず、ただ平々凡々たる旅路のひとこまを描く。木曽海道松井田

  • 一年前のブログ 保永堂版東海道

    東海道五十三次二川猿ケ馬場「二川」猿ケ馬場二川宿は東海道五十三次三十三番目の宿場町で此れより三河に至る、江戸日本橋より72里余、宿場としては小規模で、町並の長さ東西12町26間、天保14年に家数328......>続きを読む一年前のブログ保永堂版東海道

  • 木曽海道六十九次 安中

    「安中」両側に迫る丘の間に緩やかな坂が伸びる。路の先は下り坂のようだ。蓆(むしろ)を広げて何か仕事をしている老女らしき農家の人に、杖を突き、笠をかぶった旅人が話しかけている。大名行列の先の方だけを描いた下方の人々にも、安中を旅をする道中の有様が滲み出ている。木曽海道六十九次安中

  • 一年前のブログ 隷書版 東海道

    東海道五十三次隷書版川崎隷書版「川崎」隷書東海道揃物の一つ川崎。六郷川の中程で大勢の旅人を乗せた渡し船がすれ違うところで、河口からは米や味噌などの生活物資を載せ、川上の山村からは薪炭や鮎などの産物を運......>続きを読む一年前のブログ隷書版東海道

  • 渓斎英泉 木曽海道 板鼻

    「板鼻」板鼻宿は英泉が描いた物だが、広重が一貫して用いていた「木曽海道」が此処では使われている、不思議な作品である。板鼻宿本陣跡は板鼻公民館近くにある。現在もやや幅の広い用水路が綺麗な水を流している。野も樹も家も白銀に装われ、静寂そのもの世界を描出している。渓斎英泉木曽海道板鼻

  • 一年前のブログ 保永堂版東海道

    東海道五十三次白須賀「白須賀」白須賀という地名の由来は、「白い砂州の上に開けた集落」であった為である。峠の上から遠州灘を一望できる潮見坂は、富士山が見える西方の限界といわれた場所で、反対に京都から......>続きを読む一年前のブログ保永堂版東海道

  • 木曽海道 高崎

    「高崎」高崎宿から三国街道が分岐しており、その起点の宿場である。現在の群馬県高崎市にあたる。中山道と三国街道の分岐点にあたり、幕府の佐渡金山からの人馬車など多くの旅人が横行していたが、当時はあまり大きな宿場ではなかった。旅人に物乞いする男を描いており、今では観ることのない光景を表現している。国定忠治や大前田栄五郎が活躍したのは此の辺りである。次回は板鼻宿木曽海道高崎

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次新居「新居」舞坂の今切の渡しから新居に向かう。遠くに見える向こう岸には箱根と並んで厳しい取締りが行なわれる新居関所が有る。ふき流しをはためかせ、二本の毛槍を高々と飾り立てた船は参勤......>続きを読む一年前のブログ

  • 英泉 木曽街道 倉賀野 宿烏川之図

    倉賀野(群馬県高崎市)烏川は利根川の上流で江戸との間に舟運が開けていた。倉賀野宿は商人ばかりでなく河川で働く船頭や、荷役、船大工、街道筋で働く牛方、馬方で賑わっていた。川縁に建つ茶屋が描かれている。小川に張り出した桟で女が束子で釜を洗っている。小川に流れ込む用水で子供が網で魚を捕ったり、亀を捕まえたり,水門に上がり遊びに夢中である。茶屋では菅笠と杖を脇に置いて休んでいる旅の女が子供たちの遊んでいる様子に見入っている。英泉木曽街道倉賀野宿烏川之図

  • 一年前のブログ 東海道 舞阪

    東海道五十三次舞阪「舞阪」舞坂から次の荒井までは舟渡しで、海上一里を行く。今までの徒歩での陸路の旅とは異なり、束の間の憩いの一時でもあった。明応七年(1498)の大地震で、浜名湖と海を隔てていた......>続きを読む一年前のブログ東海道舞阪

  • 木曽海道 新町

    「新町」新町宿の背景に富士山にも似た上州の赤城山が描かれており、伸び伸びとした広大な自然が広がってる。新町の温井川に架かる弁天橋を渡る荷を背負う二人を描く。此れから間もなく山岳地帯が近くに迫り中山道も次の、次の高崎の宿から越後への道へと分かれ、山間も深くなる。次回は倉賀野宿木曽海道新町

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次濱松「濱松」東海道の半ばを越えた濱松。冬枯の原野は寂しい。一本杉の傍らでたき火を囲んで、たばこを吸いながら暖をとる農夫たちのところへ、旅人が冷えた体を暖めようと話しかけて来る。世間......>続きを読む一年前のブログ

  • (木曽街道) 支蘓路ノ驛 本庄宿 神流川渡場

    「本庄宿」神流川渡場神流川は武蔵と上野の国境をなし、武州側より対岸の新町を望むところを描く。両岸に立つ、常夜燈は3代目戸谷半兵衛こと光寿が寄進したもので、夜に川を渡る人のために、建てられたもので、現在本庄側のものが二重の台座の上にのる四柱宝形造の灯寵で、この絵のものとは形が違っている。背景の山は上毛三山でありこの付近では、日光の山々、赤城山・榛名山が手にとるように美しく眺められるが、その山々を遠景に、広々とした河流をいかにも雄大に描く。(木曽街道)支蘓路ノ驛本庄宿神流川渡場

  • 一年前のブログ 保永堂東海道五十三次

    東海道五十三次見附「見附」天竜川の東岸に見附の宿場がある、遠江国の国府であったこの地は、江戸時代以前東海道最も栄えた宿場町だった。京都から江戸へ向かうと初めて富士山が見える事から「見附」と言われ......>続きを読む一年前のブログ保永堂東海道五十三次

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次袋井「袋井」袋井宿は東海道五十三次の東西どちらからも27番目の、真ん中の宿で東西文化の中間点として、物資と人々の往来や、秋葉山への参拝客などで賑わったといわれていた。四方を丘に囲ま......>続きを読む一年前のブログ

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次掛川「掛川」掛川宿のはずれには橋がある。凧が画面からはずれるほど高く上がっている。遠景には険しい秋葉山がある。手前に描かれた御神灯は防火の信仰の秋葉権現への入口を示す。供を連れた僧......>続きを読む一年前のブログ

  • 岐阻街道 深谷

    「深谷」深谷宿は、木曽街道六十九次のうち、江戸から数えて九番目の宿場。現在の埼玉県深谷市にあたる。深谷宿は中山道で最大規模の宿場で、本陣1、脇本陣4、旅籠80余有り。商人が多く、また飯盛女も多く、遊郭もあり、江戸を出立して二番目の宿を求める人で大いに栄えた。岐阻街道深谷

  • 一年前のブログ

    東海道五十三次掛川「掛川」掛川宿のはずれには橋がある。凧が画面からはずれるほど高く上がっている。遠景には険しい秋葉山がある。手前に描かれた御神灯は防火の信仰の秋葉権現への入口を示す。供を連れた僧......>続きを読む一年前のブログ

  • 栄泉 岐阻道中 熊谷宿

    「熊谷宿」木曽街道9番目の宿画面右側の杭に「右おしげうだ」(忍行田道)「左深谷二里廿丁」と刻まれている熊谷宿に入る手前の別れ路を描いている。吹上を過ぎると此の絵のように、くねくねと曲がった堤の上を中仙道は通っている。後脚をあげ尻尾を振る馬が、飼葉を食べている。駕籠の客が旅人に声を掛けている様だ。左側の茶店の行灯には「あんころ」「うんとん」と書かれ、上半身裸の休憩場面など夏を感じる。熊谷と言えば夏の暑さで有名なところである。栄泉岐阻道中熊谷宿

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