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切り絵 浮世絵さんのプロフィール

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切り絵
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浮世絵を切り絵に
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61回 / 365日(平均1.2回/週)

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切り絵 浮世絵さんの新着記事

1件〜30件

  • 一年前のブログ 上野山内月のまつ

    広重名所江戸百景上野山内月のまつ「上野山内月のまつ」上野清水堂の崖下の向かいに描がかれた「月の松」と呼ばれた奇松の大写しである。樹の肌が画面いっぱいに描かれ、不思議な曲線の背景には不忍池が広がり、池に突き出......>続きを読む一年前のブログ上野山内月のまつ

  • 東海道五十三次 吉原

    「吉原」東海道を西に向かうと、富士は常に右手に見える。処が吉原の宿へ近づくと道は、大きく湾曲している為に富士が左側に見え、「左富士」の名所となっていた。富士を眺めながら、松並木を馬でのんびりと行く親子連れの様子が画面に見て取れる。三人が横に並んで馬の鞍に乗るのを「三宝荒神」と呼ばれていた。東海道五十三次吉原

  • 名所江戸百景 はねたの渡し

    名所江戸百景はねたのわたし弁天の社「はねたのわたし弁天の社」江戸時代後期、多摩川の河口には広大な洲が形成されていた。この洲の南の先端に羽田弁天と呼ばれる古い弁天堂があった。中ほどには、穴守稲荷と呼ばれる波除(......>続きを読む名所江戸百景はねたの渡し

  • 広重 東海道五十三次 原

    「原」現在の静岡県沼津市にあたる。最も富士山が美しく見える所がこの地、原である。富士山の美しさと大きさが強調されており、画面の枠を飛び出している。右側に寄生火山愛鷹山を配し、湿地帯のような浮島ヶ原が広がり二羽の鍋鶴を取り入れた。女性とお供の男性連れた女主人の見返る姿も富士山の雄姿を強調したものと思われる。広重東海道五十三次原

  • 1年前のブログ 五百羅漢さざえ堂

    広重名所江戸百景五百羅漢さざゑ堂「五百羅漢さざゑ堂」(東京都江東区)黄檗宗の禅寺、羅漢寺の境内には「栄螺堂」という、らせん状に昇る三階建ての三匝(さんそう、と読むが江戸訛りでこれを、さざえと読んだ)堂があっ......>続きを読む1年前のブログ五百羅漢さざえ堂

  • 広重 東海道五十三次 沼津

    「沼津」東海道五十三次の内で唯一の月景である。大きな満月が上がり、明るくなった狩野川沿いの道を親子の旅人と金毘羅参りの旅人が、沼津の宿場を目前に歩いている。背中の天狗を拝んだ人々からお賽銭を集め、本人に代わって金毘羅にお参りをする代参の一種である。旅人の宿を前にした安堵感が月明りの中で夜の眠りにつきはじめる林の描き方などから伝わる。広重東海道五十三次沼津

  • 一年前のブログ

    広重名所江戸百景四谷内藤新宿「四谷内藤新宿」元禄11年(1698)、信州高遠藩・内藤若狭守の下屋敷の跡地に設けられた内藤新宿は、甲州街道の最初の宿駅です。甲州街道は、多摩や秩父地域で採れる鉱物や農産物の運......>続きを読む一年前のブログ

  • 東海道五十三次 三島

    「三島」三島宿は箱根越えをする旅人で賑わった宿駅であった。朝霧の中、三島神社の前を行く旅人と駕籠に乗る人物、馬に乗る人物を描き、鳥居・人家・遠くの旅人などは線を用いず、ぼかしの濃淡だけで奥行きを出している。三島大社は頼朝が源氏再興を祈願した事で知られる。「箱根八里」は小田原―三島間を指す。東海道五十三次三島

  • 東海道五十三次 箱根

    「箱根」東海道一番の難所が箱根越えである。岩肌をあらわにした険しい山の間をぬって、狭い道を大名行列が行く。関所を無事通過し、「天下の険」を更に先へ進む箱根八里である。山並の向こうにさらに富士山が見える。左手には美しい芦ノ湖がある。山肌をモザイク状の色面で構成し、一層険しさを強調している。東海道五十三次箱根

  • 一年前のブログ

    広重名所江戸百景真間の紅葉手古那の社継はし「真間の紅葉手古那の社継はし」真間は、現在の千葉県市川市にあたる。ママのテコナ神社の近くには、紅葉の名所・弘法寺があり、中央には、その弘法寺の継橋が描かれている。赤く色着いた......>続きを読む一年前のブログ

  • 渓斎英泉 木曽街道六十九次 鵜沼驛従犬山遠望

    「鵜沼驛従犬山遠望」木曽街道六十九次は七十枚の版で前半は渓斎英泉と後半は歌川広重で構成されている。木曽川の河畔の小山の頂に建つ犬山城は松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝五天守のひとつで、築かれた年代は信長時代の最古(1537年)という天守である。木曽川を隔てた対岸に鵜沼宿の家並みが描かれている,中山道の鵜沼宿は濃尾平野北端の交通の要衝に位置していた。犬山城は愛知県で木曽川を渡ると岐阜県となる。渓斎英泉木曽街道六十九次鵜沼驛従犬山遠望

  • 東海道五十三次 小田原

    「小田原」江戸時代、小田原を流れる酒匂川には橋がなかった。旅人は渡し場から川越し人足によって川を渡る様に法で決められていた。雨が降り続き、水深が胸あたりになると、川留めとなった。川留めは、旅を急ぐ人々にとって大変な難儀であった。東海道を上方へ向かう旅人は、農家で泊まったり、野宿して川明けを待ちわびた。対岸には北条氏の居城三層四階の小田原城が見え、遠くには箱根連山が連なる。東海道五十三次小田原

  • 一年前のブログ

    広重名所江戸百景増上寺塔赤羽根「増上寺塔赤羽根」五重の塔は、仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安する仏塔の一つで、古くから寺院に建立されてきた。芝増上寺の境内に、かつては図の様な五重塔が存在していた。奥から流れている......>続きを読む一年前のブログ

  • 東海道五十三次 大磯

    「大磯」手前に刈り取った耕地、宿場の入口付近でのにわか雨。左奥の沖合いの海は晴れ。晴雨の対象がおもしろい。大磯街道に沿って宿が連なり、寒さと雨を避けながらようやくたどり着く安堵感。右手には丸みをもつ高麗の山裾が描かれている。曽我十郎の愛人虎御前のこもった高麗山の伝説から、十郎の死を悲しんで流したであろう涙を「虎ヶ雨」と例えた。東海道五十三次大磯

  • 甲斐大月の原

    広重富士三十六景甲斐大月の原「甲斐大月の原」広重が北斎の「冨嶽三十六景」に対抗して描いたと言われる「冨士三十六景」のうち、甲州街道大月から桂賀沿いに富士吉田に向かった辺り、大月ヶ原の眺めを描いた一枚。低い......>続きを読む甲斐大月の原

  • 名所江戸百景 金杉橋芝浦

    「金杉橋芝浦」汐留橋から高輪までを芝浦と云い、東海道で金杉川を渡る橋を金杉橋と称した。手前に描かれているのは橋上を行く日蓮宗の人々である。秋の命日の前後には御影式や報恩式が執り行なわれるため、一行は池上本願寺で行なわれる祭式に向かっているのだろう。名所江戸百景金杉橋芝浦

  • 1年前のブログ

    広重六十余州名所図会近江琵琶湖石山寺広重六十余州名所図会近江琵琶湖石山寺「近江琵琶湖石山寺」近江の国は現在の滋賀県である。滋賀の象徴とも言える琵琶湖は楽器の琵琶をさかさまにしたような形からその名......>続きを読む1年前のブログ

  • 東海道五十三次 藤澤

    「藤澤」藤沢は遊行寺の参詣者が多く、江ノ島への分岐点として賑わった。遠くに北条時宗の本山、遊行寺の伽藍が描かれ、その右手にある家並は道場坂の存在を示し、大鋸橋を挟んで、江ノ島弁天の鳥居がある。お参りをすませた人々が山門をでて橋を渡り、鳥居をくぐろうとしている東海道五十三次藤澤

  • 1年前のブログ

    広重六十余州名所図会備後阿武門観音堂「阿武門観音堂」ポニョの街のモデルとなった鞆の浦に橋を新設する事業について裁判所が許可しなかった。その鞆の浦から海岸沿いに4∼5キロ西に行ったところにある阿伏兎(あぶと)岬に今......>続きを読む1年前のブログ

  • 広重 行書版 東海道五十三次 程ヶ谷

    「程ヶ谷」初代広重の東海道物で「東海道」という文字が行書であることから、一般に行書東海道と呼ばれている。シリーズの内,程ヶ谷新町入口を描いたものである。此処でも帷子橋が描かれているが保永堂版保土ヶ谷(7月21日投稿)と違い視点が横に変わり、橋全体をとらえたものである。地名の保永堂版「保土ケ谷」と行書版「程ケ谷」は現在も双方が使い分けされている様だ。広重行書版東海道五十三次程ヶ谷

  • 一年前のブログ

    広重六十余州紀州和歌の浦「紀州和歌の浦」現在の和歌山県全域と三重県南部を含む紀伊国は、降水が本州第一と言われる地域である。一方太平洋に面する海岸に屈折多く、数多い風光絶佳の海浜の地をかかえている。地......>続きを読む一年前のブログ

  • 広重 東海道五十三次 平塚

    「平塚」唐ヶ原のくねったあぜ道の先に平塚の宿場がある。「く」の字に曲がった道によって、丸い形をした高麗山との距離感を出し、さらに富士山を遠くにのぞかせている。江戸から来る旅人が平塚宿に入ると、正面に高麗山が聳える。宿泊客の少なかった平塚では、日暮れにはまだ間があって通り過ぎようとする人を、「大磯へは、あの高麗山を越えなければ行けません,これから越えるのは大変です。」と言葉巧みに無理やり宿泊させたという。広重東海道五十三次平塚

  • 広重 みつまたわかれ渕

    広重名所江戸百景みつまたわかれ渕「みつまたわかれ渕」隅田川の下流から右岸の芭蕉記念館展望公園から箱崎川の永久橋で、その左は箱崎にあった田安家屋敷、右側の朱塗り門は堀田備中守あるいは安藤長門守屋敷であろう。「......>続きを読む広重みつまたわかれ渕

  • 東海道五十三次 戸塚

    「戸塚」早朝に日本橋を発った旅人が、戸塚に到着する頃の夕景が描かれている。「こめや」の看板が目立つ茶屋は、米で作った餅菓子で有名な店で、軒下には伊勢参りをする講の名前を記した木札が掛けられている。中央に描かれている灯篭脇の石柱には「左りかまくら道」と彫られ、鎌倉へ行く分かれ道を示している。馬から降りる旅人、笠の紐を解こうとする旅装の女、それを迎える茶見世の女の姿が夕暮れ近い風景に溶け込んでいる。橋畔の茶見世「こめや」は現在は現存しない。東海道五十三次戸塚

  • 一年前のブログ 江戸百景 浅草川首尾の松

    名所江戸百景浅草川首尾の松御厩河岸「浅草川首尾の松御厩河岸」隅田川の船遊びは四季折々で様々な趣向がこらされており、納涼船は夏の風物詩であった。「首尾の松」は倉庫街蔵前の一画にあり、船で吉原へ向う遊客がこの松を見......>続きを読む一年前のブログ江戸百景浅草川首尾の松

  • 広重 名所江戸百景 両国花火

    「両国花火」隅田川を挟んで武蔵と下総の二国に架けられた橋ということで両国橋の名が付けられ、その界隈を両国と呼ばれた。両国は江戸第一の繁華地として、見世物・芝居・辻講釈などに屋台店も並び、昼夜の遊興で賑わっていた。江戸時代、花火といえば両国橋近辺での納涼イベントとして有名で、群衆が押し寄せ通行を規制したほどであった。江戸時代は花火の技術が発展した時代でもあり、江戸だけでなく、現在の長野県や愛知県などでも花火が作られ、打ち上げられた。広重名所江戸百景両国花火

  • 東海道五十三次 保土ヶ谷

    「保土ヶ谷」帷子川に架けられた新町橋を渡ると、保土ヶ谷の宿である。街道の両側が宿場の家並みになってる。江戸時代に参勤交代の大名が宿泊する「本陣」が各地に置かれていたが、江戸を出て最初の本陣が保土ケ谷だった。昭和31年に帷子川の工事で流れが変わり,現在は広重が描いた場所には帷子川は流れていない。橋が架けられていた場所は「天王町駅前公園」として整備され跡にはモニュメントが設置されている。東海道五十三次保土ヶ谷

  • 2018年7月のブログ

    広重六十余州名所図解長門下の関「長門下の関」本州の最西端にある下関は、関門海峡を挟んで九州に繋がる。古くから海上交通の要として機能し、輸送船の寄港地として「西の浪華」と呼ばれるほど繁栄していた。停泊中の......>続きを読む2018年7月のブログ

  • 広重 東海道五十三次 神奈川

    「神奈川」神奈川宿は現在の横浜の中心部より北東の台地に位置にある。宿場の街道沿いには景色を売り物にする茶屋が並び眺望の良いところであった。右の坂道には宿屋が並び、江戸からの旅人はここで最初の宿をとった。左側には船着場として栄えた港が描かれている。水平線上につきでているのは野毛山、その先の半島は本牧岬であろう。広重東海道五十三次神奈川

  • 2018年7月のブログ

    広重六十余州名所図会尾張津嶋天王祭り「尾張津嶋天王祭り」日本三大川祭りのひとつとされている「津島天王祭り」は、愛知県津島市に500年以上も伝えられてきた歴史あるお祭りでる。数ヶ月にも渡る行事、儀式のクライマ......>続きを読む2018年7月のブログ

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