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  • 一年前のブログ

    木曾海道六十九次中津川中津川(晴)重畳たる山間を縫う木曽路に別れを告げて、明るく開けた美濃路に入り、二番目の宿驛が中津川である。折り重なる木曽の山々や恵那山を背景に、平坦な野を描く。篠懸をつけ......>続きを読む一年前のブログ

  • 六十余州名所図会 武蔵 隅田川

    「武蔵」隅田川現在では積雪が珍しい都心であるが、『江戸名所花暦』(1830年)には、隅田川は雪の名所として記されている。本図では、一面の雪景色に青く澄んだ隅田川が栄える作品である。また背景の赤く染まった空は、朝焼けを表現し、早朝の雰囲気を感じさせてくれる。画面中央を流れる隅田川に左手前からほぼ直角に合流しているのが「山谷堀」音無川の三ノ輪あたりから隅田川の今戸をつなぐように掘られた掘割で、水害対策とともに、灌漑の補助もかねていた。こういった堀は江戸にはたくさんあったが、堀といえば「山谷堀」を指すほど著名で、船宿や茶店が堀の両岸に並んだという。六十余州名所図会武蔵隅田川

  • 一年前のブログ

    木曾海道六十九次中津川(雨)中津川中津川の作品は、晴雨の両景二種類ある。中津川宿の遠方には晴れ間が次第に見えてきたのであろうが、まだここでは雨が重く冷たく降りしきり、雨合羽に身を包んだ旅人は、容赦な......>続きを読む一年前のブログ

  • 六十余州名所図会 相模江之嶋 岩屋ノ口

    「相模」江之嶋岩屋ノ口江ノ島は、相模湾岸の境川の河口にあり、境川によって運ばれた土砂でできた片瀬海岸とつながる、満潮時にはこの砂州が水面下に消えた。人々は渡し舟に乗るか、引き潮を見計らって歩いて渡っていた。その後、江ノ島大橋、江ノ島弁天橋が架橋され、干満の別なく渡ることが出来る様に成った。箱根・江ノ島方面への旅は、江戸から2~3日の近郊の旅行として人気があっただけでなく、足を伸ばせば富士詣、身延詣、にも行けるので、これらの参詣の流行とともに隆盛を極めた。本図では、富士山の左半分と江ノ島の右半分が枠外に消え、画面上にはそれぞれ半分しか描かれていない。此の事によって、横長に広がる景色を無理に縦の構図に入れ込むのではなく、左右に広がる構成をイメージでき、より広い空間を演出している。六十余州名所図会相模江之嶋岩屋ノ口

  • 一年前のブログ

    木曾海道六十九次落合「落合」木曽路の嶮しい山道を難儀しながら歩いてきた旅人達は、馬籠宿の先の急な坂道を下り、前面に開けた平地の中に落合宿を見付けると、我が家に帰った気分になったという。恵那山......>続きを読む一年前のブログ

  • 六十余州名所図会 伊豆 修禅寺

    「伊豆」修禅寺湯治場修禅寺温泉は、807年に弘法大師が開いたとされる歴史ある温泉である。広重は本シリーズを描く際に『山水奇観』を参考に描いているが、例外的に気に入った場所を追加して描いており、本作品も広重が新たに加えて描いた場所である。画面中央の湯治場「独鈷(とっこ)の湯」の建物を細かく表現し、急流の川と共に賑やかな雰囲気が伝わってくる。六十余州名所図会伊豆修禅寺

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