網代城@GoogleCS立体図 網代城・・・・・この図は少し粗い・・・・15世紀中頃、農山村の地侍たちは地域の指導者として村単位の自営権力を持ち、南一揆と呼ぶ武装集団を成立させていた。 この山城はそうした者たちによって利用されていたと考えられる。このような小規模な山城は村人らの逃散(領主の重税から逃れる)の場としても利用されていた。 16世紀中頃、滝山城に入城した北条氏照により南一揆は解体され、網代城は滝...
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網代城@GoogleCS立体図 網代城・・・・・この図は少し粗い・・・・15世紀中頃、農山村の地侍たちは地域の指導者として村単位の自営権力を持ち、南一揆と呼ぶ武装集団を成立させていた。 この山城はそうした者たちによって利用されていたと考えられる。このような小規模な山城は村人らの逃散(領主の重税から逃れる)の場としても利用されていた。 16世紀中頃、滝山城に入城した北条氏照により南一揆は解体され、網代城は滝...
根小屋城@Google根小屋城CS立体図北方に秋川が流れる加住(かすみ)北丘陵の断崖上に位置する根小屋城ですが、主郭部周辺は変形が進んでいるため、縄張の詳細が把握しにくく謎が多い山城です。 直線距離にして180メートル程度の小さい平山城ではありますが、残存する堀や土塁の跡からは、自然の要害を最大限に利用していたことがうかがえ、少人数でも効果的に守れるよう工夫された山城であったといえます。根小屋城入口竹林の南郭...
今回は久しぶりのNo1サイト・・・・今の時期は新緑で、展望が悪かった・・・・今回は炎幕・・・今日は気温が高いので、オープンで⛺湿度も高い!気温も高く、地雷を設置💣イヤ蚊取り線香を 早朝のコーヒ-旧管理棟からの風景焚火と新緑2025.5.18~19人気ブログランキング...
乙城(自性院の裏山)@Google自性院裏山が城址となり、周辺にも多くの城が存在する!!歴史的詳細は不明又栃木県のCS立体図から外れている。城址遠景 駐車場から東側内側の堀・・・こちらは造りがあまい乙城主郭 南側の立木が伐採されている!!主郭 北側雑木林内東側 外側の腰郭又は堀跡か?北側 腰郭上段西側 内堀・・・東側と違い造りが良い!!西側 外堀西側から見た主郭主郭内の古墳群2025.5.11 初登城...
所野城(小倉山森林公園)@CS立体図近年新たに発見された城、日光東照宮に程近い!小倉山森林公園が城址となり公園化されていた!歴的詳細は不明北の堀切・・・低い竹が邪魔して見ずらい!!虎口か?郭2主郭への虎口 土橋・堀切所野城の主郭東側の腰郭、西側にも有り主郭からの男体山・・・・昨日辺りで雪が降ったか?2025.5.11 初登城人気ブログランキング...
岩槻城図室町時代末期・戦国時代初頭に築城され、明治時代初期に廃城となった岩槻城。およそ400年にわたる存続期間に、岩槻城は大きく移り変わりました。激しい戦乱の中で築かれた当時の軍事的機能、大きな勢力配置が固まった中で、領主(国衆・くにしゅう)の本拠や関東統治の要として加わった拠点城郭としての性格、「泰平の世」における幕府の全国統治における幕閣の城としての性格・・・。時代の推移とともに、岩槻城の性格や...
久野又城ルート@国土地理院(林道の分岐に注意!!)近年新たに発見された城、歴史的詳細は不明。城への農道・・・・・・山へ進む・・・・・林道の分岐・・・・・この分岐点は、間違えてはいけない(私は、間違えて直進してしまった( ;∀;))爽やかな林道・・・林道はほぼ平坦林道突き当り右手へ作業道を進が・・・・・🏔尾根を直登!!目的の峰に出て、最初の遺構・・・・南の堀切主郭 南側の腰郭久野又城の主郭・・・・眺望は無...
寺宿城ルート@国土地理院 近年新たに発見された城、歴史的詳細は不明。城への作業道入口・・・入口付近に目印のテープが有るが、この斜面を進む事は推奨しない・・・斜面がきつ過ぎる!!東側から見上げる?遺構はこの上の稜線!!主郭への土橋、堀切 虎口寺宿城 主郭主郭 西側の崩壊した祠主郭北側の段郭北東の切通・・・この切通から城の祠へか?まだこの辺りには、菜の花が咲く2025.4.27 初登城人気ブログランキン...
sあ富池城@Google近年新たに発見された城、歴史的詳細は不明(動画は暗いため、ブレていますm(__)m)城址遠景温泉神社 背後の森に遺構が!!(藪!藪!藪!)森に入り・・・少し進んだ場所に、最初の遺構!堀切、若干竪堀に北先端の堀切2025.4.27 初登城人気ブログランキング...
小幡城@Earth小幡城は、大掾詮幹の三男義幹が室町時代(一四ニ〇年頃)に築いたという説と、小田知重の三男光重が鎌倉時代(一ニニ〇年頃)に築いたという二説がある。 戦国時代の文明年間(一四八一年頃)以後は、水戸城の江戸氏の影響下に入る。 現在の城域約十二ヘクタールが整備されたのは、元亀~天正年間(一五七〇年代)と思われ、府中城の大掾氏を攻める拠点として重要な役割をはたしている。 安土・桃山...
竹原城 出城@Earth竹原城は大掾氏の府中城(石岡市)の支城で、府中大掾平貞国の弟、竹原四郎義国が長禄2年(1559年)に竹原に築いた城である。天正18年(1590年)12月佐竹氏は水戸城主江戸氏に続いて、常陸の名門付中城の大掾清幹(貞国の子)をも攻略した。この時、義国も討死し城も廃されたと伝えられている。牙城の高さ約16メートル、1の郭、2の郭、3の郭ともに円形をなし、外部は水田に接している。昔の面影としては、館跡、...
鶴田城@Google園部川の支流である沢目川右岸に所在する標高 28mの台地上に占地しており、東側には沢目川が開析した小支谷がある。二重の土塁と堀が廻る長方形の居館であるとされ、その規模は、南北225m、東西115mの範囲に及んでいる。戦後までは山林であたが、昭和30 年代には部分的に開墾されて畑地となり、近年、本館の北側は残土置き場となっている。 周辺には、要害という地名を中心に弾正、古屋敷、陣場などがある。かつて...
堅倉砦@Google標高27mの台地上に所在する南北方向に構築された長塁である。北側は巴川、南側は園部川の支流、沢目川が開析した谷津の谷頭が所在していることから、この地が選地されたと想定される。現状で、高さ0.6~2mの土塁と深さ0.5mの堀が500mにわたって残存している。2か所に外側に張り出す「物見台」と思われる遺構が付設されている。 北に延びる防塁張り出し・・・・物見台?・・・・いずれは消滅か?最北端の堀・・・...
明神城@Google ㊟イメ-ジ図になりますm(__)m近年新たに発見された城で、歴史的詳細は不明!!熊野神社 ここは物見か?熊野神社手前の竪堀熊野神社から北へ 2本目竪堀3本目竪堀 堀切もあったか?中間の郭で先端に、2本の竪堀たぶん?堀切からの竪堀山頂部南の郭 土橋付堀切南の郭から下がった位置の堀切明神城 主郭主郭から北へ1本目堀切主郭から2本目堀切 虎口有2025.4.20初登城人気ブログランキング...
仮称小春城@Googleこの城の向かいには愛宕山城が存在する・・・近年新たに発見された城で、歴史的詳細は不明!!城への入口、橋を渡り右手の林道を進む東郭の城塁 ここ迄5分位郭2背後の堀切 林道が北側迄巡り、最初にこの堀切に取り付いた!!郭2 主郭と堀切を挟んで西側の郭主郭と郭2間の堀切小春城 主郭 最近か?立木の選定や幹に保護ネットを取り付けたか・・・南郭 主郭から見て南側に一段下がる位置の郭東郭 東側下段...
和見砦@Google㊟和見砦イメ-ジ図になりますm(__)m唐御所横穴の背後が砦7世紀頃に造られたと考えられる。周辺には横穴墓がいくつもあり、こちらの横穴墓は凝灰岩の丘陵の南斜面に掘り込まれた精巧さでは全国屈指。また平将門の娘がこの地に逃れ、この横穴で娘を生んだという伝説が残されている。横道が有ったので!南側から取り付いた主郭手前の堀切 見和砦 主郭 唐御所横穴の背後郭2の堀切郭3 最北端堀切手前の郭最北端の堀...
健部城@Google㊟健部イメ-ジ図になりますm(__)m近年新たに発見された城、歴史的詳細は不明城址への入口 民家の間の道を山へ・・・・・直登すると、腰郭 南側西へ 最初の堅堀最初の堀切 西側最西端の堀最西端の郭 馬出?健部城 主郭 西側から(三角点有)主郭東側の堀切 郭2? 半分は?・・・土砂取りか?最北端の堀切・・・チョイ藪北側の腰郭2024.4.16初登城人気ブログランキング...
Freedom~プライベート野営地 今回は道路の右手側にて初⛺久しぶりの、本日はソロテイピ-1TC西側サイト 全体に緩やかな斜面設営後に一杯🍺雨の焚き火翌朝8時には晴れ間が2025.4.13~14人気ブログランキング...
前玉神社の桜崎玉古墳 丸墓山🌸忍城の桜2025.4.8人気ブログランキング...
鰻山城@Google鰻山城跡は、通称鰻山山頂に所在する平山城です。堀と土塁が残り、城跡の東側には旗川が流れます。現在は主郭のところに石碑が建てられています。当城は、東西約31m、南北約56mの規模の主郭を設け、主郭の西側には2個の曲輪が確認できます。築城については、鎌倉時代に佐野氏の一族の奈良五郎宗綱が築いたといわれ、その後、宝治元年(1247)廃城となったといわれています。一族が築いた城として佐野氏と関係の深い城...
金尾要害山城@Google金尾弥兵衛(かなおやへえ)の居城と伝えられています。荒川右岸の金尾峠を押さえる城。堀・土塁・矢倉跡・石積みが一部残存しています。・・・・石積は、分かりませんでした!! 金尾要害山城へ・・・駐車場完備御手植えの碑現地説明板愛宕神社の有る郭 主郭?東に延びる尾根の堀切・・・・石積はどこに?堀切から延びる竪堀櫓台からの展望愛宕神社脇から櫓台を見上げる・・・久しぶりに来たら、綺麗に整備さ...
天神山城@Google天文年間に藤田重利(のちの藤田康邦)が築城したと伝えられている。1546年(天文15年)の河越夜戦以降に北武蔵に勢力を伸ばしてきた北条氏康に重利は1549年(天文18年)7月従属した。1560年(永禄3年)に上杉謙信が関東侵攻を開始すると藤田氏は上杉方についた。しかし、同年9月に北条氏によって攻め落とされた。1564年(永禄7年)頃に北条氏康の四男である氏邦が入城した。氏邦は1568年(永禄11年)10月か...
仲山城@Google城の北と南にはそれぞれ一条堀切があるシンプルな構造を持っています。南の国道からの入口には「野上下郷石塔婆」という日本一の青石塔婆があります。この塔婆は阿仁直家夫人が応安2年(1369年)に十三回忌の追善供養のために建立したもので、歴史的な意味を持っています。仲山城は、鎌倉時代後半の1312年に、北面の武士であった阿仁和兵助橘基保が神のお告げを受けて一族を引き連れて関東に移り、新田義貞の配下と...
須花城 ・正光寺城@Google正光寺の裏側の山林の中に所在し、堀と土塁、曲輪が確認できる砦跡です。かつては『悪戸(あくと)城』と言われていたようです。規模は東西約24メートル南北約24メートルで彦間川との丘陵を利用した小規模な砦と考えられます。須花城と近接していることからも、須花城の出城と考えられます。正光寺入口地蔵堂佐野宗綱・諸将の墓土橋と虎口正光寺城の主郭主郭の石祠東側の堀北に落込む東側の堀...
須花城 ・正光寺城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m飛駒足利線側の空き地から取り付く(須花沼上の空き地)須花城跡は下彦間町に残る標高約200メートルの山城で、別名小坂城ともいいます。築城は佐野国綱と伝えられます。本丸周辺には土塁を巡らせた削平地と堀切が認められます。須花周辺は、佐野宗綱が天正13年(1585)、足利長尾方に討たれた地としても知られています。また、本城の東側には、正光寺城跡も残されています西の...
Aサイトゾーン・・・キャンプ場中央を、道が貫通!!管理棟 夜はいません・・・本日は、二組でした。Bフリ-サイト、上段が区画サイト(ソロ向きの広さです)本日は,炎幕DX・・・渋い幕であるが!前幕を使用した際の雨天では・・・・・・久しぶりのステ-キに宮のたれコンビニでの衝動買い!!2024.5.12~13人気ブログランキング...
澤村城@Google沢村城は、文治3年(1187年)に那須資隆の七男沢村満隆によって築かれた。那須氏の勢力範囲の南方にあった塩谷氏に対抗するために築かれたとみられる(『矢板市史』)。ただ、この時の沢村城が、山城の方か、旧沢城の方か、それとも当初から両方が築城されていたのかは不明である。しかし、この満隆については、1代限りで断絶しており、この時代においては、旧沢城の方が最初に築城され、山城の沢村城は、築かれていな...
岡城@Google平安時代の末、塩谷郡を支配した堀江氏(源姓塩谷氏)の重臣・岡四郎兼春により築城、あるいは戦国時代に塩谷安芸守による築城と伝わる。低い独立丘に造られた城で、平城と山城の中間的な平山城である。東西約300メートル×南北約150メートルの規模を持ち、東を流れる内川と南を流れる江川を天然の要害として、空堀と土塁で固めた簡素な城で代々、塩谷氏の重臣・岡氏の居城として機能した。城は片岡地域の...
乙畑城@Google現在、遺構の残る山城の乙畑城は、明応文亀の頃(1501年)に喜連川塩谷氏によって築かれたものだが、それ以前に、堀江氏(源姓塩谷氏)の重臣乙畑六郎兼房により築かれた乙畑城があり、現在は、乙畑城の馬場跡として伝わる乙畑小学校周辺の場所に、館城としてそれがあったものと思われる。その子孫は小幡氏を名乗り、山城の乙畑城の中にある熊野神社にある円形銅板の懸仏には、「応永二十五年(1418年)九月十日 小幡浄賢...
戸村城@Google 集落の中に遺構が点在する!!戸村城(南城)の創建は古く、1160年戸村能通によって築かれました。能通は那珂市産代通兼の子で、大井郷戸村に居城を築いて戸村氏を称しました。1336年戸村氏六代の戸村又五郎は南朝方として、北朝方の佐竹貞義の籠る金砂城を攻めたが敗れ、戸村氏は滅亡しました。佐竹氏十二代佐竹義人の子義倭は、大掾姓を名乗っていたが佐竹に復し、1460年那珂氏系戸村氏の古城である...
安川城@Google源氏の流れの国井氏が平安末期に築いたというが、南北朝の争乱でこの地を去り、佐竹系の国井氏が住んだという。水戸市の最北部、那珂川北岸、那珂市との境、南側を常磐自動車道が通る那珂川の河岸段丘上の縁部にあったが、戦争中、この台地上には水戸北飛行場が建設されおり、その際破壊されたのだろうか?・・・・・・・・・・安川城説明板現在残る、主郭の堀安川城 主郭方面・・・・・ほぼ耕作地となっている!!...
成沢要害@Google比較的最近に発見された城であるが!!昔からこの地に城が有ることは、知られていた様である。東漸院背後の山が城址である、西城のピークに金砂神社の石祠が祀られているので、そこを目指し山道を進みます。金砂神社の場所が主郭と思われ、四方の尾根に複数の郭が確認できる又堀切も見受けれられるが・・・・埋没が進み判別が厳しい物がほとんどである。(今回は東城には、行っていません)歴史的詳細...
2024.4.28人気ブログランキング...
2024.4.28人気ブログランキング...
今年初!!Freedom~プライベート野営地~!!サイト前の風景⛺初張りの炎幕DXVer2今日は暑い!!💦💦💦直火を堪能する!!Baird Beerと柿の種旨し夜更けを待つ・・・・・これで6時前雨上がりの朝・・・・キャノピ-に雨が溜まるが!!大丈夫⛺コットン100%人気ブログランキング...
2024.4.14 散り出し🌸人気ブログランキング...
忍城 花手水雨の忍城と桜雨の丸墓山古墳と桜石田堤と桜2024.4.9 雨天人気ブログランキング...
No1からのサイト風景本日のサイトとパスファインダ-⛺newLEDランタンお気に入りの焚き火台焚き火から見えるサイト🔥沈む夕日🌇真夜中の・・・北斗七星☆彡おいら⛺から見える山桜🌸飛行機雲・・・・・・・人気ブログランキング...
高尾阿弥陀堂の墓地にある桜で、樹高13メートル、根回り2.9メートルである。樹齢はおよそ200年。3月下旬に淡いピンク色の花をつける。市の天然記念物に指定されている。阿弥陀堂エドヒガン普門寺枝垂れ桜・・・・・チョイ早い!!2024.3.31現在人気ブログランキング...
笠鉾(かさほこ)状の枝一杯に花が咲き誇り、下から見上げると淡紅色の花と青い空とのコントラストが美しい古木です。隣あう2本の桜の木がいったん伐採され、その株跡から12本の芽が伸びて、美しい樹形になりました。樹高18m、枝張りは東西23.5m、南北21.8m、根回り6.5mです。人気ブログランキング...