時代劇で有名な大岡越前。『大岡裁き』に代表されるように、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)は名奉行と言われていますが、実際はどうだったのでしょうか?
「火事と喧嘩は江戸の花」、「(どうせ火事で灰になるので)宵越しの金を持たない」といわれ、火事の多い冬場に妻を疎開させるほど火事の多かった江戸。火事のたびに『火消(ひけし)』と呼ばれる人達が大活躍しました。
【過大評価】小説やドラマの評価を鵜呑みにするファンによってヒーローに祭り上げられた『坂本龍馬』像を正そう
『好きな幕末の志士』で必ずTOP3に入る坂本龍馬。みなさんが思い浮かべる坂本龍馬像は、さわやかで人懐っこく人間味があり、かつ頭もキレて『薩長同盟』や『船中八策』といった歴史的偉業を成し遂げ、『海援隊』をつくるなど先見性があった人物、といったところでしょうか?
【キープレフト】多くの国が右側通行なのに日本が左側通行になった歴史
日本の道路は原則左側通行ですが、世界的にみると多くの国は右側通行となっています。日本の左側通行はいつから始まったのでしょうか?なぜ左側通行が定着したのでしょうか?
【実はラブラブ】政略結婚で徳川家茂と結婚させられた皇女『和宮』
幕末、はた目には徳川家茂との政略結婚の犠牲となって悲惨な生涯をおくったと言われる皇女和宮(かずのみや)。しかし、様々な思惑から夫婦となった二人ですが、蓋を開けてみればとても仲の良い夫婦でした。
【日本滅亡の危機?】警察官がロシア皇太子を刺傷した『大津事件』
1891年(明治24年)5月、当時世界から最も恐れられていた大国ロシアの皇太子が来日。将来ロシア皇帝となって独裁的な権力を持つだろう人物に、日本政府は好感をもってもらおうと国をあげて歓迎。しかし、好感を抱かせるどころか、国家の危機に瀕しかねない事態が起こります。
明治維新といえば、薩摩、長州、土佐、肥前の4藩が中心となって成し遂げた革命という事はよく知られていますが、その維新のわずか5年前に「今こそ幕府を倒す時だ!」と先走ってしまい、あっという間に散ってしまった『天誅組』という組織がいたのをご存知でしょうか。
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