イラストで綴る温泉ブログ。全国の温泉地の趣きある宿の湯殿を紹介。時には秘境の温泉地などの紹介もあり。
源泉かけ流しの新鮮な湯、景色のいい露天風呂や野湯、料理の美味しい宿、足元湧出の温泉、旅先でのエピソードなど。
前項の白骨温泉 笹屋さんから3ヶ月以上も空きましたが、引き続き信州の名湯、白骨温泉での湯巡りにお付き合いください。笹屋さんの次に向かったのは、白骨温泉のシンボル的存在の宿、泡の湯さんであります。 明治45年創業の老舗は趣ある木造の本館と鉄筋造りの新館からなる。泡の湯さんといえば混浴の野天風呂が有名ですが、湯そのものをじっくり堪能するのであれば内湯に限ります。 総檜造りの湯屋には非加熱源泉と加熱された浴槽があり、非加熱源泉は38℃前後の人の体温ほど湯温で源泉そのものを味わえます。そして肌にまとわりつく気泡が極上の浴感へと誘います。これぞ「泡の湯」たる所以でございましょう。(↑写真) 非加熱源泉のうっすらと緑がかった湯色に対し、加熱された浴槽はミルキーブルー。 (↑写真)非加熱源泉と加温浴槽の交互浴で心身共に整います。 次に向かったのは、「泡の湯」と「笹屋」の中間に位置する小さな湯宿「丸永旅館」さん。 こぢんまりとした和の佇まいからアットホームなやすらぎを感じる湯宿であります。 なんと丸永旅館さんの湯は、両サイドの宿、「泡の湯」と「笹屋」各々の源泉を引湯する宿なのです。3・4人サイズの木組
前項までの乗鞍高原温泉の北側、梓川の支流、湯川沿いの標高1500m付近に湧く山峡の湯が白骨温泉であります。温泉に含まれる炭酸カルシウムが湯船に白く付着するところから、もとは「白船」呼ばれていたが、中里介山の長編小説「大菩薩峠」の白骨の巻きが多くの読者を魅了したことにより、白骨と呼称を統一したといわれています。 白骨温泉で湯巡りしました。一湯目に選んだのは、温泉街の中心から高台の白樺林に囲まれた静寂の湯宿「笹屋」さんです。 「小梨の湯」というキャッチコピーは宿が持つ源泉名でもあります。そして「日本秘湯を守る会」会員の湯宿であります。 古民家を移築再生したという館内には、生花よりもドライフラワーがしっくりきます。 浴場へは傾斜の緩い渡り階段を上ります。(浴場側から見下ろしたアングル) 笹屋さんには男女別の内湯と貸し切り露天風呂があり、今回利用できたのが内湯「姫の湯」。 南国リゾートの青い海と白い砂浜を思わせるコントラストが眩しすぎます。「笹屋ブルー」とでも名付けたくなるほど美しい湯色であります。 二面に大きくとられた窓からは白樺林を見晴らすロケーション。湯に身を沈めると白樺林の地面と目の高
乗鞍岳の東山麓に広大でなだらかに傾斜する高原にホテルやペンション、ロッジ、民宿が点在する乗鞍高原温泉。前項の「せせらぎの湯」に引き続き、今回は乗鞍高原温泉の民宿を紹介します。 県道84号線沿いに建つロッジ風の佇まいの「青葉荘」さん。当日の宿泊要望にも関わらず、快く受け入れてくださいました。 決して新しい建物ではありませんが、お掃除が行き届いたホッとする館内。 チェックインを済ませ部屋で荷をほどき、先ずは宿の浴場へ。「渓流の湯」と「青葉の湯」の2つの浴場が男女入れ替え制で利用できます。 「渓流の湯」は脱衣場から浴場に入ると、シャワー付きのカランが並ぶ洗い場があり、その先の引き戸を開けて湯船が現れるという、洗い場と湯船が完全セパレートタイプ。恐らく硫化水素ガスから少しでもカランなどの金属の劣化を防ぐためだと思われます。 板張りの檜の香りゴキゲンな湯殿には2・3人サイズの湯船にミルキーな湯が張ります。身を沈めると湯底に溜まった湯の花が舞い上がり、よりミルキーさが増します。湯は酸性の硫黄泉、湯面に鼻を近づけると、つんと酸味をおびた香ばしい硫黄フレグランスを放ちます。 露天風呂は前方に石を段々に
日本百名山にも数えられる乗鞍岳は北アルプスの南端にそびえるコニーデ型の死火山。その東麓標高1400mほどの場所に広がる乗鞍高原温泉は乗鞍岳の中腹から湧き出る源泉を引き湯し、昭和51年に開湯した比較的新しい温泉であります。 カラマツとシラカバ林の高原にホテルやペンション、ロッジ、民宿などが点在します。そんな乗鞍高原温泉で無料利用できる素朴でステキな湯小屋「せせらぎの湯」を紹介します。 訪れたのはゴールデンウィーク前のシーズン直前、さらにコロナ渦も相まってか、観光センターや売店も営業しておらず、辺りは閑散としておりました。 観光センターや自然保護センターのある街の中心部の少し手前の「乗鞍高原せせらぎの湯」バス停から道を外れ、沢に向かって下ったところに湯小屋が現れます。男湯の湯船が丸見えなリヴァーサイド温泉であります。 無料とはいえ男女別のしっかりとした木造りの佇まいであります。 湯に身を沈めるとその名の通り、せせらぎしか聞こえてきません。40℃あるかないかの湯は加温もせず、生のままのかけ流し。とろみを感じる湯は長湯向きで心地いい。 無人にもかかわらずとても清潔に保たれた湯小屋であります。地
前項紹介した鹿教湯温泉をはじめ、大塩温泉、霊泉寺温泉は千曲川の支流でもある内村川の清流に沿って点在するこの三つの温泉を称して丸子温泉郷といいます。 なかでも信濃の守として赴任していた武将・平維盛が鬼女を退治したあと岩間から湧き出す湯で傷を癒し寺を建て、霊泉寺温泉と名付けたという温泉は、みやげ物屋や食事処もない古い湯治場風情を残す温泉地であります。 この日は最寄りのバス停「宮沢」から内村川に沿って15分ほど歩いて向かいました。途中、眼下に内村川の迫力ある甌穴を発見。 そして赤い欄干の霊泉寺橋を渡ると古刹・霊泉寺に到着。霊泉寺で手を合わせ、さらに脇道を進むと、4軒ほどの宿が並ぶ霊泉寺温泉に到着。 木造の湯宿が並ぶ素朴な温泉地であります。 先ずは小さな温泉地にある共同浴場で霊泉寺の湯を頂きました。 入り口に置かれた料金箱に200円を入れて中へ入ります。 淡いベージュとブルーのスッキリとしたタイルの色使いに清潔感を感じる湯殿であります。窓側から突き出た塩ビ管の湯口から注がれる湯量で浴槽内を絶妙な温度に仕上げています。 口に含むと少し苦みを感じる湯は、サラリと心地イイ。広めの浴槽でゆったり堪能し
引き続き、鹿教湯温泉をお送りします。温泉街の入口にほど近い天龍寺というお寺の裏手の細い路地先に建つ共同浴場。 「町高梨共同浴場」は町という地区と高梨という地区の住民専用の浴場であります。地区以外の人も200円で入浴できるので、利用させていただきました。 木造モルタル造りの地元共同浴場らしいシブい佇まいではあります。迷いながら探し見つけるのも旅の楽しみのひとつ。 脱衣場の料金箱に200円をいれて入浴します。 こぢんまりではありますが、お掃除の行き届いたきれいな湯殿であります。淡いグリーン、ベージュ、さらにネイビーブルーのタイル使いにも清潔感が持てます。 男前なライオンの湯口からはとうとうと注がれ、腰を下ろすとオーバーフローする放流式のかけ流しであります。小さな浴槽に対し、湯の注入率もよいので常時新鮮な湯で満たされています。 適温に調節されたクリアな湯は微かに硫化水素臭(ゆでたまご臭)のあるやさしい浴感であります。訪問時、先客はおらず、貸し切り状態で湯を堪能することができました。 湯上がりのチンカチンカに冷えたルービーは温泉街中心にある蕎麦処「辰巳屋」さんで頂きました。突き出しにうれしい干
長野県中部、上田と松本のほぼ中間地点の内村川沿いの里山に湯煙をあげる温泉は、鹿に姿を変えた文殊菩薩が、湯を湧き出る場所を猟師に教えたという伝説から「鹿教湯」の名が ついたといわれています。 温泉街のメインストリート「湯端通り」沿い、文殊堂に向かう途中に建つ老舗の湯宿「ふぢや旅館」のお湯を立ち寄り湯で頂きました。 現在では大小異なる湯宿30軒ほどある鹿教湯温泉ですが、昭和初期までは、ふぢや旅館のある湯端通りにしか湯宿が無かったそうです。ふぢやさんの看板には「内湯開祖」という表記もあり、恐らく鹿教湯温泉で初めて内湯を持った宿ということなのでしょう。 ふぢやさんのロビー。湯治場風情を残す趣でありますが、建物奥には、鉄骨4階建ての宿泊棟もそびえ立っています。 立ち寄り湯で利用できたのは、右側の共同大浴場(混浴)。他にも宿泊客専用の露天風呂もあります。 ブルー系のタイル張りの大浴槽にクリアな湯がなみなみと注がれる光景が清々しい湯殿であります。 ウシの湯口、いや、鹿の湯口からとうとうと注がれながらも、槽内は絶妙な湯温に仕上がっています。ほぼ無臭のアルカリ性の単純泉はサラッとした湯触りですが、あたた
長野県のほぼ中央に位置する松本市より北東へ5kmほどの北アルプスを望むなだらかな斜面に大小のホテルや旅館が林立する浅間温泉。開湯は土地の豪族が発見したおよそ1000年前まで遡るという古湯であります。 その後、江戸時代に松本城の天守閣を築造した松本藩主 石川康長がこの地に御殿をつくり、松本藩ゆかりの温泉として栄えたとい歴史ある温泉地なのです。そんな温泉地の南に位置する目之湯旅館さんは江戸中期創業という趣ある佇まいの湯宿です。 200年以上前の建築という重厚感ある佇まいの宿の前庭は手入れも行届いています。 玄関にはレトロな温泉協会の看板、期待できる頼もしいやつ。 欅造りの玄関ロビー。飴色に輝く太い梁や柱、レトロな時計が厳かなムードを生みます。 無駄のないシンプルな湯殿では、じっくりと湯を堪能できます。熱めの湯が気持ちいいクリアな湯は、自家源泉も含む混合泉。ツルツルとしたアルカリ性の単純泉は仄かに硫化水素臭を放ちます。 湯中では粉状の白い湯花の舞いが見れます。 ヒノキ造りの湯船にレトロな丸タイルという、素敵なコーデw。血行促進や神経痛などにも良いとされるヒノキチオールを多く含む古代ヒノキでつ
箱根登山鉄道は山の斜面を登るためスイッチバック方式をとり入れジグザグに登る箱根の名物列車であります。箱根湯本駅を出発してふたつ目の駅が大平台駅であります。この辺りは比較的平坦な地形のため、「大平台」の名がついたようで、この付近で3度ものスイッチバックを行い、急峻である塔ノ沢、宮ノ下を登りつめます。 大平台温泉は戦国時代からの古い村落で温泉地になるまでは、ほとんどが椀物や玩具をつくる木地屋だったそうです。昭和24年に地元の有志たちにより温泉を掘り当て、今日では箱根十七湯のひとつとして知られています。 昭和35年創業の「玉の湯」さんも湯宿を営む以前は木地屋だったそうです。軒に千鳥破風がついた趣ある佇まい。玄関では福助が迎えてくれます。 玉の湯さんでは、日帰り入浴は玄関からではなく隣接する蔵から入ります。蔵の中がカフェスペースとなっていて、浴後にこのカフェで挽きたてのコーヒーが頂けるというシステム。 カフェの奥から館内に入り、赤いカーペット敷きの廊下を進んだ先に浴場があります。岩風呂と檜風呂、そして貸切り風呂の3つの浴場があり、この日、男湯で利用できたのが、檜風呂であります。 湯底の木目が美
宮城県栗原市の旧花山村は秋田県に通じる花山越えの入口であったため、江戸時代には、往来する人と荷物の検問が行われてきた関所、「仙台藩花山寒湯番所跡」があります。そして御番所を往来する旅人たちの疲れを癒してきた花山のいで湯が「温湯温泉」であります。 古くは「寒湯」で、ぬるゆと読んでいましたが、近代では源泉の温度が上がり「温湯」の表記になったとか。栗駒連峰の南麓、一迫川の上流部の渓谷地に湧く温湯温泉に12年ぶりに営業を再開した宿、佐藤旅館の湯を紹介します。 昭和初期に建てられたという木造二階建ての宿は、古き湯治宿の趣であります。 震災で傷んだ箇所なのでしょうか、床板やサッシが綺麗に張り替えられているようです。古い木造の趣を残しつつの修繕には大変なご苦労があったかと思われます。廊下に並ぶレトロな紅いソファーも申し分ない納まりです。 広々とした浴場の天井はV字型というおもしろい空間。タイル張りの湯殿の正面は石積みがされるなど、意外と凝った造りであります。 湯面からはリッチー・ブラックモアのあのリフが聴こえてくるかの如く、湯けむりが上がっていました。クリアな食塩泉に身を沈めると、数秒で汗が吹き出す
前項の早稲田桟敷湯に引き続き、鳴子温泉をお送りします。木地業のさかんなところでもある鳴子ではこけしは相当古くからつくられていたそうです。寛永年間(1624~44)に始まったという漆工業や曲げ物とともに貴重な町の産業となっています。 そんな鳴子で十代続く生活雑器、木地玩具、こけしなどの木地物の製造元・高亀さんでこけし見物させていただきました。 高亀さんオリジナル鳴子こけしをはじめ、年代物の張り子人形、土人形などの展示もあり、作り手の人柄やユーモアまでもが感じ取られ見ていて飽きません。 鳴子温泉ではお馴染みの版画家 大野隆司氏のイラストも飾られています。ネコとこけし、そしてあったかい言葉にホッとさせられます。 そして「週間新潮」の表紙絵で親しまれた画家 谷内六郎氏が絵付けした鳴子こけしがスバラシイ。六郎が描く子供のタッチが鳴子こけしに何の違和感もなくマッチしているのが不思議であります。 高亀さんとは交流があったようで、六郎氏が描いたゴキゲンなマッチ デザインの原画やお手紙などの展示もあります。そして高亀さんの包装紙も六郎氏によるものだそうです。 高亀さんのあとに向かったのは共同浴場「滝の湯
承和4年(837年)に潟山が大爆発して温泉が湧出したとの記録がある鳴子温泉が温泉宿として賑わいだしたのは江戸中期の頃だそうです。源義経がこの地を平泉に逃れる途中に通ったという伝説があり、旅の途中に産まれた義経の子が産声をあげた啼子(なきこ)が転じて鳴子になったという伝説があります。 鳴子温泉はこけしの里としても知られ、首を回すとキュキュッと音がするのが鳴子スタイル。そんな鳴子を散策しながら、街の共同浴場「早稲田桟敷湯」の湯を頂きました。 古い町並みが残る鳴子には少し違和感を感じる近代的な佇まい。共同浴場というよりもほぼほぼ美術館であります。 フロントもほぼほぼ美術館。木造トタン屋根だった湯小屋が、映画「アルマゲドン」のテーマソング、エアロスミスの"I Don't Want to Miss a Thing"が巷で大ヒットを飛ばしているさなか、早稲田大学石山修武研究室設計のほぼほぼ美術館な佇まいに改築されたのであります。しらんけど~。 学生たちの頑張りを支えたのが、鳴子の人々だったそうです。戦後間もなく若い人たちが少なくなった鳴子に頑張る学生たちの姿に活気がもどり、その感謝の気持ちが食糧難
前項に引き続き、東鳴子の湯治宿 砂善旅館さんをお送りします。 砂善旅館さんの浴場はメインの混浴の他に、男女入れ替え制の大浴場と中浴場とがあります。大浴場の広めの浴槽には東鳴子の共同源泉が注がれます。うっすら褐色をおびた含食塩-重曹泉は油臭のある滑らかな湯触り。 脱衣場のバスマットはタイガース。ご主人の猛虎ファンの片鱗を覗かせます。 そして混浴と大浴場より少し離れた場所にある中浴場の入口では猛虎魂炸裂。六甲おろしの歌詞がプリントされた暖簾をくぐって中へ。 湯殿に入ってさらにビックリ。洗い場では猛虎爆発、もはや誰にも止められない。 湯に浸かると、あのマーチングバンドの前奏が頭をよぎり、自ずと「♪六甲おろし」を口ずさんでいました。 中浴場には露天風呂があります。少し熱めの湯温ですが、東鳴子の重曹泉がしっとり肌に馴染んできます。古い角質を取り除く作用があるといわれる重曹泉と保湿成分のある食塩泉が含まれるこれぞ、美人の湯であります。 鄙びた趣きの館内には昭和45年に作成された見応えある手描きの観光マップがかけられています。さらに時折り遭遇する看板ネコたちにも癒されます。 タイガースだけではありま
東鳴子温泉は奥州三名湯にあげられる鳴子温泉の入口に位置し、昔から湯治場として栄えてきた温泉地であります。開湯は江戸中期という歴史ある湯治場は美肌効果の高い重曹泉を中心に多彩な泉質に恵まれ、長期療養滞在を目的に伊達藩時代には御殿湯も置かれた由緒ある温泉地であります。 今回紹介する東鳴子温泉の砂善旅館さんは湯治部と旅館部からなる長期保養と湯治向けのリーズナブルな湯宿でございます。 最寄りのJR陸羽東線の鳴子御殿湯駅に到着すると木版画家大野隆司氏による猫顔のこけしが迎えてくれます。鳴子を歩くと、あちこちで大野氏の絵に心癒されます。 本気と書いて「マジ」、犯人と書いて「ホシ」、砂善と書いて「いさぜん」と読みます。 この日は素泊まりの宿泊利用(4000円前後)で、案内された部屋は一人には充分な広さで快適であります。 部屋のすぐ前には共同炊事場も完備。電子レンジ、ガスコンロもあり、自炊も可能。 砂善さんには3つの浴場があります。なかでも混浴は(イラスト↑)敷地内に湧く自家源泉が注がれる浴場であります。 湯殿の奥側からのアングル。四角い浴槽(炭酸泉)には砂善1号、2号の混合泉が注がれます。湧出量は多
引き続き、郡山三穂田温泉をお送りします。前項で紹介した内湯の奥の扉から露天風呂へ抜けられます。内湯とほぼ同サイズの浴槽で庭園を眺めながらの気持ちいい湯浴み。近隣の町からの常連の親爺さんたちと話も弾みました。 微かに黄色味がかった湯色は露天風呂の浴槽で見ると、暖色系のタイルも手伝って顕著であります。今どきのオサレな色の表現でいうと、シャンパン・ゴールドとでも言うんですかね。 食事はミラーボールがさがるカラオケ・ステージを備えた大広間で頂きます。 宿泊料金1泊2食付きで8500円というお手頃なお値段にもかかわらず、前菜、お造り、焼き物、揚げ物、煮物といった宿の懐石スタイル。さらに飲み物も一杯サービスというので、僕は日本酒を頂きました。ホスピタリティ高いです。 マグロの海苔巻き、イサキ、ホタテのお造り。 新鮮な魚介と野菜の焼き物。味付けもやさしめで、お料理全体に野菜もしっかり盛り込まれ、栄養バランスも考えられたお料理でした。 デザートにはイチゴが練り込まれたお餅。大変美味しゅうございました。 翌朝、一番風呂頂きました。朝一番の浴場は脱衣場も綺麗に整頓されていました。清々しいです。 朝の光が差
福島県のほぼ中央に位置する郡山市は東北有数の商工業都市で、松尾芭蕉が訪れた元禄年間の頃は宿場町として栄えていたという。かつては安積(あさか)と呼ばれ戦国時代に入ってから郡山と呼ばれるようになったそうです。 今回は市街地から西へ7kmほど外れた田園地帯広がる閑静な場所に湧く昭和63年開湯の「郡山三穂田温泉」を紹介します。 この日は那須の三斗小屋温泉より下山し、黒磯駅からJR東北本線で郡山のひとつ手前の安積永盛駅へ北上し、そこから徒歩で三穂田温泉へ(約7km)向かったのでありました。 トレッキングの7kmとは違い、舗装道路の7kmは長く感じます。野に咲く花に癒されつつ田園地帯をひたすら歩きました。 郡山三穂田温泉さんは1ヶ月ほど前から全館工事で休館していたようで、訪れた日はリニューアルオープンしたばかりだったようです。フロントには優美なお祝いの胡蝶蘭が並んでいました。地元色の強い入浴施設といった趣であります。 宿泊利用した部屋は小ざっぱりとした快適なお部屋でした。荷を解き、館内のコインランドリーで前日までのトレッキングの汚れモノをお洗濯。宿泊客は無料で利用できるという太っ腹。洗剤もあり、有
前項に引き続き、三斗小屋(さんどごや)温泉 大黒屋さんを紹介します。会津中街道の湯治場として賑わい、幕末には5軒の旅籠があったという三斗小屋温泉。しかし戊辰戦争で激しい戦いが行われ、新政府軍によって会津藩が駐留していた三斗小屋の旅籠全戸が焼き打ちにあったという歴史もあります。 万病に効果があるといわれ「三度の飯を食わずとも治る」というのが三斗小屋温泉の名の由来だとか。 大黒屋さんには大風呂と岩風呂の2つ内湯があり1時間毎に男女が入れ替わるシステムになっています。部屋に案内され、先ずは岩風呂に向かいました(前出イラスト)岩造りの小ぶりな2人サイズの湯つぼにクリアな湯が張っています。 岩風呂に注がれる湯は宿の3号泉で源泉が外気の影響を受けやすいとのこと。訪れた11月中旬では湯温も少しぬるめでしたが、トレッキング後の凝り固まった筋肉にはいい湯温でありました。鉱物臭香る湯は弱酸性で肌にしっとり馴染みます。 貸切状態で最高の湯浴みでした。腰壁から上は板張りで、鄙び具合が心地イイ湯殿であります。 夕暮れ時、館内にはランプの明かりが灯ります。磨き上げられた床がひと際です。 そして宿のもうひとつの内湯
日本百名山にも数えられる那須岳は栃木県と福島県との県境から南北に連なる那須火山群の中央に位置する。山体は膨大な裾野を広げ、典型的な溶岩円頂丘(トロイデ型火山)で現在も噴煙をあげています。 山麓には多くの温泉が湧出する一大温泉郷を成し、山腹の標高1460mの場所には康治元年(1142)には発見されていたという、三斗小屋温泉(さんどごや)もあります。今回紹介する三斗小屋温泉 大黒屋さんは江戸時代から続く湯宿であります。 JR黒磯駅よりバスで那須湯本を経て、約1時間、那須岳山麓駅(ロープウェイ)に到着。那須岳のシンボル、茶臼岳へはロープウェイで登ると容易に頂きに立てるのですが、この日はロープウェイを使わず、そばにある登山口よりトレッキングをスタート。 ロープウェイ乗り場の先にある「峠の茶屋」を進んだ先に那須岳登山口があり、鳥居をくぐって山道に取り付きます。 訪問した11月中旬、すでに紅葉のピークも過ぎ、ナナカマドの紅い実だけが唯一のなごりであります。眺望はガスっていてほぼ見えないうえ、風が冷たいです。 火山礫がごろつく緩やかな登山道を50分ほど登りつめると、避難小屋のある「峰の茶屋跡」に着き
新年明けましておめでとうございます。皆さんにとって笑顔あふれる年となるようお祈り申し上げます。本年も宜しく インスタグラム始めましたのでそちらも宜しく。 http://www.instagram.com/yumegurigahoh 元旦 ユメグリガホウ きい
湯治場としての歴史のある箱根が大衆化したのは江戸後期の「箱根七湯」といわれた頃で安藤広重の浮世絵にも描かれています。そして明治時代には日本初の本格的リゾートホテルとして箱根・宮ノ下に富士屋ホテルが誕生します。 今回紹介する温泉は、富士屋ホテルより西へ300m、早川の支流 蛇骨川(じゃこつがわ)を八千代橋で渡ったところにある箱根七湯のひとつ、底倉温泉であります。深い谷を流れる蛇骨川沿いの湧泉群を源泉とする温泉で上流には豊臣秀吉が入湯したという「太閤の岩風呂」があります。 箱根初の医療施設には入院患者のために引かれていた温泉があった為、閉院後は日帰り入浴施設へと生まれ変わりました。大正時代に建てられたという木造二階建ての洋館からは以前病院だったという面影を色濃く残す佇まいであります。 張り出した玄関からは、往時の左官職人の技が光ります。人造石洗い出しと白壁のコントラストに気品を感じます。 館内も病院の名残りを感じる漆喰の白壁が美しい空間であります。 二階に続く階段には意匠の凝った垂れ壁のアーチが施されています。(二階部は住居) そして名残りの極めつけは受付の左側にある調整されたお薬を出す小
前項に引き続き、越後の名湯、貝掛温泉をお送りします。今回は宿での食事などをご紹介します。夕・朝食はロビーの脇にある食事処でいただきます。目にも楽しい料理は、身体へのいたわりも感じる滋味溢れるラインナップ。 新鮮なお刺身は地元の美雪マスとカンパチ。マスはしっかりした肉感とモッチリした歯ざわり、そしてスッキリとした脂の旨みが特徴。 新鮮な鮎は塩焼きで。チンカチンカのルービーがすすみます。 色どりきれいな夏野菜。かぐら南蛮を使ったソースでいただきます。 小ぶりなすり鉢で、胡麻をすった後にお粥を入れて食す薬膳玄米粥。魚沼産コシヒカリの玄米を使ったお粥に臓器に良いとされるクコの実、人参、トウモロコシ、いんげん等が入った身体にやさしい一品。 低温でローストされた豚はしっとりした歯ざわりで、肉の旨みが凝縮されておりました。 宴の中盤、八海山の効き酒セットをいただきました。コシヒカリの産地のど真ん中で造られるお酒は当たりがやさすぃーのです。地の食材を使った料理を食しながら飲む地酒、ゴキゲン極まりないひと時であります。 艶やかに炊きあがった塩沢産コシヒカリは、ふっくらほくほく。噛み進めると、米の奥のほう
前項で紹介した越後湯沢の共同浴場「山の湯」から再び駅に戻り、この日、宿泊予約していた貝掛温泉に移動。越後湯沢駅から南西に8kmほどの奥湯沢と呼ばれる場所に貝掛温泉はあります。貝掛温泉は当ブログでも以前、日帰り入浴で紹介した宿ですが、今回は宿泊でのレポートであります。 国道17号線から下った谷間にどっしりとした庄屋造りの佇まい。上杉謙信の隠し湯ともいわれ、湯量豊富な湯は人肌ほどの37℃とぬるめ。ぬる湯にじっくり浸かって効能を促すのが貝掛流なのです。 白塗りと木のコントラストが美しい外観。玄関脇には提灯がさがる風格ある玄関。 貝掛温泉の男女別(入れ替え制)の浴場は高い天井に太い梁が組まれた湯情満点な湯殿のであります。二槽に別れた浴槽は37℃の源泉槽と42℃ほどに加温された湯が張ります。クリアな湯は弱アルカリ性の食塩泉であります。 37℃の源泉槽は初めヒンヤリ感じるのですが、細かい気泡が全身にまとわり付いた頃、湯と身体が一体化するかのように馴染んできます。無数の気泡が付着したデリケートゾーンのヘアーは沖縄食材「海ぶどう」と化す。 浴槽縁にある木枕に首裏をあてがってゆっくり両脚を伸ばすと、自ず
作家 川端康成の代表作「雪国」の舞台として知られる新潟の玄関口である越後湯沢。開湯の歴史は今から800年ほど前、高橋半六(高半旅館祖)の源泉発見によるといわれている。 そして魚沼地方にあたる越後湯沢は「魚沼コシヒカリ」の産地で米どころ&酒どころでもあります。駅ナカにある越後の日本酒ミュージアム「ぽんしゅ館」では県内の代表銘柄が試飲できるという、日本酒好きにはゴキゲンなスポットもあるのです。 そんな越後湯沢駅より温泉街を抜け、徒歩20分ほどの場所にある山小屋風の共同浴場「山の湯」があります。ここは800年ほど前に源泉発見されたとされる湯元の湯が注がれる浴場であります。 湯口からはとうとうと注がれるクリアな湯は、アルカリ性の単純硫黄泉。適温に調整された湯は肌に滑らかで、仄かに硫化水素臭香るお湯は、あたたまりの早いのが特徴。 石タイル張りの近代的な湯殿は清潔感があり、早朝から地元住民で賑わうステキな浴場であります。では皆さん、健康で素敵な湯巡りを。(訪2021年7月)
前項に引き続き亀屋旅館さんをお送りします。 昭和で時が止まったかのような館内には赤いデコラ貼りのカウンターにミラーボールがさがるスナックがある(現在営業はしていませんが)。梓みちよの「二人でお酒を」あたりが流れてきそうな色気ムンムンの空間は、まさに妖しき昭和遺産でなのです。 昭和の漫画家 「のらくろ」の田川水泡も贔屓にしていたそうです。当時、宿のご主人 八亀さんは小さかったのであまり覚えていないそうですが、よく遊んでもらったそうです。 亀屋さんの大浴場(男湯)は昭和20年~30年頃に造られた意匠の凝ったタイル張りの浴室であります(前出イラスト)。3・4人サイズの浴槽はサイケデリックな風情。入口にはローマ様式を意識した5本の柱が立ちはだかります。 壁は床から天井にかけて小粒なグリーンのタイルで淡いグラデーションが施されています。そして石玉を滑り落ちるように注がれるクリアな湯は、鉱物臭香る弱食塩泉でしっとりよくあたたまります。 出隅の角は丸くアール状に施され、往時のタイル職人のこだわりと湯浴み客への配慮を感じます。 この浴室70年ほどが経過しているもののタイルがほぼ欠けずに残っているという
東京の奥座敷、湯河原温泉は隣の熱海の巨大ホテルが林立するのに対し、日本旅館主体の古式ゆかしい温泉街の風情が残る温泉地であります。湯河原駅から千歳川の谷を遡るように温泉街が形成され、中心街の藤木橋(バス停)よりほど近い場所に今回紹介する湯宿はあります。 藤木橋より道幅の狭い急坂を50mほど進んだ高台に建つ赤い提灯がさがった亀屋旅館さん。亀屋さんは当ブログでも以前、立ち寄り湯で紹介した宿ですが、今回は宿泊でのレポートであります。 館内は昭和レトロな趣き。フロントには古い調度品や置き物が飾られ、もはや骨董屋の領域であります。そして亀屋さんの歴史が詰まった一角でもあるのです。 客室へはフロントから階段を上がり、さらに崖を這うように造られた階段通路を進んだ先にあります。亀屋さんでは現在、宿の半分ほどの9室が使用されており、全てが部屋に内湯が付いたタイプ。宿泊は週末のみの営業形態をとっています(要問合せ)。 宿のご主人の八亀さんは以前、イギリスのスポーツカーメーカー、ロータス・ヨーロッパのディーラーでもあった関係で、セナをはじめ、ナイジェル・マンセル、ジャッキー・スチュアートなどの名レーサーたちも
前項では自家源泉を持つ草津館さんの湯を紹介しましたが、今回は宿の食事などをお送りします。 木造3階建ての決して新しくはないのですが、お掃除が行届いた爽やかな館内であります。階段の踊り場にはきれいな菊がいけられていました。さらに館内の壁には昔、宿料の代わりに置いていったという、画学生の作品などが掛かります。 浴場そばの壁には何か物語を感じる裸婦の絵画に目を惹かれます。この絵画は女将さんの御祖父様の絵の師匠さんが描かれたそうです。ひしゃくの湯で傷ついたツバメを癒している図はまさに湯の女神のようです。ひしゃくを持つ指のかたちが可憐です。 部屋には女将さん自ら案内していただきました。3階の角部屋「湯けむり」の広縁からみるワンダフルなロケーションであります。訪れたのは11月末、はやくも街はクリスマスの装いであります。夕食までの時間、これを肴においしいビアタイムを過ごしました。 箸付は粒蕎麦のはららご煮。ツルっとした食感でほんのり蕎麦の香りがする粒蕎麦とイクラの旨みがベストマッチ。酒盗和えもやさしめなお味で、日本酒がすすみます。 海ナシ県ではありますが、お造りも新鮮。 タラときのこのソテーはさっぱ
草津白根山の南東麓、標高約1200mにある草津温泉は、溶岩流崖下の盆地状の小平地に温泉街が形成されています。「恋の病以外なら何でも治す」といわれ、江戸時代の温泉番付では「西の有馬、東の草津」と称された天下の名湯であります。 前項で紹介した宿、泉水館さんで日帰り入浴をさせていただいた後、温泉街の東のはずれにある草津熱帯圏を見学しました。 面積約1000㎡、高さ15m余りの大円型ドームの中にイグアナ、ニシキヘビなどの熱帯爬虫類、パパイヤ、ハイビスカスなどの熱帯植物、合計3000点に近い動・植物が草津の温泉熱を利用して飼育・育成されたトロピカル・ジャングル王国であります。 お行儀よくじっとしていたマーラたち。 アフリカツメガエル(アルビノ)は、表情がゴキゲン、目がイっちゃってます。 可憐なピンクフラミンゴもおりました。昔、「ピンクフラミンゴ」っていう、お下劣なB 級映画がありましたなぁ・・・ 熱帯圏でのメインエベントといったら、やはりカピバラのエサやりでしょうか。ちびっ子から大人まで楽しめます。 エサやりしながらボディタッチもできます。毛がデッキブラシみたいに硬いんですね。人懐っこくカワイイ
恋の病以外なら何でも治す天下の名湯、草津温泉。pH 2前後の酸性の湯は殺菌効果に優れ江戸の頃、湯治場であった草津が梅毒性疾患、いわゆる花柳病の治療場になった歴史があります。当時、漢方の治療法しかなかった日本に徐々に酸性泉が受け入られるようになり、なかでもとくに著しい効果があったのが草津の湯だったそうで、それが人気のきっかけになったそうです。 そして八代将軍吉宗は草津の湯を樽づめにして江戸城まで運ばせ入浴していたという歴史もある名湯なんです。 湯街の中心にある草津温泉最大の源泉、湯畑からメインストリートでもある西の河原通りを進んだ先に今回紹介する湯宿 泉水館さんはあります。 通り沿いに迎門を構えた風格ある佇まいであります。大正初期創業の老舗旅館は2016年にリニューアルオープンを果たし、1日4組限定という寛ぎの宿として生まれ変わりました。そしてこの日は、日帰り入浴で利用させていただきました。 敷地内には江戸時代から湧き続けるという自家源泉「君子の湯」を有し、毎分120ℓという豊富な湯量であります。 宿泊棟の向いに浴舎があり、数段下りた場所が脱衣場と湯殿となった造りであります。 湯を両手で
前項までの4泊5日の古道歩きを終え、最終日に宿泊した南紀勝浦温泉 ホテル浦島さんを熊野古道の最終章として紹介します。熊野灘に突き出た狼煙山(のろしやま)半島に建つホテル浦島は、本館、山上館、なぎさ館、日昇館の4館で構成された巨大リゾートホテルであります。 勝浦港の桟橋からカメさんの送迎船に乗り、約5分でホテル浦島に到着します。平日にもかかわらず、フロントには沢山の人がチェックインため列をなしておりました。人気の高さが一目瞭然であります。 事前予約でこの日はバイキング式の2食付きが取れず、素泊りでの宿泊となりました。お部屋は日昇館の海の見えない洋室で、1泊8000円ほど、そこにGO TOトラベルキャンペーンで35%割引が付き、お安く泊まることができました。 チェックインを済ませ、部屋で荷を解き、5日間歩き続けた濃厚加齢フレグランス香る衣類を持ってコインランドリーへ。洗濯完了の時間を見計らって、先ずはホテル浦島さんの名物 「忘帰洞」へ。 「帰るのを忘れた?」そんなやつおらへんやろ~と、大木こだま・ひびきの気分でいざ入湯。海に向かって口を開いた大洞窟は童心をくすぐるゴキゲンなロケーションであ
熊野古道 第六章(高野山から那智大滝ロングトレイル)p.155
引き続き古道歩きの最終5日目をお送りします。前日の夜、地蔵茶屋跡に到着し、小雨の降る中、休憩舎前にテントを張り、横になったのだが疲労続きで耳までも不調をきたしたようで、増水で近くを流れる川のグォーッという激しい音が耳の中でドンドコドンドコ反響してなかなか眠りに落ちずにいると、今度は深夜に大雨が降りだし、テントに叩きつける雨音はショパンの調べとはならぬデスメタル。 そんなこんなで一晩中眠りに落ちることのないまま、5日目の朝を迎えたのであります。古道歩き残すところあと約10km、ぱらつく雨の中、那智大滝めざしてスタート(725am)。休憩舎の向いには東屋とトイレもあります。間には文明の賜物も。 舗装道を暫く進んで山に入ると、雨続きで石畳の道は川のように水が流れています。 順調な膝痛の継続をみせる中、足裏の皮が広い範囲でめくれ地面に足をつくたび痛かとです。そんな中、時折り飛び出してくる沢ガニやカエルを、踏みつけないように無駄にステップを踏むと激痛が走り、口(くち)がへの字のデニーロ顔から大口(おおぐち)を開けたジム・キャリー顔に変貌。顔面で二大ハリウッドスターが共演。 舟見茶屋跡手前の八丁坂
熊野古道 第五章(高野山から那智大滝ロングトレイル)p.154
前項に引き続き、古道歩き4日目をお送りします。皆さん、そろそろこの古道歩きに飽きてきてはいませんか。そういわず、しっかりついてきてくださいね。3日目の晩に到着した川湯温泉のキャンプ場で迎えた翌早朝、テントを撤収し6:30オープンに合わせて温泉街の公衆浴場へ向かいました。 キャンプ場から橋を渡って、川沿いの道を10分ほど歩いた場所にある公衆浴場であります。入口には営業中を知らせる赤いパトランプが点灯し、川湯温泉の文字が入った赤提灯といい、公衆浴場というよりも酒場感強めのゴキゲンな入口であります。 朝一番は誰もおらず、貸し切り状態でした。丸1日分のくそ忌々しいオッサン臭をしっかり洗い流し、ゆっくり湯に身体を沈めます。少々熱めの湯ではありますが、シャキッと目を覚ましてくれます。 無色透明の湯は仄かに硫化水素臭のする単純泉で、時間とともにカチコチに懲り固まった身体をやさしくほぐしてくれるような感覚に恐らくアホ面になっていたに違いありません。 湯上り後、受付前の細い通路のベンチでコーヒー牛乳と菓子パンで朝食を済ませ、雨が降りだしたのでレインウエアを着て、荷にリュックカバーを被せ、レインスパッツを
熊野古道 第四章(高野山から那智大滝ロングトレイル)p.153
イラスト:果無峠の中腹に位置する熊野古道小辺路(こへち)沿いの小さな集落で近年「天空の郷」とよばれ、のどかな里山風景に癒されます。 前項に引き続き、古道歩き3日目をお送りします。2日目の夜、へろへろになりながら十津川温泉に到着。民宿「松乃屋」さんに宿泊(素泊り)し、3日目の朝を迎えました。前夜の湯浴みに続き、翌朝早朝からも入らせていただきました。 屋上の露天風呂は爽快です。十津川温泉は二津野ダムによってできた湖に沿って開けた温泉であります。熱めの含食塩重曹泉の湯は肌をしっとり潤してくれます。十津川の湯で前日までのバッキバキの身体はパッキパキぐらいには回復。 前日の足裏の皮のめくれと膝の痛みで心身共に衰弱し、宿にもう一泊して一日休む事も考えましたが、宿の女将さんに別れを告げ、3日目も歩くことにしたとです。(9:00amスタート)上空ではトンビとカラスの攻防戦が繰り広げられていました。 この日は先ず、小辺路3つ目の峠越えである「果無峠」を目指します。十津川温泉から登山口へ向かう途中にかかる長い吊り橋を渡ります。股間がスースーするやつです。中央付近にさしかかると揺れが発生、スースーはマックス
熊野古道 第三章(高野山から那智大滝ロングトレイル)p.152
イラスト:吉村家跡防風林。三浦峠の中腹にある樹齢500前後と推定される杉の巨木は旅籠を営んでいた吉村家の屋敷の防風林として植えられたもの。 前項に引き続き、古道歩き2日目をお送りします。初日に泊まった萱小屋跡の避難小屋では結局、翌朝まで誰も来ることなく(ジェイソンも)、ゆっくり休むことができました。翌朝は3:30amに起床。熱々のヒーコー淹れて、パッキング(荷造り)と小屋内の掃き掃除、さらに小屋内にある募金箱にお礼の宿泊料を入れて、いざ出発。(5:30am) まずは小辺路(こへち)最初の峠越え、伯母子(おばこ)岳をめざします。暗い中、ヘッ電(ヘッドライト)点けて急登続きの道を進んで約2時間、伯母子峠に到着。前日の天気とは打って変わってゴキゲンな朝を迎えました。 伯母子峠にはトイレと簡素な避難小屋があり、その小屋にザックをデポして20分ほどの伯母子岳(1344m)山頂へ。 山頂からは護摩壇山をはじめとする奥高野の山々、大峰山脈のパノラマが開けております。 山頂から再び伯母子峠に戻り、五百瀬(いもぜ)方面へ下山をはじめます。峠から1時間ほど自然林を下った場所に開けた平地に石垣跡が残る「旅籠
熊野古道 第二章(高野山から那智大滝ロングトレイル)p.151
前項に引き続き、今回はいよいよ4泊5日のトレッキングのスタートです。先ず、高野山から熊野本宮大社のふたつの霊場を結ぶ小辺路(こへち)を2泊3日で歩き、その後、中辺路(なかへち)に入り、ゴールの熊野那智大社(那智大滝)をめざします。 高野山の中心地、「千手院橋」にある消防署の向いに建つ日用雑貨店「河内屋」さんの脇が小辺路(こへち)のスタート地点であります。(7:30amスタート) 先ずは金剛三昧院入口碑の立つ参道を南下し、ろくろ峠、薄峠(すすき)の林道歩きを経て、大滝集落をめざします。 訪れた10月、古道の木々は秋色に染まり始めていました。 弘法大師が「東西は龍の臥せるがごとくして、東流の水有り」と表現したとされる御殿川(おどがわ)にかかる橋を渡ります。 さらに急登の車道を登りつめ大滝集落に到着(9:20am)。東屋がある休憩場所があり、キレイな公衆トイレも。 スタート時から曇り空で、時おり肌に雨水が軽くあたる程度でしたが、大滝集落に到着後、本降りとなり30分ほど東屋がかかるベンチで待機しました。が、30分経っても変わらず本降り状態だったので、レインウエアを着て再び歩きだした。 しばらく
熊野古道 第一章(高野山から那智大滝 ロングトレイル)p150
紀伊半島の南部にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。これら熊野三山を詣でる道を熊野古道と言います。一口にいえども範囲は広く、伊勢路のほか、紀伊路、中辺路、大峰奥駈道、大辺路などのいくつかのコースがあり、歩く旅を好むハイカーたちにオススメなのが小辺路であります。 小辺路(こへち)は、真言密教の聖地「高野山」と、全国にある熊野神社の総本宮「熊野本宮大社」の二大聖地を結ぶ72kmの参詣道であります。そして今回、その小辺路から更に「熊野那智大社」までを結ぶ中辺路(なかへち)約30kmをプラスした100km超のロングトレイルやってみました。 東京から新幹線に乗って大阪まで。大阪(梅田)から御堂筋線でなんば駅まで乗り、そこから、南海高野線に乗り換え、終点の極楽橋駅に着くと、高野山まで一気に引き上げてくれる高野山ケーブルカーに乗り継ぎます。 極楽橋駅から距離0.8km、高さ340m、最高勾配30度を5分で引き上げ、スタート地点である聖地「高野山」に到着。高野山観光を兼ねて前日入りしました。 高野山駅からさらに10分ほどバスに乗り、中心街に移動。小腹が減ったので直ぐ食べられそうなうどん屋に入
前項の本沢温泉に引き続き、今回は本沢温泉から八ヶ岳の最高峰、赤岳へのトレッキングなどを紹介します。 本沢温泉での翌日、早朝4:00に赤岳へ向けて歩きはじめました。この日も本沢温泉にてテント泊だったのでテントを張ったまま、軽身で赤岳までピストンでトレッキングを楽しみました。 まだ日も昇らない暗い中、ヘッデン(ヘッドライト)点けて川口浩探検隊気分で八ヶ岳の中心部、夏沢峠を経て硫黄岳へ。本沢温泉から約1時間半で硫黄岳に到着。早朝ながら、早起きハイカーが数人いました。 本沢温泉から標高差600mを登りきると尾根歩きとなり、赤岳(左)と阿弥陀岳(右)の雄姿を見ることができます。 諏訪側には北アルプスの槍ヶ岳から穂高岳までの稜線がくっきりと遠望できるのであります。僕含め、「槍穂縦走」経験者には嬉しい景色であります。 硫黄岳からさらに1時間ほどで、横岳に到着。この辺りからは、くっきり富士のシルエットがみるこができます。 さらにアップダウンのガレ場を進むと、赤岳と富士のステキなツーショットを拝めます。 地蔵の頭付近からは、これぞ八ヶ岳っつう、如何にもなショット。出くわした二人の山ガールがゼーゼー言いな
長野県から山梨県へと南北30kmにわたって2000m級の峰が連なる八ヶ岳は、夏沢峠を境に北を北八ヶ岳、南を南八ヶ岳と呼びます。北八ヶ岳は苔に包まれた深い針葉樹の森の中に池が点在し、神秘的癒しをみせてくれるエリア。そして南八ヶ岳は赤岳(2899m)を主峰に岩壁の屏風を連ねるアルペン的山容の稜線上には多種多様な高山植物の花が咲き競っています。 そんな八ヶ岳の中央部、夏沢峠の東に位置する本沢温泉は江戸末期の開湯という歴史ある温泉であります。宿の創業は明治15年(1882年)、ハイカーたちで賑わう秘湯は八ヶ岳への登山基地として親しまれてきた山小屋でもあります。 本沢温泉までは、いくつかのルートがありますが、この日はテント泊装備でJR小海線の松原湖駅からバスで稲子登山口まで乗り、そこからスタート。バス停前の大きなお屋敷の右側にのびる私道のような道を進みます。(案内はありません) 10分ほど歩くと広葉樹に囲まれたなだらかな道となり、さらに歩みを進めます。人気が無い道なのか誰とも会いません。 歩きはじめて1時間ほどで、本沢入口に到着。駐車場があり、ここまでは車でくることもできます。 入口には源吉新道
江戸時代、五街道のひとつ東海道に沿って繁栄した箱根温泉。かつて湯本・塔之沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯の箱根七湯として知られ、現在では箱根十七湯と呼ぶまでに発展した温泉地であります。 そして箱根の冬の一大イベント「箱根駅伝」では毎年多くのドラマを見せてくれます。中でも通称(山登り)と呼ばれる5区は小田原から国道1号の最高地点の標高874mまで一気に駆け上がるという看板区間であります。今回ご紹介の湯はその最高地点にほど近く、箱根七湯のひとつでもある芦之湯温泉 きのくにやさんです。 この日、箱根湯本から湯坂路ハイキングコースを歩いて芦之湯へ。コロナ禍の運動不足解消のため、真夏の低山ハイクとなりました。道中、倒木にこびりつくサルノコシカケも汗がびっしょり。 約2時間半のトレッキングで芦之湯温泉きのくにやさんに到着。鉄筋造りの本館ではありますが創業は江戸時代の正徳5(1715)年、薬効高き自家源泉をもつ老舗宿であります。 何度か日帰り入浴は利用させて頂いていましたが、この日はタイミングよく貸切風呂に入ることができました。本館向いの半地下に建つ貸切風呂「正徳の湯」(前出イラスト)でありま
引き続き長野と群馬の県境に湧く山間の秘湯、鹿沢温泉紅葉館をお送りします。前項での宿の湯に続き、今回は宿の食事などを紹介します。 紅葉館さんの夕食はフロント脇の食堂でいただきます。山間の宿なので、素朴な山菜、川魚中心の夕食と思いきや、和洋折衷織り交ぜた手の込んだお料理であります。 レトロなオーディオセットからグレンミラー楽団のゴキゲンなサウンドが流れる中、チンカチンカに冷えたルービーで乾杯。合鴨ロースの煮込みの先付けで。 最高級のニジマス、ギンヒカリのお造りは身が締まって肉感が強くお上品なお味であります。 もうひとつのマス「ハコスチ」は淡煮でいただきます。箱島系のニジマスとスチールヘッド系ニジマスのハイブリットを約めて「ハコスチ」と命名。味がたんぱくなので煮付けが最適だそうです。ちなみに箱型系の日産スカイラインは約めて「ハコスカ」ですよね。 「A列車で行こう」が流れ出した宴中盤、予約していたイワナの骨酒を楽しむ。 すりおろしたレンコンを一度蒸してから揚げる「れんこんまんじゅう」は、れんこんのうま味がギュッと詰まった美味しさ。さらに赤城牛はヒレカツで出されます(前出イラスト)。ミディアムレ
長野と群馬の県境にある湯の丸山の東麓に位置する鹿沢温泉は、標高1500mに湧く古湯であります。長野県東御市(とうみし)から県境の地蔵峠を越えて鹿沢温泉に至る道はいにしえより湯道と呼ばれ、多くの湯治客が通いました。その約16kmにわたる県道沿いに道しるべとして100体の観音像が江戸末期に安置されたそうです。そして、その湯治場こそが「百番観音像が立つ鹿沢温泉であります。 鹿沢温泉の一軒宿、紅葉館さんは「♪雪よ岩よわれらが宿り~♪おれたちゃ町には住めないからに~」の歌い出しで知られる山男の山男による山男のための山男ソング「雪山讃歌」が誕生した宿だそうです。 訪問したこの日は群馬県側(万座鹿沢口)から嬬恋高原経由で鹿沢温泉へ。車中から、でぇーんと立ち誇る浅間山の雄姿をみることができました。 百番観音像が立つ鹿沢温泉紅葉館さんに到着。本館、温泉棟、旧館、そして宿に併設する蕎麦屋「雨過山坊」からなる湯宿であります。 2013年にリニューアルされた本館は木をふんだんに使ったぬくもりの空間。 部屋に用意されたお着き菓子は僕も大好きな「みすず飴」。群馬県の宿なのに長野県の名菓なんです。群馬県側の道路が整
前項に引き続き米沢の温泉を紹介します。今から1200年前に平安時代の美人の象徴、小野小町が父を探し京都から東北に向かった途中で病に倒れ、この地の温泉に浸かり病を治したという開湯伝説をもつ小野川温泉。メタケイ酸を豊富に含む化粧水のような湯は美人の湯として知られ、美しい人はより美しく、そうでない方もそれなりになるというお湯らしいです。しらんけどぉ そんな小野川温泉では冬場、その美人の湯を利用して栽培される「小野川豆もやし」。毎年11月になると温泉街の外れに木で骨組みがつくられ、その周囲をカヤとブルーシートで囲ったテントのような室堀小屋(むろほりこや)が建てられます。小屋内では溝に温泉を通して温室をつくり、室(むろ)とよばれる木箱で豆もやしが栽培されます。 そんな冬期限定の豆もやしを米沢ラーメンにトッピングした小野川名物「豆もやしラーメン」を頂けるお店が「龍華(りゅうげ)食堂」さん。小野川温泉に到着と共に前のめりで入店。昼時のほぼ満席状態の店内で、チンカチンカに冷えたポッサロのルービーと共に名物を注文。 登場したのは鶏ガラ、煮干しなどで出汁をとったあっさり醤油系のスープに細打ちの縮れ麺という
前項に引き続き米沢 奥白布の秘湯、新高湯温泉 吾妻屋旅館さんの後編をご紹介します。 吾妻屋旅館さんの内湯(男女各1)は、ひなびた湯治場の面影があり湯情を盛り立ててくれる湯殿であります。お湯の中に消しゴムかすのような湯の花がゆらゆらと舞う効力ありげな湯は、滑らかな湯触りの石膏泉。ジワリジワリと肌に染み入るような浴感があります。 年季のはいった板張りの空間に総ヒバ造りの湯船は、僕がもつ「みちのく秘湯イメージ」にピッタリであります。 宿そばの沢沿いに湧く56℃源泉を直接注がれるのでチョイと熱め。 ひと通り湯巡りした後、夕食までの時間、白布温泉の酒屋「かもしか」さんで購入した「東光」のにごり酒でカンパイ。地元で親しまれている冬期限定のお酒は、さっぱりとした酸味がクセになるナイスガイであります。 夕食は男性スタッフが部屋まで運んでくれます。豚肉と根曲り竹の入った具材たっぷり山菜汁、ワラビのお浸しなど山の宿ならではのラインナップ。 新鮮なイワナはお造りと塩焼きで しみうま玉こん、 ニシンとウドとお麩の炊合せ さらに米沢牛までも。味わい深いラインナップで、お酒がすすむゴキゲンな宴となりました。 そし
コロナ禍においてまだまだ予断を許さない状態が続いています。うがい、手洗い、そして心の換気も忘れずに、一日も早くマスクを外して外出できる日がくることを願って、以前訪れた温泉を紹介します。 前項で紹介した白布温泉から、さらに1kmほど急坂を上った場所にある新高湯温泉。開湯は明治35年(1902)。以来、奥白布の湯治場として親しまれてきました。白布温泉がかつて白布高湯と呼ばれていたため、新高湯という名がついたようです。スキー場で知られる天元台の真下にあり、標高1126m(いいふろ)の高地に建つ新高湯温泉の一軒宿、吾妻屋旅館があります。 昔から湯治場、そして西吾妻山への登山基地として親しまれてきた吾妻屋旅館さんでは、趣向を凝らした露天風呂が宿の外に4ヶ所あり、高地の清々しい空気に包まれ極上の湯浴みが楽しめます。 先ずは宿の玄関を出て、スグ横に隣接する「貸切風呂」。樹齢300年の栗の大木をくり抜いて造ったアーティスティックな湯船は2人サイズ。カツっと熱めの湯に身を沈めると、木のくり抜き加減が身体の腰から脚先をホールドするかのように滑らかに彫られているため、浸かり心地がバツグンであります。 貸切風
新年があけましたが、コロナ禍においてまだまだ予断を許さない状態が続いています。安心して外出できる日がくることを願って、以前訪れた温泉を紹介します。 米沢市は山形県の最南端に位置し、吾妻連峰のすそ野に広がる米沢盆地にあります。また上杉家の城下町として知られており、現在の街の区画の原型は、上杉家の重臣直江兼続によって築かれました。幕末13代まで上杉家の居城として発展した後、明治9年米沢城本丸跡に家祖上杉謙信を祀る上杉神社を建立しました。 この日は米沢駅到着後、てくてく歩きで上杉神社へ向いました。1919年(大正8年)の米沢大火で類焼し、現在の本殿は明治神宮などの設計者として知られる伊東忠太の設計により1923(大正12年)に竣工したものあります。 アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディもが尊敬していたという、十代上杉鷹山公の銅像は「なせば成る なさねば成らぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」のことばと共に。 鏡内の落ちたイチョウの葉は天の川の如く芸術的 ぽってりサンシュユの実はグミのよう 参拝後、上杉家の絵画、書跡、刀剣、甲冑、武具などの遺品が展示されている宝物殿「稽照殿(けいしょうでん)
みなさんにとって本年が健やかで素敵な一年となりますようお祈り申し上げます。本年も新しいネタ、ちょくちょく紹介していきますので覗きにきてください。 ユメグリガホウ きい
未曽有の事態以降、新しい英語が巷で氾濫しました。パンデミックに始まり、ロック・ダウンやオーバー・シュートといった、まるでAC/DCの曲名のみたいもの、さらに「ソーシャルのディスタンス」といった、あたかもアルフィーの新曲みたいなもの、そしてホームステイの経験はなくともステイホームは万人が経験したように思えます。収束したように思われましたが、日々の東京の感染者数を目にすると、胸張って、県をまたいでの旅行はまだまだ先のように思えます。 暗い想像ばかりしがちですが、時には「禍(わざわい)転じて福となす」のことばのようにピンチをチャンスに変え、ハッピーな結果を想像することも大事です。白井貴子の「チャンス」でも聴いて乗り越えようではありませんか。ちょっと古いか・・・。一日もはやく、安心して温泉旅行ができる日を楽しみに更新を続けます。 甲府市は山梨県のほぼ中央部に位置し、さらに甲府盆地ほぼ中央部に街が築かれた県庁所在地であります。武田氏三代の栄華の跡ということもあり、信玄により定められた甲府における禅宗の寺格「甲府五山」や弘法大師の開山といわれる塩沢寺などの史跡が多いことでも知られています。JR甲府
前項に引き続き肘折温泉で利用したお宿、亀屋旅館をお送りします。約一万年前に起きた火山噴火によってできたカルデラの大地に形成された肘折温泉。銅山川の右岸にみやげ物や木造の湯宿が軒を寄せ合うようにして続く道は、浴衣姿で下駄を鳴らして歩くピッタリなロケーションであります。そんな肘折温泉発祥の湯と伝わる共同浴場「上の湯」の並びにある亀屋旅館さんは、肘折の街に溶け込むように佇む湯宿であります。 玄関には初代の名前とおもわれる表札と亀の甲羅を使って書かれた「亀屋」の看板がかけられています。このノリで「鶴屋」や「虎屋」の看板を造ったらチョット怖いかも・・・。 大正時代の亀屋の写真もありました。茅葺の風格ある佇まいであります。 到着後、女将さんに部屋まで案内して頂いたのですが、どうやら僕を案内するはずの部屋と違う部屋を案内してしまったようで、恥ずかしかったのか急に女将さんが笑い出したのでこちらもつられて笑ってしまいました。リアクションがとてもお茶目な女将さんです。 亀屋さんには混浴と女性専用の2つの浴場があるのですが、この日は宿泊客が少ないので、女性専用も鍵を閉めてお使い下さいとのことでした。 混浴の
未曽有の事態も自粛から自衛へと新しい局面を迎えます。うつらぬ用心、うつさぬ気配りを念頭に、いつかまた楽しい温泉旅行ができる日を楽しみに更新を続けます。 江戸時代、「西の伊勢参り、東の奥参り」といわれ、あの「お伊勢参り」とともに人気を博した「出羽三山参り」。その出羽三山の主峰 月山(1984m)の麓、かつての火山噴火によって形成された直径約2kmのカルデラ(窪地)の底に位置する肘折温泉は山形県の北西部にある温泉です。この温泉は出羽三山で修行する修験者によって温泉街が形成され、出羽三山への参詣者の「湯ごり場」(湯で身を清める事)として栄えてきました。 山形新幹線新庄駅からバスで55分、日本三大急流のひとつ最上川を渡り、単調な山間地帯を暫し走っていると、突として眼下に街が現れるのです。カルデラの底に街が形成されているのが如実に分ります。 そして温泉街の真ん中にある肘折のシンボルでもある共同浴場「上の湯」。きずに効くとされ、別名「きず湯」とも呼ばれる。(前出イラスト)。 ゆったり15人は浸かれる石造りの浴槽の脇にお地蔵様が祀られている湯殿です。湯に浸かるとおのずとお地蔵様の方を向いてしまいます
暗く長いトンネルの先にようやく光が見えてきような気がしますが、まだまだ油断は禁物です。今までどおり小まめな手洗い・うがいを基本に、密閉、密集、密接を避け、うつらぬ用心、うつさぬ気配りで、いつかまた湯の町で下駄を鳴らして湯巡りできる日を楽しみに更新を続けます。 前項に引き続き、温湯温泉 飯塚旅館を紹介します。 大正時代に建てられたという、檜造りのどっしりとした佇まいには華があります。二階建てだが、三階分はあろうと思われる高さです。木組みが美しい深い軒や、正面に緩やかな(むくり)がついた破風の玄関、腰壁に施された茶タイル、そして二階部分の両脇の戸袋に描かれた屋号の看板などに伝統建築の粋を感じます。 看板を兼ねた戸袋は漆喰、鏝(こて)で立体に描かれた装飾看板。左官の腕が光ります。サイドにある「こうじや」とは以前は味噌や醤油を製造・販売していたというなごりだそうです。 飯塚旅館では一階の5番の部屋を朝食付きで宿泊させていただきました。三階分はあろうと思われる建物なので必然と部屋の天井も高くなります(前出イラスト)。そして年季の入った砂壁のお部屋には床の間があり、違い棚を備えた床脇には2体の津軽
一日の感染者数が徐々に減ってはきていますが、まだまだ油断ならない状態です。しかしながら朝の来ない夜はなく、春の来ない冬もございません。いつかまた湯の町で湯巡りできる日を楽しみに更新を続けます。 本気と書いて「マジ」、刑事と書いて「デカ」、温湯と書いて「ぬるゆ」と読みます。前項の黒石市「中町こみせ通り」を後にさらに東南へ8kmほど移動し、浅瀬石川河畔に湧く開湯400年以上の古湯、温湯温泉へ。湯治が盛んだったかつての温泉場の宿には内風呂がなく、共同浴場に通うのがあたりまえでした。内風呂をもたない宿を「客舎」(かくしゃ)といい、温泉場は共同浴場を中心に形成されてきました。 温湯温泉もまた共同浴場を中心に発展してきた小ぢんまりとした温泉場で、明治後半から大正時代にかけて共同浴場を囲むように宿が建ち始め、湯治場として発展してきました。そしてこの湯治場の古い形式が今も残っているのが、この温泉の特徴です。飯塚旅館もかつては飯塚客舎と呼ばれる湯治宿でしたが、現在は内風呂を有する温泉旅館として営業しています。大正時代に建てられたという檜造りの佇まいには木造伝統建築の威厳を感じます。 部屋に案内され、荷を
未曽有の事態真っ只中ではございますが、普段通りの生活が可能になり、再び極上の湯浴みができる日を楽しみに更新します。 前項の「百沢温泉」に引き続き、今回も津軽の名湯を紹介します。津軽平野の中央に湧き出したかのようにそびえ立つ岩木山。古くから津軽の人々の恵みの根源として崇められ、地元では「お山」、「お岩木様」と呼ばれ、津軽平野のどこからも見ることができ心の拠り所ともなっています。先ずは、そんな津軽地方の浪岡町にある「浪岡駅前温泉」はJR奥羽本線の浪岡駅近くにある温泉銭湯。 地下800mから湧出する湯は、愛用カップに紅茶のティーバックを落とし入れ、湯を注いだ際、急な電話で「あら~っ、久しぶり~っ」なんて相手と話し込んでしまった後、我慢していたトイレで用を足し、ふと紅茶をいれたのを思い出したころには時すでに遅し、あのドス黒く染まった紅茶と同じ色をした湯は、神経痛リウマチ、美肌に最も特効のある湯だそうです。 浪岡駅から人っ子ひとり歩いていない殺風景な道を100mほど歩いた右手に浪岡駅前温泉はあります。 番台のご婦人がにこやかに迎えてくれました。そして「長湯しすぎないよう気をつけてくださいね」と注
♪きっと帰って くるんだとぉ~お岩木山で 手を振れば~♪・・・ 振り袖にパンツルック、そして三味線をエレキギターのように抱え、軽快に歌う松村和子の「帰ってこいよ」(1980年)はセンセーショナルなデビューで大ヒットとなりましたね。今回はそのお岩木山の麓に湧く温泉を紹介します。 津軽平野の真ん中に位置する岩木山(標高1625)は青森県の最高峰。山容が円錐形であることから津軽富士の別名があり、山麓にはみちのくの日光といわれる岩木山神社があり山頂に奥宮がまつられています。そして神社のある百沢にはこぢんまりとした温泉郷もあり、冬でも冷めにくい湯は別名「熱の湯」としても有名だそうです。 JR弘前駅から弘南バスで40分、岩木山神社に到着。参拝のため参道を進むと、朱塗りの立派な楼門が現れます。手前には同じく朱塗りの欄干がついた神橋があり、まるで神の領域と俗世を隔てるように橋がかかっています。 楼門への石段をのぼりきった左右の石垣の角柱に狛犬が現れ、右側の狛犬は上を向き、左側(写真)は下を向いていて、柱に戯れているようなポージングに遊び心をくすぐられます。 そして拝殿手前の中門には日光東照宮を彷彿とさ
栗駒国定公園の主峰である栗駒山(1626m)は奥羽山脈の中央に位置し、高山植物の宝庫でもあります。初夏にはニッコウキスゲなどが咲き誇り、奥羽山脈の女王とも呼ばれる山で、秋には日本一ともいわれる紅葉をみせてくれます。「日本百名山」を著した深田久弥はのちに「やってもうたぁ~、栗駒山も百名山に入れるべきやったぁ~、どないしょぉ~!」などと関西弁で言ったとか言わなかったとか・・・。 宮城、秋田、岩手と3つの県にまたがる栗駒山の宮城県側の山麓には、駒の湯、新湯、温湯、湯ノ倉、湯浜の「栗駒五湯」とよばれる温泉が点在していました。しかし2008年6月に発生した岩手・宮城内陸地震で大きな被害を受け一時、五湯の全てが休業を余儀なくされました。現在までに再開できたのは、当ブログでも紹介した駒の湯温泉と湯浜温泉、そして今回紹介する新湯温泉の三湯のみ。改めて甚大な被害だったことが分かります。 県道42号の終点、いわかがみ平は栗駒山山頂までの最短ルートとされる登山口。その少し手前に位置する新湯温泉 くりこま荘。鮮やかな赤いトタン屋根がゴキゲンな外観。看板のグラフィック、いいですねぇ。稲妻が走ったような「く」の文
本気と書いて「マジ」、犯人と書いて「ホシ」、夏油と書いて「ゲトウ」と発します。前項に引き続き、夏油川の上流、標高620mの高地にあるみちのくを代表する秘湯、元湯 夏油の湯を紹介します 元湯 夏油は渓流沿いに点在する湯小屋が名物で、全てが自然湧出する温泉は生き生きとした生まれたて湯なのです。 渓流沿いに行くには、先ず宿泊棟を出て、宿泊棟と湯治棟が並ぶ鄙びが素敵な露地を進みます。 突き当りまで行って左に折れると、渓流沿いに下る階段のアプローチを進む。 途中に女性専用の湯小屋「滝の湯」とその先に「大湯」(混浴、女性専用時間有り)の湯小屋が現れます。 大湯(前出イラスト)は丸太で組まれた屋根付きの湯小屋ではあるが、渓流側が開け放たれた絶景のロケーション。コンクリート造りの15人サイズの湯つぼに青みがかった灰色の湯が張っています。岸側の岩肌の角からアチチな湯が自然湧出する場所に湯つぼをつくった極上の湯であります。湯加減といい、湯の鮮度といい、肌にズキズキ入り込んでくるようなパンチ力を持っています。ほのかに硫黄臭がある食塩泉で、一番人気なのが如実に伺えます。 涼む風もまた極上です。はっぴいえんどの
岩手県内陸中部に位置する北上市は北上川と和賀川の合流地点にあり田園地帯を潤す自然豊かな町です。和賀川の支流、夏油川沿いの道をひたすら上流へ進むといくつかの温泉が点在する「夏油高原温泉郷」があり、この温泉郷の最上流に位置するのが夏油温泉です。本気と書いて「マジ」、処女と書いて「オトメ」、夏油と書いて「ゲトウ」と発します。 ゲトウという名前の由来はアイヌ語の「グット・オ」(崖のあるところ)からきているという説や雪のため冬期は利用できないところから「夏湯(げとう)」といわれ、日差しに反射した湯が油のように見えたので後に「湯」が「油」になったなど諸説あるようです。湯の発見は西暦850年頃という伝説をもつ温泉で、開湯以来の宿「元湯夏油」には随
前項の「上諏訪温泉の湯めぐり散歩」からずいぶん時が経ちましたが、今回は上諏訪の隣町、下諏訪温泉での湯巡りをお送りします。下諏訪は長野県のほぼ中央部、諏訪湖北岸に位置し、諏訪大社下社の門前町でもあります。そして諏訪大社で行われる七年に一度の神事、巨木に数人の男たちがまたがって急斜面を滑走するという、あのすこぶるムチャな奇祭「御柱祭」が有名です。 下諏訪温泉は江戸時代、「下ノ諏訪宿」と呼ばれ、自然湧出する温泉と中山道、甲州街道という二つの主要街道が出会う宿場町でおおいに賑わったそうで、現在でも町内各所から毎分5100ℓ以上ものお湯が湧き、旅館や共同浴場、一般家庭にも引かれて親しまれている温泉地です。 下諏訪駅のロータリーには御柱祭のモミ
皆さん、新年おめでとうございます。皆さんにとって新しい年がより佳き年になるようお祈りいたします。最近ブログ更新サボってます。だからといって日の当たる場所で寝転んで煙草を吸ってたわけではございません。またちょくちょく更新していきますので本年も宜しくお願い致します。 令和二年 元旦 ユメグリガホウ きい
信州一大きな湖、諏訪湖は八ヶ岳や蓼科山に囲まれた諏訪盆地の中央にあり湖面標759m、周囲約16kmという広さを誇る。そんな諏訪湖の東岸に位置する上諏訪温泉は、江戸時代には高島藩の城下町として栄え、甲州街道の宿場として賑わった。さらに明治の頃には生糸の一大生産地としてさらなる発展を遂げた。一日1万5000klという国内屈指の湯量を誇る上諏訪の町を4月のある日、湯めぐり散歩に出かけました。 湯量が有り余っているからといって、駅のホームにまで足湯があるJR上諏訪駅に到着後、先ず向かったのは「大和温泉」という共同浴場。(ちなみにホームの足湯は以前、露天風呂だったそうです) 駅から南へ15分ほど歩くと「湯小路」という、なんともステキなネーミン
前項に引き続き、五十沢温泉 ゆもとかんをお送りいたします。ゆもとかんさんには、前項で紹介した混浴の内湯とそこから外に続く大露天風呂とは別に、男女別の浴場もあります。 男湯は白塗りの壁に黒タイルで施された腰壁、浴槽は白タイルという、モノトーン調のシックな湯殿。混浴の内湯と大露天風呂の広々とした湯つぼに対し、7・8人サイズの浴槽に湯量豊富な湯を注ぐため、硫化水素臭や湯触りなどのお湯本来の個性が如実に表れています。湯口はエベッさんが左手でかかえる鯛の口からとうとうと注がれ、右手には飲泉用の升を持っていました。女湯には露天風呂も付いているようです。 ゆもとかんさんの朝食は食堂でいただきます。自家農園でつくられた野菜を使った郷土料理をはじめ、
新潟県の南東部に位置する六日町は三国街道と清水街道の分岐点で「上田船道」と呼ばれる水運の終点も兼ねた旧宿場町。町域南東部には日本酒の名前で知られる八海山などの標高1700mを越える山々がそびえ、米どころ、酒どころとしても知られる。そんな六日町の市街地から、東に三国川ダム方面へ通じる県道233号線を5kmほど走った田園地帯に湧く一軒宿の五十沢温泉。王貞治がホームラン世界記録756本を達成した昭和52年、融雪用の井戸を掘っていたところ、地下50mという浅い場所で温泉を当てたという、まさにホームラン級の大発見。 4階建て鉄筋造りの東館、南館からなる大きな施設で、館内もとても広々としている。家庭的なサービスでゆったり過ごせる湯宿です。玄関ロ
「国境のながいトンネルを抜けると雪国であった」の冒頭で始まる川端康成の「雪国」の舞台となった越後湯沢。新潟県の東南端に位置する町は、東南は群馬県、西は長野県に境を接し周囲には谷川岳、上ノ間山、苗場山など標高2000mの山々がそびえる風光明媚な町なのです。上越新幹線も乗り入れる越後湯沢駅から南西に8kmほどの奥湯沢と呼ばれる場所に一軒宿「貝掛温泉」があります。 国道17号線から下った谷間に庄屋造りのどっしりとした佇まいは秘湯ムード、ムンムン。開湯700年を誇る湯は上杉謙信の隠し湯ともいわれ、湯量豊富な湯は37℃とぬるめ。ぬる湯にじっくり浸かって効能を促すのが貝掛流なのです。 木のぬくもり感じる館内。さすが米どころ、玄関には米俵が並びま
和歌山県の北部に位置する和歌山市は、紀伊半島の中央部の大台ケ原に源をもつ紀ノ川の河口に形成されている県庁所在地。江戸時代には御三家のひとつである紀州藩の城下町として栄え、「若山」とも表記されていたという。そんな歴史のある和歌山市の中心街から車で10分ほどの場所に「花山温泉」がある。この地の温泉は1200年前には湧いていたとされる古い湯で歴代天皇が熊野行幸の折に逗留したとも伝えられるが、その後湧出が止まり伝説の湯になっていた。再び開湯したのは1968(昭和43)年、地質調査を行い掘り当てた古湯である。 鉄筋三階建て、白とグリーンの配色が爽やかな佇まいの湯宿。この花山温泉のある鳴神(なるかみ)地区は近畿地方で初めて発見された貝塚「鳴神貝
引き続き、栃木県日光市の歩いてしか行けない秘湯、日光澤温泉をお送りします。 前項紹介した内湯の引戸を開けると露天風呂に抜けられます(写真:前方が内湯の浴舎)。 コンクリート造りの5角形の湯壺は中央で区切られ湯口のある側が適温で、湯尻側がぬるめとなっている。空色に反射して青みがかった白濁の湯に身を沈めると、前方の断崖に反響するグォーッという低音のせせらぎが心地イイ。塀が立っているため渓流は見えないものの空が広く見え開放的。この湯壺からさらに10段ほど石段を上った場所(写真:左に見える階段)にもう一つの露天風呂がある。 上にある露天風呂は石造りの7・8人サイズ湯壺にクリアな湯が張る。木樋を伝って撃たせ湯如く、注がれる湯は弱アルカリの重曹
栃木県日光市にある標高2000mを越える高層湿原「鬼怒沼」。初夏には花畑となり、秋には草紅葉が一面を彩りハイカーたちを楽しませてくれる。この湿原は鬼怒川の源流のひとつでもあり、源流域付近の登山道脇には八丁の湯、加仁湯、手白沢、日光澤温泉とともに「奥鬼怒四湯」と称される秘湯が点在する。この辺りは他にも温泉が自噴している野湯が点在し、本ホームページ88項と89項でも紹介した天然記念物「湯沢噴泉塔」などがある。 奥鬼怒四湯へは東武鬼怒川温泉駅から、今は無き「女夫渕温泉ホテル」のあった女夫淵まで市営バスで1時間30分。そこから渓流沿いの遊歩道を1時間以上歩いて辿り着ける。(八丁の湯、加仁湯は送迎バス有り)今回ご紹介する「日光澤温泉」は標高約
長野県北部の千曲市にある戸倉上山田温泉は北信地方の千曲川中流域の畔りに広がる県下有数の温泉街。湯街は戸倉・上山田の両町にまたがって山裾に細長く伸びている。1893年(明治26年)に戸倉温泉、次いで1903年(明治36年)に上山田温泉が開湯され、善光寺詣りの精進落としの湯として賑わった。また「小石の湯」ともいわれ、昔、恋する乙女が仙人に千曲河原の赤い小石を100個集めて神前に供えれば恋が成就すると教えられ、何日もかかって拾い集め、最後の100個目を拾い上げた時、足裏に温かい湯気を感じたというのが温泉の起源だそうです。 そんな歴史をもつ戸倉上山田温泉の「戸倉国民温泉」は千曲川を渡った西側の中心街ではなく、手前の住宅街に溶け込むように佇む
前項に引き続き、志賀高原の熊の湯ホテルをお送りいたします。日本の国道の最高地点(2172m)がある国道292号線の「志賀草津高原ルート」は長野県側の志賀高原と群馬県の草津温泉を結ぶ高原ルートで、冬期は雪のため通行止めとなる。志賀高原や白根火山などの2000m級の山々が連なるこの地は国立公園に指定され、スキーやトレッキングの基地として賑わっている。 そんな志賀高原の熊の湯温泉は歴史が古く、与謝野晶子ら文人墨客にも愛された湯だそうです。現在のホテルの中庭から湧き出る湯は、浴槽でクリアな緑色に変化する珍湯なのです。 前項で紹介した檜をふんだんに使った内湯から露天風呂に抜けることができる。 庭園風の石組みされた湯壺には少し違和感のある湯色だ
前項の「湯田中 渋温泉郷」の角間温泉から角間川のさらに上流へ進み志賀高原へとむかった。湯田中から渋峠を越え、さらに2000m級の山々の裾が入り組んだ志賀高原を抜けて草津に至る「草津道」は江戸時代から物資の流通や湯治客、さらに善光寺詣客にとって重要な往還だったそうです。嘉永元年(1848年)松代藩の佐久間象山(さくましょうざん)が植林計画などのため志賀高原を調査していた折に発見したといわれる温泉が「熊の湯温泉」。手負いの熊が湯に浸かって傷を癒していたことからこの名があるという。 そんな開湯の歴史をもつ熊の湯温泉の一軒宿が1929年(昭和2年)創業の「熊の湯ホテル」。標高1680mに建つ鉄筋4階建て部屋数90室の大規模な宿で、すぐ裏には
前項に引き続き、「湯田中 渋温泉郷」のひとつ角間温泉をお送りいたします。田畑が広がる集落に6軒の宿と3つの外湯がある小さな温泉地。中心には前項で紹介した外湯「大湯」があり、その隣に建つ木造3階建ての宿「越後屋」さんの佇まいは、明治後期の建築で2階部分の床の梁が1階の外壁より外にせり出した、出梁造り(だしばりづくり)。大湯と並ぶ美しい立ち姿にうっとりします。 老舗感たっぷりの看板、シビレます 重厚感ある木組みの出梁造り 飴色に光る床や階段の見える玄関で入浴をお願いすると、快く迎えていただきました。 中に入って、たたき仕上げの廊下に3つの浴場があり、全て貸切利用となっている。 一番手前の「家族風呂」はレトロで小粒なタイルで埋め尽くした2
イラストで綴る温泉ブログ。趣きある温泉宿の湯殿を紹介。
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湯巡画報 ユメグリガホウ 祝100回記念(番外編)p.101
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