今日は曇天。燕の身が軽い。低く飛んでいる.あの速さで虫を捕まえるのだからすごい。今日もゴルフの散歩は快調。早く歩けるように。燕が飛ぶ
自転車事故で転倒しましたが、骨折がなかったこと。本当によかったと思います。どこか、骨を折っていたら、もうあかんやろね。年を特別にとったとは思わないが、友人はほぼいなくなっています。「また、けがしたか」金石の阿弥陀さんは今度も助けてくれました。大丈夫です
昨日武道館への途中、自転車が転倒、救急車で運ばれました。途中、市内の中学生たちに大変お世話になりました。救急車が来るまで、面倒をみて下さった運動着姿の皆さんはソフトテニスの部員たちでした。転倒した自転車に絡みつかれ動きの取れない私を見ると、血を拭いたり救急車を誘導したり救急隊員から「大変助かりました」とお礼がありました。私はついています。ありがたいことです。トテニス部員たちで、この日は大会があったそうで、田舎道で難儀している救急車で運ばれる
墓じまいで、お寺にどえらい金を払った。近くにいる人にもいるねえ。長年お世話になったからといって泣く泣くお寺に離檀料を払ったそうな。再び子供につらいおもいをさせないため、大変な決断だったそうな。段々少なくなる檀家。地方のお寺も苦しい。事情はわかるけど、なにか釈然としになあ。墓じまいだけれど
この頃はどの新聞にも頭を使う遊びのコーナーがあります。「新聞なんか取ってない」か。さて、挑戦しようとしたら、ルールが分からない。そんな場合はパスします。時間をとるのがもったいない、という理由で。時間はいっぱいあるのにねえ。私のことです。スマホで新聞を読んでいるという方がいます。よくあの小さな画面で記事が読めますねえ。新聞は紙面で読むと、内容がよく頭に入ると思います。今日のつぶやき
上から目線でしゃべる主に男性がいる。マンスプレイニングと呼ぶらしい。新聞から知った。マンスプレイニングにひそむ意識。「説教」や「無視」にも通じる会話が生じるからこわい。これも不当な差別らしい。付近にはいません。でも勉強です。上から目線
月に一度、ビレッジから請求書が渡される。電気代はは?この日は朝のラジオ体操後に請求書が渡されたので、一斉に見せ合う。住居は同じでも、生活スタイルそれぞれなので凹凸がある。うちは?高いな。原因の一つは外へ出ない。コーヒーをやたら飲む。そんなこともカウントするかな。電気代
雨が降っている。妙に落ち着く。なぜだ。なんにもしなくてもいいからだ。雨に落ち着くわけ
今朝起きてからひと騒動。そこに置いたスマホが見当たらなくなった。目が覚めてスマホにスイッチをいれると、電池切れ。その辺にひょいおいたのだが、時絶たずに探すも見当たらない。ベッド付近を探す。みあたらない。あれれ、ぼけてる。こんな時、もう一人の自分を呼び出し、「どこへ置いた」「この辺にちょい置いたのだが」ちょうど、娘が朝の定例訪問。「おれのスマホを呼びだしてくれ」不通。電気が切れていたんだっけ。スマホは目の前で消えた。娘は「ゆっくり探しや」と仕事場へ急ぐ。このあとビレッジのsさんにもスマホ鳴らしてもらった。結果は同じ。こうなると、ミステリー。スマホは「へー」というところから見つかった。なんであんなところにスマホ置いた。「わからへん」ほんまにぼけたんとちゃうか。自分同士が???お騒がわせしました。失せものはどこだ
フルート、テニス、ピアノ、吹矢・・・おっとブログ。もうすぐ90になる。段々友人が次々いなくなった。いま付き添ってくれているのが人でなく趣味たちだ。フルートたちなどだが、テニスはとうに引退。体から消えた。フルートは私にとって名器の「村松君」が付き添ってくれている。音は段々かすれてきたが、村松君がいる。村松君はメーカーの名前だが、これはもう友人だ。一向に上達しない技術にあきずに付き合ってくれている。だから友人なのだ。フルートから出てくる音楽は全部私なのだ。趣味が私の友人
ビレッジの隣人とすれ違って。「車は便利かね」私の使っている押し車を見ながら隣人は話しかけてきた。「便利ですよ」「いくらした?」「おさがりで、もらったから、分からない」「もらった?」「よっぽど、あんたは好かれているんだ」「え?」、「ここはよほどでなければ、好きでなければ人にただで、出せばかなりするものをくれないよ」「大事にしなよ」今日の一言から。会話
新聞社を定年退職した後、神戸の女子大に務めた。その折に大学で知り合った中堀浩和先生が亡くなったという知らを遺族ら頂いた。当時私は大学から頼まれて大学新聞を作っていた。中堀先生は大学ではフランス文学を教えておられた。先生とは一杯飲み屋で知り合い、仲良くなった。先生は以前は、私が住んでマンション近くの龍谷大学でも在任されていたそうで話が広がった。先生とは、飲み屋だけのお付き合いだったが、大きな声で話される豪快な人柄を覚えている。そして「ボードレール」という著作をくださった。ボードレールは有名なフランスの詩人であることは知っていたが、それだけのことで、なぜ仲良く酒を飲んでいたか分からない。多分人柄だろうね。先生とはその後、年賀状だけのお付き合いとなったが、酒を飲みながらいろいろなことを教えてもらったと思っている...中堀先生さようなら
手を伸ばせば延ばせば手が届くような距離に武道館がある。そこへ私は自転車を漕いでゆく。歩道は道幅が広いが、人も自転車もお目にかからない。途中2か所の交差点があり、所要20分かかる。武道館のスポーツ施設に通ってもう3年か。よたすら体のため。ペダルを踏む
時間は1日24時間平等にあるけれど、無駄遣いすると、おくらあっても足りないぞ。そんなことに今頃気がついた。時間の使い方
庭のアヤメが全開。黄色の花びらを広げている。もっとも、未だにわからないのがアヤメかカキツバタか。おぬしなにものか。このところ、天気は絶好調。好天気続きだが、今日は曇り。面白いもので、曇りの日は気持ちが妙に落ち着く。アヤメ全開
今年は正月に襲った能登半島地震のお蔭で、郷里の石川県や金沢市話題がでてきます。先日もNHKテレビをみていたら、郷里の金沢市金石(かないわ)が流れていました。これ見たことがある。全盲の夫婦が5歳の娘を育てていく。あの話や。ナレーションによると、38年の記録といいます。兄弟は知ってるやろか。順々に電話した。兄弟たちは今富山など3か所ばらばらに生活しています。「なつかしかった」というよりも、マッサージしながら子育てをする夫婦の苦労の姿に兄弟たちの感動を集めていました。娘は両親の「目」となって親の道案内をつとめていたことも、記録されていました。それを全部支えていたのが、周りの手でありました。「金石」と「皆月」
久しぶりに一眼レフのカメラを出してブログに使った。え?こんなに重たかった?肩に食い込む重量感溢れるカメラにコイが3尾。pcに画像を入れ込む段で、手順に迷う。え?忘れたの>いやいや。忘れるわけがない。でもドキリ。だから、これからは使わないと。久しぶり一眼レフ
季節は春から初夏?長袖を着たり半袖はまだか。迷ってるうちに、やはゴールデンウィーク。昨日から向かいの保育園に鯉のぼりが大空を泳ぎだした。庭の畑にもチューリップが彩を添える。大空に雲雀がすんだ歌声を奏でる・ここは、平和です。一気に初夏
新聞に100年後の日本の人口は、3000万人になるだろうという予測記事が出ていた。経済学者のM京大教授らのシミュレーション記事だ。え?そんなに少なくなるの?まさか。江戸時代レベルへ。江戸はもっといたんじゃない?近い将来多くの都市が消滅。人は東京と福岡に集中するとか。戦争さえなけば少々はなんでもええ。100年後、3千万人?
古賀メロディ (人生の並木路 悲しい酒 酒は涙か溜息か 影を慕いて)
古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)いま、フルートで古賀メロディーに夢中だ。特に「悲しい酒」は得意の中心になりつつある。いつの日か近所の人に聞いてもらえたらと思っている。半年前にも小さなコンサートを心掛けた。ところが歯科にかかり、楽器の音がおかしくなって中断したままになっている。古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)
ぴい、ぴいぴい雲雀の鳴く声が聞こえる。「おはよう」隣の90歳のMさんは鍬で土を掘り起こしている。畑にするらしい。この間から、私は美木良介さんの「「無敵の100歳」を続けている。昼から武道館へ行く。健康教室で足腰を鍛える。お蔭で体の調子はいい、「雲雀が鳴き出した
毎週、ビレッジでは大型スクリーンによる映画がある。夕べも上映されたのだが、映画に登場する人物のセリフがなまりの強い東北弁で、しかも早口だったので最後までついていけなかった。映画の題名を知らずに飛び込んだものだから、まるで外国語を聞いているような。気が付いたことだが、耳の遠い人でも同じ現象が日常生活でも起きているのではないか。結果、同じことを聞くのがいやで分からずじまいで終わらすことになりはしないか。昔、記者時代に電話取材で泣かされた記者がいたことを思いだした。標準語
人気のない夜の交差点。だれも見てないから渡ればいいのに、赤信号だからじっと待つ。ここまで「おりおりの言葉」出だし。落ちているごみを拾うか。拾ってみんなが見てたから絶賛を浴びたO選手。でも見られているような・・・そして、何事もなく時は過ぎて行く。本文は何事もなく人は死んでゆくとなる。下の記事をみると、「刮目相待」とあった。記事に頭の体操がよく目につく。見られているような
美木良介氏の「無敵の100歳」を購入した。本の宣伝には「長生きには長い息!」とある。ロングブレスで売って290万部とか。すごい売れ行きだ。呼吸法では、フルート、スポーツ吹矢でいろいろ実行積みの私。新聞の広告で見て、アマゾンで注文。翌日着。アマゾンは翌日に品物を持ってくる。その代わり定額月600円必要だ。でも、本屋の少ない田舎暮らしには、交通のことを考えても便利このうえない。本といってもCDがついているか字は追わなくてよい。エクササイズはすべてに息継ぎがある。せわしないが、なれればすぐできる。やってきるか。「長息で長生き」
コンビニで足が動かなくなったとブログに書いたら送った餅を食べるなと、餅の送り主の妹が言ってきた。餅が好物を知っている妹は時どき餅を送ってくれる。私はその都度餅を賞味する。フルートとスポーツ吹き矢で喉を鍛えているから、喉は大丈夫と妹に言っておいた。従って送ってもらった餅はおいしくいただいている。もっとも、吹き矢の飛ばす距離部屋の構造で5,6メートルと縮んではいるが...スポーツ吹き矢は毎朝のルーティンで毎朝のように矢を飛ばしている。フルートも吹いている。お蔭で風邪はひかない。花粉症とは縁がない。目はしょぼつかない。餅は安全に食っていける。餅は大丈夫だよ
平和だ!こんな平和で落ち着いたところにい続けると、ぼけるぜ。朝のラジオ体操がすむとあとは何をしてもいい。全くの天国。家は48平方メートルと都会のサ高住と比べて広々しているし、庭付きだ。畑にしても良いが、私も豆、サツマイモなど作ってみたけれど、あんな面倒な作業がついて回るとはな。私には農作業にはむりだ、ということがよく分かった。bokeruna
先日、ビレッジの敷地内にあるコンビニで、足への不安に襲われた。くるぞ、くるぞの予感の末に足が硬直していった。異変に気付いた店員が「どうかしましたか」と尋ねてくる。「すみません、椅子に座りたいのですが」しばらく休んでから会計をすまし、外へ出るとまた足が動かなってきた。押し車につかまり、へたりこんでいると、駐車場にいた青年が走ってきて、「どうかしましたか」「すぐ近くの家に帰ろうとしているんですが」というと「送りましょう」と言って押し車に私を座らせ、ぐいぐい運んでくれた。青年の名前を聞き、深く感謝の言葉を述べたのち、「助かった」と思った。すぐにラインで弟に一件の出来事を報告し、7月のは母の33回忌の金沢行きは、多分無理だろうと、キーを打った。かけつけくれた皆さんの行為に感謝すると同時に、体調の異変に愕然としてい...足が硬直
私が住む「ビレッジ」敷地には主に外部の人たち用向けの食堂やパン工場の売り場、それにコンビニなどもあって終日賑わっている。なかで私が毎日利用するのはパンの店で、よく買うのは塩味の「ちぎりぱん」で、早くに売り切れる。今日もないだろうな、と思っていたら、最後の一つが残っていた。私が来るのを待っていたように。今日もついている。実は昨日、19日はビレッジから車を出す恒例の買い物の日だった。いつもの野菜などを買わず、本屋で買ったのは日付のついたダイアリーだ。いつもは年末に最後の買い物でダイアリーを買う。ところがこの頃の手帳やダイアリーの類は年がら年中店先に並んでいる。日付けも4月でも10月でもスタートする。19日に買ったのは、ランダムに選びページを開いてびっくり。ずばり2月19日スタートのダイアリーであった。ついてい...今日もついてる
このところ、天気が良くてありがたい。気分もよい。昨日、一か月ぶりに武道館へ行ったら、トレーニングルームにIさんがいた。Iさんはルームの係を務めていた。Iさんは理学療法士の資格をもっていて、武道館では健康教室の講師をつとめている。私も週1の教室に参加している。言い遅れたが、Iさんは若くて気さくな奥さんだ。この日は3連休最後の日でトレーニングは込んでいた。Iさんとゆっくり話ができなかった。また、次だ。今日も天気武道館へ
89歳になった。えらいこっちゃです。90目の前。でも、尿管がんの疑いを持たされている。いま、体に不調は見られない。こんな病人いるかね。前に胃を患って胃がんを内視鏡で手術。無事がんを取り去った時のことだ。次に外科の医師団から胃の撤去を勧められた。胃手術は内視鏡で済んだではないのか。医師たちはいう。胃は将来4%の確率でがんが再発するであろうと。迷った挙句、胃の全摘を承認した。お蔭かどうかは知らんが、今でも胃にがんの再発なく、15年過ぎている。医術は将来を見据え、ある決断を患者に提示することがある。生きるも死ぬも
検査を受けた。病名は腎臓の「腎盂からつながる尿管のがん」の疑いである。腎臓から膀胱につながる右の尿管にどうやらがんの疑いがあるらしい。受けた検査は「逆行性腎盂造影」という。この検査は失敗に終わった。検査は2度しない。検査のあとで、娘夫婦と交えた検査結果の説明で、医師は「尿管にがんがあることは間違いがない」それで、手術は患者の体がもつか、もたないかだが、高齢だし多分手術ができても、術後立ち上がれない結果になるとなんにもならない」だから手術は無理という。抗がん剤による治療はない。放射線も他への影響があるし、しない方がよい。「残る手段はなんにもしない」放置する、しかないのだ。放置するとがんであれば、段々大きくなる。どうなるかは、運の問題らしい。追い詰められた。検査不調
がんとガン、癌。かなと漢字。同じがんでも内容はちがうらしい。食道がんから逃げて10数年たつが、今度は腎臓にがんの疑いが出てきた。場所は腎臓の尿管だ。30日に検査があり、そこでがんの有無がはっきりする。がんとの付き合いは職場定年前の胃がんから始まり、2回目で胃を全部取った。その後、食堂がんにかかり、毎年定期検査を続けたが、1昨年からもう年だからと検査は中止となった。もし、がんならばどう治療するか医師から問われている。一つは手術、2に放射線や、薬。3に、なにもしない。なにもしないとは超高齢への処遇だ。どの治療にも体力との勝負になる。なにもしないで、逃げ切れるかというと、簡単ではない。がんならばいずれ大きくなって死にいたる。年寄りはがんが大きくなるスピードが遅いからといって、ほったらかしにする人も多いらしい。い...がんの疑い
15日、京都の都大路は「女子駅伝」が行われ、地震の被害を受けている石川チームが健闘、1区の区間賞をとった。この駅伝は京都市民に愛されており、登場する都道府県の選手たちを最後までも応援するするのがいつもの風景だ。この日一斉にスタートした各選手のトップをとったのが石川だった。「やるやん」多分市民たちはそう言ったと思う。北陸勢が先頭集団を走るのは珍しいからだ。(失礼)でも後続が続かず、「石川」は息切れ43位に終わった。石川への声援は多分大きかったと思うよ。「いしかわがんばれ」
今年も越前海岸自生の水仙が送られてきました。送り主は友人kitaさん。水仙は越前海岸で日本海の寒風に立ち向かって育っています。越前海岸は今頃、カニ料理で賑わっているだろうと、思います。かつて記者をしていたころ、福井県の武生に駐在していました。武生は越前海岸も取材範囲ですから時々バスに乗って行ったものでした。その時は亡妻も伴っていました。そして、カニの漁期には旅館に1泊し、カニ料理を堪能したものでした。その時も水仙が咲いていました。kitaさんも水仙に深い思いがあり、毎年送ってくれます。水仙は部屋いっぱいに香りを振りまきました。数株づつ近所に配り大変喜ばれました。越前水仙の香り
今年もよろしくお付き合いください。今年のお正月はでっかい地震に見舞われました。地震が起きた時は、ビレッジの敷地内にあるコンビニにいました。会計が終わったと、ゆらゆら、ゆらゆら!!これはでかい。押し車では不安定なので、膝まずきました。すると、男女二人が私を脇を抱え上げると、店外へ運んでくれました。近くに施設の本部があります。そこは、この辺で数少ない3階建てのビルです。そこへビレッジの数十人が避難しました。1回目の振動が終わると、次に心配になるのは、4,5キロ離れた日本海の津波です。また、海にそそぐ関川があります。河を遡る津波があります。1時間、2時間・・・津波は起こらず。来ませんした。避難するとき、施設長がなにも持たずに急げ急げとせかされました。あわてていた私は、なにも持たずに部屋を飛び出した。だが、ポケッ...新年おめでとうございます
NHKのドラマ「家康」を見ていてつくづく戦国時代に生まれてこなくてよかった、と思う。第二次大戦が終わって戦いがない時代に乗っている自分をついているじゃないかい、と思う。とはいえ、この世の中にいくさは依然として存在している。日本にないだけの話だ。運が今のところいい。戦さがないだけ
関西弁で「自分はどう思うのや」と尋ねる。この場合の自分は、話し相手だ。これが愉快だ。相手のことを自分というからややこしい、前立腺の手術したとき、猛烈痛かった。とっさに自分を別人間にとって変えようと考えた、痛さは見事に半減。この例からもう一人の「自分」を作った。「今日は大きな声でみんなにあいさつしたやろ」よかった。笑顔もな。と別の自分。こうした会話をしばらく続ける。困りごとの時は、別人がいるように自分同士で問答する。1人で悩むよりちょっぴり幅が出る。もう一人の自分
あなたは自分が好きですか。この世の中で、だれが一番好きか。親ですか。子供ですか。自分という人がいればどうですか。一番頼れるのはあなたでしょう。中心になるのはあなたであるはずです。あなたが好きでないということになると大変です。まず自分が好きであることです。運を呼ぶ一つに、自分を生かすことが大事と思うのですが。自分を好きになる
90の領域が近づいてきた。今年は病気のラッシュに悩まされた。病院の診療科の3つか五つ駆け巡る月もあった。でも、命まで取られそうな強烈な病いには遭遇しなかった。お蔭でまだ生きてている。5月ごろ、ベッドから降りた直後、足がよろついて、顔面を床に打ち付けて打撲。顔面を3⃣分の一青くあざで塗りつぶした。こんな場合でも、「私は大けがを負ったと」というのではなく、「顔や頭に後遺症が残らず良かった」と。「私は運が良い」と取る。「足もちゃんとついているし」とね。アクシデントに見舞われても、無事な部分を数え上げれば数えきれない。これが、「運のいい人」の見方かも知れない。顔を打っても・・・
皆さんの中にも、若い時に自分を変えようしたことがあったのではありませんか。中野信子さんによればそれは無駄だとのこと。人には生まれつきの個性というものを持っている。それをがらりと変えるのは至難の業という。それより、「いまの自分を生かす」事の方が大事で、これが、運がいい人への近道だと。自分は陰気な方だから、これからは陽気な人間を演じようとする。しかし、無理をしても後が続かない。今の自分を生かす
中野さんの「運のいい人」で、運は座っていて向こうからやってくるものでなく、あなた自身のおこない、考え方によることで左右する、と説かれる。本をぺらぺら開いている段階で気になる見出しがあった。{いい加減に生きる}。金沢のことばで「おの人は”ちゃらんぽらんな”ところがある」といった場合と「新幹線のダイヤのように正確無比を好むタイプ」といえば、中間が「いい加減な人」であって、いい加減は「良い加減」と書けばわかりやすい。意味は「なにごとも物差しで測ったように決めつけず、状況をみて柔軟に考えよう」(勝手な読み方)いい加減に生きる
脳科学者の中野信子さんの「運のいい人」に興味がありましたので、アマゾンで取り寄せました。あなたは運がいい方ですかーかの松下幸之助さんが社員採用の決め手は「はい、運はいい方です」と答えた学生に採用通知をだした、というのが有名な話らしい、まず本で紹介。私に聞かれたら「運はいいです」と即座に答えましょう。私には何かが、誰かが支えとなっている思いがしてならないからです。小学生のころ、東舞鶴の山中の沼で溺れそうになった時をはじめ、記者をしていた時に石川、富山県境で鉄砲水から逃げ出したことも。私を救ってくれたのは、その後もいくつかあってその時は金石(金沢)の仏様のおかげと思っていました。命の危機だけでなく、大学在学中、新聞社にいた時もラッキーやと思われる事柄がありました。70になって、フルートを習い、3年で京都コンサ...自分は運がいい方
上の差し歯の前歯一本が欠けた。するとフルートがおかしくなった。音はなるが音が変。音量がでない。もう無茶苦茶で演奏がままならない。フルートが壊れたのか。口の中がおかしくなったのか。クリニックへ挿し歯を作ってもらうことにし、仮の歯を入れて吹いてみたら、なんとうまく鳴るではないか。前歯一本が欠けると、フルートが鳴らないことに驚くと同時にうれしなった。前歯を入れればちゃん鳴りそう。フルートはまだ続けられる。大げさではないが、フルートが吹けなくなったら、生きがいがなくなる。趣味の存在はでかい。しみじみ思った。前歯1本とフルート
昨日タクシーを電話で呼ぼうとしたら電話が通じない。その場はビレッジにタクシーを頼んだが半日、スマホとの戦いだった。なんでもアカウント通信が通じていないとのこと。いつものこととて近所のIさんに原因を尋ねたが、分からない。Iさんはインフルエンザの予防接種に出かけたので、自分で原因調べ。「電話が通じない」とスマホに直接聞く。再起動するか、シムを調べたらよいとのことだったので、シムを取り出し調べようとしたら、小さなシムがポリと落下。落ち着いて落ち着いてをくり返しなんとかシムを取り付けるとスマホは無事電話機能を回復した。そうだ、スマホをベッドから落としていた。その時、シムがずれたんだろうねえ。思い出せば夜中にスマホを落としていた。その時、シムがずれたんだろうねえ。シムのずれ
木枯らしが吹く今日は歯の治療日だ。ビレッジの案内所にタクシーを呼んでもらう。見た目若くない女性運転手は「今日から新人ですので、よろしくお願いしますという。行き先を告げると、「えーとどう行けばいいですか」ほんま、新人や。「いうわ、すぐ右や」初めて地元の人に道を教える。「これから、道覚えるのやな」がんばりや。だれでも、最初は新人や。余計なことを一声。帰りの運転手も「新人を名乗る」運転手に送られる。最近車があっても運転手が減ってタクシー不足がニュースになっていた。気候は曇天だが、新人運転手に送られて、いいことなんかがあるかもね。新人タクシー運転手
兄弟が集まって88歳のお祝いをしてくれたが、おぬしこれからどう生きる。身体は高血圧は薬で抑えているし、頻尿もしかり、目は現状で維持できそう。足が悪くなっているが、すぐ命がどうなるというものでなし。てきとうに、全面的にとしを取っている。このままだらだら年を取っていくものなのか。どんな年寄りも悩んでいるもんかいな。これからどう生きる
かおるちゃんの奥さんのあとを追うようにかおるちゃんが亡くなった。かおるちゃんは東農村から若狭湾の農家へ婿養子の道を選んだ。ところが奥さんが白血病で短期に亡くなった。さらに後を追うようにかおるちゃんも交通事故で亡くなった。後を継ぐ子を残して。私は後にお墓詣り行った。涙しながら事情を説明するする娘さんのなにをかを詫びる声は聞き流した。どんな事情があっても、かおるちゃんは亡くなった。お経をあげた。さよなら、かおるちゃん。短い一生やったなあ。かおるちゃんの一生
東舞鶴の病院に入院、白血病の治療に当たっていたかおるちゃんの奥さんが、亡くなったと,かおるちゃんが知らせて来た。だめだったか。かおるちゃんはショックを受けていた。私は慰めた。さらにむなしい知らせが、今度はかおるちゃんの娘さんが電話で知らせてきた。かおるちゃんが亡くなったと。なんでも、家の近くで交通事故に遭ったという相次ぐ訃報
兄弟たちが集まって、私の米寿を祝ってくれました。ありがとう。この年になるまで、親兄弟はじめ多くの人達のにお世話になったお蔭であることは申すまでもありませんありがとうございました。一応の区切りとして、お礼を申し上げ、また明日からの生活があります。どうか、皆様も元気に過ごしてください。ありがとう
youtubeに出てくるなおこ先生は面白い。なおこ先生は歯医者でyoutubeでは色々聞いてくる質問に答える。「歯をきれいに磨くにはどうしたらいいですか」という質問にはー「2本歯ブラシを使えばいいよ」違う歯ブラシを使うと磨き残しを磨き残しが無くなる。2本の歯ブラシねえーまさかO選手の2刀流も??考えることは自由だ。ナオコ先生の発想
かおるちゃんは原発に就職した時に舞鶴から京都に遊びに来た。若狭のある農家に婿養子入ったかおるは200万円だったか400万円だったか貯めたといっていた。しんどかったといっていた。すでに女の子をもうけていた。奥さんは一人娘だったのでいっちゃ悪いが婿養子の役目を果たし、さらに倉を作ったと嬉しそうに話していた。かおるちゃんがくもった声で電話を掛けてきた。妻が白血病で東舞鶴の病院に入院した、と。電話の向こうでぽつぽつ話すかおるちゃんの顔を思い出す。彼は背が高くなくがっしり体付きだった。農村青年そのもの。仕事は農作業と原子力発電所の仕事。私には想像もできない離れた内容の仕事だった。かおるちゃん頑張る
第2次大戦末期のころ、私たち一家は京都市内から、京都府の東舞鶴へ移った。父の職業は学校の先生。京都府教委から、東舞鶴の旧制中学校校長へ異動した。一家は校長官舎へ引っ越した。いきなりの田舎暮らしは都会から来たものには珍しいことばかり。そんなころ同級生の「かおるちゃん」と親しくなった。都会っ子にとって、オタマジャクシなんて初めて見る小動物で、すぐに手足が生えてカエルになるや、とかおるちゃんは教えてくれた。仲良くなったかおるちゃんとは長く付き合った。私たち一家は再び京都へ戻ったが、かおるちゃんの訃報を聞いたのはお互い青年になってからであった。かおるちゃんの短い人生には婿養子としての苦労が詰まっていた。かおるちゃんの人生
東舞鶴という京都府の北端の海の近くに我々一家は住んでいた。第2次世界大戦の終わりごろ。東舞鶴は軍港であった。だから、空襲に遭ったこともあった。家からすぐに山であった。舞鶴湾を取り囲むように山の一角だった。終戦前の事。ある日山を登っていると米軍の戦闘機1機が山すれすれに飛んできた。撃たれる、と思った。だが攻撃はなかった。飛行機はそのまま湾に浮かぶ日本の海軍の艦隊へ向かって飛び去った。飛行機の目的は舞鶴湾であった。すぐに湾から煙が立ち上った。米軍機による日本艦隊への攻撃は激烈であったと。当時私は国民学校3,4年生のころ。父は東舞鶴の旧中学校の校長をしていた。東舞鶴では、爆弾だけでなく、米軍機によるチューインガムやチョコレートなどばらまきがあったが、「拾うな」という学校の指示を子供たちは守っていたようである。米軍機の思い出
8日に私の88歳を祝って米寿の会を兄弟たちが上越に集まり開いてくれる。兄弟は私を頭に4人そろって健在。私を除いて3人が夫婦そろって元気。会には従妹が1人出席する。38年前、京都で高校の校長をしてい父が病死した。母と4兄弟は、父が住職をしていた金沢のお寺に移住した。そして今兄弟が住んでいるところは私下の妹は富山県、弟は石川県、末の妹は埼玉県。弟が石川県金沢市金石のお寺の父のあとを継いで住職をしている。8日に米寿を祝って
前歯の差し歯がいつのまにか無くなった。昼食をとったばかリだったなのなので「うそ?」の気持ち。ごはんといっしょに吞み込んだらしい。今日歯のクリニックへ行ったらあちこちに虫歯が見つかっった。3か月ごとのメンテで指摘されていた。それが一斉に悪の花を咲かせたようだ。どうする?治療するほかないやろ。せやな。それで今年いっぱいかかる?いやいやもっとかかるとか。今年は5月から8月にかけて、なんやかと病いにかかった。今度は歯の番らしい。これが80の坂を超えるいうことかな。来月、私の米寿を兄弟たちが祝って上越へ集まってくれる。笑顔、笑顔。そして感謝、感謝よくみんなで88歳まで面倒を見てくれた。歯があるだけまし
私は寒さに弱い。夏と冬。どちらが好きかと聞かれたら、冬より夏の方を選ぶ。といっても、今年の夏の暑さはきつかったが。暖房器具を選ぼうと思うのだが20度で過ごしているうちは零度の世界は予想がつかないものだ。徐々に寒くなって、この辺の気候は零度の世界になる。今年は暖冬であってほしい、と願っている。暖冬であれ
私は寒さに弱い。夏と冬。どちらが好きかと聞かれたら、冬より夏の方を選ぶ。といっても、今年の夏の暑さはきつかったが。暖房器具を選ぼうと思うのだが20度で過ごしているうちは零度の世界は予想がつかないものだ。徐々に寒くなって、この辺の気候は零度の世界になる。今年は暖冬であってほしい、と願っている。暖冬であれ
私は寒さに弱い。夏と冬。どちらが好きかと聞かれたら、冬より夏の方を選ぶ。といっても、今年の夏の暑さはきつかったが。暖房器具を選ぼうと思うのだが20度で過ごしているうちは零度の世界は予想がつかないものだ。徐々に寒くなって、この辺の気候は零度の世界になる。今年は暖冬であってほしい、と願っている。暖冬であれ
「血管年齢を調べます」スーパーで呼びかけられて調べてもらったら69歳と告げられた。いま88歳だから19歳下回っている。血管が若いということは食生活に気を付けている、運動もしているなど体に良いことをしている結果という。クリニックにいくつか通っている身だから、「いいこともあるんだ」と気が軽くなった。血管年齢69歳
妻が亡くなる以前から自炊はていていた。料理をしたことがないという会社の同僚に「料理なんて簡単や」と豪語。目玉焼き教えたろか。「卵割ってフライパンで焼いたらおしまいや」ぐしゃっとならへんかって?フライパンのへりでこんこんとたたいて割れ目を入れて、中身を出す。すぐ焼けるから白身が焼けたらもうすぐ完成やし」人に教えた料理の仕方、第一号だった。自炊にも段々
ひと月前から地元の生協に入ってから、わが食生活が一変した。毎週メニューと間の注文した食品が届く。メニューの品数が半端でないほど数多い。その中から食品を選ぶのが、一仕事だ。いままで自炊が主だったのでメニューは決まったものが多かった。栄養的に偏りがないよう気はつけていたが、昔気質な食事は、内容は知れている。それでも、度重なるがんから逃げ伸びて、いままで生きてきたのだから、自分は達者な方だ、と思っている。これからは運動に偏ってきた生活を食生活にももっと気を使おうと思っている。食事革命
ビレッジから見える所に県の武道館があり、雨が降っていない時、風画吹いていない時トレーニングに出かける。乗り物は自転車。自転車は先月買った新車で、職員の「危ないからやめたら?!」という声も無視してペダルをこいでいいる。自転車は今ももちろん乗れる。ところが、足が弱ってきたのかある日、停車の時こけた。車は昨年運転をやめている。それから、毎日が不便なこと。買い物はビレッジで週2回車をだしてくれるが、クリニックは娘に送ってもらっている。問題は近くの武道館への行き帰り。自転車を利用することにした。ところが自転車でこけた。そこで、けがをせずに自転車を乗る練習をいちから始めた。ビレッジにはグランドゴルフのコートがあるので、そこで自転車の練習を始めた。こけない自信がついたので武道館、スーパーへ自転車を走らせている。地方で住...自転車でこけた
認知症になる人が増えるという。認知症になった祖母を怒鳴る父親にどうす接するればいいかとの新聞相談で上野千鶴子先生の回答がわかりやすい。「おばあちゃんがこうなったんだから、お父さんも可能性が高い。私もまた、お父さん当たるのがこわい」「認知症についてたくさん本が出ている。いま私は勉強しているの。お父さんも学んでほしい」おばあさんが穏やかに逝けるよう、お父さんに悔いが残らないよう「母の息子」にかえしてあげてください。まず学んで
20年履き続けた靴とお別れした。20年とは、おおよその話。これまでも、ひたすら私に長年、尽くしてくれた「もの」は車、背広、冷蔵庫、パソコンなどがあるが、この靴は特に愛用した。靴は足にぴったりだった。皮の部分は古びただけで、むしろ磨く皮の良さがにじみ出ていた。最後はスリッパ替わりになったが、底は外側にすり減り、1枚目がめくれだしたので仕方なく処分することにした。靴には「長年お世話になりました」と謝意を述べ、最後の手入れをした。20年履いた靴
英語で「二刀流」はどういう。ネットで調べたら「両方ともできる」だそうだ。なんだか夢なし。剣の心は日本人以外はお分かり申さぬでござるか。夢がない
サン=サーンス:白鳥(チェロ)フルートを吹くのを趣味にしてかなりですが、死ぬまで吹けたらいいというのが、「白鳥」です。楽器をもってしばらくすると吹けるようになります。品があって、教科書的で。フルートの鳴りが悪くなると、練習にこの曲を吹くと、落ち着きます。本当に精神安定剤でもあります。聞く楽器は何でもよく一番似合うのはチェロかな。フルートは息もきらずに音符通りきっちり吹けたら、合格です。どんな曲でもそうですが。サン=サーンス:白鳥(チェロ)
かつて阪神タイガースがリーグ優勝した時、私がいた大阪本社が赤飯を社員に配ったことがあった。もちろん、大阪だけ。東京には読売ジャイアンツが強い時だったと思う。ジャイアンツファンが多い社員に遠慮しいしい?(100字ブログ)赤飯で祝った会社
新聞に100字小説という記事が載っていた。100字で一つの小説。ブログで100字に挑戦する。◇ラジオ体操で二人が相次いで倒れた。みんな同じころの年代だから、体操で倒れる人がいても不思議ではない。問題は倒れた後、体操をやめてしまうか、続けるか。あっさりやめてしまうのはもったいない。椅子につかまってでもできる部分を続けるべし。100字にする。ラジオ体操で二人が合次いで倒れた。皆同じころの年代だから、体操で倒れる人がいても不思議ではない。問題は倒れた後、体操をやめてしまうか、続けるべきか。やめてしまうのはもったいない。明日への体作りのために。100字ブログ
「Yさん、落とし物」ビレッジの職員から渡された物を見て、飛び上がらんに驚いた。子財布だった。財布の中にはデビットカードがはさんであった。デビットはノーサインでそのまま使えるクレジットカードだ。財布はズボンのポケットに入れて自転車に乗っていた。これからはバッグに入れて移動するようにしたい。すぐに届けてくれた隣人には大きな謝意を述べたこてはいうまでもない。子財布の中には
うたわれようわしゃはやす「越中八尾の小原ぶし」小原節は「お歌下さい。私がはやしましょう」に始まって歌と踊りが延々と続く。2日、全国中継された「越中小原風の盆」は見ごたえ十分であった。妻が亡くなって今年で20回目だから風の盆を見に行ったのは、20数前になろう。他の兄弟と富山。石動のお寺住職夫妻が呼んでくれた。浮いたか瓢箪軽そうに流れる
北陸新幹線の金沢ー敦賀間の開通が、来年3月と決まった。「いつになったら、できるんやろな」とサンダーバードで北陸線を通るたびに見ていた光景だ。それで何分短縮されるの?東京=敦賀間で今より3時間8分と「50分早く」なるんだって。東京を起点にされると、わからなく関西育ち。「もっと早くなるもんや、思うていた」新幹線開通のニュースを聞くたびに思うことは、在来線ががくんと不便になるこること。北陸新幹線一歩前進
上越市のような地方都市は交通の便が悪い。車の運転やめた年寄りはなおさらだ。そこで、近距離用に新しく自転車の購入した。今も古い自転車は使っているが、10年ほど使っているので、さびは出ているし、車体が重い。今の自転車はアルミ製だから軽いという。でも現物を持ち上げたら、思ったほどではなかった。購入したのは普通車で、いわゆるママチャリ。ママチャリで子供を乗せて2人乗り、3人乗りをするんだとか。人を乗せて自転車を走らせる。お母さんたちは怖くはないのだろうか、年を取ってから自転車に乗ると、自転車の不安定さに気づく。購入しママチャリは5万円少し出た値段だった。練習したのち人のいない道を選び、ヘルメットをかぶり、主に武道館へ通っている。新しい自転車
パリのカナロ / Canaro en París - 西塔祐三とグランオルケスタ・ティピカ・パンパ
パリのカナロ/CanaroenParís-西塔祐三とグランオルケスタ・ティピカ・パンパ「パリのカナロ」私の若いころから好きな曲だ。これぞアルゼンチンタンゴ。胃がんの手術の時に手術室に流してもらったが、麻酔ですぐに眠ってしまった。パリのカナロ/CanaroenParís-西塔祐三とグランオルケスタ・ティピカ・パンパ
マイナンバー制度にいろいろな意見があります。新聞が読者の意見を挙げております。カードは利便、という意見がある一方で安全を確認するまで持たない人、無くすから持たないという人もいます。政府は来年秋に保険証を無くす方針ですが、一体どうなるんでしょう。しかし、よくよく考えると、この問題はこれから生きる人たちが世の中を生きやすくするたの方法です。足を引っ張らないように私は注目あるのみです。。時代の動きマイナンバー
暑い暑いの毎日。プランターの苗木はほっとくと数日で枯れる、私のように体温が高めの人間はやはり高温には弱いのかも知れない。なぜ高体温なのか?汗をかかないことが主な原因かも知れない、普通汗が出ることで体温を下る。武道館でトレーニングしていても、だらだら汗が出ることはまずない。せいぜい、じとっと汗ばむ程度だから、タオルはほとんど必要がない。体温が高いとクリニックは入れてくれない。マスクの着用は大体自由になっているがコロナの勢いは収まっていないという。クリニックへ行くとき。高体温になっていないかドキドキする、コロナへの恐怖症が抜けない人間の一人である、白内症のおそれも
朝起きるとなんとなくだるかった。朝食をつくる気が起きない。朝はやることが沢山ある。長椅子に伸びた状態で、寝ていると毎朝顔を出す娘が来て「どうしたん」「やる気が起きない」、というと「ひどい顔や」「夜、クーラーつけないの?」「つけたことない」「年やし、死んでる人もいるし、夜もクーラーつけや」多分、熱中症と思う。体調はそれ以上悪くはならなかったが、その日一日、だるさが続いた。思うにテニスをしなくなって、体力がガクンと落ちた。ついでに暑さにむ弱くなっていた。以前は真夏でもボールを追いかけていた。何年か前、あるご婦人を誘って乱打をしていたら、女性はふらっと倒れた。暑さになれない女性だった。慌てた。周りの女性を呼んで助けてもらった。そんなことがあったから、人の体調も余計気遣うようになった。暑さに弱くなっている
サン=サーンス:白鳥 C.Saint-Saëns Le cygne フルート神田勇哉
サン=サーンス:白鳥C.Saint-SaënsLecygneフルート神田勇哉サンサースの「白鳥」はフルート歴3年目らいで、吹いた覚えがあります。絵に描いたような流れる旋律は美しく一度は吹いてみたくなる曲です。何度も練習したおかげで、いまでも吹ける曲になっています。この曲を吹くと息の長さが試されます。サン=サーンス:白鳥C.Saint-SaënsLecygneフルート神田勇哉
このところ、天気の良い日を選んで、武道館へ行っている。おかげで、歩く調子がよくなっている。5、6月はけがやら、体の不調やらで武道館へ行くのを怠った。私の体はストレッチしないとがちがちになる。私はストレッチしても、しないよりはましと思っていたが、やっぱりした方が足の踏ん張りが違うようだ。効果はあるのだ。私のような超高齢者でも。超高齢者でも鍛えれば
シューベルトのセレナーデ Schubert Ständchen : Camille Thomas and Beatrice Berrut
SchubertStändchen:CamilleThomasandBeatriceBerrut秋に「小さなフルート発表会」をビレッジのサロンで開こうかなと思っています。プログラムの目玉にシューベルトのセレナーデを選びました。。この曲はピアノ、バイオリン,、フルート、チェロなどいろいろな楽器で演奏されています。私には無理かな。シューベルトのセレナーデSchubertStändchen:CamilleThomasandBeatriceBerrut
馬鹿と言って売る人がばんばんy・tに出てたりして。まさか「おれの言うことはいい蔭権」と言いたいのかしら。多くの人が見てるということは、それなりに得るがことがあるこということ。興味があること。ただし、それが見て読んで価値ががあるか、ないかは自分で判断することだが。youtubeを見る奴は馬鹿?
Amazonには重宝している。でも、最近楽譜を注文したらクレジットカードに不具合があり、その処置にかなりの日数を要した。私はパソコン全てに弱い。スマホもしかり。おそらくその知識は、最近の子供以下のレベルだろう。そして、生まれるのが無駄な時間。最近、からだの調子が悪く、その手当てに苦労している。よたよたしながらも、生きてゆくねならぬ。80の坂はさらにきびしくなるみたい。サ高住の住民には、パソコンの便利さと苦労を知らない人が多い。丸投げが通じるから。便利その1
ショパン:雨だれの前奏曲(Chopin: "Raindrop" Prelude Op.28-15)【LiveStage Ark】#Shorts
ライブハウスでクラシック!ショパン:雨だれの前奏曲(Chopin:"Raindrop"PreludeOp.28-15)【LiveStageArk】#Shorts昨日のブログで紹介したショパンの「雨だれの前奏曲」です。雨の音が続くのが、特徴です。ショパン:雨だれの前奏曲(Chopin:"Raindrop"PreludeOp.28-15)【LiveStageArk】#Shorts
雨がきつい。きつく降っている。雨の音よりも練習するフルートの音が大きく感じる。「お、今日は調子がええやんか」新聞記者を数年経験したころ、滋賀県は長浜市で駐在でいた。その時の思い出。毎日ピアノの練習をする音が庭越しに聞こえてくる。「今日も頑張っているな」想像するにピアノを練習してしているのは中学生か、高校生か。女の子だろうな。「雨の日に雨だれの曲か」「今日は間違えずに弾けるかな」原稿を書きながらその時を待つ。でも、今日もその部分で間違えた。それが練習だ。私は、ピアノは学生の頃、友達の友達の女性に習っていた。もっと子供のころなら、繰り返し練習するだろうな、と動きの悪い指を叱咤しながらの繰り返し、繰り返しだった。「そこを乗り越えると、うまくゆくよ」梅雨時に思い出す光景。雨だれの曲
今日の病院通いで病の連鎖が落ち着いた、と思っている。目の黄斑変異はここ3か月ほとんど動きはなく、経過観察に。足のけがは傷ごとじゃぶじゃび洗う治療法に驚いたが、ようやく治りつつある。このほかに、胃腸の異変などに悩まされ体重は40キロまで落ち込んだ。体重の落ち込みがストップできたのは、隣人のアドバイスであった。「なんでもから、うんと食べなさい」体に悪いからと言って食べるるのをやめるのでなく、全部食っちゃう。とくに好きなものを腹いっぱい食べる。これは図にあたった。すし、うどん、スパゲッティー、中華、汁もの・・・3食の習慣も無視。まず、腹が驚いたのか、便秘が治った。食も普通になってきた。ただし、この強引な食事法は何日も続かない。無理がある。私だけの窮余の一策だから、マネはしない方がよい。痩せにストップ
1月に88歳になったと思っていたら、早や半ばにいたった。がたが一目散でやってくる。けがに病い。それでも、長生きせよと誰か知らんおっしゃる。でも、これまでいい加減に過ごしていたことが、原因と結果が結びつくことがいくつかあった。「あ、そうか」である。大したことではない。88歳も半ば
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今日は曇天。燕の身が軽い。低く飛んでいる.あの速さで虫を捕まえるのだからすごい。今日もゴルフの散歩は快調。早く歩けるように。燕が飛ぶ
なんかやるきになった人って。白鵬さん。もうひとつわからんけど?。2行日記です。なんか知らんけれど
ビレッジのサロンに一台のピアノがある。入居者の中で弾けるものは、私一人のようななので、私のピアノになっている。弾けるといってもタンゴの「ラ・クンパルシータ」と「エルチョクロ」だけ。一応は両手をつかっているので、さまにはなっている。しかし、入居者にはなじみが薄い曲なので、人気はほとんどない。これでも、弾けるうちに入るんかねー。一台のピアノ
サスペンダー。熱が出ていた時もそうだったが、ズボン吊りの付け心地が悪かった。試しにパンツを吊り上げる。下着の吊り上げは成功した。しっくりこなかった下着が落ち着いた。ズボン吊りだからズボンを吊り上げることばっかりを考えていた。下着の引き上げる。うまくいった。最後の知恵熱か。下着つり
この間夜に熱が出た。それも38度。こんな時はどうしたらいいか。体温計で体温を何度も測りなおす。頭を冷蔵庫の氷で冷やす。なんとか夜を過ごす。明けると、熱が下がっているではないか。そのまま時間が過ぎても熱は上がらない。夜の高熱はなんだったんだろう。続きは知恵熱?へと発展する。知恵熱
昔、記者やってたころ、京都のお坊さんに聞いたことがある。「人は何が悩みですか」お坊さん曰く「多くの人がお金や」今は違うと思う。仰山な金を仰山持っている人が多いというから。仰山はいらん。めし代があればよい。わしも小さくなった。欲までも。雪は他人事
安否の電話を金沢の友にをかけtが、かれは脳梗塞で津病中だった。一方で、京都のテニス仲間の一人は、「ほぼ元気やで」、ということであった。亡くなった友を悼み、元気な友人にはエールを送った。年も年やし。それで、お前はどうなんあちこちの痛みを治したい。それだけや。相変わらず人間が小さいのう。「痛みとれたら、考えるわ」。人生の友
新聞の読者欄で家計簿をつけているか、を尋ねていた。「はい」は46%、「いいえ」は54%だった。「はい」のトップは「市「市販の家計簿に手書き番多く、「いいえ」のトップは「めんどうくさい」だった。私のようにソフトを使うのは少数派。忘れっぽい人間には家計簿がブレーキをかけてくれる。几帳面とはちょっと違う。習慣だね。家計簿つけてる?
うまくいった話。いずれもpcがらみ。一つは、新しく買ったプリンターがうまく作動し始めた。もう一つも家計簿のソフトの古いメールアドレスがばっちり合ったこと。最近、病気のことで区分が乗らないことが多かっただけにいいぞ。「ついてる」と思った。ついている
ついている”つき”の神様のプレゼントかいたずらか知らんけれどうまくいった話2件。いずれもpcがまみ。長く使っている家計簿ソフおかしくなった。新しいソフトのパスワードが合わない。長い時間を使って合った時「ついている壊れたプリンターが直った時、思わずで出た時の言葉が「ついている」こういった「つき」を大事にしたい。「おおきに」と。「ついているぜ」
80歳ももうじき終了。90歳が目の前に迫ってきた。えらいこっちゃ。あちこちに不具合を抱えての昇段だ。でもエンジンの心臓は故障もなく、動いている。よし。90歳に頑張ってぶら下がろう。90歳が目の前
阪神淡路大震災から30年。「30年ね」なんども念を押すでなく、娘も30年、年を増やした。今日、彼女の誕生日である。なんとも勘定しやすい。大震災の時私は京都にいた。ゆさゆさ揺れるマンションの中で、これは大きいと感じた。しかし、時間を短縮すれば、大阪や神戸はあっという間に復興を遂げた。娘にはこの2月に孫が生まれる。ということは私にとっては3人目のひ孫。どうか、元気で育ってくれ。大震災から30年
全国女子駅伝が12日、京都で行われ、京都が圧勝。懐かしい京都の街並みをテレビで眺めた。京都はわたしにとってふるさと。毎年、カメラを手に選手たちの姿を追ったものだ。いまや、女子駅伝は春の葵祭、夏の祇園祭り、秋の時代祭りと並ぶ行事に思っている。。駅伝の好きなところは京都や強いチームだけでなく北陸、沖縄などの頑張る姿に市民たちが応援する風景。今年も地震で被害を受けた「石川」に声援が飛んだそうだ。今年は京都が優勝、石川は45位だった。「石川がんばれ」女子駅伝
介護3の認定を受けて身の回りに介護用品がぐっと増えた。3食をビレッジからっているの初め、身の回りにもこれまでもない贅沢感漂っている。こういう時にこそそ金を使うべし。か?体への投資かな。先日は電気毛布を買った、お蔭で夜、尿意に悩まされることがなくなった。貧乏性なんだ、へるぱーさんが昼間の電灯を消しているのを見て、投資は投資、無駄には無駄の意識が再びよみがえってきた。えって来た。介護の身になって
新年あけましておめでとうございます。良い年でありますように。戦争のない年になればいいのになあ。最近、日本に殺人が多いと思いませんか。貧乏もはびこっているか。いいことないか。あります。1人1人が健全を目指すことです。そうです。一人一人です。そうすれば、神が宿ります。仏も。お宅に立ち寄るかもね。謹賀新年
今年は思いがけない足の骨折に見舞われ、ブログも途絶えました。来年もどうなりますか・90の坂は上れるか。無理はしません。あるがままで行こうと思います。では、来年もよろしく。来年もよろしくお願いします。
我が家にはヘルパーさんが週2回来て風呂の介助と部屋の清掃をする、足を折ってから、まだ2か月なので、風呂は監視付きだ。それでも、人に背中を洗ってもらううのは病院に続く体験なので、お殿様気分を味わっている。ただし、料金が後からどかんと追っかけてくる。掃除の専門家なので、浴槽などはぴかぴか。ヘルパーさん
介護判定見直しがあり、私は要支援2から要介護3に引き上げられた。足の骨折で一段と介護が必要との判定であろう。介護には、要支援1,2、介護1、2,3,4,5の段階あり、介護3は中程度の介護が必要ということ。具体的には部屋の掃除など身の回りの世話は自分だけではできないほか、片足立ちや立位など1人ではできないなどの症例がある。それで、ヘルパーによる訪問介護などが受けられる。私も本格的な介護される仲間に入っている。介護3の判定
12月も半ばへ。相変わらず足へのリハビリに地味に動いています。11日、新聞はピントの合わない眼鏡越しに読んでいます。「ああ、小倉さん亡くなったなあ」膀胱がんで亡くなったテレビの名キャスターに哀悼の心を捧げる。被団協にノーベル平和賞授与の新聞の見出しに「人類が核で自滅しないよう」とあった。ほんま、そうやで。一発の核で地球は破滅への道へ進みそう。「おりおりのことば」に地味に日を重ねるのが人生に重み、と激励する。輝くやく人たち
リハビリ病院の一日は窮屈と忍耐で過ごす。患者とナースステーションの連絡はナースコールでつながっている。トイレの要望から、べっどからティッシュが落ちたなどいちいち連絡する。するとナースステーションからだれかが飛んでくる。万一手術した患者が倒れると大変だからだから。ステーションも大変だが、患者も窮屈。でも、おしっこは待ってくれない。窮屈
自転車事故で転倒しましたが、骨折がなかったこと。本当によかったと思います。どこか、骨を折っていたら、もうあかんやろね。年を特別にとったとは思わないが、友人はほぼいなくなっています。「また、けがしたか」金石の阿弥陀さんは今度も助けてくれました。大丈夫です
昨日武道館への途中、自転車が転倒、救急車で運ばれました。途中、市内の中学生たちに大変お世話になりました。救急車が来るまで、面倒をみて下さった運動着姿の皆さんはソフトテニスの部員たちでした。転倒した自転車に絡みつかれ動きの取れない私を見ると、血を拭いたり救急車を誘導したり救急隊員から「大変助かりました」とお礼がありました。私はついています。ありがたいことです。トテニス部員たちで、この日は大会があったそうで、田舎道で難儀している救急車で運ばれる
墓じまいで、お寺にどえらい金を払った。近くにいる人にもいるねえ。長年お世話になったからといって泣く泣くお寺に離檀料を払ったそうな。再び子供につらいおもいをさせないため、大変な決断だったそうな。段々少なくなる檀家。地方のお寺も苦しい。事情はわかるけど、なにか釈然としになあ。墓じまいだけれど
この頃はどの新聞にも頭を使う遊びのコーナーがあります。「新聞なんか取ってない」か。さて、挑戦しようとしたら、ルールが分からない。そんな場合はパスします。時間をとるのがもったいない、という理由で。時間はいっぱいあるのにねえ。私のことです。スマホで新聞を読んでいるという方がいます。よくあの小さな画面で記事が読めますねえ。新聞は紙面で読むと、内容がよく頭に入ると思います。今日のつぶやき
上から目線でしゃべる主に男性がいる。マンスプレイニングと呼ぶらしい。新聞から知った。マンスプレイニングにひそむ意識。「説教」や「無視」にも通じる会話が生じるからこわい。これも不当な差別らしい。付近にはいません。でも勉強です。上から目線
月に一度、ビレッジから請求書が渡される。電気代はは?この日は朝のラジオ体操後に請求書が渡されたので、一斉に見せ合う。住居は同じでも、生活スタイルそれぞれなので凹凸がある。うちは?高いな。原因の一つは外へ出ない。コーヒーをやたら飲む。そんなこともカウントするかな。電気代
雨が降っている。妙に落ち着く。なぜだ。なんにもしなくてもいいからだ。雨に落ち着くわけ
今朝起きてからひと騒動。そこに置いたスマホが見当たらなくなった。目が覚めてスマホにスイッチをいれると、電池切れ。その辺にひょいおいたのだが、時絶たずに探すも見当たらない。ベッド付近を探す。みあたらない。あれれ、ぼけてる。こんな時、もう一人の自分を呼び出し、「どこへ置いた」「この辺にちょい置いたのだが」ちょうど、娘が朝の定例訪問。「おれのスマホを呼びだしてくれ」不通。電気が切れていたんだっけ。スマホは目の前で消えた。娘は「ゆっくり探しや」と仕事場へ急ぐ。このあとビレッジのsさんにもスマホ鳴らしてもらった。結果は同じ。こうなると、ミステリー。スマホは「へー」というところから見つかった。なんであんなところにスマホ置いた。「わからへん」ほんまにぼけたんとちゃうか。自分同士が???お騒がわせしました。失せものはどこだ
フルート、テニス、ピアノ、吹矢・・・おっとブログ。もうすぐ90になる。段々友人が次々いなくなった。いま付き添ってくれているのが人でなく趣味たちだ。フルートたちなどだが、テニスはとうに引退。体から消えた。フルートは私にとって名器の「村松君」が付き添ってくれている。音は段々かすれてきたが、村松君がいる。村松君はメーカーの名前だが、これはもう友人だ。一向に上達しない技術にあきずに付き合ってくれている。だから友人なのだ。フルートから出てくる音楽は全部私なのだ。趣味が私の友人
ビレッジの隣人とすれ違って。「車は便利かね」私の使っている押し車を見ながら隣人は話しかけてきた。「便利ですよ」「いくらした?」「おさがりで、もらったから、分からない」「もらった?」「よっぽど、あんたは好かれているんだ」「え?」、「ここはよほどでなければ、好きでなければ人にただで、出せばかなりするものをくれないよ」「大事にしなよ」今日の一言から。会話
新聞社を定年退職した後、神戸の女子大に務めた。その折に大学で知り合った中堀浩和先生が亡くなったという知らを遺族ら頂いた。当時私は大学から頼まれて大学新聞を作っていた。中堀先生は大学ではフランス文学を教えておられた。先生とは一杯飲み屋で知り合い、仲良くなった。先生は以前は、私が住んでマンション近くの龍谷大学でも在任されていたそうで話が広がった。先生とは、飲み屋だけのお付き合いだったが、大きな声で話される豪快な人柄を覚えている。そして「ボードレール」という著作をくださった。ボードレールは有名なフランスの詩人であることは知っていたが、それだけのことで、なぜ仲良く酒を飲んでいたか分からない。多分人柄だろうね。先生とはその後、年賀状だけのお付き合いとなったが、酒を飲みながらいろいろなことを教えてもらったと思っている...中堀先生さようなら
手を伸ばせば延ばせば手が届くような距離に武道館がある。そこへ私は自転車を漕いでゆく。歩道は道幅が広いが、人も自転車もお目にかからない。途中2か所の交差点があり、所要20分かかる。武道館のスポーツ施設に通ってもう3年か。よたすら体のため。ペダルを踏む
時間は1日24時間平等にあるけれど、無駄遣いすると、おくらあっても足りないぞ。そんなことに今頃気がついた。時間の使い方
庭のアヤメが全開。黄色の花びらを広げている。もっとも、未だにわからないのがアヤメかカキツバタか。おぬしなにものか。このところ、天気は絶好調。好天気続きだが、今日は曇り。面白いもので、曇りの日は気持ちが妙に落ち着く。アヤメ全開
今年は正月に襲った能登半島地震のお蔭で、郷里の石川県や金沢市話題がでてきます。先日もNHKテレビをみていたら、郷里の金沢市金石(かないわ)が流れていました。これ見たことがある。全盲の夫婦が5歳の娘を育てていく。あの話や。ナレーションによると、38年の記録といいます。兄弟は知ってるやろか。順々に電話した。兄弟たちは今富山など3か所ばらばらに生活しています。「なつかしかった」というよりも、マッサージしながら子育てをする夫婦の苦労の姿に兄弟たちの感動を集めていました。娘は両親の「目」となって親の道案内をつとめていたことも、記録されていました。それを全部支えていたのが、周りの手でありました。「金石」と「皆月」
久しぶりに一眼レフのカメラを出してブログに使った。え?こんなに重たかった?肩に食い込む重量感溢れるカメラにコイが3尾。pcに画像を入れ込む段で、手順に迷う。え?忘れたの>いやいや。忘れるわけがない。でもドキリ。だから、これからは使わないと。久しぶり一眼レフ
季節は春から初夏?長袖を着たり半袖はまだか。迷ってるうちに、やはゴールデンウィーク。昨日から向かいの保育園に鯉のぼりが大空を泳ぎだした。庭の畑にもチューリップが彩を添える。大空に雲雀がすんだ歌声を奏でる・ここは、平和です。一気に初夏
新聞に100年後の日本の人口は、3000万人になるだろうという予測記事が出ていた。経済学者のM京大教授らのシミュレーション記事だ。え?そんなに少なくなるの?まさか。江戸時代レベルへ。江戸はもっといたんじゃない?近い将来多くの都市が消滅。人は東京と福岡に集中するとか。戦争さえなけば少々はなんでもええ。100年後、3千万人?
古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)いま、フルートで古賀メロディーに夢中だ。特に「悲しい酒」は得意の中心になりつつある。いつの日か近所の人に聞いてもらえたらと思っている。半年前にも小さなコンサートを心掛けた。ところが歯科にかかり、楽器の音がおかしくなって中断したままになっている。古賀メロディ(人生の並木路悲しい酒酒は涙か溜息か影を慕いて)
ぴい、ぴいぴい雲雀の鳴く声が聞こえる。「おはよう」隣の90歳のMさんは鍬で土を掘り起こしている。畑にするらしい。この間から、私は美木良介さんの「「無敵の100歳」を続けている。昼から武道館へ行く。健康教室で足腰を鍛える。お蔭で体の調子はいい、「雲雀が鳴き出した