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  • 芸人世界に自我の欲望の典型を見る。(欲動その7)

    人間は誰しも自らを律しなければ常に堕落する可能性がある。それは、誰しもが快楽を求めて生きているからである。逆に言えば、不快を避け、不快から逃れ、苦痛を避け、苦痛から逃れるために生きているのである。人間の快楽を求めて生きるあり方をフロイトは快感原則と呼んだ。しかし、人間は自ら意識して快楽を求めて思考して行動しているわけではない。人間の自らを意識した精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は表層心理で快感原則で思考して行動していない。人間は無意識のうちに快楽を求めて思考して生きているのである。がから、人間は快楽を求める生き方を変えることができないのである。人間の無意識の精神の活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が快感原則に基づいて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我になっている人間を...芸人世界に自我の欲望の典型を見る。(欲動その7)

  • 性加害と自我の欲望について。(提言13)

    「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損ない、妻子を傷つけ、友人を苦しめ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。」と、中島敦の小説『山月記』で、主人公の李徴が反省の弁を述べている。まさしく、松本人志を猛獣にした性情は異常な性欲である。しかし、李徴と異なり、松本人志は反省していない。なぜ、松本人志は反省していないのか。それは、俗人だからである。人間としての向上心が無いのである。芸人世界では、自我の欲望を満たすことだけを生きる目的としているのである。また、なぜ、松本人志は自らの性情である異常な性欲に身をゆだねたのか。それは、快楽が得られるからである。週刊文春によって松本人志の性加害...性加害と自我の欲望について。(提言13)

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