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ブログタイトル
あるニヒリストの思考
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日々の思いを綴る
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214回 / 365日(平均4.1回/週)

ブログ村参加:2015/03/09

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あるニヒリストの思考さん
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あるニヒリストの思考さんの新着記事

1件〜30件

  • 仲間に入れない人について。(自我その393)

    現代社会において、仲間に入れてもらえないことで悩んでいる人は珍しくない。このことで悩む人は、子供ばかりでなく大人にも存在し、所謂、老若男女にわたって存在する。特に、思春期の若者に多い。確かに、傍から見ると、仲間に入れてもらえないという苦悩はちっぽけなもののように思える。入ろうとしている仲間の個々のメンバーを見ると、大した人がいない。その仲間内の話題も、テレビ番組や噂話など、内容に乏しいものばかりである。仲間で仕事をしなければいけないような必要事ならば、既に、仲間に入れてもらえており、必要な仲間で無いから、入れてもらえたり入れてもらえなかったりの現象が生じるのである。しかし、それでも、人間は、仲間に入りたいのである。仲間には入れないと、寂しく、苦しいからである。それでは、なぜ、仲間には入れないと、寂しく、苦しく感...仲間に入れない人について。(自我その393)

  • 人間は、孤独に、自我を抱きしめて生き、そして、死ぬしかない。(自我その392)

    人間は、孤独に、自我を抱きしめて生き、そして、生きるしかない。それは、人間は、自我の欲望によって生きているからであり、自我の欲望とは、自我の存在を他者に知らしめ、快楽を追求することだからである。人間は、他者を、自我が自らの欲望を追求するための道具、若しくは、目標としている時点で、孤独を感じていなくても、常に、孤独なのである。なぜならば、自我の欲望とは、自我を確保しつつ、他者を支配し、他者を排除し、なおかつ、自我を他者に認めてもらいという欲望であるからである。人間は、自我の欲望を追求しながら、一生を送るのである。さて、自我は、自分や自己とは、微妙に異なっている。自分や自己は、単に、他者に対して、自らを指し示すしかものでしかない。だから、自らを指し示す必要があれば、自分や自己という言葉は、いついかなる時でも、どのよ...人間は、孤独に、自我を抱きしめて生き、そして、死ぬしかない。(自我その392)

  • 自民党という幼児に支配された国。(自我その391)

    毎日新聞によれば、「自民党は、7月31日、国防部会と安全保障調査会が合同会議を開き、党ミサイル防衛検討チームが策定した敵基地攻撃能力の提言を了承し、8月4日、政調審議会で、同提言を了承し、午後、首相官邸に申し入れる方向だ。党ミサイル防衛検討チームの提言は、敵領域内で弾道ミサイルなどを阻止する能力を含め、抑止力向上に向けた新たな要請をしている。北朝鮮が低空かつ変則的な軌道で飛行可能とみられるミサイルの発射実験を実施していると危機感を表明し、空の脅威への対応が喫緊の過大だと記述してある。提言では、敵基地攻撃能力や打撃力の表現を盛り込まなかったが、相手領域内で弾道ミサイルなどを阻止する能力の必要性を強調している。ミサイル阻止の装備をめぐり、攻撃的兵器を保有しないなど、必要最小限に限る方針を維持するように求めている。地...自民党という幼児に支配された国。(自我その391)

  • 人生とは、この世に、自我を刻印することである。(自我その390)

    人間は、自由を希求して生きている。自由であるとは、自我の欲望のままに行動することである。しかし、人間は、意識して思考して、自我の欲望を生み出すことはできない。人間は、無意識のうちに思考して、自我の欲望を生み出している。人間の意識しての思考を、表層心理での思考と言う。無意識の思考を深層心理と言う。つまり、人間の思考には、深層心理の思考と表層心理での思考という二種類が存在するのである。さて、深層心理が生み出す自我の欲望には、目的がある。それは、この世に、自我を刻印することである。つまり、人生とは、この世に、自我を刻印することである。自我を刻印するとは、他者に自我の存在を認めてもらうことである。しかし、自由であるということは自我の欲望のままに行動することであるから、自らが自由であれば他者が不自由であることを意味する。...人生とは、この世に、自我を刻印することである。(自我その390)

  • 現代は、日本の戦争を前にして、個人の覚悟が試されている時代である。(自我その389)

    日本人は、太平洋戦争を起こし、アジアの人々を虐殺、レイプしただけでなく、インドネシアにいたオランダ人女性をレイプし、慰安婦にするなど、残虐の限りを尽くしたが、圧倒的なアメリカの戦力に脅かされ続け、全国各地が焼かれ、挙げ句の果てに、広島、長崎に、原子爆弾を落とされ、惨敗を喫したことを忘れている。やむを得ない戦争、アメリカに引きずり込まれた戦争として、自らの責任を回避している。このままでは、日本は、早晩、戦争をすることになるであろう。日本が、戦争を仕掛けるのではない。アメリカの戦争に巻き込まれるのである。太平洋戦争の言い訳として使っていたアメリカに引きずり込まれた戦争を、文字通り、実践するのである。正確に言えば、アメリカは、自らが引き起こした戦争に、日本を引きずり込み、自衛隊を前線に立たせて戦わせるのである。アメリ...現代は、日本の戦争を前にして、個人の覚悟が試されている時代である。(自我その389)

  • 日本人は忘れることにした。(自我その388)

    玉音放送があるまでは、日本人のほとんどは、太平洋戦争に敗北するとは思っていなかった。明治以来、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変に勝利し、台湾、朝鮮、満州を手に入れ、太平洋戦争を起こすと、中国奥地まで侵略し、東南アジア諸地域を占領した。神の国の皇軍兵士は、太平洋戦争においても、敗北するはずがなかった。指導部が敗戦を覚悟し、アメリカに国体護持(天皇制維持)を約束させるまで、特攻攻撃を繰り返して、戦争を長引かせていたが、それでも、大衆は日本の勝利を信じていた。広島、長崎に原爆を落とされ、敗戦が決定的となった時でも、指導部は、無条件降伏を受け入れるか受け入れないかで二つに分かれ、最後は、天皇の決断で、無条件降伏を受け入れた。玉音放送で、天皇が敗北を受け入れたことを知り、日本人のほとんどは茫然自失の状態となっ...日本人は忘れることにした。(自我その388)

  • 人間は、自我の安定のために、そして、自我を発展させるために生きている。(自我その387)

    ギリシアの哲学者のヘラクレイトスは、「人々が同じ川に入ったとしても、常に違う水が流れている。だから、同じ川に二度と入ることはできない。万物は流転するのだ。」と言った。しかし、ヘラクレイトスは、万物は変化すると共に、対立や矛盾を含んでいると言い、その思考を、「上り坂も下り坂も同じ一つの坂である。」、「水は魚にとっては生だが、人間にとっては死である。」という喩えで示している。そして、「変化、対立、矛盾があることが万物の真理であり、それらを包括した思想を、ロゴスとして、打ち立てなければいけない。」と主張した。ヘラクレイトスの思想は、ヘーゲルに影響を与え、「意見(定立)と反対意見(反定立)との対立と矛盾を通じてより高い段階の認識(総合)に至る」という、弁証法を主体とした哲学を生み出させた。ヘラクレイトスの思想に対して、...人間は、自我の安定のために、そして、自我を発展させるために生きている。(自我その387)

  • 構造体と自我について。(自我その386)

    人間は、快楽を欲望する動物である。しかし、快楽への欲望は、自ら、意識して、思考して、生み出したものではない。無意識のうちに、思考して生み出している。人間の無意識の思考を深層心理と言う。人間の意識しての思考を表層心理と言う。つまり、人間には、深層心理の思考と表層心理での思考という二種類の思考が存在するのである。しかし、ほとんどの人は、自ら意識しながら思考すること、すなわち、表層心理での思考しか知らないから、自ら意識して、自ら考えて、自らの意志で行動し、自らの感情をコントロールしながら、快楽を求めて、主体的に暮らしていると思っている。そこに、根本的な誤りがあるのである。人間は、無意識のうちに、深層心理が、快楽を求めて思考して、人間を動かしているのである。しかし、深層心理が、快楽を追求するには、精神が安定していなけれ...構造体と自我について。(自我その386)

  • 自殺とは、深層心理が生み出した、絶望に追い込まれた者の希望である。(自我その385)

    人間とは、欲望の動物である。欲望は、深層心理が生み出す。深層心理とは、人間の無意識の思考である。しかし、生きるということは欲望ではない。人間は、生きるということを前提とされて生まれているのである。だから、生きているという現象は、自ら意識して思考して生み出した意志によってもたらされたものでもない。人間の意識しての思考を、表層心理での思考と言う。すなわち、人間は、表層心理で、意識して思考して、生きたいという意志を生み出して生きているのではなく、深層肉体の意志によって生かされているのである。深層肉体とは、人間の無意識の肉体の動きである。しかし、深層肉体の意志は、人間の精神にまで入り込めず、肉体に働き掛けることしかできない。だから、自殺は、深層心理が生み出した、他者に支配されたくないという欲望、より良く生きたという意志...自殺とは、深層心理が生み出した、絶望に追い込まれた者の希望である。(自我その385)

  • 人間は、自由を倦む。(自我384)

    人間は、常に、何かに向かって突き進んでいる。人間の何かに向かって突き進んでいる状態を、ハイデッガーは投企と呼んでいる。しかし、実際は、人間は、常に、深層心理によって、何かに向かわされているのであり、表層心理で思考して、意志によって、何かに向かっているのではない。深層心理とは、人間の無意識の思考である。表層心理とは、人間の意識しての思考であり、その思考によって生み出されたものが意志である。すなわち、ハイデッガーの言葉を使えば、人間とは投企された存在なのである。しかし、人間は、深層心理の存在に気付いていないので、自ら、表層心理で思考して、意志によって、何かに向かって突き進んでいると思い込んでいるのである。実際は、深層心理が、快感原則に基づいて思考して、欲望を生み出し、人間を行動へと駆り立てているのである。快感原則と...人間は、自由を倦む。(自我384)

  • 人間は、なぜ、信じるのか。(自我その383)

    人間は、なぜ、信じるのか。それは、信じるものがなければ生きていけないからである。しかし。人間は意識して信じることもあれば、無意識のうちに信じていることもあるのである。つまり、人間は、表層心理という意識しての思考で、その命題が正しいと判断したから信じているばかりでなく、深層心理という無意識の思考で信じていることもあるのである。さて、人間が信じているるものとして、自分の思考、他人の言葉、物の有用性、現象の捉え方などがある。しかし、最も信じなければいけないものは、それらが存在していることである。すなわち、自分の存在、他人の存在、物の存在、現象の存在を信じなければいけないのである。自分、他人、物、現象の存在を信じているからこそ、自分の思考、他人の言葉、物の有用性、現象の捉え方などを信じることができるのである。もちろん、...人間は、なぜ、信じるのか。(自我その383)

  • 人間は、常に、他者を裏切り、自らを裏切る可能性がある。(自我その382)

    人間は、自らにとっても他者にとっても重要なことは、他者と約束をする。なぜ、ことさら、他者と約束をして、他者と自らを束縛する必要があるのか。それは、約束をしなければ、実行しない可能性が高いからである。人間は、自らにとって重要なことは、計画を立てる。なぜ、ことさら、計画を立てて、自らを束縛する必要があるのか。それも、また、計画を立てなければ、実行しない可能性が高いからである。人間とは、自我の欲望によって動かされている動物であり、その自我の欲望は、自ら意識して思考して生み出していず、無意識のうちに、思考して、生み出しているから、刻々と、新しい自我の欲望が生まれており、他者と約束したり、自ら計画を立てたりして、自らを束縛しなければ、自我の欲望の渦に飲み込まれて、重要だと思われたことも、未来において、実行されない可能性が...人間は、常に、他者を裏切り、自らを裏切る可能性がある。(自我その382)

  • 歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。(自我その381)

    マルクスは、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。」と言った。日本が、まさに、それに当てはまるのである。日本人は、過去の失敗が歴史の教訓にならない国民である。現在の日本は、自民党に籠絡され、戦前の政治的不自由に舞い戻ろうとしているのである。太平洋戦争で、あれだけ大きな被害をアジア諸国を中心に与え、あれだけ大きな被害を被っているのに、全く反省していない。靖国神社で祀られている戦死者に対して、「日本のために良く戦った。」と褒め称えている。誰でも、兵士になって戦地に行くと、死にたくないから、良く戦うのである。それよりも、戦地に行く前に、戦争を起こさないように、自分が戦地に行かなくても良いように、体制と戦うのが大切なのは言うまでもない。特攻隊員に対しても、「特攻隊員の死があったから、現在の日本の...歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。(自我その381)

  • 大和魂とおもてなしに潜む歪んだ国民性について。(自我その380)

    旅の恥は掻き捨てという慣用句がある。言うまでもなく、旅先では知人もいないし、長くとどまることもないので、普段なら恥ずかしくてできないような行いも平気でするものだという意味である。これが、日本人の国民性の特徴の一つである。しかし、日本人は、大和魂とおもてなしが特徴だと思っている。大和魂とは、日本民族固有の精神とされ、私心が無く、勇猛で、潔いことを意味する。近世以降、国粋主義思想の下で盛んに使われた言葉である。戦前の大日本帝国時代の軍部、そして、大衆において、共通の合い言葉であった。現代においても、サムライ精神などと日本人が自負するのは、この精神である。おもてなしとは、丁寧に親切に接することをいう。日本人は、自らは、分け隔て無く、すなわち、人によって扱いに差別なく、丁寧に親切に接していると思っている。しかし、大和魂...大和魂とおもてなしに潜む歪んだ国民性について。(自我その380)

  • おもてなしの裏にある醜い国民性について。(自我その379)

    島国根性とは、外国人と交流が少ないために、視野が狭く、保守的で、閉鎖的で、こせこせとしてゆとりのない気質を意味する。日本人の気質とは、まさしく、島国根性である。日本在住の外国人や外国人旅行者が増えても、おもてなしを隠れ蓑にして、外国人の考え方や生き方を学ぶことが無いから、自らの考え方や生き方を反省することが無く、島国根性から脱することができないのである。視野が狭く、保守的で、閉鎖的だから、安倍晋三首相が数え切れないほどの悪行を働いても、現在も政権を維持できているのである。しかし、それは、安倍晋三首相だけではなく、戦後の自民党政治は不祥事の連続であったが、長期政権を維持してきたのである。こせこせとしてゆとりがないから、アメリカに操られ、アメリカ製の高価な兵器を大量に買わされ、日米安保条約や日米地位協定によって、各...おもてなしの裏にある醜い国民性について。(自我その379)

  • 人間は、本質的に、ありのままに見ることはできない。(自我その378)

    人間は、志向性によって、他者・物・現象という対象を捉えている。それを、有の無化作用と言う。志向性とは、対象に向かう観点・視点である。志向性は、深層心理に存在している。深層心理とは、人間の無意識の思考である。つまり、人間は、無意識のうちに、深層心理が、有の無化作用を行い、志向性によって、他者・物・現象という対象を捉えているのである。だから、「おまえの見方には、バイアスが掛かっているために、正しく見ることができず、偏った見方になっている。」、「人を色メガネで見てはいけない。」、「先入観を捨てろ。」などと非難する人が存在するが、人間は、バイアスを取って見ることも、色メガネを外して見ることも、先入観を捨てて見ることもできないのである。もしも、人間は、バイアスを取れば、色眼鏡を外せば、先入観を外せば、何も見えなくなってし...人間は、本質的に、ありのままに見ることはできない。(自我その378)

  • 自我と他者について。(自我その377)

    ドイツの哲学者のハイデッガーは、「現存在は世界内存在している」と言う。現存在とは、端的に言えば、人間を意味する。ハイデッガーが人間と表現せず「現存在」と表現したのは、人間は、他の生物と異なり、自己の存在を了解しつつ世界に関わって生きているからである。他の生物も世界と関わって生きているが、人間だけが自己の存在を了解して生きているのである。しかし、人間は、意識して、思考して、自己の存在を了解しているのでは無い。人間は、無意識のうちに、思考して、自己の存在を了解しているのである。すなわち、深層心理が、自己の存在を了解しているのである。深層心理とは人間の無意識の思考であり、表層心理が人間の意識しての思考である。ハイデッガーは、よく、「先駆的に了解している」、「あらゆる思考や反省に先立って思考している」などと表現するが、...自我と他者について。(自我その377)

  • 人間は、なぜ、安定感や充実感や快楽などの快感を求めるのか。(自我その376)

    誰しも、安定感や充実感や快楽などの快感を求めて生きている。なぜならば、言うまでもなく、安定感や充実感や快楽などは快感と表現されるように、心地良いからである。人間は、単に、心地良さに惹かれて生きるように、作られているのである。しかし、安定感や充実感や快楽などの快感は、自分の意志では生み出すことはできない。深層心理が求める行為を行えば、それらが与えられるのである。深層心理とは、人間の無意識の思考である。だから、人間は、深層心理が仕向けた生き方をしているのである。深層心理は、人間に欲望を持たせて、そのように仕向けているのである。つまり、人間は、自らが意識して思考して生み出していない欲望、すなわち、深層心理が生み出した欲望によって動かされて生きているのである。つまり、人間は、深層心理が生み出す欲望の海に浮かべられ漂う小...人間は、なぜ、安定感や充実感や快楽などの快感を求めるのか。(自我その376)

  • 人間は、虚構の中で、虚像を創造し、欲望に動かされて生きている。(自我その375)

    人間は、虚構の中で、虚像を創造し、欲望に動かされて生きている。しかし、実在しているものやことの中で、理性によって思考して、実像を創造しながら生きていると思い込んでいるのである。深層心理が、そのように、思い込ませているのである。深層心理とは、人間の無意識の思考である。深層心理が、虚構の中の虚像の創造を、実在の中の実像の創造だと思い誤らせていることが、人間に惨劇・悲劇をもたらしている根本の原因である。人間にとって、実在しているものは、深層肉体の意志だけである。深層肉体の意志は、ひたすら生き続けようという意志であり、深層心理と同様に、人間の無意識のうちに働き、他の何ものからも影響を受けない。しかし、これは、人間のみに存在するのではなく、全ての生物に共通に存在している。しかも、他の生物と同様に、それは、人間が誕生後生み...人間は、虚構の中で、虚像を創造し、欲望に動かされて生きている。(自我その375)

  • 切れやすいのは、深層心理が敏感であるために、心が弱く、傷付きやすいからである。(自我その374)

    人間は、深層心理が、構造体の中で、自我を主体に立てて、欲動に基づいて、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、それによって行動するのである。だから、人間は、絶対的な自由観や主体性観から、自らを解放させなければならないのである。人間は、他者が行動を束縛していなくても、他者に思考を束縛されていなくても、絶対的に自由になることも絶対的な主体性を抱くこともできないのである。なぜならば、人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持たなければ生きていけないからである。また、人間は、自ら意識して思考すること、すなわち、理性を過信してはならない。なぜならば、人間は、深層心理が思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、それに動かされて行動しているからである。人間の意識しての思考を、表層心理での思考と言う...切れやすいのは、深層心理が敏感であるために、心が弱く、傷付きやすいからである。(自我その374)

  • 死は、明日への希望が途切れるさせるが、それは絶望であるか。(自我その373)

    テレビのニュース番組が、時折、独居老人の孤独死が報道する。腐敗がかなり進んでいる死体が発見され、亡くなったことが誰にも気付かれず、何日も、時には、何ヶ月も、放置されていたと考えられる。コメンテーターから、誰にも看取られずに死ぬだけでもかわいそうなのに、死体がそのままにされているとは何てかわいそうな人なんだろうという同情の声が上がる。しかし、人間は、自分の意志に関わりなく生まれ、自分の意志に関わりなく生きているのだから、誰にも看取られずに死に、死体が放置されているようなことがあるのは、当然のことである。人間は、生まれるやいなや、ひたすら生きようとする。いや、胎児の頃から、ひたすら生きようとしている。肉体には、常に、ひたすら、生きようとする意志があるのである。常にひたすら生きようとする意志を持した肉体を深層肉体と言...死は、明日への希望が途切れるさせるが、それは絶望であるか。(自我その373)

  • 人間は、意志無く生まれ、意志無く生き、意志無く死んでいくしかないのか。(自我その372)

    人間は、気が付いたら、そこに存在しているのである。人間は、誰しも、意志無く生まれている。つまり、偶然に、誕生しているのである。しかし、それでも、ひたすら生きようとする。肉体に、常に、生きようとする意志があるからである。しかし、その意志は、自らが生み出したものではない。肉体が、誕生とともに、有している意志である。だから、人間は、この意志に気付いていない。だから、人間は、深層肉体を動かすことはできない。この人間をひたすら生かせようとする意志を持った肉体を深層肉体と言う。深層肉体の人間をひたすら生かせようとする意志には、全く、迷いは存在しない。しかし、人間には、自らの意志によって、動く肉体も存在する。それが、表層肉体である。深層肉体は、精神や肉体がどんな状態に陥ろうと、ひたすら生きようとする。自殺は、深層肉体の意志に...人間は、意志無く生まれ、意志無く生き、意志無く死んでいくしかないのか。(自我その372)

  • 人間に、何ができるのか。そして、自分に、何ができるのか。(自我その371)

    人間に、何ができるのか。人間は、ただ、単に、欲望に操られているだけの存在ではないのか。人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に操られて生きているだけではないのか。そして、その人間の一人として、自分に、何ができるのか。それに答えるには、人間の深層心理と表層心理のあり方、そして、自分自身の深層心理と表層心理の特徴を理解する必要がある。人間には、深層心理の思考と表層心理での思考という二種類の思考が存在する。深層心理の思考とは無意識の思考であり、表層心理での思考とは意識しながらの思考である。しかし、ほとんどの人は、深層心理の思考に気付いていない。深層心理の思考に対しては、無意識の行動というような、例外的な活動にしか認めていないのである。思考の中心は表層心理でのものだと思っているのであるのである。そして、自ら、主体的に、意...人間に、何ができるのか。そして、自分に、何ができるのか。(自我その371)

  • 人生とは、与えられ、逃れられない、死を賭けたゲームである。(自我その370)

    人間は、誰しも、自分で選択して生まれてきたのではない。気が付いたら、そこに存在しているのである。人間には、誰一人として、誕生するか否かの選択権は与えられていないのである。つまり、生の自由は存在しないのである。しかし、それでも、人間は、確かに、誕生の選択権、すなわち、生の選択権は有していないが、自分の意志で人生を終わらせられる権利、すなわち、死の選択権は有しているように思われる。つまり、死の自由が存在しているように思われる。しかし、肉体はどんな状況においても生きようとしているのに、精神が死を選択するのはあまりに残酷な仕打ちである。つまり、人間は、自分の意志に関わりなく生を与えられのだが、どんな状況においても生き続ける肉体の意志を有しているのである。しかし、人間の中には、自殺によって、人生を終わらせる人が数多く存在...人生とは、与えられ、逃れられない、死を賭けたゲームである。(自我その370)

  • 心が傷付きやすい人へ。(自我その369)

    多くの人は、誤解している。感情の起伏が激しくいきなり殴り掛かるなどの乱暴を働く人を心が強い人だと思っている。そうではなく、乱暴な人は心が傷付きやすく、その傷付いた心を早く回復させるために乱暴を働くのである。しかし、傷付きやすい心を持っているか傷付きにくい心を持っているかは、先天的なもので、本人にはどうしようもできない。一生変わることはないのである。なぜならば、心とは、深層心理であり、意志では、どうすることもできないのである。深層心理の敏感、鈍感は、人間は、意志によっては、どうすることもできないのである。なぜならば、深層心理とは、人間の無意識の心の働きだからである。つまり、人間は、無意識という深層心理の働きによって心が傷付いているのである。人間には、深層心理の思考と表層心理での思考という二種類の思考が存在するので...心が傷付きやすい人へ。(自我その369)

  • 人間は、誰しも、心の中に、自我の欲望という悪魔を抱えている。(自我その368)

    どうやら、コロナウィルスは、人類を絶滅しないままに、終息しそうである。それは、人間にとっては幸運なことであるが、人間以外の地球上の生物にとっては不運なことである。なぜならば、人間だけが、地球に、回復できないような害毒をもたらしているからである。人間によって滅ぼされた生物は、数限りない。現代においても、毎年、百種類ぐらいの生物が、人間によって絶滅されていると言われている。日本でも、20世紀において、ほ乳類だけでも、エゾオオカミ、ニホンオオカミ、コウノトリ、トキ、ニホンカワウソ、エゾカワウソなどが、人間によって滅ぼされている。人間は、ライオン、虎などの肉食動物が草食動物を襲う様子に目を覆う。しかし、肉食動物は、生きるために狩りをするのであって、快楽のために狩りをするのは、人間だけである。人類が、最も残酷な動物なので...人間は、誰しも、心の中に、自我の欲望という悪魔を抱えている。(自我その368)

  • 大衆は、常に、時代の共犯者である。(自我その367)

    人間は、誰しも、大衆として育つ。それは、大衆に育てられるからではない。自我を持つやいなや、自我の欲望のままに行動しようとするからである。自我の欲望のままに行動するとは、簡潔に言えば、わがままに行動することである。大衆とは、権力者に頼ったり、多勢を利用したりして、無勢の他者に対して、自我の欲望のままに行動しようとする、すなわち、わがままを通そうとする集団なのである。さて、それでは、自我とは、何か。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。構造体とは何か。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体と自我の関係について、具体的に言えば、次のようになる。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教頭・教諭・生徒などの自我があり、クラスと...大衆は、常に、時代の共犯者である。(自我その367)

  • 気分と感情こそ存在の証である。(自我その366)

    デカルトは、「方法序説で」で、「コギトエルゴスム」と述べた。一般に、「コギト」と略されて呼ばれている。「我思う、故に、我あり。」と翻訳されている。「私はあらゆる存在を疑うことができる。しかし、疑うことができるのは私が存在しているである。だから、私はこの世に確実に存在しているのである。」という意味である。しかし、論理は危うい。もしも、デカルトの言うように、悪魔が人間をだまして、実際には存在していないものを存在しているように思わせ、誤謬を心理のように思わせることができるのならば、人間が疑っている行為も実際は存在せず、疑っているように悪魔にだまされているかもしれないからだ。また、そもそも、人間は、自分がそこに存在していることを前提にして、いろいろな活動をしているのであるから、自分の存在を疑うことは意味をなさないのであ...気分と感情こそ存在の証である。(自我その366)

  • 人間は、他者には正義を要求し、自らは欲望に生きようとする。(自我その365)

    人間は、他者には正義を要求し、自らは欲望に生きようとする。どれだけ知りたくなくても、これが人間の真実の姿である。大衆は、自らに社会的な力が無いから、政治権力者の力や多数派の力を借りて、少数派の庶民に正義を要求する。コロナウィルス騒動に便乗した自警団はその典型である。政治権力者は、その政治権力に物を言わせて、国民に正義を要求し、自らの欲望を追求する。人間が政治家になろうとするのも、国会議員が総理大臣になろうとするのも、そのためである。だから、安倍首相が、北朝鮮の日本人拉致は不当だと抗議し、韓国政府が不誠実だとして、徴用工問題に対抗して、半導体材料の輸出を規制する一方で、森友学園、加計学園、桜を見る会、黒川問題などで悪行を重ねて自我の欲望を満たそうとするのである。大衆の支持率が高いから、このような悪行を重ねることが...人間は、他者には正義を要求し、自らは欲望に生きようとする。(自我その365)

  • 大衆と知識人の政治的意見・行動の乖離について(自我その364)

    大衆と知識人の違いは学歴や身分の違いではない。政治的意見において、その違いは明瞭に現れるのである。それは、自らの愛国心の扱い方の違いである。大衆は、自らの愛国心のみから自国の利益を追求し、他国民の愛国心に考慮しないのである。大衆にとって、他国民の愛国心を考慮することは、敗者のすることなのである。だから、他国と利害の対立が生じても、あくまで自国の利益にこだわり、最後には、軍事力で解決しようと考えるのである。だから、他国と利害の対立が生じて、大衆が沈黙するのは。相手の国が強国の時である。中には、それでも、戦争に訴えようとする人も存在する。自らの愛国心に執着するあまり、そのような意見を吐くのである。だから、大衆には、庶民はもちろんのこと、政治家にも官僚にも存在する。確かに、知識人にも愛国心があるが、どの国の国民にも愛...大衆と知識人の政治的意見・行動の乖離について(自我その364)

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