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ブログタイトル
あるニヒリストの思考
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https://blog.goo.ne.jp/zituzonn
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日々の思いを綴る
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140回 / 365日(平均2.7回/週)

ブログ村参加:2015/03/09

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あるニヒリストの思考さん
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あるニヒリストの思考さんの新着記事

1件〜30件

  • 自我として生きている人間の可能性と限界について。(自我その508)

    深層心理が人間を動かしている。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。人間は、誰しも、朝起きると、学校・職場に行くことを考えて不快になることがある。この、学校・職場に行くことを考えて不快になることは、自らの意志ではなく、深層心理が行ったことなのである。人間が、無意識のうちに、深層心理が思考して、不快な感情と学校・職場に行かないでおこうという行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。しかし、たいていの場合、不快な気持ちに振り伐り、登校・出勤する。それは、超自我という機能が働いたからである。超自我とは、自我に毎日同じことをさせ、ルーティーンを守らせる機能である。深層心理には、超自我という機能も存在するのである。超自我が、ルーティーンから外れた自我の欲望を抑圧しようとするのである。もしも、超自我の抑圧が功を奏...自我として生きている人間の可能性と限界について。(自我その508)

  • 苦痛が思考を生み、思考の方向性を決めている。(自我その507)

    パスカルに、「人間は考える葦である。」という有名な言葉がある。言うまでも無く、人間の尊厳は考えることにあるという意味である。しかし、人間は、苦痛が無い時には考えない。人間は、苦痛があるから考えるのである。人間は、苦痛があるから、その苦痛から抜け出す方法を考えるのである。人間は、肉体的にしろ精神的にしろ、苦痛があるから、自らの現在の状態を意識して考え、その苦痛から抜け出す方法を考えるのである。パスカルも、苦痛があったから考えたのである。精神的な苦痛があったから、その苦痛から抜け出す方法を考えたのである。しかし、肉体的な苦痛にしろ精神的な苦痛にしろ、人間は、自らが意識して考え、自ら意志して、自らにもたらしたものではない。誰が、好き好んで、苦痛を持ちたいと思うだろうか。「若い時の苦労は買ってでもせよ」という諺がある。...苦痛が思考を生み、思考の方向性を決めている。(自我その507)

  • 生きがいの無い、代わり映えのしない日々の生活について。(自我その506)

    人間は、一人では、生きていけない。そして、本質的に、変化に対応できない。だから、人間は、毎日、同じようなことを繰り返して暮らしている。ルーティーンの生活を送っている。毎日、家族の中で息子として会話をし、学校へ行って生徒として勉強し、会社へ行って社員として働き、コンビニに立ち寄って客として買い物をし、仲間と友人として戯れ、カップルで恋人としてデートを楽しむ。人間は、毎日、同じ構造体で、同じ自我を持って、同じようなことをして暮らしている。構造体とは、組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、暮らしているのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、...生きがいの無い、代わり映えのしない日々の生活について。(自我その506)

  • 快楽と精神疾患について。(自我その505)

    人間は、快楽を得るために生きている。快楽とは、言うまでも無く、快い感情である。人間は、自我が他者に認めてもらえれば快楽を得ることができるので、自我が他者に認めてもらえるように行動する。人間は、自我が他者を支配できれば快楽を得ることができるので、自我が他者を支配できるように行動する。人間は、自我が他者と心の交流ができれば快楽を得ることができるので、自我が他者と心の交流ができるように行動する。つまり、人間は、快楽を得るために、自我が他者に認めてもらえるように、自我が他者を支配できるように、自我が他者と心の交流ができるように行動するのである。しかし、人間は、なぜ、自我が他者に認めてもらえれば快楽を得ることができ、自我が他者を支配できれば快楽を得ることができ、自我が他者と心の交流ができれば快楽を得ることができるかがわか...快楽と精神疾患について。(自我その505)

  • 人間は、与えられた自我に、どうして執着するのか。(自我その504)

    人間は、常に、構造体に所属し、自我を持して活動している.。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、ポジションが与えられ、その欲目を果たそうとしている自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、銀行、店、電車、仲間、夫婦、カップルなどがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、銀行という構造体では、支店長・行員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻の自...人間は、与えられた自我に、どうして執着するのか。(自我その504)

  • 自分を政治権力者と大衆に変えられないために。(自我その503)

    政治権力者とは、何か。自我の欲望を達成するために、政治権力を使う人である。大衆とは、何か。自我の欲望を達成するために、ある時には、権力者に寄りかかり、ある時には、群がる人々である。さて、自我とは何か。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。政治権力者とは、国という構造体で、総理大臣、国会議員などの自我をを持った人である。大衆とは、国という構造体で、国民という持った人たちである。国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社...自分を政治権力者と大衆に変えられないために。(自我その503)

  • 我慢することの意味、我慢の限界について。(自我その502)

    人間には、我慢が必要である。我慢とは、自我の欲望を抑圧することである。人間に我慢するという機能が存在しなければ、既に、人類は滅びていただろう。なぜならば、人間は、誰しも、自我の欲望として、他者を殺したいという欲望を持つことがあるからである。その欲望通りに行動すれば、毎日、無数の人殺しが行われ、人類は、どれほど、維持できるだろうか。幾ばくと無く、滅びるだろう。人間は我慢するという機能があるから、人殺しは、現在の数値のように抑えられ、世界的に、年々、人口が増えているのである。しかし、人間には他者を殺したいという自我の欲望は抑圧する機能が存在すると言っても、常にその他者を殺したいという自我の欲望を抑圧できるわけではない。他者を殺したいという自我の欲望が強過ぎる場合、抑圧することができずに、人殺しは実行されるのである。...我慢することの意味、我慢の限界について。(自我その502)

  • 人間は理性的な動物ではない。自我の欲望が理性を動かしている。(自我その501)

    人間は、霊長類に属していると言われている。霊長類は、全動物中最も進化していて、最も知能が高い動物である。しかし、人間は、何に最も進化しているのか。何に最も知能を使ってきたのか。それは、他の人間を支配することである。人間は、他の人間を支配することにに最も進化し、他の人間を支配することに最も知能を使ってきたのである。だから、これまで、集団による集団に対する殺人、集団による個人に対する殺人、個人による個人に対する殺人が繰り返され、現在も、至る所で、行われているのである。しかし、その殺戮は、理性によって考え出されたのではない。深層心理が考え出したのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。深層心理が、人間の無意識のうちに、思考して、怒り・憎しみなどの感情と襲撃しろ・殺せなどの行動の指令という自我の欲望を生み出...人間は理性的な動物ではない。自我の欲望が理性を動かしている。(自我その501)

  • 人類が存在する限り、永遠に、人殺しは続く。(自我その500)

    人類に未来など存在しない。人類が存続すれば存続するほど、人殺しの数が増えていくだけである。人間は、これまで、いかに遠くから、いかに短い時間で、いかに多くの人間を殺すことができるかという志向性で、大量破壊兵器を開発してきた。そして、核兵器にたどりついた。これからは、核兵器以上に有効な大量破壊兵器を研究して生み出すだろう。人類に待っているのは、無数の無意味な殺し合いによる滅亡である。なぜ、人類が存続する間、人殺しは続くのか。それは、人間は、自我に執着して生きているからである。しかし、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、自我に執着しているのではない。深層心理が、人間を自我に執着させているのである。深層心理とは、人間の無無識の精神活動である。だから、人間は、自ら意識せず、自ら意志しなくても、深層心理によって、自我...人類が存在する限り、永遠に、人殺しは続く。(自我その500)

  • 我々に何が見え、何ができるか。(自我その499)

    人間は、常に、志向性によって、他者・物・現象という対象を捉えて、行動している。志向性とは、対象を捉える方向性である。端的に言えば、観点・視点である。しかし、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、志向性を使って、他者・物・現象という対象を捉えているのではない。人間の意識した精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理で、志向性を使って、思考して、他者・物・現象という対象を捉えているのではない。人間は、無意識のうちに、志向性を使って、思考して、他者・物・現象という対象を捉えているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が、志向性を使って、思考して、他者・物・現象という対象を捉えているのである。これが、深層心理の対象への対自化という志向性である。さて、ドイツの哲学者のカントは、...我々に何が見え、何ができるか。(自我その499)

  • 人間に、生きる意味など、最初から無い。それでも、生きていく。(自我その498)

    人間に、生きる意味など、最初から無い。人間は、気が付いたら、そこに存在している。人間は、誰しも、意志無く生まれている。つまり、偶然に、誕生しているのである。しかし、それでも、ひたすら生きようとし、考えようとしている。しかし、人間は、自ら意識して、生きようとし、考えようとしているのではない。人間は、肉体に、常に、生きようとする意志があるから、生きていけるのである。そして、人間は、精神に、常に、考えようとする意志があるから、考えていけるのである。人間の自らは意識していない、生きようという意志を持った肉体の活動を深層肉体と言う。人間の自らは意識していない、考えようという意志を持った精神の活動を深層心理と言う。つまり、深層肉体と深層心理が人間を生かしているのである。すなわち、人間は、自らは気付いていないが、自らの深層肉...人間に、生きる意味など、最初から無い。それでも、生きていく。(自我その498)

  • 心神喪失者、心神耗弱者、健常者について。(自我その497)

    一般に、心神喪失は、「精神機能の障害によって、自らの行為に対して、是非判断の弁別が全くできない状態。泥酔、麻酔などによる一時的なものと精神病などによる継続的なものがある。刑法では、心神喪失者は、責任無能力者として、その行為を罰しない。」と説明されている。心神耗弱は、「精神機能の障害によって、自らの行為に対して、是非判断を弁別する能力が著しく低い状態。心神耗弱者の行為は、限定責任能力者として刑が軽減される。飲酒による酩酊や神経衰弱、知的障害、老衰などがある。精神病質が責任能力の有無、程度についてに影響するかどうかについては争いがある。」と説明されている。心神喪失者、心神耗弱者に対立するのが、健常者である。一般に、健常者は、「傷害が無く、健康な人。」と説明されている。一般に、心神喪失者、心神耗弱者、健常者であるかが...心神喪失者、心神耗弱者、健常者について。(自我その497)

  • あなたはいない。そこには、深層心理に動かされている自我がいるだけである。(自我その496)

    「あなたは何。」と尋ねられても、人間は、誰しも、常に、同じ言葉で答えているわけではない。なぜならば、人間は、構造体によって、異なった自我を所有しているからである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構...あなたはいない。そこには、深層心理に動かされている自我がいるだけである。(自我その496)

  • スッピンと化粧、ありのままとぶりっ子について。(自我その495)

    17世紀のフランスの思想家であるモンテーニュは、「私たちの職業の大部分は芝居のようなものだ。世界全体が芝居を演じている。自分は自分の役をしかるべく演じなければならない。しかし、仮の人物を務めていることを忘れてはならない。仮面と外観を自分の実体であると思ったり、借り物を自分自身のものだと思い込んだりしてはならない。私たちは肌着と皮膚とを区別することができない。おしろいは顔に塗れば十分で、心にまで塗る必要は無い。」と言う。モンテーニュは、職業は食べていくために必要なものであり、まじめにこなせば良いが、そこに、自分自身は存在せず、芝居を演じているようなものだと言うのである。しかし、モンテーニュは、人間を理解していない。人間は、職業に就いて仕事をしている時、演じているのではなく、職業人になりきっているのである。だから、...スッピンと化粧、ありのままとぶりっ子について。(自我その495)

  • 夢も希望も絶望も苦しみも、深層心理によって与えられたものでしかない。(自我その494)

    人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていない。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。気が付いたら、そこに人間として存在していたのである。だから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。つまり、人間は、自らの意志で誕生していないから、主体性無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、自らに主体性が無いことに気付き、疑問を覚えるのである。しかし、自らの意志によって生まれてきていず、主体性が無いことは、他の動物、植物も同じである。しかし、人間には、他の動物、植物と異なるところがある。それは、言葉を持っていることである。他の動物、植物は言葉を持っていないから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けら...夢も希望も絶望も苦しみも、深層心理によって与えられたものでしかない。(自我その494)

  • 人間は地獄から脱することができるのだろうか。(自我その493)

    人間が地獄から脱するのは至難の業である。それには、三つの理由がある。一つ目の理由は、人間は、快楽を求めて生きているが、快楽は、深層心理が自我の現況を認識して生み出し、快楽への行動も、深層心理が思考して生み出すことである。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。構造体とは、国、家族、学校、会社、仲間、カップルなどの人間の組織・集合体である。構造体と自我の関係は、具体的には、次のようなものになる。国という構造体には総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には校長・教師・生徒などの自我があり、会社という構造体には社長・部長・社員などの自我があり、仲間という構造体には友人という自我があり、カップルとい...人間は地獄から脱することができるのだろうか。(自我その493)

  • この世の地獄とは何か。(自我その492)

    サルトルは「地獄とは他者のことである」と言った。芥川龍之介は「この世は地獄よりも地獄的である。」と言った。なぜ、地獄とは他者のことであり、この世は地獄よりも地獄的なのか。それは、人間は、他者から、認められて、初めて幸福感を得ることができるからである。つまり、自分のことをどのようにすばらしい人間だと思っていても、他者がそれを認めなければ、そのすばらしさは無意味なのである。人間は、他者から認められて、初めて、満足でき、幸福感が得られるからである。しかし、人間は、他者に、悪評価・低評価されていても、他者の気持ちを容易に変えることができないのである。それでも、人間は、どのようにすれば他者から認められるか考えたり、他者から認められると思われる目標を立てて努力したり、他者から認められない自分のどこが悪いか反省したりするので...この世の地獄とは何か。(自我その492)

  • 他者に期待するな。自我に期待するな。(自我その491)

    人間は、救われない動物である。なぜならば、自分は正しく判断をして生きていると思っているが、実は、深層心理が自我愛によって生み出す自我の欲望に駆られて生きているからである。しかも、他者には正しい判断を求めて、自分自身は自我の欲望に駆られて生きているのである。人間は、誰しも、自分は深層心理が自我愛によって生み出す自我の欲望に駆られて生きているのに、他者には正しい判断を求め、他者が正しい判断を判断すれば、自分が好評価・高評価されると思っているから、悲劇が絶えないのである。自分が他者に誠意を尽くせば、他者が自分を正しく判断して、自分を好評価・高評価すると思っているから、悲劇が絶えないのである。他者が自分を好評価・高評価するのは、自分の誠意が認められたからではなく、自分の思考や行動が他者の欲望に合致したからなのである。人...他者に期待するな。自我に期待するな。(自我その491)

  • ルーティーンと法則について。(自我その490)

    人間は、毎日、同じようなことを繰り返して暮らしている。ルーティーンの生活を送っている。毎日、家で機械をもてあそび、学校へ行って勉強し、会社へ行って働き、店に立ち寄って買い物をし、仲間と戯れ、カップルで楽しむ。人間は、毎日、構造体で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。人間は、毎日、家、学校、会社、店、仲間、カップルなどの構造体で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル...ルーティーンと法則について。(自我その490)

  • 人間に良心はあるか。人間に力はあるか。(自我その489)

    人間に良心はあるか。人間は、誰しも、良心を持っている。しかし、それは自我の欲望を満たす時と他者に評価される時に現れ、自我の欲望と対立すれば消えていくのである。それほどまでに、自我の欲望が強大であり、人間を動かしているのである。人間に力はあるか。人間は、誰しも、力を持っている。政治権力者は自我の欲望によって力を発揮する。しかし、大衆にとって、それは自分の無力を耐えるための力である。自分の無力を正当化するための思考が自我の欲望によって生み出され、政治権力者の残虐非道な行為に抗することができないという自分の無力を忘れていくのである。だから、国外、国内において、政治権力者が自我の欲望によって大衆に対して残虐非道のことを行い、大衆は自我の欲望によって自分の無力を正当化して、政治権力者の残虐非道な行為を忘れようとしているの...人間に良心はあるか。人間に力はあるか。(自我その489)

  • 人類に絶望しても、誰も信じられなくても、人間は生きていく。(自我488)

    ハイデッガーは、「有史以来、人類は、一度なりとも、人間として存在したことはない。」と言う。現在とて例外ではない。人類は絶望的な状況にある。国外では、ミャンマーでは、軍部がクーデターを起こして、政治権力を奪い、デモ行進をする民衆を、兵隊と警官が無差別に射殺している。国連が頼りのはずなのに、中国とロシアが反対し、非難声明すら出せないでいる。ナイジェリアでは。イスラム過激派組織ボコ・ハラムが、西洋式の教育を行っていると批判し、学校を襲撃し、数百人単位で生徒を連れ去り、男子生徒を兵士に仕立て上げ、女子生徒をレイプしている。中国共産党政府は、香港に介入し、民主派政治家を逮捕し、中国の支配下におこうとしている。中国共産党政府は、ウイグル自治区では、イスラム教徒を逮捕し、強制収容所に送り、男性を拷問死し、女性をレイプしている...人類に絶望しても、誰も信じられなくても、人間は生きていく。(自我488)

  • 人間の根本的な矛盾について。(自我487)

    人間は、自らの内に道徳観や社会規約を守る気持ちがあり、それに則って生きていると思っている。つまり、良心に従って生きていると思っている。しかし、人間は、自我の欲望に従って生きているのである。しかも、他者には道徳観や社会規約を守ることを要求し、自らは自我の欲望に従って生きているのである。この矛盾が、人間界に悲劇、惨劇を生み、この世を地獄に化しているのである。ニーチェは、「人間の認識する真理とは、人間の生に有用である限りでの、知性によって作為された誤謬である。」と言う。人間が自らの内に道徳観や社会規約を守る気持ちがあり良心に則って生きていると思い込んでいるのは、自らを正当化でき、生きていく上で「有用」だからである。しかし、時折、自らが自我の欲望に従って生きていることに気付く人が現れ、その人は自らに絶望するのである。そ...人間の根本的な矛盾について。(自我487)

  • 人間の根本的な誤解について。(自我486)

    なぜ、国外政治においても国内政治においても、悪事が横行しているのか。国外政治においては、ミャンマー国軍がクーデターを起こして、政治権力を奪い、デモ行進をする民衆を、兵士と警官が無差別に射殺している。国連が頼りのはずなのに、中国とロシアが反対し、抑圧の行動を取れないでいる。ナイジェリアでは。イスラム過激派組織ボコ・ハラムが、西洋式の教育を行っていると批判し、学校を襲撃し、数百人単位で生徒を連れ去り、男子生徒を兵士に仕立て上げ、女子生徒をレイプしている。中国共産党政府は、香港に介入し、民主派政治家を逮捕し、中国の支配下におこうとしている。中国共産党政府は、ウイグル自治区では、イスラム教徒を逮捕し、強制収容所に送り、男性を拷問死し、女性をレイプしている。北朝鮮では、金正恩が独裁政治を敷き、理由無く、民衆を殺している。...人間の根本的な誤解について。(自我486)

  • 自我の欲望とは何か。(自我その485)

    人間は、常に、構造体に所属して、自我を持って行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構...自我の欲望とは何か。(自我その485)

  • あなたは、明日も、今日と同じように過ごすことができるだろうか。(自我その484)

    あなたは、朝、目覚めると、今日しようとしていることや今日しなければいけないことを思って、楽しくなるような前向きの気持ちか憂鬱になるような後ろ向きの気持ちかになるだろう。しかし、その気持ちは、あなたが、自ら意識して、今日しようとしていることや今日しなければいけないことのことを考えたために生まれてきたのではない。深層心理が、あなたの無意識のうちに、今日しようとしていることや今日しなければいけないことのことを思考して、楽しくなるような前向きの気持ちか憂鬱になるような後ろ向きの気持ちを生み出しているのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。だから、人間の生活は、無意識の思考から、すなわち、深層心理の思考から始まるのである。そして、あなたは、深層心理の思考に従って、今日、家に引き籠もっていれば、明日も、今日と...あなたは、明日も、今日と同じように過ごすことができるだろうか。(自我その484)

  • 人間の尊厳は苦悩することにある。(自我その483)

    人間の尊厳は苦悩することにある。苦悩とは、苦痛の下で、その苦痛から抜け出す方法を、自ら意識して考えることである。人間は、誰しも、苦痛を厭う。しかし、精神的にしろ肉体的にしろ、苦痛が無ければ、人間は、意識して思考しないのである。苦痛があるからこそ、人間は、苦痛の下で、その苦痛から抜け出す方法を、自ら意識して考えるのである。しかし、肉体的な苦痛は、病気や怪我が原因だから、その箇所を修復すれば苦痛が取り除かれるので、対応の方向性は明確である。問題は精神的な苦痛である。まず、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、精神的な苦痛を生み出していない。誰が、自ら意識して、自らの意志によって、苦痛を自らにもたらすだろうか。人間の自ら意識すること、自ら意識して思考すること、自ら意識して思考した結果である意志によって行動すること...人間の尊厳は苦悩することにある。(自我その483)

  • 人間は、憎悪や嫉妬心のからくりを理解しない限り、それらに支配し続けられる。(自我その482)

    聖書に「人はパンのみにて生くるものにあらず。」という言葉がある。言うまでもなく、パンとは、食糧のことである。聖書は、人間は、生きていくためには、食糧以外に、神の言葉が必要だと言うのである。人間を生かしてくれるのは神であり、神の言葉に従えば、人間が生きていくために必要なものを神が備えてくれると言うのである。さすがに、イエスの教えである。しかし、キリスト教国ではない日本では、一般には、人間は、食べることだけを目的に生きるのではなく、文化的・精神的なことを追求することを目的にして生きるのだという意味で解釈されている。確かに、人間が生きていくためには、食糧だけでなく、他の物や他のことが必要である。それが、キリスト教国では神の言葉、日本では文化的・精神的なことなのである。しかし、人間は、聖書に記されているような高尚な生き...人間は、憎悪や嫉妬心のからくりを理解しない限り、それらに支配し続けられる。(自我その482)

  • 人間は、ニーチェの言うように、力への意志によって、永劫回帰を求めて生きている。(自我その481)

    ニーチェに、力への意志、永劫回帰という思想がある。人間は、力への意志によって、永劫回帰を求めて生きているのである。そして、人間は、永劫回帰することによって、力のへの意志を実現しようとするのである。永劫回帰とは、この世に存在しているものやあることは永遠に同じことを繰り返すという思想である。しかし、真実は、逆である。この世に存在しているものやことは永遠に同じことを繰り返すのではなく、人間は、同じことを繰り返すものやことしか理解できないから、それらに存在の称号を与えたのである。人間は、同じことを繰り返すものやことしか理解できないから、無意識のうちに、同じことを繰り返すものやことだけがこの世に存在していると思い込んでいるのである。さらに、それらが、永遠に存在していないと不安だから、永遠に存在していると思い込んでいるので...人間は、ニーチェの言うように、力への意志によって、永劫回帰を求めて生きている。(自我その481)

  • 人間とは、快楽を追うように作られた存在者に過ぎないのか。(自我その480)

    人間は、誰しも、自由に行動したいと思っている。なぜならば、自由に行動できなければ、不快だからである。もちろん、自由に行動できたとしても、快楽が得られるとは限らない。しかし、自由に行動できなければ、必ず、不快感が心に満ちあふれるのである。だから、誰しも、自由を求めるのである。しかし、快楽はどこかに隠れていて、それを見つけ出せれば得られるというものではない。しかし、人間は、経験から、どのような時、快楽を得られるか知っている。快楽を得るには自我と他者が関わっているのを知っている。快楽は、自我の容姿や行動が他者から好評価・高評価を受けた時に生まれるのを知っている。人間は、自我が他者から、好かれたり、褒められたりすると、自我に自信を持ち、心の中に、快楽が生まれるのである。快楽は、外部からやってこない。しかし、快楽は、外部...人間とは、快楽を追うように作られた存在者に過ぎないのか。(自我その480)

  • 人間の日々は、自我の欲望のままに、空しく、過ぎていく。(自我その479)

    人間に主体性が無いことは、誕生から始まっている。人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。人間は、気が付いたら人間として存在しているのである。自らの意志で誕生していないから、主体性を持つことができないのである。だから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、それに疑問を覚えるのである。つまり、主体性が無いことに疑問を覚えるのである。しかし、自らの意志によって生まれてきたのではないことは、他の動植物も同じである。しかし、人間には、他の動植物と異なるところがある。それは、言葉を持っていることである。他の動植物は言葉を持っていないから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きていることに疑問を覚えることが無いのである。思考と行動は完...人間の日々は、自我の欲望のままに、空しく、過ぎていく。(自我その479)

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