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1件〜100件

  • なぜ信者は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から離れられないのか。(自我その530)

    オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の五人の実行犯のうちの一人に林郁夫という人がいる。彼はオウム真理教という教団の幹部であるが、改悛の情が強く、捜査に積極的に協力したという理由で、実行犯の中で、唯一、無期懲役判決が下った。彼は、刑務所の中で、地下鉄サリン事件を何度も何度も振り返って考えた末に、「誰でも、自分の立場だったら、同じように実行していたと思う。」と結論を出し、語った。これがテレビで報道されると、多くの人は、この言葉を言い訳として捉え、「反省していない。」と言って、非難した。しかし、彼は究極の反省の末に、このような結論に達したのである。彼は教団の幹部であったが、おそらく、たとえ、一般信者であったとしても、サリン散布を断ることはできなかっただろう。オウム真理教教団の信者であるという自我を守るために、...なぜ信者は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から離れられないのか。(自我その530)

  • なぜ右翼は自民党を批判しないのか。(提言その7)

    右翼とは、国粋主義者、民族主義者、国家主義者、全体主義者を意味する。国粋主義者とは、自国の政治や伝統的な要素はどの国よりも優れていると考え、それだけを守り広めようする人々である。民族主義者とは、他の民族の干渉や支配を排し、自国の民族の統一・独立・発展をめざそうとする人々である。国家主義者とは、自国を至上の存在と見なし、個人を犠牲にしても国家の利益を尊重しようとする人々である。全体主義者とは、個人は国家・社会・民族などを構成する部分であるとし、個人の自由や権利より国家全体の利益を優先しようとする人々である。ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼も、国粋主義者、民族主義者、国家主義者、全体主義者のいずれかに属している。右翼に共通しているのは、日本の国益だけを考えるということである。だから、彼らは、日本の国...なぜ右翼は自民党を批判しないのか。(提言その7)

  • なぜ右翼は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を批判しないのか。(提言その6)

    右翼は、何かにつけて、「反日」というレッテルを貼って、自分たちの気にくわない日本人を批判してきた。「反日」とは、日本の国益に反する者という意味である。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、信者に法外な寄進をさせ、そのお金を韓国の本部に送り、日本人の多くの家庭を壊してきた。安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也の家庭もそうであった。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、「合同結婚式」で、教祖が結婚相手を決めている。生まれてきた子供の多くは生まれ育った環境に葛藤を抱き、精神障害を患う者も珍しくない。どうして世界平和統一家庭連合と名のることができるのか。日本家庭破壊連合ではないのか。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)こそ、典型的な「反日」組織である。なぜ右翼は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を批判しないのか。なぜ右翼は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を批判しないのか。(提言その6)

  • 安倍晋三元首相の暗殺について思う。(提言その5)

    7月8日、安倍晋三元首相は、奈良市での街頭演説中に、山上徹也に銃撃され、死亡した。彼は、奈良県警の取り調べに対して、「特定の宗教団体に恨みがあり、当初は、その幹部を襲撃しようと考えていた。安倍晋三元首相とその団体が深く繋がっていると思い込んで、犯行に及んだ。政治信条に対する恨みではない。」と供述しているという。マスコミは最初はその宗教団体名を報じていなかったが、安倍元首相が深く関わり、山上容疑者の母親が信者となり多額の寄付金を強要され、一家が破産したことから、統一教会だと思われる。統一教会は、安い壺を高く売りつける霊感商法、集団見合いのような形で教会の代表者が結婚相手を決める合同結婚で知られているが、共産主義反対、夫婦別姓反対、同性婚反対、外国人参政権反対、専守防衛・非核三原則・武器輸出三原則の破棄を提唱...安倍晋三元首相の暗殺について思う。(提言その5)

  • 人間は、自分として存在できないのに、どうして自分に執着するのか。(自我再論3)

    人間には、自分という自らが生み出したあり方・生き方は存在しない。人間は、常に、自我として生きているのである。自我を離れて生きることはできないのである。自我は構造体の中で生まれてくる。人間は、構造体を離れても生きることはできない。人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って、生きているのである。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、国民という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造...人間は、自分として存在できないのに、どうして自分に執着するのか。(自我再論3)

  • 自己主張をしない日本人は、永遠に、賃金は上がらない。(提言その4)

    日本の企業の賃金が上昇しないのは、労働者が労働組合を作って経営者側と交渉しないからである。しかし、日本人は、自己主張することをためらう傾向がある。日本人は、自己主張することを恥ずかしいと思っている。日本人は、自己主張は卑しいと思っている。日本人は、自己主張はわがままだと思っている。また、自己主張が通らず、自己が傷付くことを危惧している。さらに、読売新聞、産経新聞、週刊新潮、週刊文春などのマスコミ、ネットニュースが労働組合の不祥事を針小棒大に大衆に流し、労働組合の足を引っ張り、労働組合不要論を醸成する。その上、自民党政府は、非正規の労働者を増やし、労働組合を作る能力を奪ってしまった。経営者側は、非正規の労働者ならばいつでも首にでき、労働組合を作ろうとする労働者をすぐに首にするのである。自民党政府は、表面上、...自己主張をしない日本人は、永遠に、賃金は上がらない。(提言その4)

  • 軍備を増強しても、敵基地先制攻撃能力を備えても、何の解決にもならない。(提言その3)

    ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって以来」、日本では、自民党議員を中心に軍備増強論が高まっている。日本も他国からの侵略に備えようというわけである。しかし、近隣諸国で、日本に圧倒的な軍事力を誇っているのは中国、ロシアである。日本がどれだけ軍備を増強しても、中国、ロシアに追いつくのは至難の業である。しかも、中国、ロシアは、日本を何百回、何千回滅ぼすだけの核兵器をそなえている。軍備を増強しても何の解決にならないのは、誰にもわかることである。さらに、日本政府は北朝鮮の暴発を危惧している。北朝鮮の軍事基地を先に攻撃して、日本が北朝鮮を攻撃にされないように考えている。しかし、日本が北朝鮮の軍事基地を先制攻撃すれば、北朝鮮のは沈黙するのか。日本に、北朝鮮の全軍事基地を一斉に攻撃して、壊滅させる軍事力があるのか。言うま...軍備を増強しても、敵基地先制攻撃能力を備えても、何の解決にもならない。(提言その3)

  • 愛国心という言葉に潜む麻薬性について。(自我その529)

    一般に、愛国心は国を愛する心として好意的に解釈されている。しかし、人間は愛国心があるから、残酷で無益な戦争を引き起こすのである。国を愛している者たちが、なぜ、国を滅ぼす可能性があるような戦争を引き起こすのであろうか。それは、愛国心というのは、国を愛する心として愛すべき心情のように見えて、真実は、国民という自我を愛する心から発した自我の欲望だからである。愛国心は、宙に漂っていたり静止していたりしているものではなく、常に、自我の欲望として、人間を動かしているのである。しかし、戦争を引き起こした者たちは、国のプライドを守るためにやむにやまれず取った手段だと思っているのである。真実は、自我の欲望を満足させるために起こしたのである。愛国心には無意識のうちに自らを偽る麻薬的な要素があるのである。現代という時代は、世界...愛国心という言葉に潜む麻薬性について。(自我その529)

  • 子供、ストーカー、政治権力者の精神構造は同じである。(意識と無意識2)

    人間は、自由な動物でも理性的な動物でもない。人間は、独裁国家や全体主義国家に住んでいなくても誰かに支配されていなくても自由ではない。人間は、常に、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に支配されているから自由ではないのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。深層心理が、人間の無意識のうちに、自我に取り憑き、思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。だから、人間は存在自体が自由ではないのである。人間は、自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされて生きているのである。その典型が子供、ストーカー、政治権力者である。深層心理が自我に取り憑き、深層心理が思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているから、人間は、自ら主体的に思考して、主体的に行動することはできないのである。人間は理性的な動...子供、ストーカー、政治権力者の精神構造は同じである。(意識と無意識2)

  • 人間は自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされているから、悪逆非道なことができるのである。(無意識と意識1)

    人類の滅亡しか地球には希望が残っていないのか。人間は、地球で最も残酷な動物である。人間だけが、同種で殺し合っている。人間だけが、多くの動植物を絶滅させている。公害という言葉があるが、人間の存在自体がが地球の公害である。なぜ、霊長類と自称し、全動物中最も知能が高いと自負している人間が、このような愚かで残虐なことを行い続けるのか。それは、人間の表層心理での思考の力が深層心理の思考の力に対して圧倒的に弱いからである。表層心理とは人間の自らを意識しての精神活動である。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。人間の表層心理での思考、すなわち、人間の自らを意識しての思考が理性である。人間の表層心理での思考を強調したあり方、すなわち、人間の自らを意識しての思考を強調したあり方が主体性である。人間は、自らの現在も未来も、理性...人間は自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされているから、悪逆非道なことができるのである。(無意識と意識1)

  • 「平和ぼけ」という言葉に対する違和感について。(提言その2)

    誰が、毎日、熟慮して行動しているだろうか。誰が、毎日、自らを意識して思考して行動しているだろうか。ほとんどの人の日常生活は、無意識の行動によって成り立っているのである。ほとんどの人の日常生活は、毎日同じことを繰り返すルーティーンになっている。それは、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望のままに行動しているからである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、毎日、深層心理が、人間の無意識のうちに思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。しかし、時として、日常生活を乱すことや日常生活をを打ち破るような異常なことが起こる。その時、人間は、表層心理で思考して行動しようとする。表層心理心理とは人間の自らを意識してのの精神活動である。すなわち、人間...「平和ぼけ」という言葉に対する違和感について。(提言その2)

  • 人間の基本的な欲望は、保身欲、承認欲、支配欲、共感欲という四つの欲望である。(自我再論2)

    人間は、常に、構造体に所属して、自我となり、深層心理が生み出した自我の欲望に動かされて行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カッ...人間の基本的な欲望は、保身欲、承認欲、支配欲、共感欲という四つの欲望である。(自我再論2)

  • 人間は自我に取り憑かれた動物である。(自我再論1)

    人間は自我に取り憑かれた動物である。それは、人間は、常に、何かであり、誰かということである。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って、行動している。構造体とは、人間の組織・集合体であり、自我とは、構造体における、ある役割を担った自分のポジションである。構造体と自我の関係を具体的に言うと、次のようになる。日本という構造体には、総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体には、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体には、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体には、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体には、友人という自我があり、カップルという構造...人間は自我に取り憑かれた動物である。(自我再論1)

  • 「真珠湾攻撃」の悲劇がまたやって来る。(自我から自己へ15)

    岸田首相は、戦後初めて、国会で、日本を攻撃する外国の基地をたたく「敵基地攻撃能力」を持つことを検討すると明言した。政治家の使命は戦争を避けることであるのに、岸田首相を初めとして、自民党議員は、それを理解していない。日本軍が、真珠湾を先制攻撃をしたことで、アメリカの世論が沸騰し、日本は、太平洋戦争で、アメリカに完膚なきまでに叩きのめされた。自民党議員は、敵基地を先制攻撃することで、敵国が屈服すると思っているのだろうか。自民党議員が意図したことを行えば、「真珠湾攻撃」の悲劇がまたやって来ることになる。日本は、再び、完膚なきまでに叩きのめされるだろう。最悪の場合、日本という国が無くなるかも知れない。アメリカ、イギリス、オランダはもとよりのこと、アジア諸国において、太平洋戦争においての日本軍の残虐行為が恨まれているから...「真珠湾攻撃」の悲劇がまたやって来る。(自我から自己へ15)

  • 国民は戦争を拒否できないのか「民主主義の陥穽」。(自我から自己へ14)

    ロシア兵がウクライナに侵攻し、ロシア兵とウクライナ兵が殺し合い、死に、ウクライナ市民がロシア兵に殺された。彼らは、自分として殺し合い、死に、殺されたのではなく、自我として殺し合い、死に、殺されたのである。なぜならば、戦いを望んでいないからである。戦争を選択していないのに、それによって殺し合い、死に、殺されているのである。彼らはロシア兵、ウクライナ兵という自我を持っていたから殺し合い、死に、ウクライナ市民という自我を持っていたからロシア兵に殺されたのである。つまり、ロシア兵はロシア国という構造体に所属しているから、プーチン大統領の命令に従い、ウクライナに侵攻し、ウクライナ兵と戦ったのである。ウクライナ兵はウクライナ国という構造体に所属しているから、ゼレンスキー大統領の命令に従い、ロシア兵と戦ったのである。ウクライ...国民は戦争を拒否できないのか「民主主義の陥穽」。(自我から自己へ14)

  • プーチン大統領もゼレンスキー大統領も悪党である。(自我から自己へ13)

    悪党とは自我の欲望を満たすためには他者の犠牲を厭わない者のことを言う。政治権力者としての自我の欲望を満たすために国民の命を犠牲にして戦争を行う者は悪党以外の何者でもない。プーチン大統領もゼレンスキー大統領も悪党である。多くのロシア国民も多くのウクライナ国民も愛国心を理由に戦争を支持しているのもあまりにも愚かである。ロシアの大統領のプーチンは、ウクライナ国内の親露派の地域と人々を守るためと言って、ウクライナに兵を動かし、侵攻した。ウクライナの大統領のゼレンスキーは、ウクライナの独立を守ろうと言って、全国民に武器を持って戦うように呼びかけ、至る所が戦場になった。現在も、戦争が継続しているのは、多くのロシア国民と多くのウクライナ国民は愛国心を理由に戦争を支持しているからである。日本を含めて、世界中の国が、プーチンの行...プーチン大統領もゼレンスキー大統領も悪党である。(自我から自己へ13)

  • 死の恐怖とは死ぬことの恐怖ではなく、自我を失うことの恐怖である。(自我から自己へ12)

    人間にはいつか死が訪れる。人間は、誰しも、自らにいつか死が訪れことを知っている。死とは、生命を失うこと、息が絶えることを意味する。しかし、人間は、誰しも、自分の生命を失った状態、自分の息が絶えた状態を想像しても、恐怖心は身に迫って押し寄せてこない。また、死ぬ時の肉体の痛みを想像しても、恐怖心は身に迫って押し寄せてこない。さらに、死後の荼毘に付されることや肉体が朽ち果てることを想像しても、恐怖心は身に迫って押し寄せてこない。それは、いつか自分も死ぬだろうがまだその時期ではないと思っている。また、快楽主義の祖と言われている古代ギリシアの哲学者のエピクロスが言うように、「われわれが生きているときには死はわれわれのもとにはなく、その死がやってきたときにはわれわれの方が居ない」のである。人間は、死を規定できないから、死の...死の恐怖とは死ぬことの恐怖ではなく、自我を失うことの恐怖である。(自我から自己へ12)

  • 人生に、意味は無く、自我の欲望だけが蠢いている。(自我から自己へ11)

    中島敦の小説「山月記」に、主人公の李徴は、「全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」と呟いている部分がある。まさしく、人間は、押し付けられた命を自らのものとして生きていくしか無いのである。人間は、誰しも、意志をもって生まれていないからである。気が付いたら、そこに存在しているのである。つまり、生まれる必然性が無く、偶然に誕生したのである。だから、ひたすら快楽を求めて思考して生きるという押し付けられた生き方から逃れることはできないのである。つまり、人間が誰しもひたすら快楽を求めて思考して生きようとするのは、そのような意志が先天的に人間に備わっているからである。もちろん、しかし、その意志は、自らが生み出したものではない。誕...人生に、意味は無く、自我の欲望だけが蠢いている。(自我から自己へ11)

  • 人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされて生きるしかないのか。(自我から自己へ10)

    人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされて生きている。深層心理とは人間の無意識の精神の活動である。すなわち、深層心理が、人間の無意識のうちに、自我を主体に立てて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かしているのである。しかし、ほとんどの人は、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。すなわち、主体的に思考して行動していると思っている。そこに、大きな誤りがある。人間の自らを意識しての精神の活動を表層心理と言う。つまり、ほとんどの人は、表層心理で、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。それが大きな誤りなのである。なぜならば、深層心理が、常に、ある構造体の...人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされて生きるしかないのか。(自我から自己へ10)

  • 人間は自我として生きるしかないのか。(自我から自己へ9)

    人間には、自我しか存在しない。人間には、確固とした自分は存在しない。人間には、特定の自分は存在しない。すなわち、人間には、自分は存在しないのである。自分とは、自らを他者や他人と区別して指している自我のあり方に過ぎない。他者とは、構造体の中の自我以外の人々である。他人とは、構造体の外の人々である。自らが、自らの自我のあり方にこだわり、他者や他人と自らを区別しているあり方が自分なのである。人間は、自我として生きているのである。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って、生きている。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、...人間は自我として生きるしかないのか。(自我から自己へ9)

  • 人類の悲劇は、表層心理の理性・主体的な行動が深層心理の自我の欲望に圧倒されていることが原因である。(自我から自己へ8)

    人間は、自分を動かすことはできない。人間は、自分で意識して考えて行動しているわけではない。人間は、無意識のうちに考えて、自我の欲望を生み出し、その自我の欲望に動かされているのである。人間は自らのことを自分と表現するが、自分とは、自らを他者や他人と区別して指している自我のあり方に過ぎない。他者とは、構造体の中の自我以外の人々である。他人とは、構造体の外の人々である。すなわち。自分とは、自らの自我のあり方にこだわり、他者や他人と自らを区別しているあり方なのである。だから、人間には、固定した自分は存在せず、自分を動かすことはできない。人間は。自我に囚われ、深層心理が思考して生み出す感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて生きているのである。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えら...人類の悲劇は、表層心理の理性・主体的な行動が深層心理の自我の欲望に圧倒されていることが原因である。(自我から自己へ8)

  • 人間は、誰しも、主体性を有していず、自我の欲望に動かされている。(自我から自己へ7)

    人間は、誰しも、主体性無く、生きている。しかし、それは当然のことである。なぜならば、人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。気が付いたら、そこに人間として存在しているのである。だから、人間は、誰しも、主体性が無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。つまり、人間は、自らの意志で誕生していないから、主体性が無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、自らに主体性が無いことに気付き、疑問を覚えるのである。自らの意志によって生まれてきていず、主体性が無いことは、他の動物、植物も同じである。しかし、人間には、他の動物、植物と異なるところがある。それ...人間は、誰しも、主体性を有していず、自我の欲望に動かされている。(自我から自己へ7)

  • 深層心理に動かされている人間について。(自我から自己へ6)

    ほとんどの人は、自らを意識して思考して、行動していると思っている。自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、ほとんどの人は、表層心理で思考して、行動していると思っている。しかし、実際には、深層心理の思考が人間を動かしているのである。人間には、表層心理の他に、深層心理があり、むしろ、深層心理が人間の思考も行動も決定づけているのである。深層心理とは無意識の精神活動である。だから、ほとんどの人は、深層心理の存在に気付かず、当然のごとく、深層心理の思考が人間を動かしているのを知らず、表層心理で、自らを意識して思考して、行動していると思い込んでいるのである。そもそも、人間は、常に、自分を意識しているわけでは無い。それは、自らを意識して自らの意志によって思考して行動していないからである。それでも、人間は行動できる...深層心理に動かされている人間について。(自我から自己へ6)

  • 人間は、意志で動いているのではなく、自我の欲望によって動かされている。(自我から自己へ5)

    人間は、自我を持って、初めて、人間となる。自我を持つとは、ある構造体の中で、あるポジションを得たということであるが、そのポジションは取り替えの利くものでは無く、そのポジションと一体化したことを意味する。だから、そのポジションは、ある役割を担った現実の自分のあり方になり、自我になるのである。自我が存在しない人間は、単に、動物としての存在にしか過ぎない。人間が最初に所属する構造体は、家族であり、最初の自我は、男児(長男、次男、三男など)、女児(長女、次女、三女など)である。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って活動しているのである。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族以外に、学校、会社、店、電車、仲間、カップルなどが存在する。学校という構造体には校長・教諭・生徒などの自我があり、会社と...人間は、意志で動いているのではなく、自我の欲望によって動かされている。(自我から自己へ5)

  • 人間には自我しか存在しない。(自我から自己へ4)

    人間には、自分は存在しない。人間には、特定の自分は存在しない。自分とは、自らを他者や他人と区別して指している自我のあり方に過ぎない。他者とは、構造体の中の自我以外の人々である。他人とは、構造体の外の人々である。自らが、自らの自我のあり方にこだわり、他者や他人と自らを区別しているあり方が自分なのである。人間は、自我として生きている。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり...人間には自我しか存在しない。(自我から自己へ4)

  • 自らの大衆性から脱却できるか。(自我から自己へ3)

    大衆には、二つの特徴がある。一つは、常に、力に寄りかかって生きているということである。大衆とは、常に、権力者の力や権力という力に寄りかかり、多数という力に寄りかかっている集団なのである。だから、決して、責任を取らないのである。もう一つは、自分で考えること無く、付和雷同に行動することである。ハイデッガーが言うように、大衆とは、世間話、好奇心、曖昧性の塊なのである。世間話とは、多くの人が、根も葉も無い話を無責任に語り合うことである。そこには、仲間意識があり、安心感がある。好奇心とは、上滑りに話題を取り上げ、ひたすら興味本位に追求することである。そこには探究心は存在しない。だから、疲労感が無く、長く話せるのである。曖昧性とは、責任の所在を明確にせず、行動したり、話したりすることである。無責任であるから、常に、気楽な状...自らの大衆性から脱却できるか。(自我から自己へ3)

  • 自我に取り憑かれ、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされている人間に生きる意味はあるか。(自我から自己へ2)

    人間は、自分が意識して思考する前に、既に、無意識に思考している。しかも、それが、人間を動かしている。つまり、人間は、無意識の思考によって動かされているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が思考して、人間を動かしているのである。フランスの心理学者のラカンは「無意識は言語によって構造化されている」と言う。「無意識」とは、言うまでもなく、深層心理を意味する。「言語によって構造化されている」とは、言語を使って論理的に思考しているということを意味する。「構造化されている」と受動態になっているのは、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、思考していないからである。すなわち、人間は無意識のうちに、深層心理が言語を使って論理的に思考して、人間を動かしているのである。しかし、深層心理は、人間の無...自我に取り憑かれ、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされている人間に生きる意味はあるか。(自我から自己へ2)

  • 日本は、自民党という幼児とともに滅びる。(自我から自己へ1)

    愛国心を盲目的に讃えているのは、自民党、ネット右翼、保守派の大衆である。当然のごとく、右翼、保守派の大衆は、自民党を支持する。右翼、保守派の大衆が、多数を占めているから、自民党が長期政権を続けているのである。しかし、戦後76年間、日本が戦争に参加しなかったのは、日本国憲法のお陰である。もちろん、自民党は日本国憲法を改正して、日本をすぐ戦争ができる国にしようとしている。「子供は正直だ」と言う。子供は、自我の欲望に対して正直なのである。自民党は、幼児である。もちろん、ネット右翼、保守派の大衆も幼児である。幼児だから、愛国心という自我の欲望に基づいて、盲目的に行動するのである。マルクスは、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」と言ったが、日本人は、一度目の太平洋戦争の悲劇で懲りずに、二度目の...日本は、自民党という幼児とともに滅びる。(自我から自己へ1)

  • 人間という自我に捕らわれた存在者の現象について。(自我その528)

    人間は自らを意識して思考して、意志によって行動しているのではない。人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理で思考して、自らの意志で行動しているのではない。人間は、深層心理に動かされている。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。一般に言われている無意識の行動とは、深層心理が思考したままに、表層心理で意識すること無く、行動することである。ほとんどの人の日常生活は、無意識の行動によって成り立っている。ほとんどの人の日常生活が、毎日同じことを繰り返すルーティーンになっているのは、無意識の行動だから可能なのである。日常生活がルーティーンになるのは、人間は、深層心理の思考のままに行動して良く、表層心理で意識して思考することが起こっていない証である。また、人間は、表層心理で意識して思考...人間という自我に捕らわれた存在者の現象について。(自我その528)

  • 学校がクラスやクラブ単位で動く限り、いじめ自殺事件は無くならない。。(自我その527)

    なぜ、小学校、中学校、高校で、いじめによって自殺する者が跡を絶たず、大学では、いじめが原因の自殺がほとんど無いのか。それは、人間は、いついかなる時でも、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持っていなければ生きていけないからである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。大学生は、講義や演習を受けるために部屋を移動し、クラブ活動は自由であるのに対し、小学生、中学生、高校生は、授業を受けるための教室が固定し、クラブに所属することが強制されている。大学生にとって、構造体は、大学であり、自我は学生であるが、小学生・中学生・高校生にとって、構造体はクラスやクラブであり、自我はクラスメートや部員である...学校がクラスやクラブ単位で動く限り、いじめ自殺事件は無くならない。。(自我その527)

  • 人間は、誰しも、深層心理によって、反社会的な自我の欲望を抱くことがある。(自我その526)

    人間は、誰しも、意志無く生まれている。つまり、偶然に、誕生している。人間は、気が付いたら、そこに存在しているのである。つまり、人間は、誰一人として、自らの意志によって生まれてきていないのに、生きているのである。しかし、それは、生きる意味、生きる目的が存在していないということを意味していない。人間は、生きる意味、生きる目的を有せずして、生きることはできない。つまり、人間には、自ら意識していないが、生きる意味、生きる目的が存在しているのである。すなわち、人間は、生きる意味、生きる目的を自ら意識していなくても、生きていけるのである。それは、先天的に、人間には、生きる意味、生きる目的が与えられているからである。人間の先天的な生きる意味、生きる目的とはひたすら生き続けようとすることである。人間は、先天的に、ひたすら生き続...人間は、誰しも、深層心理によって、反社会的な自我の欲望を抱くことがある。(自我その526)

  • 人間は、意志としての自己として生きているのではなく、欲望としての自我として生かされている。(自我その525)

    人間には、自分そのものは存在しない。自我が生きているだけである。人間は、意志としての自己として生きているのではなく、欲望としての自我として生かされているのである。人間は、毎日、同じ場所で、同じ人と会い、同じようなことをして暮らしている。それを、ルーティーンと言う。人間は、毎日、構造体という同じ場所で、他者という人に同じ会い、同じ自我を持って、同じようなことをして、ルーティーン通りに暮らしている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という...人間は、意志としての自己として生きているのではなく、欲望としての自我として生かされている。(自我その525)

  • 人間は、深層心理を覆う心境、深層心理が生み出す感情に縛られ、逃れることができない。(自我524)

    人間は感情の動物である。感情が、人間に、自らを、すなわち、自らの存在を意識させるのである。感情が無ければ、人間は、自らの存在を知覚できず、生きている実感を覚えることはできないのである。感情が人間の存在を、すなわち、人間の生活、人生を刻印しているのである。感情が人間を動かしているのである。つまり、人間は感情に動かされて行動する動物なのである。しかし、人間は、自分の意志では、感情を生み出すことも動かすことも消すこともできないのである。なぜならば、感情は、深層心理によって、生み出されるからである。深層心理とは、人間の無意識の精神の活動である。すなわち、人間の無意識のうちに、深層心理が思考して感情を生み出しているのである。つまり、感情は、自らが意識できない深層心理によって生み出されるから、人間は、自らの意志で、生み出す...人間は、深層心理を覆う心境、深層心理が生み出す感情に縛られ、逃れることができない。(自我524)

  • 人間とは、深層心理が生み出す自我の欲望の戯れに過ぎない。(自我その523)

    人間は、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に動かされて生きている。しかし、多くの人は、深層心理の力を知らず、常に、自ら、意識して、思考して、自らの意志で行動していると思っている。人間の無意識の精神活動を深層心理、人間の意識した精神活動を表層心理と言う。一般に、無意識の活動が知られているが、多くの人は、それを、人間の例外的な行動だと思っている。なぜならば、ほとんどの行動は、表層心理で思考して、自らの意志で行っていると思っているのである。だから、多くの人は自由に憧れるのである。自由ならば、他者の妨害を受けずに、他者の妨害を受けずに、自ら意識して思考し、自らの意志で、行動することができると思っているからである。しかし、自分自身の行動を振り返って考えてみればわかることだが、人間の多くの行動は、自ら意識して思考してい...人間とは、深層心理が生み出す自我の欲望の戯れに過ぎない。(自我その523)

  • 人間は永遠に罪人である。歴史は無駄な時間である。(自我その522)

    人間は罪人であると規定したのは人間である。人間は、いつになったら、罪人でなくなるのか。しかし、人間は罪人から永遠に逃れることはできない。人間の最大の罪は殺人である。人間は、いつになったら、殺人を犯さなくなるのか。しかし、どれだけ時代が進んでも、人間世界から、人殺しが無くなることはない。歴史は無駄な時間である。なぜならば、深層心理が、思考して、他者を殺したいという自我の欲望を生み出し、人間を動かしているからである。人間の人間たる所以は、深層心理が思考して生み出した自我の欲望が人間を動かしていることである。だから、人間世界から永遠に人殺しが無くなることはないのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。一般に、深層心理の思考は無意識と呼ばれている。だから、人間は、自分の意志では持ちたくないと思っていても、深...人間は永遠に罪人である。歴史は無駄な時間である。(自我その522)

  • 苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味する。(自我その521)

    オーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインは、「苦しんでいる人間は、苦しみが消えれば、苦しみの原因が何であるかわからなくても構わない。苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味するのである。」と言う。苦しんでいる人間にとって、苦しみから逃れることができれば、それで良く、必ずしも、苦悩の原因となっている問題を解決する必要は無いのである。なぜ、そのようなことが生じるのか。それは、苦しいという感情を生み出したのは深層心理であるが、人間は、表層心理で、苦しみをもたらしている原因を調べ、解決の方法を思考し、苦しみから逃れようとするからである。深層心理とは、無意識の精神活動である。一般に、無意識とは無意識の行動を言う。しかし、人間は、無意識のうちに思考しているのである。それが、深層心理の思考である。だから、...苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味する。(自我その521)

  • 人間は、深層肉体と深層心理によって生かされている。(自我その520)

    ほとんどの人は、毎日同じことを繰り返すルーティーンの生活をしている。それは、無意識の行動だから可能なのである。日常生活がルーティーンになるのは、人間は、無意識のままに行動して良く、意識して思考することが起こっていないからである。また、人間は、意識して思考することが無ければ楽だから、毎日同じこと繰り返すルーティーンの生活を望むのである。だから、人間は、本質的に保守的なのである。ニーチェの「永劫回帰」(森羅万象は永遠に同じことを繰り返す)という思想は、人間の生活にも当てはまるのである。しかし、ほとんどの人は、常に、自ら意識して肉体を動かし、自ら意識して思考していると思っている。人間の自ら意識しての肉体の動きを表層肉体と言い、人間の自ら意識しての精神の動きを表層心理と言う。確かに、人間は表層肉体で肉体を動かし、表層心...人間は、深層肉体と深層心理によって生かされている。(自我その520)

  • 人間は、他者から与えられた自我を自分として生きている。(自我その519)

    ほとんどの人は、この世に、自分として存在していると思っている。しかし、人間には、自らが決める自分という独自のあり方は存在しない。人間は、他者から与えられた自我を自分だと思い込んで存在しているのである。人間は他者から与えられた自我を主体に立てて、それを自分だと思い込んで生きているのである。しかし、人間は、生きるためには、他者から与えられたとは言え、自我が必要なのである.。なぜならば、人間とは社会的な存在者であり、社会生活を営むためには自我が不可欠だからである。人間は、他者との関係性との中で何者かになり、人間として存在することができるのである。他者との関係性を絶って、一人で生きることはできないのである。さて、それでは、自我とは何か。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったポジションが与えられ、そのポジシ...人間は、他者から与えられた自我を自分として生きている。(自我その519)

  • オリンピック開催を反対していた人は、日本選手を応援し、その活躍に歓喜してはいけないのか。(提言その1)

    オリンピック開催を反対していた人は、日本選手を応援し、その活躍に歓喜してはいけないのか。そのようなことは断じてない。なぜならば、情況が変わったからである。人間は、情況に応じて生きるからである。オリンピックは開催されたのである。情況は変わったのである。オリンピック開催前には、それに反対していても、オリンピックが開催されてからは、日本選手を応援し、その活躍に歓喜しても、何ら矛盾は存在しないのである。もちろん、オリンピックが始まっても、オリンピックに反対し、デモ行進をする人もいるだろう。オリンピックのテレビ番組は一切見ないし、オリンピックの報道を一切無視するという人もいるだろう。それは、個々の判断だからそれで良いのである。情況を考慮せずに、単純に終始一貫を求めるのは幼児の思考である。例えば、戦争に反対していても、太平...オリンピック開催を反対していた人は、日本選手を応援し、その活躍に歓喜してはいけないのか。(提言その1)

  • 人間は自らを脱構築しなければいけない。(自我その518)

    ほとんどの人は、自らが、快楽を求めて、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きていることに気付いていない。つまり、ほとんどの人は、深層心理が、自我を主体に立てて、快楽を求めて、思考して、人間を動かしているのに気付いていないのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。深層心理が、自我を主体に立てて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。深層心理が思考して生み出した感情は、深層心理が思考して生み出した行動の指令を実行する動力になっているのである。深層心理が思考して生み出した行動の指令は、人間を、具体的な行動へと促しているのである。深層心理が思考して生み出した感情と深層心理が思考して生み出した行動の指令が一体化して、自我の欲望になり、人...人間は自らを脱構築しなければいけない。(自我その518)

  • 誰が生きているのか。自分が生きているのではないのか。(自我その517)

    コロナウィルスのせいで、オリンピック開催が危ぶまれている。開催への批判も多い。しかし、オリンピックが始まれば、日本人は、日本チームと日本人選手を応援するだろう。なぜ、日本人は日本チームと日本人選手を応援するのだろうか。それは、日本という国を愛しているからである。それを愛国心と言う。それでは、なぜ、日本人に愛国心があるのか。それは、自らが、日本という構造体に所属していて、日本人という自我を持っているからである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、ポジションが与えられ、それを自らのあり方として行動する、役割を担った現実の自らの姿である。つまり、愛国心とは自我愛なのである。国を愛しているように見えて、実は、国民という自らの自我を愛しているのである。だから、オリンピックで、日本チームや日本人選...誰が生きているのか。自分が生きているのではないのか。(自我その517)

  • 人間は、醜くても、自我の欲望を直視できない間は、自分が生きていると言えない。(自我その516)

    人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って、行動している。そして、人間は、常に、深層心理が、構造体の中で、自我を主体に立てて、ある心境の下で、欲動によって、快感原則を満たそうと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、それに動かされて生きているのである。まず、深層心理であるが、深層心理とは人間の無意識の精神活動である。つまり、深層心理が、人間の無意識のうちに、思考して、自我の欲望を生み出し、人間は、その自我の欲望に動かされて生きているのである。次に、構造体であるが、構造体とは、人間の組織・集合体である。次に、自我であるが、自我とは、構造体の中で、他者からある特定の役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体には、国、家族、学校、会社、店...人間は、醜くても、自我の欲望を直視できない間は、自分が生きていると言えない。(自我その516)

  • 人間が、皆、自分の気持ちに正直に行動するようになれば、すぐに滅びる。(自我その515)

    人間の気持ちとは単なる感情ではない。気持ちには、感情とともに常に行動の指令が伴っている。だから、人間が、「気持ちいい」と言う時は、このままの状態でいたいということであり、「気持ち悪い」と言う時は、近寄りたくない状態であることを意味しているのである。「気持ち悪い」と言われると、心が傷付くのは、その言葉を言った人の心の叫びであると思われるからだ。心の叫びとは、本音である。本人は無意識のままに本音を語っていることである。つまり、心の叫びとは、本人は意識していないが、心が思ったことが、言葉となって現れたということを意味しているのである。本人が意識していない心の動きを深層心理と言う。一般に、深層心理とは人間の無意識の精神活動を指し、特に、深層心理の思考だけを取り上げて、それを無意識と表現することが多い。すなわち、ある人に...人間が、皆、自分の気持ちに正直に行動するようになれば、すぐに滅びる。(自我その515)

  • 人間は、欲動によって、快楽を求めて生きている。(自我その514)

    ほとんどの人は、毎日、いかなる時でも、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。すなわち、主体的に思考して行動していると思っている。そこに、大きな誤りがある。人間の自らを意識しての精神の活動を表層心理と言う。人間の無意識の精神の活動を深層心理と言う。つまり、ほとんどの人は、毎日、いかなる時でも、表層心理で、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。それが大きな誤りなのである。なぜならば、深層心理が、常に、ある構造体の中で、ある自我を主体に立てて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かしているからである。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って行動して...人間は、欲動によって、快楽を求めて生きている。(自我その514)

  • 深層心理が生み出す自我の欲望が人間を動かしている。(自我その513)

    人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って存在し、行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者からある特定の役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、国民という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、コンビニという構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人と...深層心理が生み出す自我の欲望が人間を動かしている。(自我その513)

  • 人間は、自らの意にならない心境や感情に動かされて生きている。(自我その512)

    「苦しんでいる人間は、苦しみが消えれば、それで良い。苦しみの原因が何であるかわからなくても構わない。苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味するのである。」とオーストリア生まれの哲学者ウィトゲンシュタインは言う。苦しんでいる人間は、苦しみから逃れることができれば、それで良く、必ずしも、苦悩の原因となっている問題を解決する必要は無いのである。人間は、苦しいから、その苦しみから逃れるために、苦しみをもたらしている原因や理由を調べ、それを除去する方法を考えるのである。だから、苦しみが消滅すれば、途端に、思考は停止するのである。たとえ、苦しみをもたらしている原因や理由を調べ上げ、それを問題化して、解決する途上であっても、苦しみが消滅すれば、途端に、思考は停止するのである。つまり、苦痛が存在しているか...人間は、自らの意にならない心境や感情に動かされて生きている。(自我その512)

  • 人間は、誰しも、主体性無く、自我にしがみついて、生きている。(自我その511)

    人間は、誰しも、主体性無く、生きている。しかし、それは当然のことである。なぜならば、人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。気が付いたら、そこに人間として存在しているのである。だから、人間は、誰しも、主体性無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。つまり、人間は、自らの意志で誕生していないから、主体性無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、自らに主体性が無いことに気付き、疑問を覚えるのである。しかし、自らの意志によって生まれてきていず、主体性が無いことは、他の動物、植物も同じである。しかし、人間には、他の動物、植物と異なるところがある。...人間は、誰しも、主体性無く、自我にしがみついて、生きている。(自我その511)

  • 人間は、地球で、最も心が醜くて残酷な動物である。(自我その510)

    人間を定義する言葉は幾つもある。ホモ・サピエンスは、リンネが考案し、人間は考える動物であるという意味である。ホモ・ファーベルは、ベルクソンが考案し、人間は道具を作る動物であるという意味である。ホモ・ルーデンスは、ホイジンガが考案し、人間は遊ぶ動物であるという意味である。ホモ・シンボリクスは、カッシーラーが考案し、人間は象徴化する動物であるという意味である。その他に、人間は言葉を使う動物である、人間は火を使う動物である、などがある。いずれも、人間は他の動物と比べて優れていると考えている。しかし、もう、自画自賛をするのはやめた方が良い。オゾン層を破壊したのは人間である。公害は人間が作り出したものである。地球温暖化を作り出したのは人間である。無数の動物を絶滅させたのは人間である。これらの行為に飽き足らず、人間世界には...人間は、地球で、最も心が醜くて残酷な動物である。(自我その510)

  • 人間は自らが動かせない自らによって自らの存在を知る。(自我その509)

    人間は、自らのことを、自分と表現する。しかし、自分という言葉は、他者や他人と区別した自らの存在を表しているに過ぎない。人間は、この世に、他者や他人と区別して、一人一人存在しているから、自らのことを、自分と表現するのである。つまり、自分は、人間が、他者や他人と区別した、自らの存在を強調した言葉なのである。確かに、人間にとって、自分は、他者や他人と区別した自らの存在を表す言葉として必要であろう。しかし、人間が、社会生活を営む上において、自分という個人は、雲散霧消化するのである。人間が、社会生活を営む上においては、自分はという個人、自らにとっても、他者や他人にとっても、存在しないのである。人間が、社会生活を営む上で、自らにとっても他者や他人にとっても実際に存在しているのは、自我である。なぜならば、人間が、社会生活を営...人間は自らが動かせない自らによって自らの存在を知る。(自我その509)

  • 自我として生きている人間の可能性と限界について。(自我その508)

    深層心理が人間を動かしている。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。人間は、誰しも、朝起きると、学校・職場に行くことを考えて不快になることがある。この、学校・職場に行くことを考えて不快になることは、自らの意志ではなく、深層心理が行ったことなのである。人間が、無意識のうちに、深層心理が思考して、不快な感情と学校・職場に行かないでおこうという行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。しかし、たいていの場合、不快な気持ちに振り伐り、登校・出勤する。それは、超自我という機能が働いたからである。超自我とは、自我に毎日同じことをさせ、ルーティーンを守らせる機能である。深層心理には、超自我という機能も存在するのである。超自我が、ルーティーンから外れた自我の欲望を抑圧しようとするのである。もしも、超自我の抑圧が功を奏...自我として生きている人間の可能性と限界について。(自我その508)

  • 苦痛が思考を生み、思考の方向性を決めている。(自我その507)

    パスカルに、「人間は考える葦である。」という有名な言葉がある。言うまでも無く、人間の尊厳は考えることにあるという意味である。しかし、人間は、苦痛が無い時には考えない。人間は、苦痛があるから考えるのである。人間は、苦痛があるから、その苦痛から抜け出す方法を考えるのである。人間は、肉体的にしろ精神的にしろ、苦痛があるから、自らの現在の状態を意識して考え、その苦痛から抜け出す方法を考えるのである。パスカルも、苦痛があったから考えたのである。精神的な苦痛があったから、その苦痛から抜け出す方法を考えたのである。しかし、肉体的な苦痛にしろ精神的な苦痛にしろ、人間は、自らが意識して考え、自ら意志して、自らにもたらしたものではない。誰が、好き好んで、苦痛を持ちたいと思うだろうか。「若い時の苦労は買ってでもせよ」という諺がある。...苦痛が思考を生み、思考の方向性を決めている。(自我その507)

  • 生きがいの無い、代わり映えのしない日々の生活について。(自我その506)

    人間は、一人では、生きていけない。そして、本質的に、変化に対応できない。だから、人間は、毎日、同じようなことを繰り返して暮らしている。ルーティーンの生活を送っている。毎日、家族の中で息子として会話をし、学校へ行って生徒として勉強し、会社へ行って社員として働き、コンビニに立ち寄って客として買い物をし、仲間と友人として戯れ、カップルで恋人としてデートを楽しむ。人間は、毎日、同じ構造体で、同じ自我を持って、同じようなことをして暮らしている。構造体とは、組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、暮らしているのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、...生きがいの無い、代わり映えのしない日々の生活について。(自我その506)

  • 快楽と精神疾患について。(自我その505)

    人間は、快楽を得るために生きている。快楽とは、言うまでも無く、快い感情である。人間は、自我が他者に認めてもらえれば快楽を得ることができるので、自我が他者に認めてもらえるように行動する。人間は、自我が他者を支配できれば快楽を得ることができるので、自我が他者を支配できるように行動する。人間は、自我が他者と心の交流ができれば快楽を得ることができるので、自我が他者と心の交流ができるように行動する。つまり、人間は、快楽を得るために、自我が他者に認めてもらえるように、自我が他者を支配できるように、自我が他者と心の交流ができるように行動するのである。しかし、人間は、なぜ、自我が他者に認めてもらえれば快楽を得ることができ、自我が他者を支配できれば快楽を得ることができ、自我が他者と心の交流ができれば快楽を得ることができるかがわか...快楽と精神疾患について。(自我その505)

  • 人間は、与えられた自我に、どうして執着するのか。(自我その504)

    人間は、常に、構造体に所属し、自我を持して活動している.。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、ポジションが与えられ、その欲目を果たそうとしている自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、銀行、店、電車、仲間、夫婦、カップルなどがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、銀行という構造体では、支店長・行員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻の自...人間は、与えられた自我に、どうして執着するのか。(自我その504)

  • 自分を政治権力者と大衆に変えられないために。(自我その503)

    政治権力者とは、何か。自我の欲望を達成するために、政治権力を使う人である。大衆とは、何か。自我の欲望を達成するために、ある時には、権力者に寄りかかり、ある時には、群がる人々である。さて、自我とは何か。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。政治権力者とは、国という構造体で、総理大臣、国会議員などの自我をを持った人である。大衆とは、国という構造体で、国民という持った人たちである。国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社...自分を政治権力者と大衆に変えられないために。(自我その503)

  • 我慢することの意味、我慢の限界について。(自我その502)

    人間には、我慢が必要である。我慢とは、自我の欲望を抑圧することである。人間に我慢するという機能が存在しなければ、既に、人類は滅びていただろう。なぜならば、人間は、誰しも、自我の欲望として、他者を殺したいという欲望を持つことがあるからである。その欲望通りに行動すれば、毎日、無数の人殺しが行われ、人類は、どれほど、維持できるだろうか。幾ばくと無く、滅びるだろう。人間は我慢するという機能があるから、人殺しは、現在の数値のように抑えられ、世界的に、年々、人口が増えているのである。しかし、人間には他者を殺したいという自我の欲望は抑圧する機能が存在すると言っても、常にその他者を殺したいという自我の欲望を抑圧できるわけではない。他者を殺したいという自我の欲望が強過ぎる場合、抑圧することができずに、人殺しは実行されるのである。...我慢することの意味、我慢の限界について。(自我その502)

  • 人間は理性的な動物ではない。自我の欲望が理性を動かしている。(自我その501)

    人間は、霊長類に属していると言われている。霊長類は、全動物中最も進化していて、最も知能が高い動物である。しかし、人間は、何に最も進化しているのか。何に最も知能を使ってきたのか。それは、他の人間を支配することである。人間は、他の人間を支配することにに最も進化し、他の人間を支配することに最も知能を使ってきたのである。だから、これまで、集団による集団に対する殺人、集団による個人に対する殺人、個人による個人に対する殺人が繰り返され、現在も、至る所で、行われているのである。しかし、その殺戮は、理性によって考え出されたのではない。深層心理が考え出したのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。深層心理が、人間の無意識のうちに、思考して、怒り・憎しみなどの感情と襲撃しろ・殺せなどの行動の指令という自我の欲望を生み出...人間は理性的な動物ではない。自我の欲望が理性を動かしている。(自我その501)

  • 人類が存在する限り、永遠に、人殺しは続く。(自我その500)

    人類に未来など存在しない。人類が存続すれば存続するほど、人殺しの数が増えていくだけである。人間は、これまで、いかに遠くから、いかに短い時間で、いかに多くの人間を殺すことができるかという志向性で、大量破壊兵器を開発してきた。そして、核兵器にたどりついた。これからは、核兵器以上に有効な大量破壊兵器を研究して生み出すだろう。人類に待っているのは、無数の無意味な殺し合いによる滅亡である。なぜ、人類が存続する間、人殺しは続くのか。それは、人間は、自我に執着して生きているからである。しかし、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、自我に執着しているのではない。深層心理が、人間を自我に執着させているのである。深層心理とは、人間の無無識の精神活動である。だから、人間は、自ら意識せず、自ら意志しなくても、深層心理によって、自我...人類が存在する限り、永遠に、人殺しは続く。(自我その500)

  • 我々に何が見え、何ができるか。(自我その499)

    人間は、常に、志向性によって、他者・物・現象という対象を捉えて、行動している。志向性とは、対象を捉える方向性である。端的に言えば、観点・視点である。しかし、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、志向性を使って、他者・物・現象という対象を捉えているのではない。人間の意識した精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理で、志向性を使って、思考して、他者・物・現象という対象を捉えているのではない。人間は、無意識のうちに、志向性を使って、思考して、他者・物・現象という対象を捉えているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が、志向性を使って、思考して、他者・物・現象という対象を捉えているのである。これが、深層心理の対象への対自化という志向性である。さて、ドイツの哲学者のカントは、...我々に何が見え、何ができるか。(自我その499)

  • 人間に、生きる意味など、最初から無い。それでも、生きていく。(自我その498)

    人間に、生きる意味など、最初から無い。人間は、気が付いたら、そこに存在している。人間は、誰しも、意志無く生まれている。つまり、偶然に、誕生しているのである。しかし、それでも、ひたすら生きようとし、考えようとしている。しかし、人間は、自ら意識して、生きようとし、考えようとしているのではない。人間は、肉体に、常に、生きようとする意志があるから、生きていけるのである。そして、人間は、精神に、常に、考えようとする意志があるから、考えていけるのである。人間の自らは意識していない、生きようという意志を持った肉体の活動を深層肉体と言う。人間の自らは意識していない、考えようという意志を持った精神の活動を深層心理と言う。つまり、深層肉体と深層心理が人間を生かしているのである。すなわち、人間は、自らは気付いていないが、自らの深層肉...人間に、生きる意味など、最初から無い。それでも、生きていく。(自我その498)

  • 心神喪失者、心神耗弱者、健常者について。(自我その497)

    一般に、心神喪失は、「精神機能の障害によって、自らの行為に対して、是非判断の弁別が全くできない状態。泥酔、麻酔などによる一時的なものと精神病などによる継続的なものがある。刑法では、心神喪失者は、責任無能力者として、その行為を罰しない。」と説明されている。心神耗弱は、「精神機能の障害によって、自らの行為に対して、是非判断を弁別する能力が著しく低い状態。心神耗弱者の行為は、限定責任能力者として刑が軽減される。飲酒による酩酊や神経衰弱、知的障害、老衰などがある。精神病質が責任能力の有無、程度についてに影響するかどうかについては争いがある。」と説明されている。心神喪失者、心神耗弱者に対立するのが、健常者である。一般に、健常者は、「傷害が無く、健康な人。」と説明されている。一般に、心神喪失者、心神耗弱者、健常者であるかが...心神喪失者、心神耗弱者、健常者について。(自我その497)

  • あなたはいない。そこには、深層心理に動かされている自我がいるだけである。(自我その496)

    「あなたは何。」と尋ねられても、人間は、誰しも、常に、同じ言葉で答えているわけではない。なぜならば、人間は、構造体によって、異なった自我を所有しているからである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構...あなたはいない。そこには、深層心理に動かされている自我がいるだけである。(自我その496)

  • スッピンと化粧、ありのままとぶりっ子について。(自我その495)

    17世紀のフランスの思想家であるモンテーニュは、「私たちの職業の大部分は芝居のようなものだ。世界全体が芝居を演じている。自分は自分の役をしかるべく演じなければならない。しかし、仮の人物を務めていることを忘れてはならない。仮面と外観を自分の実体であると思ったり、借り物を自分自身のものだと思い込んだりしてはならない。私たちは肌着と皮膚とを区別することができない。おしろいは顔に塗れば十分で、心にまで塗る必要は無い。」と言う。モンテーニュは、職業は食べていくために必要なものであり、まじめにこなせば良いが、そこに、自分自身は存在せず、芝居を演じているようなものだと言うのである。しかし、モンテーニュは、人間を理解していない。人間は、職業に就いて仕事をしている時、演じているのではなく、職業人になりきっているのである。だから、...スッピンと化粧、ありのままとぶりっ子について。(自我その495)

  • 夢も希望も絶望も苦しみも、深層心理によって与えられたものでしかない。(自我その494)

    人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていない。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。気が付いたら、そこに人間として存在していたのである。だから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。つまり、人間は、自らの意志で誕生していないから、主体性無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、自らに主体性が無いことに気付き、疑問を覚えるのである。しかし、自らの意志によって生まれてきていず、主体性が無いことは、他の動物、植物も同じである。しかし、人間には、他の動物、植物と異なるところがある。それは、言葉を持っていることである。他の動物、植物は言葉を持っていないから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けら...夢も希望も絶望も苦しみも、深層心理によって与えられたものでしかない。(自我その494)

  • 人間は地獄から脱することができるのだろうか。(自我その493)

    人間が地獄から脱するのは至難の業である。それには、三つの理由がある。一つ目の理由は、人間は、快楽を求めて生きているが、快楽は、深層心理が自我の現況を認識して生み出し、快楽への行動も、深層心理が思考して生み出すことである。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。構造体とは、国、家族、学校、会社、仲間、カップルなどの人間の組織・集合体である。構造体と自我の関係は、具体的には、次のようなものになる。国という構造体には総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には校長・教師・生徒などの自我があり、会社という構造体には社長・部長・社員などの自我があり、仲間という構造体には友人という自我があり、カップルとい...人間は地獄から脱することができるのだろうか。(自我その493)

  • この世の地獄とは何か。(自我その492)

    サルトルは「地獄とは他者のことである」と言った。芥川龍之介は「この世は地獄よりも地獄的である。」と言った。なぜ、地獄とは他者のことであり、この世は地獄よりも地獄的なのか。それは、人間は、他者から、認められて、初めて幸福感を得ることができるからである。つまり、自分のことをどのようにすばらしい人間だと思っていても、他者がそれを認めなければ、そのすばらしさは無意味なのである。人間は、他者から認められて、初めて、満足でき、幸福感が得られるからである。しかし、人間は、他者に、悪評価・低評価されていても、他者の気持ちを容易に変えることができないのである。それでも、人間は、どのようにすれば他者から認められるか考えたり、他者から認められると思われる目標を立てて努力したり、他者から認められない自分のどこが悪いか反省したりするので...この世の地獄とは何か。(自我その492)

  • 他者に期待するな。自我に期待するな。(自我その491)

    人間は、救われない動物である。なぜならば、自分は正しく判断をして生きていると思っているが、実は、深層心理が自我愛によって生み出す自我の欲望に駆られて生きているからである。しかも、他者には正しい判断を求めて、自分自身は自我の欲望に駆られて生きているのである。人間は、誰しも、自分は深層心理が自我愛によって生み出す自我の欲望に駆られて生きているのに、他者には正しい判断を求め、他者が正しい判断を判断すれば、自分が好評価・高評価されると思っているから、悲劇が絶えないのである。自分が他者に誠意を尽くせば、他者が自分を正しく判断して、自分を好評価・高評価すると思っているから、悲劇が絶えないのである。他者が自分を好評価・高評価するのは、自分の誠意が認められたからではなく、自分の思考や行動が他者の欲望に合致したからなのである。人...他者に期待するな。自我に期待するな。(自我その491)

  • ルーティーンと法則について。(自我その490)

    人間は、毎日、同じようなことを繰り返して暮らしている。ルーティーンの生活を送っている。毎日、家で機械をもてあそび、学校へ行って勉強し、会社へ行って働き、店に立ち寄って買い物をし、仲間と戯れ、カップルで楽しむ。人間は、毎日、構造体で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。人間は、毎日、家、学校、会社、店、仲間、カップルなどの構造体で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、同じようなことを繰り返して暮らしているのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル...ルーティーンと法則について。(自我その490)

  • 人間に良心はあるか。人間に力はあるか。(自我その489)

    人間に良心はあるか。人間は、誰しも、良心を持っている。しかし、それは自我の欲望を満たす時と他者に評価される時に現れ、自我の欲望と対立すれば消えていくのである。それほどまでに、自我の欲望が強大であり、人間を動かしているのである。人間に力はあるか。人間は、誰しも、力を持っている。政治権力者は自我の欲望によって力を発揮する。しかし、大衆にとって、それは自分の無力を耐えるための力である。自分の無力を正当化するための思考が自我の欲望によって生み出され、政治権力者の残虐非道な行為に抗することができないという自分の無力を忘れていくのである。だから、国外、国内において、政治権力者が自我の欲望によって大衆に対して残虐非道のことを行い、大衆は自我の欲望によって自分の無力を正当化して、政治権力者の残虐非道な行為を忘れようとしているの...人間に良心はあるか。人間に力はあるか。(自我その489)

  • 人類に絶望しても、誰も信じられなくても、人間は生きていく。(自我488)

    ハイデッガーは、「有史以来、人類は、一度なりとも、人間として存在したことはない。」と言う。現在とて例外ではない。人類は絶望的な状況にある。国外では、ミャンマーでは、軍部がクーデターを起こして、政治権力を奪い、デモ行進をする民衆を、兵隊と警官が無差別に射殺している。国連が頼りのはずなのに、中国とロシアが反対し、非難声明すら出せないでいる。ナイジェリアでは。イスラム過激派組織ボコ・ハラムが、西洋式の教育を行っていると批判し、学校を襲撃し、数百人単位で生徒を連れ去り、男子生徒を兵士に仕立て上げ、女子生徒をレイプしている。中国共産党政府は、香港に介入し、民主派政治家を逮捕し、中国の支配下におこうとしている。中国共産党政府は、ウイグル自治区では、イスラム教徒を逮捕し、強制収容所に送り、男性を拷問死し、女性をレイプしている...人類に絶望しても、誰も信じられなくても、人間は生きていく。(自我488)

  • 人間の根本的な矛盾について。(自我487)

    人間は、自らの内に道徳観や社会規約を守る気持ちがあり、それに則って生きていると思っている。つまり、良心に従って生きていると思っている。しかし、人間は、自我の欲望に従って生きているのである。しかも、他者には道徳観や社会規約を守ることを要求し、自らは自我の欲望に従って生きているのである。この矛盾が、人間界に悲劇、惨劇を生み、この世を地獄に化しているのである。ニーチェは、「人間の認識する真理とは、人間の生に有用である限りでの、知性によって作為された誤謬である。」と言う。人間が自らの内に道徳観や社会規約を守る気持ちがあり良心に則って生きていると思い込んでいるのは、自らを正当化でき、生きていく上で「有用」だからである。しかし、時折、自らが自我の欲望に従って生きていることに気付く人が現れ、その人は自らに絶望するのである。そ...人間の根本的な矛盾について。(自我487)

  • 人間の根本的な誤解について。(自我486)

    なぜ、国外政治においても国内政治においても、悪事が横行しているのか。国外政治においては、ミャンマー国軍がクーデターを起こして、政治権力を奪い、デモ行進をする民衆を、兵士と警官が無差別に射殺している。国連が頼りのはずなのに、中国とロシアが反対し、抑圧の行動を取れないでいる。ナイジェリアでは。イスラム過激派組織ボコ・ハラムが、西洋式の教育を行っていると批判し、学校を襲撃し、数百人単位で生徒を連れ去り、男子生徒を兵士に仕立て上げ、女子生徒をレイプしている。中国共産党政府は、香港に介入し、民主派政治家を逮捕し、中国の支配下におこうとしている。中国共産党政府は、ウイグル自治区では、イスラム教徒を逮捕し、強制収容所に送り、男性を拷問死し、女性をレイプしている。北朝鮮では、金正恩が独裁政治を敷き、理由無く、民衆を殺している。...人間の根本的な誤解について。(自我486)

  • 自我の欲望とは何か。(自我その485)

    人間は、常に、構造体に所属して、自我を持って行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構...自我の欲望とは何か。(自我その485)

  • あなたは、明日も、今日と同じように過ごすことができるだろうか。(自我その484)

    あなたは、朝、目覚めると、今日しようとしていることや今日しなければいけないことを思って、楽しくなるような前向きの気持ちか憂鬱になるような後ろ向きの気持ちかになるだろう。しかし、その気持ちは、あなたが、自ら意識して、今日しようとしていることや今日しなければいけないことのことを考えたために生まれてきたのではない。深層心理が、あなたの無意識のうちに、今日しようとしていることや今日しなければいけないことのことを思考して、楽しくなるような前向きの気持ちか憂鬱になるような後ろ向きの気持ちを生み出しているのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。だから、人間の生活は、無意識の思考から、すなわち、深層心理の思考から始まるのである。そして、あなたは、深層心理の思考に従って、今日、家に引き籠もっていれば、明日も、今日と...あなたは、明日も、今日と同じように過ごすことができるだろうか。(自我その484)

  • 人間の尊厳は苦悩することにある。(自我その483)

    人間の尊厳は苦悩することにある。苦悩とは、苦痛の下で、その苦痛から抜け出す方法を、自ら意識して考えることである。人間は、誰しも、苦痛を厭う。しかし、精神的にしろ肉体的にしろ、苦痛が無ければ、人間は、意識して思考しないのである。苦痛があるからこそ、人間は、苦痛の下で、その苦痛から抜け出す方法を、自ら意識して考えるのである。しかし、肉体的な苦痛は、病気や怪我が原因だから、その箇所を修復すれば苦痛が取り除かれるので、対応の方向性は明確である。問題は精神的な苦痛である。まず、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、精神的な苦痛を生み出していない。誰が、自ら意識して、自らの意志によって、苦痛を自らにもたらすだろうか。人間の自ら意識すること、自ら意識して思考すること、自ら意識して思考した結果である意志によって行動すること...人間の尊厳は苦悩することにある。(自我その483)

  • 人間は、憎悪や嫉妬心のからくりを理解しない限り、それらに支配し続けられる。(自我その482)

    聖書に「人はパンのみにて生くるものにあらず。」という言葉がある。言うまでもなく、パンとは、食糧のことである。聖書は、人間は、生きていくためには、食糧以外に、神の言葉が必要だと言うのである。人間を生かしてくれるのは神であり、神の言葉に従えば、人間が生きていくために必要なものを神が備えてくれると言うのである。さすがに、イエスの教えである。しかし、キリスト教国ではない日本では、一般には、人間は、食べることだけを目的に生きるのではなく、文化的・精神的なことを追求することを目的にして生きるのだという意味で解釈されている。確かに、人間が生きていくためには、食糧だけでなく、他の物や他のことが必要である。それが、キリスト教国では神の言葉、日本では文化的・精神的なことなのである。しかし、人間は、聖書に記されているような高尚な生き...人間は、憎悪や嫉妬心のからくりを理解しない限り、それらに支配し続けられる。(自我その482)

  • 人間は、ニーチェの言うように、力への意志によって、永劫回帰を求めて生きている。(自我その481)

    ニーチェに、力への意志、永劫回帰という思想がある。人間は、力への意志によって、永劫回帰を求めて生きているのである。そして、人間は、永劫回帰することによって、力のへの意志を実現しようとするのである。永劫回帰とは、この世に存在しているものやあることは永遠に同じことを繰り返すという思想である。しかし、真実は、逆である。この世に存在しているものやことは永遠に同じことを繰り返すのではなく、人間は、同じことを繰り返すものやことしか理解できないから、それらに存在の称号を与えたのである。人間は、同じことを繰り返すものやことしか理解できないから、無意識のうちに、同じことを繰り返すものやことだけがこの世に存在していると思い込んでいるのである。さらに、それらが、永遠に存在していないと不安だから、永遠に存在していると思い込んでいるので...人間は、ニーチェの言うように、力への意志によって、永劫回帰を求めて生きている。(自我その481)

  • 人間とは、快楽を追うように作られた存在者に過ぎないのか。(自我その480)

    人間は、誰しも、自由に行動したいと思っている。なぜならば、自由に行動できなければ、不快だからである。もちろん、自由に行動できたとしても、快楽が得られるとは限らない。しかし、自由に行動できなければ、必ず、不快感が心に満ちあふれるのである。だから、誰しも、自由を求めるのである。しかし、快楽はどこかに隠れていて、それを見つけ出せれば得られるというものではない。しかし、人間は、経験から、どのような時、快楽を得られるか知っている。快楽を得るには自我と他者が関わっているのを知っている。快楽は、自我の容姿や行動が他者から好評価・高評価を受けた時に生まれるのを知っている。人間は、自我が他者から、好かれたり、褒められたりすると、自我に自信を持ち、心の中に、快楽が生まれるのである。快楽は、外部からやってこない。しかし、快楽は、外部...人間とは、快楽を追うように作られた存在者に過ぎないのか。(自我その480)

  • 人間の日々は、自我の欲望のままに、空しく、過ぎていく。(自我その479)

    人間に主体性が無いことは、誕生から始まっている。人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。人間は、気が付いたら人間として存在しているのである。自らの意志で誕生していないから、主体性を持つことができないのである。だから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、それに疑問を覚えるのである。つまり、主体性が無いことに疑問を覚えるのである。しかし、自らの意志によって生まれてきたのではないことは、他の動植物も同じである。しかし、人間には、他の動植物と異なるところがある。それは、言葉を持っていることである。他の動植物は言葉を持っていないから、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きていることに疑問を覚えることが無いのである。思考と行動は完...人間の日々は、自我の欲望のままに、空しく、過ぎていく。(自我その479)

  • 人間という現象について。(自我その478)

    人間は一つの現象に過ぎない。一つの現象にしかに過ぎない存在者なのに、主体的に、人間以外のものを変えていくことができると思っているから、無理が掛かるのである。ヘーゲルは、時代が進めば、絶対精神などという究極の理性を獲得できると言う。しかし、理性は対立すれば感情に負けてしまうのである。アドルノは、第二次世界大戦の惨状をみて、理性の限界を感じた。しかし、理性とは、自らを意識しての思考であり、人間の思考に、感情を抑圧する力は存在しないのである。マルクスは、階級を無くし、貧富の差を無くせば、皆、平和に幸福に暮らせるという。しかし、人間は、階級がなくなっても、別のもので、人間を差別する。国に、国民が飢えないだけの食糧があっても、政治権力者は、飢える人が出ても、自らの食糧を余計に取ろうとするのである。人間には、国を運営するた...人間という現象について。(自我その478)

  • 人類は絶望の状況にある。しかし、それは、他の生物に希望を与えている。(自我その477)

    人類に未来はあるか。現在が無いのに、未来が有るはずが無い。例えば、国外では、ミャンマーでは、軍部がクーデターを起こして、政治権力を奪い、デモ行進をする民衆を、兵隊と警官が無差別に射殺している。国連が頼りのはずなのに、中国とロシアが反対し、非難声明すら出せないでいる。ナイジェリアでは。イスラム過激派組織ボコ・ハラムが、西洋式の教育を行っていると批判し、学校を襲撃し、数百人単位で生徒を連れ去り、男子生徒を兵士に仕立て上げ、女子生徒をレイプしている。中国共産党政府は、香港に介入し、民主派政治家を逮捕し、中国の支配下におこうとしている。中国共産党政府は、ウイグル自治区では、イスラム教徒を逮捕し、強制収容所に送り、男性を拷問死し、女性をレイプしている。北朝鮮では、金正恩が独裁政治を敷き、理由無く、民衆を殺している。アメリ...人類は絶望の状況にある。しかし、それは、他の生物に希望を与えている。(自我その477)

  • 人間は、生きようとしなくても生き、欲望を持とうとしなくても持ち、考えようとしなくても考えている。(自我その466)

    ちょうど十年前、東日本大震災があった。その時、被災者の多くは、「今回の地震で、生きるということは、生かされていることなのだということをつくづくと思い知らされました。」と話していた。阪神・淡路大震災の際にも、被災者は、同じように答えていた。この言葉には、嘘、偽りはない。愛する人、親しい人を喪って、初めて、自分が彼らに支えられていたことを思い知ったのである。さらに、愛する人、親しい人を喪い、家を失い、田畑を失い、生活基盤を全て失って、絶望の淵にさまよっていた時に、国内ばかりでなく、海外の人からも、励ましの言葉、衣食住の生活物資の援助、復興作業の支援を受けて、生きる希望を取り戻し、自分が見知らぬ多くの人に支えられていることを思い知ったのである。しかし、人間は、自分自身によっても、生かされているのである。深層肉体と深層...人間は、生きようとしなくても生き、欲望を持とうとしなくても持ち、考えようとしなくても考えている。(自我その466)

  • 自我の戯れについて。(自我その475)

    人間は、誰しも、さまざまな構造体に所属して、さまざまな自我を所有して、行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者から、ポジションが与えられ、そのポジションに応じて行動しようとする、現実の自分のあり方である。構造体には、国、家族、学校、会社、銀行、店、電車、仲間、夫婦、カップルなどがある。国という構造体では、国民という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、銀行という構造体では、支店長・行員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体では、...自我の戯れについて。(自我その475)

  • 人間は感情の動物であるが、感情を動かすことも消すこともできない。(自我その474)

    人間は感情の動物である。すなわち、感情に動かされて行動する動物である。しかし、人間は、感情を動かすことも消すこともできないのである。それには、二つの理由がある。一つは、感情は、深層心理によって生み出されるからである。深層心理とは、人間の無意識の思考である。感情は、人間の意識していないところで生み出されるから、人間は、自らの感情を意識しても、自らの意志で、動かすことも消すこともできないのである。人間が自らを意識すること、人間が自らを意識して思考すること、自らの意志で行動しようとすることを、表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理では、自らの感情を動かすことも消すこともできないのである。感情は深層心理によって生み出されるから、人間は表層心理では直接的に感情に働き掛けることはできないのである。つまり、人間は、深層心...人間は感情の動物であるが、感情を動かすことも消すこともできない。(自我その474)

  • 人間は自我に取り憑かれた動物である。(自我その473)

    人間は、常に、何かであり、誰かである。そのあり方が自我である。人間は、誰しも、自らの自我にしがみつき、自らの自我を他者に認めてほしいと思っている。しかし、他者が自らの自我にしがみつき、自らの自我を認めてほしいという重いで、行動したり発言したりするのを見ると醜く感じる。それは、人間にとって、自らの自我だけが存在価値のあるものだからである。しかし、人間は、誰しも、他者に自らの自我を認めてほしいと思っているが、自我を主張すると、他者や他人に嫌われるのを知っているから、敢えて、控えている。しかし、深層心理に動かされ、思わず、若しくは、思い切って、自らの自我を主張をする人が現れる。そうすると、ほとんどの場合、他者から嫉妬を受け、嫌われる。また、自らは自我を主張していると思っていない行動や意見が、他者には自我を主張している...人間は自我に取り憑かれた動物である。(自我その473)

  • 人間にとって、現実は存在せず、観念こそ現実である。(自我その472)

    人間は観念の動物である。ロシアの作家のドストエフスキーは「人間にとって理想は現実よりも現実的である」と言う。それになぞらえば、人間にとって観念は現実よりも現実的なのである。正確に言えば、人間にとって、現実は存在せず、観念こそ現実なのである。人間に捉えられた他者・物・現象は、全て、人間の志向性によって捉えられた他者・物・現象なのである。志向性とは、思考の方向性である。知るとは、ある志向性から、他者・物・現象という対象を支配すること、すなわち、捉えることを意味しているのである。つまり、知るとは、ある志向性から、他者・物・現象に関わりを持って理解するという意味なのである。ドイツの哲学者のカントは、「人間は物自体を捉えることはできない」と主張する。カントは、「私たちが直感する物は現象であって、私がそのように直感している...人間にとって、現実は存在せず、観念こそ現実である。(自我その472)

  • 人間は権力を握ると必ず堕落する。大衆がその堕落を招来している。(自我その471)

    人間は、権力を握ると、必ず、堕落する。それは、大衆が新しい権力者に期待するからである。人間には、支配欲があり、大衆が新しい権力者に期待するから、人間は、権力を握ると、自分は何をやっても許されると思い、支配欲を発揮して、自我の欲望のままに行動しようと思うのである。大衆が、それを批判しない限り、権力者は、自我の欲望のままに、わがままな行動をするのである。大衆が、国政選挙で、自民党を大勝ちさせたから、安倍晋三は森友学園・加計学園・桜を見る会などで不正を行い、菅義偉は、息子が官僚接待という不正を行ったのである。思想家の吉本隆明は、「人間の不幸は、わがままに生まれてきながら、わがままに生きられず、他者に合わせなければ生きていけないところにある。」と言っている。わがままに生きるとは、自我の欲望のままに、行動することである。...人間は権力を握ると必ず堕落する。大衆がその堕落を招来している。(自我その471)

  • 人間は壊れ物として存在している。(自我その470)

    人間は壊れ物として存在している。それは、人間は心が壊れやすいというだけでなく、心が壊れた状態が人間をして人間として出発させるという意味である。人間は心が壊れやすいということは、人間は傷付きやすいことを意味している。なぜ、人間は傷付きやすいのか。それは、他者の評価を気にして暮らしているからである。しかし、人間は、意識して、他者の評価を気にしているのではない。人間は、無意識のうちに、他者の評価を気にしているのである。だから、意識しようと意識しまいと、人間は他者の評価を気になるのである。だから、気にするなと言われても、気になるのである。人間は、無意識のうちに、他者の評価を気にしているから、気にしないでおこうとしても、気になるのである。人間の無意識の思考を深層心理と言う。すなわち、深層心理が他者の評価を気にしているから...人間は壊れ物として存在している。(自我その470)

  • なぜ、学校や会社に行くのが嫌なのか。なぜ、嫌でも、学校や会社に行くのか。(自我その469)

    朝、起きると、たいていの人は、憂鬱になる。それは、学校や会社に行かなければならないからである。それでは、なぜ、学校や会社に行くのが嫌なのか。学校や会社は楽しくないからである。それでは、なぜ、嫌でも、学校や会社に行くのか。学校や会社に行かないと不安だからである。他の人と異なったことをするのが不安なのである。フランスの心理学者のラカンは、「人は他者の欲望を欲望する」と言う。この言葉は、「人間は、他者のまねをする。人間は、他者から評価されたいと思う。人間は、他者の期待に応えたいと思う。」ということを意味している。つまり、人間は、主体的に自らの行動を思考できないのである。人間は、無意識のうちに、他者の欲望を取り入れているのである。だから、人間は、他者の評価の虜、他者の意向の虜なのである。他者の評価を気にして判断し、他者...なぜ、学校や会社に行くのが嫌なのか。なぜ、嫌でも、学校や会社に行くのか。(自我その469)

  • 人間は、深層心理によって、自我の欲望を追求するように動かされている。(自我その468)

    フランスの哲学者のデカルトは、「我思う、故に、我あり。」と言い、「私はあらゆるものの存在を疑うことができる。しかし、疑うことができるのは私が存在しているからである。だから、私はこの世に確実に存在していると言うことができる。」と主張する。なぜ、デカルトはあらゆるものの存在を疑うのか。それは、悪魔が人間をだまして、真実は存在していないのに存在しているように思わせたり、真実は別の姿なのに現在のような姿のように見せたり、真実は別のあり方であるべきなのにそのような現在のように見せたりしているかも知れないからである。しかし、自分は確実に存在していることがわかったので、理性を働かせて、演繹法によって、いろいろな物やいろいろなことの存在の真実のあり方を、すなわち、真理を証明することができると主張する。しかし、デカルトの論理は危...人間は、深層心理によって、自我の欲望を追求するように動かされている。(自我その468)

  • ストレスの無い人間、ストレスの無い社会は存在しない。(自我その467)

    人間は、誰しも、ストレスなく、暮らしたいと思っている・しかし、毎日、大なり小なり、ストレスを感じている。なぜならば、生きていくために、自らの欲望を抑圧しているからである。なぜ、自らの欲望を抑圧するのか。それは、自らの欲望通りに行動すると、後に、自らの立場が危うくなるからである。例えば、会社や学校で、社員や生徒が、上司や教師に、叱責される。悔しいから、反論したくなる。しかし、反論すると、後に、自らの立場が危うくなるから、恭順の意を表すのである。つまり、自らの立場を守るために、自らの欲望を抑圧するのである。そして、それがストレスになるのである。特に、現代社会はストレス社会だとよく言われる。ほとんど全ての人が何らかのストレスを抱えているからである。現代は、これまでの時代に比べてストレスが感じることが多い社会だと思われ...ストレスの無い人間、ストレスの無い社会は存在しない。(自我その467)

  • 無意識の意識、意識の意識について。(自我その466)

    無意識の意識とは深層心理の意識のことである。深層心理とは。無意識の思考である。深層心理は、何かを意識して、思考する。深層心理も、何かを意識しなければ、思考できないのである。意識することは思考する対象を絞ることであり、対象を絞らなければ思考できないのである。思考は、漠然とはできないのである。思考は、常に、何かを対象にして意識し、ある欲望の下で、ある志向性をもって、行われるのである。さて、人間は、深層心理が何かを意識していることも、深層心理が思考していることも、意識できない。人間は、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望を意識することがあるのである。表層心理とは、自らを意識することであり、また、意識しての思考である。人間は、自らを意識すると、表層心理での思考が始まる。また、人間は、表層心理で、...無意識の意識、意識の意識について。(自我その466)

  • なぜ、快楽が存在するのか。それは、幻覚ではないのか。(自我その465)

    なぜ、快楽が存在するのか。それは、幻覚ではないのか。なぜ、快楽が存在するのか。それは、無ではないのか。なぜ、人間は快楽を求めるのか。それは、求めているのではなく、求めるように仕向けられているのではないか。確かに、快楽は存在する。幻覚ではない。感じることができるからである。だから、それは無ではない。そして、人間は、誰かに強いられているわけでもなく、何かにだまされているわけでもなく、自ら、快楽を求めているのであるから、仕向けられているわけではない。しかし、人間は、誰一人として、自らの快楽を他者に見せることはできない。人間は、誰一人として、意志では、快楽を生み出すことはできない。快楽は、何かをすることによって、生まれてくるのである。さらに、同じことをしても、常に、快楽が生まれてくるわけではない。だから、実験によっても...なぜ、快楽が存在するのか。それは、幻覚ではないのか。(自我その465)

  • 哀しみの向こうに精神疾患がある。(自我その464)

    人間は、誰しも、常に、心の中に、四つの欲望がある。四つの欲望とは、現在の構造体が存続してほしい・現在の自我を維持したいという第一の欲望、他者に認められたい・他者に好かれたいという第二の欲望、自分の意見を通したい・構造体を支配したい・この場を仕切りたいという第三の欲望、他者と心の交流を図りたい・他者と協力体制を築きたいという第四の欲望である。しかし、この四つの欲望は、自ら意識して、自ら意志して、持ったものではない。無意識のうちに、心の底から湧いて来て、働くのである。この、人間の無意識の心の働きを深層心理と言う。それに対して、人間の自らを意識しての心の働きを表層心理と言う。深層心理は、第一の欲望を保身化という形で機能化させ、第二の欲望を対他化という形で機能化させ、第三の欲望を対自化という形で機能化させ、第四の欲望を...哀しみの向こうに精神疾患がある。(自我その464)

  • 怒りとは、人間が自我に取り憑かれた状態にあることである。(自我その463)

    人間は、誰しも、自ら意識して思考し、自らの意志で行動していると思っている。人間の意識しての思考を表層心理と言う。人間の表層心理での思考の結果が意志である。すなわち、人間は、誰しも、表層心理で、自ら意識して思考し、自らの意志で行動していると思っている。しかし、人間は、表層心理で、自ら意識して思考する前に、無意識のうちに思考しているのである。人間の無意識のうちの思考を深層心理と言う。深層心理は、一般に、無意識と言われている。すなわち、深層心理が、人間の無意識のうちの思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間は、この自我の欲望に動かされて行動しているのである。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織...怒りとは、人間が自我に取り憑かれた状態にあることである。(自我その463)

  • 人間は、誰しも、嫉妬心を抱くことがあり、自らの嫉妬心に向き合わなければならない。(自我その462)

    人間は、自我の動物である。すなわち、人間は、自我に執着し、自我を主体にして生きている動物である。だから、他者が成功を収め、賞賛されているのを見ると、うらやましく思い、嫉妬心を抱くのである。自らもその成功を収めて賞賛を受けても良いはずなのに、なぜ他者がその成功を収めたのか、悔しく思い、その他者を毛嫌いし、排除しようとするのである。だから、嫉妬の対象者は、自らと同じ立場の他者であり、自らと同じような実力のものである。人間は、誰しも、自分の力の及ばない他者に対しては、嫉妬心は抱かないものである。しかし、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、自我に執着して、嫉妬心を抱くのではない。人間は、無意識のうちに(思考して)、自我に執着し、嫉妬心を抱くことがあるのである。人間の無意識のうちでの思考を深層心理と言う。つまり、深...人間は、誰しも、嫉妬心を抱くことがあり、自らの嫉妬心に向き合わなければならない。(自我その462)

  • 人間は、不安、恐怖、傷心、怒りを見つめ直さなければならない。(自我その461)

    人間は、不安、恐怖、傷心に苦しみながら、生きている。それでは、何が、不安、恐怖、傷心を生み出して、人間を苦しめるのか。それは、人間の内なる心、深層心理である。つまり、自分が自分を苦しめているのである。深層心理とは、人間が自ら意識すること無く、心の奥底で行っている思考である。深層心理が、人間の無意識のうちに、思考して、不安、恐怖、傷心を生み出すから、人間は、不安、恐怖、傷心から逃れることはできないのである。深層心理が、不安、恐怖、傷心を生み出し、人間は、それらに苦しみながら、表層心理で、それらから脱却する方法を考え出そうとするのである。表層心理とは、人間の自ら意識しながら行う思考である。すなわち、深層心理が、不安、恐怖、傷心という苦痛をを生み出し、人間は、その苦痛から解放されるために、表層心理で、それらから脱却す...人間は、不安、恐怖、傷心、怒りを見つめ直さなければならない。(自我その461)

  • 人間は、自らの精神構造を知ることによって、初めて、自らを知ることができる。(自我その460)

    人間は、誰しも、自分で考えて行動していると思っている。しかし、人間には、自分そのものの行動は存在しない。人間は、自我として、行動しているのである。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、構造体に所属し、自我を持って行動している。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長...人間は、自らの精神構造を知ることによって、初めて、自らを知ることができる。(自我その460)

  • 人間は、壊れやすい存在者である。(自我その459)

    「君子危うきに近寄らず」という諺がある。この諺は、立派な人は身を慎み、危険なところに近寄ろうとしないものだという意味である。それでは、なぜ、君子と言えども、危険なところに行ってはいけないのか。そこへ行くと、君子が君子でなくなるからである。君子の対義語が小人であり、小人とは、徳・度量の無い人を意味する。すなわち、君子と言えども、危険なところに行けば、徳・度量の無い人になってしまうのである。つまり、人間は、壊れやすい存在者なのである。それでは、危険なところとは、どのようなところであるか。そこは、自らが危険な心の状態に陥りやすく、危険な人が存在するところである。人間にとって、危険な心の状態とは、傷心の感情の状態、怒りの感情の状態である。深層心理の敏感な人の方が、深層心理の鈍感な人よりも、心が傷付きやすく、感情の起伏が...人間は、壊れやすい存在者である。(自我その459)

  • ぼうっと生きている人も平和ぼけの人も存在しない。(自我その458)

    「ぼうっと生きているんじゃないよ。」と他者を揶揄する人がいる。そして、日本は、戦争がないから、何も考えず、平和ぼけになっているという論理を展開する。しかし、何かあると、戦争で解決しようと考えることは非常に危険なことである。何があっても、戦争は起こさないという覚悟が必要なのである。なぜならば、何かあると、戦争で解決しようと考える人は、些細なことでも、戦争を始めるからである。そして、それが、戦争慣れに繋がり、戦争をしていない時でも、常に、戦闘モードでないと、落ち着かない状態に陥るのである。世界は、そのような国ばかりだから、どこかで戦争をしていて、どこにでも、いちでも、戦争が起こる可能性があるのである。ニーチェは、「全ては永劫回帰する」と言う。まさしく、人間は同じ生活を繰り返すのである。まさしく、戦争慣れをした国は、...ぼうっと生きている人も平和ぼけの人も存在しない。(自我その458)

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