あるニヒリストの思考
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あるニヒリストの思考さん
ブログタイトル
あるニヒリストの思考
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https://blog.goo.ne.jp/zituzonn
ブログ紹介文
日々の思いを綴る
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-
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あるニヒリストの思考さんのブログ記事

1件〜30件

  • 人間は、自我の欲望が全てである。(自我その213)

    秋祭りの神輿が、家のすぐ横の道を通っていく。赤ら顔の神輿を担ぐ若者たち、着物姿の若い女性たち、おもちゃを買ってもらった子供たち、手をつないで歩く高校生らしき一組のカップル、皆、楽しそうである。彼らは、観衆から見られている意識があるから、楽しいのである。彼らは、神輿を担いでいる男らしい自分、あでやかな着物姿の自分、おもちゃを手に入れて得意げな自分、恋人と歩く自分が、観衆から見られるのが嬉しいのである。これが、人間の対他存在のあり方である。しかし、昨年、神輿を担いでいた若者たちの一部が、「ビールが少ない。」と言って、神主にくってかかった。彼らは、秋祭りの主役は、自分たちだと思っているから、このようなことをしたのである。これが、人間の対自存在のあり方である。おもちゃを手にして子供たちが喜んでいるのは、おもちゃを支配で...人間は、自我の欲望が全てである。(自我その213)

  • 誰しも、存在の意味を有していないのに、存在している。(自我その212)

    人間、誰しも、「自分はどうして生まれてきたのだろう。」、「自分は何のために生きているのだろう。」と、自分の存在に対して、疑問を抱くことがある。しかし、誰一人として、その答えを見出すことができない。なぜならば、誰一人として、生まれて来たいから生まれてきたのではなく、気が付いたら、そこに存在しているからである。もちろん、生まれることの許諾・拒否の意志確認をされたわけでもない。そのような意志を表明できるということは、既に、生まれ、存在していることを意味するからである。すなわち、誰しも、存在の疑問は、解くことはできないのである。それは、誰しも、自分の存在の意味を有していないからである。つまり、誰しも、存在の意味を有していないのに存在しているのである。これが、人間の存在の真理なのである。しかし、それは、ニーチェの言う、「...誰しも、存在の意味を有していないのに、存在している。(自我その212)

  • 人間の性格は、一生、変わらない。(自我その211)

    人間の性格とは、各個人に特有の感情・意志・行動の面での傾向や性質を意味する。多くの人は、自分の性格に悩んでいる。反応が鈍い・意欲に乏しい・投げやりな性格に悩む人も存在するが、多くの人は、心が傷付きやすい・激しやすい・怒りやすい性格に悩んでいる。だから、性格を変えたいと思うのだが、その手立てが思いつかない。中には、いろいろ試みる人がいるが、その成果が現れない。成果があったように思われる時もあるが、それは誤解であり、やはり、何かあると、元の性格のままであることに気付く。それは、当然のことである。なぜならば、人間の性格は、一生、変わることがないからである。性格は、人間の無意識の心の働きである深層心理の傾向だから、人間は、意識して、意志で変えようという、表層心理の試みでは、成功しないのである。表層心理は、深層心理に、直...人間の性格は、一生、変わらない。(自我その211)

  • 自分は自分の世界の中心であるが、他者にとっては一つの駒に過ぎない。(自我その210)

    人間、誰しも、自分は、自分の世界の中心であるが、他者にとっては、一つの駒にしか過ぎない。それは、自分の世界はさまざまな構造体から形成され、自分はさまざまな自我から形成され、自我の統合の象徴として自己が君臨しているが、他者にとっては、他者が所属している構造体の一つの駒にしか過ぎないからである。だから、自己は他者から理解されるはずがないのである。なぜならば、自己はさまざまな自我の統合の象徴であり、他者に理解されるのは、ある特定の一つの構造体での自我に過ぎないからである。だから、学校でいじめられ自殺した子供の両親が、学校での子供の生活を知ろうとするが、知りたい気持ちは理解できるとしても、それは、不可能である。なぜならば、両親は、家族という構造体での我が子の自我の行動は理解しているが、学校での生徒という自我でのあり方は...自分は自分の世界の中心であるが、他者にとっては一つの駒に過ぎない。(自我その210)

  • 人間は、一つの現象である。(自我その209)

    現象とは、決まって、ある傾向を示す、事象である。その現象の傾向が研究されて、真理・本質と呼ばれているのである。だから、全ての事象が、現象になるのではない。定まった傾向を示さない事象は、現象化しない。それらは、混沌とした状態にとどまっている。言わば、カオス状態にとどまっている。カントは、「現象とは、時間・空間・カテゴリーに規定されて現れているものである。」と言ったが、これは、自然の傾向を捉えた自然現象についてのみ述べたものである。しかし、自然現象であろうと、社会現象であろうと、カントが言う、時間・空間・カテゴリー以外に、特定の志向性(観点・視点)が存在しなければ、人間は、現象を捉えることができない。志向性(観点・視点)が変われば、異なった現象が見えてくる。それが、クーンの言う「パラダイム・シフト」である。しかし、...人間は、一つの現象である。(自我その209)

  • 人間を滅ぼしかねない、恐ろしい真理(自我その208)

    人間は、現象を、現象のままにしておくことは不安であり、現象から真理を掴み出すことによって安心する動物である。正確には、真理を掴んだと思うことによって安心する動物である。近代以前のヨーロッパ諸国の人々が、天体運行の基本真理として、太陽が地球の周囲を周期的に回ると考えたのは、それが、キリスト教の教義に合致し、毎日の生活で覚える感覚と合致したために、安心できたからである。しかし、近代になると、ヨーロッパ諸国の人々は、地球が太陽の周囲を周期的に回ると考えるようになった。それは、科学的な思考を導入したからである。科学の真理が、終局的には、人間に幸福をもたらすと考えたから、それを受け入れたのである。科学的な思考に、絶対的な信頼感を置くことによって、安心感を得られるので、そのように信じているのである。このように、近代以前と近...人間を滅ぼしかねない、恐ろしい真理(自我その208)

  • 人間は偶然に生まれ、偶然に死ぬ。それが、人間の必然である。(自我その207)

    人間は、偶然、生まれて来る。そこに必然性は全く無い。しかし、それを認めるとあまりにも寂しく感じられるから、運命などということを考え出したのである。そして、生まれた後も、人間は、深層肉体と深層心理に導かれて生きていく。深層肉体とは、人間の表層心理の意識や意志に関わらず、どのような肉体状況・状態にあろうとであろうと、ひたすら生きようとする肉体の存在のあり方である。深層心理とは、人間の無意識の状態で起こる、心の働きである。深層心理が、人間の無意識の状態で、まず、思考し、感情と行動の指令を生み出すのである。ラカンの「無意識は言語によって構造化されている。」という言葉はこの謂である。無意識とは、深層心理のことである。「言語によって構造化されている」とは、言語を使って、論理的に思考していることを意味している。深層心理は、ま...人間は偶然に生まれ、偶然に死ぬ。それが、人間の必然である。(自我その207)

  • 我々に何ができるのか。(自我その206)

    香港市民の「逃亡犯条例」の改正案への抗議デモは激しさを増している。「逃亡犯条例」の改正案とは、香港から中国本土に刑事事件の容疑者を引き渡すことを認める条例である。林鄭月娥行政長官は、抗議デモの大きさ・激しさに恐れを成し、「逃亡犯条例」の改正案を正式に撤回すると表明した。しかし、抗議デモの代表者は、逮捕されたデモ参加者の釈放、警官のデモ参加者への犯罪行為の解明など残りの四項目が認められていないとして、抗議デモを続けるつもりだと言う。さて、香港市民は、何を恐れて、このような大規模なデモを行ったのか。それは、中国政府が、逃亡犯条例」の改正案を利用して、香港に直接介入してくることである。すなわち、中国政府が、逃亡犯条例」の改正案を利用して、香港市民の自由を奪うことである。しかし、それは杞憂ではない。中国政府寄りの高等法...我々に何ができるのか。(自我その206)

  • 生き、悩み、考える。(自我その205)

    人間には、人間一般のあり方は存在しない。人間は、常に、誰かであり、何かである。常に、内に感情を抱き、外に心を開いている。しかし、自ら、意識して、それを行っているのではない。人間は、無意識のうちで、それを行っている。すなわち、深層心理が、感情を抱き、外に心を開いているのである。だから、外部の出来事に反応し、感情を抱き、行動へと向かうことができるのである。深層心理が、外部の出来事に反応し、感情を生み出し、具体的な行動の指令を出しているからである。深層心理が生み出した感情と行動の指令を(深層心理の)欲望と言う。その後、表層心理がそれを意識して、それに対応して、行動へともたらすのである。しかし、表層心理は、深層心理が出した行動の指令を、必ずしも、意識しない。人間は、深層心理が出した行動の指令を、意識せずに、その行動の指...生き、悩み、考える。(自我その205)

  • それでも、生きていく。(自我204)

    人間は、自ら、意識していないが、生来、二種類の生きる意志が与えられている。深層肉体の意志と深層心理の意志である。肉体にも精神にも、生来、生きる意志がある。だから、人間は、生命として生き、欲望として生きていけるのである。しかし、これらの意志は、自分が意識して生み出している意志ではない。言わば、肉体そのもの、精神そのものに、生来、備わっている意志である。この、自らが意識する前に、既に、生きる意志を持って存在している肉体を深層肉体と言い、自らが意識する前に、既に、生きる意志を持って存在している精神を深層心理と言う。しかし、深層肉体にも深層心理にも、共通して、生きる意志が存在するが、その方向性は、必ずしも、一致しない。聖書に「人はパンのみにて生くるものにあらず。」とあるが、パンを求めているのが深層肉体であり、パン以外の...それでも、生きていく。(自我204)

  • 何のために生きているのか。何を求めて生きているのか。(自我その203)

    人間、誰しも、時として、「自分は何のために生きているのだろう。」、「自分は何を求めて生きているのだろう。」と疑問を抱くことがある。そのような疑問は、現在の生活が上手く行かない時に湧き上がる。生活が苦しい時、将来の見通しが立たない時、どれだけ勉強しても成績が上がらない時、個人的に立てた目標や会社での目標が達せられなかった時、友人関係が上手くいかない時、上司や先輩や同輩や後輩との人間関係が上手くいかない時、失恋した時、同僚や入学試験に失敗した時、入社試験に失敗した時、自分の能力や容貌に絶望した時などである。そこには、劣等感、自己嫌悪感、絶望感が漂っている。しかし、疑問は答えが見出すことなく、晴れないままに、世事に紛れて、その疑問を忘れてしまう。また、そのような疑問は、考えても結論が出ないから、考えることをやめてしま...何のために生きているのか。何を求めて生きているのか。(自我その203)

  • 周囲には、必ず、自分が嫌いな人、自分を嫌う人が存在する。(自我その202)

    人間は、常に、構造体(人間の組織・集合体)に所属して暮らしている。一人でいても、何らかの構造体に所属していることを前提に暮らしている。生活の糧を得るために、社会的な関係を構築するために、心理的な快楽・安定を得るために、そして、他者がそうしているから、人間は、常に、構造体に所属せざるを得ないのである。構造体には、夫婦、家族、学校、クラス、クラブ、会社、店、施設、仲間、カップルなどがある。人間は、構造体に所属すると、ポジションが与えられ、それが自我となる。夫婦という構造体には夫・妻という自我があり、家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には校長・教頭・教諭・生徒などの自我があり、クラスという構造体には担任の教諭・生徒という自我があり、クラブという構造体には顧問の教諭・キャプテン・マネ...周囲には、必ず、自分が嫌いな人、自分を嫌う人が存在する。(自我その202)

  • 人の目が気になる性格について。(自我その201)

    人間は、皆、他者の言葉や態度が気になるものである。その人自身のことを気にしているのではない。自分自身のことを気にしているのである。その人が自分をどのように見ているか気にしているから、その人の言葉や態度が気になるのである。そのような人間のあり方を、哲学や心理学では、対他存在と言う。他者の言葉や態度が気にならない人は、人間ではない。他者の言葉や態度が気にならない人は、傍若無人に振る舞い、他者から反感を買われるだけでなく、社会的に処罰される可能性が高い。また、人間とは、自分で自分自身を知ることができず、他者の言葉や態度によって、自分自身を察知しているのであるから、他者の言葉や態度が全く気にならなくなれば、自分がわからなくなってしまう。その時点で、社会生活が営めなくなる。だから、人間は、皆、他者の言葉や態度が気になる。...人の目が気になる性格について。(自我その201)

  • 人間の存在の矛盾(自我その200)

    人間は、常に、生きようとしている。それは、人間の意志の範疇を超えている。人間は、自分で意識して、自分の意志のもとで生きようとしているのではない。つまり、意識や意志という表層心理が働いて生きているのではなく、生きるように運命づけられているのである。作家の武田泰淳が言うように、人間は、どんなにひどいことをしても、行き続けようとするのである。詩人の石原吉郎が言うように、人間は、どんなにひどい環境でも、それになじんで生きていくものなのである。生きのびるためには、なりふりを構わないのである。だから、生き続けるということ、生きのびるということは、決して美しいことではない。生きるということは、美の範疇の外部にあり、美の範疇を超えている。それは、深層肉体の生きるために生きようという深層肉体の意志である。それは、他の生物と同じで...人間の存在の矛盾(自我その200)

  • 人間は、自我の欲望の動物である。(自我その199)

    人間の心は、深層心理から、人や物やことに対して、いろいろな思いが湧き上がってくる。特に、人に対しては、守りたい、尽くしたいから、一緒にいたいという思いから、殴りたい、いなくなってほしい、死んでもらいたいという思いまで湧き上がってきて、非常に幅が広い。深層心理は、表層心理から見ると、見通しが利かない底なし沼のようなものである。深層心理には、常に自我の欲望が渦巻いていて、それが、人間を動かしているのである。キリスト教に、懺悔という儀式がある。神の代理とされる司祭に、悪事を犯していなくても、悪なる心を抱いただけでも、それを告白し、許しと償いの指定を求めるのである。地球上の人間が、もしも、全員、キリスト教徒ならば、人間全員が懺悔しなければならないだろう。当然、司祭自身も、懺悔しなければならない。さて、それでは、なぜ、深...人間は、自我の欲望の動物である。(自我その199)

  • 本当の顔。本当の心。(自我その198)

    17世紀のフランスの思想家のモンテーニュは、「私たちの職業の大部分は芝居のようなものだ。『世界全体が芝居を演じている。』自分の役をしかるべく演じなければならない。しかし、仮の人物を務めていることを忘れてはならない。仮面と外観を自分の実体であると思ったり、借り物を自分自身のものだと思い込んだりしてはならない。私たちは肌着と皮膚との区別ができない。おしろいは顔に塗れば十分で、心にまで塗る必要は無い。」と言っている。つまり、人間を、外面と内面に分け、外面は、職業、芝居、演じる、自分の役、仮の人物、仮面、外観、肌着であり、内面は、実体、自分自身、心である。外面は、生きていくために必要な他者との関わりで見せる面でしかなく、内面に自分の真実があるとしているのである。確かに、私たちの職業は、自ら積極的に選んだものではなく、食...本当の顔。本当の心。(自我その198)

  • 我々には、考え続けることしか、道が残されていない。(自我その197)

    人間、誰しも、夢を見る。しかし、寝る前に、今晩、どんな夢を見るか、誰にもわからない。誰一人として、自分で意識して、自分の意志で、夢を作ることはできないからである。すなわち、誰一人として、表層心理の意識や意志で、夢を作ることはできないのである。つまり、人間、誰しも、夢を支配できないのである。夢を作るのは無意識の心の作用である深層心理だから、夢を支配できないのである。しかし、夢は、眠っている間だけにしか見ないから、目覚めた後は、精神的には影響を与えることがあっても、直接的に行動に結びつくことは無い。夢に見た場面は、目覚めた後の場面と異なるからである。夢を行動に結びつけようとするのは、夢を解釈した表層心理である。また、白昼夢という現象もある。白昼夢とは、真昼に見る夢、夢のような非現実的な空想を意味する。白昼夢も、眠っ...我々には、考え続けることしか、道が残されていない。(自我その197)

  • 人間は、偶然を、必然として生きるしかない。(自我その196)

    人間、誰しも、気が付いたら、そこに存在しているのであり、自分で選択して生まれてきたのではない。人間には、自ら誕生するか否かの選択権は与えられていないからである。しかし、人間は、自殺できるから、死だけは選択できるように思われる。しかし、深層肉体(人間の意志とは関係なく生きのびようという意志を持っている肉体)は、常に、生きようとしているのに、表層心理(人間の意識や意志)が、敢えて、死を意志するのだから、それは選択ではない。心(精神)が苦しいから、自殺を選択したのである。つまり、自殺を選択させられたのである。TBSのテレビ番組で、「若者たちは、家族を守るために、特攻を志願した。」と解説していたが、いつまで、このような、小学生レベルの幼稚なことを言っているのだろうか。海軍・陸軍の指導者たちは、太平洋戦争が負け戦だとわか...人間は、偶然を、必然として生きるしかない。(自我その196)

  • 標準の性格は存在しない。性格には、皆、傾きがある。(自我その195)

    多くの人は、「自分は、自分で意識して自分の意志で精神を動かし、自分で意識して自分の意志で肉体を使って、主体的に生きている。」と思っている。だから、精神と肉体を分離して考えることができるのである。特に、西洋の人々は、17世紀のデカルトの思想以来、人間は、理性を用い、主体的に生きていくことができると思っている。確かに、人間には、意識して意志で精神を動かし、意識して意志で肉体を使って、生きている部分はある。それが、表層心理の働き、表層肉体の働きである。しかし、人間は、自分で意識して意志で感情を起こせず、意識して一歩ずつ歩いていないなどの身近な動きの例でわかるように、人間の基本的な動きには、表層心理、表層肉体は働いていないのである。深層心理が、人間の無意識のうちに、感情とともに行動の指令を生み出しているのである。感情は...標準の性格は存在しない。性格には、皆、傾きがある。(自我その195)

  • 深層肉体と深層心理(自我その194)

    人間は、肉体にも精神にも、生来、生きる意志がある。だから、人間は、生きていけるのである。しかし、それは、自分が意識して生み出している意志ではない。言わば、肉体そのもの、精神そのものに、生来、備わっている意志である。この、自らが意識する前に、既に、生きる意志を持って存在している肉体を深層肉体、生きる意志を持って存在している精神を深層心理と言う。しかし、深層肉体にも深層心理にも、共通して、生きる意志が存在するが、その方向性は、必ずしも、一致しない。聖書に「人はパンのみにて生くるものにあらず。」とあるが、パンを求めているのが深層肉体であり、パン以外のものを求めているのが深層心理である。それ故に、深層肉体は、ひたすら生きようという意志、何が何でも生きようという意志、すなわち、生きるために生きようという意志を持っていると...深層肉体と深層心理(自我その194)

  • 深層心理の自我の欲望としての感情と行動の指令(自我その193)

    ニーチェの思想に「権力への意志(力への意志)」がある。権力への意志(力への意志)」とは、現世において、神を恐れず、名誉欲・支配欲・権力欲をひたすら追求しようという自我の欲望である。自己の欲望ではなく、自我の欲望である。個人の欲望ではなく、そのポジション(社会的な位置、地位、ステータス)にあるからこそ生まれた欲望である。確かに、ヒットラー、スターリン、トランプ、プーチン、習近平、金正恩、安倍晋三などは、総統、書記長、大統領、主席、委員長、首相というポジションを得たから、途方もない野望を抱いたのである。しかし、庶民と言えども、そのポジションに応じて、自我の欲望を抱くのである。しかし、「権力への意志(力への意志)」という自我の欲望は、人間が、意識して、意志して求めたものではない。人間の表層心理である意識や意志は、「権...深層心理の自我の欲望としての感情と行動の指令(自我その193)

  • 肉体は自己として、精神は自我として生きる。(自我その192)

    人間の肉体は、人間の意志に関わらず、常に、生きようとしている。だから、心の中でも、言葉に出しても、「心臓よ、止まれ。」と願っても、心臓は止まらない。すなわち、人間は、死なない。なぜ、人間は、自分の意志だけでは、死ねないのか。それは、人間は、自分の意志で生まれてきていないからである。自分の意志で生まれてきていないのだから、自分の意志で死ねないのは当然のことである。人間、誰しも、気が付いたら、そこに、自分が存在しているのである。しかし、芥川龍之介の『河童』という小説では、河童の胎児には、生まれるか生まれないでおくかの選択権が与えられている。そこでは、河童の父親が、胎児に、生まれる意志があるかどうか尋ね、胎児が、熟考の末に、「生まれたくない」と答えて、存在が消滅してしまう。そこでは、河童は、人間よりも進化しているから...肉体は自己として、精神は自我として生きる。(自我その192)

  • 表層心理の役割(自我その191)

    人間は、時として、心が傷付く。そして、そこから脱しようとして、苦悩する。苦悩とは、傷付いた心のままで、傷付いた心を脱する方法を思考し、良い方法が思い浮かばないままに、思考を継続している状態である。それでは、なぜ、人間が傷付くのか。それは、他者から、悪評価・低評価を与えられたからか、無視されたからかのいずれかである。無視されることは、評価されるに値しないと思われているのではないかと思い、いっそう、心が傷付くことになる。人間は、他者から好評価・高評価を得ようと、他者の視線・言動・態度を窺いながら、暮らしている。これが、対他化である。対他化とは、他者によって、自己を知るあり方である。しかし、人間は、意識して、対他化を行っているのではない。また、自らの意志で、対他化を行っているのではない。意識や意志という表層心理は、対...表層心理の役割(自我その191)

  • 人間は、愚かにも、宇宙をも、征服しようと考えている。(自我その190)

    人間は、地球を汚すだけでは飽き足らず、宇宙まで汚そうとしている。人間は、いつまで、どこまで、「権力への意志(力への意志)」に支配されるのであろうか。ニーチェの言う「権力への意志(力への意志)」とは、現世において、神を恐れず、自らの深層心理から発する自我の欲望の一つである、支配欲・権力欲をひたすら追求することである。この宇宙支配こそ、まさしく、「権力への意志(力への意志)」の発現である。現代において、宇宙旅行、宇宙開発、宇宙研究、衛星探査などという言葉が飛び交い、まるで、宇宙に飛び立つことが、夢、ロマンであるように語られている。実際は、宇宙旅行、宇宙開発、宇宙研究、衛星探査は、ロマンでも夢でもない。宇宙を征服しようとしているのだ。ハイデッガーは、「表象作用が、人間性を失わせている。」と言っている。「表象作用」とは...人間は、愚かにも、宇宙をも、征服しようと考えている。(自我その190)

  • 人生は、永劫回帰である。そこに、意味は無い。(自我その189)

    ニーチェに「永劫回帰(永遠回帰)」という思想がある。世界の出来事は円環運動を行って永遠に繰り返すというものである。ニーチェがこの「永劫回帰(永遠回帰)」という思想を発見したのだが、自然科学者は、無意識のうちで、既に、そのような視点で、自然界を研究していたのである。彼らは、自然界は同じことを繰り返すと考えていたから、そこに公式や法則を作り上げ、自然界を解釈してきたのである。つまり、数学、物理、科学、生物などの自然科学を生み出し、それらによって、自然界を理解してきたのである。また、人間は、深層心理が、自らの日常生活を、同じことの繰り返しにしているのである。深層心理とは、人間の無意識のうちに行われている、主体的な思考である。それが、ラカンの言う「無意識は言葉によって構造化されている」という言葉の意味である。深層心理の...人生は、永劫回帰である。そこに、意味は無い。(自我その189)

  • 自殺する価値のある人間関係は存在しない。(自我その188)

    人間は、自我と好み(趣向性)の動物である。しかも、自我は深層心理によって動かされ、好み(趣向性)も深層心理によって決められているのである。つまり、人間は、自分の意志という表層心理で、自我も動かせず、好み(趣向性)も決められないのである。人間は、深層心理の動きの後で、表層心理で、深層心理によって生み出された自我の感情と行動の指針や好み(趣向性)を意識し、それを自分の意志で生み出したと思い込んでいるのである。人間は、深層心理が、自我を動かし、好み(趣向性)を決めていることで、一つの不幸があり、それを、表層心理の意志で行っていると誤解していることで、もう一つの不幸があるのである。さて、それでは、自我とは、何か。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。それでは、構造体とは何か。...自殺する価値のある人間関係は存在しない。(自我その188)

  • 人間の悩みの原因は、ほとんど、悩む価値の無いことである。(自我その187)

    言うまでもなく、人間は、自ら、悩もうと思って悩んでいるのではない。望んで悩んでいる人は、一人もいない。それでも、悩むのは、深層心理がそれをもたらすからである。人間の意志に関わらず、深層心理が、悩みをもたらすから、人間はその進入をどうしようもできないのである。それでは、深層心理は、どんな時に、人間に、悩みをもたらすのか。それは、侮辱された時、無視された時などのように、悪評価・低評価を受けた時である。人間は、常に、自分が他者からどのように思われているか気にして生きているから、侮辱された時、無視された時は、心が傷付くのである。人間は、他者から認められ、好評価・高評価を受けたく思いつつ、他者が自分をどのように思っているかを、常に探っているのである。もちろん、自分で、それを、意志して行っているわけでもなく、意識して行って...人間の悩みの原因は、ほとんど、悩む価値の無いことである。(自我その187)

  • 人間は、皆、潜在的に、犯罪者である。(自我186)

    人間は、誰しも、自我の欲望をかなえるために、敢えて、悪事を犯す可能性がある。そういう意味において、人間は、皆、潜在的に、犯罪者である。人間は、一人で生きることに不安に覚えている。そこで、構造体に所属し、他者に認められた、自我を持とうとする。人間の最初の構造体は家族であり、最初の自我はこの家の子(息子・娘)である。家族という構造体に所属し、この家の子(息子・娘)だという自我意識が得られて、初めて、安心感が得られるのである。自我の成立は、アイデンティティーの確立を意味する。幼児の深層心理(無意識の世界)の中に、自分はこの家の子(息子・娘)という自我が成立したということは、自分はこの家という構造体の子(息子・娘)というアイデンティティーが確立したことを意味するのである。アイデンティティーとは、「ある人が一個の人格とし...人間は、皆、潜在的に、犯罪者である。(自我186)

  • 自我と自己(自我その185)

    人間は、自我である。自己ではない。自己とは、人間が作り上げた偶像である。自己判断という言葉がある。人間が、自らの良心に従って、主体的に判断することを意味する。主体的とは、行動や思考をする時、他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において、その主体となって働きかけることを言う。まさしく、純粋な立場の位置にいる人間でなければ、他のものによって導かれ、主体的な判断ができないのである。現在、よく使われる第三者委員会は、ある事件を判定するために組織された、純粋な立場の位置にいる人間の集合体である。言うまでもなく、第三者委員会の人々は、事件の当事者ではない。事件の当事者たちが、自己判断できないから、主体的な判断ができないから、事件に関わりの無い者たちが、第三者委員会に選ばれたのである。しかし、日常生活において...自我と自己(自我その185)

  • 自分が嫌いな人、自分を嫌う人に対しては機械的に接せよ。(自我その184)

    人間、誰しも、いろいろな構造体に属している。構造体とは、人間の組織・集合体である。具体的に言えば、学校、会社、施設などである。その構造体の中に、必ず、自分が嫌いな人、自分を嫌う人がいる。毎日のように、同じ構造体で暮らしていると、必ず、自分が嫌いな人、自分を嫌う人が出てくる。そして、自分が相手を嫌いになれば、相手がそれに気付き、相手も自分を嫌いになり、相手が自分を嫌いになれば、自分もそれに気付き、自分も相手を嫌いになるものである。だから、片方が嫌いになれば、相互に嫌いになるのである。また、嫌いになった理由は、意地悪をされたからとか物を盗まれたからというような明確なものは少ない。多くは、自分でも気付かないうちに嫌いになっていて、嫌いになったことを意識するようになってから、相手の挨拶の仕方、話し方、笑い方、仕草、雰囲...自分が嫌いな人、自分を嫌う人に対しては機械的に接せよ。(自我その184)