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  • 愛国心の陥穽。(欲動その13)

    現在、世界は国という単位で分断されている。人々は、何れかの国という構造体に所属し、国民という自我で生きている。だから、世界中の人々は、皆、愛国心を持っているのである。世界中の人々が、オリンピックやワールドカップで、自国選手や自国チームを応援し、勝つと喜び、負けると悲しのは。、愛国心の成せる業である。日本人が、高校サッカーや高校野球で、郷土チームを応援するのは、郷土愛の成せる業である。国という構造体に所属し、国民という自我を持っているから、自国選手や自国チームを応援し、都道府県という構造体に所属し、都道府県民という自我を持っているから、郷土チームを応援するのである。しかし、愛国心が戦争を引き起こすのである。オリンピックやワールドカップで自国選手や自国チーム負けても、高校サッカーや高校野球で郷土チームが負けて...愛国心の陥穽。(欲動その13)

  • 国民に自民党支持者が多いのは中国敵視において一致しているからである。(提言12)

    太平洋戦争は、中国侵略がきっかけに起こった。アメリカが日本に満州国の放棄を要求したから、日本はアメリカに宣戦布告したのである。現在の自民党の国会議員の大半は、中国侵略を推進した政治家の二世、三世だから、自らの祖父、父の考えを受け継いで、中国を敵視しているのである。国民の大半は、中国侵略を熱狂的に支持してきた者たちの子孫だから、自らの祖父、父の考えを受け継いで、中国を敵視しているのである。中国敵視において一致しているから、国民に自民党支持者が多いのである。中国敵視において、アメリカと日本は一致しているから、日本はアメリカの下僕になっているのである。国民に自民党支持者が多いのは中国敵視において一致しているからである。(提言12)

  • 自分とは自我と自己の関係である。(自我から自己へ20)

    デンマークの哲学者キルケゴールは、『死に至る病』で、「人間は精神である。しかし、精神とは何か。精神とは自己である。しかし、自己とは何か。自己とはひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係すること、そのことである。自己とは関係それ自身ではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。」と記している。「人間は精神である」とは人間は考える動物であるということである。「精神とは自己である」とは自分で考えるということと自分について考えるということという二つのこと意味している。「自己とはひとつの関係である」とあるが、なぜ、考えると言わず、「関係する」と表現したのか。それは、自分自身について考えているからであり、自分自身について考えることによって自...自分とは自我と自己の関係である。(自我から自己へ20)

  • 戦争を拒否できるか。(提言11)

    誰が殺し合いすることを望むだろうか。誰が戦場に立つことを望むだろうか。それでも、戦争が起こるのはなぜか。それは、政治指導者が戦場に立たないからである。政治指導者は、例外なく、自らは殺し合いに参加せず、安全地帯で命令している。だから、政治権力者に戦争を起こす権威を与えている限り、戦争はなくならないのである。人間は、誰しも、政治権力を握ると傲慢になり、自我の欲望のためには人の命も犠牲にするようになるのである。それでは、自我とは何か。そして、自我の欲望とは何か。自我とは、人間が、構造体の中で、役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているのである。構造体には、国、家族、学校、会社...戦争を拒否できるか。(提言11)

  • 人間の精神の動きについて。(欲動その12)

    人間は苦痛があるから考えるのである。苦痛は自我が異常な状態にあることを示している。苦痛には肉体的なものと精神的なものがあり、肉体的な苦痛は肉体的に異状があることを、精神的な苦痛は精神的に異状があることを示しているのである。だから、苦痛は単なる感覚ではない。苦痛は人間をして肉体的な異状や精神的な異状の除去を考えるように強制するのである。苦痛があるからこそ、人間は、肉体的な異状や精神的な異状の原因を考え、苦痛から解放される方法を考えるのである。苦痛がある間、人間は肉体的な異状や精神的な異状を改善する方法を考え続けるのである。さて、考えるという精神的な行動と同じような精神的な行動に思うがある。しかし、考えるは思うと同じではない。考えるということは、自我に差し迫ってくる事象を苦痛に感じ、その苦痛から解放されるため...人間の精神の動きについて。(欲動その12)

  • 人間は深層心理が生み出した自我の欲望によって動かされている奇妙な動物である。(欲動その11)

    ドイツの哲学者のアドルノは「現代の理性は方向を誤り、第二次世界大戦、アウシュビッツの悲劇を生み出した。」と述べた。理性が、第二次世界大戦を引き起こし、ヒットラー率いるナチス党によるユダヤ人大虐殺の引き起こしたと言うのである。理性とは、人間の自らを意識しての思考である。人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、理性とは、人間の表層心理での思考である。しかし、第二次世界大戦、ユダヤ人の大虐殺は、理性が生み出したものではなく、自我の欲望によって引き起こされたのである。無意識の思考が自我の欲望を生み出し、第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人の大虐殺を行うように人間を仕向けたのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が思考して、自我の欲望を生み出し、第二次世界大戦を引き起こ...人間は深層心理が生み出した自我の欲望によって動かされている奇妙な動物である。(欲動その11)

  • サルトルはもういない。(欲動その10)

    フランスの哲学者サルトルはもういない。世界には、自らの良心に従って思考し、自らの良心に従って行動する人はもういない。自我の欲望に従って生きている者しかいない。サルトルは「人間は自由へと呪われている。」と言った。「人間は、全てのことにおいて、自ら思考して、自ら決断して、自ら行動できる。だから、全ての行動の責任を自ら取らなければいけない。人間は、誰一人として、この運命から逃れることはできない。」これがサルトルの言葉の意味である。また、サルトルは、「実存は本質に先立つ。」とも言った。実存とは、自分自身で主体的に思考して行動する生き方である。本質とは、人間本来の定まった行動や生き方である。つまり、サルトルは、「人間には、定まっている行動の仕方や生き方は存在しない。自分で思考して行動しなければいけない、そして、その...サルトルはもういない。(欲動その10)

  • 戦争は政治の延長ではない。(欲動その9)

    戦争は政治の延長であるという言葉がある。しかし、真実はそうではない。戦争は政治権力者の自我の欲望の延長である。人間は自我の欲望を満たすために生きている。なぜ、人間は自我の欲望を満たそうとするのか。それは、自我の欲望を満たせば快楽が得られ、それを満たさない間ば不愉快だからである。しかし、人間は自らを意識して思考して自我の欲望を生み出しているのではない。人間の意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は表層心理で思考して自我の欲望を生み出していないのである。人間は無意識のうちに思考して自我の欲望を生み出しているのである。人間は無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているのである。自我の欲望は深層心理という心の奥底から湧き上がってくるから、人間は...戦争は政治の延長ではない。(欲動その9)

  • 人間は何のために生きているのか。(欲動その8)

    たいていの人は、一生のうちに、何度か、自分は何のために生きるているだろうと自問する。いったい、人間は何のために生きているのか。端的に言えば、快楽を得るために生きているのである。しかし、人間は意識して快楽を求めて思考して行動していない。無意識に行っているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が快楽を求めて思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているのである。それをフロイトは快感原則と呼んだ。深層心理の動きだから、人間はそれに無自覚なのである。さらに、ほとんどの人は、自ら意識して思考して行動していると思い込んでいるから、ますますそれが自覚できないのである。人間の自ら意識してのの精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理で思考して自ら主体的に動いていると思い込んでいる...人間は何のために生きているのか。(欲動その8)

  • 神に人間を裁く資格は無い。(欲動その2)

    多くの宗教は、神が人間をこの世に誕生させたと言う。もしそうならば、なぜ、同種同士が殺し合うような残酷な動物に創造したのか。なぜ、自らを意識しての思考による意志では行動できず、無意識のうちに思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて行動する動物に創造したのか。人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。人間は表層心理の思考による思考で行動していず、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて行動しているのである。個人間の殺し合いである殺人も、国家の殺し合いである戦争も、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に動かされて起こした行動なのである。人間は、時には、深層心理が思考して生み出した自我の欲望を、表層心理での思考の...神に人間を裁く資格は無い。(欲動その2)

  • 芸人世界に自我の欲望の典型を見る。(欲動その7)

    人間は誰しも自らを律しなければ常に堕落する可能性がある。それは、誰しもが快楽を求めて生きているからである。逆に言えば、不快を避け、不快から逃れ、苦痛を避け、苦痛から逃れるために生きているのである。人間の快楽を求めて生きるあり方をフロイトは快感原則と呼んだ。しかし、人間は自ら意識して快楽を求めて思考して行動しているわけではない。人間の自らを意識した精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は表層心理で快感原則で思考して行動していない。人間は無意識のうちに快楽を求めて思考して生きているのである。がから、人間は快楽を求める生き方を変えることができないのである。人間の無意識の精神の活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が快感原則に基づいて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我になっている人間を...芸人世界に自我の欲望の典型を見る。(欲動その7)

  • 性加害と自我の欲望について。(提言13)

    「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損ない、妻子を傷つけ、友人を苦しめ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。」と、中島敦の小説『山月記』で、主人公の李徴が反省の弁を述べている。まさしく、松本人志を猛獣にした性情は異常な性欲である。しかし、李徴と異なり、松本人志は反省していない。なぜ、松本人志は反省していないのか。それは、俗人だからである。人間としての向上心が無いのである。芸人世界では、自我の欲望を満たすことだけを生きる目的としているのである。また、なぜ、松本人志は自らの性情である異常な性欲に身をゆだねたのか。それは、快楽が得られるからである。週刊文春によって松本人志の性加害...性加害と自我の欲望について。(提言13)

  • 人間にはいくつもの顔がある。(欲動その6)

    人間にはいくつもの顔がある。なぜならば、所属する構造ごとに異なった自我として生きるからである。人間は自らのことを自分と言うが、人間には特定の自分は存在しない。人間は常に自我として存在しているのである。自我とは、人間が、構造体の中で、役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているのである。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、首相・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員な...人間にはいくつもの顔がある。(欲動その6)

  • 自分は存在しない。(欲動その5)

    小林秀雄は「人間は何にでもなれるだろう。しかし、自分にしかなれない。」と言った。しかし、人間は偶然出会ったものにしかなれない。しかも、他者に受け入れたものにしかなれない。さらに、自分で主体的に考えて行動しているわけではない。つまり、自分は存在しないのである。人間は、誰しも、永遠に生きることができず、必ず、死が訪れる。人間は、誰しも、自らの死を最も恐るべきことだと思っている。それは、人間にとって、自らの存在が掛けがえのないものだからである。しかし、誰が死んでも世界は消滅しない。自我が一つ消滅するだけである。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある...自分は存在しない。(欲動その5)

  • 愛という名の欲望について。(欲動その4)

    一般に、愛は欲望と対立しているように解釈されている。愛は推奨され、欲望は毛嫌いされる。それは、愛は献身的だが、欲望は自分の利益の追求のことしか考えていないと思われているからである。だから、小説、映画、ドラマ、アニメ、漫画などにおいて、愛は肯定的に描かれ、欲望は否定的に描かれているのである。日常生活においても、世間では、愛は求められ、崇高なものと見る風潮がある。人間は、愛する人がそばにいると喜びを覚える。さらに、その人に愛されていると実感すると無上の喜びを感じる。そして、愛する人のためには自らを犠牲にしようとさえ考える。だから、愛は崇高なものと思われているのである。愛には様々な形態があるが、愛する喜び、愛されることの喜び、愛する人やものに対する献身性は共通して存在する。愛する子のために、愛する人のために、愛...愛という名の欲望について。(欲動その4)

  • 人間は誰しも自我の欲望にとらわれて生きている。(欲動その3)

    人間は、誰しも、主体性を持って生きていない。それは、人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。つまり、誰もが、気が付いたら、そこに人間として存在しているである。意志なく誕生させられ、主体性が無いことは、他の動植物も同じである。しかし、人間には、他の動植物と決定的に異なるところがある。それは、言葉を持っていることである。他の動植物は言葉を持っていないから、自らのあり方を認識できず、本能のままに生きていて、そのあり方で生きていることに疑問を懐かないのである。すなわち、他の動植物は言葉を持っていないから、本能と行動は完全に一致しているのである。しかし、人間は、言葉を持っているから、自らのあり方に疑問を覚え、主体的に生きようと...人間は誰しも自我の欲望にとらわれて生きている。(欲動その3)

  • なぜいじめは無くならないのか。(欲動その1)

    なぜいじめは無くならないのか。それは、人間は深層心理に動かされて行動しているからである。深層心理がいじめを指示し、人間はそれに従って行動しているから、いじめは無くならないのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、人間は無意識の思考に動かされて行動しているからいじめは無くならないのである。人間は自ら意識して思考していじめを行っているのではなく、深層心理が思考していじめを行動の指令として生み出して人間を動かしているのである。つまり、人間は自ら意識して思考して行動していないから、いじめは無くならないのである。もしも、人間が自ら意識して思考していじめをしているのであれば、意志によっていじめを無くすことができる。なぜならば、誰しもいじめは悪いことだと思っているからである。人間の自らを意識した精神...なぜいじめは無くならないのか。(欲動その1)

  • 愛国心は自我の欲望にしか過ぎない。(日常の心理学2)

    「子供は正直だ」とよく言われる。言うまでもなく、「大人は嘘をつくことがあるから話したことの全部を信用することはできないが、子供は嘘を言わないから話したことの全部を信用できる」という意味である。子供に対して好意的な言葉である。しかし、子供は、心の底から湧き上がってくる自我の欲望のままに行動しているだけなのである。自我の欲望に忠実なだけなのである。心の底から湧き上がってくると言っても、自然に湧き上がってくるのではない。深層心理が思考して自我の欲望を生み出しているのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、子供は意識していないが、深層心理が思考して、自我の欲望を生み出し、子供を動かしているのである。詳しく言えば、子供の無意識のうちに、深層心理が、子供という自我を主体に立てて、快楽を求めて思考し...愛国心は自我の欲望にしか過ぎない。(日常の心理学2)

  • 人間は深層肉体と深層心理に動かされて生きている。(日常の心理学1)

    あなたは一人ではない。このように言うと、あなたは常に誰かに支えられて生きていると主張しているように捉える人が多い。東日本大震災の被災者の多くも「今回の地震で、生きるということは、生かされていることなのだということをつくづくと思い知らされました。」と語っていた。阪神・淡路大震災の際にも、被災者は、同じように語っていた。この言葉には、嘘偽りはない。愛する人、親しい人を喪い、途方に暮れ、自分の存在の不安を実感し、絶望の淵をさまよっていた時に、国内の人ばかりでなく、海外の人からも、励ましの言葉、衣食住の生活物資の援助、復興作業の支援を受けて、自分の存在が認められていることを嬉しく思い、生きる希望を取り戻したのである。愛する人、親しい人を喪い、家を失い、田畑を失い、生活基盤を全て失って、絶望の淵にさまよっていた時に...人間は深層肉体と深層心理に動かされて生きている。(日常の心理学1)

  • 国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党政権を支持するのか。(提言11)

    国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党を支持するのか。それは、決して、国民が戦争を望んでいるからではない。戦争は起こらないと思っているからである。たとえ、戦争が起こっても、自衛隊が戦い、アメリカ軍が支援して、自分の身に被害が及ばないと思っているのである。だから、岸田政権が軍備を増強しても、不安を感じていないのである。軍備増強すれば、アメリカ軍の支援を受けて、ロシア、中国、北朝鮮などの国からの軍事的脅威に対抗できると思っているのである。しかし、日米安保条約と言えども、日本が外国に攻め込まれても、アメリカ軍が支援すると確約していない。アメリカ軍が支援する時には、アメリカの議会の承認が必要なのである。台湾が中国に攻め込まれて自衛隊が台湾を支援しても、尖閣諸島をめぐって中国軍と自衛隊が交戦しても、アメリカ軍は...国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党政権を支持するのか。(提言11)

  • 人類に希望は存在するのか。(自我その532)

    人類に希望は存在するのか。なぜ、この世から、戦争や殺人などの犯罪が無くならないのか。それは、理性が欲望を抑圧できないからである。欲望と言っても、漠然としたものではなく、自我に徹底的にこだわるという自我の欲望という明確なものである。深層心理が自我を主体に立てて思考して自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。つまり、人間は、自らが意識していない思考、自らが生み出していない欲望に動かされて行動しているのである。人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。人間の表層心理での思考が理性である。理性が自我の欲望を抑圧できないから、戦争や殺人を頂点とした犯罪が無くならないのである。しかも、理性が自我の欲望を抑圧できないどころか、往々にして、自我の欲望に加担するので...人類に希望は存在するのか。(自我その532)

  • 人間の限界。(自我その531)

    人間は、自我を持って、初めて、動物から離れ、人間になるのである。自我とは、構造体の中での、ある役割(役目、役柄)を担った、自分のポジション(ステータス・地位)である。構造体とは、人間の組織・集合体である。家族という構造体には、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体には、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体には、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体には、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体には友人という自我があり、夫婦という構造体には、夫・妻の自我があり、カップルという構造体には、恋人という自我があり、県という構造体には、県知事・県会議員・県民などの自我があり、国という構造体には、総理大臣・国会議員・...人間の限界。(自我その531)

  • 無意識の思考の力。(自我その530)

    ドイツの哲学者のアドルノは「現代の理性は方向を誤り、アウシュビッツの悲劇を生み出した。」と述べ、ヒットラー率いるナチス党によるユダヤ人大虐殺の原因を方向性を誤った理性に求めた。しかし、ユダヤ人の大虐殺は、理性という自らを意識している思考が生み出したものではなく、深層心理が思考して生み出した自我の欲望によって起こされたのである。深層心理とは無意識の精神活動である。理性は自我の欲望を抑圧しきれないのである。プーチン大統領は西欧寄りの政策をとるウクライナに兵を向けた。ロシアを嫌っているゼレンスキー大統領はそれに真っ向から対抗した。数多くのロシア兵、ウクライナ兵、ウクライナ国民へが亡くなっても、まだ戦闘が続いている。プーチンのロシアの大統領としての自我の欲望、ゼレンスキーのウクライナの大統領としての自我の欲望が、...無意識の思考の力。(自我その530)

  • 蟹は甲羅に似せて穴を掘るように、愚かな国民は愚かな政治家を生む。(自我その529)

    「神がいなければ、すべてが許される。」とは、ドストエフスキーの言葉である。それは、逆に言えば、人間は、神が見ていると思うからこそ、神の断罪を恐れ、自重するということを意味している。キリスト教徒は神に承認されたいのである。しかし、日本人には神はいない。神道の言う神は、キリスト教の言う神ではない。キリスト教の神は人間を断罪する。しかし、神道の神は、賽銭を上げれば願いをかなえてくれる現実的な存在である。それでも、日本人は、「すべてが許される」とは思っていない。世間が悪事を許さないと思っているからである。世間が罪ある人を断罪するのである。日本人にとって、世間がキリスト教の神に代わる存在なのである。キリスト教徒が神に承認されたいように、日本人は世間に承認されたいのである。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」...蟹は甲羅に似せて穴を掘るように、愚かな国民は愚かな政治家を生む。(自我その529)

  • 人間は誰しも常に堕落する可能性がある。(人間の心理構造その26)

    人間は、一生、エディプスの欲望から逃れることができない。だから、常に、堕落する可能性がある。エディプスの欲望とは幼児の異性の親(息子ならば母、娘ならば父)に対する性愛的な自我の欲望である。深層心理が欲動に基づいて快楽を求めて思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているが、エディプスの欲望とは自我の欲望の一つである。深層心理とは、人間の無意識の精神の活動である。だから、幼児は、無意識に、エディプスの欲望を懐くのである。深層心理は、自我を欲動にかなった状態にすれば快楽が得られるので、欲動に応じた自我の欲望を生み出すのである。欲動には、保身欲、承認欲、支配欲、共感欲という四つの欲望がある。しかし、道徳や社会規約は守る欲望が存在しない。だから、幼児の深層心理は、欲動の支配欲、承認欲に基づいて、快楽を求めて、エ...人間は誰しも常に堕落する可能性がある。(人間の心理構造その26)

  • 人間は動いているのではなく動かされているのである。(人間の心理構造その25)

    ほとんどの人は、自らを意識して思考して、自らの意志によって行動していると思っている。しかし、そうではない。深層心理が、自我を主体に、欲動に基づいて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、人間を動かしているのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。確かに、人間は、自らを意識して思考することがある。人間の有意識の精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理で思考して意志を生み出すことはあるが、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出せないので、表層心理の思考では行動できないのである。意志は、深層心理が生み出した行動の指令について容認するか抑圧するかの判断である。つまり、無意識の思考が人間を動かしているのである。しかし、一般には、無意識の行動は特異な行動として理解されている...人間は動いているのではなく動かされているのである。(人間の心理構造その25)

  • 人間は政治家になると堕落する。(人間の心理構造その24)

    人間は、政治権力を握ると、必ず、堕落する。それを助長しているのは大衆である。大衆が、政治権力の内実や政治家の実態に迫ることなく、好みの政党や政治家に期待するから、政治権力者は好き放題のことを行うのである。人間には誰しも支配欲があり、大衆は自分に代わる政治家に期待するから、政治権力を握った者は自分は何をやっても許されると思い、支配欲を発揮して、自我の欲望のままに行動するのである。大衆が、政治権力の内実や政治家の実態を批判的に見ようとしない限り、政治権力を握った者は、自我の欲望のままに、傲慢不遜に行動をするのである。大衆が、統一教会と一心同体の自民党と政教分離を果たしていない公明党の連立政権を支持しているから、岸田首相は膨大な予算を軍備増強に充てたのである。大衆が、国政選挙で、自民党・公明党の連立政権を大勝ち...人間は政治家になると堕落する。(人間の心理構造その24)

  • 人間は快楽と苦痛に動かされて生きている。(人間の心理構造その23)

    人間は、先天的に、快楽を求め苦痛から逃れるために行動するようにできている。快楽があるから、それを求めて行動するのである。苦痛があるから、それから逃れようと行動するのである。しかも、快楽も苦痛も、自らの意志に関わりなく、人間の心に生まれてくるのである。さらに、自らの意志に関わりなく、快楽を求める欲望も苦痛から逃れる欲望も、人間の心に生まれてくるのである。なぜ、快楽を求める欲望が生まれてくるのか。それは、人間に、快楽を求めるような行動を起こさせるためである。なぜ、苦痛から逃れる欲望が生まれてくるのか。それは、人間に、苦痛から逃れるような行動を起こさせるためである。人間は、快楽そのものも苦痛そのものも自分で生み出すことはできないのに、快楽を求めるためにに生き、苦痛から逃れるために生きるようにさせられているのであ...人間は快楽と苦痛に動かされて生きている。(人間の心理構造その23)

  • むなしく時が過ぎても、それで良いではないか。(人間の心理構造その22)

    むなしいのは、希望が無いと思うからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、それは絶望も無いことを意味するからである。むなしいのは、明日も今日と同じような生活が続くと思われるからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、それは、耐えられないほどの苦悩や苦痛が現在無いことを意味するからである。むなしいのは、自分を認めてくれる人がいないと思うからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、人間は、誰しも、自分の欲望に合致している人を認めるのであり、正当な評価というものは存在しないからである。むなしいのは、自分に地位や肩書が無いと思い、引け目を感じているからである。しかし、それで良いではないか。なぜならば、この世には、その地位や肩書にふさわしい人は、一人もいないからである。むなしいのは、職...むなしく時が過ぎても、それで良いではないか。(人間の心理構造その22)

  • 真理を求める自我の欲望について。(人間の心理構造その21)

    人間は、いつ、いかなる時でも、常に、構造体の中で、自我を持って、暮らしている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、人間が、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、構造体の中で自我を得て、初めて、人間として活動できるのである。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体...真理を求める自我の欲望について。(人間の心理構造その21)

  • どうして自我にこだわるのか。(人間の心理構造その20)

    人間には、自分という一つの生き方は存在しない。人間は、常に、自我として生きている。自我とは、構造体の中での自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って生きているのである。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、総理大事・国会銀・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、コンビニという構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルと...どうして自我にこだわるのか。(人間の心理構造その20)

  • 人間は存在そのものが悪である。(人間の心理構造その19)

    人間を定義する言葉は幾つもある。人間は考える動物であるという意味である。人間は道具を作る動物であるという意味である。人間は遊ぶ動物であるという意味である。人間は象徴化する動物であるという意味である。人間は言葉を使う動物である、人間は火を使う動物である、などがある。いずれも、人間は他の動物と比べて優れていると考えている。しかし、もう、自画自賛をするのはやめた方が良い。人間は存在そのものが悪である動物であると定義すべきである。なぜならば、人間は、人類そのもに悪であるばかりでなく、他の動植物にも害毒を与え続けている動物だからである。だから、今や、コロナウィルスは、人類を絶滅しないままに、表舞台から消え去ろうとしているが、それは、人間にとっては幸福なことであるが、人間以外の地球上の生物にとっては不幸なことなのであ...人間は存在そのものが悪である。(人間の心理構造その19)

  • 政治家が起こした戦争に国民は参加しなければならないのか。(提言11)

    現在の日本に平和につながる未来への希望はあるのか。日本国憲法では戦争放棄をうたっている。だから、国民には兵役の義務はない。しかし、自民党の麻生太郎副総裁は、4月17日、福岡市で講演し、北朝鮮の弾道ミサイル発射や台湾有事の可能性に触れ、「今までの状況と違う。戦える自衛隊に変えていかないと、我々の存立が危なくなる。」と述べた。自衛隊員が戦死すれば、日本は、必ず、徴兵制を導入する。なぜならば、国会議員では自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党を中心に、マスコミでは日本テレビ、フジテレビ、読売新聞、産経新聞、週刊新潮、週刊文春を中心に、「自衛隊員だけ死なせて良いのか。」という大々的なキャンペーンを張り、同調圧力の強い日本は、短時間の国会の審議で採決され、圧倒的な多数によって、徴兵制が導入されるのは確実だからだ。...政治家が起こした戦争に国民は参加しなければならないのか。(提言11)

  • 青森放火殺人事件、岸田首相暗殺未遂事件の容疑者の心理構造。(人間の心理構造その18)

    4月13日午前1時頃、青森県六戸町で、住宅が全焼し、5人の遺体が発見された。92歳の男性が、妹一家に放火し、4人が焼死し、自身も焼死したと見られている。4月15日午前11時過ぎ、和歌山市の雜賀崎で、岸田文雄首相が補選の応援の街頭演説を始める前に、24歳の男性が筒状の物を投げ込み、爆発した。首相は怪我は無く、24歳の男性は逮捕された。この二つの事件の原因は何だったの。前者は、事件を起こす前、妹一家に農地を奪われて恨んでいると近所の人々に語っていたという。後者は、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたこと、年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったことに不満を持っていたという。それにしても、なぜ、このような自暴自棄の行動を行ったのだろうか。冷静に考えれば、目的を達成したとしても、その後は、悲惨な末路を...青森放火殺人事件、岸田首相暗殺未遂事件の容疑者の心理構造。(人間の心理構造その18)

  • 戦争になれば、日本人も悪魔になる。(自我から自己へ19)

    世界は、今や、大衆が立ち上がって、残虐非道な政治権力者を打ち倒して、民主義国家を建設するという革命の夢は絶たれた。多くの国が、相も変わらず、政治権力者が、軍部と警察を統率して、大衆を、暴力によって、支配している。日本のように、たとえ、民主主義が与えられても、大衆がそれを生かせず、絶対的な政治権力者を待望し、再び、全体主義国家になろうとする国もある。ニーチェは「大衆は馬鹿だ」と言った。毛沢東は「大衆に学べ」と言って、大衆を利用して、革命に成功し、全体主義国家を作った。日本の大衆の多くは、岸田政権のロシア、中国、北朝鮮に対抗するための軍備予算増大を支持している。確かに、ロシアのプーチン大統領、中国共産党の習近平、北朝鮮の金正恩の独裁政治は脅威である。しかし、アメリカを後ろ盾にして、これらの国と戦争をしても、勝...戦争になれば、日本人も悪魔になる。(自我から自己へ19)

  • 人間は自我の欲望に従って生きるかしか無いのか。(自我から自己へ18)

    人間は、自我の欲望に従って行動すれば、快感を得たり不快感感から解放されたりする。だから、自我の欲望に従って行動したいと思う。しかし、自我の欲望は善事から悪事まで多岐にわたっている。なぜならば、自我の欲望は、深層心理によって生み出され、深層心理には道徳観や社会規約を守るという視点が存在しないからである。だから、人間は、自らの意志によって、深層心理が生み出した悪事に関わる自我の欲望を抑圧しなければならないが、深層心理が生み出した感情が高まっている時には、抑圧できないのである。それが感情的な行動であり、惨劇、悲劇を引き起こすのである。「子供は正直だ」という言葉がある。子供に対して好意的な言葉である。しかし、子供が正直であるのは、大人に対してではなく、自我の欲望に対してなのである。子供は、人の心を思いやる心が無く...人間は自我の欲望に従って生きるかしか無いのか。(自我から自己へ18)

  • 自己として強く生きるためには(自我から自己へ17)

    人間は、自我にこだわってぃる限り、強く生きられない。自我にこだわって生きてぃる限り、常に、不安が伴うからである。人間は、自己として生きなければ、強く生きられない。また、自我の欲望に動かされ生きている限り、自らが生きているとは言えない。快楽に動かされているだけである。人間は、自己として生きない限り、自分が生きている充実感は得られない。それでは、自我、自我の欲望、そして、自己とは何か。自我とは、ある構造体の中で、他者からある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造...自己として強く生きるためには(自我から自己へ17)

  • 誰もあなたを理解していない。(提言10)

    誰もあなたを理解していない。それは、決して、あなたが誰からも好かれていないということやあなたが誰からも興味を持たれていないということを意味していない。そして、あなたも誰一人として理解していない。それも、決して、あなたが誰をも嫌っているということやあなたが誰に対しても興味を持っていないということを意味しない。人間は、誰しも、自分がどのように思われているかを知るために、人を理解しようとするから、人がわからないのである。つまり、自分がどのように思っているかを知るために、その人を探っているのであり、その人そのものを理解しようとしていないのである。また、そもそも、人間は、人がわからないのである。その人が発する言葉、表情、態度、行動によって、その人のを想像しているだけなのである。だから、その人に対してだけでなく、その...誰もあなたを理解していない。(提言10)

  • 安倍晋三元首相は子供だったから支持率が高かったのである。(提言その9)

    「子供は正直だ」という言葉がある。大人は嘘をつくことがあるから信用できないが、子供はどんなことも正直に言うから信用できるという意味である。言うまでもなく、子供に対して好意的な言葉である。しかし、子供が正直であるのは、大人に対してではなく、自我の欲望に対してなのである。子供は、自我の欲望に正直だから、店内で駄々をこね、菓子やおもちゃを離そうとしないのである。些細なことが原因となって喧嘩するのである。学校で、嫌いな人を集団でいじめるのである。いじめられた子の中には、自殺する者もいる。つまり、子供は、人の心を思いやる心が無いから、自我の欲望のままに行動し、周囲に多大な迷惑を掛けるのである。そして、時には、死をもたらすのである。だから、大人の介入による抑圧が必要なのである。安部晋三元首相も子供のように自我の欲望に...安倍晋三元首相は子供だったから支持率が高かったのである。(提言その9)

  • 人間は、誰しも、ナチス党員になる可能性がある。(人間の心理構造その17)

    ドイツの哲学者であるアドルノは、「現代の理性は方向を誤り、アウシュビッツの悲劇を生み出した。」と述べ、ヒットラー率いるナチスが600万人ものユダヤ人を大虐殺した原因を理性に求めた。しかし、ユダヤ人の大虐殺は、理性のせいではなく、自我の欲望から生まれたのである。つまり、ナチスのユダヤ人に対する大虐殺は、深層心理が、自我の欲望として生み出した、ユダヤ人に対する憎しみの感情とユダヤ人を根絶せよという行動の指令か原因なのである。すなわち、ドイツ人のユダヤ人に対する自我の欲望が、ヒットラー率いるナチスの600万人ものユダヤ人の大虐殺を生み出したのである。ナチス時代のドイツ人に限らず、人間は、理性では、究極的には、自我の欲望を抑圧できないのである。つまり、人間は理性の動物ではなく、自我の欲望の動物なのである。人間は、...人間は、誰しも、ナチス党員になる可能性がある。(人間の心理構造その17)

  • 右翼の誕生。(人間の心理構造その16)

    右翼になるのは簡単である。愛国心に取りつかれ、愛国心に従ってひたすら行動する者が右翼だからである。戦争とは、愛国心に取りつかれた右翼同士の戦いである。一般に、愛国心は、文字通り、国を愛する気持ちと説明されている。しかし、それは、表面的な意味である。真実は、世界中の人々に、自分が所属している国の存在を認めてほしい、評価してほしいという自我の欲望である。人間は、自分が所属している国の存在が認められ、評価されれば、国民という自我もまた認められ、評価されたような気になるのである。現在、世界中の人々は、皆、国という構造体に所属し、国民という自我を持っている。だから、世界中の人々には、皆、愛国心がある。愛国心とは、自分が所属している国という構造体で、国民という自我を保持し続けたいという保身欲から発した感情でもあるから...右翼の誕生。(人間の心理構造その16)

  • 無知な人間と傲慢な人間について。(人間の心理構造その15)

    「子供は正直だ」という言葉がある。言うまでもなく、大人には嘘をつきだます人がいるから、その言葉や行動を全面的には信用できないが、子供は自分の気持ちに正直に言い行動するら信用できるという意味である。しかし、子供は、社会性が乏しいから、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に従って、正直に言い行動しているだけなのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣、国会議員、官僚、国民...無知な人間と傲慢な人間について。(人間の心理構造その15)

  • 臆病な人間について。(人間の心理構造その14)

    臆病な人間は、教師に叱られ、同級生に嫌味を言われても、反論も反抗もせず、明日も、今日と同じように、登校するだろう。そして、明日も、今日と同じように過ごして、帰宅するだろう。臆病な人間は、上司に叱られ、同僚に嫌味を言われても、反論も反抗もせず、明日も、今日と同じように、出社するだろう。そして、明日も、今日と同じように過ごして、帰宅するだろう。臆病な人間は、無駄な時間だとわかっていても、友人に会いに行くだろう。そして、次回も、同じ友人に会い、今日と同じようなことをして過ごして、帰宅するだろう。臆病な人間は、裏切られているとわかっていても、恋人に会い、飲食代は自分で払うだろう。そして、次回も、同じ恋人に会い、今日と同じようなことをして過ごして、帰宅するだろう。臆病な人間は、今日、家に引き籠もっていれば、明日も、...臆病な人間について。(人間の心理構造その14)

  • 怒っても泣いても、現実はそこにある。(人間の心理構造その13)

    シェイクスピアの悲劇『ハムレット』の中で、ハムレットは「生きていくか死ぬかそれが問題だ」と独白している。しかし、多くの人間は、日々、「生き死にの問題」でないことで苦しみ、時には、自殺する者もいるのである。「問題」そのものが問題なのではない。感情が問題なのである。なぜならば、人間には、感情があるから、「生き死にの問題」ではない問題に苦しみ、時には、苦しみのあまり自殺に向かう人もいるのである。また、ヘーゲルは「現実は理性的であり、理性は現実的である」と言った。言い換えれば、人間は、理性的であれば、すなわち、冷静に論理的に思考すれば、現実を正確にとらえることができるのである。しかし、実際には、現実を正確にとらえることができる人間はほとんどいない。それは、なぜか。感情が理性の目を狂わせるからである。感情が、ある時...怒っても泣いても、現実はそこにある。(人間の心理構造その13)

  • 人生をゲームのように考えられるか。(人間の心理構造12)

    人間は、誰しも、心が傷付くことがある。言うまでもなく、誰しも、心が傷付くのを望んでいない。なぜならば、心が傷付くと、悲しみに重く沈み込み、傷付けた人がなぜそのように言ったのか行動したのかと気になり、自分に自信が持てなくなるからである。また、自分でもどうでも良いことだと思われることで心が傷付くこともある。たとえば、父が小学生の子とゲームをし、負けて、「下手だなあ」と言われた時などである。自分でも「ゲームなのだから」、「子供の言ったことだから」と思うのだが、心は傷付き、気になるのである。なぜ、自分でも求めていないのに、心が傷付くのか。また。なぜ、自分でもどうでも良いと思われることで、心が傷付くのか。それは、深層心理が傷付いているからである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。だから、人間は、自分の意志に...人生をゲームのように考えられるか。(人間の心理構造12)

  • 偽善者で良いではないか。(人間の心理構造その11)

    自分は一人ではない。しかし、ここでは、巷で言われるような人間は常に誰かに支えられて生きているという人情的な意味で使っていない。文字通り、自分の奥底にもう一人の自分が存在するということを言っているのである。人間は、もう一人の自分に動かされ、自分のの意志に関係なく、生きているのである。だから、時には、人を殺し、戦争を起こすのである。もう一人の自分とは、深層心理と深層肉体である。深層心理とは、人間の無意識の精神の活動である。深層心理は、一般に、無意識と呼ばれている。たとえば、ダイエットをしている女性が無意識のうちにケーキを食べていたというふうに使われる。しかし、彼女は気付いていなかったかもしれないが、深層心理が欲望を生み出してケーキを食べるように仕向けたのである。深層肉体とは、人間の無意識の肉体の活動である。胃...偽善者で良いではないか。(人間の心理構造その11)

  • 日本は若者から壊れ始めている。(提言その8)

    現代は閉塞した歪んだ時代である。国民が国民を襲うことによって、快楽を得ようとし、物品を奪おうとし、時には、命まで奪う。闇バイトに応募しての強盗事件(強盗殺人事件)、回転寿司店、うどん店、カレー店、牛丼屋の経営を揺るがすほどの不愉快ないたずら、カラオケ店で火事を誘発する可能性のあるいたずらなど,若者を中心に、安易に現金を求めようとしたり憂さを晴らそうとしたりしている。なぜ、このようなことをするのか。それは、多くの者が現代に絶望し、将来が思い描けないからである。就職しようとしても、低賃金の非正規雇用がほとんどである。老人のほとんどが定額の年金生活であえいでいる。若者に至っては、定額を支払っても、将来、生活できる年金が与えられないだろう。政治が貧困なのである。誰がこんな日本を作ったのか。自民党・公明党政権である...日本は若者から壊れ始めている。(提言その8)

  • 感情が自分の存在に気付かせる。(人間の心理構造その10)

    デカルトの有名な言葉に「コギトーエルゴースム」(cogito,ero,sum)がある。略されて、コギトと言われる。一般に「我思う、故に、我あり。」と訳されている。その意味は「私はあらゆるものやことの存在を疑うことができる。しかし、疑うことができるのは私が存在しているからである。だから、私はこの世に確実に存在していると言うことができるのである。」である。ここから、デカルトは「私は確実に存在しているのだから、私は、理性によって、いろいろなものやことの存在を、すなわち、真理を証明することができる。」と主張する。なぜ、デカルトは、あらゆるあらゆるものやことの存在を疑ったのか。それは、「悪魔が人間をだまして、実際には存在していないものやことを存在しているように思わせ、誤謬を真理のように思わせているかもしれない。」と...感情が自分の存在に気付かせる。(人間の心理構造その10)

  • 自我の欲望ではなく、自己の意志で生きるために。(自我から自己へ16)

    なぜ、この世から、殺人や戦争が無くならないのか。それは、人間は、自己の意志で行動せず、自我の欲望によって動かされているからである。しかし、そもそも、人間に、本質的に、自分の意志は存在しないのである。平穏な日常生活も残虐な犯罪も、自我の欲望がもたらしているのである。だから、他者や他人の犯罪に対しては正義感から怒りを覚える人が同じような犯罪を行ってしまうのである。他者や他人の犯罪に対する怒りも自らが為した犯罪も自我の欲望から発されているのである。だから、自我の欲望をコントロールできない限り、誰しも、犯罪を行う可能性があるのである。それでは、自我とは何か。そして、自我の欲望とは何か。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。言...自我の欲望ではなく、自己の意志で生きるために。(自我から自己へ16)

  • 深層心理の精神疾患への逃避について。(人間の心理構造その9)

    人間は、いつの間にか、精神疾患に陥っている。だから、人間は、誰しも、自ら意識して、精神疾患に陥ることはない。もちろん、人間は、誰しも、精神疾患になることを望まない。精神疾患に陥ると苦しいからであり日常生活をルーティーンとして送れないからである。だから、人間は、誰しも、自らの意志で、精神疾患に陥ってはいない。すなわち、人間は、表層心理で、自らを意識しながら思考して、精神疾患に陥っていない。表層心理とは、人間の自らの意識しての精神活動である。深層心理が、人間の無意識のうちに思考して、人間を精神疾患に陥らせるのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。人間の精神活動には、表層心理と深層心理が存在するのである。深層心理という無意識の精神活動が、人間に精神疾患をもたらすのである。それでは、なぜ、深層心理動...深層心理の精神疾患への逃避について。(人間の心理構造その9)

  • 誰も自らの意志で生きていない。(人間の心理構造その8)

    誰も自らの意志で生きていない。誰も自らの意志で動いていない。恋愛も自分の意志ではない。ストーカー行為も自らの意志ではない。オリンピックやワールドカップで自国チーム、自国選手を応援するのも自分の意志ではない。殺人も自らの意志ではない。戦争も自らの意志ではない。自殺すらも自らの意志ではない。人間は無意識によって生かされ、動かされているのである。無意識の肉体の活動が人間を生かし、無意識の精神の活動が人間を動かしているのである。無意識の肉体の活動を深層肉体と言い、無意識の精神の活動を深層心理と言う。すなわち、深層肉体の意志が人間を生かし、深層心理の意志が人間を動かしているのである。まず、深層肉体であるが、深層肉体は、ひたすら生きようという意志、何が何でも生きようという意志、すなわち、生きるために生きようという意志...誰も自らの意志で生きていない。(人間の心理構造その8)

  • 人間の行動は、全て、自我の欲望の現れである。(人間の心理構造その7)

    人間には、自分という固定したあり方は存在しない。自分という特別なあり方は無い。自分そのものは存在しない。人間は、自我となって変化するのである。人間は、誰しも、さまざまな構造体に所属し、さまざまな自我を所有して、他者と関わりつつ、他人の存在を意識しながら、活動しているのである。他者とは同じ構造体の人々であり、他人とは別の構造体の人々である。しかし、他者も、他者そのもは存在せず、他者の自我であり、他人も、他人そのもは存在せず、他人の自我である。さて、人間は自我となって変化するから、ある人は、男女という構造体に所属している時は男性という自我を所有し、夫婦という構造体に所属している時は夫という自我を所有し、家族という構造体に所属している時は父という自我を所有し、小学校という構造体に所属している時は教諭という自我を...人間の行動は、全て、自我の欲望の現れである。(人間の心理構造その7)

  • 愛国心という名の自我の欲望について。(人間の心理構造その6)

    人間は自我の動物である。人間は自我を離れて生きることができない。自我とは、構造体の中で、他者からある特定の役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、国民という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、コンビニという構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という...愛国心という名の自我の欲望について。(人間の心理構造その6)

  • 嫉妬心について。(人間の心理構造その5)

    人間は、無意識のうちに、感情が生み出される。また、人間は、無意識のうちに、思考している。深層心理が人間を動かしているのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。人間の無意識のうちに、深層心理が、欲動に基づいて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長...嫉妬心について。(人間の心理構造その5)

  • 怒りの感情について(人間の心理構造その4)

    人間の感情には感動、感激、喜びなどの快いもの、怒り、嫉妬心、悲しみなどの不快なものがある。しかし、人間は自らの意志でそれらを生み出すことも止めることもできない。なぜならば、深層心理が感情を生み出しているからである。深層心理とは人間の無意識の精神活動であるから、人間は自らの意志で感情を生み出すことも止めることもできないのである。人間の意志は表層心理の範疇にあるのである。表層真理とは人間の自らを意識しての精神活動である。さて、人間は、快い感情の時はそれを味わうが、不快な感情の時には、深層心理がそこから脱出する方法を考え出して、それを行動の指令として人間に与える。人間は、表層心理で自らを意識してそこから脱出する方法を思考する前に、無意識のうちに、深層心理がそこから脱出する方法を思考しているのである。人間は、常に...怒りの感情について(人間の心理構造その4)

  • 人間は感情の動物だが、感情を生み出すことができない。(人間の心理構造その3)

    人間は、深層心理に動かされている。深層心理が、常に、構造体の中で、自我を主体に立てて、ある心境の下で、欲動に基づいて快楽を得ようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。それでは、深層心理とは何か。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。深層心理に対して、人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。それが際立つのは思考である。つまり、人間の思考には、深層心理の思考と表層心理での思考という二種類存在するのである。次に、構造体、自我とは何か。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者から、ポジションが与えられ、そのポジションに応じて行動しようとする、現実の自分のあり方である。だから、人間は、自らを指し示す必要があれば、自分という言葉を、...人間は感情の動物だが、感情を生み出すことができない。(人間の心理構造その3)

  • 深層心理が人間を動かしている。(人間の心理構造その2)

    人間は、常に、構造体に所属し、自我を持して行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者から、ポジションが与えられ、そのポジションに応じて行動しようとする、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、銀行、店、電車、仲間、夫婦、カップルなどがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、国民という自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、銀行という構造体では、支店長・行員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・乗客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、夫婦と...深層心理が人間を動かしている。(人間の心理構造その2)

  • 自我。(人間の心理構造その1)

    人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという...自我。(人間の心理構造その1)

  • 何という愚かな国民であろうか。(日本、滅びの国へ(その12)

    岸田総理は、閣議で、増税し、軍備を増強して、敵基地攻撃能力を自衛隊に持たせると言う。閣議決定したということは、早晩、国会で、強行採決して、自民党、公明党、日本維新の会の賛成で決定するということを意味する。国民の一部は、国会周辺や官邸周辺で、反対のデモ行進をしている。しかし、国民の多くは反対運動を起こさない。マスコミは、一部しか、閣議決定事項を批判しない。そして、世論調査では、国民の過半数は、敵基地攻撃能力を有することに賛成しているという。何という愚かな国民であろうか。敵基地攻撃能力を持てば、自衛隊は自衛隊で無くなる。戦前と同じような軍隊になる。敵基地攻撃能力を持ってどこの国を攻撃しようと言うのか。中国か、北朝鮮か。しかし、中国を先制攻撃して、一旦は成功しても、中国には太平洋戦争の恨みがあるから、核攻撃も交...何という愚かな国民であろうか。(日本、滅びの国へ(その12)

  • 日本人のいじめ体質が長期の自民党政権を生み出している。(日本、滅びの国へ(その11)

    大衆とは、強いものや多数派に自分の意見を合わせて、弱いものや少数派を攻撃して勝者の喜びを味わい、後に、個人として責任を取らない人々意味する。強いものに惹かれるのは、共に弱いものをやっつけて、勝者の喜びを味わえるからである。今生きている日本人にとって、政治的に強いものとは、日本人の多数の支持を受けている自民党である。だから、大半の日本人が自民党を支持するのである。そして、日本人を収奪している家庭連合(統一教会)と一体化していても、どれだけ悪事を犯しても、強い多数自民党に同調し、弱い少数野党を攻撃して、勝者の喜びを味わっているのである。日本人のこの大衆性は、大人だけでなく、子供にも存在するのである。それが、端的に現れるのは、いじめである。小学校、中学校、高校で、いじめが無くならないのは、子供にも、大人と同じ大...日本人のいじめ体質が長期の自民党政権を生み出している。(日本、滅びの国へ(その11)

  • 日本は自民党と共に滅びる。(日本、滅びの国へ(その10))

    金銭欲に駆られて不正を働いている政治家のほとんどは自民党議員である。日本人を収奪し、日本を支配しようと目論んでいた世界平和家庭連合(旧統一教会)と政策が一致し、世界平和家庭連合(旧統一教会)が日本に拡大する旗振り役をやっていた政治家のほとんどは自民党議員である。この20年給料が上がらず、小学生でも三食食べられない者も珍しくない国になったのは、自民党が政権を握っていたからである。岸田総理が、国民を無視して、敵基地攻撃能力のある武器を備えるために増税すると言えたのは、国会において、与党の自民党・公明党が絶対多数であるからである。それでも、日本人の大半は自民党を支持し続けるだろう。なぜならば、日本人は、体制が変わるのを恐れ、多数派にくみすることで安心感を得ているからである。そうすれば、現在の自我(ステータス、地...日本は自民党と共に滅びる。(日本、滅びの国へ(その10))

  • 日本人はどれほど愚かなのか。(日本、滅びの国へ(その9))

    岸田総理は敵基地攻撃能力のある武器を備えるために増税すると言う。どれだけ中国、北朝鮮の軍事力が脅威であっても、相手の軍事基地を先制攻撃すれば、相手国は復讐戦に燃えるのは当然である。全面的な戦争になるのは間違いない。自衛隊員だけでなく訓練を受けていない一般国民も、相手国の兵士を殺し、相手国の兵士に殺されることになる。さらに、増税すれば、先進国の最低ラインの賃金で暮らしている国民は一層貧しくなる。小学生でも、三食食べられない者も珍しくない。岸田総理は、国民の貧困、疲弊を無視して、海外に何兆円もの援助を約束している。しかし、日本国民は、ほんの一部の人を除いて、敵基地攻撃能力の武器の装備、増税に反対する声を上げていない。海外では、死を賭して、国民がデモ行進をしている。イランではヒジャブ着用の義務を犯したとして22...日本人はどれほど愚かなのか。(日本、滅びの国へ(その9))

  • 野党がだらしないから政権が執れないのではない。(日本、滅びの国へ(その8))

    野党がだらしないから政権が執れないのではない。日本の大衆は本質的に保守的で、長いものに巻かれることを良しとする体質だから、立憲民主党、共産党、社民党などの野党が支持されないのである。自民党、公明党に何人まともな政治家が存在するか。皆無ではないか。それでも、大衆は自民党・公明党の連立政権を支持するのである。世界平和家庭連合(旧統一教会)は、日本人を収奪し、日本の政治家を使って日本を支配しようと目論んでいた。その日本の政治家の多くが自民党に所属していた。右翼は、反日という言葉を使って、国益に反していると思った者たちを批判してきた。批判された者は左翼や自由主義者だった。今や、真の反日は自民党、公明党の政治家であることが明らかになった。公明党も、創価学会の配下にあるからである。創価学会も、世界平和家庭連合(旧統一...野党がだらしないから政権が執れないのではない。(日本、滅びの国へ(その8))

  • 日本人は幼児なのか。(日本、滅びの国へ(その7))

    ロシアがウクライナを侵攻し、北朝鮮の弾道ミサイルが日本近海に落下するのを見て、岸田総理をはじめとして自民党の国会議員が「敵基地攻撃能力を持たなければいけない、敵基地攻撃能力を持って、敵が日本を攻める前にそこをたたけばよい。また、敵基地攻撃能力を持てば、うかつに攻められない。その装備のために軍事費を増やさなければならない。」と言うと、国民の大半は賛成に回った。しかし、日本が一つの敵基地を先制攻撃してそこを破壊すれば、敵国は復讐に燃えて、あらゆる手段を駆使して、日本を攻めるだろう。それは、太平洋戦争で、日本がアメリカの真珠湾軍港を先制攻撃したつけが、広島・長崎の核攻撃による破壊、特攻隊による自己犠牲、そして、みじめな敗戦であったことからも理解できる。また、敵基地攻撃能力を持てばうかつに攻められないか。そのよう...日本人は幼児なのか。(日本、滅びの国へ(その7))

  • なぜ信者は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から離れられないのか。(自我その530)

    オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の五人の実行犯のうちの一人に林郁夫という人がいる。彼はオウム真理教という教団の幹部であるが、改悛の情が強く、捜査に積極的に協力したという理由で、実行犯の中で、唯一、無期懲役判決が下った。彼は、刑務所の中で、地下鉄サリン事件を何度も何度も振り返って考えた末に、「誰でも、自分の立場だったら、同じように実行していたと思う。」と結論を出し、語った。これがテレビで報道されると、多くの人は、この言葉を言い訳として捉え、「反省していない。」と言って、非難した。しかし、彼は究極の反省の末に、このような結論に達したのである。彼は教団の幹部であったが、おそらく、たとえ、一般信者であったとしても、サリン散布を断ることはできなかっただろう。オウム真理教教団の信者であるという自我を守るために、...なぜ信者は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から離れられないのか。(自我その530)

  • なぜ右翼は自民党を批判しないのか。(提言その7)

    右翼とは、国粋主義者、民族主義者、国家主義者、全体主義者を意味する。国粋主義者とは、自国の政治や伝統的な要素はどの国よりも優れていると考え、それだけを守り広めようする人々である。民族主義者とは、他の民族の干渉や支配を排し、自国の民族の統一・独立・発展をめざそうとする人々である。国家主義者とは、自国を至上の存在と見なし、個人を犠牲にしても国家の利益を尊重しようとする人々である。全体主義者とは、個人は国家・社会・民族などを構成する部分であるとし、個人の自由や権利より国家全体の利益を優先しようとする人々である。ネット右翼や街頭でヘイトスピーチをする右翼も、国粋主義者、民族主義者、国家主義者、全体主義者のいずれかに属している。右翼に共通しているのは、日本の国益だけを考えるということである。だから、彼らは、日本の国...なぜ右翼は自民党を批判しないのか。(提言その7)

  • なぜ右翼は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を批判しないのか。(提言その6)

    右翼は、何かにつけて、「反日」というレッテルを貼って、自分たちの気にくわない日本人を批判してきた。「反日」とは、日本の国益に反する者という意味である。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、信者に法外な寄進をさせ、そのお金を韓国の本部に送り、日本人の多くの家庭を壊してきた。安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也の家庭もそうであった。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、「合同結婚式」で、教祖が結婚相手を決めている。生まれてきた子供の多くは生まれ育った環境に葛藤を抱き、精神障害を患う者も珍しくない。どうして世界平和統一家庭連合と名のることができるのか。日本家庭破壊連合ではないのか。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)こそ、典型的な「反日」組織である。なぜ右翼は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を批判しないのか。なぜ右翼は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を批判しないのか。(提言その6)

  • 安倍晋三元首相の暗殺について思う。(提言その5)

    7月8日、安倍晋三元首相は、奈良市での街頭演説中に、山上徹也に銃撃され、死亡した。彼は、奈良県警の取り調べに対して、「特定の宗教団体に恨みがあり、当初は、その幹部を襲撃しようと考えていた。安倍晋三元首相とその団体が深く繋がっていると思い込んで、犯行に及んだ。政治信条に対する恨みではない。」と供述しているという。マスコミは最初はその宗教団体名を報じていなかったが、安倍元首相が深く関わり、山上容疑者の母親が信者となり多額の寄付金を強要され、一家が破産したことから、統一教会だと思われる。統一教会は、安い壺を高く売りつける霊感商法、集団見合いのような形で教会の代表者が結婚相手を決める合同結婚で知られているが、共産主義反対、夫婦別姓反対、同性婚反対、外国人参政権反対、専守防衛・非核三原則・武器輸出三原則の破棄を提唱...安倍晋三元首相の暗殺について思う。(提言その5)

  • 人間は、自分として存在できないのに、どうして自分に執着するのか。(自我再論3)

    人間には、自分という自らが生み出したあり方・生き方は存在しない。人間は、常に、自我として生きているのである。自我を離れて生きることはできないのである。自我は構造体の中で生まれてくる。人間は、構造体を離れても生きることはできない。人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って、生きているのである。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、国民という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造...人間は、自分として存在できないのに、どうして自分に執着するのか。(自我再論3)

  • 自己主張をしない日本人は、永遠に、賃金は上がらない。(提言その4)

    日本の企業の賃金が上昇しないのは、労働者が労働組合を作って経営者側と交渉しないからである。しかし、日本人は、自己主張することをためらう傾向がある。日本人は、自己主張することを恥ずかしいと思っている。日本人は、自己主張は卑しいと思っている。日本人は、自己主張はわがままだと思っている。また、自己主張が通らず、自己が傷付くことを危惧している。さらに、読売新聞、産経新聞、週刊新潮、週刊文春などのマスコミ、ネットニュースが労働組合の不祥事を針小棒大に大衆に流し、労働組合の足を引っ張り、労働組合不要論を醸成する。その上、自民党政府は、非正規の労働者を増やし、労働組合を作る能力を奪ってしまった。経営者側は、非正規の労働者ならばいつでも首にでき、労働組合を作ろうとする労働者をすぐに首にするのである。自民党政府は、表面上、...自己主張をしない日本人は、永遠に、賃金は上がらない。(提言その4)

  • 軍備を増強しても、敵基地先制攻撃能力を備えても、何の解決にもならない。(提言その3)

    ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって以来」、日本では、自民党議員を中心に軍備増強論が高まっている。日本も他国からの侵略に備えようというわけである。しかし、近隣諸国で、日本に圧倒的な軍事力を誇っているのは中国、ロシアである。日本がどれだけ軍備を増強しても、中国、ロシアに追いつくのは至難の業である。しかも、中国、ロシアは、日本を何百回、何千回滅ぼすだけの核兵器をそなえている。軍備を増強しても何の解決にならないのは、誰にもわかることである。さらに、日本政府は北朝鮮の暴発を危惧している。北朝鮮の軍事基地を先に攻撃して、日本が北朝鮮を攻撃にされないように考えている。しかし、日本が北朝鮮の軍事基地を先制攻撃すれば、北朝鮮のは沈黙するのか。日本に、北朝鮮の全軍事基地を一斉に攻撃して、壊滅させる軍事力があるのか。言うま...軍備を増強しても、敵基地先制攻撃能力を備えても、何の解決にもならない。(提言その3)

  • 愛国心という言葉に潜む麻薬性について。(自我その529)

    一般に、愛国心は国を愛する心として好意的に解釈されている。しかし、人間は愛国心があるから、残酷で無益な戦争を引き起こすのである。国を愛している者たちが、なぜ、国を滅ぼす可能性があるような戦争を引き起こすのであろうか。それは、愛国心というのは、国を愛する心として愛すべき心情のように見えて、真実は、国民という自我を愛する心から発した自我の欲望だからである。愛国心は、宙に漂っていたり静止していたりしているものではなく、常に、自我の欲望として、人間を動かしているのである。しかし、戦争を引き起こした者たちは、国のプライドを守るためにやむにやまれず取った手段だと思っているのである。真実は、自我の欲望を満足させるために起こしたのである。愛国心には無意識のうちに自らを偽る麻薬的な要素があるのである。現代という時代は、世界...愛国心という言葉に潜む麻薬性について。(自我その529)

  • 子供、ストーカー、政治権力者の精神構造は同じである。(意識と無意識2)

    人間は、自由な動物でも理性的な動物でもない。人間は、独裁国家や全体主義国家に住んでいなくても誰かに支配されていなくても自由ではない。人間は、常に、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に支配されているから自由ではないのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。深層心理が、人間の無意識のうちに、自我に取り憑き、思考して、自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。だから、人間は存在自体が自由ではないのである。人間は、自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされて生きているのである。その典型が子供、ストーカー、政治権力者である。深層心理が自我に取り憑き、深層心理が思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているから、人間は、自ら主体的に思考して、主体的に行動することはできないのである。人間は理性的な動...子供、ストーカー、政治権力者の精神構造は同じである。(意識と無意識2)

  • 人間は自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされているから、悪逆非道なことができるのである。(無意識と意識1)

    人類の滅亡しか地球には希望が残っていないのか。人間は、地球で最も残酷な動物である。人間だけが、同種で殺し合っている。人間だけが、多くの動植物を絶滅させている。公害という言葉があるが、人間の存在自体がが地球の公害である。なぜ、霊長類と自称し、全動物中最も知能が高いと自負している人間が、このような愚かで残虐なことを行い続けるのか。それは、人間の表層心理での思考の力が深層心理の思考の力に対して圧倒的に弱いからである。表層心理とは人間の自らを意識しての精神活動である。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。人間の表層心理での思考、すなわち、人間の自らを意識しての思考が理性である。人間の表層心理での思考を強調したあり方、すなわち、人間の自らを意識しての思考を強調したあり方が主体性である。人間は、自らの現在も未来も、理性...人間は自我に取り憑かれ、自我の欲望に動かされているから、悪逆非道なことができるのである。(無意識と意識1)

  • 「平和ぼけ」という言葉に対する違和感について。(提言その2)

    誰が、毎日、熟慮して行動しているだろうか。誰が、毎日、自らを意識して思考して行動しているだろうか。ほとんどの人の日常生活は、無意識の行動によって成り立っているのである。ほとんどの人の日常生活は、毎日同じことを繰り返すルーティーンになっている。それは、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望のままに行動しているからである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、毎日、深層心理が、人間の無意識のうちに思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。しかし、時として、日常生活を乱すことや日常生活をを打ち破るような異常なことが起こる。その時、人間は、表層心理で思考して行動しようとする。表層心理心理とは人間の自らを意識してのの精神活動である。すなわち、人間...「平和ぼけ」という言葉に対する違和感について。(提言その2)

  • 人間の基本的な欲望は、保身欲、承認欲、支配欲、共感欲という四つの欲望である。(自我再論2)

    人間は、常に、構造体に所属して、自我となり、深層心理が生み出した自我の欲望に動かされて行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カッ...人間の基本的な欲望は、保身欲、承認欲、支配欲、共感欲という四つの欲望である。(自我再論2)

  • 人間は自我に取り憑かれた動物である。(自我再論1)

    人間は自我に取り憑かれた動物である。それは、人間は、常に、何かであり、誰かということである。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って、行動している。構造体とは、人間の組織・集合体であり、自我とは、構造体における、ある役割を担った自分のポジションである。構造体と自我の関係を具体的に言うと、次のようになる。日本という構造体には、総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体には、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体には、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体には、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体には、友人という自我があり、カップルという構造...人間は自我に取り憑かれた動物である。(自我再論1)

  • 「真珠湾攻撃」の悲劇がまたやって来る。(自我から自己へ15)

    岸田首相は、戦後初めて、国会で、日本を攻撃する外国の基地をたたく「敵基地攻撃能力」を持つことを検討すると明言した。政治家の使命は戦争を避けることであるのに、岸田首相を初めとして、自民党議員は、それを理解していない。日本軍が、真珠湾を先制攻撃をしたことで、アメリカの世論が沸騰し、日本は、太平洋戦争で、アメリカに完膚なきまでに叩きのめされた。自民党議員は、敵基地を先制攻撃することで、敵国が屈服すると思っているのだろうか。自民党議員が意図したことを行えば、「真珠湾攻撃」の悲劇がまたやって来ることになる。日本は、再び、完膚なきまでに叩きのめされるだろう。最悪の場合、日本という国が無くなるかも知れない。アメリカ、イギリス、オランダはもとよりのこと、アジア諸国において、太平洋戦争においての日本軍の残虐行為が恨まれているから...「真珠湾攻撃」の悲劇がまたやって来る。(自我から自己へ15)

  • 国民は戦争を拒否できないのか「民主主義の陥穽」。(自我から自己へ14)

    ロシア兵がウクライナに侵攻し、ロシア兵とウクライナ兵が殺し合い、死に、ウクライナ市民がロシア兵に殺された。彼らは、自分として殺し合い、死に、殺されたのではなく、自我として殺し合い、死に、殺されたのである。なぜならば、戦いを望んでいないからである。戦争を選択していないのに、それによって殺し合い、死に、殺されているのである。彼らはロシア兵、ウクライナ兵という自我を持っていたから殺し合い、死に、ウクライナ市民という自我を持っていたからロシア兵に殺されたのである。つまり、ロシア兵はロシア国という構造体に所属しているから、プーチン大統領の命令に従い、ウクライナに侵攻し、ウクライナ兵と戦ったのである。ウクライナ兵はウクライナ国という構造体に所属しているから、ゼレンスキー大統領の命令に従い、ロシア兵と戦ったのである。ウクライ...国民は戦争を拒否できないのか「民主主義の陥穽」。(自我から自己へ14)

  • プーチン大統領もゼレンスキー大統領も悪党である。(自我から自己へ13)

    悪党とは自我の欲望を満たすためには他者の犠牲を厭わない者のことを言う。政治権力者としての自我の欲望を満たすために国民の命を犠牲にして戦争を行う者は悪党以外の何者でもない。プーチン大統領もゼレンスキー大統領も悪党である。多くのロシア国民も多くのウクライナ国民も愛国心を理由に戦争を支持しているのもあまりにも愚かである。ロシアの大統領のプーチンは、ウクライナ国内の親露派の地域と人々を守るためと言って、ウクライナに兵を動かし、侵攻した。ウクライナの大統領のゼレンスキーは、ウクライナの独立を守ろうと言って、全国民に武器を持って戦うように呼びかけ、至る所が戦場になった。現在も、戦争が継続しているのは、多くのロシア国民と多くのウクライナ国民は愛国心を理由に戦争を支持しているからである。日本を含めて、世界中の国が、プーチンの行...プーチン大統領もゼレンスキー大統領も悪党である。(自我から自己へ13)

  • 死の恐怖とは死ぬことの恐怖ではなく、自我を失うことの恐怖である。(自我から自己へ12)

    人間にはいつか死が訪れる。人間は、誰しも、自らにいつか死が訪れことを知っている。死とは、生命を失うこと、息が絶えることを意味する。しかし、人間は、誰しも、自分の生命を失った状態、自分の息が絶えた状態を想像しても、恐怖心は身に迫って押し寄せてこない。また、死ぬ時の肉体の痛みを想像しても、恐怖心は身に迫って押し寄せてこない。さらに、死後の荼毘に付されることや肉体が朽ち果てることを想像しても、恐怖心は身に迫って押し寄せてこない。それは、いつか自分も死ぬだろうがまだその時期ではないと思っている。また、快楽主義の祖と言われている古代ギリシアの哲学者のエピクロスが言うように、「われわれが生きているときには死はわれわれのもとにはなく、その死がやってきたときにはわれわれの方が居ない」のである。人間は、死を規定できないから、死の...死の恐怖とは死ぬことの恐怖ではなく、自我を失うことの恐怖である。(自我から自己へ12)

  • 人生に、意味は無く、自我の欲望だけが蠢いている。(自我から自己へ11)

    中島敦の小説「山月記」に、主人公の李徴は、「全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」と呟いている部分がある。まさしく、人間は、押し付けられた命を自らのものとして生きていくしか無いのである。人間は、誰しも、意志をもって生まれていないからである。気が付いたら、そこに存在しているのである。つまり、生まれる必然性が無く、偶然に誕生したのである。だから、ひたすら快楽を求めて思考して生きるという押し付けられた生き方から逃れることはできないのである。つまり、人間が誰しもひたすら快楽を求めて思考して生きようとするのは、そのような意志が先天的に人間に備わっているからである。もちろん、しかし、その意志は、自らが生み出したものではない。誕...人生に、意味は無く、自我の欲望だけが蠢いている。(自我から自己へ11)

  • 人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされて生きるしかないのか。(自我から自己へ10)

    人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされて生きている。深層心理とは人間の無意識の精神の活動である。すなわち、深層心理が、人間の無意識のうちに、自我を主体に立てて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かしているのである。しかし、ほとんどの人は、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。すなわち、主体的に思考して行動していると思っている。そこに、大きな誤りがある。人間の自らを意識しての精神の活動を表層心理と言う。つまり、ほとんどの人は、表層心理で、自ら意識して思考して、自らの感情をコントロールしながら、自らの意志で行動していると思っている。それが大きな誤りなのである。なぜならば、深層心理が、常に、ある構造体の...人間は、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされて生きるしかないのか。(自我から自己へ10)

  • 人間は自我として生きるしかないのか。(自我から自己へ9)

    人間には、自我しか存在しない。人間には、確固とした自分は存在しない。人間には、特定の自分は存在しない。すなわち、人間には、自分は存在しないのである。自分とは、自らを他者や他人と区別して指している自我のあり方に過ぎない。他者とは、構造体の中の自我以外の人々である。他人とは、構造体の外の人々である。自らが、自らの自我のあり方にこだわり、他者や他人と自らを区別しているあり方が自分なのである。人間は、自我として生きているのである。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って、生きている。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、...人間は自我として生きるしかないのか。(自我から自己へ9)

  • 人類の悲劇は、表層心理の理性・主体的な行動が深層心理の自我の欲望に圧倒されていることが原因である。(自我から自己へ8)

    人間は、自分を動かすことはできない。人間は、自分で意識して考えて行動しているわけではない。人間は、無意識のうちに考えて、自我の欲望を生み出し、その自我の欲望に動かされているのである。人間は自らのことを自分と表現するが、自分とは、自らを他者や他人と区別して指している自我のあり方に過ぎない。他者とは、構造体の中の自我以外の人々である。他人とは、構造体の外の人々である。すなわち。自分とは、自らの自我のあり方にこだわり、他者や他人と自らを区別しているあり方なのである。だから、人間には、固定した自分は存在せず、自分を動かすことはできない。人間は。自我に囚われ、深層心理が思考して生み出す感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて生きているのである。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えら...人類の悲劇は、表層心理の理性・主体的な行動が深層心理の自我の欲望に圧倒されていることが原因である。(自我から自己へ8)

  • 人間は、誰しも、主体性を有していず、自我の欲望に動かされている。(自我から自己へ7)

    人間は、誰しも、主体性無く、生きている。しかし、それは当然のことである。なぜならば、人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。気が付いたら、そこに人間として存在しているのである。だから、人間は、誰しも、主体性が無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。つまり、人間は、自らの意志で誕生していないから、主体性が無く、何かに動かされて生き、何かを追うように仕向けられて生きているのである。そして、時として、自らに主体性が無いことに気付き、疑問を覚えるのである。自らの意志によって生まれてきていず、主体性が無いことは、他の動物、植物も同じである。しかし、人間には、他の動物、植物と異なるところがある。それ...人間は、誰しも、主体性を有していず、自我の欲望に動かされている。(自我から自己へ7)

  • 深層心理に動かされている人間について。(自我から自己へ6)

    ほとんどの人は、自らを意識して思考して、行動していると思っている。自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、ほとんどの人は、表層心理で思考して、行動していると思っている。しかし、実際には、深層心理の思考が人間を動かしているのである。人間には、表層心理の他に、深層心理があり、むしろ、深層心理が人間の思考も行動も決定づけているのである。深層心理とは無意識の精神活動である。だから、ほとんどの人は、深層心理の存在に気付かず、当然のごとく、深層心理の思考が人間を動かしているのを知らず、表層心理で、自らを意識して思考して、行動していると思い込んでいるのである。そもそも、人間は、常に、自分を意識しているわけでは無い。それは、自らを意識して自らの意志によって思考して行動していないからである。それでも、人間は行動できる...深層心理に動かされている人間について。(自我から自己へ6)

  • 人間は、意志で動いているのではなく、自我の欲望によって動かされている。(自我から自己へ5)

    人間は、自我を持って、初めて、人間となる。自我を持つとは、ある構造体の中で、あるポジションを得たということであるが、そのポジションは取り替えの利くものでは無く、そのポジションと一体化したことを意味する。だから、そのポジションは、ある役割を担った現実の自分のあり方になり、自我になるのである。自我が存在しない人間は、単に、動物としての存在にしか過ぎない。人間が最初に所属する構造体は、家族であり、最初の自我は、男児(長男、次男、三男など)、女児(長女、次女、三女など)である。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って活動しているのである。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族以外に、学校、会社、店、電車、仲間、カップルなどが存在する。学校という構造体には校長・教諭・生徒などの自我があり、会社と...人間は、意志で動いているのではなく、自我の欲望によって動かされている。(自我から自己へ5)

  • 人間には自我しか存在しない。(自我から自己へ4)

    人間には、自分は存在しない。人間には、特定の自分は存在しない。自分とは、自らを他者や他人と区別して指している自我のあり方に過ぎない。他者とは、構造体の中の自我以外の人々である。他人とは、構造体の外の人々である。自らが、自らの自我のあり方にこだわり、他者や他人と自らを区別しているあり方が自分なのである。人間は、自我として生きている。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などという自我があり...人間には自我しか存在しない。(自我から自己へ4)

  • 自らの大衆性から脱却できるか。(自我から自己へ3)

    大衆には、二つの特徴がある。一つは、常に、力に寄りかかって生きているということである。大衆とは、常に、権力者の力や権力という力に寄りかかり、多数という力に寄りかかっている集団なのである。だから、決して、責任を取らないのである。もう一つは、自分で考えること無く、付和雷同に行動することである。ハイデッガーが言うように、大衆とは、世間話、好奇心、曖昧性の塊なのである。世間話とは、多くの人が、根も葉も無い話を無責任に語り合うことである。そこには、仲間意識があり、安心感がある。好奇心とは、上滑りに話題を取り上げ、ひたすら興味本位に追求することである。そこには探究心は存在しない。だから、疲労感が無く、長く話せるのである。曖昧性とは、責任の所在を明確にせず、行動したり、話したりすることである。無責任であるから、常に、気楽な状...自らの大衆性から脱却できるか。(自我から自己へ3)

  • 自我に取り憑かれ、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされている人間に生きる意味はあるか。(自我から自己へ2)

    人間は、自分が意識して思考する前に、既に、無意識に思考している。しかも、それが、人間を動かしている。つまり、人間は、無意識の思考によって動かされているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が思考して、人間を動かしているのである。フランスの心理学者のラカンは「無意識は言語によって構造化されている」と言う。「無意識」とは、言うまでもなく、深層心理を意味する。「言語によって構造化されている」とは、言語を使って論理的に思考しているということを意味する。「構造化されている」と受動態になっているのは、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、思考していないからである。すなわち、人間は無意識のうちに、深層心理が言語を使って論理的に思考して、人間を動かしているのである。しかし、深層心理は、人間の無...自我に取り憑かれ、深層心理が生み出す自我の欲望に動かされている人間に生きる意味はあるか。(自我から自己へ2)

  • 日本は、自民党という幼児とともに滅びる。(自我から自己へ1)

    愛国心を盲目的に讃えているのは、自民党、ネット右翼、保守派の大衆である。当然のごとく、右翼、保守派の大衆は、自民党を支持する。右翼、保守派の大衆が、多数を占めているから、自民党が長期政権を続けているのである。しかし、戦後76年間、日本が戦争に参加しなかったのは、日本国憲法のお陰である。もちろん、自民党は日本国憲法を改正して、日本をすぐ戦争ができる国にしようとしている。「子供は正直だ」と言う。子供は、自我の欲望に対して正直なのである。自民党は、幼児である。もちろん、ネット右翼、保守派の大衆も幼児である。幼児だから、愛国心という自我の欲望に基づいて、盲目的に行動するのである。マルクスは、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」と言ったが、日本人は、一度目の太平洋戦争の悲劇で懲りずに、二度目の...日本は、自民党という幼児とともに滅びる。(自我から自己へ1)

  • 人間という自我に捕らわれた存在者の現象について。(自我その528)

    人間は自らを意識して思考して、意志によって行動しているのではない。人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理で思考して、自らの意志で行動しているのではない。人間は、深層心理に動かされている。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。一般に言われている無意識の行動とは、深層心理が思考したままに、表層心理で意識すること無く、行動することである。ほとんどの人の日常生活は、無意識の行動によって成り立っている。ほとんどの人の日常生活が、毎日同じことを繰り返すルーティーンになっているのは、無意識の行動だから可能なのである。日常生活がルーティーンになるのは、人間は、深層心理の思考のままに行動して良く、表層心理で意識して思考することが起こっていない証である。また、人間は、表層心理で意識して思考...人間という自我に捕らわれた存在者の現象について。(自我その528)

  • 学校がクラスやクラブ単位で動く限り、いじめ自殺事件は無くならない。。(自我その527)

    なぜ、小学校、中学校、高校で、いじめによって自殺する者が跡を絶たず、大学では、いじめが原因の自殺がほとんど無いのか。それは、人間は、いついかなる時でも、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持っていなければ生きていけないからである。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。大学生は、講義や演習を受けるために部屋を移動し、クラブ活動は自由であるのに対し、小学生、中学生、高校生は、授業を受けるための教室が固定し、クラブに所属することが強制されている。大学生にとって、構造体は、大学であり、自我は学生であるが、小学生・中学生・高校生にとって、構造体はクラスやクラブであり、自我はクラスメートや部員である...学校がクラスやクラブ単位で動く限り、いじめ自殺事件は無くならない。。(自我その527)

  • 人間は、誰しも、深層心理によって、反社会的な自我の欲望を抱くことがある。(自我その526)

    人間は、誰しも、意志無く生まれている。つまり、偶然に、誕生している。人間は、気が付いたら、そこに存在しているのである。つまり、人間は、誰一人として、自らの意志によって生まれてきていないのに、生きているのである。しかし、それは、生きる意味、生きる目的が存在していないということを意味していない。人間は、生きる意味、生きる目的を有せずして、生きることはできない。つまり、人間には、自ら意識していないが、生きる意味、生きる目的が存在しているのである。すなわち、人間は、生きる意味、生きる目的を自ら意識していなくても、生きていけるのである。それは、先天的に、人間には、生きる意味、生きる目的が与えられているからである。人間の先天的な生きる意味、生きる目的とはひたすら生き続けようとすることである。人間は、先天的に、ひたすら生き続...人間は、誰しも、深層心理によって、反社会的な自我の欲望を抱くことがある。(自我その526)

  • 人間は、意志としての自己として生きているのではなく、欲望としての自我として生かされている。(自我その525)

    人間には、自分そのものは存在しない。自我が生きているだけである。人間は、意志としての自己として生きているのではなく、欲望としての自我として生かされているのである。人間は、毎日、同じ場所で、同じ人と会い、同じようなことをして暮らしている。それを、ルーティーンと言う。人間は、毎日、構造体という同じ場所で、他者という人に同じ会い、同じ自我を持って、同じようなことをして、ルーティーン通りに暮らしている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、人間が、ある構造体の中で、ある役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体には、家族、国、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦、人間、男性、女性などがある。家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、国という...人間は、意志としての自己として生きているのではなく、欲望としての自我として生かされている。(自我その525)

  • 人間は、深層心理を覆う心境、深層心理が生み出す感情に縛られ、逃れることができない。(自我524)

    人間は感情の動物である。感情が、人間に、自らを、すなわち、自らの存在を意識させるのである。感情が無ければ、人間は、自らの存在を知覚できず、生きている実感を覚えることはできないのである。感情が人間の存在を、すなわち、人間の生活、人生を刻印しているのである。感情が人間を動かしているのである。つまり、人間は感情に動かされて行動する動物なのである。しかし、人間は、自分の意志では、感情を生み出すことも動かすことも消すこともできないのである。なぜならば、感情は、深層心理によって、生み出されるからである。深層心理とは、人間の無意識の精神の活動である。すなわち、人間の無意識のうちに、深層心理が思考して感情を生み出しているのである。つまり、感情は、自らが意識できない深層心理によって生み出されるから、人間は、自らの意志で、生み出す...人間は、深層心理を覆う心境、深層心理が生み出す感情に縛られ、逃れることができない。(自我524)

  • 人間とは、深層心理が生み出す自我の欲望の戯れに過ぎない。(自我その523)

    人間は、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に動かされて生きている。しかし、多くの人は、深層心理の力を知らず、常に、自ら、意識して、思考して、自らの意志で行動していると思っている。人間の無意識の精神活動を深層心理、人間の意識した精神活動を表層心理と言う。一般に、無意識の活動が知られているが、多くの人は、それを、人間の例外的な行動だと思っている。なぜならば、ほとんどの行動は、表層心理で思考して、自らの意志で行っていると思っているのである。だから、多くの人は自由に憧れるのである。自由ならば、他者の妨害を受けずに、他者の妨害を受けずに、自ら意識して思考し、自らの意志で、行動することができると思っているからである。しかし、自分自身の行動を振り返って考えてみればわかることだが、人間の多くの行動は、自ら意識して思考してい...人間とは、深層心理が生み出す自我の欲望の戯れに過ぎない。(自我その523)

  • 人間は永遠に罪人である。歴史は無駄な時間である。(自我その522)

    人間は罪人であると規定したのは人間である。人間は、いつになったら、罪人でなくなるのか。しかし、人間は罪人から永遠に逃れることはできない。人間の最大の罪は殺人である。人間は、いつになったら、殺人を犯さなくなるのか。しかし、どれだけ時代が進んでも、人間世界から、人殺しが無くなることはない。歴史は無駄な時間である。なぜならば、深層心理が、思考して、他者を殺したいという自我の欲望を生み出し、人間を動かしているからである。人間の人間たる所以は、深層心理が思考して生み出した自我の欲望が人間を動かしていることである。だから、人間世界から永遠に人殺しが無くなることはないのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。一般に、深層心理の思考は無意識と呼ばれている。だから、人間は、自分の意志では持ちたくないと思っていても、深...人間は永遠に罪人である。歴史は無駄な時間である。(自我その522)

  • 苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味する。(自我その521)

    オーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインは、「苦しんでいる人間は、苦しみが消えれば、苦しみの原因が何であるかわからなくても構わない。苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味するのである。」と言う。苦しんでいる人間にとって、苦しみから逃れることができれば、それで良く、必ずしも、苦悩の原因となっている問題を解決する必要は無いのである。なぜ、そのようなことが生じるのか。それは、苦しいという感情を生み出したのは深層心理であるが、人間は、表層心理で、苦しみをもたらしている原因を調べ、解決の方法を思考し、苦しみから逃れようとするからである。深層心理とは、無意識の精神活動である。一般に、無意識とは無意識の行動を言う。しかし、人間は、無意識のうちに思考しているのである。それが、深層心理の思考である。だから、...苦しみが消えたということが、問題が解決されたということを意味する。(自我その521)

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