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  • 愛国心の陥穽。(欲動その13)

    愛国心の陥穽。(欲動その13)

    現在、世界は国という単位で分断されている。人々は、何れかの国という構造体に所属し、国民という自我で生きている。だから、世界中の人々は、皆、愛国心を持っているのである。世界中の人々が、オリンピックやワールドカップで、自国選手や自国チームを応援し、勝つと喜び、負けると悲しのは。、愛国心の成せる業である。日本人が、高校サッカーや高校野球で、郷土チームを応援するのは、郷土愛の成せる業である。国という構造体に所属し、国民という自我を持っているから、自国選手や自国チームを応援し、都道府県という構造体に所属し、都道府県民という自我を持っているから、郷土チームを応援するのである。しかし、愛国心が戦争を引き起こすのである。オリンピックやワールドカップで自国選手や自国チーム負けても、高校サッカーや高校野球で郷土チームが負けて...愛国心の陥穽。(欲動その13)

  • 国民に自民党支持者が多いのは中国敵視において一致しているからである。(提言12)

    国民に自民党支持者が多いのは中国敵視において一致しているからである。(提言12)

    太平洋戦争は、中国侵略がきっかけに起こった。アメリカが日本に満州国の放棄を要求したから、日本はアメリカに宣戦布告したのである。現在の自民党の国会議員の大半は、中国侵略を推進した政治家の二世、三世だから、自らの祖父、父の考えを受け継いで、中国を敵視しているのである。国民の大半は、中国侵略を熱狂的に支持してきた者たちの子孫だから、自らの祖父、父の考えを受け継いで、中国を敵視しているのである。中国敵視において一致しているから、国民に自民党支持者が多いのである。中国敵視において、アメリカと日本は一致しているから、日本はアメリカの下僕になっているのである。国民に自民党支持者が多いのは中国敵視において一致しているからである。(提言12)

  • 自分とは自我と自己の関係である。(自我から自己へ20)

    自分とは自我と自己の関係である。(自我から自己へ20)

    デンマークの哲学者キルケゴールは、『死に至る病』で、「人間は精神である。しかし、精神とは何か。精神とは自己である。しかし、自己とは何か。自己とはひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係すること、そのことである。自己とは関係それ自身ではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。」と記している。「人間は精神である」とは人間は考える動物であるということである。「精神とは自己である」とは自分で考えるということと自分について考えるということという二つのこと意味している。「自己とはひとつの関係である」とあるが、なぜ、考えると言わず、「関係する」と表現したのか。それは、自分自身について考えているからであり、自分自身について考えることによって自...自分とは自我と自己の関係である。(自我から自己へ20)

  • 戦争を拒否できるか。(提言11)

    戦争を拒否できるか。(提言11)

    誰が殺し合いすることを望むだろうか。誰が戦場に立つことを望むだろうか。それでも、戦争が起こるのはなぜか。それは、政治指導者が戦場に立たないからである。政治指導者は、例外なく、自らは殺し合いに参加せず、安全地帯で命令している。だから、政治権力者に戦争を起こす権威を与えている限り、戦争はなくならないのである。人間は、誰しも、政治権力を握ると傲慢になり、自我の欲望のためには人の命も犠牲にするようになるのである。それでは、自我とは何か。そして、自我の欲望とは何か。自我とは、人間が、構造体の中で、役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているのである。構造体には、国、家族、学校、会社...戦争を拒否できるか。(提言11)

  • 人間の精神の動きについて。(欲動その12)

    人間の精神の動きについて。(欲動その12)

    人間は苦痛があるから考えるのである。苦痛は自我が異常な状態にあることを示している。苦痛には肉体的なものと精神的なものがあり、肉体的な苦痛は肉体的に異状があることを、精神的な苦痛は精神的に異状があることを示しているのである。だから、苦痛は単なる感覚ではない。苦痛は人間をして肉体的な異状や精神的な異状の除去を考えるように強制するのである。苦痛があるからこそ、人間は、肉体的な異状や精神的な異状の原因を考え、苦痛から解放される方法を考えるのである。苦痛がある間、人間は肉体的な異状や精神的な異状を改善する方法を考え続けるのである。さて、考えるという精神的な行動と同じような精神的な行動に思うがある。しかし、考えるは思うと同じではない。考えるということは、自我に差し迫ってくる事象を苦痛に感じ、その苦痛から解放されるため...人間の精神の動きについて。(欲動その12)

  • 人間は深層心理が生み出した自我の欲望によって動かされている奇妙な動物である。(欲動その11)

    人間は深層心理が生み出した自我の欲望によって動かされている奇妙な動物である。(欲動その11)

    ドイツの哲学者のアドルノは「現代の理性は方向を誤り、第二次世界大戦、アウシュビッツの悲劇を生み出した。」と述べた。理性が、第二次世界大戦を引き起こし、ヒットラー率いるナチス党によるユダヤ人大虐殺の引き起こしたと言うのである。理性とは、人間の自らを意識しての思考である。人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、理性とは、人間の表層心理での思考である。しかし、第二次世界大戦、ユダヤ人の大虐殺は、理性が生み出したものではなく、自我の欲望によって引き起こされたのである。無意識の思考が自我の欲望を生み出し、第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人の大虐殺を行うように人間を仕向けたのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が思考して、自我の欲望を生み出し、第二次世界大戦を引き起こ...人間は深層心理が生み出した自我の欲望によって動かされている奇妙な動物である。(欲動その11)

  • サルトルはもういない。(欲動その10)

    サルトルはもういない。(欲動その10)

    フランスの哲学者サルトルはもういない。世界には、自らの良心に従って思考し、自らの良心に従って行動する人はもういない。自我の欲望に従って生きている者しかいない。サルトルは「人間は自由へと呪われている。」と言った。「人間は、全てのことにおいて、自ら思考して、自ら決断して、自ら行動できる。だから、全ての行動の責任を自ら取らなければいけない。人間は、誰一人として、この運命から逃れることはできない。」これがサルトルの言葉の意味である。また、サルトルは、「実存は本質に先立つ。」とも言った。実存とは、自分自身で主体的に思考して行動する生き方である。本質とは、人間本来の定まった行動や生き方である。つまり、サルトルは、「人間には、定まっている行動の仕方や生き方は存在しない。自分で思考して行動しなければいけない、そして、その...サルトルはもういない。(欲動その10)

  • 戦争は政治の延長ではない。(欲動その9)

    戦争は政治の延長ではない。(欲動その9)

    戦争は政治の延長であるという言葉がある。しかし、真実はそうではない。戦争は政治権力者の自我の欲望の延長である。人間は自我の欲望を満たすために生きている。なぜ、人間は自我の欲望を満たそうとするのか。それは、自我の欲望を満たせば快楽が得られ、それを満たさない間ば不愉快だからである。しかし、人間は自らを意識して思考して自我の欲望を生み出しているのではない。人間の意識しての精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は表層心理で思考して自我の欲望を生み出していないのである。人間は無意識のうちに思考して自我の欲望を生み出しているのである。人間は無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているのである。自我の欲望は深層心理という心の奥底から湧き上がってくるから、人間は...戦争は政治の延長ではない。(欲動その9)

  • 人間は何のために生きているのか。(欲動その8)

    人間は何のために生きているのか。(欲動その8)

    たいていの人は、一生のうちに、何度か、自分は何のために生きるているだろうと自問する。いったい、人間は何のために生きているのか。端的に言えば、快楽を得るために生きているのである。しかし、人間は意識して快楽を求めて思考して行動していない。無意識に行っているのである。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が快楽を求めて思考して自我の欲望を生み出して人間を動かしているのである。それをフロイトは快感原則と呼んだ。深層心理の動きだから、人間はそれに無自覚なのである。さらに、ほとんどの人は、自ら意識して思考して行動していると思い込んでいるから、ますますそれが自覚できないのである。人間の自ら意識してのの精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は、表層心理で思考して自ら主体的に動いていると思い込んでいる...人間は何のために生きているのか。(欲動その8)

  • 神に人間を裁く資格は無い。(欲動その2)

    神に人間を裁く資格は無い。(欲動その2)

    多くの宗教は、神が人間をこの世に誕生させたと言う。もしそうならば、なぜ、同種同士が殺し合うような残酷な動物に創造したのか。なぜ、自らを意識しての思考による意志では行動できず、無意識のうちに思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて行動する動物に創造したのか。人間の自らを意識しての精神活動を表層心理と言う。人間の無意識の精神活動を深層心理と言う。人間は表層心理の思考による思考で行動していず、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて行動しているのである。個人間の殺し合いである殺人も、国家の殺し合いである戦争も、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に動かされて起こした行動なのである。人間は、時には、深層心理が思考して生み出した自我の欲望を、表層心理での思考の...神に人間を裁く資格は無い。(欲動その2)

  • 芸人世界に自我の欲望の典型を見る。(欲動その7)

    芸人世界に自我の欲望の典型を見る。(欲動その7)

    人間は誰しも自らを律しなければ常に堕落する可能性がある。それは、誰しもが快楽を求めて生きているからである。逆に言えば、不快を避け、不快から逃れ、苦痛を避け、苦痛から逃れるために生きているのである。人間の快楽を求めて生きるあり方をフロイトは快感原則と呼んだ。しかし、人間は自ら意識して快楽を求めて思考して行動しているわけではない。人間の自らを意識した精神活動を表層心理と言う。すなわち、人間は表層心理で快感原則で思考して行動していない。人間は無意識のうちに快楽を求めて思考して生きているのである。がから、人間は快楽を求める生き方を変えることができないのである。人間の無意識の精神の活動を深層心理と言う。すなわち、深層心理が快感原則に基づいて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我になっている人間を...芸人世界に自我の欲望の典型を見る。(欲動その7)

  • 性加害と自我の欲望について。(提言13)

    性加害と自我の欲望について。(提言13)

    「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損ない、妻子を傷つけ、友人を苦しめ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。」と、中島敦の小説『山月記』で、主人公の李徴が反省の弁を述べている。まさしく、松本人志を猛獣にした性情は異常な性欲である。しかし、李徴と異なり、松本人志は反省していない。なぜ、松本人志は反省していないのか。それは、俗人だからである。人間としての向上心が無いのである。芸人世界では、自我の欲望を満たすことだけを生きる目的としているのである。また、なぜ、松本人志は自らの性情である異常な性欲に身をゆだねたのか。それは、快楽が得られるからである。週刊文春によって松本人志の性加害...性加害と自我の欲望について。(提言13)

  • 人間にはいくつもの顔がある。(欲動その6)

    人間にはいくつもの顔がある。(欲動その6)

    人間にはいくつもの顔がある。なぜならば、所属する構造ごとに異なった自我として生きるからである。人間は自らのことを自分と言うが、人間には特定の自分は存在しない。人間は常に自我として存在しているのである。自我とは、人間が、構造体の中で、役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、自らのあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、構造体に所属して、自我として生きているのである。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、首相・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員な...人間にはいくつもの顔がある。(欲動その6)

  • 自分は存在しない。(欲動その5)

    自分は存在しない。(欲動その5)

    小林秀雄は「人間は何にでもなれるだろう。しかし、自分にしかなれない。」と言った。しかし、人間は偶然出会ったものにしかなれない。しかも、他者に受け入れたものにしかなれない。さらに、自分で主体的に考えて行動しているわけではない。つまり、自分は存在しないのである。人間は、誰しも、永遠に生きることができず、必ず、死が訪れる。人間は、誰しも、自らの死を最も恐るべきことだと思っている。それは、人間にとって、自らの存在が掛けがえのないものだからである。しかし、誰が死んでも世界は消滅しない。自我が一つ消滅するだけである。自我とは、ある構造体の中で、ある役割を担ったあるポジションを与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある...自分は存在しない。(欲動その5)

  • 愛という名の欲望について。(欲動その4)

    愛という名の欲望について。(欲動その4)

    一般に、愛は欲望と対立しているように解釈されている。愛は推奨され、欲望は毛嫌いされる。それは、愛は献身的だが、欲望は自分の利益の追求のことしか考えていないと思われているからである。だから、小説、映画、ドラマ、アニメ、漫画などにおいて、愛は肯定的に描かれ、欲望は否定的に描かれているのである。日常生活においても、世間では、愛は求められ、崇高なものと見る風潮がある。人間は、愛する人がそばにいると喜びを覚える。さらに、その人に愛されていると実感すると無上の喜びを感じる。そして、愛する人のためには自らを犠牲にしようとさえ考える。だから、愛は崇高なものと思われているのである。愛には様々な形態があるが、愛する喜び、愛されることの喜び、愛する人やものに対する献身性は共通して存在する。愛する子のために、愛する人のために、愛...愛という名の欲望について。(欲動その4)

  • 人間は誰しも自我の欲望にとらわれて生きている。(欲動その3)

    人間は誰しも自我の欲望にとらわれて生きている。(欲動その3)

    人間は、誰しも、主体性を持って生きていない。それは、人間は、誰一人として、誕生の意志をもって生まれていないからである。そうかと言って、誕生を拒否したのに、誕生させられたわけでもない。つまり、誰もが、気が付いたら、そこに人間として存在しているである。意志なく誕生させられ、主体性が無いことは、他の動植物も同じである。しかし、人間には、他の動植物と決定的に異なるところがある。それは、言葉を持っていることである。他の動植物は言葉を持っていないから、自らのあり方を認識できず、本能のままに生きていて、そのあり方で生きていることに疑問を懐かないのである。すなわち、他の動植物は言葉を持っていないから、本能と行動は完全に一致しているのである。しかし、人間は、言葉を持っているから、自らのあり方に疑問を覚え、主体的に生きようと...人間は誰しも自我の欲望にとらわれて生きている。(欲動その3)

  • なぜいじめは無くならないのか。(欲動その1)

    なぜいじめは無くならないのか。(欲動その1)

    なぜいじめは無くならないのか。それは、人間は深層心理に動かされて行動しているからである。深層心理がいじめを指示し、人間はそれに従って行動しているから、いじめは無くならないのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、人間は無意識の思考に動かされて行動しているからいじめは無くならないのである。人間は自ら意識して思考していじめを行っているのではなく、深層心理が思考していじめを行動の指令として生み出して人間を動かしているのである。つまり、人間は自ら意識して思考して行動していないから、いじめは無くならないのである。もしも、人間が自ら意識して思考していじめをしているのであれば、意志によっていじめを無くすことができる。なぜならば、誰しもいじめは悪いことだと思っているからである。人間の自らを意識した精神...なぜいじめは無くならないのか。(欲動その1)

  • 愛国心は自我の欲望にしか過ぎない。(日常の心理学2)

    愛国心は自我の欲望にしか過ぎない。(日常の心理学2)

    「子供は正直だ」とよく言われる。言うまでもなく、「大人は嘘をつくことがあるから話したことの全部を信用することはできないが、子供は嘘を言わないから話したことの全部を信用できる」という意味である。子供に対して好意的な言葉である。しかし、子供は、心の底から湧き上がってくる自我の欲望のままに行動しているだけなのである。自我の欲望に忠実なだけなのである。心の底から湧き上がってくると言っても、自然に湧き上がってくるのではない。深層心理が思考して自我の欲望を生み出しているのである。深層心理とは人間の無意識の精神活動である。すなわち、子供は意識していないが、深層心理が思考して、自我の欲望を生み出し、子供を動かしているのである。詳しく言えば、子供の無意識のうちに、深層心理が、子供という自我を主体に立てて、快楽を求めて思考し...愛国心は自我の欲望にしか過ぎない。(日常の心理学2)

  • 人間は深層肉体と深層心理に動かされて生きている。(日常の心理学1)

    人間は深層肉体と深層心理に動かされて生きている。(日常の心理学1)

    あなたは一人ではない。このように言うと、あなたは常に誰かに支えられて生きていると主張しているように捉える人が多い。東日本大震災の被災者の多くも「今回の地震で、生きるということは、生かされていることなのだということをつくづくと思い知らされました。」と語っていた。阪神・淡路大震災の際にも、被災者は、同じように語っていた。この言葉には、嘘偽りはない。愛する人、親しい人を喪い、途方に暮れ、自分の存在の不安を実感し、絶望の淵をさまよっていた時に、国内の人ばかりでなく、海外の人からも、励ましの言葉、衣食住の生活物資の援助、復興作業の支援を受けて、自分の存在が認められていることを嬉しく思い、生きる希望を取り戻したのである。愛する人、親しい人を喪い、家を失い、田畑を失い、生活基盤を全て失って、絶望の淵にさまよっていた時に...人間は深層肉体と深層心理に動かされて生きている。(日常の心理学1)

  • 国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党政権を支持するのか。(提言11)

    国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党政権を支持するのか。(提言11)

    国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党を支持するのか。それは、決して、国民が戦争を望んでいるからではない。戦争は起こらないと思っているからである。たとえ、戦争が起こっても、自衛隊が戦い、アメリカ軍が支援して、自分の身に被害が及ばないと思っているのである。だから、岸田政権が軍備を増強しても、不安を感じていないのである。軍備増強すれば、アメリカ軍の支援を受けて、ロシア、中国、北朝鮮などの国からの軍事的脅威に対抗できると思っているのである。しかし、日米安保条約と言えども、日本が外国に攻め込まれても、アメリカ軍が支援すると確約していない。アメリカ軍が支援する時には、アメリカの議会の承認が必要なのである。台湾が中国に攻め込まれて自衛隊が台湾を支援しても、尖閣諸島をめぐって中国軍と自衛隊が交戦しても、アメリカ軍は...国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党政権を支持するのか。(提言11)

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