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アートプラス京めぐり https://blog.goo.ne.jp/korede193

京都の探索中、記事数5200、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板 京都府南部も始めました

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2015/02/19

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  • まち歩き1735 植物園内の彫刻 「十五夜の力士」 抜水政人 2003年

    関連記事⇒まとめ020彫刻まち歩き前回の記事⇒まち歩き左1734植物園内の彫刻「おもい」久間秋夫作次回の記事⇒1736下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き1735植物園内の彫刻「十五夜の力士」抜水政人2003年

  • まち歩き左1734 植物園内の彫刻 「おもい」 久間秋夫 作

    おもい1963年久間秋夫作彫刻前回の記事⇒まち歩き1444植物園内の彫刻「風と舞う」江里敏明次回の記事⇒下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き左1734植物園内の彫刻「おもい」久間秋夫作

  • 神社左0254 府立植物園内に半井神社(なからいじんじゃ)

    世界文化遺産・上賀茂神社末社半木神社(なからぎ)流木神社とも云い、この周辺は京都絹織物発祥の地といわれ、織物業の守護神・府立植物園開園後は植物園の守り神として崇敬され、毎年4月・11月に行われる春秋の祭典には多数の関係者が訪れます。多くの木や花が実を結ぶ処に因み、試験の合格や恋愛成就の願いが叶うとの信仰が厚く、その努力が実を結ぶお守り『実守』を上賀茂神社で授与しております。神社前回の記事⇒神社右0253樒原四所神社次回の記事⇒255下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社左0254府立植物園内に半井神社(なからいじんじゃ)

  • 花左066 植物園 ツルソバ

    花前回の記事⇒花左065植物園キセワタ次回の記事⇒067下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます花左066植物園ツルソバ

  • 花左065 植物園 キセワタ

    関連記事⇒花左039植物園キセワタ花前回の記事⇒花左064植物園アキノキリンソウ次回の記事⇒066下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます花左065植物園キセワタ

  • 花左064 植物園 アキノキリンソウ

    関連記事⇒花左056植物園アキノキリンソウ花前回の記事⇒花左063植物園タマムラサキ次回の記事⇒065下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます花左064植物園アキノキリンソウ

  • 花左063 植物園 タマムラサキ

    花前回の記事⇒花左062植物園シロヨメナとトンボ次回の記事⇒064下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます花左063植物園タマムラサキ

  • 花左062 植物園 シロヨメナ と トンボ

    2019年11月12日撮影関連記事⇒花左044植物園シロヨメナ花前回の記事⇒花左061大原花の名前わからず次回の記事⇒063下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます花左062植物園シロヨメナとトンボ

  • 神社右0253 樒原 四所神社

    嘉永5年1852年の建立四所神社征清紀念日清戦争への従軍かな明治28年9月と記されている四所神社四所神社は、室町時代の天文21年(1552年)、愛宕山白雲寺福寿院の幸海僧正によって、白雲寺奥の院と清滝からの愛宕山参道の途中にあった清滝四所明神を原村「かぶとの森」へ勧請したことに始まると伝えられる。かつて白雲寺奥の院には、鎌倉時代から幕末まで日本一の大天狗として信仰された太郎坊が祀られ、愛宕山の本尊・勝軍地蔵とともに愛宕大権現と呼ばれて、篤い信仰を集めていた。また、清滝四所明神には、役行者や白山の泰澄が愛宕山を開いたときに参道の大杉に現れた天狗たちを祀られた。明治時代の神仏分離により清滝四所明神は廃絶したが、樒原の四所神社は愛宕山の神々を祭神に迎え、村の鎮守として今も人々の信仰を集めている。現在の社殿は江戸時代の...神社右0253樒原四所神社

  • 道標右0324 越畑 樒原の道標

    みぎこしはたかみなし道せきす道標前回の記事⇒道標井手0323山背古道蟹満寺現代の道標次回の記事⇒0325下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標右0324越畑樒原の道標

  • 石碑右0240 右京区 越畑の經王塔

    石碑前回の記事⇒石碑右0239廻池築造記念碑次回の記事⇒0241下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石碑右0240右京区越畑の經王塔

  • まち歩き右1733 町名 嵯峨越畑南ノ町

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き亀岡1732郷土出身石田梅岩の展示亀岡ガレリア次回の記事⇒1734下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き右1733町名嵯峨越畑南ノ町

  • 史跡亀岡086 丹波国分寺跡

    史跡丹波国分寺跡附八幡神社跡丹波国分寺跡は、現在の国分寺境内に塔跡の礎石がすべて残り、またその鎮守社と考えられる八幡神社の跡があることなどから、貴重な遺跡であるとして昭和3年に国の史跡に指定されました。平成18年には発掘調査の結果、寺域が追加されました。これまでの発掘調査により、伽藍配置や各建物の規模等は概ね解明されていることから、国分寺の往時の姿を感じ取っていただくために、現在、環境整備工事を進めています。東面回廊跡丹波国分寺回廊跡丹波国分寺は東に塔、西に金堂、その背後に講堂を配置する伽藍です。回廊は伽藍(仏地と僧地)を画する細長い建物で、塔と金堂、さらには講堂を取り囲む場合、また金堂や講堂に取り付く場合など様々です。丹波国分寺では、回廊が僧房まで取り囲んでいる点が特徴的ですが、講堂に取り付く築地が想定され、...史跡亀岡086丹波国分寺跡

  • 寺院亀岡0781 穴太寺 西国33所観音霊場 第21番札所

    2019年11月10日撮影西国21番穴太寺亀岡市曽我部町穴太天台宗本尊・聖観音菩薩穴太寺は菩提山と号し西国33所観音霊場の21番札所として知られています。古くは「穴穂寺」「穴生寺」「菩提寺」などと呼ばれていました。宝徳2年(1450)にかかれた「穴太寺観音縁起」によると、文武天皇の慶雲年中(704~708)大伴古麻呂大臣が薬師如来を本尊として開創したと伝えています。当時早くから世に知られるようになったのは、聖観音像にまつわる「身代わり観音」の霊験譚によります。「本朝法華験起」(1040~1044)「扶桑略記」(平安時代後期)「今昔物語」(平安時代後期)によれば応和2年(962)丹波桑田郡の宇治宮成が京都から仏師感世を招き金色の観音像を造立したと伝えます。また「穴太寺観音縁起」は観音像の造立を寛弘7年(1010)...寺院亀岡0781穴太寺西国33所観音霊場第21番札所

  • 運動記録 6月3日 2年6ケ月目

    2021年階段1回で高さ3m往復、ダンベル1回・2個で16㌔6月の運動記録3日階段昇降100往復【200】、ダンベル172回【344】、腹筋43回【86】2日CD残り1582回1日階段昇降100往復【】、ダンベル172回【】、腹筋43回【】5月の運動記録4257往復【高さ12771㍍】、ダンベル3528回【56トン】、腹筋882回ウォーキング0歩【0㎞】、CD1583回4月の運動記録3357往復【高さ10071㍍】、ダンベル3276回【52トン】、腹筋820回ウォーキング101320歩【59㎞】、CD1590回運動記録2021年4月2年と4ケ月目3月の運動記録1640回4920m、ダンベル342054.7トン、腹筋920、ウォーキング36606歩20㎞2月の運動記録【2520】7560㍍、ダンベル【4212】6...運動記録6月3日2年6ケ月目

  • 石碑右0239 廻池 築造記念碑

    四三廻池築造記念碑明治11年此地を地元の肝煎にて貯水池築造を企画し仝12年工事着手仝13年完了築造以来80年を経て年々漏水甚だしく危険溜池として昭和33年より改築昭和45年7月旭土地改良区石碑前回の記事⇒石碑木津川0238南山城水害記念碑北河原地区次回の記事⇒0240下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石碑右0239廻池築造記念碑

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