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アートプラス京めぐり https://blog.goo.ne.jp/korede193

京都の探索中、記事数5200、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板 京都府南部も始めました

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2015/02/19

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  • 京都からの話題0028 世界最大規模品評会 日本酒本醸造 「美山てんごり」 最優秀

    2020.12.28世界最大規模品評会日本酒本醸造「美山てんごり」最優秀イギリスで開かれた世界最大規模の酒品評会「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2020」の日本酒部門で、亀岡市稗田野町の大石酒造「美山てんごり」が本醸造酒カテゴリー最優秀賞に選ばれた。日本酒部門は純米酒や古酒など9カテゴリーで競われ,京滋では大石酒造が唯一金賞を受けた。酵母を手間暇かけて職人が育てる生酛(きもと)仕込みの地酒で、これまでも同カテゴリーで銅賞は複数回受賞したが金賞は初めて。大石酒造は江戸時代の元禄年間創業で、長年、南丹市美山町産の酒米を使い、2014年には同町内に醸造所「美山蔵」を開設した。「てんごり」の名は、屋根のふき替え(転換)、住民が協力(互助)して作業し、皆の利益を生むことを意味する美山の方言「転・互・利」から取った...京都からの話題0028世界最大規模品評会日本酒本醸造「美山てんごり」最優秀

  • 京都からの話題0027 上賀茂神社「一の鳥居」前に新しくできた大鳥居のくぐり初め式

    2020.12.28上賀茂神社「一の鳥居」前に新しくできた大鳥居のくぐり初め式が行われた。高さ8m、幅約6mで平安時代に神社へ農作物を納める人たちが通ったとされる御薗橋からまっすぐ見渡せる場所にある。今井守権宮司が祓詞(はらえことば)を読み上げ、鳥居越しに清めの鏑矢が放たれた。その後、参列者が一礼して大鳥居をくぐった。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0027上賀茂神社「一の鳥居」前に新しくできた大鳥居のくぐり初め式

  • 京都からの話題0025 知恩院で、「除夜の鐘」の試し突きがあった。

    2020.12.2827日知恩院で、「除夜の鐘」の試し突きがあった。大みそかの鐘突きは一般参拝が中止される。知恩院の大鐘は高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70トンで日本三大梵鐘の1つとされる。大鐘楼(重要文化財)に僧侶が集まり、太い親綱1本と小綱16本を手にした計17人で順に試し突きをした。「えーい、ひとーつ」「そーれ」の掛け声。知恩院は31日午後10時30分ごろから、僧侶のみで行う鐘突きの様子を「ユーチューブ」でライブ配信する。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0025知恩院で、「除夜の鐘」の試し突きがあった。

  • 京都からの話題 臨時 初詣 京都府下

    2020.12.30初詣生身院満宮南丹市園部町31日午後11時10分、大祓式、歳旦祭。午前0時から万燈会。15日まで御神木たき上げ、15日まで「彩りの瓢箪」展。2日午前9時~書初め奉納御霊神社福知山市1日歳旦祭。境内北側にある堤防神社の歳旦祭。若宮神社綾部市31日午後10時~1日午後5時と2,3日午前9時~午後5時、袋詰め福梅授与。厄除祈祷も受け付ける。1日午前8時から元旦祭。朝代神社舞鶴市1日午前0時、歳旦祭元伊勢籠神社宮津市1日午前0時から108回の大太鼓、歳旦祭、みこの「神楽舞」。午前0時と正午、それぞれ先着300人に、えと入り土器と「赤米福菓子」を贈呈金刀比羅神社京丹後市峰山町1日午前0時、歳旦祭。福熊手や神矢、札の授与。3日まで神酒を振る舞う。如意寺京丹後市久美浜町1~15日は護摩祈願、縁起物の授与。...京都からの話題臨時初詣京都府下

  • 京都からの話題0023 寒天発祥の地・伏見 伏見中学の正門前に石碑が建てられた

    00232020.12.28寒天発祥の地に石碑寒天発祥の地・伏見伏見中学の正門前に石碑が建てられた。寒天発祥の場所とされる旧下板橋交番跡地の隣の伏見中学前に設置された。石碑は高さ80㎝、横120㎝、幅30㎝。寒天の原料のテングサにちなみ薄い赤色。「寒天発祥之地伏見区御駕籠町」と団体のマークが刻まれている。式を祝して東山区の歌劇団が「寒天音頭」を披露した。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0023寒天発祥の地・伏見伏見中学の正門前に石碑が建てられた

  • 蔵のある風景宇治0415回 宇治・大久保

    蔵のある風景前回の記事⇒蔵のある風景宇治0414回宇治・旦椋神社近く次回の記事⇒0416蔵のある風景宇治0415回宇治・大久保

  • 京都からの話題0026 茶道三千家 初釜中止、北野をどりも見合わせ

    2020.12.28茶道三千家初釜中止、北野をどりも見合わせ茶道裏千家と表千家、武者小路千家は毎年恒例の初釜式を2021年は中止となった。初釜式は毎年京都と東京で開催されていた。また、京都5花街の1つ、上七軒歌舞会は春の舞踊公演「北野をどり」について来春の開催を見合わせるとのこと。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0026茶道三千家初釜中止、北野をどりも見合わせ

  • 京都からの話題0022 伏見稲荷大社 しめ縄張る

    2020.12.27伏見稲荷大社しめ縄張る初詣に備えたしめ縄張りが26日、伏見区の伏見稲荷大社で行われた。高さ4メートルほどの本殿のはりに梯子を掛け、長さ8メートル重さ60キロのしめ縄を張った。その後、聖域を示す「紙垂(しで)」などを飾り付けて仕上げた。稲荷大社のしめ縄は、穂を付けたままの稲が垂れているのが特徴。南丹市美山町の住民グループ「京都美山かやぶきの里継承会」が奉納した。1月14日まで掲げられる。話題一覧⇒京都からの話題一覧京都からの話題0022伏見稲荷大社しめ縄張る

  • 京都からの話題0021 苔寺の庭園美 映像で

    2020.12.26苔寺の庭園美映像で世界遺産・西芳寺別名「苔寺」が庭園の映像作品を公開している。西芳寺の庭園は国の特別名勝・史跡に指定され約35000㎡の広さがある。「神さまの轍」の映画監督作道雄さんの撮影で11月中旬に早朝から夕暮れまでの庭園の様子を録画した。普段の参拝では出会うことが難しい風景が見られる。視聴は西芳寺のホームページで。関連記事⇒寺院西0006西芳寺(苔寺)単立関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0021苔寺の庭園美映像で

  • 京都からの話題0020臨時 除夜の鐘

    京都市外2020.12.28除夜の鐘平等院宇治市31日午後11時半~1日午前1時半に1打5,6人で鐘突き。南門から入場。先着千人にえとの絵馬を配る。無料だが、鳳凰堂や庭園などは拝観できない。萬福寺宇治市除夜の鐘は31日午後1時から僧侶が突く。午後5時に閉門。浄瑠璃寺木津川市加茂町31日午後11時半に開門し、整理券の順番で鐘を突く。1日午前10時半から法要。法要の間、拝観無料。1時半閉門。たき火、甘酒は中止。石塔寺向日市31日の鐘突き中止。本殿で法要。甘酒と福もち接待中止。乙訓寺長岡京市31日の鐘突き中止。しょうが湯の接待中止。光明寺長岡京市31日の鐘突き中止。甘酒接待も中止。宝積寺大山崎町整理券の配布はなし。31日午後11時45分から108人が鐘を突き、後は自由に突ける。京都帝釈天南丹市八木町31日午後11時か...京都からの話題0020臨時除夜の鐘

  • 京都からの話題0020 城陽の京都郵便局 年賀状仕分け 1億枚

    2020.12.26城陽の京都郵便局年賀状仕分け24時間態勢1億枚受付城陽市寺田の京都郵便局で、年賀状の仕分け作業がピークを迎えている。京都府と滋賀県で投函された年賀状を大型の機械にかけたり地域別に分けたりしている。昨年並みの1億枚を受け付ける。職員は郵便番号と住所を自動で識別する機械で年賀状を読み取り、機械で読み取れなかった年賀状は、決められた棚に職員が入れていく。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0020城陽の京都郵便局年賀状仕分け1億枚

  • まち歩き宇治1458 道にはみ出していない自販機

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き宇治1457銭湯・大久保湯次回の記事⇒1459まち歩き宇治1458道にはみ出していない自販機

  • 京都からの話題0019 京田辺で出荷最盛期 えびいも

    2020.12.26京田辺で出荷最盛期えびいも冬の京野菜を代表する「えびいも」の出荷が、府内一の生産地・京田辺市で最盛期を迎えている。「えびいも」はエビのように反り、しま模様も美しい。畑に盛り上がったえびいもは10月から翌年2月ごろまで出荷が続く。お節調理に好まれ、年末にかけて需要が高まる。収穫は、畑に盛り上がった株を、先が3つに分かれた特製のくわで掘り起こす。大きいものでは長さ20センチ、重さ650グラムほどになる。えびいもについた小さな芋は「こえびちゃん」として出荷される。京田辺市内では65軒ほどの農家がえびいもを栽培している。府内産の約半分は京田辺産とのこと。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0019京田辺で出荷最盛期えびいも

  • 京都からの話題0018 9年ぶり御影堂で御身拭式 知恩院

    2020.12.269年ぶり御影堂で御身拭式知恩院浄土宗の宗祖・法然の木像を拭い清める「御身拭式」が25日、浄土宗総本山・知恩院で営まれた。修復工事が今年春まで続いていたため、御影堂での御身拭式は2011年以来9年ぶりとなる。僧侶や参拝者が木魚を打つ音と念仏を唱える声が響く中、真新しい金箔が輝く宮殿の扉が開かれ、光背を取り外した法然の坐像(高さ64センチ)がゆっくりと運び出された。伊藤門跡(89歳)が羽二重の布で丁寧に拭き清めた後、像は再び宮殿の中に納められ、鏡餅や果物が供えられた。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題00189年ぶり御影堂で御身拭式知恩院

  • 京都からの話題0017 南丹・園部天引の薬師堂 31日ライトアップ

    2020.12.26南丹・園部天引の薬師堂31日ライトアップ南丹市にある薬師堂が、大みそかの31日にライトアップされる。安置される薬師如来像は病気を治すとして信仰を集める。高さ約5mの薬師堂は、かやぶき屋根が周囲の里山の風景に溶け込み、絶景スポットとして知られつつある。今までの話題⇒京都からの話題一覧京都からの話題0017南丹・園部天引の薬師堂31日ライトアップ

  • 京都からの話題0016 妙心寺 開山忌 須弥壇の供物 600年続く

    須弥壇の供物開山忌600年続く教えを祝う2020.12.25妙心寺を開いた関山慧玄禅師が80歳で亡くなったのは1360年12月12日。その遺徳をしのぶ開山忌は禅師の号「無相大師」から「無相忌」とも呼ばれ、冬の季語になっている。妙心寺の僧侶にとっては600年以上を経た特別な一日。11日の「宿忌(しゅくき)」と12日の「半斎(はんさい)」の両法要が営まれた法堂(はっとう)では、正面の須弥壇に禅師の像(開山像)が安置され。周りを数々のお供えが彩る。宿忌の前に備える供物以外に、半斎の法要では、白湯に香を入れた「薬湯」や山盛りのご飯、三種の和菓子などが開山像に供えられる。妙心寺法堂⇒寺院右0452法堂妙心寺内雲龍図の天井図関連記事⇒京都からの話題一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます京都からの話題0016妙心寺開山忌須弥壇の供物600年続く

  • 京都からの話題0015 伏見神宝神社 地元の竹で造った鳥居を奉納

    伏見神宝神社2020.12.25京都・深草ふれあい隊竹と縁が地元の竹で造った鳥居を奉納した。境内の鳥居が台風で倒れた際、竹で復元との要望から2003年最初の一基が奉納され、毎年この時期に新しく造り替えられている。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0015伏見神宝神社地元の竹で造った鳥居を奉納

  • 寺院宇治0751 浄土宗 瑞泉寺

    寺院前回の記事⇒寺院宇治0750円蔵院次回の記事⇒0752下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院宇治0751浄土宗瑞泉寺

  • 京都からの話題0014 国の重要文化財「石田家住宅」 かやぶき ふき替え 日本最古の農民家

    国の重要文化財「石田家住宅」かやぶきふき替え20年ぶり、雨漏り目立つ2020.12.25南丹市美山町樫原の国の重要文化財「石田家住宅」のかやぶき屋根がふき替え時期を迎え、改修工事が約20年ぶりに行われている。石田家住宅は1973年の調査で、江戸時代初期の1650年(慶安3)に建てられたことが判明、日本最古の農民家として重要文化財に登録された。「雨漏りが目立っていた。昔はいろりやおくどさんの煙でいぶされるので40年は持っていた」とのこと。工事は3月中旬まで続く。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0014国の重要文化財「石田家住宅」かやぶきふき替え日本最古の農民家

  • 京都からの話題0013 終い天神 北野天満宮

    終い天神北野天満宮2020.12.2525日、今年最後の縁日「終い天神」が開かれた。店舗数は例年の半分以下。正月準備に欠かせない品の出店があった。祭神・菅原道真の誕生日・6月25日、命日・2月25日に因んで毎月25日に開かれている。今月21日に東寺で行われた「終い弘法」に続く大規模な縁日で、より正月に近いことから、日持ちのしない生鮮食品の店も並んだ。根付きの松やしめ縄に交じってフキノトウの鉢植えなどもある。年明けの「初天神」の開催については未定ということ。関連記事⇒北野天満宮の大鳥居京都からの話題一覧京都からの話題0013終い天神北野天満宮

  • 蔵のある風景宇治0414回 宇治・旦椋神社 近く

    蔵のある風景前回の記事⇒まち歩き下1408京の通り・富小路通NO69蔵のある風景下0413回次回の記事⇒0415回蔵のある風景宇治0414回宇治・旦椋神社近く

  • 京都昔の話題0019 保津川の絵図

    保津川の絵図2020年亀岡市と京都市を結ぶ名勝・保津川を描いた絵図を京都産大が2月に京都市内の古書店から購入した。江戸時代に描かれたものと思われ長さ5.7mで、川の瀬、岩などの情報が赤色で詳細に加筆されているのが特徴。河川の修繕工事用に使われたとの見方もある。地名では「亀岡・保津村・山本村・渡月橋」が記載され、下った船を上流に引き上げる際に通った綱道も書かれている歴代の所有者とみられる3名の印があり、明治・大正に活躍した画家富岡鉄斎の名もある。保津川⇒寺院西0512千光寺・大悲閣小倉山西山腹から保津峡・落合の眺め愛宕登山の出発点JR保津峡駅関連記事⇒京の昔の話題一覧京都昔の話題0019保津川の絵図

  • 京都からの話題012 『長谷川軍記日記を読む』幕末の京都の農村

    本の紹介『長谷川軍記日記を読む』2020.12.25幕末政変「農村の暮らし」東九条村の豪農日記から幕末の東九条村(南区)の豪農・長谷川軍記の日記を読み解いた伊東宗裕さん新選組との関りなど、農村にも政変の影響があった。軍記は農民でありながら、幕府から侍の待遇を受けた郷士。日記は軍記が長谷川家当主になった1845年から71年に亡くなるまで27冊書かれた。禁門の変のあった64年には、長州藩勢を迎え撃つ新選組が会津藩の藩士らとともに同村に分宿したと記されている。緊迫が強まる中で逃げ支度をした。お盆の行事を延期した。の記述がある。大政奉還のあった1867年の日記には10月13日に宇和島藩の宿所に出入りしていた者から「大砲を準備していて20日ごろに変事が起きる」と聞いたものの、軍記には18日には子どもを連れて東福寺へ紅葉狩...京都からの話題012『長谷川軍記日記を読む』幕末の京都の農村

  • 京都昔の話題018 英皇太子夫妻 入洛 ダイアナ妃

    英皇太子夫妻が京都に入ったのは1986年(昭和61)5月9日、75年に京都を訪れたエリザベス女王と同じ季節。チャールズ皇太子とダイアナ妃は、大阪空港から白のロールスロイスで宿泊先の大宮御所に向った。修学院離宮、詩仙堂、二条城、東福寺を観光。二条城では、ダイアナ妃が千宗室裏千家家元の指導で茶を楽しんだり、振袖を羽織ってみせたりした。東福寺では、チャールズ皇太子が米国人修行僧に話しかける場面があった。関連記事⇒今日のニュース・昔のニュース詩仙堂石川丈山の隠棲地京都昔の話題018英皇太子夫妻入洛ダイアナ妃

  • 京都から話題0011 北野天満宮・蒙古兜 見つかる

    北野天満宮・蒙古兜見つかる2020.12.24北野天満宮で異国伝来と見られる鉄製のかぶとがみつかった。境内の宝物庫でほこりをかぶっていた。直径23㎝、、高さ22㎝、重さ2~3㎏程度。錆びついていて頭頂部には穴があいて破損している。元寇で活躍した武将・河野通有が奉納した大山衹(おおやまづみ)神社(愛媛県今治市)所有の「黒漆塗韋張兜鉢」(くろうるしぬりかわばりかぶとばち)によく似た形状。北野天満宮は平安時代中期から中世にかけて朝廷が特別に崇拝していた「22社」に挙げられていた。鎌倉時代の元寇の際には22社の1つとして朝廷の命を受けて戦勝祈願を行った。北野天満宮ではこのかぶとを「蒙古兜」と名付けた。「天神さまは学問の神さまとして有名だが、中世は武神・軍神だった。蒙古軍からの戦利品のかぶとを奉納して異国調伏を願った可能...京都から話題0011北野天満宮・蒙古兜見つかる

  • 京都からの話題0010 能「篁」 復曲 500年経て

    能「篁」復曲500年経て2020.12.24冥途通い伝説のある平安時代の公卿、小野篁(802~852)ゆかりの能「篁」が500年以上の時を経て復曲され、披露された。室町時代の作で、詞章や装束を記した本は伝わるものの、上演記録がなく「幻の能」とされてきた。京都観世会が謡の節や所作を考察復元し、上演された。「篁」は、篁が生きた400年後の鎌倉時代が舞台。隠岐の島に流された後鳥羽院が、かつて同じように隠岐に流された篁の塚を弔うと地獄の冥官姿(みょうかんすがた)の篁の霊が現れ墳怒を激発。逆らう者を地獄に落としていく。後鳥羽院の心情を篁に重ね、都や和歌への思いをにじませる内容。京都観世会では能楽師の味方玄さん演じる篁が「舞働(まいばたらき)」と呼ばれる豪壮な所作を見せた。関連記事⇒京都からの話題一覧京都からの話題0010能「篁」復曲500年経て

  • 史跡宇治085 旦椋遺跡

    旦椋遺跡旦椋遺跡は、宇治丘陵から木津川にむかうゆるやかな斜する、古墳時代から奈良時代にかけての遺跡です。市営住宅の建設にともなって行われた発掘調査(平成5年)では、6世紀後半の古墳や7世紀から8世紀の村の跡がみつかりました。古墳をめぐる溝の中や、村の部分から大量の土器が出土しました。また東約100m地点の調査(平成19年)では、新たに4基の古墳と奈良時代の建物跡を確認しました。古代の大久保周辺は、平安時代に書かれた『和名抄』の見える「栗隈郷」に相当し、古墳時代に久世郡に強い力いた栗隈氏との関係が推測されまし発見されたや多くの土器は、このています。遺跡前回の記事⇒史跡木津川084恭仁宮跡内裏次回の記事⇒086下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます史跡宇治085旦椋遺跡

  • 神社宇治0239 旦椋神社

    明治20年11月建設当旦椋神社は、養老4年(720)の日本書紀に栗隈県の大溝(おおうなで)(栗隈大溝)の東側(地名旦椋)に、古社としてあったと伝えられていますが、この社は天文19年(1550)に焼失しました。祭神は高皇産霊(たかみすび)、神皇産霊(かみむすび)を主神とし、天満天神(菅原道真)を配祀するので、「栗隈天神」と称した。現在の社は、大久保町旦椋の地より永禄9年(1566)にこの地に移転再興されたことが、吉田兼右の「兼右卿記」に見えます。また、延喜年間(901~923)に編纂された「延喜式」に記載されている神社を延喜式内社とよび、旦椋神社もその中のひとつです。本殿は延宝2年(1674)に改築されたもので、旦椋とは、穀物を貯蔵するところの校倉の古言で、この地は『和名抄』の「久世郡栗隈郷」にあたるので、栗隈屯...神社宇治0239旦椋神社

  • 京都からの話題0009 上京・浄土宗大本山・清浄華院 お身拭い式 リモートで

    上京・浄土宗大本山・清浄華院お身拭い式リモートで23日、浄土宗の宗祖法然像を清める「お身拭い式」がリモート形式での法要となった。読経や散華、木像を拭う様子をインターネト中継するリモート形式での法要となった。例年は御影堂に参拝した檀信徒が一人一人手渡された絹布で木像を清めている。関連記事⇒清浄華院浄土宗松平容保の宿舎・新選組も訪れた京都からの話題一覧京都からの話題0009上京・浄土宗大本山・清浄華院お身拭い式リモートで

  • 京都からの話題0008 東山・安井金毘羅宮に大絵馬・桂米團治 さん作

    東山・安井金毘羅宮に大絵馬・桂米團治さん2020.12.24故桂米朝一門が長年落語会を開いている縁で、絵馬には珍しい油彩画で、琵琶湖の竹生島と青空に浮かんだ昇り龍のような雲を描いた。安井金毘羅宮では1966年から「桂米朝落語研究会」を隔月で開催している。話題京都からの話題一覧京都からの話題0008東山・安井金毘羅宮に大絵馬・桂米團治さん作

  • 京都からの話題0007 伊根漁港 寒ブリ大漁

    伊根漁港寒ブリ大漁伊根町の伊根漁港が、数年ぶりの大漁に沸いている。22日は1500匹、23日は5000匹の「伊根ブリ」が水揚げされた。日本海の冬の味覚「寒ブリ」日本三大漁場の1つの伊根町でとれたブリは「伊根ブリ」として知られている。関連記事⇒まち歩き伊根0307伊根湾一望⇒京都からの話題一覧京都からの話題0007伊根漁港寒ブリ大漁

  • 京都からの話題0006 笠置寺境内に巨石

    笠置寺境内に巨石2020.12.19京都府の南端にあり、奈良県との県境に位置する笠置山、289m。山頂付近にある奈良時代創建の笠置寺境内には巨大な岩が点在する。巨石信仰の対象となり、修行僧も集まった。見上げるほどの高さの岩の間に石が挟まっている。「笠置寺で、町名の由来と云われている。」創建前に当時の皇子がシカ狩り中に道に迷い、仏に祈念すると窮地を脱した。その場所を忘れないために置いた石がこの石だといわれている。高さ15メートルほどの丸みのある岸壁。寺の本尊「弥勒磨崖仏」奈良時代の作で平安時代には弥勒信仰の聖地として貴族が詰めかけた。後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕を目指して挙兵した1331年(元弘元年)の「元弘の乱」で焼失した。今は光背が残るだけ。また、高さ12メートルの岩肌にきざまれた「虚空蔵磨崖仏」のなめらかな線が...京都からの話題0006笠置寺境内に巨石

  • まち歩き宇治1457 銭湯・大久保湯

    木造家屋だ関連記事⇒ニュース002全国の銭湯の料金まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1456京の通り・柳馬場通No5祠・地蔵尊次回の記事⇒1458まち歩き宇治1457銭湯・大久保湯

  • 京都からの話題 一覧

    1098765六波羅蜜寺空也踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)4山科区と伏見区醍醐地域農業用水路3石清水八幡宮のジャンボ御神矢2平安時代後期の土器に和歌が墨書されていた1一等三角点京都からの話題一覧

  • 京都からの話題0005 六波羅蜜寺 空也踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)

    京都からの話題六波羅蜜寺空也踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)2020.12.13平安時代の京都で念仏を広めた僧の空也にちなんだ「空也踊躍念仏」が東山区の六波羅蜜寺で連日営まれている。「モーダーマンマイトー」と独特の節回しで唱える念仏。悪疫退散への願いから始まった念仏に起源を持ち、鎌倉時代に念仏が弾圧された時から代々の住職が口伝で継承してきた。外部に聞かれてもわかりにくいように「南無阿弥陀仏」とは唱えず、また人々の目に付きにくい時間帯を営むなど、京の町にひっそりと伝わってきた。初日を迎えた13日、川崎純性住職が午後4時の開始を前に、参拝者に向けて「1年の罪を悔い改め、新しい年の悪疫退散と幸せを祈る念仏。一緒に唱えてください」と呼びかけた。本堂内陣での読経や真言に続いて、僧侶が「金鼓(ごんぐ)」を打ち鳴らしながら念仏を唱...京都からの話題0005六波羅蜜寺空也踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)

  • 神社宇治0238 皇大神宮社

    皇大神宮社淀藩第二代藩主、永井信濃守尚政公が、慶安2年(1649)広野新田村を創設した時に、円蔵院の鎮守として、天照大神を奉祀した。その後、広野神社と称されたが、いつの頃からか今の社名になっている。明治維新の神仏分離令により、円蔵院から離され村方三役が、この神社を引請けることとなり、民衆の信仰の対象となる。昭和36年(1961)第2室戸台風により、本殿他社殿が倒壊したが、氏子中の熱意により昭和38年12月現社殿が滞りなく復興竣工した。末社・豊受神宮、住吉社、春日社、天満宮、稲荷大神、瀧長明神主な祭事・1月1日元日祭2月3日節分祭3月中旬日曜日春季祭10月9日秋季祭12月31日除夜祭文化14年(1817年)拝殿から本殿を見る本殿狛犬末社外宮豊受神宮伊勢神宮遥拝所瀧長社末廣大神昭和28年正遷宮記念関連記事⇒円蔵院寺...神社宇治0238皇大神宮社

  • 京都からの話題0004 山科区と伏見区醍醐地域

    話題0004山科区と伏見区醍醐地域2020.12.24農業用水路京都東山ロータリークラブが山科区と伏見区醍醐地域の農業用水路を紹介している。用水路は明治時代、水不足に苦しんできた住民が琵琶湖疎水から取水して造ったと言われている。地域には3本の用水路が流れる。山科区の一燈園小中高近くから伏見区の醍醐寺付近までのびる約6キロの洛東用水路。まち歩き山0223琵琶湖疏水一燈園に通じる橋京都からの話題0004山科区と伏見区醍醐地域

  • 京都からの話題0003 石清水八幡宮のジャンボ御神矢

    迎春へジャンボ御神矢八幡市の石清水八幡宮で、初もうでを迎える恒例の「ジャンボ御神矢」が本殿前に飾られた。八幡大神の神威の象徴とされる長さ8メートルの御神矢が据え付けられた。弓矢の神様として知られる八幡大神を祭る。鎌倉時代の元寇では同宮から飛んだ矢が神風を起こしたという故事が伝わるなど矢との縁が深い。直径20センチ、境内の青竹を切り出して作られた。21日朝におはらいをした後、楼門に2本が約2時間かけて取り付けられた。今年は大みそかのケーブルカーの終夜運転は中止になった。例年、大みそかは午後11時ごろにいったん閉門していたが、今年は参拝時間が集中しないように、新年まで開門し続ける。「節分までは初もうでになるので、焦らず、密にならないように参拝してください。」とのことでした。神社八幡0144石清水八幡宮本社前京都からの話題0003石清水八幡宮のジャンボ御神矢

  • 京都からの話題0002 平安時代後期の土器に和歌が墨書されていた

    2020.12.16京都大学文学部研究科は京大医学部付属病院(左京区)の発掘調査で出土した平安時代後期の土器に、古今和歌集の一首が墨書きされていることがわかったと発表した。和歌は古今集の選者で36歌仙の一人、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の作とみられる。院政の中心地となった白河に邸宅のあった貴族層が書き残したものとみられる。墨書き土器は廃棄された井戸跡から3片見つかり、12世紀初頭ごろにつくられたとみられる。905年、ある貴族の40歳を祝う饗宴で、躬恒が詠んだ「山高み雲居に見ゆる桜花心のゆきて折らぬ日ぞなき」のうち下の句にあたる可能性が高い京都からの話題0002平安時代後期の土器に和歌が墨書されていた

  • まち歩き下1456 京の通り・柳馬場通 No5 祠・地蔵尊

    市内にはこうした祠・地蔵尊が各町内には必ずある。一度しらみつぶしに調べ始めたが総数は何万とあるとわかった。あまりに多いので途中で挫折した。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1455京の通り・柳馬場通No4塀と町名・柏屋町次回の記事⇒1457下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1456京の通り・柳馬場通No5祠・地蔵尊

  • 京都からの話題0001 一等三角点

    京都府内で一番高い一等三角点は愛宕山北方にある地蔵山山頂にある。標高は947m。京都府内で一番高い山は、京都市左京区北部にある標高971mの皆子山。標高と一等三角点は別三角点は高さではなく位置(経緯度)を示すもの。一等三角点は地図作成のために明治時代に設置されたもの。三角点には「点名」があり、設置された年月日や所在地、経過をまとめた記録を「点の記」といいます。点名は山名と一致するとは限らない。三角点は見晴らしの良い場所に設置される。必ずしも山頂にあるとは限らない。一等三角点研究会があるらしい。一等三角点は全国に974カ所ある。京都府内には標高が高い順に①地蔵山947m②長老が岳916m③大古摩683m④鷲峰山681m⑤磯沙山660m⑥多弥寺山556m⑦鳥ケ岳536m京都からの話題0001一等三角点

  • まち歩き下1455 京の通り・柳馬場通 No4 塀と町名・柏屋町

    柏屋町3か所あるまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1454京の通り・柳馬場通No3京鹿の子絞り絞彩館次回の記事⇒1456下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますparts:eNoztDJkhAMmJgNj80Qji6RkV0NjUz0TMz0DPXMTcz9jEz1TSz1jcz0zUyO1KF9bQ0O14ChbEwsDHWMzAwBYhAwK]京都ニュース東西本願寺すす払い2020.12.20すす払い室町時代の後期から始まったといわれる年の瀬の恒例行事。1年間にたまった御影堂のほこりを門信徒らの協力によって払い出す。僧侶や門信徒が竹で堂内の畳を叩き、大団扇(うちわ)で一斉に埃を堂外にあおぎ出す。東本願寺と西本願寺で20日、御影堂や阿弥陀堂に1年間たまったほこりを払う「おすす払い」があった...まち歩き下1455京の通り・柳馬場通No4塀と町名・柏屋町

  • まち歩き下1454 京の通り・柳馬場通 No 京鹿の子絞り 絞彩館

    天保8年(1837年)9月5日創業代表商品の京絞りの帯揚げ、京都府丹後地方でオリジナルの生地を製造し、絵付け、絞り染分、染色、金彩、刺繍のそれぞれの工程におきましては、京都市内の伝統工芸士の卓越した技術を重層的に結実させることによりに創出しております。帯あげ、帯じめといった和装小物以外にも、京絞りの風呂敷、ショール、バッグ、のれんやゆかたなども製造しております。京絞りの可能性を広げるため、オートクチュールのドレス素材にも挑戦し、パリコレへの出展も実現いたしました。まち歩き前回の記事⇒1453次回の記事⇒1455下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます京都ニュース2020.12.22終い弘法南区の東寺「教王護国寺」で21日、1年の締めくくりとなる縁日「終い弘法」があった。11月に8ケ月ぶり...まち歩き下1454京の通り・柳馬場通No京鹿の子絞り絞彩館

  • 寺院城陽0750 円蔵院

    右の線路はJR奈良線南方向を見る本堂円蔵院慶安2年(1649)淀藩主永井尚政がこの地の重要性に着目し、開発して新田を設けたとき、万安和尚を開山とし、弟子三峯を住持として建立した曹洞宗宇治興聖寺派の寺。本堂は秀吉の伏見城の書院をうつしたものと伝わり、本尊釈迦如来坐像を安置する。当寺の裏山にあった金毘羅山古墳(円墳)は近年消滅し、墳上にあった金毘羅社は現在、境内にうつされている。また、坊主山古墳は三基のうち、二基は消滅し、一基(円墳)だけになっている。くりくまの里?明治?境内をJR奈良線が走っている高架下右が京都方面左が奈良方面西門この向こうにJR奈良線が走っている天保年間1830~44京都のニュース今年の漢字漢字ミュージアム漢字能力検定協会2020.12.151995震1996食1997倒98毒99末1995阪神...寺院城陽0750円蔵院

  • まち歩き下1453 京の通り・柳馬場 No2 漆の店・井助

    井助商店の創業は180年以上前の江戸末期、文政年間(1818~1830)までさかのぼります。当時から漆を精製し、地元京都の塗師や各地の漆器産地に漆を販売する漆商でありました。京都ニュース発掘された平安京大路を横切る水路左京二条二坊平安京大路を横切る水路平安京の主要道・大宮大路(現在の大宮通)で、平安時代の8世紀末から10世紀中頃まで道路を横切る水路があったことが発掘調査で分かった。側溝より幅が広い溜まり場のようになっていた。人工運河・堀川と平安宮をつなぎ、水運で物資を直接引き入れる機能も果たしていた可能性があるとのこと。大炊御門大路(東西)と大宮大路(南北)の交差部を含む。平安京では都の造営時に堀川を用いて資材が運ばれ、後世にも水運が利用されていた。まち、調査地の西隣が平安宮南東側に当たり、ここに諸国から運ばれ...まち歩き下1453京の通り・柳馬場No2漆の店・井助

  • まち歩き城陽1452 JR奈良線・新田駅構内 保線用車両

    京都ニュース2020.12.22コロナ新規感染者数21日分京都府47人(内京都市34人)まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1451京の通り・柳馬場通No1五条通次回の記事⇒1453下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き城陽1452JR奈良線・新田駅構内保線用車両

  • まち歩き下1451 京の通り・柳馬場通 No1 五条通

    柳馬場通ここから丸太町通まで北上します。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1450元下六条院小学校校舎解体中次回の記事⇒1452下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1451京の通り・柳馬場通No1五条通

  • まち歩き下1450 元 六条院小学校 校舎解体中

    1869年(明治2年)10月26日-下京第17番組小学校として開校(間之町五条下ル大津町)。1871年(明治4年)-下京第25番小学校と改称。1872年(明治5年)-間津小学校と改称する。1876年(明治9年)-現在地に移転し、稚松小学校と改称する。京都市立稚松小学校(きょうとしりつわかまつしょうがっこう)は、京都府京都市下京区若松町にあった公立小学校。のちに京都市立菊浜小学校と統合され京都市立六条院小学校となったが、2018年12月現在は再度統合され京都市立下京渉成小学校となっている。稚松小学校の閉校後も一部残されている鉄筋造の校舎は、京都市内で2番目に造られた鉄筋コンクリート製の建物であった。最初の校舎は、1869年明治2年10月26日、間之町五条下ルの大津町の校地に開校した際のもので、瓦葺2階建の木造講堂...まち歩き下1450元六条院小学校校舎解体中

  • まち歩き下1449 珍しい! マンホールの二重蓋

    蓋が2つしかも小さい方は中心からずれている京都ニュースコロナ禍の初もうで2020.12.20感染者数京都府63人(京都市47人)過去の初もうでの人出(京都府警調査)伏見稲荷大社2780000人(2013年)八坂神社1040000人北野天満宮695000人平安神宮510000人石清水八幡宮96000人年内から縁起物を授与する神社もある。北野天満宮では12月31日から1月7日までの臨時の巫女を務める女性は120人。芸の奉納行事や参拝者接待を中止する神社もある。平安神宮の能、下鴨神社の謡曲、上賀茂神社の舞楽。その外甘酒やぜんざい、かす汁などの接待は大半の神社が取りやめる。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1448京の通り・富小路通No101花屋町下ル唐物町次回の記事⇒1450まち歩き下1449珍しい!マンホールの二重蓋

  • まち歩き下1448 京の通り・富小路通 No101 花屋町下ル 唐物町

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1447京の通り・富小路通No100寺院下0749萬年寺次回の記事⇒1449下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1448京の通り・富小路通No101花屋町下ル唐物町

  • まち歩き下1447 京の通り・富小路通 No100 寺院下0749 萬年寺

    関連記事⇒石鳥居・萬年寺188基萬年寺西山浄土宗まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1446京の通り・富小路通No99六条通次回の記事⇒1448寺院前回の記事⇒まち歩き下1445京の通り・富小路通No98寺院下0748長講堂次回の記事⇒0750下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1447京の通り・富小路通No100寺院下0749萬年寺

  • まち歩き下1446 京の通り・富小路通 No99 六条通

    南方向を見る北方向、北東方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1445京の通り・富小路通No98寺院下0748長講堂次回の記事⇒1447下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますparts:eNoztDJkhAMmJgNj80Qji6RkV0NjUz0TUz1TCz0TI2M/YxM9U0s9I1M9S0NjtShfW0MjteAoWxMLAx1jMwMAZA8MOw==]まち歩き下1446京の通り・富小路通No99六条通

  • まち歩き下1445 京の通り・富小路通 No98 寺院下0748 長講堂

    平安時代末期の寿永2年(1183)に、後白河法皇(1127~1192)が晩年過ごした院御所「六条殿」内に建立した持仏堂が当寺の起こりである。後白河天皇は、譲位して上皇となってからも30余年にわたって院政を行い、嘉応元年(1169)には仏門に入り法皇となった。長講堂は正式には「法華長講弥陀三昧堂」といい、法華経を長期間講じ、阿弥陀仏を念じて精神集中の境地に入る道場という意味がある。後白河法皇は莫大な寺領を長講堂に寄進してその経済的基礎を築いたが、没する直前に、長講堂とその所領を寵愛してした丹後局の子。宣陽門院覲子内親王に譲った。法皇自ら死者の名を書き入れたという過去帳には、白拍子の祇王・祇女やその母と、仏御前のほか義経らしき人物の名もきされています。その後、第89代後深草天皇に譲与され、以降、いわゆる持明院統によ...まち歩き下1445京の通り・富小路通No98寺院下0748長講堂

  • まち歩き1444 植物園内の彫刻 「風と舞う」 江里 敏明

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き左1443植物園の彫刻次回の記事⇒1445まち歩き1444植物園内の彫刻「風と舞う」江里敏明

  • まち歩き左1443 植物園の彫刻

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き左1442植物園内の彫刻像「向ふ」次回の記事⇒1444まち歩き左1443植物園の彫刻

  • 石碑左0231 天皇皇后両陛下 行幸啓記念碑

    平成21年11月19日石碑前回の記事⇒石碑0231忠魂碑笠置寺内次回の記事⇒0233石碑左0231天皇皇后両陛下行幸啓記念碑

  • まち歩き左1442 植物園内の彫刻像 「向ふ」

    松田尚之作彫刻前回の記事⇒まち歩き左1418植物園の彫刻「歓びと期待」山崎正義次回の記事⇒まち歩き左1442植物園内の彫刻像「向ふ」

  • 花左056 植物園 アキノキリンソウ

    花前回の記事⇒花左055植物園ツワブキ次回の記事⇒057花左056植物園アキノキリンソウ

  • 花左055 植物園 ツワブキ

    花前回の記事⇒花左054植物園セキヤノアキチョウジ次回の記事⇒056花左055植物園ツワブキ

  • 花左054 植物園 セキヤノアキチョウジ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左053植物園ワレモコウ次回の記事⇒055花左054植物園セキヤノアキチョウジ

  • 花左053 植物園 ワレモコウ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左052植物園ミカエリソウ次回の記事⇒054花左053植物園ワレモコウ

  • 花左052 植物園 ミカエリソウ

    2019年11月2日花の時期は済んだようだ花前回の記事⇒花左051植物園フユイチゴ次回の記事⇒054花左052植物園ミカエリソウ

  • まち歩き下1441 京の通り・富小路通 No97 寺院下0747 蓮光寺 長曽我部盛親の墓がある

    知恩院を本山とする浄土宗の寺で、「追別如来」と呼ばれる本尊の阿弥陀如来と地蔵堂に安置される「駒止地蔵」で知られている。本堂に祀られる本尊は、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の作と伝えられる。その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、僧の後を追いかけた。山科辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し、箱を開いたところ、仏像が二体に分かれていたという。二人は感涙し、それぞれ一体を背負って東西に分かれたと伝えられる。この本尊はその一体であるといわれ、「負別山」(おいわけざん)という山号もこれにちなんだものである。僧が持ち帰ったもう一体の仏像は「笈分如来」(おいわけ)と称され、仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されている。駒止地蔵は弘法大師(空海...まち歩き下1441京の通り・富小路通No97寺院下0747蓮光寺長曽我部盛親の墓がある

  • まち歩き下1440 京の通り・富小路通 No96 いちひめ神社の赤い幟が見える

    東方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1439京の通り・富小路通No95寺院下0746白毫寺次回の記事⇒1441まち歩き下1440京の通り・富小路通No96いちひめ神社の赤い幟が見える

  • 花左051 植物園 フユイチゴ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左050植物園ヤマラッキョウと蜂次回の記事⇒051花左051植物園フユイチゴ

  • まち歩き下1439 京の通り・富小路通 No95 寺院下0746 白毫寺

    白毫寺(びゃくごうじ)聖徳太子像を安置する真言律宗系の単立寺院で、速成就院とも号する。開基は奈良西大寺の忍性上人と伝わる、もと東山知恩院の境内地にあったが慶長8年(1603)知恩院の拡張にあたって現在の地に移った。六条河原院の旧跡に因んで、塩竃太子堂と称する関連記事⇒まち歩き下1433京の通り・富小路通No89町名・本塩竈町まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1438京の通り・富小路通No94寺院下0745極楽寺次回の記事⇒1440寺院前回の記事⇒まち歩き下1438京の通り・富小路通No94寺院下0745極楽寺次回の記事⇒0747下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1439京の通り・富小路通No95寺院下0746白毫寺

  • 花左050 植物園 ヤマラッキョウ と 蜂

    花前回の記事⇒花左049植物園花の名調べ中次回の記事⇒051花左050植物園ヤマラッキョウと蜂

  • まち歩き下1438 京の通り・富小路通 No94 寺院下0745 極楽寺

    極楽寺安産地蔵お産は女性にとって命とりにもなりかねない一大事であり、誰しも安らかに出産することを願う。この願いをかなえて下さるという信仰から生まれたのが安産地蔵です。腹帯地蔵や子安地蔵とともに地蔵信仰に占める地位はもっとも大きく、その数も極めて多い。中でも古くから知られているのは、極楽寺の安産地蔵。当寺は天文12年(1543)、四条坊門(蛸薬師通)東洞院に創建され、天正18年(1590)、豊臣秀吉の地区整理により現在地に移った。浄土宗の寺です。地蔵尊は本堂に安置する本尊阿弥陀如来像の右脇壇に祀られている。高さ60cm、一木彫成の立像、古様を帯びている、寺伝によれば、初め摂津の国住吉の井鼻浄光寺という所にあったが、この地に移したという。源頼朝の室(丹後局)が紀州へおもむく途中、当地蔵尊に祈って島津三郎忠久(薩摩守...まち歩き下1438京の通り・富小路通No94寺院下0745極楽寺

  • 花左049 植物園 花の名 調べ中

    花前回の記事⇒花左048植物園ウメバチソウ次回の記事⇒050花左049植物園花の名調べ中

  • まち歩き下1437 京の通り・富小路通 No93 まちなみ

    南を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1436京の通り・富小路通No92寺院下0744新善光寺次回の記事⇒1438下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1437京の通り・富小路通No93まちなみ

  • まち歩き下1436 京の通り・富小路通 No92 寺院下0744 新善光寺

    来迎堂と号する浄土宗の寺である。本尊の阿弥陀如来像は、善光寺(長野県)の創建者である本田義光の子、義助によって善光寺の阿弥陀如来の分身像として造られたものと伝えられている。当初、この仏像は、南都(奈良県)にあったが一条天皇の代の天仁2年(1109)に堀川松原の来迎堂町の地(下京区)に伽藍が建立され、そこに安置された。以後、来迎堂新善光寺と呼ばれ、多くの帰依者を集めた。しかし、応仁の乱後、兵火に遭い、寺地も転々とし、天正19年(1591)、豊臣秀吉の命により現在の地に移された。江戸時代には、幕府より御朱印の寺領を受け、天下泰平、国民安全の御祈祷所として栄えたが天明・元治の大火で類焼してしまった。現在の堂宇は、その後に再建されたものである。京都市まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1435京の通り・富小路通No91寺院下...まち歩き下1436京の通り・富小路通No92寺院下0744新善光寺

  • 花左048 植物園 ウメバチソウ

    花前回の記事⇒花左047植物園リンドウ次回の記事⇒049花左048植物園ウメバチソウ

  • まち歩き下1435 京の通り・富小路通 No91 寺院下0743 上徳寺

    慶長8年、徳川家康が息女泰誉院とその母上徳院の菩提を弔うために建立したのが上徳寺です。源融の死後、宇多上皇はここを仙洞御所とされました。のち、僧仁康はここに河原院を建てました。この地は、かつての平安京河原院跡といわれ、鴨川の水をひき入れた邸内で平安貴族たちが詩歌管弦を楽しむ優雅な王朝絵巻を繰り広げた。そのさまを在原業平や紫式部らが後世に書き残している。堀内雲鼓俳人句碑と墓日のめぐみうれしからずや夏木立上徳院殿、雲光院殿阿茶の局墓所冠翁堀内雲皷墓所子授け・安産の寺安産腹帯授与塩竃山(えんそうざん)と号し、浄土宗に属する。寺伝によれば、慶長8年(1603)に、徳川家康によって、上徳院殿(阿茶の局)が開基となり、伝誉蘇生上人を開山に招じて建立した寺といわれる。寺内に泰栄院の法筺印塔がある。以後、度重なる災火により、堂...まち歩き下1435京の通り・富小路通No91寺院下0743上徳寺

  • まち歩き下1434 京の通り・富小路通 No90 寺院下0742 徳林院

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1433京の通り・富小路通No89町名・本塩竈町次回の記事⇒1435寺院前回の記事⇒まち歩き下1432京の通り・富小路通No88寺院下0741本覚寺次回の記事⇒0743下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1434京の通り・富小路通No90寺院下0742徳林院

  • ポスター0144 正伝永源院 細川護熙氏 揮毫襖絵公開

    2019年のものですポスター前回の記事⇒ポスター0143剣神社三疳封じ火焚祭次回の記事⇒0145ポスター0144正伝永源院細川護熙氏揮毫襖絵公開

  • 花左047 植物園 リンドウ

    花前回の記事⇒花左046植物園ダイモンジソウ次回の記事⇒048花左047植物園リンドウ

  • まち歩き下1433 京の通り・富小路通 No89 町名・本塩竈町

    塩竈町と本塩竈町(もとしおかがまちょう)塩竈は古来の歌にも詠まれています。絶えにける煙もよしや塩竈の跡は月澄む賀茂の川水この歌は左大臣源融が造営した六条河原院の荒れた様子をうたった歌。六条河原院はここの近く。枳殻邸には塩竈の跡を設けた庭園がある。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1432京の通り・富小路通No88寺院下0741本覚寺次回の記事⇒1434下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1433京の通り・富小路通No89町名・本塩竈町

  • 花左046 植物園 ダイモンジソウ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左045植物園ホトトギス次回の記事⇒047花左046植物園ダイモンジソウ

  • まち歩き下1432 京の通り・富小路通 No88 寺院下0741 本覚寺

    源実朝夫人本覚尼ゆかりの浄土宗の寺。また浮世草子を出版し、上方文化を築いた八文字屋家の菩提寺でもある。自笑は本名安藤氏、名は八左衛門(二代目)といい、中京区坂井町(麩屋町通六角下ル)に店を構え、主に浄瑠璃本の板元(図書出版業)であったが、元禄12年(1699)に『役者口三味線』を、元禄14年に『傾城色三味線』を出版した。当時のベストセラーになった。実際に執筆したのは京極誓願寺前の大仏餅屋の道楽息子、江島其蹟であった。はじめ自笑から執筆の話をもちかけられたとき、表面は自笑筆とし、自分の名は隠すことで引き受けた。挿画は浮世絵師の西川祐信が担当した。企画はあたり多くの浮世草子が出版された。世に「八文字屋本」といわれた。自笑は大金を得たが、隠れ作家の其蹟には僅かな謝礼金を出しただけであった。たびたび自笑に利益の配分を要...まち歩き下1432京の通り・富小路通No88寺院下0741本覚寺

  • まち歩き左1431 京の通り・富小路通 No87 五条通

    2019年10月30日撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1430京の通り・富小路通No86民家・入口が多い次回の記事⇒1432下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き左1431京の通り・富小路通No87五条通

  • 花左045 植物園 ホトトギス

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左044植物園シロヨメナ次回の記事⇒046花左045植物園ホトトギス

  • まち歩き下1430 京の通り・富小路通 No86 民家・入口が多い

    2軒の家に入口が3つ。真ん中の入口は通路用かまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1429京の通り・富小路通No85元有隣小学校次回の記事⇒1431下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1430京の通り・富小路通No86民家・入口が多い

  • 花左044 植物園 シロヨメナ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左043植物園サクラタデ次回の記事⇒045花左044植物園シロヨメナ

  • まち歩き下1429 京の通り・富小路通 No85 元 有隣小学校

    明治元年4月京都府が設置され、時の権大参事・槙村正直は京都市中を六十六区(上尽三十三区、下京三十三区)に分け、各区に一小学校を設置することにしました。この時有隣学区は下京十五番組と呼ばれ、明治2年7月16日「下京第十五稀組小学一校」として開校したのが有隣校です。修正舎(下鱗形町)享保年間(1716~36)石門心学の創唱者である石田梅巌によって当時の庶民教育をし、一般大衆に及ぼした感化はきわめて大きいものがある。明治以後、梅巌の遺志を継いでその弟子、柴田鳩翁からさらにその孫にあたる柴田實元京大教授によって、麩屋町五条上ル東側の田口凡洋宅に修正舎を移した。朝日神明宮(下鱗形町)祭神は天照大神で、清和天皇の貞観年間(859~877)に倭姫の御告げによって丹波国桑田郡穴生村に造営されたが、正親町天皇の元亀3年(1572...まち歩き下1429京の通り・富小路通No85元有隣小学校

  • まち歩き下1428 京の通り・富小路通 No84 風呂敷店・丸晃 よしだ

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1427京の通り・富小路通No83町名・本上新明町次回の記事⇒1429下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1428京の通り・富小路通No84風呂敷店・丸晃よしだ

  • ポスター0143 剣神社 三疳封じ火焚祭

    2019年関連記事⇒剣神社神社東0102剣神社ポスター0051剣神社三疳封じ火焚祭子供の守護神11月3日済んでしまったがポスター前回の記事⇒ポスター0142菊花展次回の記事⇒0144ポスター0143剣神社三疳封じ火焚祭

  • まち歩き下1427 京の通り・富小路通 No83 町名・本上新明町

    神明町他にも堅神明町、西神明町、東神明町、横神明町、壬生神明町、本神明町、深草神明町がある。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1426京の通り・富小路通No82尾上松之助遺品保存会次回の記事⇒1428下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1427京の通り・富小路通No83町名・本上新明町

  • 花左043 植物園 サクラタデ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左042植物園ツリフネソウ次回の記事⇒044花左043植物園サクラタデ

  • まち歩き下1426 京の通り・富小路通 No82 尾上松之助遺品保存会

    尾上松之助関連記事⇒鳥居を寄進神社左0204出世稲荷神社銅像銅像尾上松之助時代劇俳優の先駆者寄進の石柱神社中0127島原住吉神社石碑中0014二条城撮影所跡まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1425京の通り・富小路通NO81万寿寺通と仁丹看板次回の記事⇒1427下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1426京の通り・富小路通No82尾上松之助遺品保存会

  • 花左042 植物園 ツリフネソウ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左041植物園ノコンギク次回の記事⇒043花左042植物園ツリフネソウ

  • まち歩き下1425 京の通り・富小路通 NO81 万寿寺通 と 仁丹看板

    仁丹看板関連記事⇒富小路通下京区万寿寺通仁丹まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1424京の通り・富小路通NO80民家次回の記事⇒1426下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1425京の通り・富小路通NO81万寿寺通と仁丹看板

  • まち歩き下1424 京の通り・富小路通 NO80 民家

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1423京の通り・富小路通NO79銅器商西村松寿堂次回の記事⇒1425まち歩き下1424京の通り・富小路通NO80民家

  • まち歩き下1423 京の通り・富小路通 NO79 銅器商 西村松寿堂

    西村松寿堂明治18年(1885)の創業、茶道で湯を沸かすために用いる風炉(ふろ)や茶釜、鉄瓶などの茶道具類、及び銅製の花瓶や吊灯篭などの工芸品を販売する老舗。店頭では、銅・鉄製品などの金属工芸品の取り扱いが主であり、店先には鉄風炉や鉄瓶などを展示する。創業明治18年神馬釣鐘二宮尊徳など西日本にを中心に卸す■戦時中供出のため休業■戦後、宣徳火鉢を中心に銅器・花器・置物を主に扱う■昭和53年有限会社登記し茶道具・銅器・工芸品を扱い現在に至るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1422仏師・定朝らの仕事場だった平等院の阿弥陀如来坐像はここで造られ、舟で宇治まで運ばれた次回の記事⇒まち歩き下1423京の通り・富小路通NO79銅器商西村松寿堂

  • 花左041 植物園 ノコンギク

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左040植物園フジバカマ次回の記事⇒042花左041植物園ノコンギク

  • 花左040 植物園 フジバカマ

    2019年11月2日撮影ちょっと花の時期としては遅かった花前回の記事⇒花左039植物園キセワタ次回の記事⇒041花左040植物園フジバカマ

  • 花左039 植物園 キセワタ

    2019年11月2日撮影花前回の記事⇒花左038植物園キブネギク次回の記事⇒040花左039植物園キセワタ

  • 花左038 植物園 キブネギク

    花前回の記事⇒花左037植物園サラシナショウマ次回の記事⇒花左038植物園キブネギク

  • 時代祭行列 最後はトラック 馬でも乗せるのかな

    時代祭行列前回の記事⇒時代祭行列弓箭組列時代祭行列最後はトラック馬でも乗せるのかな

  • 時代祭行列 弓箭組列

    丹波国南桑田、船井両郡(京都府下)には、弓箭の技に秀でた人達が多く、桓武天皇平安遷都の際、その御列の警護に当ったともいわれ、その子孫の人々もまた明治維新の際には弓箭組を作り山陰鎮撫に当ったとも伝えられています。お供の人々は引立烏帽子(ひきたてえぼし)に直垂(ひたたれ)を着け、太刀を差し弓箭を携え、時代祭創設当初より御祭神の警護役を担っています。時代祭行列前回の記事⇒時代祭行列白川女献花列時代祭行列弓箭組列

  • 花左037 植物園 サラシナショウマ

    2019年11月2日撮影お気に入りの花の1つです花前回の記事⇒花左036府立植物園コスモスの花花左037植物園サラシナショウマ

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