昭和100周年/大東亜侵略戦争の起原2/東方会議と「田中上奏文」の真実

昭和100周年/大東亜侵略戦争の起原2/東方会議と「田中上奏文」の真実

1927年4月20日、震災恐慌につづく金融恐慌を受けて田中義一内閣が成立した。田中義一を首相、外相とする政友会内閣は、かつての政友会のポリシー(憲政擁護、進歩主義)と打って変わって国粋主義、対華積極主義で際立つ。内と外で強硬路線をになった面々を挙げておく。個々の経歴に通じている人なら田中内閣が戦傾化内閣であることに同意するにちがいない。鈴木喜三郎(内務)、原嘉通(司法)、森恪(外務政務次官山東出兵、東方会議を推進中国で山本丈太郎の部下・実業家東洋のセシル・ローズを自認)、小川平吉(鉄道、始終強硬論者)、久原房之介(逓信=交通・通信・電気田中の援助財閥鉱山王の異名)。閣外では政友会幹事長・山本条太郎(満鉄社長元三井物産重役中国通)金融危機と蒋介石の北伐最中の南京事件(3月、日米英の公館襲撃、在留外国人に対す...昭和100周年/大東亜侵略戦争の起原2/東方会議と「田中上奏文」の真実