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サンスクリット語 一日一語 https://sanskrit-vocabulary.blogspot.com/

ウパニシャッドやバガヴァッド・ギーターからのサンスクリット語を、ヴェーダーンタの教えに沿って紹介。

ウパニシャッドやバガヴァッド・ギーターなどの文献を引用し、サンスクリット語の単語の意味を、語源や派生から深く、詳しく、ヴェーダーンタの教えに沿って説明します。

インド在住サンスクリット語講師みちか
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2015/01/07

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  • 92.セーヴァー(सेवा [sevā])- 世話、助ける側、貢献する側で、他の役に立つ行動をすること

    ヴェーダーンタ、マントラ、ヨガ、アーユルヴェーダのサンスクリット語(梵語)を文法・哲学的に解説。

  • サンスクリット語の序数の作り方を、簡単なスートラの説明と共に。

    「第一」という序数の「प्रथम [prathama]」は、数詞から派生したのではなく、「表れる、有名になる」という意味の動詞の原形「प्रथ् [prath]」から派生した言葉です。 サンスクリット語の序数を作るためのスートラは、「第二」とそれ以降の序数を扱っています。なぜなら、序数を作るスートラの最初にある、序数の定義が、「その数を満たすもの(तस्य पूरणे [tasya pūraṇe])(パーニニ・スートラ 5.2.48より)」だからです。 完全に満たされている、満ちている、全てを満たしている、プールナ(पूर्ण [pūrṇa])にするもの。 ヴェーダーンタでおなじみの「十人目の男」のお話の中で、パラマーナンダ先生の生徒であるデーヴァダッタ君は、「(十という数を)満たす存在」を探しているのです。 「あなたが十人目です(दशमोऽसि [daśamo'si])」という教えの言葉に、序数の「दशम [daśama]」がありますね。 繋がって来ましたか? 「第二」は、数詞の2である「द्वि [dvi]」に序数を作るための接尾辞「तीय [tīya]」を足して、「द्वितीय [dvitīya]」となります。(5.2.54 द्विस्तीयः। ~ तस्य पूरणे) 「第三」も同様、数詞の3である「त्रि [tri]」に序数を作るための接尾辞「तीय [tīya]」を足して、संप्रसारणが起きて「तृतीय [tṛtīya]」となります。(5.2.55 त्रेः संप्रसारणं च।, 6.1.108 संप्रसारणाच्च । ~ पूर्वरूपम्) 「第四」と「第六」は、数詞の4「चतुर् [catur]」と6「षष् [ṣaṣ]」の為の序数を作るための接尾辞「थ [tha]」を付加して、それぞれ「षष्ठ [ṣaṣṭha]」となります。(5.2.51 षट्-कति-कतिपय-चतुरां थुक्। 8.4.41 ष्टुना ष्टुः । ~ स्तोः) 「第四」に関しては特別に、マーンドゥーキャ・ウパニシャッドにも出てくる「तुरीय [turīya]」という形と、「तुर्य [turya]」という形もあります。 5と7~10は、原形はन् [n]で終わっていて、他の数字と複合語になっていないので、序数

  • 91.ラーマーヤナ(रामायणम् [rāmāyaṇam])- ラーマの人生を題材にした文献

    伸ばす母音に注意しましょう。 ラーマという名の王子の人生を描いた物語(アヤナ) ですから、 ラーマ + アヤナ = ラーマーヤナ となります。 母音の長短に気をつけましょう 長短を無視して、日本では「ラマヤナ」とか、 ラテン系だと「ラマヤ~ナ」など、いろいろ間違われているようですが、 正確には「ラーマーヤナ(रामायणम् [rāmāyaṇam])」です。 最初の2つの音節が長く、続く2つの音節は短く発音します。 ちなみに、最後の「ナ」 は舌を内側に反らして発音します。 詳しくは、下の「文法的な説明」 を参照してください。 サンスクリット語には、母音の長短の違いで 意味が全く変わってしまう単語が多々あります。 そしてなにより、口伝により継承されて来たサンスクリット語においては、 発音の正確さはとても重要ですから、 ひとつひとつの音を、マインドフルに発音しましょうね。 日本でよく見かけられる、母音の長短の間違いが起きている言葉は、 ヴェーダーンタ、サードゥ、プージャー、プラーナーヤーマ、等々でしょうか。 特に、短い i と u で終わる単語の最後が伸ばされているのと、 長い ā で終わる単語の最後が伸ばされていないのが気になります。 あと、日本語の小さい「ッ」のように、詰まるべき音が、 日本人の場合、詰まっていない、というのも気になります。 サティヤ、ニドラー、等々、このタイプはたくさん見かけます。 文字だけ追いかけて、きちんと耳から学んでいないから、なのでしょうね。 伝統的な学びをおろそかにしているから、劣化していくのです。 ちなみに、1拍の長さの母音は、ह्रस्व [hrasva]と呼ばれ、 2拍の長さの母音は、दीर्घ [dīrgha]と呼ばれます。 発音する時は、長さの区別をしっかり意識して、 正しい発音を身につける努力をしてください。 ラーマーヤナという言葉の意味と語源 「ラーマ」とは、今でも存在するインド北部の都市アヨーディヤーの、 ダシャラタ王の息子である、王子の名前です。 「ラーマ(रामः [rāmaḥ])」の語源に関しては、 それだけでひとつの記事になるので、後日書きますね。 ヴィシュヌ神が、人間にダルマとは何かを体現して見せるために、 「ラーマ」という人間の姿をしてこの世に表れ

  • 90.マハーラタ(महारथः [mahārathaḥ])一万人の弓兵と同時に戦える戦士

    バガヴァッド・ギーターの第一章で出てくる言葉です。 ドゥリヨーダナ(दुर्योधनः [duryodhanaḥ])が、 敵対するパーンダヴァ軍を見渡しながら、 ドローナ・アーチャーリヤ(द्रोणाचार्यः [droṇācāryaḥ])に、 「(この戦場に集結した各国の王や王子達)彼らは皆、マハーラタです」 と紹介しています。(सर्व एव महारथाः ॥1.6॥) マハーラタとは、戦士の強さを表す言葉です。 さらに、アティラタ、ラタ、アルダラタという言葉もあります。 1.マハーラタ 一万人の弓兵と同時に戦い、武器や戦法に詳しい戦士 2.アティラタ 千~一万人 3.ラタ 千人 4.アルダラタ 千人以下 定義は以下のシュローカから。 एको दशसहस्राणि योधयेद्यस्तु धन्विनाम् । शस्त्रशास्त्रप्रवीणश्च महारथ इति स्मृतः ॥ eko daśasahasrāṇi yodhayedyastu dhanvinām śastraśāstrapravīṇaśca mahāratha iti smṛtaḥ अमितान् योधयेद्यस्तु सम्प्रोक्तोऽतिरथस्तु सः । रथस्त्वेकेन यो योद्धा तन्न्यूनोऽर्धरथः स्मृतः ॥ amitān yodhayedyastu samprokto:'tirathastu saḥ rathastvekena yo yoddhā tannyūno'rdharathaḥ smṛtaḥ [पदच्छेदः] एकः 1/1 दश-सहस्राणि 2/3 योधयेत् III/1 यः 1/1 तु 0 धन्विनाम् 6/3 । शस्त्र-शास्त्र-प्रवीणः 1/1 च 0 महारथः 1/1 इति 0 स्मृतः 1/1॥ अमितान् 2/3 योधयेत् III/1 यः 1/1 तु 0 सम्प्रोक्तः 1/1 अतिरथः 1/1 तु 0 सः 1/1। रथः 1/1 तु 0 एकेन 3/1 यः 1/1 योद्धा 1/1 तत्-न्यूनः 1/1 अर्धरथः 1/1 स्मृतः 1/1॥

  • 89.ユユッツ(युयुत्सुः [yuyutsuḥ])- 戦おうとしている人

    バガヴァッド・ギーターの冒頭のシュローカにある言葉です。 धर्मक्षेत्रे कुरुक्षेत्रे समवेता युयुत्सवः । मामकाः पाण्डवाश्चैव किमकुर्वत सञ्जय ॥ 1.1॥ dharmakṣetre kurukṣetre samavetā yuyutsavaḥ māmakāḥ pāṇḍavāścaiva kimakurvata sañjaya 1.1 この「ユユ」 という重なった音は、 「~したいと願望する」という意味の表れです。 ムムクシュ(मुमुक्षु [mumukṣu]、自由になりたい人)も、 同じような構造です。 この言葉は、 戦う + ~したいと願望する + ~する人 युध् [yudh] + स [sa] + उ [u] という、みっつの要素から出来ています。 ひとつひとつ、説明していきますね。 ブラジルなど南米で良く知られている「柔術(jiujitsuと発音される)」 は、サンスクリット語の「ユユッツ(yuyutsuḥ)」から来た! と言う人もいますが、それは違うような気がするなぁ。 ちなみに、上のギーターのシュローカでは複数形で使われています。 u で終わる男性形のプラーティパディカ(名詞の原形)なので、 第1格複数(1/3)だと、u の部分が avaḥ になりますね。 言葉の成り立ち 上にも述べたとおり、ユユッツ(युयुत्सुः [yuyutsuḥ])という言葉は、 युध् [yudh] という、「戦う」という意味の動詞の原形に、 सन् [san] という、「~したいと願望する」という意味の接尾語を付加し、 さらに、उ [u] という、「~する人」という意味の接尾語を付加して出来た言葉です。 サナンタ・ダートゥ सन् [san] という接尾語は、動詞の原形の後ろに付加して、 「~したいと願望する」という意味の新しい動詞の原形を造るために使われます。 この接尾語で終わっている動詞の原形を、サナンタと呼びます。 san + anta(終わり)、ということですね。 (8.3.32にてnがもういっこ増えてसन्नन्त となります。) सन् [san] の最後のnは、音の抑揚の

  • 88.観音さま(アヴァローキテーシュヴァラ)についてのサンスクリット語

    観音様って、音を観るの?と気になったので、調べてみました。 「観」は、サンスクリット語からの意訳で、 「音」の方は意訳の音から来ているようで、諸説ありそうなので、 ここでは、サンスクリット語の真言と名前の由来について書きますね。 観音様の真言 オン・アロリキャ・ソワカ om ālolik svāhā ということですが、 サンスクリット語では、観音様の御本名は、 अवलोकितेश्वर(アヴァローキテーシュヴァラ)という、 男性形の言葉のようなので、 स्वाहा(捧げものをする時の言葉)は、चतुर्थी विभक्ति(第4格)を取るので、 観音様の御真言をサンスクリット語で言うと、 ॐ अवलोक्तेश्वराय स्वाहा(オーム アヴァローキテーシュヴァラーヤ スヴァーハー) となります。 観音様のサンスクリット語の名前の由来 観音様は、サンスクリット語で、アヴァローキテーシュヴァラ(अवलोकितेश्वर([avalokiteśvara])という名前で知られていますが、 ヴェーダの文化で知られている名前ではなく、仏教の中での名前のようですね。 観音様のサンスクリット語のお名前の語源ですが、 अवलोकित(アヴァローキタ)と、ईश्वर (イーシュヴァラ)という、 ふたつの言葉の複合語(サマーサ)になっています。 ईश्वर (イーシュヴァラ)は、ヴェーダの教えの言葉そのものですね。 ヴェーダーンタの教えに沿って記事を書いています。 अवलोकित(アヴァローキタ)という言葉の意味はどうでしょうか。 लोक् というのは、「見る」という意味の動詞の原型です。 これは、लोकृँ दर्शने (1A)と、文法家パーニニも定義しています。 そこに、अव [ava] というउसपर्ग(動詞への接頭語)をつけて、 さらに、「~した」という意味の、इत [ita] という動詞の原型への接尾語をつけると、 「見られた、知られた」という意味の「अवलोकित(アヴァローキタ)」という言葉が出来ます。 Wiki英語版では、अवलोकित(アヴァローキタ)を現在分詞として解釈し、 「見ているイーシュヴァラ」としていますが、 パーニニの文法では、それを裏打ちするのに決定的な規則はありません。 「その人によって、イ

  • フランス語とスペイン語特集 「オレンジ」もサンスクリット語起源!? 英語・ラテン系言語と似ているサンスクリット語 その4

    オレンジ サンスクリット語: ナーランガ(nāraṅga) スペイン語: ナランハ(naranja) これ、すごくないですか?ジャングル並みの大発見でした。 これは、ヒンディー語やマラティ語で、ナーランギー(nāraṅgī)と呼ばれているのを知って、気づきました。 ちなみに、スペイン語では、Jの音は、喉から出る「ハ」の音になりますね。 ハポネッサ(日本人女性)とか。 ちょっと気になったので、ポルトガル語を調べてみると、laranja でした。 ん?Orangeに似てない?もしやと思い、Ok, google, とアシスタント機能を使って、 「オレンジ」は何というか?ポルトガルからインドまで、陸続きになている各国語の言葉と発音を調べてみました。(Google音声の英語版の精度はすごい!日本語版は改善の余地たっぷりすぎ。これからはどんどん音声で作業したい。じゃないと目が疲れすぎる。) laranja (ポルトガル語, naranja(スペイン語), taronja (カタラン語), laranja(バスク語) orange(フランス語), arancia (イタリア語),aurantiaco (ラテン語) portokáli(ギリシャ語), portokalova (マセドニア語) , p’ort’okhali(ジョージア語) ここなへんから全然違う音になる?? https://en.wikipedia.org/wiki/Orange_(fruit)#Etymology 調べてみると、こういうことでした。 オレンジの起源インド。語源はサンスクリット語のナーランガ(nāraṅga)から。 नारं गच्छति 等、ちょっとこじつけのようなサンスクリット語の定義もいくつかあります。 最初に欧州に持ち出したのは、ポルトガル商人だそうです。 ゆえに、ギリシャやスラブ語圏では、ポルトガルの~みたいな名前。 ペルシャ語やアラブ語でも、nārang/nāranj。 ちなみにインドでは、 nāraṅgī (クジュラート語、ヒンディー語、マラティ語) nārin̄ja (テルグ語)ōṟañc(マレーヤラム語), ārañcu (タミル語) ここのCの音はJです。 不思議なのは、 kittale(カンナダ語)kamalā(ベンガル語)、オリアではどう言うのでしょうか?

  • 代名詞と数詞の比較をまとめてみました - 英語・ラテン系言語と似ているサンスクリット語 その3

    英語とサンスクリット語の代名詞の比較 英語のthatは、サンスクリット語ではtat。 二人称の代名詞youは、 複数形だと、yūyam/yuṣmān 、、と全て「Y」の音から始まる代名詞が使われます。 一人称複数の代名詞は、主語以外では、us, ourと、「ア」の音が使われますが、 サンスクリット語でも、asmān, asmākam と、 主語以外は全て「ア」の音から始まる代名詞が使われます。 フランス語とサンスクリット語の代名詞の比較 ラテン系言語全般に同様ですが、代表としてフランス語を例にとって、 サンスクリット語との代名詞を比較してみましょう。 一人称単数の代名詞は、「M」の音から始まります。 フランス語: me, mon, ma, moi サンスクリット語: mām/mā/mayā/mahyam/me/mat/mama/mayi 二人称単数の代名詞は、「T」の音です。 フランス語: tu, te, ton, ta, toi サンスクリット語: tvam/tvām/tvā/tvayā/tubhyam/te/tvat/tava/tvayi 一人称複数の代名詞は、「N」の音ですね。 フランス語: nous サンスクリット語: naḥ(短い形) 二人称複数の代名詞は、「V」の音です。 フランス語: vous サンスクリット語: vaḥ (短い形) 疑問詞は、「K」の音です。 フランス語: ケ(何) que、キ(誰) qui、コン(いつ) quand、コモン(どんな) comment、コンビャン(どれ位)combien サンスクリット語: キム(何, 誰)kim、カダー(いつ) quand、カタム(どんな) comment、コンビャン(どれ位)combien フランス語とサンスクリット語の数詞の比較 数詞を比較してみましょうか。 表1: サンスクリット語とフランス語の基数の比較 サンスクリット語 フランス語 1 eka un/une 2 dvi deux 3 tri trois 4 catur quatre 5 pañcan cinq 6 ṣaṣ six 7 saptan sept 8

  • 英語・ラテン系言語と似ているサンスクリット語 その2

    「歯」は、サンスクリット語で、ダンタ(danta)、 フランス語で、ドン(dent) 英語でも、デンタル(dental)、デンティスト(dentist)という言葉になっていますね。 サンスクリット語の「ドヴァール/ドヴァーラ(dvār/dvāra)」 は、 「門、戸口、通路」という意味で、活用して「~を通して」という意味で良く使われます。 これを英語でいうと、、、そう、ドアー(door)ですね。 ハリドワールはまさに、ハリ(神への)ドワール(入口)です。 ハリドワールから始まって、ガンガーの上流に沿って、 リシケシ、ウッタラカーシー、ヒマラヤ、、、と、どんどんあちらの世界に近づいて行くのです。 ゆえに、ハリドワールは、こちらの世界からあちらの世界の玄関口という訳です。 マハーバーラタでも、パーンドゥ五兄弟がこの道筋を天国への道として登って行くと言う話があります。 「神」という意味の、 サンスクリット語で、神々を表す、デーヴァ(deva)は、 イタリア語で、ディーヴォ/ディーヴァ(divo/diva)(男性/女性)となって、 英語でもそのまま使われていますね。divine とかも同じ語源でしょうね。 ラテン語では神は、デオ(deo) フランス語: dieu スペイン語:dios そこから、神学(テオロジー theology)、無神論者(アテイスト atheist) まで続けても大丈夫かと。 ちなみに、無神論者(アテイスト atheist)の始めには、 否定の接頭辞「ア」が付いていますね。 これもサンスクリット語と同じです。ヒムサー/アヒムサー、ダルマ/アダルマとか。 スペイン語では気軽に「アディオス!(adios)」って言ってますが、 意味は、「神様のところで!(at the Godって感じですか。)」と、 死んでから会いましょう!となりますね。 神様のところは死んでからしか行けないという信仰を持っていることが前提ですが。 そのあたり、フランス語は、「アディュ、、、(adieu)」は、「別れ」って感じで使われていると思います。 日本語の「さよなら、、、」という感じでしょうか。 話はさらに逸れて、インドで一番よく知られている日本語は、 「サヨナラ!」です。 昔インドで、「Love in Tokyo」という映画が流行して、そのテー

  • ジャングルはサンスクリット語だった!? 英語・ラテン系言語に似ているサンスクリット語 その1

    ジャングルの語源! 何年か前、サンスクリット語を教わっていたブランマチャーリー達と話している時、 何かのきっかけで、「ジャングル?ああ、フォレスト(森)のことね」と言われたので、 「いやいや、フォレストとジャングルは別物ですよ」と返すと、 「???」となってしまいました。 ベンガルのトラ そう、熱帯地方のインド人には、 日本人や西洋人が「フォレスト(森)」と聞いて思い浮かぶ、針葉樹林のイメージはないので、 木がいっぱいあるところ=ジャングルなんですね。 そこで、「ジャングルって、フォレストのサンスクリット語だけど?」と言われて初めて、、 サンスクリット語には、「ジャンガラ(जङ्गल [jaṅgala])」という言葉があるのを偶然に発見しました。 「え~、ジャングルってサンスクリット語だったの~?!」と私が興奮しても、 「え~、ジャングルって英語だったの?でもフォレストじゃないの?」と、 ブランマチャーリー達は不思議そうにしていました。 今回の題名のバックグラウンド 昨日、「仏教用語になったサンスクリット語」シリーズを編集していたら、 先週からずっと調子の悪いインターネットの接続のせいか、 データが全部消えてしまった。。。 そこで、Why not?と、投げやりではないですけれども、 同じ感じで西洋言語版も作ろうとおもいました。 私の知っている西洋言語は、英語と、「知っていた」と過去形にした方がいい程に、 久しく使っていませんが、ごくごく基本的なフランス語、スペイン語をちょっと、という程度です。 いつも意識して探している訳ではありませんが、 私が似てるな、きっと語源になっているんだろうな、と思う言葉を集めてみました。 フランス語、スペイン語はラテン系言語ですね。 ラテン語圏とサンスクリット語圏は陸続きですし、そんなに遠くありません。 交易があったでしょうから、双方向に影響しあったと考えるのも飛躍ではないでしょう。 「サンスクリット語がラテン語になった」 「いや、ラテン語がサンスクリット語になった」 ヴェーダの教えの真髄という観点から言うと、どちらでも構わないことです。 英語の単語の多くは、古いフランス語から来ています。 私は、英語の辞書を引く時には、語源もチェックするようにしています。 フランス語を知っていると、学ぶ楽しみや理

  • 87.毘沙門天の原型、クベーラ(कुबेरः [kuberaḥ])について

    日本語の「毘沙門天(びしゃもんてん)」は、 サンスクリット語の「ヴァイシュラヴァナ(वैश्रवणः [vaiśravaṇaḥ ])」から来ています。 ヴァイシュラヴァナとは、お金を司る神様「クベーラ(कुबेरः [kuberaḥ])」の別名で、 「賢者(リシ)ヴィシュラヴァスの息子」という意味です。 実質的なご利益を期待して、お金を司る神様のクベーラはインド全国で良く知られています。 神様といっても、「ヤクシャ(यक्षः [yakṣaḥ])」(日本語では夜叉)というステータスで、 デーヴァよりは低いステータスですが、 ヤクシャの王様で、ヴェーダのマントラにも登場ます。 クベーラを讃えるこのマントラは有名なマントラで、 北インドでも南インドでも、テンプルで一般的にチャンティングされています。 https://youtu.be/IRCISc-Vt0E?t=6m10s https://youtu.be/ZCWj4u9lLfk?t=3m36s 「クベーラーヤ ヴァイシュラヴァナーヤ マハーラージャーヤ ナマハ(クベーラに、ヴァイシュラヴァナに、大いなる王に、尊敬を示します)」という部分は多くの敬虔なイヒンドゥー教徒によく知られています。 クベーラの風貌 ヒンドゥー寺院の中に小さく祀られていたり、 ラクシュミーの横に小さく描かれていることが多いです。 あらゆる富を司る女神ラクシュミーと一緒に描かれることが多い。横にいるのは妻のリッディ(成功)。 クベーラの風貌は、背が小さくて、お腹が出ていて、 金貨の詰まった壺を抱いている、という姿で描写されるのが一般的です。 ラーマーヤナとマハーバーラタにも登場しますが、 原典の中から私が探した限りでは、彼の風貌を描写する部分は見つかりませんでした。 プラーナという、神話を集めた文献にはいろいろ書かれているようです。 18あるプラーナの中の、ヴァーユ・プラーナでは、 クベーラは、三本の足、八本の歯を持ち、斜視であると伝えられています。(カルパドゥルマより) その他の詳細は、最後の部分に、プラーナ辞典のエントリー(英文)を載せておきました。 クベーラの出生 一般に良く知られている部分だけを要約しますね。 プラスッティヤの息子ヴィシュラヴァスは、 カイカシーとイダヴィダーという名の二人の妻を娶る。 長い間子

  • 86.マハー・バーラタ(महाभारतम् [mahābhāratam]) - 偉大なるバラタ族の歴史物語

    マハーバーラタとは、紀元前○○世紀頃に著された叙事詩で、、、 とかいう、伝統では価値が認められていない年代などの情報は、もちろんここでは扱いません。 インドの伝統文化においての生活から得た学びならではの、 マハーバーラタのイントロダクションをまとめてみました。 このページの目次 1.マハーバーラタのお祈り 2.マハーバーラタの別名、「ジャヤ」 3.マハーバーラタに隠された数字、「18」 4.マハー・バーラタの語源 5.バーラタとは 6.マハーバーラタの入れ子式話し手 7.マハー・バーラタの、ヴェーダ文化における聖典としての位置づけ (アンカーを手作業で貼るのが出来なかったので、各自でスクロールダウンしてください。。。) 1.マハーバーラタのお祈り 聖典を読むとき、聴くときは、必ずお祈りから始めます。 それは、マハーバーラタの冒頭にあるお祈り自体の中でも言及されています。 नारायणं नमस्कृत्य नरं चैव नरोत्तमम् देवीं सरस्वतीं व्यासं ततो जयमुदीरयेत् nārāyaṇaṃ namaskṛtya naraṃ caiva narottamam devīṃ sarasvatīṃ caiva tato jayamudīrayet 意味: ナーラーヤナ(ヴィシュヌ、クリシュナ)と、 最も秀でた人間であるナラ(人間、アルジュナ)、 知性を司る、芸術・学問の女神サラッスヴァティー、 そしてヴャーサに、ナマスカーラをしてから、 ジャヤ(マハーバーラタ)という物語について話しましょう。 (なんか優しい口調ですね。。。訳:私) 「ナーラーヤナ」とは、全人類が欲しているゴール(アーヤナ)です。 人は時代により国により人種により、それぞれ違ったものを追いかけているようだけど、 あらゆるゴールの裏にある、唯一の真のゴールとは、満たされている自分、 ただひとつそれだけなのです。それに本人が気づいていてもいなくても。 そのゴールは全てに浸透しているかの如く、変わりゆくものに存在を与えている存在、 つまりヴィシュヌ(全てに浸透しているもの)であり、それを教えるのが、 マハーバーラタ戦争真っただ中で先生の役を務めている、 ヴィシュヌの化身クリシュナです。 人生のゴール

  • 「サ ハ ナウ ブナクトゥ」の「ブナクトゥ(भुनक्तु [bhunaktu])」の意味

    日本ではどうか知りませんが、 インドではこのマントラ、食事の前にチャンティングするものだ、 と一般的に認識されています。 伝統的なアシュラム生活しか知らない人には驚愕の事実ですが! もちろん、このマントラは、食事の前にチャンティングされるべきものではありません。 ヤジュルヴェーダのウパニシャッドの前にチャンティングされる、 勉強の前のシャーンティ・パータ(平和を願う祈り)です。 なぜ、食事の前にチャンティングされる、という間違った認識が広まったのか? 答えは、「中途半端なサンスクリット語の理解から始まった」、です。 「ブナクトゥ」の意味 ブナクトゥ(भुनक्तु [bhunaktu])は、 ブジ(भुज् [bhuj])という動詞の原型の、三人称・単数・命令形で、 「守ってください、守りますように」という意味です。 この「ブジ(भुज् [bhuj])」という動詞の原型(ダートゥと呼ばれます)の意味は、 パーニニのダートゥ・パータ(動詞の原型のリスト)によると、 「पालनाभ्यवहारयोः (守ること、食べ物の摂取、という意味において)」 と2500年前にパーニニ自身によって定義されています。 (守ることと食べること、両方の意味があるのに、 なぜここでは「守ること」という意味なのか? その答えは下の方に、スートラと共に紹介しています。 ) マントラの意味 स ह नौ भुनक्तु (サ ハ ナウ ブナクトゥ)という文章を、 一語ずつ見ていくと、、、 सः 1/1 = 「パラメーシュヴァラपरमेश्वरः (全てを司っているこの宇宙の在り方)が、」 三人称・単数の主語になっていて、「守りますように」という動詞と呼応しています。 何でいきなりパラメーシュヴァラ?と思うかもしれませんが、 1/1の1は、प्रथमपुरुषः (一番目にある、話す題材)を表している動詞と呼応しています。 サンスクリット語の文法では、三人称が最初に来るのです。 話す題材がまずありきで、話す価値のあるものが最初に来るのです。 話し手(I、私)は最後に来ます。 I、I、I、(私、私、私、、、)と私が一番に来る西洋的考えとは真逆なのですね。 ह 0 = 強調の意味(indeed)です。 नौ 2/2 = 「私達(先生と生徒)を」 2

  • 中動態?

    「~する」という能動態でも、「~される」という受動態でもない、 その中間にあるのが、「中動態」なのだそうです。 それについて、哲学者の國分功一郎さんが議論されている記事を興味深く拝読しました。 古代ギリシャ語の態は、能動態・受動態・中動態の3つに分類されていたそうですが、 Wikipediaには、「サンスクリットでは中動態が広く使われる」とあるではないですか。 サンスクリットに「能動態でも受動態でもない中動態」なんて無いのに。 サンスクリットの文法体系を2500年前に人工言語(メタ言語)化して保存した、 パーニニ・スートラ(3.4.69)に基づいて説明すると、 「態」を「प्रयोगः [prayogaḥ], Voice」と訳すのなら、 サンスクリットの動詞には3つの態しかありません。 1.能動態 (कर्तरि प्रयोगः, 動詞の活用語尾が行動の主体と呼応している) 2.受動態 (कर्मणि प्रयोगः, 動詞の活用語尾が行動の対象物と呼応している) 3.動詞が主語 (भावे प्रयोगः, 動詞の活用語尾が動詞と呼応している) 能動・受動、というのは一般的なアイディアであるのに対して、 कर्ता(主体)とकर्म(対象物)は、文法的専門用語(पारिभाषिक)であり、 パーニニ・スートラにおいて、明確に定義されています。 कर्ता(主体)とकर्म(対象物)、そしてその他の行動を達成するための要素が、 どのように定義されているか、パーニニ・スートラを通して勉強するだけでも、 この世界のあらゆる現象の客観的な理解を助けてくれます。 さらに、能動態・受動態・動詞が主語の態は、動詞の原型のタイプに依っても決まります。 ・ 自動飼 (अकर्मक-धातुः)intransitive 行動(व्यापारः)とその結果(फलम्)の場所が同じ(समानाधिकरणम्)である行為。 能動態と動詞が主語の場合にのみ使われます。 ・ 他動詞 (सकर्मक-धातुः)transitive 行動(व्यापारः)とその結果(फलम्)の場所が違う(व्यधिकरणम्)行為。 能動態と受動態の場合にのみ使われます。 では何故に、サンスクリット語にも中動態があると言われるのか? 植民地時代の19世紀前後に書いた文法書

  • ジュニャーナ?ギャーナ?ニャーナ?ज्ञान [jñāna] の発音はどうするべきか?

    サンスクリット語は基本的に、書いたとおりに発音します。 ज्ञान [jñāna]の発音を説明するにあたって、 カタカナで表現できる音には限界があるので、 カタカナを使って説明を試みても正しい発音には辿り着かないので、 サンスクリットの発音の詳細をシステマッティックに紹介している शिक्षा [śikṣā]という小さな文献に目を通していただければ、 正しい発音が何か自然と導かれます。 拙著にशिक्षा [śikṣā]を詳しく分かり易くまとめているので、 参考にされてみるのも良いと思います。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/B01EHY4G54/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B01EHY4G54&linkCode=as2&tag=blogsyahooc0b-22 わかりやすいサンスクリット語の正しい発音と表記- 詳しい理論解説 発音矯正指導 動画・音声付き Kindle版もあります ジュニャーナ、ギャーナ、そして私が使っているニャーナ、 全てのカタカナ表記は妥協策です。 ज्ञान [jñāna]を表すのに、 ジュニャーナ[jyunyāna] 、ギャーナ[gyāna]、ニャーナ[nyāna] カタカナではどれも一致しませんね。 私がジュを前に付けなかった理由は、 jは、後ろのñの影響でただでさえ聞こえにくいのに、 そこにyとさらに母音のuまで付けて、 jという半拍の子音を 0.5(j)+0.5(y)+1(u)(母音は1拍)=2拍(jyu, ジュ) で表すのはtoo muchかな? と思っただけです。 jは英語のknowのkのようなサイレントではないのですが、 (でも普通は殆ど聞き取れないくらいに、後ろのñに飲み込まれています。) カタカナで書く以上、どこかで妥協せざるを得ないので、ニャーナとしています。 サンスクリットをカタカナで書くこと自体に違和感があるのですが、 日本の一般の人に向けて発信する時にはカタカナ表記無しではコミュニケーションは難しいので、 それならば、他の人とは違うことをやって、 考える人には?と思ってもらいという願いから、ニャーナというカタカナ表記にしました。 ギャーナはインド人の殆どがそ

  • 85.シャブダ(शब्दः [śabdaḥ]) - 音、言葉

    タンプーラ、バンスリ、ハンド・タール、そしてミーラ・バイの歌声 シャブダとは 「音を出す」という意味の動詞の原型「シャブド(शब्द् [śabd])」が語源です。 タットヴァ・ボーダを勉強された人なら、 五大元素の一番最初のエレメント、 アーカーシャ(आकाशः [ākāśaḥ])の属性として、 教えてもらった記憶があるはずです。(忘れちゃってたら復習してね!) シャブダの意味 シャブダという言葉はとても一般的な言葉なので、意味もいろいろありますが、 それらは大きくふたつに分けることが出来ます。 1.音 2.言葉 なぜこのように分けるのかは、以下のように説明することが出来ます。 「音を出す」にも、ふたつある ダートゥ・パータと呼ばれる、2500年にパーニニよって著され、 今でも(私のクラスで)使われている、動詞の原型の辞書には、 それぞれの動詞の意味がサンスクリット語によって簡潔に著わされています。 「音を出す」という意味の動詞の原型は沢山ありますが、 パーニニによって、だいたいざっくりと以下のように分けられています。 1.人間の発声器官を使って、言語としての言葉を発する。 (व्यक्तायां वाचि, 明瞭に発声された言語という意味において) という意味と、 2.雷の音、動物の鳴き声、言葉ではない発声、言葉として聞き取れない発声 といった、「人間の言語ではない音を出す」 (अव्यक्ते शब्दे, はっきりしない音という意味において) という意味に分けられている場合が多いです。 しかし、「シャブダ (शब्दः [śabdaḥ])」という言葉はどちらにも使われています。 ゆえに、1.音 という意味でも、2.言葉 という意味にでも使われるのです。 サンスクリット文法において 文法用語でも、「シャブダ (शब्दः [śabdaḥ])」という言葉が使われる時には、 「言語を構成する、意味を持った音のひとかたまり」と使われることもあれば、 「名詞の原型」という意味で使われることも多いですし、 「音そのもの」と言う時にも、शब्दस्वरूपम् [śabdasvarūpam] として使われます。 パーニニ

  • ラーマーヤナ 日本語訳 (रामायणम् [rāmāyaṇam])

    プージャ・スワミジの「ラーマーヤナ」シリーズを復習がてら、 原文から日本語訳を試みてみました。 スワミジは、原文の一言一句を丁寧に、聴いている生徒の精神成長に、 そのまま直結して役立てるように、解説してくれます。 ゆえに、一語ごとに最低一パラグラフは必要になります。 スワミジご自身が、ラーマーヤナが教える普遍的価値観が受け継がれている インドの伝統文化の中で生きてこられ、 その価値観をご自分の自然な資質とされて来たのですから、 教えている価値観が自分自身の価値観と完全に一致している、 そんな先生が教えてくれるラーマーヤナの一言一句は、 ラーマーヤナ、先生、自分、と一直線で届きます。 「ヒンドゥー教」とは、外国人が勝手につけた名前ですが、 サンスクリット語では「サナータナ・ダルマ(永久不変のあり方)」です。 本当に、その言葉はその意味そのものなのだということを、 プージャスワミジは教えてくれました。 訳文は現代日本語、今現在の日本語、読んでわかってもらうための言葉です。 言葉はコミュニケーションの為にあるもので、自分の知識をひけらかす為ではないからです。 書籍として執筆する場合には、一語一語、語数を気にすることなく説明するつもりですが、 シュローカの対訳は、短いからすぐに書けるように思えて、 実は、伝えるべきアイディアを出来るだけ少ない語数に圧縮しなければならないので、 それはそれで、頭を使いますね。。 ラーマーヤナは古典サンスクリット語の端正なスタイルで書かれており、 サンスクリット語文法の勉強にも適していると言われているので、 書籍版には文法解説も入れて、文法の勉強にも役立ててもらいたいと思っています。 तपःस्वाध्यायनिरतं तपस्वी वाग्विदां वरम् । नारदं परिपप्रच्छ वाल्मीकिर्मुनिपुङ्गवम् ॥ १॥ 偉大な修行者であるヴァールミーキは、タパスと文献を繰り返し勉強することを常に愉しみとし、最上の学識者であり、思考する人々の最も秀でたナーラダに、敬謙な姿勢をもって尋ねました。 को न्वस्मिन्साम्प्रतं लोके गुणवान्कश्च वीर्यवान्। धर्मज्ञश्च कृतज्ञश्च सत्यवाक्यो दृढव्रतः॥ २॥ 「

  • 番外編: マルちゃん(महिषासुरमर्दिनी [mahiṣāsuramardinī])

    通称、マルちゃん。精神的に独立しているクールなレイディです。 私が命名したのですが、日本語ではありません。 私が命名したのですから、サンスクリット語です。 本名は、マヒシャースラ・マルディニーちゃんです。 マヒシャという魔物を殺す者(女性形)。 マルディニーのマルちゃんです。 ネズミとかから女子寮を守ってね、という願いを込めて命名された、 マルちゃんの名前の由来は、 「飛び乗って、切り刻んで、殺す」という意味の、 「mrd」に「~する者」の女性形が、マルディニーです。 まさに、ネズミを百発百中で仕留めるマルちゃんにぴったりの名前。 すごいね、マルちゃんは。 「मृद् [mṛd]」に付けられた接尾語「इन् [in]」は、文法的には、 単に「~する者」という意味だけではなく、 「それをいつもしている者」(ताच्छील्ये) さらに、「それをするのがとても上手な者」(साधुकारिणि) という意味が含まれています。 まさに、マルちゃんにぴったりです。 3.2.78 सुप्यजातौ णिनिस्ताच्छिल्ये । (वा,) साधुकारिण्युपसंख्यानम् । Facebookでシェアする Twitterでツィートする << サンスクリット語一覧(日本語のアイウエオ順) <<

  • 84.リシ(ऋषिः [ṛṣiḥ]) - マントラを発見した聖者・賢者

    リシとは リシという言葉は、「マントラを得た人・発見した人」 そして、「知識により、サムサーラの向こう側を見た人」とも定義されます。 (शब्दकल्पद्रुमः - ऋषति प्राप्नोति सर्व्वान् मन्त्रान् ज्ञानेनपश्यति संसारपारं वा इति) ヴェーダと呼ばれる聖典は、マントラによって構成されています。 マントラとは、サンスクリット語の文章の集まりで、 人間の幸せの追求に役立つ知識を教えています。 サムサーラとは、自分の本質以外のものに幸せを求め、追いかけ続ける人生。 体験に幸せを求めている限り、サムサーラは続きます。 サムサーラの向こう側とは、つまり、あらゆる体験の主体である自分自身の本質です。 リシの語源 リシ(ऋषिः [ṛṣiḥ])という言葉の元となる、動詞の原型「リシ(ऋष् [ṛṣ])」は、 2500年前の文法家パーニニの定義によると、 「गतौ [gatau]」、直訳すると、「行く」となりますが、 それはつまり、「辿り着く」「得る」「理解する・知る」、 そしてものごとが明らかに「見える」という意味でも使われます。 「マントラを得た人・発見した人」、「サムサーラの向こう側を見た人」という意味の リシ(ऋषिः [ṛṣiḥ])という言葉は、そのような意味で派生しているのです。 マントラを「発見した」とは? マントラとは、ヴェーダを構成している、サンスクリット語の文章です。 それらの文章は、「発明された・著された」のではなく、「発見された」と言われます。 人間の経験とそれに基づいた理論、さらに憶測に基づいた思考を記したものは、 「哲学」とされます。 「物語」や「詩歌」 も、人間の創作です。 いっぽう、 この世界に常に存在していた法則や定理が、 熱心にひとつの研究に専念していた研究者によって見出されるように、 この世界の創造と共に常にある知識は、マントラという形で、 タパスによって鍛えられたマインドを持つリシ達によって発見されたとされます。 ゆえに、ヴェーダで教えられているマントラは、特定の人物の作品ではなく、 マントラで教えられている知識は、人間の経験・思考の集積である智慧や、 ましてや哲学とも呼

  • 83.マハートマー(महात्मा [mahātmā]) - 聖人、寛大な心を持った人

    マハートマーの語源 マハートマーを「聖人」と訳しましたが、直訳すると、 マハット(महत् [mahat]) = 偉大な アートマン(आत्मन् [ātman]) = 心 を持っている人が、マハートマー(महात्मा [mahātmā])です。 ふたつの言葉がひとつの言葉になるのを「サマーサ(複合語)」と言います。 文法に興味のある人の為に、最後に詳しい説明を載せておきました。 マハートマーといえば、ガンディー・ジー。ちなみに、インディラ・ガンディーを始めとするガンディー一家(ソニアとかラフールとか)は、マハトマ・ガンディとは縁もゆかりもありません。 なぜここで、マハートマーを聖人と訳したのか、 聖人とは何なのか?聖人なんてどこにいるのか? そもそも、聖人がどうとか知って、自分の幸せの追求にどう関係しているのか? というところまで見ていきますね。 マハットの意味 マハット(महत् [mahat])は「偉大」という意味で、 他の言葉が後ろに来て複合語(サマーサ)になると、「マハー」という形になります。 「マハーラージャ」とか、「マハーラクシュミー」とか「マハーマントラ」とか、 「マハーシヴァラートリー」というのもありますね。 すべて、「偉大な」とか、「一番秀でた」という意味です。 マハーラクシュミー アートマンの意味 アートマン(आत्मन् [ātman])は、「自分自身」「本質」といった意味ですが、 パンチャ・コーシャのコラムで紹介したように、 「自分」という自己認識は、さまざまなレベルで為されるため、 アートマンの意味も、文脈によってさまざまな意味で使われます。 マハートマーという場合は、「心、アンタッカラナ」として解釈します。 なぜなら、人の偉大さとは、その人の容姿や国籍や性別や持ち物や財産ではなく、 その人の心のありかたによるものだからです。 偉大な心を持つ人とは 人は誰でも「自分は幸せになりたい」と願っています。 それは後ろめたい事でも何でもありません。 自分に対しても、人に対しても、まず「自分は幸せになりたい」と認めることが、 自分自身と周りの生き物全てに優しさをもって接し、調和しながら幸せを追求する、 大事で基本的な第一歩です。 「自

  • 82.アーナンダ(आनन्दः [ānandaḥ]) 幸福、あらゆる制限から自由であること

    アーナンダの語源 「アー」と「ナンダ」から成り立っています。 「ナンダ(नन्दः [nandaḥ])」は、「幸福」という意味。 नन्द् (nand) という、「幸せである」という動詞の原型から造られています。 「アー(आङ् [āṅ])」は、「完全に」という意味で、「幸福」を修飾しています。 「ナンダ」は、幸せ。 「アーナンダ」は、完全な幸せ。 幸せって何? さらに、完全な幸せって?そんなものあるの? どこまで幸せになっても、もっと凄い人はいっぱいいるし、 どうせどれもこれも束の間の出来事。 完全な幸せは、何処に行けばあるのでしょうか? アーナンダの意味 アーナンダとは、英語ではBlissとかと訳されていますが、 Blissは、分かりづらくさせている言葉の選択ですね。 普通に、Happinessで良いのです。 私達が人生の中で経験してきた、「幸せ」「幸福感」が「アーナンダ」ですし、 それらの経験的な幸福感は、「アーナンダ」の本質を知る、大切な窓となります。 幸せとはナンダ? あなたにとって幸せとは何ですか? 特別な人と一緒に居る時、嬉しい言葉を頂いた時、尊敬している人から受け入れられた時、 美味しいものを食べている時、、、、 人それぞれ。 しかも、~な時、というように、時間や状況に制約されたものばかりですね。 人にとっての幸せの対象が、自分にとっての幸せの対象であるとは限りません。 だから、皆それぞれに、自分の家族や、自分の住んでいる地域や生まれ育った文化に囲まれて、幸せでいられるのです。 自分の中でも、時や場所によって、幸せの意味は変わりますね。 20年前に熱狂していた人物や場所・物が、今となっては、何がそんなに嬉しかったのか? と思うことはありますね。 いろいろ考察してみて分かったことは、 幸せの意味はひとそれぞれ。 数え切れない対象物の種類と、それぞれ個人の数え切れない状況によって、 相対的にコロコロ変わるものです。 幸せの本当の意味 しかし、そこに変わらないものがひとつだけあります。 どの人においても、どの時代や民族、宗教、性別、立場においても、 共通する、たったひとつの「幸せの意味」があります。 それは、幸せを感じているその人そのも

  • 81.ヨーガ、ヨガ(योगः [yogaḥ])得ること、精神集中、得る手段

    サンスクリット語の発音 もう日本語になったかもしれない、「ヨガ」という言葉。 既に日本語になったとして、日本語の発音としてなら、「ヨガ」という発音でいいと思いますが、 サンスクリット語として発音するのなら、「ヨーガ」と伸ばすべきですね。 なぜなら、サンスクリットには、短い「エ」や「オ」の音は無いからです。 「エー」と「オー」は、二拍分の長い音なので、「yoga」は「ヨーガ」となります。 発音についての記事も、さらに読みやすく・分かり易くアップデートしておきました。 サンスクリットは発音が大事!「ヨガ」は「ヨーガ」、「ヨギ」は「ヨーギー」、「ヨギーニ」は「ヨーギニー」です。 伸ばしてね。 ヨーガの語源 サンスクリットの言葉は全て、 「原型+接尾語」 という枠組みで説明できます。 「ヨーガ(योग [yoga])」 という言葉は、 動詞の原型「ユジ(युज् [yuj])」に、接尾語「ガンニュ(घञ् [ghañ])」を付加して出来た言葉です。 「ユジとは、つながること、、」と、 サンスクリット語文法を全く知らないヨガの先生でも教えていますが、 動詞の原型ユジには「つながる」という意味以外にも、いくつかの意味があります。 そして、接尾語にもいくつかの意味があります。 動詞の原型の意味と、接尾語の意味を、ひとつずつ組み合わせて、 「ヨーガ(योग [yoga])」というひとつの言葉になるのです。 ゆえに、一言でヨーガといっても、その使われ方によって、様々に意味が異なります。 庭の池に咲く蓮たち。 では、動詞の原型である「ユジ(युज् [yuj])」の意味、 そして、接尾語の「ガンニュ(घञ् [ghañ])」の意味を、 それぞれ見て行きましょう。 動詞の原型「ユジ(युज् [yuj])」の意味 「ユジ(युज् [yuj])」という動詞の原型には3種類あり、 それぞれが別の意味を持っています。 1.「得る、繋げる、など」 という意味 (第7グループのयुज् योगे) 2.「心を集中させる」 という意味 (第4グループのयुज् समाधौ) 3.「制御する、締め付ける、など」」 という意味 (第10グループのयुज् संयमने) いろいろありますね。似てるようで、違う

  • 新刊『サンスクリットの祈りの詩節集』 を発刊しました

    インドのアシュラムや家庭で日常的にチャンティング(朗唱)されている 数々のサンスクリットの祈りの詩節(シュローカ)の中から、 著者が日本の読者に向けて選んで集め、 サンスクリットの原文から日本語訳と解説を付けました。 http://amzn.to/2dG8big 音源はGoogleDriveまたはSoundCloudからダウンロードできます。 10月11日のヴィジャヤ・ダシャミーという吉日に、 新刊『サンスクリットの祈りの詩節集』 のKindle版を発刊し、 紙の書籍版『サンスクリットの祈りの詩節集』(白黒・カラー)の入稿を済ませ、 アマゾンでの発売が始まりましたのでお知らせします。 Kindle版には、音源ありと音源無しの両方がありますが、 どちらを選ぶべきかは、こちらを参考にしてください。 1.サンカタ・ナーシャナ・ガネーシャ・ストートラム 2.ガネーシャ・ストートラム 3.ハヌマット・スタヴァナム 4.ラーマ・ストートラム 5.シヴァ・マーナサ・プージャー 6.リンガ・アシュタカム 7.マールガ・バンドゥ・ストートラム 8.ガンガー・ストートラム 9.シャーラダー・ストートラム 10.マハー・ラクシュミー・アシュタカム 11.デーヴィー・マーハートミャム 12.サラッスヴァティー・ストゥティヒ 13.トゥラシー・プージャー 14.アーディッティヤ・リダヤム 15.ナヴァ・グラハ・ストートラム 16.スマールタ・サヴィトゥル・マントラハ 17.プージャー・シュローカーハ 18.プラータッスマラナム 19.ダクシナームールティ・ディヤーナ・シュローカーハ 20.ダクシナームールティ・ストートラム 21.グル・ストートラム 22.グル・パードゥカー・ストートラム 23.グル・アシュタカム 24.トータカ・アシュタカム 25.バジャ・ゴーヴィンダ 26.ニルヴァーナ・シャタカム 27.ギーター・ディヤーナム 28.バガヴァッド・ギーター15章 コラム目次 § バジャン、バクティの語源、「バジ (भज् bhaj)」 § 「ナム (नम् nam)」とは § ダルマとは § カルマ、そしてプンニャとパーパとは § サムサーラとは § サラッスヴァティー § 「あなたに祈りを捧

  • 80.ダンヴァンタリ(धन्वन्तरिः [dhanvantariḥ])医学・薬学の原理、ヴィシュヌの姿のひとつ

    アーユルヴェーダを学ぶ人にはおなじみの、ダンヴァンタリ様。 こちらのアシュラムに付属しているアーユルヴェーダの施設でも、 トリートメントを行うまえに、施す人と施される人が一緒に、 施術部屋にあるダンヴァンタリ様の神棚の前でお祈りをします。 お祈りとその意味は前にこちらで紹介しましたね。 ところで、ダンヴァンタリという名前はどういう意味なのでしょうか? ヴェーダーンタとは直接関係ないので、そんなん知らんがな、なのですが、 最近何人かの人に聞かれたので、辞書を引いてみました。 ダンヴァンタリの語源 शब्दकर्पद्रूमः というサンスクリットの百科事典を引いてみると、、、 धनुरुपलक्षणत्वात् शल्यादिचिकित्साशास्त्रं तस्य अन्तम् ऋच्छति इति । देववैद्यः, स भगवदवतारः । ダヌ(医学の知識の) + アンタ(終わりまで) + アリ(行く) というデーヴァのお医者さん、ヴィシュヌのアヴァターラということです。 まず、ダヌ(弓、धनु [dhanu])とは、 シャッリャ(矢、शल्य [śalya])という名前の文献に代表される、 医学の知識の集合体を表しているそうです。 それの、アンタ(最後、結論、अन्त [anta])まで行く、もしくは得る。 つまり、 全ての医学の知識を有している者、となります。 次に、वाचस्पत्यम् という辞書を引いてみますと、 धनोः तन्निमित्तशल्यस्यान्तं पारमृच्छत। ダヌ(弓、武器全般の代表)による痛みのアンタ(終わり、向こう側)に行く、 となっています。 ダンヴァンタリの登場する文献 プラーナという文献ですね。 ブランマヴァイヴァルタ、ヴィシュヌプラーナ、バーガヴァタなどに登場するそうです。 プラーナとは、 シュルティ(ヴェーダ)、スムリティ(マハー・バーラタ等)に続くプラマーナとされる文献で、 ヒンドゥーの神様をモチーフにしたお話の殆どは、プラーナで見つかります。 プラーナの中の数々のお話しの根底はヴェーダーンタであり、 シャンカラー

  • 仏教用語になったサンスクリット語と、その本来の意味(5)

    シリーズも5回目を数えます。 最初にも書きましたが、仏教用語の解説ではなく、 仏教用語になった、サンスクリット語そのものの、 サンスクリットの文化(ヴェーダの文化)に基づく解釈です。 その中でも、私はアドヴァイタ・ヴェーダーンタを学び・教える立場なので、 それも考慮に入れておいてくださいね。 禅(ぜん) サンスクリット語では「ディヤーナ(ध्यानम् (dhyānam))」です。 ध्यै चिन्तायाम् という、「考える」という意味の動詞の原型から造られていることから、 「熟考」「そればかりを考えたり、思い描いたりすること」 という一般的な意味から、 ヨーガの修行法として「神経を集中させること」 「瞑想」、 そしてヴェーダでは、「ヴェーダで教えられている神々の姿を心に想い続ける行為」 「ヴェーダで教えられている言葉の意味を心に置き続けること」 などといったように、心を一点に置くといった意味は共通していますが、 何に、どのような目的で、などに関しては、意味に大きな幅があります。 他のサンスクリット語の言葉の多くがそうであるように、 どのようなコンテキスト(文脈・内容)で使われているかによって、 同じ言葉でも意味が変わる言葉です。 檀那・旦那(だんな) サンスクリット語では「ダーナ(दानम् (dānam))」。 これは前回見ましたね。「与えること」と言う意味です。 (文法が好きな方へ: 「与える人」を造るためのल्युの付くनन्द्यादिगणにदाはありません。) ダーナがどうやって檀那・旦那さんとなったのか、 サンスクリットの文化をもとに考察してみると、繋がりが見えてきます。 यज्ञदानतपःकर्म न त्याज्यं कार्यमेव तत् । yajñadānatapaḥkarma na tyājyaṃ kāryameva tat 祈り、与えること(ダーナ)、タパスというカルマは、 (人生のどのステージにおいても)放棄するべきではなく、 常に実践されるべき行為です。 (バガヴァッド・ギーター第18章5節) ダーナは、上のギーターのシュローカで教えられているように、 1.学生、2.家庭人(結婚したり、パートナーのいる人)、3.リタイアした人、 そし

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