きょう6月4日は虫の日。ムシムシしてくるこれからは虫たちが活発に活動する時期になりますね、里山生活14年経ちます...定番の虫たちには愛情もひとしおなのですが、なかにはこの世で初めて目にする異様な姿の不思議な虫もゾクゾクと出没します。まあ同じ命ある同士です、気持ちを楽しみに切り替えてこの時期を過ごしたいと思います。虫の日
きょう6月4日は虫の日。ムシムシしてくるこれからは虫たちが活発に活動する時期になりますね、里山生活14年経ちます...定番の虫たちには愛情もひとしおなのですが、なかにはこの世で初めて目にする異様な姿の不思議な虫もゾクゾクと出没します。まあ同じ命ある同士です、気持ちを楽しみに切り替えてこの時期を過ごしたいと思います。虫の日
国道走行中...道路に掲げられた電光掲示板に「自動車税は5月まで」~6月にかけて何かと税金を納める機会が多いものです。まあ,爽やかな5月の風に乗って楽しんでいきましょう。私のお店の前。いつもの散歩道。いつもの散歩道を上りきった所から撮りました。南三陸入谷鏡石さわやかな5月に、
祈ったら叶った空の深呼吸
南三陸の3月と4月の天候は不安定でなんか春らしさが感じない気がした。「三寒四温」という言葉があるように、寒暖差が激しく、天気が変わりやすく、桜の咲くころは雨の日が多く、アッと言う間の桜の季節でもありました。南三陸は太平洋に面した地域なので海からの冷たい風がすごく影響しています。今月もあと二日、「晴れたらいいね」晴れたらいいね、
桜の季節、南三陸...八分咲き。花だよりとともにgooblogが突然のサービス終了の知らせ、えっまた引っ越しかー...10年前の”OCNブログ人”の終了での1回目の引っ越し、今回で2回目になるが高齢となる身としては荷が重すぎる(笑)まあ、時の流れとともに変革する世の中に...もう少し身を任せようかと思っています。引っ越し先:はてなブログかアメーバブログかアメリカのトランプだってあの年齢で世界中を困惑させてるのだから...そんなこと思うと何があっても心の準備だけは常に大切ですね。桜の花だよりとともに、
私のお店の周りはあれやこれやと春めいて来たようです。私の仕事も”春ランラン”と...祈るばかりの四月一日です。南三陸入谷鏡石春闘
今日は風がもの凄く強い日でした。台風だってこんなに”吹き荒れない”とTVニュースで放送していました。宮城女川町で37.8メーロル東北で観測史上1位の暴風だったそうです。強風のため東北新幹線も止まり、午後6時過ぎ運転が再開されたそうです、横浜の大学でのオープンキャンパスに参加した孫が東京駅で足止め...午後10時過ぎの新幹線にようやく乗れたそうで、ホッとしてる私です。とにかく日常の中でいつ何が起きるかわからない事実をいつも心の片隅に置き続けたいですね。今日の投稿写真と文章の内容が”チグハグに”なってしまいました。また写真も真冬ですね(笑)まあこんな事もあります。きょうの写真二枚は震災前、自宅前から撮った懐かしい情景です。どちらも旧南三陸町役場前です。なんかパソコンの中の写真を散策していたら...なんとなくア...役場前
志津川小学校体育館が私と家族の避難先でした。床に段ボールを重ねその上に配給の毛布を敷いての粗末な寝床です。止めどなく続く余震、予測不可能な動きに恐怖を覚える日々が約一ヶ月ほど続きました。自然の力には逆らうことできないと感じつつも、こういう状況の下で団結やお互いの助け合いは、心を温め、また力強さ、優しいさを感じたものでした。避難所での生活は自然と人々がまとまるんだなと、言葉で言い尽くせないほどの大切なことを経験しました。。あの日、母は防災頭巾をかぶっていました。見渡せば身に着けているのは母だけです。自分の手作りです。私が小学校6年の時です、昭和35年5月チリ地震津波で川沿いの自宅が1F天井まで到達した津波で被災しました。その時も四十数名が亡くなり...町中が津波被害で混乱したことが小さいながら心に残っていま...避難所...そして
希望
私の心は...あの日のままです。私のお店(自転車屋)の前の八幡川を撮った12枚の写真です。...人生って不思議なものですね。八幡川右岸~定点あの日から
街路灯の淡い明かりが川面に揺られ街並みを優しく包んでくれたこと覚えています。自宅の2階から撮りました。あの時の街は、どの方向にカメラレンズを向けても絵になりました。町の通りを歩けば、道端に立ち並ぶお店から漂う賑やかな話し声や笑い声。車が通り抜けるエンジン音。子供たちの足音人々の優しさ流れる穏やかな空気川面からの風がそっと私の頬を撫でる山並が夕陽に染まり昼間の賑やかさが...静寂へと震災から...信じられない速さの14年が経ちました。南三陸町は新しい町に復興しました。年齢を重ね過ぎてしまった私ですが、...あの町が恋しいのです。投稿した写真4枚は自宅前(震災前)から撮影です。隣が南三陸町役場で4枚目の写真は震災直後の役場前の堤防です。街あかり
遠くに水平線を見つめながら...あの日から14年あのまちいったい何処に行ってしまったんだろう。別に探そうとはしないけど、南三陸町志津川2007年撮影窓辺、
ここのところ、暖かい日が続きましたね。でも明日から冬の寒さに逆戻りだそうです。「あつささむさもひがんまで」春彼岸ごろまでには、寒さ和らいで欲しいですね、一輪ほどのあたたかさ
南三陸311メモリアル私としてはふらっと入館したのですが、思いがけないメッセージ展に出会い心温まりました。特別企画展:伝えたかった”ありがとう”...町民の方々の...震災当時の感謝のメッセージ展です。一人一人が思いを込めた文章を読み進むにつれ、当時の自分と重ね心があつくなりました。このメッセージの文章は私が実際居合わせた状況をしっかりと綴っていました。当時、私は志津川小学校体育館で約一か月ほど家族で避難生活(1次避難)をしました。紅白の垂れ幕を体に巻き付け寒さをしのいだ思いもよぎります。ある日...3月28日に避難所の体育館で卒業式をするとの広報でした。避難所全員で体育館を大掃除をしました。老若男女が一つとなり、子供たちの卒業式を迎えること、そして卒業式に参加できたことは一生の思い出です。私もこの状況を...思えばいと疾し
伝えたかった”ありがとう”南三陸311メモリアルで特別企画展として開催されています。開催期間:2025/1.4~3.31(詳細:開催期間をクリック)被災した私たちがいろんな方々からお世話になった思いを込めたメッセージです。南三陸311メモリアル伝えたかった”ありがとう”
日本製紙石巻工場、なんかこの場所久しぶりだ。よく考えりゃ何十年ぶりいや...この光景間近かで見るなんて初めてかも、記憶があやふやなぐらい...ずっと昔だ。自分が高校生(石巻工)だった当時...この工場「石巻パルプ」って呼んでてこの会社に入社できるのは”すごく”優秀で難関だった思いが蘇りました。まあ私は東京の自動車メーカーに入りましたが...50年以上も前の話です。この日は日曜日、石巻工業港周辺には人子っ一人も見当たりませんはじめそろそろだんだんと大胆に、カメラ片手に、自分のペースで心地よい時間を過ごしました。石巻工業港石巻港
この頃の天気、移ろいやすく儚い気がします。土日と昨日の昼まではホンと春を思わせるような暖かさだったのに、午後からは急転直下の真冬の寒さには...驚きました。今日のブログ投稿写真は急転直下のちょっと前に撮った...ウキウキワクワクいつもの散歩道でした。やっと見つけた”ばっけ”フキノトウです、今年はいつもの年より、すごく遅い、やっぱ気候変動のせいかな、散歩道には、赤南天まだまだ...こんな感じで冬枯れの無表情さを支えてきました。フクジュソウも見つけました。散歩道、私の一息つくところです、急な坂道、お店から(じてんしゃ屋)600歩。オオイヌノフグリとナナホシテントウ虫を見つけました。もうすぐ春ですネェ~カーブミラーが私の散歩コースの最終地点です。お店から急な坂道を上りきって1100歩。南三陸入谷鏡石春告げる
見上げてごらん
南三陸町志津川湾はラムサール条約の登録地。コクガンは国指定天然記念物、絶滅危惧種に指定されています。コクガンは水鳥でガンの仲間です。ガンの中では唯一、海に生息しています。志津川湾は穏やかな波とエサとなる海草であるアマモが豊富なため重要な越冬地となっています。コクガンは越冬の地を求めて遠く北極海沿岸シベリアから越冬のため南三陸町志津川湾に渡って来ます。コクガンは全身が黒っぽい色で、首に白い首輪模様が特徴の渡り鳥で...海で越冬します。。今日の投稿写真5枚は1月5日の日に撮影しました。撮影からもう3週間経ちました。もしかしたら「「北へ旅立」ったかもしれません。南三陸町戸倉波伝谷コクガン~志津川湾
誰もいない海辺の渚で...「ウニ」が...寂しそうにポツンと、遠くをみつめるその様子はなぜか悲しそう...「哀愁が漂う」上の写真、この状況を”撮る”ので精一杯でした。...”採る”なんて「そんなこと、できるわけない」ワタシです。引き潮に乗って海に帰って!と...願うばかりの「新春の海」でした。巷の話題は、東京豊洲市場「ウニ」の”初セリ”が400gが700万円で落札されたそうです。落札した鮨店では一貫40万円の値段だそうです。南三陸サンオーレ袖浜新春~誰もいない海。
テレビでは年末のNHK紅白歌合戦が今最終章です、補聴器を外しPCに向かい必死です...今年中に投稿しようと、玉置浩二が唄う「悲しみにさようなら」遠くに聞こえます。自分をふりかえるこの一年はどう過ごせたかは判断できません...ただ悲しみに出会ったときは忘れることにしました。今年一年あまり投稿できなかったのですが私のパソコンの向こうで手を振って応援してくれた皆さん...本当に応援ありがとうございました。空と海とわたし、
演奏:あわいびとソリャひとつ唄います。ソリャ遠慮もします、でも唄ってしまえば、幕ひかずになります。ソリャは十三浜だから、手ぬぐいお帯にして、頭にギュッと大魚の祝い唄。地なし節無しところ節...まあ自然織りなす心節ってところかな、...南三陸・北上町十三浜。石巻市北上町十三浜大室(2006/12,31撮影)12私たちの故郷のために祈りを込めて~十三浜甚句
あれこれ考えているうちに...もう1年が終わろうとしています。朝一歩前進、昼足踏み状態、午後二歩後退、夕方一歩前進。行動すれば必ず良い結果がやってくる...と期待するのですが、なかなか難しいものです。まあユーモアを忘れずに...少しづつ前進ですね。あれこれ考えているうちに
午後四時過ぎの私のお店の裏山。晴れた日はこんな感じ、北西からの吹く風は寒気を伴って気温がグッと下がり紅葉の終わりなのです。西高東低の気圧配置が強く、日本海側が雪模様ほど...太平洋側...私が住んでる南三陸は晴れの日が続きます。初冬の風は、肌寒さを感じさせる一方で、空気が澄んでいるので、遠くの景色がよく見えます。今日なんかは上空の雲の流れが速いです。雲の流れに身を任せ
深い秋の風に揺れ動く瞬間がジェラシー。嫉妬
南三陸入谷鏡石お店の裏山を散策するには、彼らにあいさつ程度だと失礼な気がして、たまには「立ち話」します。「寒くなったこと、まだまだ枯れないでねとか、色あせないでねとか」いろんなこと。お互いに励ましあう散歩道です。たちばなし
山間に店を構える「自転車屋」は秋から冬にかけてはめっきり仕事が少なくなる、これは今始まったことではないが、それより少子化が問題だ、その対策を考えなくちゃ。1)ターゲット層の拡大2)オンライン販売3)地域連携4)イベント開催5)サービスの多様化生成AIに質問したら上記の返答。地域の商工会のアドバイスと同じだ。雨にも負けず、風にも負けず、極暑に耐え、冬の寒さにも負けない...これ迄でした。しかし今まさに高齢にさしかかる我が身。「生きる」...健康対策が必須。時の流れの移ろいを感じられる自分に少しづつ変えていきたいと思っています。移ろいの晩秋
11月半ばになりました。刈り取られた田んぼの畔に楽しそうに咲いていました。よく見かける雑草なのですが、今まであまり気に留めませんでした。今日の日中の気温は10度前後、風もなく、紅葉も色あせて落ち葉もひらひらとでも雑草の緑色やピンクが深まる秋を彩っています。南三陸入谷鏡石秋と冬の間に、
急な坂道を下ったところに私のお店(自転車屋)があります。写真中央の白い電柱の下の方です。私的には屋根の一部が見えますが(笑)お店から100歩程歩いたとこが写真中左の瓦屋根のあたり、そこから150歩進んだところが、写真を撮影したこの場所です。この山間にお店を構えてもう13年5ヵ月になりました。震災前は南三陸町の中心地にお店がありましたが津波で全てが一瞬のうちに消滅しました。いろんな状況を経て、山間のこの地ににたどり着きました。まあ時の流れに身を任せることは時には大切ですね。流れに逆らわずに自然に身を任せることで発見や成長そして思ってもみない展開もありました。とにかくこの里山が大好きです。南三陸入谷鏡石私の里山
私の写真教室の先生でした。
時間を見つけては野球に明け暮れた少年時代木の棒をバットにしての素朴な野球ですが美しい夕日の中で夢中になってボールを追いかけたものです力投
年を重ねてしまうと気持ちは若いときのまま。でも、追いつかない体...。あれやこれやと考えるてしまうことも...でも、自分の今を、大切にしたい。「ひとつ歳をとれば、ひとつだけ明るくなる」野菊
もう一歩踏み込むと逃げてしまいます。そんな間合いが、醍醐味なのです。抜き足差し足忍び足
久しぶりで震災後にできた堤防の散策路を歩いてみました。正面の鉄骨の建物が防災庁舎我が家があったところは...木の側の白いボックスの辺りが倉庫と駐車場かな、自宅兼店舗はこの堤防の下です。なんでこうなったのか、今でも信じられないのです。下の画像は、TVからの映像をコピーした震災前の写真です。正面の大きい建物が町役場で、右隣の白い四角い建物が...防災庁舎、左隣、白い看板が店舗兼自宅の我が家です。穏やかな、いい町だったんです。新たな散歩道。
9月の終わりともなれば、涼しい風が吹き始め、秋の訪れを楽しみに...ちらほら紅葉の話も出始めるのですが、まだまだ日本の夏!頑張っています。季節の移ろいは動植物が変化を知らせてくれます。...「秋」南三陸入谷鏡石うつろいやすい秋の空
長いことを生きてるといろんなことがありました。...そして生きてる限り続きます。まあ、心清らかに過ごせることが私の「悲願」です。煩悩のない世界
女性のトランぺッター素敵だね。2024/9.08定禅寺jazzStreetJazzFestivalにて昔から男性が優位のトランぺッターですが、時が進み最近のJazzシーンでは女性トランぺッターが台頭して来ました。エレガントでファッショブルなトランペット女子に心が躍るのです。過去写真(2016・9.11)トランペットはもちろんトロンボーンなど管楽器の女子プレイヤーが少なからず見かけるようになりました。とにかく中学・高校生のブラスバンド演奏を見かけますが、大部分が女子ですね、見るたび聞くたび逞しく感動します。ブラバン女子、大人になりこのようなストリートジャズフェスティバルに出てぜひ私たちを楽しませてください。仙台・定禅寺jazzストリートフェスティバル、9年ぶりです。来年も来たいものです、南三陸から往復4時間...女性トランぺッター
今年こそ...10年ぶりで見に行きます。今まではいろんな行事に振り回され実現できませんでした。自分も年が年なので^^身軽にして、自分を大事にして、行動することにしました。今年こそ~定禅寺jazzフェスティバル
八幡川河口に隣接する旧漁港です。私の少年時代の遊び場でもあり、早朝の魚市場は活気づいていました。漁師たちが海から戻り水揚げされた魚が市場に並ぶと...セリが始まり一気に活気に満ち、売り手と買い手の駆け引き、喧騒と緊張感、海の恵みと人々の努力が交わる市場、あの頃は間近かで見れた私にとって大切な場所でした。上の写真は現在の旧漁港です。震災後は新しく整備され昔の面影がなくよその国の港のようです。志津川旧漁港
南三陸八幡川の釣り風景、震災前の南三陸町役場前(現在:防災庁舎震災遺構)4枚の写真を写真みるにつけ、役場の隣だった自転車屋の自分としては...⇈仕事の合間に覗く釣り模様が今では懐かしく思い出されます。[翔くん...ハゼ釣り名人なのです」※4枚の写真は震災前に撮ったものです、現在は津波により街並みの風景は消滅しています。「ある日」八幡川釣り風景
南三陸志津川八幡川灯篭流し自宅2階から撮影しました。但し東日本大震災よる津波でこの風景は消滅してしまいました。在りし日
タカサゴユリはこの辺では9月ごろ咲くそうですが、いまが花盛りです。このところの気温の高さや気候変動が続くと、なんでもそうなんですが狂ってしまいますよね、タカサゴユリは外側に赤紫の筋があるこが特徴で原産地が台湾だそうです。南三陸は最高気温が30度前後で推移しています。海霧の影響もあるのか早朝は過ごしやすい、ただ日中の湿度の高いのには大変ですが、扇風機フル回転、汗だくで仕事やってます。テッポウユリ:下の写真です、同じ敷地内に咲いています。テッポウユリ(鉄砲百合)は純白で凛とした優美な花姿はひときわ目につきます、原産地は奄美、沖縄諸島の海岸付近等で自生し、別名は、沖縄(琉球)に咲いているユリで琉球百合(リュウキュウユリ)と言うそうです。私にはタカサゴユリと同じく見えるのですが、唯一花の外側に赤紫の筋があることぐ...タカサゴユリ(高砂百合)とテッポウユリ(鉄砲百合)
私のお店から歩いて150歩のところです。毎日この辺りを行ったり来たりするのですが、いや~全く気が付かなかった、というか、ヤマボウシに実がなるのさえ初めて知ったし、見るのも初めて、Googleレンズのおかげです実感しました。それにしても、この実...っていうか、この球体...近づいて写真にしましたがなんか不気味ですよね、肌色に発疹で赤み、ぶつぶつ、かゆそうで、痛そう。先日皮膚科からもらった軟膏でも塗ってやりたいぐらいです。ヤマボウシの実、食べられるそうです。アントシアニンやビタミン、カロチンなどが含まれているため、目の疲れの緩和、滋養強壮、疲労回復、整腸作用などの、効能があるそうです。下の写真は、ことしの6月に撮ったヤマボウシ。上の写真2枚と同じ場所です。南三陸入谷鏡石ヤマボウシの実
台風5号の進路からすると南三陸を直撃かと心配したが、進路がそれてホッとしたのに...今度は台風7号が気がかり、何んか、落ち着かないお盆になってしまいそうです。台風7号、偏西風に乗って太平洋の彼方に消え去ってほしいものです。Relieved...ホッとしました。
南三陸入谷鏡石(佐藤輪業、お店の網戸)つい見て見ぬふりをして...そ~っとしておきました。「壁ドン」...
この日は蒸し暑くお日様はじりじりと老体には応える昼下がりでした。何の花か、Googleレンズで調べてみると「ニラニンジン」...だそうです。「ワイルドキャロット」「レースフラワー」「アン女王のレース」とも言われるそうです。☝レース編みが好きだったアン女王(イギリス)に由来するとか、とにかく北上川右岸は地形の関係だと思いますが、この付近も含めて3㎞ほど...行きかう車もなく人影もありませんでした(笑)自分としては...こんなにまでも素晴らしい自然を独り占めしてイイのかと...喜ばずにはいられませんでした。登米市北上川右岸35km付近いつもとちがう散歩道。
雨が降ったりやんだりの合間をぬってのサンポ路、田んぼのあぜ道で見つけた”忘れ草”...いや!この鮮やかなオレンジ色見たら...忘れられない。ここ2、3日雨模様が続いています、少し蒸し暑いですが田んぼを通りぬける風はホンとに心地よいです。テレビでは日本各地で大雨の様子や猛暑の状況を連日伝えています。とにかく、これから梅雨明けしますが、去年のような豪雨による災害や酷暑にならないことを祈るばかりです。忘れ草:ヤブカンゾウ(藪萱草)これから...私お店の周りの野山に沢山咲きます。南三陸入谷鏡石忘れ草
写真展も無事終わました。開催中は大勢の方々にお出で頂き本当にありがとうございました。何しろ手作りのクッキーに紅茶のおもてなしには皆さん喜んでくれて作品に「華を添え」ていただきました。ところで、展示作品と展示機材はすべて手作り手仕上げです、写真プリントはオークションメルカリでジャンク品で購入した9000円のip8730(PIXUS)プリンターが大活躍。キャノン写真用紙・絹目調、1人8作品、4人分32枚をストレスなく印刷!光沢をおさえた、しなやかな写真画質に4人...感激。展示作品は木製パネルを使いました。パネル展示は8枚の組写真なので写真の流れを感じ取り、物語を想像していただければとの思いで制作しましたパネル制作作業は、パネルにスプレーのりをふりかけその上に写真を貼る、乾いてから写真を裏返しにしてパネルから...組写真展無事終わりました。
8枚の写真を組み写真にして「1作品」としました。色、感じ方いろいろ光る君へ風の音...聞こえますか。私の「シンフォニー」
散策路にヤマボウシの花を見つけました。葉っぱの上に白い花がちょこんと咲いてます。ヤマボウシの花が咲く季節は、初夏の訪れを告げる美しい時期です。風もなく穏やかで過ごしやすいこの季節を心ゆくまで楽しみたいと思います。南三陸入谷鏡石ヤマボウシ
小川のせせらぎと、静寂と、新緑と..山あいの蕎麦処で、.挽きたて打ちたて茹でたて「三たて・そば」を楽しみました。写真は蕎麦処から車で1分ほどの「カフェ・iPPO」・カフェインにはすごく敏感な自分です。カフェの窓側の席から見える窓の外は、カフェインが功を奏したか...「meditation」登米市(私のお店から15分ほどのドライブコース)はじめての一歩
散策するには風もなく穏やかで空がどこまでも青く気分上々。もちろん見渡す限り自分一人だけ、日中でもこの道を通るのは畑や田んぼで作業する農家の方...数人ほどで一般の人はほとんど通りません。この道は私のお店の横から続き、歩き始めから凄い急な坂道で400歩程進んだところで撮った1枚目の写真です。あとは緩やかな上り坂が500歩続きます。自分にとっては散策コースであり、腰と膝を手術した体の機能強化も兼ねています。とにかくこんな天気、ずーっと続いてほしいものですね。南三陸入谷鏡石毎日できるだけ少しづつ
2枚の写真アップしましたが、たまにはこんな感じの写真もいいものです。暗い部屋なのでISO感度を上げて、手持ちで撮りました。カメラブレか、レンズブレか、自分の手が高齢で震えてるのか(笑)、写真がボケてます。三脚を使ってしっかりと固定して、じっくりと「心行くまで」撮ってみたいものです。安らぎ
里若葉や山若葉が薫る頃になりました。見上げれば、五月晴れ、若葉風が私の顔をなぞり通りすぎていきました。新緑の候...
私にとって懐かしい写真です。4枚アップロードしました。1枚目の写真はお店(自宅)の2階から八幡川の川面に映り込んだ街路灯をパシャリと撮りました2枚目の写真は...その街路灯が写真の真ん中に写っています。私のお店の前からの撮影です。現在は存在しない街並みで「もう二度とない」貴重な光景です。3枚目の写真、今となっては「もう二度とない」光景を背後から撮影、「修理」のぼりと看板が我が家です。その奥が町役場です。2・3枚目は八幡町行政区、夏まつりの山車で休憩、八幡川の堤防に腰かけて...「いっぷくのひと時」下の写真を説明します。左端の白い看板が我が家です。中央の大きな建物が南三陸町役場。その隣の四角い白い建物が:防災庁舎。赤い屋根の建物が第2庁舎。そして下の写真2枚「未曾有の出来事」...2011/3.11東日本大...街路灯
この写真の桜満開の光景に出会ってから13年になりました。時の流れにはホンと驚きを感じざるをえません、そして私もずいぶん年を重ねてしまいました。年を取るたび思い出すことがあります。遠くに過ぎ去った...少年時代.時間を見つけては野球に明け暮れました木の棒をバットにしての素朴な野球ですが美しい夕日の中で夢中になってボールを追いかけたものです。まあ、思い出はたくさんありますが青空に残された私の心は...いつも春爛漫なんですよ。満開の桜の下で、
震災2011、3.11
2011年3月10日、東日本大震災発生一日前の私のブログです。↑クリックお願いします。私の友人の愛犬ポニーちゃんが2011年3月8日に亡くなりました。3月10日に町営火葬場にてペット火葬としてポニーちゃんを見送りしました。火葬に立ち会った3人、喪主の友人と節ちゃんと私と...後日ポニーちゃんのお別れ会やろうねって、...約束。その約束が...いまだに約束のままです。13年経った今でも、節ちゃんが津波で流されてから13年がたちました。震災一日前
2011年3月9日、東日本大震災発生の2日前の私のブログです。↑クリックして下さい。小学生のころチリ地震津波を経験しています、八幡川を溯ってきた津波で自宅1階が被災しました。津波経験があるので毎年5月24日、町の津波避難訓練には欠かさず家族で参加していました。「地震があったら津波の用心」「高台に逃げる」が家族の言い聞かせで...志津川小学校の高台と決めていました。高齢の父と母は(当時)寝るときはいつも懐中電灯、母は防災頭巾を枕元に用意していたことを思い出します。震災二日前
信じられないぐらい時の経つのが早いものです。もう13年も経ってしまったんだと思うものの、頭の中は、いまだに3月11日午後3時14分最初の津波が到達した時です。一瞬にして多くの命が奪われ、明るくて楽しい街が消えた日で忘れることができません。...その瞬間を手が震え、体が震えながらカメラに収めました。ファインダーを覗く頭のなかは、この瞬間今。...誰かが亡くなっていく、このまま撮り続けていいのか自問自答しながら、シャッターを切りました。襲ってくる黒い波は、不安で死を身近に感じた瞬間でもあり私にとって一生忘れられない日です。あれから13年になります。
目が覚めると外は雪景色、予想もしない風景でした。お店までは車で10分ほど、久しぶりの雪道運転です、4WD(軽トラック)にシフトチェンジして慎重な運転でした。雪道はスリップしないように走行するのが大切で緊張します。夕方のニュースでもスリップ事故が多発してると伝えてました。南三陸は午後から晴れ間も見られ...今夜は氷点下4度らしい、明日の朝の道路の凍結が心配だ、とにかく慎重な運転(予測運転)ですね。雪道
2月半ば過ぎ、この時期に...私の散歩道に「菜の花」咲がく何んてすごく信じられない光景。新しい始まりを感じることはイイことだし、冬から暖かな春がやってくることは嬉しいことだ。でも1月の天気も2月の気温も、何んか...変だ!今日の南三陸は...気温2℃一日中雪降り。昨日は天気晴れ、気温18℃。(異常気象だ!)「菜の花」が咲く...自然の贈り物には心豊かになれるし、風に揺れる菜の花に気持ちが踊ります(笑)とにかく去年の夏のような異常な暑さが”無い”平穏な気候を願うばかりです。菜の花
縁日...久しぶりに聞く言葉で懐かしくうれしくなります。子供のころ...自宅(八幡町)の隣が町役場でその隣に八幡神社がありました。まあ...境内は勉強の合間の遊び場でした(笑)春や秋の祭りの縁日には境内に舞台が作られ夕方になると...裸電球で浮かび上がる「お神楽の舞」がとても幻想的で今でも夢を見ます。いちばんウキウキしたことはやっぱり出店、かき氷やワタあめ焼きそば、ヨーヨー金魚すくいに的あて、それに八幡町打囃子に獅子舞。とにかくあの頃はすごく楽しかっし友達との絆も深まった気がする。遊び場だった八幡神社も昭和40年代半ばころ現在の場所(上の山)に移転しました、神社本殿を解体せずをコロなどの上に乗せ、大勢の人が引いて数百メートル移動した様子を見ていて...寂しくて虚しくて今でも記憶に残っています。まあ遠い昔の...縁日
南三陸町震災復興祈念公園祈りの丘「上りきる」となると達成感や満足感がカラダ中にみなぎるし、自分のペースで進むことができる、「上り詰める」となると何か息が苦しく追われるようで苦痛...でも「上り詰める」とあの👆「大空」がすべて自分のものになる。まあ歳を重ね過ぎた自分ですがまだまだ「夢の途中」なんです、夢の途中
南三陸志津川漁港白熱電球や蛍光灯そしてLEDは寿命が長く、消費電力も低いので多くの照明器具に使われるようになりました。でもブログ写真のような裸電球をみると嬉しくなります。多分この明かりは漁師さんが大魚の喜びや仕事の誇りを照らす裸電球だと思います。温かみのある光が魅力的な裸電球は、私の気持も穏やかにしてくれます。甲板の明かり
フキノトウの芽が出る時期は、地域によって異なるとは思いますが、私の散歩道のこの場所では1月の初旬には見かけます、しかし、今年はこの時期になってもフキノトウが数個。どうやら昨年から続く暖冬が影響してると思っています。またこの時期に見かけたことのないキノコを見つけました。食べられるかは分かりませんが写真だけ撮りました。とにかく私の散歩道は異変なのです、フキノトウやキノコだけでなく他の野菜や果物にも影響することが気になります。...気候変動が心配です。ちょっと異変、
南三陸志津川黒崎バイク出張修理の帰り道です。ホンとは店に持ち帰っての作業と決め込んだですが、現地でスムースに仕事が終えたので...まあ自分のこころの中で少し余裕が出来たんだと思う、いつも仕事で通る海岸線の道沿いなのですが、この景色「目で追う」ぐらいでした。この日は天気もイイし、風もナイし、膝も腰も快調!もう誰もいない海...。だったので、消波ブロック
気持ちを変える、気分を変える...やっぱり「海」釣り師:畜産業の友人は夕方、牛に「エサやり」終えてからほぼ毎日...ここの堤防から釣り糸を垂らします、本人曰くよほど天候が悪くない限りだそうです。この日は天気もイイし、それほど寒くないし、風もなく散策日和の堤防を歩いていると偶然、釣り師に「出くわした」昼近くです。堤防に腰を掛け”釣り師”の垂れた釣り糸の先をジーっと息を殺しながら見つめる。すると...なんということでしょう瞬く間に見事2匹吊り上げました。大きな目が特徴の「メバル」(カサゴ目メバル科メバル属)透明感のある白身魚で、味わいにクセもないので生食でもおいしくいただける魚です。加熱するとやわらかく、熱を通してもかたくならないので、煮物や揚げ物などさまざまな料理に使われます。人に気兼ねなく、のびのびするの...リフレッシュ
登米市米谷(北上川)HereComestheSun
祝日の日には、各家々が国旗を揚げたものでした...まあ、遠い昔の話になりました、1月2日、志津川漁港で撮影しました、漁船に掲げられた「日の丸の旗」の勢いよさに...「元気、勇気」が出ました。今年の夏、フランスで開催される「パリ2024オリンピック大会」でも日本選手が多くのメダルを獲得し、フランスの地で「日本の国旗」が羽ばたくことを期待したいと思っています。飛躍
令和6年能登半島地震で被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。大規模な地震により、お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、皆様の安全と被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。被災された皆様へ
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします南三陸佐藤秀昭新春
白鳥の湖と鴨隣町の歯医者さんの帰り道でした、まあ取り分け歯がイタかったワケではないが、しいて言えば...メンテナンス。歳を重ねると”あっちこっちと”カラダにいろんな歪みが出てくるものです(定期点検)歯医者さんから車で2分程のところです、登米市新田(伊豆沼・内沼サンクチュアリセンター)ハッと!気づき途中から引き返った、この場所午前11時頃でした。伊豆沼はハクチョウやカモ類の渡り鳥の越冬地として有名です。昼間の時間帯は餌を求めて水田などに移動してほとんどはいません、今、沼に残っている鳥たちはどうしたんでしょうね、...まあ鳥だって、生き物すべてに言えることですが...嫌な日ってありますよネ。湖畔から
なんでこうなったのか不思議な建築物、その当時どんな思いで造ったのか、あれこれと思いを巡らす...いつもの散歩道。南三陸入谷鏡石なんということでしょう
南三陸入谷鏡石12/2115:15撮影10日ほど前の南三陸の日の入りは17.12分でした。今日(21日)の日の入りは、17.16分です。16(分)ー124(分)明日は冬至ですが、時間的には昼間が4分長くなりました...嬉しいものです。あと11日寝るとお正月です、これもまた考え方によっては...嬉しいのです。歳を重ねてしまった私としては、時間とか月日の経つこと...あれやこれやと「琴線に触れるような」繊細な私です(笑)大切な時間
田舎は都会から離れたところで人口が少ない場所都会は人口が多く文化が発達している場所田舎と都会
いつもの散歩道がいろんな草花で賑わっていたのはつい最近のこと。でもここ1週間ほどで周りの景色が一変してしまいました。...枯野が駆け巡ったのです。まあ12月中旬ですものね、...と言う訳でちょっとだけ気分はネガティブ。とにかく気持ちを切り替えて草花がイキイキしてた頃の写真を投稿してみました。今年もあと2週間、寒さ気分を明るく乗り越えましょう。南三陸入谷鏡石気分一新
雄花に病む微かな望み繁る冬野を駆け巡る南三陸入谷鏡石2023/12/08撮影なんか変だ
南三陸町311メモリアル...東日本大震災伝承施設です。1枚目の写真はメモリアルホール入口付近で撮影したものです。ウェブサイト(website)では同じような多くの写真が掲載されていますので、ちょっとだけホワイトバランスで撮影時の光の色合いを補正しました。下の写真は八幡川に沿ったメモリアル施設の景観の一部分です下の写真:定番:私の散歩コースです。震災前はこの場所が私が暮らした街並みがあったところ、八幡町行政区・八幡町商店街がありました。祈りの丘に登り360で見渡すと当時の志津川の街並みがかすかに聞こえてきます...交差する車の音だったり、船外機のエンジンの音、人々の行きかうの会話、音になり風になり、下の写真は結論から言うと...多重露出です。1コマの中に写真2枚重ねってしまいました。前回の撮影モードを元に...伝えたいこと、
北上川河口から4㌔地点、ヨシ原(葦)たまにはこんな風景もいいものです。土手に腰を下ろし沈みかけの夕日にひとり茜色に染まる。石巻市北上町北上川左岸河口から約10キロメートルにわたって葦が群生しています。見渡す景色はホントに美しく日本の風景そのものです。写真:正面の橋は、新北上大橋川の向こう岸左端の小さく見える建物は、震災遺構・大川小学校自宅(南三陸町)から車で約40分ほど道のりです。国道398号線...素晴らしい景観の海岸線を走ります。Goodbyeday
今日で11月も終わり、カレンダーもあと1枚を残すだけ早いものですね、振り返ってみれば、私にとっての2023年は数か月続いたあの夏の”猛暑”だけに...支配された感じ、「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ...までは順調でしたが「夏ノ暑サニモマケヌ」のところで...絶不調。なにしろ「災害級の暑さ」、体調の維持と管理に苦労した私でした。とにかく今年も残すところあと1っか月、「冬ノ寒サニモマケズ雪ニモ」写真:1枚目、2枚目、4枚目2023/11/2315:23撮影写真:3枚目2009/08/2217:52撮影泊浜港(歌津)
南三陸入谷鏡石この頃の天気は晴れかなと思うと急に日差しが隠れて...さっと降ってさっと上がる降ったかと思えば太陽が顔を出しの変な天気が続く、昨日なんかは雨じゃなく、ちらちら白いものがまざり「時雨」と言うより初雪なのかな、まあこれからの季節はこんな感じの繰り返しで寒い冬を迎えます。でもあと1か月...12月を我慢すれば...迎春・新春です、頑張りましょう。いつものウオーキング&散策路
南三陸町復興記念公園「祈りの丘」たまには...「祈りの丘」の周辺を散歩するようにしています。一昨年の腰の手術、1年前の右膝の人工膝関節置換の手術で長年の希望が実現でき長い距離を歩くことができるようになりました。仕事柄自転車やバイクの修理で腰膝を酷使した後遺症です、仕事と年齢の「兼ね合い」みての流れでした。今は~元気で調子よく~歩いています。志津川漁港志津川湾
サンオーレ袖浜2023/11/0906:28志津川漁港2006/09/2516:12南三陸歌津泊浜漁港2009/08/2217:492枚目と3枚目の写真は震災前の写真です。私にとっては貴重な写真です。どうして震災の津波で難を逃れたかは...波瀾万丈でした。今夜は夜も更けすぎたので改めてお話ししたいと思っています。色温度
11月中旬...まだ咲いる。いつも私の散策路を楽しませてくれる花です。なんか1年中咲いてるような気がする、猛暑で夏狂いの今年の夏だったもの、冬の狂い咲きくらいは...許されるはずですよね。デイジーの花
南三陸志津川漁港漁港までは自宅から車で1分ほど、すごく近い環境なのですがカメラ持って散策となると久しぶり、見慣れた風景なのでいつも通り過ごしていました。先日TVの番組で街を散策しながら深堀する「ブラタモリ」見て”ハッと”しました...南三陸海山川...「イイところだらけ」灯台下明し
車のフロントガラスに霜が降りますます寒さを感じた今朝でした。もう冬が...あの異常な猛暑。過酷な日々は絶対忘れることはできません、つい先日まで早く秋がこれば、冬がこればと願ったものですが季節は間違いなく巡るのですね。”今朝は寒かった”とにかく冬の寒さ対策をしっかりとして、異常な寒さにならないように祈るばかりです。冬が来る前に
歳を重ねるごとに...1年って短くて時間経つの早いですよね、同じように”意欲も体力も欲望”だって...少しづつ衰えます。でも...「見上げれば青空」憧れ、希望、
八幡川河口から約6㎞ほど遡るこの場所に「上流端」の標柱。推測ですが宮城県が管理する流域の最上流地点を言うのかな、まだまだ上流は続くのですが...ところでこの標柱の表記してある住所:志津川町字鏡石...「すごく気になります」志津川町:町村合併前の町名で現在は「南三陸町」ですので合併以前に建てられたものですね。字鏡石:標柱を建てた当時としては「志津川町入谷字鏡石」が「正しいのでは」と思うのです。「上流端」、この先の源流までまだまだ続く上流です。南三陸町入谷字鏡石※南三陸町は、平成17年10月1日に志津川町と歌津町が合併して18年経ちます...時の流れって「早いものですね」私も震災後「ご縁があり」入谷字鏡石に店舗を構えて12年になります。時々消失した志津川の街並みを思い出します。八幡川上流
今夜は、全身がトゲだらけの木を紹介しますネ。・・・カラタチ:中国が原産地唐から渡来した橘。「唐橘」全体は緑のトゲだらけで奇妙なミカン科の低木だそうです。4月初めに咲くころは白い花びらは、実に可愛い。10月~11月になると熟して黄色くなり爽やかな香がします。緑色の棘は強くて鋭いので昔は侵入者除けに垣根として利用されたそうです。いつもの散歩道(南三陸入谷鏡石)PENTAX-DA1:3.221mmAL奇妙な木
まあ「ザクロ」とは言うけど、この姿が突然散歩道に現れると「ゾクゾクっ」としますよネ、いや、この赤色の実に驚かされます(笑)「ザクロの実」には「愚かしい」といった花言葉がついているそうです。愚か:ちゃらんぽらん・のろま・阿保・愚鈍・頓馬...いったい誰が名付けたんでしょうね。ザクロの花言葉は「円熟した優雅さ」「子孫の守護」だそうです。いつもの散歩道、南三陸入谷鏡石奇妙な果実
この海岸を散歩するって、久しぶりのこと。自宅から車で2~3分ほどの近い海辺なのですが、こんなにきれいなロケーションなのに、どうしてなんでしょうね。時刻は夕方4時過ぎ、日もだいぶ傾き保呂羽の山に日が沈もうとする頃。それにしても日が西に傾き始めると早いものです「秋の日はつるべ落とし」...昭和の時代よく、言いましたよね。誰もいないと思ったら若者たちが目の前を通り過ぎていきました。秋の日の「静寂な海」ってすごく素敵です。南三陸荒島・サンオーレ袖浜今は秋誰もいない海
防災対策庁舎(南三陸町震災復興祈念公園)2023/10/01撮影宮城商店2011/05/13撮影(写真は私の同級生。愛車.軽トラックに給油中)南三陸町防災対策庁舎2011/03/1117:23変遷(へんせん)と推移
秋になると毎年気になるのが「エノコログサ」土手や畦道、私の散歩道でよく見かける雑草です、秋が深まるころにカメラのファインダー越しに「逆光」で覗くと黄金色に輝きます。今の時期ちょっと早いかも、「エノコログサ」猫がよくじゃれるというので「ネコジャラシ」とも言われています。無邪気に戯れる子猫の様子が浮かびます、私も「猫じゃらし」にあやかり、カメラでジャレてみた今回のブログ投稿です。南三陸入谷鏡石花言葉「遊び」「愛嬌」
12年前の秋祭りでした。津波で家を流され仮設暮らしの私たち家族が、妻の実家に招かれ...楽しさと、嬉しさと、心癒された思い出の写真です。happyday
私の散歩道ではまだ咲いていますが終盤です。夏の暑さが長引いた挙句、咲く時期が狂った彼岸花まだ頑張っています。もうそろそろです、今年もあっちこっちで花盛り充分満喫しました。でも衰えてゆく様子を観察すると...「切ない気持ち」になります。儚さって=美しいものですね。もう終わりだね、
私のお店から...歩数で言うと150歩ほど歩いたところ。2週間ほど前の風景です。彼とは何度かお酒を飲みかわした間柄です。互いに気づき、手を振っての気持ちの通じ合いには...気分は秋晴れ!私の散歩道、ことしも豊年満作です。八幡川上流、お店から100歩程の橋の上からのロケーションです。川の水は澄んでいて石がゴロゴロ渓流にほど近い感じです。今年は暑かった夏でした、この川で何度”はしゃいだ”ことやら...年甲斐もなく(笑)南三陸入谷鏡石散歩道Ⅱ
アゲハチョウ洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ):自然毒<求愛>いつも通りの...散歩道。南三陸入谷鏡石ひらひらと舞い遊ぶそのまえに、
今日は爽やかだった。このままズっ~と続いてと...願うばかりです。身も心もクタクタの自分を癒してくれた一日になぜか...感謝なんですよ、土手に腰かけ久しぶりの心地よい風に秋を感じました。「つゆ草」って朝咲いて昼過ぎにしぼむのですよ、鮮やかな青い色イイですね、南三陸入谷鏡石...いつもの散歩道稲刈り始まりました、
記録的な8月でした。...まだまだ続く暑さには理解しがたい気象状況。「暑さに体が慣れる」って言っても我慢にも限界があるもんです。出来れば、即、30度以下になってほしい、「本日の最高気温は全国的に29度」です。なんてニュースになれば暑さからくるストレス一気解に解消するんですけどネ。群青
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きょう6月4日は虫の日。ムシムシしてくるこれからは虫たちが活発に活動する時期になりますね、里山生活14年経ちます...定番の虫たちには愛情もひとしおなのですが、なかにはこの世で初めて目にする異様な姿の不思議な虫もゾクゾクと出没します。まあ同じ命ある同士です、気持ちを楽しみに切り替えてこの時期を過ごしたいと思います。虫の日
国道走行中...道路に掲げられた電光掲示板に「自動車税は5月まで」~6月にかけて何かと税金を納める機会が多いものです。まあ,爽やかな5月の風に乗って楽しんでいきましょう。私のお店の前。いつもの散歩道。いつもの散歩道を上りきった所から撮りました。南三陸入谷鏡石さわやかな5月に、
祈ったら叶った空の深呼吸
南三陸の3月と4月の天候は不安定でなんか春らしさが感じない気がした。「三寒四温」という言葉があるように、寒暖差が激しく、天気が変わりやすく、桜の咲くころは雨の日が多く、アッと言う間の桜の季節でもありました。南三陸は太平洋に面した地域なので海からの冷たい風がすごく影響しています。今月もあと二日、「晴れたらいいね」晴れたらいいね、
桜の季節、南三陸...八分咲き。花だよりとともにgooblogが突然のサービス終了の知らせ、えっまた引っ越しかー...10年前の”OCNブログ人”の終了での1回目の引っ越し、今回で2回目になるが高齢となる身としては荷が重すぎる(笑)まあ、時の流れとともに変革する世の中に...もう少し身を任せようかと思っています。引っ越し先:はてなブログかアメーバブログかアメリカのトランプだってあの年齢で世界中を困惑させてるのだから...そんなこと思うと何があっても心の準備だけは常に大切ですね。桜の花だよりとともに、
私のお店の周りはあれやこれやと春めいて来たようです。私の仕事も”春ランラン”と...祈るばかりの四月一日です。南三陸入谷鏡石春闘
今日は風がもの凄く強い日でした。台風だってこんなに”吹き荒れない”とTVニュースで放送していました。宮城女川町で37.8メーロル東北で観測史上1位の暴風だったそうです。強風のため東北新幹線も止まり、午後6時過ぎ運転が再開されたそうです、横浜の大学でのオープンキャンパスに参加した孫が東京駅で足止め...午後10時過ぎの新幹線にようやく乗れたそうで、ホッとしてる私です。とにかく日常の中でいつ何が起きるかわからない事実をいつも心の片隅に置き続けたいですね。今日の投稿写真と文章の内容が”チグハグに”なってしまいました。また写真も真冬ですね(笑)まあこんな事もあります。きょうの写真二枚は震災前、自宅前から撮った懐かしい情景です。どちらも旧南三陸町役場前です。なんかパソコンの中の写真を散策していたら...なんとなくア...役場前
志津川小学校体育館が私と家族の避難先でした。床に段ボールを重ねその上に配給の毛布を敷いての粗末な寝床です。止めどなく続く余震、予測不可能な動きに恐怖を覚える日々が約一ヶ月ほど続きました。自然の力には逆らうことできないと感じつつも、こういう状況の下で団結やお互いの助け合いは、心を温め、また力強さ、優しいさを感じたものでした。避難所での生活は自然と人々がまとまるんだなと、言葉で言い尽くせないほどの大切なことを経験しました。。あの日、母は防災頭巾をかぶっていました。見渡せば身に着けているのは母だけです。自分の手作りです。私が小学校6年の時です、昭和35年5月チリ地震津波で川沿いの自宅が1F天井まで到達した津波で被災しました。その時も四十数名が亡くなり...町中が津波被害で混乱したことが小さいながら心に残っていま...避難所...そして
希望
私の心は...あの日のままです。私のお店(自転車屋)の前の八幡川を撮った12枚の写真です。...人生って不思議なものですね。八幡川右岸~定点あの日から
街路灯の淡い明かりが川面に揺られ街並みを優しく包んでくれたこと覚えています。自宅の2階から撮りました。あの時の街は、どの方向にカメラレンズを向けても絵になりました。町の通りを歩けば、道端に立ち並ぶお店から漂う賑やかな話し声や笑い声。車が通り抜けるエンジン音。子供たちの足音人々の優しさ流れる穏やかな空気川面からの風がそっと私の頬を撫でる山並が夕陽に染まり昼間の賑やかさが...静寂へと震災から...信じられない速さの14年が経ちました。南三陸町は新しい町に復興しました。年齢を重ね過ぎてしまった私ですが、...あの町が恋しいのです。投稿した写真4枚は自宅前(震災前)から撮影です。隣が南三陸町役場で4枚目の写真は震災直後の役場前の堤防です。街あかり
遠くに水平線を見つめながら...あの日から14年あのまちいったい何処に行ってしまったんだろう。別に探そうとはしないけど、南三陸町志津川2007年撮影窓辺、
ここのところ、暖かい日が続きましたね。でも明日から冬の寒さに逆戻りだそうです。「あつささむさもひがんまで」春彼岸ごろまでには、寒さ和らいで欲しいですね、一輪ほどのあたたかさ
南三陸311メモリアル私としてはふらっと入館したのですが、思いがけないメッセージ展に出会い心温まりました。特別企画展:伝えたかった”ありがとう”...町民の方々の...震災当時の感謝のメッセージ展です。一人一人が思いを込めた文章を読み進むにつれ、当時の自分と重ね心があつくなりました。このメッセージの文章は私が実際居合わせた状況をしっかりと綴っていました。当時、私は志津川小学校体育館で約一か月ほど家族で避難生活(1次避難)をしました。紅白の垂れ幕を体に巻き付け寒さをしのいだ思いもよぎります。ある日...3月28日に避難所の体育館で卒業式をするとの広報でした。避難所全員で体育館を大掃除をしました。老若男女が一つとなり、子供たちの卒業式を迎えること、そして卒業式に参加できたことは一生の思い出です。私もこの状況を...思えばいと疾し
伝えたかった”ありがとう”南三陸311メモリアルで特別企画展として開催されています。開催期間:2025/1.4~3.31(詳細:開催期間をクリック)被災した私たちがいろんな方々からお世話になった思いを込めたメッセージです。南三陸311メモリアル伝えたかった”ありがとう”
日本製紙石巻工場、なんかこの場所久しぶりだ。よく考えりゃ何十年ぶりいや...この光景間近かで見るなんて初めてかも、記憶があやふやなぐらい...ずっと昔だ。自分が高校生(石巻工)だった当時...この工場「石巻パルプ」って呼んでてこの会社に入社できるのは”すごく”優秀で難関だった思いが蘇りました。まあ私は東京の自動車メーカーに入りましたが...50年以上も前の話です。この日は日曜日、石巻工業港周辺には人子っ一人も見当たりませんはじめそろそろだんだんと大胆に、カメラ片手に、自分のペースで心地よい時間を過ごしました。石巻工業港石巻港
この頃の天気、移ろいやすく儚い気がします。土日と昨日の昼まではホンと春を思わせるような暖かさだったのに、午後からは急転直下の真冬の寒さには...驚きました。今日のブログ投稿写真は急転直下のちょっと前に撮った...ウキウキワクワクいつもの散歩道でした。やっと見つけた”ばっけ”フキノトウです、今年はいつもの年より、すごく遅い、やっぱ気候変動のせいかな、散歩道には、赤南天まだまだ...こんな感じで冬枯れの無表情さを支えてきました。フクジュソウも見つけました。散歩道、私の一息つくところです、急な坂道、お店から(じてんしゃ屋)600歩。オオイヌノフグリとナナホシテントウ虫を見つけました。もうすぐ春ですネェ~カーブミラーが私の散歩コースの最終地点です。お店から急な坂道を上りきって1100歩。南三陸入谷鏡石春告げる
見上げてごらん
南三陸町志津川湾はラムサール条約の登録地。コクガンは国指定天然記念物、絶滅危惧種に指定されています。コクガンは水鳥でガンの仲間です。ガンの中では唯一、海に生息しています。志津川湾は穏やかな波とエサとなる海草であるアマモが豊富なため重要な越冬地となっています。コクガンは越冬の地を求めて遠く北極海沿岸シベリアから越冬のため南三陸町志津川湾に渡って来ます。コクガンは全身が黒っぽい色で、首に白い首輪模様が特徴の渡り鳥で...海で越冬します。。今日の投稿写真5枚は1月5日の日に撮影しました。撮影からもう3週間経ちました。もしかしたら「「北へ旅立」ったかもしれません。南三陸町戸倉波伝谷コクガン~志津川湾
誰もいない海辺の渚で...「ウニ」が...寂しそうにポツンと、遠くをみつめるその様子はなぜか悲しそう...「哀愁が漂う」上の写真、この状況を”撮る”ので精一杯でした。...”採る”なんて「そんなこと、できるわけない」ワタシです。引き潮に乗って海に帰って!と...願うばかりの「新春の海」でした。巷の話題は、東京豊洲市場「ウニ」の”初セリ”が400gが700万円で落札されたそうです。落札した鮨店では一貫40万円の値段だそうです。南三陸サンオーレ袖浜新春~誰もいない海。
散策路にヤマボウシの花を見つけました。葉っぱの上に白い花がちょこんと咲いてます。ヤマボウシの花が咲く季節は、初夏の訪れを告げる美しい時期です。風もなく穏やかで過ごしやすいこの季節を心ゆくまで楽しみたいと思います。南三陸入谷鏡石ヤマボウシ
小川のせせらぎと、静寂と、新緑と..山あいの蕎麦処で、.挽きたて打ちたて茹でたて「三たて・そば」を楽しみました。写真は蕎麦処から車で1分ほどの「カフェ・iPPO」・カフェインにはすごく敏感な自分です。カフェの窓側の席から見える窓の外は、カフェインが功を奏したか...「meditation」登米市(私のお店から15分ほどのドライブコース)はじめての一歩
散策するには風もなく穏やかで空がどこまでも青く気分上々。もちろん見渡す限り自分一人だけ、日中でもこの道を通るのは畑や田んぼで作業する農家の方...数人ほどで一般の人はほとんど通りません。この道は私のお店の横から続き、歩き始めから凄い急な坂道で400歩程進んだところで撮った1枚目の写真です。あとは緩やかな上り坂が500歩続きます。自分にとっては散策コースであり、腰と膝を手術した体の機能強化も兼ねています。とにかくこんな天気、ずーっと続いてほしいものですね。南三陸入谷鏡石毎日できるだけ少しづつ
2枚の写真アップしましたが、たまにはこんな感じの写真もいいものです。暗い部屋なのでISO感度を上げて、手持ちで撮りました。カメラブレか、レンズブレか、自分の手が高齢で震えてるのか(笑)、写真がボケてます。三脚を使ってしっかりと固定して、じっくりと「心行くまで」撮ってみたいものです。安らぎ
里若葉や山若葉が薫る頃になりました。見上げれば、五月晴れ、若葉風が私の顔をなぞり通りすぎていきました。新緑の候...
私にとって懐かしい写真です。4枚アップロードしました。1枚目の写真はお店(自宅)の2階から八幡川の川面に映り込んだ街路灯をパシャリと撮りました2枚目の写真は...その街路灯が写真の真ん中に写っています。私のお店の前からの撮影です。現在は存在しない街並みで「もう二度とない」貴重な光景です。3枚目の写真、今となっては「もう二度とない」光景を背後から撮影、「修理」のぼりと看板が我が家です。その奥が町役場です。2・3枚目は八幡町行政区、夏まつりの山車で休憩、八幡川の堤防に腰かけて...「いっぷくのひと時」下の写真を説明します。左端の白い看板が我が家です。中央の大きな建物が南三陸町役場。その隣の四角い白い建物が:防災庁舎。赤い屋根の建物が第2庁舎。そして下の写真2枚「未曾有の出来事」...2011/3.11東日本大...街路灯
この写真の桜満開の光景に出会ってから13年になりました。時の流れにはホンと驚きを感じざるをえません、そして私もずいぶん年を重ねてしまいました。年を取るたび思い出すことがあります。遠くに過ぎ去った...少年時代.時間を見つけては野球に明け暮れました木の棒をバットにしての素朴な野球ですが美しい夕日の中で夢中になってボールを追いかけたものです。まあ、思い出はたくさんありますが青空に残された私の心は...いつも春爛漫なんですよ。満開の桜の下で、
震災2011、3.11
2011年3月10日、東日本大震災発生一日前の私のブログです。↑クリックお願いします。私の友人の愛犬ポニーちゃんが2011年3月8日に亡くなりました。3月10日に町営火葬場にてペット火葬としてポニーちゃんを見送りしました。火葬に立ち会った3人、喪主の友人と節ちゃんと私と...後日ポニーちゃんのお別れ会やろうねって、...約束。その約束が...いまだに約束のままです。13年経った今でも、節ちゃんが津波で流されてから13年がたちました。震災一日前
2011年3月9日、東日本大震災発生の2日前の私のブログです。↑クリックして下さい。小学生のころチリ地震津波を経験しています、八幡川を溯ってきた津波で自宅1階が被災しました。津波経験があるので毎年5月24日、町の津波避難訓練には欠かさず家族で参加していました。「地震があったら津波の用心」「高台に逃げる」が家族の言い聞かせで...志津川小学校の高台と決めていました。高齢の父と母は(当時)寝るときはいつも懐中電灯、母は防災頭巾を枕元に用意していたことを思い出します。震災二日前
信じられないぐらい時の経つのが早いものです。もう13年も経ってしまったんだと思うものの、頭の中は、いまだに3月11日午後3時14分最初の津波が到達した時です。一瞬にして多くの命が奪われ、明るくて楽しい街が消えた日で忘れることができません。...その瞬間を手が震え、体が震えながらカメラに収めました。ファインダーを覗く頭のなかは、この瞬間今。...誰かが亡くなっていく、このまま撮り続けていいのか自問自答しながら、シャッターを切りました。襲ってくる黒い波は、不安で死を身近に感じた瞬間でもあり私にとって一生忘れられない日です。あれから13年になります。
目が覚めると外は雪景色、予想もしない風景でした。お店までは車で10分ほど、久しぶりの雪道運転です、4WD(軽トラック)にシフトチェンジして慎重な運転でした。雪道はスリップしないように走行するのが大切で緊張します。夕方のニュースでもスリップ事故が多発してると伝えてました。南三陸は午後から晴れ間も見られ...今夜は氷点下4度らしい、明日の朝の道路の凍結が心配だ、とにかく慎重な運転(予測運転)ですね。雪道
2月半ば過ぎ、この時期に...私の散歩道に「菜の花」咲がく何んてすごく信じられない光景。新しい始まりを感じることはイイことだし、冬から暖かな春がやってくることは嬉しいことだ。でも1月の天気も2月の気温も、何んか...変だ!今日の南三陸は...気温2℃一日中雪降り。昨日は天気晴れ、気温18℃。(異常気象だ!)「菜の花」が咲く...自然の贈り物には心豊かになれるし、風に揺れる菜の花に気持ちが踊ります(笑)とにかく去年の夏のような異常な暑さが”無い”平穏な気候を願うばかりです。菜の花
縁日...久しぶりに聞く言葉で懐かしくうれしくなります。子供のころ...自宅(八幡町)の隣が町役場でその隣に八幡神社がありました。まあ...境内は勉強の合間の遊び場でした(笑)春や秋の祭りの縁日には境内に舞台が作られ夕方になると...裸電球で浮かび上がる「お神楽の舞」がとても幻想的で今でも夢を見ます。いちばんウキウキしたことはやっぱり出店、かき氷やワタあめ焼きそば、ヨーヨー金魚すくいに的あて、それに八幡町打囃子に獅子舞。とにかくあの頃はすごく楽しかっし友達との絆も深まった気がする。遊び場だった八幡神社も昭和40年代半ばころ現在の場所(上の山)に移転しました、神社本殿を解体せずをコロなどの上に乗せ、大勢の人が引いて数百メートル移動した様子を見ていて...寂しくて虚しくて今でも記憶に残っています。まあ遠い昔の...縁日
南三陸町震災復興祈念公園祈りの丘「上りきる」となると達成感や満足感がカラダ中にみなぎるし、自分のペースで進むことができる、「上り詰める」となると何か息が苦しく追われるようで苦痛...でも「上り詰める」とあの👆「大空」がすべて自分のものになる。まあ歳を重ね過ぎた自分ですがまだまだ「夢の途中」なんです、夢の途中
南三陸志津川漁港白熱電球や蛍光灯そしてLEDは寿命が長く、消費電力も低いので多くの照明器具に使われるようになりました。でもブログ写真のような裸電球をみると嬉しくなります。多分この明かりは漁師さんが大魚の喜びや仕事の誇りを照らす裸電球だと思います。温かみのある光が魅力的な裸電球は、私の気持も穏やかにしてくれます。甲板の明かり
フキノトウの芽が出る時期は、地域によって異なるとは思いますが、私の散歩道のこの場所では1月の初旬には見かけます、しかし、今年はこの時期になってもフキノトウが数個。どうやら昨年から続く暖冬が影響してると思っています。またこの時期に見かけたことのないキノコを見つけました。食べられるかは分かりませんが写真だけ撮りました。とにかく私の散歩道は異変なのです、フキノトウやキノコだけでなく他の野菜や果物にも影響することが気になります。...気候変動が心配です。ちょっと異変、
南三陸志津川黒崎バイク出張修理の帰り道です。ホンとは店に持ち帰っての作業と決め込んだですが、現地でスムースに仕事が終えたので...まあ自分のこころの中で少し余裕が出来たんだと思う、いつも仕事で通る海岸線の道沿いなのですが、この景色「目で追う」ぐらいでした。この日は天気もイイし、風もナイし、膝も腰も快調!もう誰もいない海...。だったので、消波ブロック
気持ちを変える、気分を変える...やっぱり「海」釣り師:畜産業の友人は夕方、牛に「エサやり」終えてからほぼ毎日...ここの堤防から釣り糸を垂らします、本人曰くよほど天候が悪くない限りだそうです。この日は天気もイイし、それほど寒くないし、風もなく散策日和の堤防を歩いていると偶然、釣り師に「出くわした」昼近くです。堤防に腰を掛け”釣り師”の垂れた釣り糸の先をジーっと息を殺しながら見つめる。すると...なんということでしょう瞬く間に見事2匹吊り上げました。大きな目が特徴の「メバル」(カサゴ目メバル科メバル属)透明感のある白身魚で、味わいにクセもないので生食でもおいしくいただける魚です。加熱するとやわらかく、熱を通してもかたくならないので、煮物や揚げ物などさまざまな料理に使われます。人に気兼ねなく、のびのびするの...リフレッシュ
登米市米谷(北上川)HereComestheSun