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しろみ茂平の話 https://blog.goo.ne.jp/mobira

「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末

しろみ茂平の話
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2014/12/11

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  • ”ミスタージャイアンツ 勝利の旗”

    昭和30年代は、プロ野球も大相撲もプロレスも隆盛を極めた。活躍すればすぐに、漫画になり、歌になり、映画になった。雑誌やラジオで活躍を知る国民は、スクリーンで動く姿に狂喜した。管理人の記憶だと、最初の映画はプレレスの「力道山」。世界一強いと言われた。ほぼ日本人全員が、「リキは世界一強い」と思っていた。映画は”怒涛の男力道山物語”天才少女歌手だった美空ひばりが出演。次は相撲の大関・若ノ花。”土俵の鬼若ノ花物語”人気大関・若ノ花が全勝中に、長男が事故死。この悲劇で大相撲と若ノ花の人気は天に昇る状態となった。当時、日活を代表するスターだった北原三枝が映画で若ノ花夫人で副主演。裕ちゃんもちょい役で出ているみたいだ。その次は日本シリーズ4勝の稲尾和久投手。「神様・仏様・稲尾様」、その興奮が冷めないうちに即時映画化され...”ミスタージャイアンツ勝利の旗”

  • 村上三島

    場所・愛媛県今治市上浦町井口「村上三島記念館」大三島は大きな島なので、二つの町があり島の東側が広島県に接する「上浦町」、西側が大山祇神社がある「大三島町」。現代書家を代表する村上三島さんも上浦町で生まれ育った人。三島さんは書道の発展や交流にも尽力され、功績があった。(右側が三島さん)館内は、「文化勲章」が展示され、「部屋」が再現され、道具類も置かれている。展示作品の数は多く、書道好きの方は必見のミュージアム。・・・【今治市HP】村上三島について村上三島(本名正一)は、大正元年(1912)8月25日愛媛県越智郡瀬戸崎村(現:今治市上浦町)に生まれました。幼少の頃両親とともに大阪府三島郡吹田町(現:吹田市)に移りました。号三島は、生まれ故郷の大三島(上浦町)と三島郡という二つの地名に由来し、故郷への思いを物語...村上三島

  • 曽我梶松

    場所・愛媛県今治市上浦町井口「村上三島記念館」写真中央が「曽我梶松之像」。上浦町出身で旧内務省の人。官選知事の時代に福岡県知事等を歴任したが、戦後”公職追放”された。・・・データベース『えひめの記憶』曽我梶松(そがかじまつ)明治29年~昭和43年(1896~1968)昭和戦時下の三重・熊本・福岡県知事。明治29年3月24日,越智郡顔戸崎村(現上浦町)で曽我保太郎の四男に生まれた。愛媛県師範学校・東京高等師範学校を卒業して岡山県師範学校教諭に奉職したが,やがて京都帝国大学経済学部に入学,大正12年卒業した。在学中文官高等試験に合格,愛知県郡長・事務官を振り出しに,昭和17年10月三重県知事に就任した。昭和18年7月には東北地方行政協議会参事官になり,農商務省生活物資局長を経て,昭和19年8月熊本県知事,20...曽我梶松

  • 先田通夫

    場所・愛媛県今治市上浦町井口「村上三島記念館」愛媛県大三島にある「村上三島記念館」の前に、3人の胸像がある。最初の胸像は「先田通夫之像」。初めて聞く名だったので、調べてみると氏の名は「さきだみちお」と読むそうで、元・愛媛県越智郡上浦町長元・愛媛県議会議員、元県議会議長元・上浦町名誉町民地元の上浦町と愛媛県政に尽力された方だった。訪問日・2025年5月31日先田通夫

  • 大山祇神社の一人角力(御田植祭) (愛媛県今治市大三島町宮浦)

    日時・2025年5月31日大相撲は、ここ4~5日新聞テレビで新横綱「大の里」の誕生、大横綱「白鵬」の協会脱会、で騒がれている。四国の大三島にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)では昨日、「一人角力」があった。大相撲に負けないほどの手に汗握る熱戦を見ることができた。角力は「精霊」が勝った。精霊が勝った年は豊作間違いないそうで、現在、国の備蓄米を放出する政府にとっても、それを買い求める国民にとっても良いニュースとなった。・・・相撲のあと、斎田で田植えがあった。大三島に住む16人の早乙女たちが、昔ながらの田植えを行った。大山祇神社の一人角力(御田植祭)(愛媛県今治市大三島町宮浦)

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