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  • 法華宗陣門流総本山 長久山 本成寺(新潟県三条市西本成寺)

    訪問日令和3年6月5日法華宗陣門流総本山長久山本成寺永仁5年(1297年)日印聖人によって開かれた法華宗総本山である三門<赤門>(新潟県指定文化財)天文年間(1532~54年)の戦乱で焼失日修聖人が再建を発起、棟札によると天明6年(1786年)竣工朱塗りのため「赤門」と呼ばれている三手先詰組で全体に禅宗様でまとめられている扁額には山号の「長久山」仁王像一眼レフのレンズでは撮れず、スマホのカメラを使用大毘沙門天王大持国天王参道両脇には、十カ寺の塔頭寺院宝物殿水門寺務所鐘楼(三条市指定文化財)宝暦8年(1758年)の火災後、明和7年(1770年)の建築先代の梵鐘は、第二次世界大戦で供出された現在の梵鐘は、昭和27年(1952年)に鋳造された多宝塔(三条市指定文化財)多宝塔は本来、下層部が方形で上層部が円形になってい...法華宗陣門流総本山長久山本成寺(新潟県三条市西本成寺)

  • 新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市関原町1丁目字権現堂)

    訪問日令和3年6月4日新潟県立歴史博物館旅行中の雨対策として近くの博物館に立ち寄る震災復興モニュメント「大地の女神(ビーナス)」新潟県立歴史博物館入口常設展示室に入る新潟県の歴史展示を中心に縄文時代の文化や新潟県の歴史・民衆生活に関する資料などを展示している入室して驚いたのは展示の仕方である他の博物館でも縄文土器を観てきたがこのような展示は初めてで驚いた照明の使い方やデザインなど立ち止まって観てしまうほど秀逸だ「威奈大村骨蔵器」「柿崎古墳」「源頼朝による地頭補任状」建久3年(1192年)「奥山荘波月条絵図」鎌倉時代地頭の遺産相続争いの際に、証拠資料として作成されたもの「長尾景虎書状」(上)「上杉輝虎署判覚」(下)「上杉景虎感状」(左)「上杉政虎感状」(右)「上杉謙信画像」江戸後期「川中島合戦図屏風」「北征将軍仁...新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市関原町1丁目字権現堂)

  • 良寛記念館 その2(新潟県三島郡出雲崎町米田)

    訪問日令和3年6月4日良寛記念館その2「風竹粛疎月一痕」山岡鉄舟書「伝老中土井利勝宛」伊達政宗書「村主蒼生有功大人」上杉篤興画・賛「貞操嫁家鏡夫子」上杉篤興画・賛「永保蒼創家」朴泳孝書「正蔵大権現」扁額「山以鎭静容」朴泳孝書「双鯉如夢撫枕吟」都知多眞彦書「男兒至比是豪雄」渡邊國武書「良寛立像」「桜花敬鳥」「心如花酔」長三州書「大丈夫象意」勝海舟書「大賢緯變不倒崩」勝海舟書「雪中山水図」洞雲(狩野益信)画「中華仙人図」長谷川等益画「冷倣瀑布の図」皆川和堂画⑫沙門良寛書「あさづくし」⑬良寛書「十字街頭乞」「普賢菩薩警世偈」黄檗悦山書⑭良寛書「今日乞食逢驟雨」「竹の図」天民(大窪詩仏)画⑮良寛書「袖裏毬子直千金」「小堀遠州政一図画詞書」小堀遠州政一画展示されていた作品を観て、撮った良寛に関する書籍良寛座像旅立ちの丘佐...良寛記念館その2(新潟県三島郡出雲崎町米田)

  • 良寛記念館 その1(新潟県三島郡出雲崎町米田)

    訪問日令和3年6月4日良寛記念館その1朝から断続的に強い雨が降り、予報も終日雨道の駅で美術館や博物館などを検索してみると近くに良寛記念館があった出雲崎は、元和2年(1616年)佐渡からの金銀の陸揚げ港として、代官所が置かれた直轄地「天領」となった良寛記念館は、良寛の遺墨と芸術を顕彰するため、生誕200年の記念事業として昭和40年(1965年)に開館筆塚の詩碑耐雪庵耐雪とは、記念館生みの親・佐藤吉太郎氏の号庵は良寛が仏道修行につとめ、独自の芸術を大成させた「五合庵」を模したもの世界一の巨大硅化木二千万年前に青森地方に生育していたオランダスギに近い樹種が硅化したもの亀田鵬斎書釧雲泉の碑一部を拡大してみる釧雲泉の墓開館時間午前9時から午後5時まで受付にて写真撮影の手続きをする(住所・氏名の確認)長い回廊の奥に展示館が...良寛記念館その1(新潟県三島郡出雲崎町米田)

  • 瑞応山 東福院(新潟県刈羽郡刈羽村大字赤田北方)

    訪問日令和3年6月3日瑞応山東福院この寺には宝物が多数あるとの情報があり訪れた山門天保年間以前の造営山門前の石仏扁額の文字が読めない案内板多数の宝物というのは刈羽村指定文化財だと云うことが分かった調べてもこの寺の情報がほとんどないここに記載されている由緒が貴重な情報となる参道を歩くと正面に本堂が見えてくる初めて訪れる寺なので左側の方から回ってみる祠境内は緑に囲まれ美しい経蔵(刈羽村指定文化財)慶応3年(1867年)建立明治17年(1884年)出火の際に本堂他伽藍を焼失したが、経蔵は焼失を免れた彫刻堂内の様子鐘楼梵鐘(刈羽村指定文化財)天保2年(1831年)再々鋳各所に観音像が浮彫されている西国三十三カ所石仏本堂寛正2年(1461年)上杉謙信の4家老の1人である赤田城主斎藤下野守によって開基された本尊は聖観音菩薩...瑞応山東福院(新潟県刈羽郡刈羽村大字赤田北方)

  • 東山 延命院 大泉寺(新潟県柏崎市大清水)

    訪問日令和3年6月3日東山延命院大泉寺重要文化財の観音堂があるということで訪れた幹線道路から狭く曲がりくねった山道の上りを車を走らせる途中、最近はほとんど目にしない「警笛」鳴らせの標識も数カ所ある文化財案内板駐車場に着いたときには精神的に疲れてしまい、車内から案内板をぼんやり眺めていた初めて訪れる寺のため、この内容は後々役にたつ案内では「木喰上人木額(市指定文化財)」となっていた木喰上人が詠った詩を自ら刻んだ木額らしい「小安地蔵尊」が文化財だと勘違いしていた納経所・庫裡本堂真言宗豊山派の寺院本尊:阿弥陀如来彫刻参道を進む観音堂(重要文化財)朱鳥元年(686年)泰澄禅師によって創建されたと伝えられている戦国時代には、越後守護上杉房能、越後国主上杉謙信・景勝等が参詣し、武運の長久を祈ったとも伝えられている永禄2年(...東山延命院大泉寺(新潟県柏崎市大清水)

  • 大佛山 楞厳寺(新潟県上越市柿崎区芋島)

    訪問日令和3年6月3日大佛山楞厳寺(りょうごんじ)国登録有形文化財があるということで訪れた案内板初めての寺院の場合は説明文を読むようにしている10数m歩くと8割は忘れてしまうのが残念なところだが……(笑)階段を上る山門(国登録有形文化財)山門は柿崎城の搦手門を移築したと伝わる切妻、茅葺、四脚門、間口3.5m扁額には山号の「大佛山」雑草にも優しい茅葺きの屋根六地蔵石仏群この仏像だけが覆われ護られている名のある仏像なのか……これまで全国各地で多くの仏像を拝観してきているがこの印相は見たことがない調べてみても全く分からないお手上げ状態という意味なのか(笑)こちらは「考える石仏」か……(横道に逸れた)本堂(国登録有形文化財)曹洞宗の寺院創建は天文13年(1534年)に上杉謙信の四天王の一人柿崎和泉守景家が開基となり林泉...大佛山楞厳寺(新潟県上越市柿崎区芋島)

  • 医王山 米山寺 密蔵院(新潟県上越市柿崎区米山寺)

    訪問日令和3年6月3日医王山米山寺密蔵院道の駅に置かれていた資料を参考に訪れた寺号標はあるが周辺に寺らしきものが見当たらない道路脇に車を駐め、石仏を撮りながら、誰かが来たら尋ねようと思っていた人の気配もなく、周辺を歩くと農作業をしている人がいたので声を掛けた石段を上がったら寺があると作業の手を止め教えていただいた石段を上がると広い場所にでたが建物はなかった更に先に進むと、奥に建物が見えてきた左手には石仏も見えてくる穏やかな顔をした石仏だ庫裡境内にある大きな建物は2つのようだ護摩堂真言宗豊山派の寺院密蔵院の創建は和銅5年(712年)泰澄大師(白山を開山した修験道の高僧)が開山したと伝えられている江戸時代後期の御堂建築で、入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、正面1間向拝付米山薬師は越後富士の異名がある米山(標高:993...医王山米山寺密蔵院(新潟県上越市柿崎区米山寺)

  • 歓喜踊躍山 浄土真宗興行寺<浄興寺>(新潟県上越市寺町2丁目)

    訪問日令和3年6月2日歓喜踊躍山浄土真宗興行寺<浄興寺>初めてと思ってきたが、駐車場に駐めた瞬間、訪れた事のある寺院だと気付いた山号は歓喜踊躍山(かんぎゆやくざん)正式寺号を浄土真宗興行寺という山門山門は駐車場の反対側にあり、近道もあるが遠回りしてみた真宗浄興寺派本山の寺院で、山門に「本山浄興寺」の額山門から本堂へ向かう境内の左右に9か寺の末寺が並んでいる最盛期には越後・信濃・出羽の三国に約90か寺の末寺を従えたという山門の正面に本堂が見えてくる親鸞聖人像浄興寺の開山は浄土真宗の開祖親鸞である鐘楼聖徳太子堂堂内の聖徳太子像は親鸞が常陸の国稲田郷にいた時から日夜奉仕していたもの経蔵本堂(重要文化財)延宝7年(1679年)頃建立正面に三間の向拝を付けた一重、入母屋造り杮葺き間口28.2m、奥行27.8mの大規模仏堂...歓喜踊躍山浄土真宗興行寺<浄興寺>(新潟県上越市寺町2丁目)

  • 安国山 華蔵院 五智国分寺(新潟県上越市五智)

    訪問日令和3年6月2日安国山華蔵院五智国分寺聖武天皇の詔によって建てられた越後国国分寺を継承寺伝では永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地に移転・再興したという「如意輪観音」と書かれた小さなお堂如意輪観音像は艶めかしく好みの仏像だが……この石仏はシンプル過ぎて滑稽な感じがする山門(上越市指定有形文化財)扁額には山号の「安国山」仁王像左右2体の仁王像は天保7年(1836年)の作筆塚芭蕉句碑250年も経つと彫られた文字も風雨に曝され消えてしまうそれでも「薬欄にいづれの花を草枕」と記された文字のいくつかを確認することができた千代垣素直(ちよがきすなお)の碑群石仏経蔵(上越市指定有形文化財)元禄6年(1693年)の建立、市内では最古の建造物蔵内には、元禄5年(1692年)の寄進銘を持つ「鉄眼版一切経」が納められている...安国山華蔵院五智国分寺(新潟県上越市五智)

  • 居多神社(新潟県上越市五智)

    訪問日令和3年6月2日居多神社(こたじんじゃ)10数年前に近くの寺で地元の歴史研究家から声を掛けられた見て貰いたい場所があると、この神社と親鸞聖人上陸の地に案内して頂いた地元の歴史研究家から「片葉の芦」の説明をして頂いたことを思い出す居多をコタとは読めず、今でも「イタ」と口に出る調べてみるとイタと呼ばれていた時期もあったようだ南北朝時代以降は、守護上杉家からの崇敬を受けて越後国の一宮に位置づけられたとされる<越後国の一宮として知られる神社には彌彦神社がある>鳥居手水拝殿居多神社は「気多神」を祀る神社と考えられており、兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされる扁額には「居多大明神」堂内祭神大国主命(おおくにぬしのみこと)奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)-大国主命の妻建御名方命(たけみ...居多神社(新潟県上越市五智)

  • 能生白山神社(新潟県糸魚川市大字能生)

    訪問日令和3年6月1日能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)駐車場から100mほど歩き最初にこの建物が眼に入ってきたこれが社殿だとは気付かずにいた一の鳥居幹線道路から鳥居横にある狭い道路に入ってきた運転に集中していたのか、鳥居も社号標も眼にはいらなかった参道を歩く奥に見えるのは国指定天然記念物の「能生白山神社社叢」手水舎階段を上る二の鳥居狛犬この建物の横に「重要文化財本殿」の案内板があったのが原因だと思うが大きな誤りに気付いた額には社号の「白山神社」<正式名称>誤りとは、この社殿は本殿ではなく「拝殿(糸魚川市指定有形文化財)」であった写真の裏付けをするため文化遺産を検索していて社殿の違いに気付いた当時は夢中になってこの社殿を撮っていたが、今はかなり落ち込んでいる(涙)拝殿内の様子拝観後2ヶ月経って間違いに気付いた...能生白山神社(新潟県糸魚川市大字能生)

  • 明日山 法福寺(富山県黒部市宇奈月町明日)

    訪問日令和3年6月1日明日山法福寺山門切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門近づいてみると仁王像が安置されていた仁王像隙間にレンズ突っ込み撮影している姿は他者からは不審な行動だと思うタイミング悪く(良く)地域を警邏中の警察官から声を掛けられた人里離れた寺に県外ナンバーの車人相の悪い爺に不審な行動、仕方がない……キャンピングカーで寺社巡りをして写真を撮っている事を説明これまで何度も職務質問を受けているので慣れている免許証にて人物確認を終え終了近隣の出身とのことで、この寺の歴史について説明してくれた気持ちの良い若者で困った事が起こったら連絡して下さいと名刺も渡された案内板参道本堂参道の先に本堂が見えてくる創建は平安時代初期の大同元年(806年)に幻識大和尚により開かれたのが始まりと伝えられている当時は寺運が隆盛し境内...明日山法福寺(富山県黒部市宇奈月町明日)

  • 小川山 千光寺 (富山県魚津市小川寺)

    訪問日令和3年6月1日小川山千光寺初めて訪れる寺で予備知識もない調べてみると、創建は奈良時代の天平18年(746年)に行基菩薩により開かれたのが始まりと伝えられている山門切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門由緒往時は16坊を有したが、天文20年(1551年)長尾景虎(上杉謙信)が魚津城を攻めた際に魚津城城主が千光寺に逃げ込んだところを攻撃し13坊が焼失存続しているのは観音堂のほか、心蓮坊、光学坊、蓮蔵坊の三坊山門扁額には「大悲殿」大悲殿とは聖観音や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のこと仁王像いつものように隙間にレンズを突っ込み適当に撮る考えて撮るより迫力ある写真になる(笑)階段の奥に建物が見える階段の左右には小さな祠がある扉を開き、合掌した後に不動明王像を撮る階段を上りきったお正面に仏様が...小川山千光寺(富山県魚津市小川寺)

  • 櫟原神社(富山県滑川市神明町)

    訪問日令和3年6月1日櫟原神社(いちはらじんじゃ)道の駅で最寄りの有名寺社で検索し訪れた神社である数100m狭い生活道路を走らなければならず、右左折に苦労した奥に見えるのが海で、境内は公園のようになっている一の鳥居(登録有形文化財)石造明神鳥居間口4.6m、高さ4.5mの規模で、内転びの柱に貫を通し、その中央には額束を建てる二の鳥居(登録有形文化財)拝殿を望む方向に建つ石造鳥居間口3.5m、高さ3.9mの規模で、貫の両端を柱の外に延ばさない中山鳥居である拝殿屋根の修復作業中であった扁額には社号の「櫟原神社」横に移動してみる拝殿と幣殿本殿祭神は素盞嗚命創祀は大宝元年(701年)道祖神数年前の写真では木造の鳥居であったが、違和感がありすぎる(笑)琴比羅社本殿の後方に琴比羅社がある同じ敷地内にあるが、社号標もあり別の...櫟原神社(富山県滑川市神明町)

  • 眼目山 護国殿 立山寺(富山県中新川郡上市町眼目)

    訪問日令和3年5月31日眼目山護国殿立山寺(りゅうせんじ)眼目村は上市川扇状地の扇頂部平野および段丘上に位置し、咲花とも察花とも記された慶長10年(1605年)3代藩主前田利常が巡視した際、眼目山立山寺の由緒を聞き、察花の字を「眼目」にしてサッカと読むようにしたといわれる山号は眼目山(がんもくさん)で、町名の眼目(さっか)とは読み方が異なる駐車場横の「境内図」を確認し総門周辺に移動する総門含蓄のある言葉が記されていた参道栂の並木(富山県指定天然記念物)栂の木は北陸固有の呼称で、正式名称は樅(モミ)の木總持寺祖院から三大将軍家光の寛永期、十六世拗山是越大和尚時代に植樹されたと伝えられる300m続くという参道栂の並木を実際には歩いていないこの並木道を歩く人には下に駐車場がある六地蔵三門三門は400年前、左甚五郎の作...眼目山護国殿立山寺(富山県中新川郡上市町眼目)

  • 高岡山 瑞龍寺(富山県高岡市関本町)

    訪問日令和3年5月31日高岡山瑞龍寺富山県に入ると必ず訪れるのが「伽藍瑞龍」と云われる、この寺である総門(重要文化財)正面幅三間の薬医門形式で正保年間伽藍は、鎌倉時代広く我が国にもたらされた中国の寺院建築を模して建立されたもので、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列山門(国宝)住職お勧めの撮影ポイント(全ての建物が見える場所)現在の門は文政3年(1820年)の建立高さは約18m二重門で屋根は入母屋造、杮葺き上層と下層の屋根の出があまり変わらないのは、積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐため瑞龍寺は曹洞宗寺院だが、山号「高岡山」は黄檗宗の隠元が揮毫している仁王像仏殿(国宝)万治2年(1659年)の建立当初、屋根は杮葺きであったが、現材は総重量約47トンの鉛瓦葺き俗説では非常時に250万発の鉄砲...高岡山瑞龍寺(富山県高岡市関本町)

  • 雲龍山 勝興寺(富山県高岡市伏木古国府)

    訪問日令和3年5月31日雲龍山勝興寺平成10年(1998年)からの大規模保存修復工事が令和2年11月に終えた事を知り再訪総門(重要文化財)天保11年(1840年)建立高さ8.7m、桁行5.5m、梁間3.1m城郭を思わせる「鯱を」載せた高麗門形式唐門(重要文化財)明和6年(1769年)建立前後の軒に唐破風が付く間口6mの門明治26年(1893年)京都・興正寺より2艘の北前船を利用し移建扁額には山号の「雲龍山」平成26年(2014年)まで行われた修復で、銅板葺きから檜皮(ひわだ)葺きに復元された鐘楼経堂(重要文化財)文化2年(1805年)建立内部に極彩色の輪蔵を備える本堂(重要文化財)寛政7年(1795年)建立間口39.3m、奥行き37.4m、高さ23.5mの大型の仏堂国宝・重要文化財の建造物の中で、本堂では全国8...雲龍山勝興寺(富山県高岡市伏木古国府)

  • 金栄山 妙成寺(石川県羽咋市滝谷町)

    訪問日令和3年5月30日金栄山妙成寺(みょうじょうじ)国家に詠まれている「さざれ石」浄行堂(じょうぎょうどう)二王門(重要文化財)開山堂(石川県指定文化財)経堂(重要文化財)北前船の豪商西村屋忠兵衛の墓加賀騒動の大槻伝蔵の墓第十七世妙心院日莫聖人三代前田利常公長女浩妙院殿墓三代前田利常公生母尊福院殿墓五重塔(重要文化財)丈六堂(石川県指定文化財)焔魔堂三十番神堂(重要文化財)三十番神堂拝殿(重要文化財)三光堂(重要文化財)本堂(重要文化財)祖師堂(重要文化財)鐘楼(重要文化財)書院庭園(石川県指定名勝)書院(重要文化財)庫裡(重要文化財)撮影令和3年5月30日金栄山妙成寺(石川県羽咋市滝谷町)

  • 金沢競馬場(石川県金沢市八田町西1番地)

    訪問日令和3年5月30日金沢競馬場寺社巡りも楽しいが、時に息抜きがしたくなる全国の競馬場巡りも私の旅の目的の一つだ朝食後に福井県の道の駅で金沢競馬の日程を確認すると運良く開催日だった金沢までは100km弱の距離で、車旅をしている人間の感覚では近い(笑)コロナの影響で「ハッピーポイントカード」会員のみ入場が許可されていることを知って驚く旅行者だということを告げると、簡単な手続きと検温後に入場することができた金沢競馬場は今回が2回目でどこに何があるのかは検討がついている向かったのはパドック競馬新聞は購入せず、パドックと返し馬だけで馬券を購入することにした中央競馬を見慣れている人には違和感がある「出走馬掲示場」1Rに騎乗する騎手。地方競馬は礼儀正しく気持ちがいい1Rは金沢競馬所属騎手(21名)を代表する吉原騎手から購...金沢競馬場(石川県金沢市八田町西1番地)

  • 摩尼宝山 瀧谷寺(福井県坂井市三国町滝谷)

    訪問日令和3年5月29日摩尼宝山瀧谷寺(たきだんじ)H30(2019年)10月、近くにある東尋坊観光の後に立ち寄ったのが最初で再訪したいと思っていた全景図拝観料は500円だが、昨年の台風の被害を受け宝物殿拝観不可ということで300円だった「弘法大師像」真言宗智山派の寺院「総門」その昔、戦国武将の朝倉、柴田をはじめ歴代藩主が祈願のためにこの石畳を歩いたという「龍頭の水」この石の中央に手を上げた人の姿(佛かも)が見える不動明王鐘楼門(重要文化財)天正年間に、柴田勝家の寄進によって建立されたと伝えられている扁額には山号の「摩尼寶山」貞享4年(1687年)に智積院第七世瑞応泊如運敝僧正の筆元禄11年(1698年)の改修上部が鐘楼堂となっている両脇に供待を付設しているのも特徴的である本堂(重要文化財)南北朝時代の永和元年...摩尼宝山瀧谷寺(福井県坂井市三国町滝谷)

  • 曹洞宗 大本山 吉祥山 永平寺(福井県吉田郡永平寺町志比)

    訪問日令和3年5月29日曹洞宗大本山吉祥山永平寺山門前の様相が変わっていると思い調べてみると、平成25年(2013年)以来の参拝であった「日本曹洞宗第一道場」とあるように修行の厳しさを過去2回程見聞してきた「瑠璃聖宝閣」と明治百年記念国民体育大会「炬火採火の地碑」「天地観世音菩薩」「永平寺全景図」永平寺は堂内に入ると外に出ることができず、自分が何処にいるのか分からなくなる写真の整理の時にとても役に立つ「一葉観音」道元禅師が仏法を求め中国に渡り修行を終え、帰路の船旅で嵐に遭遇した一心に観音経を念誦すると、蓮華の花びらに乗った観音菩薩が現れ、風雨が静まった伝えられている右側の蛙は「無事帰る」なのか(笑)唐門<勅使門>(重要文化財)大瀧神社の美しい社殿(重要文化財)を建てた、大久保勘左衛門棟梁が手がけた門天保10年(...曹洞宗大本山吉祥山永平寺(福井県吉田郡永平寺町志比)

  • 大瀧神社・岡太神社(福井県越前市大滝町)

    訪問日令和3年5月29日大瀧神社・岡太神社平成30年秋の旅で一度訪れている社殿の美しさに驚き再訪したいと思っていた額には「大瀧神社・岡太神社」が併記されている狛犬手水舎観音堂(絵馬堂)神社に「観音堂」とは、明治時代の神仏分離令によるもの「木造十一面観音坐像(越前市指定文化財)」左手の神門が見えてくる本殿及び拝殿(重要文化財)約1500年前、「越前五箇」と呼ばれる川の上流に女神が現われ、村人に紙漉きの技を伝えたといわれている人々はこの女神を「川上御前」と崇め、岡太(おかもと)神社の祭神とした大正12年(1923年)には大蔵省印刷局抄紙部に「川上御前」の分霊が奉祀されて岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となった大瀧神社は推古天皇の時代、大伴連大瀧の勧請に始まり、養老3年(719年)に泰澄大師が、川上御前を守護神と...大瀧神社・岡太神社(福井県越前市大滝町)

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