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  • 巨人と長嶋

    少年時代は川上に、青年時代は長嶋に憧れた巨人ファンの爺も、92歳の今は寝床に横になって観戦しながら眠りの世界へ導かれる。翌日の新聞で巨人勝利の記事だけを繰り返し読んでいる。爺と同年代の長嶋さんが旅立たれたのは6月3日、午前6時39分という、背番号「3」や3の倍数になっている、享年89を「やきゅう」と呼んだり野球と長嶋は常に繋がっている。長嶋が立教大学から読売巨人に入団したのは、爺の結婚した昭和33年である。当時はまだテレビのなかったが、巨人戦は終了するまでラジオから離れることなく実況放送を聞いていた。長嶋のデビュー戦は、昭和33年4月5日の国鉄(現ヤクルト)戦で4打席連続三振だった。試合後に長嶋曰く、金田投手の切れのいいカーブとドロップに手が出なかった、さすが金田さんと。巨人と長嶋

  • 6月も中旬

    今日6月15日は次男が61歳に、20日には長男が66歳の誕生日を迎える。長男には3歳と1歳の孫が、次男には2歳の孫がいる、ひこ孫たちは爺を何と呼ぶだろう。東京板橋にいる次男が、9日から3日まで帰省して部屋の大掃除をしてくれた。寄る年波で日頃は居間、寝室以外は手抜きしている隅々まで念入りに掃除した後の気分は爽やか。理容学校の卒業後、長いこと勤めていた床屋さんが閉店してから自宅で家事に専念しているA子さん、爺もお世話になったが、13日午後、爺の髪のカットに我が家へ来てくれた。近くのスーパーでのこと、爺と同じ品定めしていたご婦人からアドバイスを受けて助かった。年齢を尋ねたら爺と同じ昭和一桁生まれで自動車免許更新したばかりだと言う。6月も中旬

  • 逸話の多い職員

    毎年4月1日付で新潟県の新規採用職員は県庁(本庁)で辞令を交付していた頃のこと、交付会場へ配属先の人事担当職員が出向いて職員との面談が行なわれ赴任に際しての説明をしていた。1982年(昭和57年)4月1日、爺が新採用のS君を迎えに行って面談をした。中央大学法学部卒で性格の明るい青年だというのが第一印象で、親子のような雰囲気で会話をした。合格後の面接で、新潟県の名産について尋ねられ、新潟の名産と言えばお米とお酒と答えるのが一般的だが、笹団子と答えたら面接官は予期しない答えに大笑いしたという話を聞いた。確か初出勤後、一週間ほど後だったか、まさかの麻疹にかかり実家まで公用車で運んだり、職員寮ではS君が持参した沢庵桶の匂いで大騒ぎになったり、逸話の多い青年だった。逸話の多い職員

  • 定期検診

    年に2回~3回、風邪をひく程度で息災を自負していた爺も人並みに寄る年波に勝つことが出来ず、2017年7月10日救急車騒ぎをして痛風と診断されてから、一日一錠の薬を飲むようになった。翌年年8月23日、突然の強い胸の痛みに襲われまたもや救急車騒ぎで筋梗塞と診断されて15日間の入院生活で7種類の薬を飲むことになり、痛風の薬と合わせて8種類の薬を飲み続けている。今は40日毎に主治医による年3回の血液検査をしながらの診察と薬の処方、年に一度はレントゲン、心電図、エコー検査と手術医による診察を、診察結果は治療を要するような異常はない。受診のあたり医師から検査数値によって、水分補給をこまめに、塩分を控えめに、たまごは一日おきに、生野菜、果物は控えめにと指導はあるが、92歳まで食べ続けた食習慣は変えない。定期検診

  • 大相撲への思い

    大相撲は、学生相撲出身力士は半数以上が関取に昇進するが、全力士600人ほどのうち関取昇進の確率は8~10%だそうで、幕下まで昇進したら成功したともいわれている厳しい世界である。現在の我が新潟の郷土力士は9人(幕下2人,3段目5人、序二段2人)だけ、場所ごとに勝ち越したり、負け越したりしながら伸び悩んでいるようで、関取がいないのが少々寂しい。大相撲5月場所も終わり、日本出身の大の里が横綱になって、全国の相撲ファンの喜びは計り知れなしい、とりわけ中学、高校時代は石川から新潟へ相撲留学された縁で新潟県民の喜びはひとしおだ。史上最速での横綱昇進は素晴らしい、横綱には強さだけでなく、品格や厳格さが求められ、礼儀作法が非常に重視されるのだと言う。願わくは、口上通りの唯一無二の横綱になって欲しい。大相撲への思い

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