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  • 映 画

    小学生の頃は清叔父さんに連れられ当時は活動写真と言っていたチャンバラ映画を、中学生の時は従兄の仁さんと、高校生の時は友達と、西部劇や探偵映画をよく見ていた。社会人になって昭和28年からの下宿生活だった独身時代の娯楽と言えば、映画、パチンコ、麻雀くらいである、交互に毎日を楽しんでいたと言っても過言ではないほど映画をよく見た。職場の先輩で映画館の娘婿の植木氏から時々招待券を貰ったり、給料日前の懐が寂しくなると、先輩の自宅へ遊びに行く。部屋に入ることは無く自宅続きの映画館に案内してくれた。昭和33年に結婚した翌年34年にテレビが入ってからは子供と一緒に漫画を見たり、映画やドラマを見る生活になり映画館へ出かけることはなくなり、今ではテレビもあまり見なくなった。映画

  • 大相撲 雑感

    我が郷土新潟県出身力士の中で唯一の横綱である第36代横綱羽黒山は戦前・戦後の優勝額を併せ持つただ一人の力士という、歴史に名を残す名横綱で郷土の誇りでもある。子供の頃から地方巡業の大相撲を見たり、ラジオ放送を父と一緒に聞いていたのを覚えている。羽黒山の他、双葉山、照国、男女川、名寄岩、大内山,吉葉山の名前が浮かんでくる。今場所は横綱照ノ富士、大関貴景勝、元大関朝の山と高安、先場所110年ぶりに新入幕で優勝した尊富士と休業する力士の多い中で、横綱候補と言われている大の里が場所を盛り上げている。相撲部屋での暴力沙汰が絶えない、有望視されている力士が協会を去って行くとのは寂しい、広く国民から愛されている日本の国技である大相撲から暴力を絶滅して欲しい。大相撲雑感

  • 集合住宅

    学生を対象にしたアパートやマンションが新築されているが、全室入居しているのだろうか、3月に我が家の東側に3階建て15室のアパートには新しい自転車が10台並んでる。アパート名は「アルチェ新大」、調べたらアルチェはイタリア語で「山頂、頂上、砦」のことだとか、最近の集合住宅の呼び名は、英語やフランス語やイタリア語が多いそうで、覚えにくい。「アルチェ新大」の向かい側には、爺がこの地に住み着いた平成元年には存在した二階建てのアパートが二棟があるが、改築する様子もなく今は入居者はいない廃屋状態である。当時は学生たちが、アパートの空き地に集まり、何やら楽しそうに語り合う情景が毎日ように見られ賑やかだった。声を掛け合って親しくなった学生もいた頃が懐かしく思い出される。集合住宅

  • ひ孫との対面

    5月4日、越後線新潟大学前駅に孫夫婦と1歳2か月になったひ孫の莉音ちゃん(女の子)を乗せた電車は11時22分定刻どおり到着、名前を呼んだら「にっこり」顔の可愛かったこと。家で待っていた家内との初対面でも同じにっこり顔、人慣れしているのか、泣くだろうかと思った心配が消えてホッとした。早速に莉緒ちゃんは持参したのお弁当を、食べっぷりの良いこと。我が家で4時間ほどの滞在中、家では見られない親子電話の受話器、うちわ等を手当たり次第に手に取りながら部屋中を歩き回りっていた一連の動作を両親がカメラに収めていた。さっそく受信した写真を見たら、写真は正直に映る。日頃は周りから年齢に見えないと言われているが1歳2か月のひ孫と一緒に写った91歳の爺の顔はやっぱり年老いた年齢通りの顔。ひ孫との対面

  • 公衆トイレ

    トイレの言い方には、いろいろあるが、昔の公衆トイレは全て便所と書かれていた。現代は男性は青色で、女性は赤色でのイラストがほとんどて、たまにお手洗い、化粧室などを見かける。爺が子供の頃の昭和10年代のお年寄りたちは厠(かわや)と言っていた。昔の日本の軍隊では公式の用語だったそうだが、ちなみに小生の爺ちゃん婆ちゃんはお手水(おちょうず)と言っていた。公共施設のトイレには、「トイレットペーパーを持ち帰らないでください」と書いた貼り紙が目立つ。あるところで、貼り紙の「ペーパー」の部分をマジックで黒塗りしてあり苦笑いしたことも。「トイレを綺麗に使っていただいてありがとうございます」という以前とはニュアンスが違った掲示が増えた。その効果が出たのか、掃除が徹底したのか、公衆トイレが綺麗で快適になった。公衆トイレ

  • 母の実家

    昭和10年代の田舎の小学校は、春、夏、冬休みの他に春と秋には農繁期休みがあった。爺は休みになると、しつけのためか、呉服店だった母の実家で過ごしていた時のことを断片的に覚えている。店は殆ど大婆ちゃん(祖父の姉)が針仕事をしながら接客、近郷近在からの馴染み客で賑やかだった。時には爺が店番を頼まれ、お客が来ると大婆ちゃんを呼んだり、針の溝通しを手伝ったりしていた。実家では5歳年上の叔父さん(故人)とは言え、お兄さん的な存在で夏は魚釣りに、冬はスキーに、爺の子守役をしてくれていたと思う。囲碁、将棋、麻雀に才長けた人だった。年の暮れの夜だつた、売掛金の集金のため祖父は大福帳を持ち手首に集金袋をかけ、爺は提灯を持ってついて行ったことがある。現金を受け取ると大福帳の記録を筆で消すことで受領書になる。母の実家

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