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  • 高齢者の交通事故

    福島市内で97歳の高齢者が歩道に突っ込み5人の死傷者が出る大きな交通事故を起こした。ブレーキ痕がなかったと言うから、またもやブレーキとアクセルの踏み間違いだろうか。高齢ドライバーの殆どは、自動車なしの生活は不便であり、運動能力の低下は感じているが免許返納するほど衰えていないので、まだ大丈夫だと思い込んでいる気持ちはよく分かる。高齢者の事故の半数は、認知機能での問題はないが、アクセルとブレーキの踏み間違い、高速道路の逆走など、大きな事故に結びつきやすいという傾向だとある。爺は8月に免許返納前の一年は、駐車場内でバックしながら壁にこすったり、停車中の車に当たったり、運転技能の低下と注意力が散漫になったことを自認して返納を決断した。高齢者の交通事故

  • タクシーでの買い物

    タクシーを利用してスーパーで買い物をするようになって3か月になる。月7回から8回ペースで利用するので、顔なじみになって親しく会話できる運転手もおられる。現在の新潟市のタクシー料金は、基本料金が570円から始まり80円づつ加算される。馴染みのスーパーまでの料金は、車の流れが良い時は730円、渋滞や信号次第で810円になる。タクシー業界はコロナ禍で人の動きが少ないので暇らしいが、朝は時間帯によって通院のための高齢者の利用、特にお天気の良い日は整形外科へ通院する高齢者の利用で混んでいるとか。運転手の客扱いも様々である、買い物をトランク保管してくれる人、帰りを予測してスーパー近くで待機してくれている人、降り易いように右のドアも明けてくれる人、たまに無愛想な人も。タクシーでの買い物

  • 障害者には親切に

    森喜朗元首相が、「杖をついていると身体障害者に見えて、みんなが大事にしてくれる」との発言にSNSで物議を呼んだ。本人は何が悪いのか分からないと言っておられたが、爺にも分からない。爺もひざ痛で、杖を利用するようになってから、ゴミ捨ての途中で散歩中のご婦人から「捨ててあげましょうか」と声を掛けられたが、お礼だけ申し上げ丁重にお断りをしたことがある。10年以上の前のこと、年に一度のOB会に出席するため、駅まで歩いていたら革靴のかかとが取れそうになり、片足をかばいながら歩いた。女子大生が席に座るまで寄り添ってくれた。身体の不自由な方に対する小さな親切は時々見かける自然な行為である。爺も数少ないが、体の不自由な方と出会えば、自然に横断歩道を寄り添って歩いたり、手荷物を持ってあげたりした。障害者には親切に

  • 新老人

    105歳の天寿を全うされた日野原先生が政府は75歳以上のお年寄りを後期高齢者と呼んでいるが、新老人と呼びたいと言っていた。確かに高齢者より元気で活動している老人に聞こえる。90歳になったとき新しいことをはじめたいと思い、老人が慰め合うだけの会ではなく、生き生きと活躍する社会を作るために「新老人の会」を立ち上げ、全国的に展開されていると言う。来年3月には90才になる爺、目がかすみ、耳が遠くなり、歯が無くなり、ひざ痛に悩まされながら、ブログの投稿と物書き仲間8人の新老人達と月に2回の集いを楽しんでいる。新しい事に挑戦する意欲も体力もないが、最後の予定としてブログ「爺の世間ばなし」の投稿数が1000回を超えたのを機に卒寿を記念して2回目のブログ百選を発刊しようと思っている。新老人

  • 鮒釣りとカジカ取り

    初めて魚釣りをしたのは小学校低学年の時である。お隣りの父と同じ鉄道員の斎藤さんから、釣り竿、糸、釣り針、浮き、重り一式を揃えてもらい、近くの農業用水池で鮒釣りを教えてもらった。餌は何処の家でもあった生ごみの捨て場からとった小さなミミズである。元気に動き回るミミズを小さな針に付けることから教わったが難しくて繰り返しながらコツを覚えた。去る8月に大水害に襲われた新潟県村上市を流れる荒川は、上級生に連れられて、水浴びをしたりカジカ取りをして楽しんだ懐かしい川である。河原で焼いた串刺しのカジカは美味しかった。木枠にガラスの窓が付いた四角形の箱メガネのガラス部分を水面に押し当てて水中をのぞきながら、カジカは前進するだけなので、カジカの前方に小さなタモ置いて捕獲する。鮒釣りとカジカ取り

  • 小学生時代

    昔々のことである、昭和14年から20年まで県北の小さな田舎の小学生時代はと爺に問われたら、良く遊び、遊び過ぎてよく眠り、良く学ばなかった6年間だったと答えるだろう。3年生だった昭和16年12月8日には大東亜戦争がはじまり、日本軍の勝ち戦だけを知らされながら、日本は神の国であるから絶対に負けないと教えられて、子供心に信じ続けていた。学校では、一般教科よりも軍人になるための体力づくりとして体育や行軍と称した遠足、水泳、スキー教育が、学校行事も薬草の採取、イナゴ取り、落穂ひろいなど奉仕活動が行われていた。国防婦人会と書いたタスキをかけた勇ましいお母さんたちの防空訓練があつたが、アメリカの爆撃機B29が飛来することもなかったので、戦災にも会わず穏やかな6年間だったと思う。小学生時代

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