西村文則氏の『大山元帥』に載せられている逸話から、現代表記に書き換え、一部要約しながら紹介したい。 元帥の散歩振り 元帥は非常に散歩が好きであった。まず午前中は、自邸の木立深き間を約一時(いっとき)もあるいて、午後は茶縞背広服を着て、裏門から千駄ヶ谷、原宿の貧民長屋の辺へ散歩する。それを警護の意味で、新宿署から特派の私服巡査がみえつかくれつ後をつけるのだが、元帥の足があまりに早いので、いつも元帥の姿を見失っては、大狼狽したそうである。 元帥麻酔中の熱弁 「喜怒哀楽を顔色に出さないといえば、まず故大山元帥位の人は珍しい」とは、生前元帥に親しんでいた周囲の人々が、誰しも口にした言葉であった。しかし…
伊藤博文に子分といえる存在が少なかったことは同時代の政治家が証言しているところである。 山縣有朋は、「伊藤は善い人だが自分の輔佐の人を得なかった」と評し、西園寺公望は「自分が聡明過ぎておったために人を使ってはもどかしいのであったろうと思われる。それで子分という者がなかったようです」と述べている(『園公秘話』)。 尾崎行雄『近代快傑録 』には次のように書かれている。 あるとき、身辺の者が伊藤公に向かって、『犬養でも、星でも、彼等には終身離れぬ乾分(子分)が大分ある』と話したところが、公は、『俺はその反対で、乾分を作らぬということが、俺の長所である』と言った。 「本当の伊藤の乾兒(子分)といえば井…
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