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2014/10/20

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  • 「哲学的な音」―言葉と音楽を結びつけるために―

    だいぶ昔のネタで申し訳ないと思っていますが、あるピアニストの本に「ある時レッスンである先生が「バッハは哲学的な音で弾かなければならない云々・・・」と言った。そこで生徒が「では哲学的な音とは?」と聞いたら、先生は怒って生徒を36回?叩いた」という話。「ピアニストという蛮族がいる」中村紘子より━━━━恐るべきことは、今日でもこうした「お師匠さん」タイプのピアノの先生が、決して絶滅したわけではないことだ。ついこの間も、関西のある高名な先生の弟子だった女性が、その先生のところをやめたきっかけは、レッスンでバッハを聴いて貰ったところ、「あんたはもっと哲学的な音を出さなくてはいけない」と評するので、思い切って「ではどうやったら、そのような哲学的な音を出せるのでしょうか、弾いてみて下さいますか」と言ったところ、なんとたて続け...「哲学的な音」―言葉と音楽を結びつけるために―

  • またこの曲か?

    またこの曲か?と思われるかもしれませんが、この曲は、構造上説明がしやすい。他の曲には応用してこのアイデアを使っていただくということで、ご容赦ください。さて、メトロノームを出して「付点4分音符=30」※に合わせます。機械式のメトロノームでは40までしかないので、電子メトロノーム、もしお持ちでなければ、スマホでアプリをダウンロードすればできます。Facebookに動画を掲載します。→こちらそして、片手ずつ弾いてみます。どちらかといえば、左手から弾かれることをお勧めします。そのとき、どの瞬間にどのようなことを考え、どのような動きをしているか、という自己観察をするといいです。まず、30のテンポを正確に三等分することだけでも難しい。つまり、赤□の部分だけでも、結構テンポにはまらない。そして「正確なテンポに集中」その精度を...またこの曲か?

  • ピアノの教則本を選びに楽譜屋へ行った

    教則本を問題にするときに、いつもその「入り口」が問題になっているように思う。でも「教則本の出口」についてもっとよく考えられてもいいのではないだろうか?初めてピアノに触れる生徒が、その教材を有効に使っていく。そして勉強していく。それから「教則本」を卒業する時に「次につながって」行くだろうか?また、このような「次へつながる」視点で教則本が点検されているか、また私たち指導者が「次につながるように」意識して指導しているだろうか?とふと考えた。常識的に見て「いつまでも教則本」というわけにはいかない。様々な様式や楽曲をより深く見ていくための準備になりえるだろうか?ただ「漫然と順番に教則本を弾いていく」のではなく、レッスン中にその「先を見る」ことを必ず心の隅に置きたいと思う。先日、勉強会を行った「ソナタの会」この会に参加する...ピアノの教則本を選びに楽譜屋へ行った

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