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  • 里山の石神端書230 道標(山梨県上野原市秋山)

    上野原市秋山古福志・天神社の道標鎌倉時代に鎌倉街道の裏街道が通っていたという秋山。古福志集落に西外れにある古峰神社への道の峠に建つ天神社で道標を見ました。この秋山から都留一帯は天神様を祀る峠が多い地域です。古福志の天神社が建つのも峠状のところで、かつては古福志集落からこの峠を越えて小和田集落へ出たのではないでしょうか。その峠に置かれたのがこの道標。そのようなことを彷彿させる天神社と道標です。古福志の天神社社殿内に無造作に置かれた道標には「みきやむら/ひたりやま/道」銘。「やむら」は秋山の西の雛鶴峠先にある、織物で知られた城下町で現在の都留市。郡内織り、甲州織りとも呼ばれていました。郡内は山梨の甲府を中心とした国中に対し、山梨東部の都留・大月一帯を指す名称です。織物の原糸は絹で、かつての郡内では養蚕も盛んで...里山の石神端書230道標(山梨県上野原市秋山)

  • 里山の石神端書299 石垣(山梨県上野原市秋山)

    上野原市秋山桜井・諏訪神社の石垣鎌倉時代に鎌倉街道の裏街道が通っていたという秋山。桜井集落の諏訪神社境内の石垣に、年号や寄進者銘のある石が使われているのを見ました。この石は石造物の礎石か、仏菩薩の台座だったものか、元はどの様な石造物だったかはわかりません。それにしても年号や寄進者銘を隠そうともしないで石垣に転用したのは、何かの理輔があってのことなのでしょう。戦国期には城の構築時に、不足の石として信仰対象の仏菩薩や墓石などの石造物が転用されたという話はよく聞きます。大久保修氏は『日本の石仏』167(注)で、城の石垣に転用された石造物を報告しています。そのなかで、転用された時期は戦国期が多く、その背景として、急な築城や領主の移動や滅亡によって見捨てられた墓地が多いことを指摘しています。転用された石造物として五...里山の石神端書299石垣(山梨県上野原市秋山)

  • 里山の石神端書298 心印塔(山梨県上野原市秋山)

    上野原市秋山桜井・真福寺の心印塔鎌倉時代に鎌倉街道の裏街道が通っていたという秋山。その道の高台に建つ真福寺は臨済宗建長寺派の寺。その入口石段に「心印塔」銘の石塔が立っていまいした。「中峯国師十九世孫/當山八世大柮碩偈百拝/時宝暦八(1758)戊寅孟冬日」銘もあるこの石塔の「心印」は、仏心印の略で仏の心そのものを表す言葉。禅宗では仏の悟りを印にたとえた語と仏書にあります。どのような契機でこの塔を造立したかはわかりませんが、想像するに高僧から悟りの極意を授受されたときに立てたのではないでしょうか。石段の左には「本室浄源上座」銘の墓碑。戒名の上座(じょうざ)は、宗派や地方によりいろいろな解釈があるようです。一般的には、仏教において徳を積んだ高層につける戒名のようです。その先に地蔵菩薩が並んでいました。(地図は国...里山の石神端書298心印塔(山梨県上野原市秋山)

  • 里山の石神端書 福島県いわき市四倉町の仁井田川沿

    里山の石神端書291板碑(いわき市四倉町薬王の薬王寺)里山の石神端書292亀趺(いわき市四倉町薬王の薬王寺)里山の石神端書293重文・文殊菩薩(いわき市四倉町薬王の薬王寺)里山の石神端書294種字・胎蔵界大日(いわき市四倉町宮下の柳生院)里山の石神端書295庚申塔(いわき市四倉町山田の稲荷神社)里山の石神端書296薬師板碑(いわき市四倉町小湊の円満寺)里山の石神端書297伽藍場(いわき市四倉町小湊の伽藍場)里山の石神端書福島県いわき市四倉町の仁井田川沿

  • 屋上菜園2024-06闘病日誌29

    久々に屋上に上がってみたら、タマネギに花が咲いていました。これでは半年かけて成長したタマネギの栄養がすいとられてしまうのですぐに摘みましたが、菜園をまかせたカミさんはそういういうことに気付かなかったようです。*食道がんステージ4の抗がん剤治療は4月で終了しました。終わってみて、今回の抗がん剤治療は何だったのかと考えるに、わかってはいましたが完治しない延命治療、緩和治療であったことに改めて気づきました。そして抗がん剤治療によって2年近く命がのびたのは間違いないと思っています。反面抗がん剤の副作用はひどく、肺炎・腎臓障害・糖尿病なども併発し、脱毛・口内炎・鼻血・手足のしびれ・背中の筋肉痛・かゆみ・便秘などに悩まされました。このような状況でも、月1回は日帰りや一泊で里山山麓の石仏調べにも出かけ、ブログにアップ。...屋上菜園2024-06闘病日誌29

  • 里山の石神端書297 伽藍場(福島県いわき市四倉)

    いわき市四倉小湊のがらんば(伽藍場)いわき市の北西部、仁井田川沿いの寺社を訪ねました。四倉小湊の川岸建つ御堂が〝がらんば〟。がらんばはこの御堂を管理する老女に教えていただいた名称。老女が言うがらんばを伽藍場の字をあてての話ですが、伽藍場は僧が住んだところのです。東北地方の南部では火葬場や墓地を〝らんば〟と呼ぶところがありました。私の田舎の福島県田村市でもらんばと呼んでいました。老女の話で、昔がらんばは馬の死体を埋めた場所で林になっていたそうです。そこを老女の叔母が整備してお堂を建て、散らばっていた馬頭観音もまとめたそうです。そのほとんどは馬頭の文字塔で、中には大正の年号があり多くは近代になってからの造立と思われます。お堂の本尊は平成になって盗難にあい、現在は石造地蔵菩薩が鎮座。これを老女はがらんば地蔵と呼...里山の石神端書297伽藍場(福島県いわき市四倉)

  • 里山の石神端書296 薬師板碑(福島県いわき市四倉)

    いわき市四倉小湊・円満寺の薬師板碑いわき市の北西部、仁井田川沿いの円満寺を訪ねました。その入口のお堂に薬師板碑が本尊として祀られていました。いわきは薬師を本尊とする寺が多く、とくに赤井・波立・八茎の三薬師が知られています。いわきと薬師の歴史は古く、天平六年(734)この地に疫病が流行した折、大和の僧源観が大和医王寺の薬師を赤井嶽岳に安置したのが始まりで、大同元年(806)年に大和の僧徳一がこの地に薬師を本尊とする寺院を建立して薬師信仰がひろまったとされています(注)。それで円満寺の薬師板碑ですが、寺の入り口に建つ小さな御堂に祀られています。祭壇に本尊として祀られているのは薬師の板碑。この土地に多い自然石の頭に二条線を入れた板碑で、中央に薬師に種字バイを入れ、その下に薬師や日光月光銘があります。お堂がいつの...里山の石神端書296薬師板碑(福島県いわき市四倉)

  • 里山の石神端書295 庚申塔(福島県いわき市四倉)

    いわき市四倉山田の稲荷神社の庚申塔いわき市の北西部、仁井田川沿いの寺社を訪ね、稲荷神社の境内に「庚申」と刻された二基の庚申塔に出合ました。稲荷神社は山の中で、参道入口に「鎮守稲荷神社」銘の石碑が立ち、山道をしばらく辿った先に稲荷神社が建っていました。境内の素朴な庚申塔は二基とも「万延元年(1860)」銘。いわき地方の庚申塔はほとんど見ていませんので傾向はわかりませんが、青面金剛は少なく文字塔が多い印象でした。いわき市の北隣り双葉郡では庚申塔123基のうち青面金剛などの像様のあるものは9基と佐藤俊一氏の『村の野仏たち』(注1)に報告されています。このなかで青面金剛のある庚申塔で古いのは宝暦十三年(1763)、文字塔では元禄四年(1651)が最古ですから、庚申塔の造立は関東地方より100年遅い時期になります。...里山の石神端書295庚申塔(福島県いわき市四倉)

  • 里山の石神端書294 種字・胎蔵界大日(福島県いわき市四倉)

    福島県いわき市四倉宮下の柳生院いわき市の北西部、仁井田川沿いの柳生院寺社を訪ねました。柳生院は真言宗で本尊は大日如来。その入口に石段脇に種字の胎蔵界大日如来石塔がありました。石塔は湯殿山供養塔です。この種字大日は東北地方ではよく見られる自然石の石塔で、上部に胎蔵界大日如来、その下に「湯殿山」を刻した豪快なものです。湯殿山は出羽三山の奥の院で、ぉ湯が湧き出す岩を御神体大日如来としています。「文化四年(1804)」造立。種字は密教で仏菩・菩薩などを表す梵字。梵字は梵語(サンスクリット)の字体で、インドで発達した文字とされています。また密教では真理を表す呪文としての梵語の真言があります。種字や梵語の元になるのが悉曇(母音と子音の組み合わせ)。児玉義隆氏は「現在、梵字悉曇の文字が活用されているのは、日本のみといっ...里山の石神端書294種字・胎蔵界大日(福島県いわき市四倉)

  • やないみつこのシャンソンライブ

    東京板橋の歌姫・やないみつこ6月9日(日)やないみつこのシャンソンライブ

  • 昭和の石仏写真館・終了

    伊藤介二・昭和の石仏写真館終了このブログは、日本石仏協会の元副会長・伊藤介二氏からお預かりした、ご本人が撮影した石仏写真アルバム約100冊から、抜粋して紹介してきたものです。これまで173回、約三分の二余り紹介してきました。しかし私の命も風前の灯となりました今、最後まで紹介できなのは残念でありますが、このあたりで終わりとさせていただきます。長い間ご声援いただいた皆様に、こころより御礼申し上げます。昭和の石仏写真館・終了

  • 『東国里山奥山の石神・石仏風土記』③

    【入院】(写真は案内写真の一コマです。出版は夏頃の予定)再校の途中、病院の血液検査の結果が悪すぎて、緊急入院することになってしまいました。幸いなことにパソコンと再校印刷物は持ってきていたので、早々に病室で再校作業に入りました。しかし体力・気力もなくなりはかどりません。昨年の入院時は一日中原稿作りのためベッドに横たわることはなかったのですが、今回はダメです。それに再校に必要な資料は家にあるので作業は進みません。それでも家ですませていた再校済みは、病院のコンビニでレターパックを買って編集者に返送しました。それにしても編集者の眼はするどいもので、初校を反映した再校にはことこまかな指摘が山ほどあって、時間のほとんどがその確認に費やされました。5月末、やっと退院しました。これからの仕事は再校を済ませ、不鮮明な写真の...『東国里山奥山の石神・石仏風土記』③

  • 屋上菜園2024-06闘病日記28

    入院している間に、タマネギとニンニクはカミさんが掘り出しと思っていましたが、そのままでした。いつ掘るのか、その後の夏野菜は何を植えるのか。菜園はカミさんにバトンタッチしたのでおまかせです。*高血糖、高温、高血圧・白血球の低下などで、5月の入院は15日にも及びました。その間、血糖値に対するインスリンの注射、さらに雑菌の感染などもわかって、胸に仕込んだ抗がん剤注入のポート摘出手術、抗生物質の投与とすっかりベッドの人になってしまいました。それから残念なことに、退院してもインスリンを打ちながらの生活になったこと。さらにMRI検査の結果がんが背骨にも転移している可能性もあることもわかり、神経がやられるのはこまるので、これは放射線治療で対応することにしました。使う抗がん剤もなくなって余命が限られてきた今、新たな治療の...屋上菜園2024-06闘病日記28

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