chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel

1件〜100件

arrow_drop_down
  • 一石六地蔵 千葉県いすみ市須賀谷

    里山の石神端書142いすみ市須賀谷・能満寺の一石六地蔵石仏が無いといわれた上総七里法華、上総土気城主酒井定隆(1435~1522)の領地の寺院すべてが日蓮宗の法華七里ですが、中世には天台宗が多かった土地です。その七里法華に隣接する須賀谷に天台宗の能満寺があります。寺の入口に建つ細長いお堂をのぞくと観音や地蔵の石仏が並んでいました。その中の一つが一石六地蔵。上下に三尊ずつ並ぶ地蔵は風化して持物がわかるのは数珠・錫杖・幢幡だけ。側面に「安永五丙申(1776)/願主善心」「施主女中六人」銘。地域の六人の女性が能満寺の善心和尚の指導で建てた六地蔵なのでしょう。お堂内には「正徳二(1712)銘がある聖観音菩薩と地蔵菩薩2基も立っていました。能満寺の山門には単体の船形光背の六地蔵が半ば埋もれていました。(地図は国土地...一石六地蔵千葉県いすみ市須賀谷

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(111)調布Ⅴ諏訪神社

    諏訪神社(東京都調布市)庚申塔社殿寛文6年(1666)延宝4年(1676)元禄8年(1695)享保10年(1725)伊藤介二・昭和の石仏写真館(111)調布Ⅴ諏訪神社

  • 屋上菜園2022-12闘病日記6

    11月中旬、歯抜け状態の玉ネギをまとめたので、空いたプランターにキヌサヤの種を蒔きました。来年の春には実ってくれるはずですが、プランター5つはちょっと多すぎかな。*ただいま食道がんステージ4の抗がん剤治療中。抗がん剤治療は何種類もの薬を、胸に埋め込んだポートから点滴で入れますから時間がかかります。担当医は患者の症状とこれまでの治療データから、患者に効果的な薬を組み合わせます。どんな薬を点滴したかは、「診療明細書」が出ますのでそれで確認できます。11月末の点滴では生理食塩液・生食・デキサート注射液など10種類でした。それぞれの薬の効能はネットで調べることができ、このなかには副作用を抑える薬も入っています。この組み合わせが上手く作用すればガンの増殖を抑え、副作用も抑えることができます。したがって、抗がん剤治療...屋上菜園2022-12闘病日記6

  • 鬼子母神 千葉県いすみ市須賀谷

    里山の石神端書141いすみ市須賀谷・妙昌寺の鬼子母神石仏が無いといわれた上総七里法華、日蓮が誕生した千葉県は日蓮宗の寺院が多いところ。中世から日蓮宗の布教による寺院があり、なかでも東上総は戦国初期の上総土気城主酒井定隆(1435~1522)の庇護もあって、この領地のほとんどが日蓮宗でその範囲を七里法華と呼んでいます。七里法華に隣接する須賀谷の日蓮宗寺院を訪ねました。人家の少ない上須賀谷の谷奥に日蓮宗の妙昌寺と本乗寺が100メートルも離れないで建っています。どちらも入口に「南無妙法蓮華経」に髭題目の題目塔が立っています。初めに妙昌寺を訪ねますと、参道をはじめ境内にも石造物はなく、あっても新しい石燈籠ぐらいです。寺の裏側もあり僧侶の墓石も質素です。そんななかで見つけたのが「鬼子母神」銘の石塔。側面に「昭和七年...鬼子母神千葉県いすみ市須賀谷

  • 里山の石神端書・栃木県那須塩原市板室、百村

    里山の石神端書134那須塩原市板室・大日堂の白湯山供養塔里山の石神端書135那須塩原市板室・羽黒神社近くの不動明王里山の石神端書136那須塩原市油井・農業生活センターの薬師堂里山の石神端書137那須塩原市百村・山神宮の日記念仏塔里山の石神端書138那須塩原市百村・光徳寺の石橋供養塔里山の石神端書139那須塩原市百村・愛宕神社の馬頭観音群里山の石神端書140那須塩原市百村・穴沢子安地蔵堂の性神里山の石神端書・栃木県那須塩原市板室、百村

  • 性神 栃木県那須塩原市百村

    里山の石神端書140那須塩原市百村・穴沢子安地蔵堂の性神百村の東の穴沢の道端に建っているお堂が穴沢子安地蔵堂です。お堂内部の様子はわかりませんが、本尊が子安地蔵なのでしょうか。那須塩原市の案内ではこの地蔵に安産子育て祈願の獅子舞があるそうです。お堂脇の木祠には石造の地蔵菩薩が鎮座しています。錫杖に宝珠を持つ代表的な地蔵の姿。子安地蔵という子供を抱いた地蔵を想像しますが、これも子安地蔵なのでしょうか。境内に子授けの神らしき石があります。大きな自然石は女陰状の石、その下に男根状の石が置かれています。地元の人は何と呼んでいのかわかりませんでしたので、子授けの性神としておきます。性神栃木県那須塩原市百村

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(110)調布Ⅳ青渭神社

    青渭神社(東京都調布市)本殿案内けやき扁額伊藤介二・昭和の石仏写真館(110)調布Ⅳ青渭神社

  • 馬頭観音群 栃木県那須塩原市百村

    里山の石神端書139那須塩原市百村・愛宕神社の馬頭観音群愛宕山は京都にある本山に倣って集落の西の小高い丘の上に建つケースが多い。百村の愛宕山も集落の西の山に建つ。入口から一直線に登る階段も愛宕山の特徴です。広い境内では百村に伝わる百堂念仏舞が行なわれます。社殿の左側には馬頭観音の石仏が並んでいます。この那須地方に多い頭に2から3つの馬頭を載せのものから、「馬頭観音」銘の上に馬頭を置くものなど、その数62基。造立年は明治以降のものです。百村には神社2社、寺院2寺がありますが、それほど大きな集落はありません。それにもかかわらずこれほどの馬頭があるのは、信仰心が篤かったからでしょう。神社近くの老女の話によると、馬頭観音があったのは愛宕神社ではなく、さらに山奥に入ったところでかつては祭りが盛大に行われ、子供のころ...馬頭観音群栃木県那須塩原市百村

  • 石橋供養塔 栃木県那須塩原市百村

    里山の石神端書138那須塩原市百村・光徳寺の石橋供養塔光徳寺は曹洞宗の寺。山門手前に禅宗の寺によく見かける「不許禁酒入山門」銘の結界石が立っています。酒を飲んだ人の境内立ち入りを禁止する意味です。結界石には葷酒(臭いの強い野菜や酒)銘の「禁許葷酒」もあります。結界石の側面に「石橋供養塔」銘が立っています。裏側に「相対成橋両岩石渡」で始まる造立の目的が記されている、明和三丙戌(1766)の石橋供養塔です。全国の石橋供養塔を調査している南川光一氏(注)は、石橋供養塔の造立者として念仏や庚申の講中を多いことを指摘しています。念仏や庚申の集まりは夜、儀礼のあとは飲食しながらの談義。このなかでいろいろな話のなか、作場道の整備や橋架け、橋架け替えなども話し合われたことが想像できます。それにしても結界石と一緒にした石橋...石橋供養塔栃木県那須塩原市百村

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(109)調布Ⅲ常性寺

    常性寺(東京都調布市)本堂案内馬頭観音地蔵菩薩伊藤介二・昭和の石仏写真館(109)調布Ⅲ常性寺

  • 日記念仏塔 栃木県那須塩原市

    里山の石神端書137那須塩原市百村・山神宮の日記念仏塔百村は会津中街道の村、小さいながらも集落内に2社2寺もある古い村です。集落北の外れの道端から少し入った杉林のなかに山神社が建っています。石鳥居の脇に立つのは「日記念仏」銘の石塔。あまり目にしないこの石塔については石田年子氏の「三山信仰の痕跡」(注)から案内します。「日記念仏とは三山系修験が江戸時代初期より、三山信仰流布の折に広めたとされるもので、つくば市栗原に建つ慶長八年(1603)を初見に利根川下流域に三十数基と他県に数基点在する比較的珍しいものである。日記念仏は月々の決められた日に、寮などに集まり日記念仏の和讃をとなえるというもの」。三山系修験の三山は出羽三山です。百村は念仏の盛んな村だったようで、村内や集落南の外れに建つ愛宕神社では百堂念仏舞が行...日記念仏塔栃木県那須塩原市

  • 薬師堂 栃木県那須塩原市

    里山の石神端書136那須塩原市油井・農業生活センターの薬師堂油井集落の農業生活センター裏に鹿島神社が建っています。神社の境内に集会所が建てられた情景はよく見かけます。山間部の集落にとってかつては祭りをした神社の広い境内は何をするにしても好都合なスペースです。神社脇に屋根が横向きになったいくつかの石祠が無造作に並んでいました。神社の脇には小さなお堂があり、中央に置かれた棟札状の木札に「薬師種字バイ奉再建薬師瑠璃光如来」とありますから薬師堂です。この木札が御本尊なのしょう、薬師の脇には伐折羅・波夷羅・安底羅・摩虎羅など、薬師の眷属である十二神将の名もあります。御本尊の前には石造物が3体。いずれも頭巾に前掛けがあり、尊名の確認は早々にあきらめました。薬師如来・月光菩薩・日光菩薩の薬師三尊のようでもありますが、最...薬師堂栃木県那須塩原市

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(108)調布Ⅱ祇園寺

    祇園寺(東京都調布市)本堂十王堂閻魔王地蔵菩薩庚申塔元禄15年(1702)伊藤介二・昭和の石仏写真館(108)調布Ⅱ祇園寺

  • 屋上菜園2022-11闘病記5

    気がついたらタマネギ苗、私の病状に合わせるかのように半分くらい根付かず消えてしまいました。抗がん剤投与の副作用から体調が戻ったら、歯抜け状態のところに植え替えようと考えています。*11月中旬、2回目の通院抗がん剤投与をしてきました。朝7時過ぎに前回と同じように受付機号を取って受付機の開始を待ちますが、すでに大勢の待ち人です。受付機は3台で、時間になると病院の人が番号札順に受付機に誘導。受付機に診察券を入れると、その日のスケジュール表と呼出器が出てきます。呼び出しは診察受付をしてから1回目診察が近いコール、2回目診察室に入ってくださいコールです。診察受付で名前・生年月日を言うと、それを聞いていた後ろの待合席に座っていたご婦人からカミさに声がかかりました。聞くと、娘の嫁ぎ先のお母さんの友人の方で、ご主人が同じ...屋上菜園2022-11闘病記5

  • 里山の石神端書135 不動明王(栃木県那須塩原市)

    栃木県那須塩原市板室・羽黒神社近くの不動明王板室の大日堂を一ノ木戸とした那須の白湯山信仰は、江戸時代初期に出羽三山を勧請したものとされています。それは那須の茶臼山を月山とし、お湯の湧き出る御宝前を湯殿山としたもので、山中に志津という場所もあるので、山形の大井沢から志津、湯殿山、月山を移し祀ったものと見ています。では板室の羽黒山はどこに祀ったのか。これはわかりませんでした。ところで今回、板室から百村へ向かう阿久戸集落の道端に「羽黒山神社」という神社を見つけました。これで那須山麓に出羽三山が揃うのですが、この羽黒山神社の情報はまったくありませんので、白湯山や出羽三山信仰に関係ある神社なのかはわかりません。神社の先に石祠に納められた不動明王があります。おかしな祀り方ですが石祠には「不動尊氏子連名/大正五年」とあ...里山の石神端書135不動明王(栃木県那須塩原市)

  • 里山の石神端書134 白湯山(栃木県那須塩原市)

    栃木県那須塩原市板室・大日堂の白湯山板室は江戸時代の元禄8年(1695)に開かれた会津中街道の宿場。板室の西の那珂川支流の谷にある板室温泉はこの宿場の人たちが経営していました。宿場奥の大日堂にその人たちがかかわった道標が立っています。山王峠越えの会津街道が災害で通行不能になったときに、急遽開かれたのが那須大峠越えのこの会津中街道でした。しかし山中の街道がすぐにできるわけはなく、それ以前に板室に大日堂を建立して三斗小屋から那須の茶臼岳に入る白湯山信仰の道があって、それを利用して街道としたようです。白湯山信仰は三斗小屋北の大峠を越えた会津にも広まり、こちらからも信仰の道があったのです。大日堂の白湯山塔には種字胎蔵界大日如来(アーンク)の下に「白湯山」銘が入っています。那須に白湯山を開いたのは那須の南山麓百村の...里山の石神端書134白湯山(栃木県那須塩原市)

  • 里山の石神端書 群馬県片品村花咲

    片品村花咲・登戸の薬師堂片品村花咲・登戸の天狗山片品村花咲・山崎の武尊神社片品村針山・穴観音の蚕稲荷里山の石神端書群馬県片品村花咲

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(107)調布Ⅰ

    金龍寺(東京都調布市)本堂庚申塔地蔵菩薩人頭杖伊藤介二・昭和の石仏写真館(107)調布Ⅰ

  • 里山の石神端書133 蚕稲荷(群馬県片品村)

    群馬県片品村針山・穴観音の蚕稲荷針山は武尊山の南山麓、標高1000メートルの高原の集落です。ここからさらに30分ほど登った先にあるのが穴観音。登山口に立つ片品村の案内に、本尊の如意輪観音は寛政十年(1798)、越後国中蒲原郡の東福寺の通寛和尚が背負ってきたもの、とあります。沢沿いの穴観音の道を辿ると大きな赤い鳥居があり、扁額に「正一位蠶稲荷大神」の文字。この道は蚕(かいこ)稲荷への道でもあります。案内によると蚕の飼育法の一つ〝いぶし飼い〟という養蚕技法を発見し普及に努めた永井紺周郎の功績を称える稲荷のようです。この技法は蚕室内で火をおこして煙を充満させるもので、永井流養蚕術として群馬県北部や中部に普及したそうです。沢の流れが細くなったあたりの左手に立派な石段が現れます。これが穴観音への最後の登り。石段下に...里山の石神端書133蚕稲荷(群馬県片品村)

  • 里山の石神端書132 石祠(群馬県片品村)

    群馬県片品村花咲・山崎の武尊神社神社の境内にはさまざまな神が勧請され、木祠や石祠に祀られています。なかには長屋のような覆い屋に多くの神様を祀ったところもあります。これが群馬の赤城山麓や奥利根ではとてつもない石祠を並べた光景に出会うことがあります。山崎の武尊神社もそうでした。武尊神社は諏訪神社、八坂神社、不動堂などもある広い境内です。その奥にL字型に並んだ石祠の数は61社。手前の大きな2祠以外はみな同じ大きさで、これだけ並ぶと壮観です。双体道祖神や天照・大己・少彦真名・埴谷・倉稲魂の五神神名塔もあります。普通五神神名塔は五角柱ですが、ここでは六角柱で一面に造立者銘が入っています。諏訪神社は栃久保と鍛冶屋集落の二社を合祀したもので、鳥居の額束と社殿の扁額が同じような形になっています。扁束、よく見ると造るは大変...里山の石神端書132石祠(群馬県片品村)

  • 屋上菜園2022-11闘病記4

    10月初めに植えたタマネギ苗、退院して見ると枯れてしまったのが多いにビックリです。植えるのが早すぎたのでしょうか?ニンニクは芽が出て順調に成長しています。*10月下旬、初めての通院抗がん剤治療のため病院に行ってきました。朝7時過ぎに病院に入ると待合室はすでに多くの待ち人。1日に200人もの抗がん剤の通院患者が来ると聞いていましたが、抗がん剤は通院治療が主流のようです。まずは受付の順番札を取って受付機械の開くのが待ちました。この待ち時間はこの後の採尿・採血、臨床研究センターで治験の問診、担当医の診察、通院治療センターでの投薬と続きました。治療センターでの点滴投薬は約4時間。終わったのは午後4時、すべて胸に装着したポートからでした。投薬はこれで終わりでなく、この後46時間点滴投与の携帯型ポンプ(トレフューザポ...屋上菜園2022-11闘病記4

  • 里山の石神端書131 天狗(群馬県片品村)

    群馬県片品村花咲・登戸の天狗山登戸集落の西に天狗山があると聞いて登ることにしました。登山口は山の西側と南側の二か所。西側の石塔を集めたブロック造りの覆い屋から登りました。覆い屋の集められた石塔の一つは「猿田彦大神」。日本神話に登場する道案内の神で、庚申塔の主神にもなったこの国を代表する天狗です。草履が奉納されているので、ここでも役目は足の神あるいは道の神か。天狗山の社殿は下から、天王宮、金毘羅宮、大天狗の三社。それぞれの社殿に御神体はないのでこの三社の天狗の像容はわかりませんが、天王宮は疫病除けの牛頭天王、金毘羅宮は四国香川の象頭山こと金毘羅山、大天狗はさまざまな天狗の総称。花咲には各集落に農家の守り神として牛頭天王宮を祀る社があると聞きました。山頂は赤松の老木に覆われ、大天狗が鎮座するにふさわしい風景で...里山の石神端書131天狗(群馬県片品村)

  • 里山の石神端書130 石仏群(群馬県片品村)

    群馬県片品村花咲・登戸の薬師堂登戸は上州武尊の南山麓の花咲にある集落で、その中心にある花咲石が集落名の始まり。この地に住んだ悪勢(おぜ)の一族が日本武尊に滅ぼされて石となり、その石に花がさいたという。悪勢といえば、ここ片品村は尾瀬(おぜ)の玄関口です。集落外れにある薬師堂には、集落内から集められた石仏が置かれています。しかし倒れた石仏、埋もれた石仏を見ると放置されているという感じです。集落内の墓地はきれいになっているとこを見ると、個人的な集まりの講や信仰で造立した供養塔は、組織が無くなると守る人も無くなってこのような状況になってしまうのでしょう。薬師堂も役目を終えたのでしょうか、荒れています。薬師堂の石仏群は庚申塔、馬頭観音、如意輪観音、地蔵菩薩と墓石です。双体の道祖神も2基ありました。(地図は国土地理院...里山の石神端書130石仏群(群馬県片品村)

  • 里山の石神端書 桐生市黒保根町、沼田市利根町

    桐生市黒保根町下田沢の前田原・十二神社の百社大神桐生市黒保根町下田沢の前田原・庚申山の三面青面金剛桐生市黒保根町下田沢・赤城神社の猿田彦庚申塔桐生市黒保根町下田沢・楡沢の閻魔、奪衣婆沼田市利根町穴原・武尊神社の庚申塔沼田市利根町穴原・山中の三面観音里山の石神端書桐生市黒保根町、沼田市利根町

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(106)庚申塔

    庚申塔(東京都狛江市・松原庚申堂)庚申堂庚申塔庚申塔庚申塔伊藤介二・昭和の石仏写真館(106)庚申塔

  • 石仏1003榛名・天狗岳(群馬)歳徳神

    榛名・天狗岳(てんぐだけ)歳徳神(としとくじん)【データ】榛名・天狗岳1179メートル▼最寄駅JR高崎線・高崎駅▼登山口群馬県高崎市榛名山町の榛名神社▼石仏天狗岳の東ピーク。地図の赤丸印▼地図は国土地理院のホームページより【案内】山頂に石造天狗を祀る天狗山へは榛名神社の山門脇の林道から登り、地蔵峠からの尾根道と、鏡台山の肩から直接天狗岳へ出るコースがある。これとは別に南山麓の下室田町大日影からの道もあり、こちらが天狗岳信仰の表参道になる。表参道からの道筋はじめ山頂一帯には神仏名の文字塔が多数造立されている。そのなかから山頂に立つ歳徳神を案内する。天狗岳は双耳峰で東の山頂に天狗をはじめとした石造物が立つ。その一つが「歳徳神/素戔嗚命/稲田姫命」銘の石塔。歳徳神は陰陽道でその年の福徳を司る神、正月さまともいわ...石仏1003榛名・天狗岳(群馬)歳徳神

  • 里山の石神端書129 三面観音(群馬県沼田市利根)

    群馬県沼田市利根町穴原・山中の三面観音穴原集落の男性から、この集落で知られた石仏は三面観音だと聞きました。その場所は集落の北にある弁天池から東の林道に入った山中、5基の庚申塔が立つ先にあります。盗難除けの保存のためか、ブロックと金網で囲われた中に立っています。金網ごしによく見ると、三面の優しい表情の観音風で、顔に続いて体も三体からなる珍しい像容。集落の男性がすすめるだけの価値がある観音です。仏像で三面というと馬頭観音や摩利支天、それからや明王にありますが、顔がいくつあっても手が沢山あっても体は一つが普通ですから、体まで三体あるこの石仏は異様ではあります。それでも大威徳明王などは三面で足が六本ありますから、仏像の場合異様は当たり前のことでもあります。ところで三面観音の頭に乗っているのは馬頭のように見えます。...里山の石神端書129三面観音(群馬県沼田市利根)

  • 屋上菜園2022-10闘病日記3

    退院して久々に対面した屋上菜園は、タマネギ苗も落ち着いていてホッとしました。10月初めに種を蒔いた小松菜は、大きくなったものから間引きしています。*食道ガンの抗がん剤治療が始まりました。薬剤のほとんどは胸につけたポートからの点滴です。薬は抗がん剤、副作用の対応薬など何種類も連続で投与でした。そして入院待ちの患者が多いということで5日目に退院させられました。同時に吐き気や下痢や高熱などに対応する沢山の薬もいただきました。副作用はこれから徐々に出てくるようです。すでに胃もたれや便秘など、これまで自慢だった丈夫な胃腸に異常が出はじめまています。これからは通院の抗がん剤治療に入ります。屋上菜園2022-10闘病日記3

  • 里山の石神端書128 庚申年造立庚申塔(群馬県沼田市利根)

    群馬県沼田市利根町穴原・武尊神社の庚申塔老神温泉から利根にぬける道にある穴原集落。そのはずれの武尊神社の境内に立つ庚申塔は上から「種字ア庚申供養塔」とあり、台座に「元文五庚申年(1740)」銘があります。干支の庚申の年に庚申塔を造立する傾向はあります。しかし庚申の年は60年に一回ですから、一生に1回か2回しか巡ってきませんし、庚申講では庚申の年に関係なく庚申塔を立ててきました。庚申塔を立てる理由を大阪市の四天王寺庚申堂所蔵の「庚申縁起」からみてみましょう。造立する目安として縁起には「一座と申は三年に十八度なり、両三年目には供養いたずべし、供養といつぱ道のほとりに塚をきつき四方正面の卒塔婆をたて」とあります。庚申の日は年6回、これを3年続けて18回の一座、一座がすんだら供養塔を造立することを勧めています。座...里山の石神端書128庚申年造立庚申塔(群馬県沼田市利根)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(105)狛江Ⅱ

    狛江Ⅱ(東京都狛江市)和泉・玉泉寺如意輪観音和泉・泉龍寺庚申塔・貞享3年(1686)和泉・水神宮聖徳太子伊藤介二・昭和の石仏写真館(105)狛江Ⅱ

  • 屋上菜園2022-10闘病日記2

    10月に初めに植えたタマネギ苗、数本枯れてしまいましたが、ほとんどが根付いたようです。小松菜は芽が大きくなり、摘み取り可能になりました(写真はカミさんが撮影して病院の偏平足PCに送信したもの)。*ここで食道ガン発見までの経緯を書いておきます。食事の飲み込みが悪くなったのに気づいたのは7月下旬でした。これは年寄現象かと思いそのままにしました。8月中旬に右脇胸に少し痛みが出て、肋間神経痛かなと思いましたが、かかりつけの内科医院でエコー検査をしてもらうと肝臓がおかしと、すぐ中堅の病院を紹介されました。そこでCT検査をすると肝臓と食道に異常ありとの診断。後日内視鏡検査の結果、食道がんで肝臓に転移しているので当院では無理だから、希望したい病院を探しておいたくださいとのことでした。このころから子供たちの助言をもらって...屋上菜園2022-10闘病日記2

  • 屋上菜園2022-10闘病日記1

    10月初め、抗がん剤治療が始まる前にタマネギの苗が手に入ったので約100本植えました。*食道ガン・ステージ4の告知から入院までしばらく日にちがあり、秋彼岸でもあったので田舎の墓参りで父母に報告をし、その帰りにブログ「里山の端書」の材料探しに那須山麓を廻ってきました。趣味の組織の仕事は返上することに、引き継いでもらうことにしました。10月の連休明けからやっと抗がん剤治療の準備も始まりました。初めは抗がん剤投入の入口になるポートを胸に埋め込み、そこからカテーテルを心臓近くの静脈に通す手術です。ここから定期的に抗ガン剤を投入することになります。埋め込み場所は右胸上部、手術時間は30分。部分麻酔で痛みはほとんど無し、帰宅したその夜も痛みは出ませんでした。屋上菜園2022-10闘病日記1

  • 里山の石神端書127 閻魔、奪衣婆(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢・楡沢の閻魔、奪衣婆赤城山の東山中にある楡沢にはいろいろな石造物が残っています。その一つは閻魔と奪衣婆。この二者が対で立つ光景はときどき見かけますが、楡沢に二者は高さが90センチ前後の坐像ですから等身大。顔が大きく表情も豊かですから迫力もあります。造立は正徳(1711~16)のころ。300年前にこの山中にどのような集落があったのかはわかりませんが、東光寺と赤城大明神・忠綱大明神社いう寺社を中心にした信仰厚い人たちが住んでいだようです。忠綱は平安末期にこの地方を支配した足利忠綱。平氏方について戦い鎌倉期前に滅びた一族で、足利や桐生に忠綱を祀る神社はあるものの楡沢との関係はわかりません。楡沢の集落が古いということは、同所に立つ二基の石幢からもわかります。石幢はどの地方でも中世から江戸...里山の石神端書127閻魔、奪衣婆(群馬県桐生市黒保根町)

  • 里山の石神端書126 猿田彦庚申塔(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢・赤城神社の猿田彦庚申塔「村社赤城神社鎮座」の石碑が立つ赤城神社の参道、その途中に「日弓尊/月讀尊/天津祖猿田彦大神」銘の石塔が立っています。庚申塔です。一般的に庚申塔は上部に日輪・月輪を刻して猿田彦銘を入れるのですが、ここでは日弓・月讀の独特の表記です。独特の表記は、台座の見猿・言わ猿・聞か猿の三猿を「不見/不聽/不言」にしたところにも見られます。石造庚申塔の像容を理解したうえで、あえてこのように表現したのでしょう。この庚申塔の側面に記された神々も独特です。神名は三段に別けられ、上段には日本神話の神々、中央に「猿田彦大神」、下段中央に「六神御大神庚申」とあってその左右に「天道根命/天神魂命/興登魂命/闇竈神/闇山神/闇罔神」となっています。下段の神は天孫降臨に随伴した神と雨や水...里山の石神端書126猿田彦庚申塔(群馬県桐生市黒保根町)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(104)狛江1

    狛江1(東京都狛江市)岩戸北・慶岸寺塩地蔵岩戸南・明静院地蔵菩薩駒井・円住院庚申塔・享保9年(1724)伊藤介二・昭和の石仏写真館(104)狛江1

  • 里山の石神端書125 三面青面金剛(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢の前田原・庚申山の三面青面金剛前田原集落東の橋を渡った先の山が庚申山。藪に隠れた登山口がわからず、橋の手間の家の男性に案内していただきました。男性によると、例年春と秋には草刈をしていたが、新型コロナの影響でここ2年は草刈も祭りもしていないとのこと。草をかき分けて登った先、最初に出会ったのが三面六臂の像。三面は憤怒のようでもあり愛嬌があるようにも見えます。六臂の持物は弓・矢・輪宝・羂索で合掌をしています。青面金剛でしょうか。しかし青面金剛を本尊とする庚申塔につきものの日輪月輪、邪鬼、三猿などは見当たりません。「享保二酉天(1717)」銘はありますが、庚申銘はありません。それでもここは庚申山ですから、三面の青面金剛としておきます。三面青面金剛から尾根道の両側に文字の庚申塔が並びます。...里山の石神端書125三面青面金剛(群馬県桐生市黒保根町)

  • 里山の石神端書124 百社大神(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢の前田原・十二神社の百社大神大きな二十三夜塔と庚申塔が並ぶ十二神社の鳥居をくぐると、社殿の裏手に「奉斎百社大神」銘の石塔が立っています。百社は単独の神なのか、それとも単に百柱の神の数なのでしょうか。百柱とするとこの国の神は八百万ですから、だいぶ絞り込んだ数になります。手元の資料を調べると『黒保根の石造物』(注1)にこの石塔が紹介されていました。「太平洋戦争中(昭和17年)建立された宮で、土地の人の話によると、出征兵士が武運長久を神に祈願するとき、多くの神社参りをしたが、短い日数では大変であったため、この宮を建立して百社代参にかえた」この後に、赤城山の東山麓を越えて沼田市利根町日影南郷の曲屋(旧鈴木家)を見学しました。そこで見たのは神棚脇のお札入れに納められた膨大な数のお札。おそら...里山の石神端書124百社大神(群馬県桐生市黒保根町)

  • 里山の石神端書 茨城県つくば市小田

    つくば市小田・宝篋山登山口の地蔵菩薩つくば市小田・宝篋山登山口の五輪塔つくば市小田・宝篋山山頂の宝篋印塔つくば市小田・不動尊の磨崖不動明王つくば市小田・愛宕神社の磨崖愛宕地蔵里山の石神端書茨城県つくば市小田

  • 石仏番外 中之条・岩本不動滝(群馬)奪衣婆

    中之条・岩本不動滝(いわもとふどうたき)奪衣婆(だつえば)【データ】岩本不動滝670メートル▼最寄駅JR吾妻線・中之条駅▼登山口群馬県中之条町岩本の原集落▼石仏岩本不動のお堂裏。地図の赤丸印▼地図は国土地理院のホームページより【独り言】岩本地区の奥、蟻川川の源流にかかる滝近くに御堂が建っているというので訪ねてみました。入口の鳥居には「無礙窟」の扁額。無礙(むげ)?支障がない窟……という意味か。沢沿い進むとおこもり堂。軒下に昭和61年修理の芳名者板が打ち付けてありました。その上には字が読めない芳名者板があるので、それなりの古いおこもり堂のようです。鉄の橋で対岸に渡るとお堂。入口には鳥居があったが建物は寺院のようです。お堂裏には豪快な滝がかかっています。滝へ向かうとすぐ奪衣婆が、まるで滝の番人のような位置に座...石仏番外中之条・岩本不動滝(群馬)奪衣婆

  • 屋上菜園2022-10休園

    いま屋上菜園は小松菜と二十日大根の芽が出て成長しています。これをどんどん摘み取って食べています。それから、健康だけは自信があったのですが、突然ガンそれも食道ガンのステージ4告知を受け、間もなく抗ガン剤治療に入ることになりました。10月はタマネギの苗を植える時期で準備はしましたが、これがどうなるか。休園せざるを得ない状態になると予想しています。屋上菜園2022-10休園

  • 山小屋日記42

    【雑草】山小屋を造って25、6年経ちます。かつては小屋の近くにパラグライダーの降下地があって、小屋前の林道はしっかりしていました。しかしそれは東日本大震災で被災。その後小屋前にソーラーパネル発電所ができて新たな道もできました。しかしそれも雑草で覆われ車の通行は不能。いまでは荷物をかついで小屋に向かいます。小屋も雑草に覆われていました。この小屋でのんびり過ごすつもりでしたが、どうなることやら、先は見えません。山小屋日記42

  • 八千代新川千本桜 22-10

    体調不良により、しばらく休みます。八千代新川千本桜22-10

  • 里山の石神端書123 磨崖愛宕地蔵(茨城県つくば市)

    茨城県つくば市小田・愛宕神社の磨崖地蔵菩薩登山道が整備されている宝篋山、その一つ小田城コースの入口の小田不動尊、八幡宮、愛宕神社があります。いずれも山を背にした寺社で、ここでは愛宕神社の磨崖地蔵菩薩を案内します。磨崖地蔵は、愛宕神社は背後にある岸壁の上部に彫られて龕の中。右手に針金が下がっていてこれをたよりに登らなければなりません。見るからに危なかっしい針金で、登るなということなのでしょう。昔は滝や岩場を見るとどう登るかルートを探したものでした。三つ峠で練習し、谷川、北岳、穂高、剱の岩場にも出かけました。しかし今ではバランス感覚ゼロ。昔の経験はまったく役にたちません。それでも磨崖仏を見たい一心で慎重に登りました。地蔵は蓮華台座の立ち、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ立像。左肩に絡子環がついています。これまでこ...里山の石神端書123磨崖愛宕地蔵(茨城県つくば市)

  • 里山の石神端書122 磨崖不動明王(茨城県つくば市)

    茨城県つくば市小田・不動尊の磨崖不動明王登山道が整備されている宝篋山、その一つ小田城コースの入口に小田不動尊、八幡宮、愛宕神社があります。いずれも山を背にした寺社で、ここでは愛宕神社の磨崖不動明王を案内します。八幡宮手前に案内があり、右手の露地を進むと不動尊の入り口に出ます。石段脇の石仏、石段途中の不動石仏を見ながら登ると不動堂。境内につくば市教育委員会の磨崖仏案内があるので引用します。「本像はほぼ等身大で、上体をやや左に傾けて、崖面に露出した花崗岩に彫り込まれている。県内の磨崖仏は線刻的な薄肉彫が多く、本像のような本格的な高浮彫は珍しい。全体的に風化、剥落が激しく、顔貌、体躯、あるいは右手の剣、左手の検索等はほとんど原型をとどめていない。しかしながら、像の奥行が8~16センチあるため、不動明王の憤怒と力...里山の石神端書122磨崖不動明王(茨城県つくば市)

  • 里山の石神端書121 宝篋印塔(茨城県つくば市)

    茨城県つくば市小田・宝篋山山頂の宝篋印塔20年ほど前、宝篋山の山頂近くでツツジを植えている人に出会いました。小田の東郷重夫さんで、これが宝篋山登山道整備の始まりだと思います。そのツツジ、いまではしっかり根付いて森に溶け込んでいました。山頂には忍性(1217~1303)の銅像も立ちました。案内によると、忍性生誕800年を記念し2017年に建立された像です。背負っているのはハンセン病の子供。忍性とその師の叡尊(1201~1290)たちは、ハンセン病患者の世話をしたことで知られています。山頂の宝篋印塔は国宝級ものですが、欠損部分がいくつかあって県指定の文化財に甘んじています。その様子は45年前の『日本石造美術辞典』(注)から案内します。「南麓の小田東部から急坂が通じていたが、今は廃道になった。その山下には大和西...里山の石神端書121宝篋印塔(茨城県つくば市)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(103)七観音

    七観音(埼玉県飯能市・東光寺)准胝観音不空羂索観音馬頭観音千手観音聖観音十一面観音如意輪観音伊藤介二・昭和の石仏写真館(103)七観音

  • 里山の石神端書120 五輪塔(茨城県つくば市)

    茨城県つくば市小田・宝篋山登山口の五輪塔小田から続いた平坦な道は登り出した先で二俣となり、左に入ると五輪塔に出ます。鎌倉時代後期を代表する大きな五輪塔です。平安時代末期の五輪塔は東国の岩手の平泉町や福島の玉川村にも残っていますが風化が進んでいます。これに対し鎌倉後期の五輪塔の特徴は花崗岩の固い石を使ったものが出できます。小田の五輪塔もその一つでほとんど風化がみられません。これは真言律宗の忍性(1217~1303)に同行した石大工・大蔵派が持ち込んだ技法でした。大蔵派は中国宗より日本に渡り帰化した石大工・伊行末(?~1260)の子孫(伊派)に繋がる石工集団です。現地の立つ案内では初めに基礎の部分を褒めたたえています。「基礎は側面を二区に分かち、各々に流麗な格狭間を作る。基礎上面は返花座とし、中心五葉と両端に...里山の石神端書120五輪塔(茨城県つくば市)

  • 里山の石神端書119 地蔵菩薩(茨城県つくば市)

    茨城県つくば市小田・宝篋山登山口の地蔵菩薩平日の小田の駐車場は車であふれていました。何か催しでもあるのかなという混み様です。20年ほど前に初めて訪ねたこの小田で、東郷重夫さんという人が一人で宝篋山の登山道を整備しているのに出会い、小田の歴史資料を送っていただいたことを思い出しました。その後登山道が整備された宝篋山には、平日でも登山者が押し寄せるようになったようです。800年前の鎌倉時代、この小田で慈善活動をした僧がいました。真言律宗の忍性(1217~1303)です。忍性は奈良西大寺を復興させ、ライ病患者の世話をした叡尊(1201~1290)の弟子。布教のため関東に出たのは建長4年(1252)、宝篋山の麓の小田で10数年活動しています。小田から宝篋山へ登る途中にある極楽寺跡が忍性の寺とされています。忍性たち...里山の石神端書119地蔵菩薩(茨城県つくば市)

  • 里山の石神端書 長野県小海町小海

    小海町小海・宿渡のお子安さまの寒の坊小海町小海・宿渡の坂ノ上銀杏庵の経典供養塔小海町小海・宿渡愛宕神社の木鼻と海老虹染小海町小海・笠原路傍の寒の坊小海町小海・笠原路傍の祠内仏小海町小海・親沢の馬頭観音小海町小海・川平路傍の寒の坊里山の石神端書長野県小海町小海

  • 里山の石神端書118 寒の坊(長野県小海町小海)

    長野県小海町小海・川平路傍の寒の坊小寒から節分までの寒い冬の30日間行う寒念仏、その講の人たちが造立した〝寒の坊〟と呼ばれている石仏は小海町周辺にだけある珍しいもので、このブログの「小海・宿渡のお子安さま」「小海・笠原の寒の坊」で案内しました。この2基の寒の坊の持物は鉦と槌でしたが、川平の寒の坊は風鈴のような鐸と数珠を持つ姿です。寒の坊を調査した岡本知彦氏によると、観音風の丸彫りの像容が寒の坊特徴ですが、6臂の持物は念仏に必要な鉦と槌もあれば、鐸を持つのもあります。他に弓・矢・斧など多少の違いがあります。川平は親沢川沿いにある小さな集落。橋のたもとに並ぶ石仏のなかに寒の坊が祀られています。頭部は別の石造物で補われ、また風化が進んでいるために寒の坊には見えませんが、合掌する手と鐸と数珠持つ手が確認できます。...里山の石神端書118寒の坊(長野県小海町小海)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(102)板碑

    板碑(埼玉県飯能市・願成寺)全景正嘉2年(1258)右・貞治5年(1366)左・永徳2年(1386)右・建長5年(1253)伊藤介二・昭和の石仏写真館(102)板碑

  • 里山の石神端書117 馬頭観音(長野県小海町小海)

    長野県小海町小海・親沢の馬頭観音親沢は諏訪神社を中心にした大きな集落です。その集落で目につくのが「馬頭尊」の文字塔。これが各屋敷の入口に置かれているのです。40センチ前後の船形の石に「馬頭尊」と大きな銘が入り、右側に造立年、左側に造立者が刻された形はみな同じ。造立年は大正、昭和、平成もあり、なかには「種馬金龍号の碑/大正八年」もあります。多いのは大正と昭和初期。馬頭観音といえば峠道などに道標や供養などのために造立されてきました。しかし家ごとに立つ「馬頭尊」の造立背景は別の意味がありそうですが、そのような話をきくことはできませんでした。参考になるかどうか、明治から大正期にかけての馬産を研究した堀内孝氏の「軍馬改良と名馬の産地」(注)から、明治期の軍馬について簡単に紹介します。日清、日露戦争で勝利した日本だっ...里山の石神端書117馬頭観音(長野県小海町小海)

  • 里山の石神端書116 祠内仏(長野県小海町小海)

    長野県小海町小海・笠原路傍の祠内仏笠原集落の先に建つのは諏訪神社。新しい四脚鳥居(両部鳥居)が立派です。広い境内の奥に石祠が並んでいます。聞こえるのは蝉の鳴き声だけ。石段に腰を下ろし、夏草に覆われた神社の境内と鳥居越しに青い山脈を眺めると、一瞬蝉の鳴き声が聞こえなくなったりします。神社の手前の道端に2基の石祠が並んでいます。これが墓地あれば石祠型墓石としますが、墓地以外にあるときは、仏を安置するお堂であったり、神を祀る石祠ということもあります。いずれにしても内部にある石造物を祠内仏としています。スマホカメラで右側の石祠の中を撮影すると、合掌する仏が一尊写りました。石祠型墓石の場合、祠内に納められている石仏は双体像がほとんどです。これは夫婦像と私は見ています。これに対して石祠のお堂の場合は単独の仏菩薩が鎮座...里山の石神端書116祠内仏(長野県小海町小海)

  • 里山の石神端書115 寒の坊(長野県小海町小海)

    長野県小海町小海・笠原路傍の寒の坊笠原集落の中心に建つのが東明寺。薬師を本尊とし、十二神将があるようですが施錠されていて見ることはできません。寺社の賽銭や宝物をねらう輩が多い昨今、辺鄙な山奥の小社やお堂まで鈎をつけるのは当たり前になってきました。寺の横の屋根が架けられた下に庚申塔と地蔵菩薩が並んでいます。地蔵は六体ですが、5体が同じ造りで別の地蔵を併せて6地蔵となっています。寺の手前に馬頭や牛頭観音文字塔が並ぶなかに六臂の寒の坊があります。おかっぱ頭の優しい表情の寒の坊です。寒の坊はこのブログの石神端書112も案内しましたが、長野県の南佐久地方にだけ造立された寒念仏塔です。鉦と槌を持つ丸彫りが特徴です。寒念仏は寒中にお堂を巡り、鉦をたたいて念仏を唱える僧侶の修行です。これが江戸時代には庶民の間にもひろまっ...里山の石神端書115寒の坊(長野県小海町小海)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(101)竹寺

    竹寺(埼玉県飯能市)庫裏茅の輪牛頭天王社石燈籠お札伊藤介二・昭和の石仏写真館(101)竹寺

  • 里山の石神端書114 木鼻と海老虹染(長野県小海町小海)

    長野県小海町小海・宿渡愛宕神社の木鼻と海老虹染愛宕神社を勧請した所には二つの傾向があります。一つは集落の西の山に祀り、二つは神社へは急な石段が続く。これに勝軍地蔵が祀られていれば、本山である京都の愛宕神社と同じ形式になります。小海の愛宕神社も二つの傾向が当てはまりますが、御本尊は社殿が施錠されていて確認できませんでしたので、木鼻と海老虹梁の動物を案内します。木鼻(きばな)は寺社本殿の貫(ぬき)が柱より出ているところで、寺社建築では向拝正面と同じように重要な装飾部分ですから、ここに獅子や象の彫刻がよく見られます。海老虹梁(えびこうりょう)は本殿と向拝を繋ぐ海老のように曲がった梁(はり)で、簡単に曲がった木ですませるところが多いようです。小海の愛宕神社の木鼻を見ると、獅子と象がついています。装飾物には程遠いデ...里山の石神端書114木鼻と海老虹染(長野県小海町小海)

  • 里山の石神端書113 経典供養塔(長野県小海町小海)

    長野県小海町小海・宿渡の坂ノ上銀杏庵宿渡集落の中心部に坂ノ上銀杏庵という寺があります。その墓地の高台に石仏のような石が見えたので登ってみると、馬頭観音が並んでいました。経典供養塔も立っています。石仏は雑草に隠れていたので、持参した鎌で草刈りです。実は、山の石仏探しから里の石仏探訪に変えた昨年秋から、長靴に鎌持参のスタイルにしています。この様子を見ていた人がいて、私の行動が怪しげにみえたのでしょう、男性が様子を見に来ました。こちらの趣旨を説明するとご理解いただき、その後はこの寺は墓地、さらに馬頭観音の上の山の祀られている山の神のことなど、貴重なお話を聞くことができました。その情報の一つは墓地のなかで一番古いとされている墓石でした。立錐の余地もない墓石のなかを確認すると石祠型墓石でした。この形の墓石は江戸時代...里山の石神端書113経典供養塔(長野県小海町小海)

  • 里山の石神端書112 寒の坊(長野県小海町小海)

    長野県小海町小海・宿渡の寒の坊小海地区の寺社を訪ねた最初、お子安さん(子授け子育てのお堂)の入口の並ぶ5基の石造物のなかに、胸から太鼓のような鉦を下げ、右手にバチのような槌を持つ丸彫りの石仏に出会いました。すぐ「寒の坊」だと気づきました。これが寒の坊か!写真では何度も見ていましたが対面するのは初めてでした。寒の坊は20数年前の『日本の石仏』(注)に岡本知彦氏が詳しく紹介していたのが印象に残っています。それによると、寒の坊は寒念仏の人たちが建てたいろいろな石造物のなかでも、江戸時代の天明期(1781~89)前後の短い期間南佐久地方にだけ造立された石仏です。特徴の一つは念仏に必要な鉦と槌を持つ6臂の観音風丸彫り像。土地の古老が「かんのぼさま」「かんのばさま」なんとど呼んでいたところかの名称です。宿渡の寒の坊は...里山の石神端書112寒の坊(長野県小海町小海)

  • 里山の石神端書 群馬県下仁田町西牧野

    下仁田町西牧野・半弓の道祖神下仁田町西牧野・中野の山の神下仁田町西牧野・中野の供養塔下仁田町西牧野・上野の道標下仁田町西牧野・清水沢百庚申の五神神名塔下仁田町西牧野・新屋路傍の金剛界五仏庚申塔下仁田町西牧野・初鳥屋大師堂の弘法大師下仁田町西牧野・菅倉金毘羅神社の祠内仏里山の石神端書群馬県下仁田町西牧野

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(100)能仁寺

    能仁寺(埼玉県飯能市)地蔵菩薩花冠の聖観音地蔵菩薩伊藤介二・昭和の石仏写真館(100)能仁寺

  • 屋上菜園2022-09夏終わり

    雑草に肥料獲られて夏野菜坐骨神経助けも出来ず夏野菜雨風太陽容赦なく遮光ネットも張る力なし屋上菜園2022-09夏終わり

  • 里山の石神端書111 祠内仏(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町西牧野・菅倉金毘羅神社の祠内仏山間の集落では神社を建てる場所に苦労した光景をよく見かけます。菅倉集落では崖の上に石段を築いて神社を建てました。この基部が崩れると、頑丈な鉄梯子を掛けて参道としました。急な石段を登った先には、大きな覆い屋のなかに大小5つの木祠。鉄梯子に比べると見劣りしますが、信仰の篤さにかわりありません。神社名は不明ですが、入口の石燈籠に「金毘羅」とありましたから、金毘羅神社としておきます。覆い屋の裏に石龕に納められた地蔵菩薩が一基。舟形光背に厚く浮彫りされた地蔵です。この祀り方は何か特別な地蔵なのでしょうか。石段脇に「寛文十二年(1672)」銘の宝形造りの石祠があります。なかに祠内仏が祀られていますが、外からではよくわかりません。窓からスマホのカメラで覗いて、合掌する石仏が写...里山の石神端書111祠内仏(群馬県下仁田町)

  • 里山の石神端書110 弘法大師(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町初鳥屋・太子堂の弘法大師初鳥屋集落に上に「弘法様の嶺」と呼ばれている石仏群があります。斜面に石垣で檀をいくつも造り、その中央の石段の上には石造弘法大師を納めた大師堂が立っています。その大師、姿が見えない程赤い布で覆われていました。この状態のときは、失礼ながら布を一枚ずつ取り外して御本尊の確認をさせてもらっています。しかし布が多すぎたり、ボロボロだったり、縫い付けてあったりすることもあって思うようにはいきません。初鳥屋の弘法様は縫い付けた布があってダメでした。大師堂への石檀の両脇には多くの石仏が並んでいます。現地に立つ案内には、四国八十八箇所の霊場を模し、巡礼祈願の代参所として、八十八箇所の石仏群が安置されたのは文政七年(1824)とあります。石仏は一体に一名の集落と奉納者銘がはいっていました...里山の石神端書110弘法大師(群馬県下仁田町)

  • 里山の石神端書109 金剛界五仏庚申塔(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町新屋・路傍の石仏群新屋集落の街道沿いに石仏が綺麗に並んでいます。目に付くのは大きな三面の丸彫り馬頭観音。迫力ある三面、斧・宝剣・輪宝などの持物も重量感があり、馬口印もリアルです。もっと凄いのは、裏側にもう一つの温和な顔があることです。憤怒の奥に隠された仏の慈悲の顔なのでしょう。もう一つ目につくのは大きな6つの種字を薬研堀した庚申塔です。高さは4メートル以上ありそうで、圧倒されます。種字は上から、バーンク(金剛界大日)・バン(大日)・ウン(阿閦)・タラーク(宝生)・キリーク(阿弥陀)・アク(不空成就)と読んでみました。塔の下部に「奉造立庚申石塔/正徳六丙申天(1716)」とありますから、頭の金剛界大日に続けて金剛界五仏を本尊とした庚申塔とみました。この時代の庚申塔は青面金剛が主尊となっていまし...里山の石神端書109金剛界五仏庚申塔(群馬県下仁田町)

  • 石仏1002武尊・針山穴観音(群馬)大日如来

    武尊・針山穴観音(あなかんのん)大日如来(だいにちにょらい)【データ】針山穴観音1160メートル▼最寄駅JR上越線・沼田駅▼登山口群馬県片品村針山▼石仏針山穴観音の岩屋。地図の赤丸印▼地図は国土地理院のホームページより【案内】登山口の針山は標高1000メートルの高原の集落。集落からさらに林道を登ると、片品村が立てた穴観音の案内が立つ。案内の趣旨は二つ。一つは穴観音の起こり、一つは新しい養蚕技法を考案したこの集落の永井紺周郎のこと。ここまでは車も入る。さらに道を辿ると、額束に「正一位蠶稲荷大神」の大きな鳥居が立つ。穴観音への道は蚕稲荷への道にもなっている。山道らしくなり、沢の流が少なくなるころ左手に大きな石段が現れる。ここが穴観音の入口。石段脇に「開闢遍寛法子/越後国蒲原郡/西笠巻村東福寺弟子/寛政十年(1...石仏1002武尊・針山穴観音(群馬)大日如来

  • 里山の石神端書108 五神神名塔(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町清水沢・百庚申の五神神名塔百庚申には沢山の文字庚申塔が整然と並んでいます。高さはまちまちですが大型の庚申塔が多く、圧倒されます。庚申塔の奥に建つお堂は阿弥陀堂。内部に「建治二年(1276)」の阿弥陀種字の板碑が祀られているお堂です。最古の板碑は埼玉県熊谷市の「嘉禄三年(1227)」ですから、下仁田町清水沢の板碑も古い部類に入ります。百庚申の入口には五神神名塔が立っています。五神は天照(あまてらす)大神、倉稲魂(うかのみたま)命、大己貴(おおなむち)命、少彦名(すくなひこな)命、埴安姫(はにやすひめ)命の五穀豊穣の神。この五神銘を五角形の石柱に入れたものが各地に造立されています。五神について『日本石仏図典』(注)から案内します。「古典的な神々を組み合わせて、農業守護として意義づける教説や、石塔...里山の石神端書108五神神名塔(群馬県下仁田町)

  • 里山の石神端書107 道標(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町西牧野・上野の道標上野の集落に向かう林道を走っていると、上から材木を積んだ戦車のような大きな運搬車が轟音とともに下ってきました。なんとか避けることができましたが、この道は材木伐採の車しか利用していない様で、伐採現場から先の上野への道に車が入った気配はありませんでした。黒川川の半弓集落と鏑川の大栗集落を結ぶ道の中程、上野の集落に入る場所に四角の道標が立っています。「向/右黒川通ズ/左入山方面ニ通ズ」「大栗ニ至ル」「昭和御大典記念/大栗青年會建之」銘がある65センチの道標です。昭和御大典は昭和3年11月に行われた昭和天皇の即位式です。これを記念して大栗の青年会が建てたものです。青年会という若者の集まりは大正時代に全国に組織され、大正から昭和にかけて山間部の青年会は山に道標や記念碑などを建ててきま...里山の石神端書107道標(群馬県下仁田町)

  • 里山の石神端書106 供養塔(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町西牧野・中野の供養塔中野の集落外れに石塔が並んでいる場所があります。庚申塔、十九夜塔、二十三夜塔などが整然と立てられています。そのなかでわからない石塔が一つ、まず字がわかりません。下の方に一対の動物らしい姿もありますが、これも正体不明です。ただ頭に日輪・月輪があります。不明の文字、仮に「度」として「奉納度供養菩提/施主/敬白」で話をすすめます。度は『大辞典』(注1)によると「佛語にて俗人を僧となると。迷いに沈める衆生を済う義に度の字を用いるには煩悩に迷える此岸より証果をうる彼岸にわたし済う義也」とあります。「得度」という言葉もあります。一般の人が亡くなって供養塔を建てるとき、度の字を使うことによって彼岸に渡れるとすると、この石塔は得度した者の供養塔ということになります。次に上部の日輪・月輪で...里山の石神端書106供養塔(群馬県下仁田町)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(99)十六羅漢

    十六羅漢(埼玉県飯能市、天覧山)伊藤介二・昭和の石仏写真館(99)十六羅漢

  • 里山の石神端書105 山の神(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町西牧野・中野の山の神中野は黒川川最奥の集落。集落入口の急な石檀を登った先に山の神社が建っています。覆い屋の中の傷んだ木祠に鎮座するのは3体の神々。いずれも20㎝ほどの大きさ。右側の夫婦神が山の神なのでしょう。男神の威厳のある表情や女神の豪華な衣文から、腕の良い職人の作とわかります。群馬の山の神では、奥利根地方の斧を持つ男神と子どもを抱く女神が対で祀られるのを見ることがありましたが、ここ西上州でもその影響があるのでしょうか。もう1柱の神は女神のようで、首のあたりが不自然で両手は失われていますが、こちらは先に2体よりは若干見劣りがします。3体とも当初は色彩された美しい姿だったようです。山の神社の上にはお寺になっています。神社、お寺とも維持していくのは大変なことです。(地図は国土地理院ホームページ...里山の石神端書105山の神(群馬県下仁田町)

  • 里山の石神端書104 道祖神(群馬県下仁田町)

    群馬県下仁田町西牧野・半弓の道祖神半弓は山の上の集落で、数軒の家屋がありますが人の気配はありませんでした。集落の一段高い場所に建つ御堂の周りに佇む多くの石造物、特に石祠型墓石などはこの集落が江戸時代の初めから人々の篤い信仰があったことを物語っています。六地蔵石幢の造立は元禄11年(1698)。どの地方でも石幢は古い時代の造立です。石幢だけではなく、六地蔵もあります。道祖神もあります。ハッキリしませんが向かって右の男神が盃、左の女神が酒器を持つように見えます。下仁田町の道祖神は双体が主流で、江戸時代の元禄(1688~)以降の双体道祖神が確認(注)されています。山村の里山を歩いていつも思うのです。たまたま通りがかった者が人に出会わなかっただけであれこれ言う資格はありませんが、かつては過疎の村で今は限界集落、そ...里山の石神端書104道祖神(群馬県下仁田町)

  • 里山の石神端書 山梨県甲斐市亀沢川

    甲斐市上菅口・諏訪神社の石祠甲斐市上菅口・広斉寺の石祠型墓石甲斐市安寺・八雲神社の仙元大菩薩甲斐市神戸・薬師堂の種字般若菩薩甲斐市下福沢・双峯院の一石六地蔵甲斐市上福沢・道端の秋葉山石祠甲斐市下芦沢・宝勝寺の石幢甲斐市上芦沢・道端の石仏群里山の石神端書山梨県甲斐市亀沢川

  • 里山の石神端書103 石仏群(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市上芦沢・道端の石仏群上芦沢は亀沢川沿いの一番奥の集落で、ここでも道端に石造物が集められています。左から庚申塔、石幢、「馬頭観音」、合掌像(頭なし)、地蔵菩薩、一石地蔵、「馬頭観世音」、菩薩像(頭なし)、合掌像(頭なし)、馬頭観音、合掌像(頭なし)、「大日供養塔」、合掌像(頭なし)、双体像、祠内仏と思われる双体像、馬頭観音の計16基。丸彫り像は頭なしがほとんどなのはどうしてでしょう。これに丸石神と石祠型墓石が並べば、山梨石造物全員集合となります。その石祠型墓石は、集落の上に新しく造られた墓地に移されています。この墓石に銘はありませんが、江戸時代初期に造立されたはずです。山間部の集落は過疎化が進み、話を聞く人に出会うこともめったにありません。それでも神社や墓地は綺麗に手入れされていて、石仏たちが集...里山の石神端書103石仏群(山梨県甲斐市)

  • 日本の石仏177(2022-08)

    ■発行・日本石仏協会〒254-0031神奈川県平塚市天沼7-59-305(中森)TEL0463-24‐0203■発売・青娥書房〒101‐0051東京都千代田区神田神保町2-10-27TEL03‐3264‐2023■2200円【表紙】コロナ禍の三密/宮城県柴田町船岡の大光寺の五百羅漢(田中英雄)【写真】▼三十三夜塔/佐賀県嬉野市塩田町の上福天神(森満也)▼邑楽・海老瀬の青面金剛/群馬県板倉町海老瀬(細田秀明)▼氏家・勝山の観音様/栃木県さくら市氏家の勝軍地蔵尊(細田秀明)▼子抱地蔵尊/東京都青梅市和田の徳昌寺(小川洋子)▼子抱地蔵尊/埼玉県さいたま市西区の永泉寺(小川洋子)▼馬頭観音/長野県伊那市高遠町西高遠(久野秀晴)【特集】災害の石仏▼伝承、供養と遺戒の石造物(中森勝之)▼房総半島元禄津波の供養塔(三明...日本の石仏177(2022-08)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(98)聖天院

    聖天院(埼玉県日高市)山内寺院案内高麗王若光の墓雷神風神地蔵菩薩伊藤介二・昭和の石仏写真館(98)聖天院

  • 里山の石神端書102 石幢(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市下芦沢・宝勝寺の石幢下芦沢の公民館も兼ねた宝勝寺の墓地は小川を渡った先。その一角に石幢が3基並んでいます。幢(どう)は旗のことで、仏教では仏菩薩の象徴となります。数枚の幢を筒状にしたのが幢幡(どうばん)で、寺の本堂の天井から吊し飾る装飾具としてよく見かけます。幢幡を石で造ったのが石幢。中国から入ったもので、日本では平安時代末期から造立され、室町時代に盛んに造られました。その形に二種類あり、六角形の幢身の各面に地蔵菩薩を浮彫し笠を付けた形を単制。笠の下に龕(石燈籠の火袋のようなものがあり、この部分を龕(がん)と呼ぶ。龕は仏像を納める厨子)のあるものを重制としています。石造物の多くは近世の造立ですが、この石幢は中世の室町期のものが多いのも特徴です。下芦沢がある亀沢川の集落にはどこでも一基あるいは二...里山の石神端書102石幢(山梨県甲斐市)

  • 里山の石神端書101 秋葉山石祠(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市上福沢道端の秋葉山石祠秋葉山は静岡県浜松市天竜区(旧春日町)の山中に建つ火伏で知られた神社。江戸時代から火伏の神として各地に勧請され、代参者が火伏のお札をいただきに山に登りました。その道は秋葉道といわれ、道筋や勧請先の一部では常夜燈が建てるという特徴がありました。一部というのは秋葉山のおひざ元の遠州や三河や信州です。しかし遠方では文字塔が主流のようです。どうして石燈籠を建てるようになったかは不明です。思うに、東海道など人通りの多い道筋に道標を兼ねて建てられたたということもあったのかもしれません。遠方の勧請先ではその必要がないので文字塔になったということでしょうか。この甲斐市の亀沢川の谷は相当の山の中で、集落にはそれぞれに秋葉山の石造物があり、不思議なことにこれまで案内した上菅口、安寺、神戸はみ...里山の石神端書101秋葉山石祠(山梨県甲斐市)

  • 里山の石神端書100 一石六地蔵(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市下福沢双峯院の一石六地蔵一石六地蔵は絵馬型の一石に六体の地蔵を彫り出した石造物。亀沢川の集落ばかりでなく、山梨県ではどこでも見られる地蔵です。特に寺院や墓地に多く立っていますから、個人の造立なのでしょう。双峯院では一か所にまとまれていますから、墓地整理のときに集められたのだと思います。一石六地蔵のそれぞれは小さな地蔵ですから、六体の地蔵のほとんどは同じ合掌の地蔵が並びます。双峯院では一基だけ持物がわかる六地蔵がありました。その持物は向かって右から幡・天蓋・柄香炉・合掌・不明・宝珠。単体六地蔵の持物はいろいろですが、幡と天蓋を持つ地蔵を見つけると、造った石工のこだわりの深さを感じたりします。これを一石六地蔵で表現するのは面倒な作業になると思います。境内入口には丸石道祖神や道祖神祭りの案内がありま...里山の石神端書100一石六地蔵(山梨県甲斐市)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(97)庚申塔

    庚申塔(埼玉県三郷市・前間公民館)全体延宝(1673~1680)享保10年(1725)文化6年(1809)天保3年(1832)文久3年(1863)伊藤介二・昭和の石仏写真館(97)庚申塔

  • 里山の石神端書99 種字・般若菩薩(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市神戸・薬師堂の種字般若菩薩神戸集落の上部に小さな覆い屋があり、内部の厨子に木造薬師と石造薬師如来が祀られています。石造薬師に添えられている木札には「般若會上十六善神哀愍/種字・ジニャ専祈念邨内安全子孫栄久守護」の墨書き。種字ジニャは知恵の仏・般若菩薩です。十六善神は般若菩薩の眷属で大般若経を守護する役目。仏書には、鎌倉時代から絵図として描かれ般若会に使われてきたとあります。神戸集落でも般若菩薩のご祈祷があって、「般若菩薩を祈ることにより、般若と十六善神の慈しみを受け、村内安全と子孫の久しい繁栄と守護をお願いします」とお願いしていたのでしょう。この場所は集落の神々が祀られてきた場所で、馬頭や一石六地蔵などの石造物が無造作に置かれています。この無造作が石仏には似合います。ここは道祖神のお祭りもする...里山の石神端書99種字・般若菩薩(山梨県甲斐市)

  • 里山の石神端書98 仙元大菩薩(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市安寺・八雲神社の仙元大菩薩亀沢川沿いの集落では、どこも道路拡幅工事のため各所にあった石造物を一か所に集めています。案寺集落も石仏を集落入口に集めていて、十一面と馬頭観音、石棒と丸石、文字庚申塔に秋葉山燈籠などが並んでいます。「仙元大菩薩/安政三年(1856)」の石塔は集落上の八雲神社にあります。仙元大菩薩は富士山の神ですが、浅間でなくどうして仙元なのかは竹谷靭負氏の『富士山の祭神論』(平成18年、岩田書院)から紹介します。竹谷氏は、富士信仰研究の第一人者である岩科小一郎氏が、浅間大菩薩を仙元大菩薩に改めたのは角行と、指摘しています。角行は戦国時代末期から江戸時代初期に、富士信仰を庶民のための信仰へ導いた行者。しかし竹谷氏はこれを疑問視して、富士信仰と伯家神道の密接なかかわりを文献から紹介して、...里山の石神端書98仙元大菩薩(山梨県甲斐市)

  • 「猫、蛇の石造物論考」

    宮城県・村田町歴史みらい館の石黒伸一朗氏から、猫蛇の石造物の関する論考などをいただきました。「福島県内で新たに調査した猫に関する石碑と石造」福島の猫石造の報告は県北地方が主でしたが、今回は県南部からの報告も数カ所あるのが注目されます。「宮城県南部の蛇供養・蛇霊神などの石碑」蛇関係石造物の造立目的を石黒氏は「蛇の祟り封じ、鼠除け、養蚕神、商売繁盛、水神という性格を有する」としています。「福島ねこづくり展」2022年7月23日~8月21日福島美術館(福島市森合字西養山)1章見つけた!美術のなかの猫たち2章お願い!猫神さま川俣町猫稲荷人神社の絵馬たち「猫、蛇の石造物論考」

  • 石仏公開講座2022

    日本石仏協会・第43回石仏公開講座(写真は講座に関係ありません。宮城県柴田町・大光寺の羅漢)■期日8月27日(土)■時間午前9時45分~午後5時第1講9:45~11:15第2講11:30~13:00第3講13:45~15:15第4講15:30~17:00■場所大正大学大会議室(地下鉄都営三田線・西巣鴨駅)☎03-3918-7311■参加費3000円■講座第1講「観音の女神性-庶民信仰の流のなかに-」理事・小島隆司第2講「民間信仰の中の動物石像-オオカミを中心にして-」富士見町博物館協議委員・下平武第3講「羽前の庚申異様塔」-三尸(三彭)塔と一座塔を中心に-顧問・加藤和徳第4講「房総の大名・旗本墓」大多喜町教育委員会・小高春雄*新型コロナ感染状況により中止の場合は、日本石仏協会HPでお知らせいたします。石仏公開講座2022

  • 八千代古文書同好会 2022-08

    ■8月例会は休みです。■9月例会は24日です。「佐倉藩年寄日記」2班P776左~P780左3班P781左~P784左1班P785左~P788左「てまり唄」12左■八千代古文書同好会では「佐倉藩年寄部屋日記」を読んでいます。ただいま会員募集中です。お問い合わせはbosatu@olive.ocn.ne.jpへ。八千代古文書同好会2022-08

  • 八千代新川千本桜 22-08

    実は5月に坐骨神経痛と診断されました。治療ですぐ治まったものの6月から再発して苦しんでいます。そらからネット上にあった、坐骨神経痛も直しかたメニューの一つを朝昼晩と続け、やっと楽になったので、遅くなってしまったのですが7月下旬からアジサイの剪定をはじめました。新川へはいつも自転車ですが、今回ばかりは午後遅く車で通うこと4日、やっと終了です。八千代新川千本桜22-08

  • 屋上菜園2022-08夏本番

    7月中旬から戻り梅雨の状態で、屋上の野菜にとっては幸運でした。その間にツルムラサキ、ミニトマト、つるなしインゲンが成長しました。しかし下旬から夏本番になって屋上菜園はギブアップです。ミニトマトはなんとか頑張っています。つるなしインゲンは高温になると、花は咲けども実りません。ヨシズを張ってあげたら実るようになりました。ツルムラサキは高温大好きで成長を続けますが、食べ飽きました。屋上菜園2022-08夏本番

  • 里山の石神端書97 石祠型墓石(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市上菅口・広斉寺の石祠型墓石集落の高台に建つ広斉寺の狭い境内に、立派な六地蔵の巖がついた石幢が立っています。石幢は亀沢川の集落ではどこでも見られますが、その多くは中世のものです。またここで案内する石祠型墓石は近世初頭のものですから、この二つがある集落は戦国期以前からある所となります。石祠型墓石はお寺の裏の墓地にあります。石祠型墓石は戦国末期から江戸時代初めの100年の間に、関東甲信で造られた墓石で、多くは寄棟か入母屋造りです。その分布は戦国期の武田領と重なっていて、駿河の武田領だった地域でも建てられました。祠内に二体に僧形石像が入っていることが多く、これはご先祖様とされています。私はこの僧形石像が、江戸時代初めに群馬に登場する双体道祖神の祖型の一つとみています。上の写真では石祠型墓石の他に、僧形...里山の石神端書97石祠型墓石(山梨県甲斐市)

  • 里山の石神端書96 石祠(山梨県甲斐市)

    山梨県甲斐市上菅口・諏訪神社の石祠山梨はいろいろな石造物が見られる土地です。巖部付き石幢、一石六地蔵、丸石神、道祖神石祠、石祠型墓石などがその代表です。今回の甲斐市の亀沢川沿いの集落にもいろいろありました。上菅口の入口に建つ諏訪神社には大きな石祠が並んでいます。その数7基。なかでも大きな流れ破風造りの石祠は屋根の長さだけで140センチ、破風だけでも80センチもあるものです。屋根のグシと破風の先には武田菱があります。甲斐の領主武田に関係ある石祠なのでしょうか。諏訪神社先に石造物を集め奉ったような場所があります。丸石、馬頭、地蔵、双体像、庚申塔、秋葉塔などにぎやかです。その一つ馬頭に「二百二十一番供養/百二十一番/十九夜待供養」銘、この数字は何を指しているのかわかりません。亀沢川沿いの集落ではこのような、道路...里山の石神端書96石祠(山梨県甲斐市)

  • 里山の石神端書 富山県立山町白石川流域

    立山町目桑・目桑神社の鳩立山町谷・神社の如来立山町伊勢谷・神明社のさざれ石立山町長倉・刀尾神社の絵馬立山町松倉・如来寺の法蔵菩薩立山町座主坊・剱岳の神上市町大岩・日石寺の磨崖不動明王里山の石神端書富山県立山町白石川流域

  • 里山の石神端書95 磨崖不動明王(富山県上市町)

    富山県上市町大岩・日石寺の磨崖不動明王日石寺の磨崖仏大岩不動は富山を代表する石仏です。何度も写真で見ましたから、その姿は目に焼き付いていまして、場所は洞窟の中と勝手に想像していました。ところが驚いたことに磨崖仏は本堂の中にありました。磨崖仏だけ切り取った写真からは、本堂内ということにはまったく気づきませんでした。大岩山日石寺は大岩不動として知られた立山や剱岳を行場とする行者の修行地で、富山を代表する山岳寺院です。不動明王磨崖仏は剱岳の本地仏ともされてきました。その不動を中央に、向かって右から衿羯羅童子と阿弥陀如来左、左から制迦童子と僧座像。奈良時代に不動・衿羯羅・制迦が彫られ、平安時代に阿弥陀・僧が追刻されたと案内されている磨崖仏です。制迦童子の顔がほとんどなくなっているのは、戦国の天正年間(1585ころ...里山の石神端書95磨崖不動明王(富山県上市町)

  • 里山の石神端書94 刀尾神宮(富山県立山町)

    富山県立山町座主坊・刀尾宮座主坊は白岩川の最奥の集落。南の山を越えれば立山信仰の登山口芦峅寺です。座主坊(ざしゅぼう)とう名から、なにかお寺でもあるのかなと訪ねました。しかしあったのは刀尾宮という神社で、お寺は見つけられませんでした。刀尾(たちお)神社は白岩川の長倉にもあり、この石神端書93で案内した懇親会で昼食を御馳走になった神社です。刀尾神社の祭神は剱岳の神です。『白山立山と北陸修験道』(注)によると、この神は剱岳・立山一帯の地主神で、佐伯有頼の立山開山縁起にも登場し、その本地は不動明王となっています。「刀尾天神とも称され、立山登山口のもう一つの寺・岩峅雄山神社境内には刀尾社が鎮座し(略)富山市大田本郷には刀尾神社・刀尾寺が立山前宮のおもむきで鎮座し、この他各地に刀尾社と名のる小社が現存する」とありま...里山の石神端書94刀尾神宮(富山県立山町)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(96)成田山

    成田山(埼玉県三郷市)三郷市新和・長昌寺三郷市笹塚・日枝神社三郷市丹後・光福寺三郷市彦倉・子ノ神社三郷市上彦名・地蔵院伊藤介二・昭和の石仏写真館(96)成田山

  • 里山の石神端書93 法蔵菩薩(富山県立山町)

    富山県立山町松倉・如来寺の法蔵菩薩如来寺は廃寺になり、山門跡の石仏2体が迎えてくれます。一つは薬壺を持つ薬師、もう一つは頭上に僧風の顔を載せた仏で、思い当たる仏菩薩はありません。境内の木祠内では法蔵菩薩という不思議な石仏に出会いました。法蔵菩薩は阿弥陀如来の修行中の姿とされています。富山の法蔵菩薩の石仏は尾田武雄氏の『とやまの石仏たち』に詳しく紹介されています。同書によると、この石仏は立山町とその周辺に22体確認されているそうです。その背景には富山の地が真宗地帯であることに関係し、それは真宗門徒が唱える「正信偈」の冒頭にある「帰命無量寿如来南無不可思議光法蔵菩薩因位時」に登場する修業中の阿弥陀で、門徒には大変親しまれていることを指摘しています。ところで修業中の阿弥陀としては五劫思惟(ごこうしゅい)阿弥陀が...里山の石神端書93法蔵菩薩(富山県立山町)

  • 里山の石神端書92 絵馬(富山県立山町)

    富山県立山町長倉・刀尾神社の絵馬かつて40数軒もの家が集まる集落だった長倉は山の中、その入口に建つのが刀尾神社です。集落を訪ねた日、神社には大勢の人が集まっていました。聞くと、長倉はすでに廃村、年に一度5月5日に集まって懇親会をやっているとのこと。かつての住民が集まって、境内はじめ拝殿と祭殿を掃除して清め、祝詞をあげ参拝した後の直会の最中に訪ねたということでした。そして直会に招いていただき、会食のおもてなしまでいただきました。拝殿にかかげてあったのが大きな奉納絵馬「信州川中嶌大合戦両将直合一覧」です。上杉謙信と武田信玄の戦いの様子が色鮮やかに描かれています。刀をふりかざす馬上の謙信と、床几に腰を下ろし軍配でこれに応じようとする信玄を中心とした合戦の様子です。ここに大きく描かれているのが纏(まとい)で、信玄...里山の石神端書92絵馬(富山県立山町)

  • 里山の石神端書91 さざれ石(富山県立山町)

    富山県立山町伊勢谷・神明社のさざれ石白石川上流伊勢谷集落の中程、道脇に造られた窪みに庚申塔と六地蔵が祀られています。その先の河原近くに建つのが神明社。かつては近くの山中にあったのをこの地に遷した神社です。古い神社は窪みの石仏の手前の山のかなで、立ち入り禁止です。白岩川上流の集落は廃屋が多く、無用の立ち入りはしてほしくないということです。集落の人に断って古い神社へ行ってみると、鳥居のところに小石が固まってできた大きな岩が倒れていました。このような石は目桑の目桑神社でも見ましたし、この白石川上流の神社ではごく普通に置かれている石で、「さざれ石」と呼んでいます。国家・君が代に歌われるさざれ石で、有り難い石です。このような石、どこから探してくるのかわかりませんが、白石川上流に多いのでしょうか。古い神社の入口にも立...里山の石神端書91さざれ石(富山県立山町)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(95)庚申塔

    庚申塔(埼玉県三郷市・常楽寺、御嶽神社)元和9年(1622)常楽寺延宝4年(1676)常楽寺享保元年(1716)御嶽神社寛政11年(1799)御嶽神社伊藤介二・昭和の石仏写真館(95)庚申塔

  • 里山の石神端書90 如来(富山県立山町)

    富山県立山町谷・神社の如来富山市でも白石川上流は立山山麓の山間部で雪が多いのでしょう、石仏に覆い屋を造るところが目立ちます。谷の集落にも可愛い覆い屋のなかに十一面観音が納まっています。集落先にある神社も、社殿全体を包む大きな覆い屋の中に鎮座しています。入口はアルミサッシ戸、これなら社殿も長持ちするはずです。神社への石段脇に石仏が浮き彫りされた石塔が立っています。風化がひどく尊名はわかりませんが、如来坐像のようです。石仏の寿命は石の素材にもよりますが意外に短いもので、100年も経つと風化が進んで銘などは読めなくなります。これに苔なども付くと石仏の劣化が早まります。石仏に帽子やよだれ掛けをつける光景をみますが、これも雨水を吸い込んだり虫の巣になったりして石が弱ってしまいます。露座の石仏は驚くほど弱いものです。...里山の石神端書90如来(富山県立山町)

  • 里山の石神端書89 鳩(富山県立山町)

    富山県立山町目桑・目桑神社の鳩白岩川の目桑集落の外れの山の上に建つ目桑神。この神社については、集落の人に紹介された目桑の区長・戸田氏から資料をいただいた。それによると、神社はこの地に古くから住んでいた5戸の氏神(水神宮・火の宮・八幡社・草木宮・祇園宮)を合祀したもので、各氏神の創建は室町末期から戦国期で、それぞれの木彫の御神体を合わせ祀っているとのこと。5戸は中世にこの地を支配した寺島氏(近くの池田城が居城)の地侍だったようです。境内に陶器の鳩が狛犬代わりに祀られています。戸田氏によると鳩は昔からあったそうです。鳩といえば八幡様のお使いです。目桑神社にも八幡宮が合祀されていますから、その関係での造立とも考えられます。神社の平坦地に卵塔が並んでいます。戸田氏によると昔清水庵という寺があった場所だそうです。戸...里山の石神端書89鳩(富山県立山町)

  • 里山の石神端書 新潟県上越市柿崎区

    上越市柿崎区平沢・路傍の十王上越市柿崎区平沢・光宗寺の阿弥陀如来上越市柿崎区下牧・仮御堂の薬師如来上越市柿崎区水野・大神宮の神像上越市柿崎区米山寺・密蔵院の六地蔵上越市柿崎区芋島・楞厳寺の子抱地蔵里山の石神端書新潟県上越市柿崎区

  • 里山の石神端書88 子抱地蔵(新潟県上越市)

    新潟県上越市柿崎区芋島・楞厳寺の子抱地蔵楞厳寺は石仏の寺。寺の入口で丸彫りの如意輪観音が迎かえてくれます。その次は地蔵菩薩。この地蔵、錫杖を持ち子供を抱いています。見るからに元気でわんぱくそうな子供です。この姿の地蔵は子授け・安産・子育てを祈願する子育地蔵、子安地蔵と呼ばれてきました。観音の子育観音、子安観音と同じです。ところで私などは地蔵=男、観音=女というイメージがあり、観音には慈母観音があります。地蔵には賽の河原で鬼に意地悪される子供を救う役目もありますが、どうも子供を育てるイメージがわいてきません。子安地蔵を追いかけている知人の女性はこの地蔵を「子抱地蔵」としています。そこでこのブログのタイトルは「子抱地蔵」としました。境内に入ると六地蔵が並んでいます。そのなかの一尊は子供を抱いています。六地蔵の...里山の石神端書88子抱地蔵(新潟県上越市)

1件〜100件

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、偏平足さんをフォローしませんか?

ハンドル名
偏平足さん
ブログタイトル
偏平足
フォロー
偏平足

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用