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  • 里山の石神端書277 男根(千葉県成田市旧下総町)

    千葉県佐倉市(旧下総町)小野・八幡神社の男根利根川下流の下総町が成田市と合併したのは2006年。旧下総町の丘陵地帯の小野八幡神社で、石碑に彫られた男根がありました。これは男根石と同じ趣旨の性神です。男根の大きさは約20センチ。これまでいろいろな石造男根を見てきましたが、この形は初めてです。淫祠(いんし)として為政者が造立を取り締まってきたこの種の石造物が、各地に残っているのは、性神信仰の根強さを示すものです。八幡神社の性神がどのような信仰背景があっての造立かは不明ですが、子授け子育てを願う神の一つであることは間違いありません。性神の脇には同じような男根のミニサイズの片割れがありました。このようなミニサイズの石造物は下総町の道祖神に見ることができます。この下総町には小さな石祠を道祖神として祀る風習があります...里山の石神端書277男根(千葉県成田市旧下総町)

  • 里山の石神端書276 十九夜塔(千葉県成田市旧神埼町)

    千葉県佐倉市(旧下総町)大和田・龍安寺の十九夜塔利根川下流の下総町が成田市と合併したのは2006年。旧下総町の丘陵地帯の大和田にある龍安寺を訪ねました。龍安寺は曹洞宗の寺で山門前に禅宗特有の「不許葷酒入山門」の結界石が立っていました。その裏側には弘法大師の石仏群は、この寺が成田組十膳講八十八所霊場の一番になっているための造立でしょう。境内に入ると、左手に菩薩の石仏が並びます。その右端に座すのが「奉待十九夜/文化十四丑(1817)」銘の十九夜供養塔。十九夜塔は女性たちが、月齢十九日の夜に当番あるいはお堂に集まって経を唱え、歓談した行事を行って造立した石塔です。集まったとき掲げる軸の本尊は如意輪観音とされています。したがって造立された十九夜塔も例外もありますが如意輪観音がほとんどです。龍安寺の十九夜を見ると観...里山の石神端書276十九夜塔(千葉県成田市旧神埼町)

  • 昭和の石仏写真館(168)川口市の寺社⑤

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県川口市の寺社⑤新光寺(峯)新光寺・不動明王新光寺・異形十一面観音新光寺・地蔵菩薩安行原蛇ノ木下安行原蛇ノ木下・大日如来安行原蛇ノ木下・庚申塔安行原蛇ノ木下・地蔵菩薩峯路傍・道祖神安行原蛇ノ木・庚申塔安行原蛇ノ木・地蔵菩薩安行原蛇ノ木・成田不動昭和の石仏写真館(168)川口市の寺社⑤

  • 里山の石神端書 埼玉県本庄市児玉町秋山

    里山の石神端書270宝筐院陀羅尼経(本庄市児玉町秋山・日輪寺)里山の石神端書271石棒(本庄市児玉町秋山・御嶽神社)里山の石神端書272五神神名塔(本庄市児玉町秋山・秋山新蔵人神社)里山の石神端書273文殊大士(本庄市児玉町秋山・直正寺)里山の石神端書274二十二夜塔(本庄市児玉町秋山・薬師堂)里山の石神端書275十二天(本庄市児玉町秋山・十二天山)里山の石神端書埼玉県本庄市児玉町秋山

  • 里山の石神端書275 十二天(埼玉県本庄市児玉町)

    埼玉県本庄市児玉町秋山・十二天山の十二天秩父の山脈は本庄市の西の児玉町あたりから始まります。十二天はその秋山集落の山中に建つ神社です。秋山集落から林道に入り、馬頭観音が鎮座する瓦屋根の木祠が建っているところがかつての登山口で、石燈籠に「従是千百米」銘がありました。今の登山口の十二天池で、社務所・十二天会館が建っています。林道はさらに奥にのびて十二天神社の下まで入ります。ところで十二天は仏教の守護神、とくに密教の守護として行や儀式が行われた道場に絵図として用いられたようで、木彫としても少なく、石仏となるとほとんどありません。一般には災厄から守護とされたようです。山ではこれまで奥多摩の三ノ木戸山と西上州の馬居沢秋葉山で十二天に出会っています。奥多摩の三ノ木戸山の十二天尾根には「十二天山神」銘の丸石があり、宮内...里山の石神端書275十二天(埼玉県本庄市児玉町)

  • 里山の石神端書274 二十二夜塔(埼玉県本庄市児玉町)

    埼玉県本庄市児玉町秋山・薬師堂裏の二十二夜塔秩父の山脈は本庄市の西の児玉町あたりから始まります。その山裾に建つ薬師堂の裏庭に石造物が並んでいました。一か所に集められたといった感じです。「猿田彦大神」、「庚申塔」、青面金剛庚申塔、墓石2基、石祠型墓石、宝篋印塔型墓石、二十二夜待供養塔、卵塔2基。庚申関係の石造物が3基ありますから、庚申信仰が継続して行われてきたのでしょう。卵塔は僧侶の墓石、石祠型墓石は江戸時代初期のものです。二十二夜塔には「二十二夜待供養/延享二年乙丑(1745)十二月廿二日/女人十一人」銘がありました。『日本石仏事典』(注1)には月待塔として十三夜塔から二十六夜塔まで解説され、これらが近世の造立で、地域により偏りがあり、造立者が男か女か、信仰の具体的例なども紹介されていて、実にさまざまな願...里山の石神端書274二十二夜塔(埼玉県本庄市児玉町)

  • 昭和の石仏写真館(166)川口市安行

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県川口市安行の寺社金剛寺(安行吉岡)金剛寺案内金剛寺不動明王安行領塚路傍庚申塔・寛文(1661~63)安行領塚路傍庚申塔・寛保2年(1717)興善寺(安行領塚)庚申塔・元禄7年(1694)興善寺(安行領塚)庚申塔・宝暦8年(1758)興善寺(安行領塚)地蔵菩薩安行領家路傍庚申塔・安永3年(1774)宝蔵院(安行原)板碑・応安7年(1374)宝蔵院(安行原)成田不動昭和の石仏写真館(166)川口市安行

  • 里山の石神端書273 文殊大士(埼玉県本庄市児玉町)

    埼玉県本庄市児玉町秋山・直正寺の文殊大士秩父の山脈は本庄市の西の児玉町あたりから始まります。その山際に建つのが禅宗の戸田山直正寺。本堂とその上に立つ文殊堂からなる寺です。寺の案内には、江戸時代初期の「承応元年(1653)戸田五郎左衛門直正が、戸田氏の供養のため廃寺を中興した」とありました。戸田氏はこの地を給地とした旗本。文殊堂は向拝柱を飾る豪華な木鼻と禅宗独特の花頭窓がある落ち着いた建物です。しかし堂内は畳もあげられて荒れるにまかせた感じ。天井の花絵のほとんどは薄れてしまいました。ここに案内する「文殊大士」の文字塔は、片付けられて淋しい仏壇の下に置かれていました。自然石を利用した文字塔です。文殊大士は文殊菩薩の一つの呼びかたで、特に禅宗で修行僧の理想形として僧形の文殊大士が座禅堂に安置されてきました。した...里山の石神端書273文殊大士(埼玉県本庄市児玉町)

  • 里山の石神端書272 五神神名塔(埼玉県本庄市児玉町)

    埼玉県本庄市児玉町秋山・秋山新蔵人神社の五神神名塔秩父の山脈は本庄市の西の児玉町あたりから始まります。その山裾に建つ秋山新蔵人神社は、南北朝時代この地に縁があった秋山新蔵人光政の子孫が祀ったものと、境内の案内にありました。それは小さな社殿で、秋山集落に建つ寺社はどこも質素といった印象です。境内の隅に五角柱のそれぞれに「埴安媛命/倉稲魂命/天照大神/大己貴命/少彦名命」銘を刻した五神神名塔が祀られていました。高さ78センチ。五神神名塔は関東では、佐倉、相模など限られた土地で造立されたことがわかっています、どこでも70センチ前後の高さです。この石塔の造立目的は五穀豊穣を願うもので、土の神を祀る〝社日〟の習俗が根底にあるとされ、この石塔を地神と呼ぶ地方もあります。社日は「一年に二回あり、春分と秋分に最も近い戊の...里山の石神端書272五神神名塔(埼玉県本庄市児玉町)

  • 里山の石神端書271 大魔羅(埼玉県本庄市児玉町)

    埼玉県本庄市児玉町秋山・御嶽神社の大磨羅秩父の山脈は本庄市の西の児玉町あたりから始まります。その山裾に建つ御嶽神社があるというので訪ねみました。御嶽(みたけ)神社というので、木曽御嶽(おんたけ)ではなく奥多摩の御嶽神社を勧請したものかと訪ねたのですが、それは小さな敷地の小さなお宮で、脇に大きな男根石が鎮座していて、予想は大外れでした。案内によると、御嶽神社は「この地にある飯島一族の氏神様で、古くから子孫繁栄、夫婦和合の神様」ということでした。さらに「御神体は石棒で(略)その型にならってか、大小様々な石棒が人知れず奉納され(略)秋山の大魔羅と呼ばれている」とありました。お宮をのぞくと内部には小さな木の男根が沢山納められていました。案内には「あまりの多さに氏子が時折取り片付ける事もある」とも。肝心の石棒ご神体...里山の石神端書271大魔羅(埼玉県本庄市児玉町)

  • 里山の石神端書270 宝筐院陀羅尼経(埼玉県本庄市児玉町)

    埼玉県本庄市児玉町秋山・日輪寺の宝篋印塔秩父の山脈は本庄市の西の児玉町あたりから始まります。その山裾に建つ日輪寺は真言宗の寺、境内に宝篋印塔のような石塔が立っていました。この塔、相輪はあるものの笠は宝篋印塔のものとは違う層塔や宝塔のような形です。二段構えの上塔身の四面に彫られた種字金剛界四仏(阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)が宝篋印塔であることを示しています。これに「宝篋印塔」銘でもあれば間違いなく宝篋印塔となるのですが……。宝篋印塔は宝筐印陀羅尼を納めるための塔で、鎌倉時代以降石塔の一つとして盛んに造立されました。江戸時代になると墓石としても造立され、形も変形を重ねてこの日輪寺のような宝筐印塔も登場しました。造立の目的は下塔身に刻まれています。「経曰若有有情能於此塔一香一華禮拝供養八十」「億刧生死重罪一時...里山の石神端書270宝筐院陀羅尼経(埼玉県本庄市児玉町)

  • 昭和の石仏写真館(166)川口市の寺社④

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県川口市の寺社赤山城跡(赤山)赤山城址案内真乗院(石神)真乗院庚申塔・元禄三年(1690)真乗院庚申塔・宝暦七年(1757)宝蔵寺(西新井宿)庚申塔・元禄八年(1695)宝蔵寺庚申塔・寛政三年(1791)宝蔵寺庚申塔・文政三年(1820)源長寺(赤山)案内源長寺石仏源長寺庚申塔・正徳六年(1716)昭和の石仏写真館(166)川口市の寺社④

  • 里山の石神端書 千葉県南房総市千倉

    里山の石神端書264地蔵絡子(南房総市千倉の平磯)里山の石神端書265鯨塚(南房総市千倉の平磯)里山の石神端書266大日如来(南房総市千倉の千田)里山の石神端書267鯉(南房総市千倉の千田)里山の石神端書268風神雷神(南房総市千倉の大川)里山の石神端書269やぐら(南房総市千倉の大川)里山の石神端書千葉県南房総市千倉

  • 屋上菜園2024-03闘病日記24

    2月5日夜は八千代市も大雪となりました。屋上菜園は雪の綿帽子をかぶって暖かそうです。6日朝は長靴を履いて外に出ました。しかし雪かきをするカミさんを見ているだけでした。食道がん発病以後、体力はすっかり衰えてしまいました。*2月は抗がん剤副作用の口内炎で苦しみました。食べられるのはおかゆ・麺・パスタなど味が薄く柔らかいものだけ。中旬に担当医にお願いしてうがい薬を変えてもらいましたが、それも効果がなく、「抗がん剤を休みますか」との提案がありました。確かに治療を休むのが一番良い方法です。でもそうすると転移したリンパのがんがまた動き出してしまうのが心配。どちらを選ぶか?治療を選択ました。それにもかかわらず2月下旬のCT検査の結果、リンパのがんは増大、肝臓のがんも復活。口内炎に苦しんだ今回の抗がん剤の効果は無し、とい...屋上菜園2024-03闘病日記24

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