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  • 里山の石神端書233 三界萬霊塔(福島県いわき市遠野)

    福島県いわき市遠野町川堀・観音堂の三界萬霊塔いわき市の遠野は、いわき市の湯本と内陸部の石川町を結ぶ御斎所街道にある山間の街。御斎所は遠野町にある御斎所山からの命名だそうで、このブログの石仏177御斉所山で案内しました。御斎所街道から北には外れた山裾に建つ観音堂。境内入口にそびえるイロハ楓の巨木が目印です。農作業をしていた男性の話では、御堂本尊の観音は戦後2度盗難にあい、そのたびに造り直したそうで、いまは施錠されて本尊は拝観できません。境内隅に「三界萬霊塔」に立っています。上部に刻された種字は阿弥陀如来(キリーク)、勢至菩薩(サク)、観音菩薩(サ)の阿弥陀三尊。「三界」は欲界(淫欲、食欲のはなはだしい世界)・色界(欲界ほどではないが色を有する世界)・無色界(精神のみが存在する世界)、萬霊はこの世の生命あるも...里山の石神端書233三界萬霊塔(福島県いわき市遠野)

  • 昭和の石仏写真館(151)所沢・狭山不動寺②

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市上山口の狭山不動寺昭和の石仏写真館(151)所沢・狭山不動寺②

  • 里山の石神端書 山梨県丹波山村・青梅街道

    里山の石神端書223太子堂(東京都奥多摩町青梅街道)里山の石神端書224姫の石観音(東京都奥多摩町小留浦)里山の石神端書225不生位(山梨県丹波山村)里山の石神端書226大日・馬頭(山梨県丹波山村)里山の石神端書227大六天(山梨県丹波山村)里山の石神端書228一石六地蔵(山梨県丹波山村)里山の石神端書229光明真言塔(山梨県丹波山村)里山の石神端書230良円和尚(山梨県丹波山村)里山の石神端書231木花開耶姫神(山梨県丹波山村)里山の石神端書232双体像(山梨県丹波山村)里山の石神端書山梨県丹波山村・青梅街道

  • 里山の石神端書232 双体像(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村丹波・宝蔵寺の双体像甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった丹波の宝蔵寺に双体像があります。丹波川を背にして建つ宝蔵寺は真言宗。境内に「百万遍供養」銘の供養塔、大日如来、阿弥陀如来が座っています。双体像があるのは境内裏、宝蔵寺の住職が無縁仏を集めた場所という一角です。首のない地蔵などとともに2体の双体像がありました。2体とも風化していますが、僧形の顔ははっきり残っています。一見道祖神と間違いそうですが、これは墓石だと思います。戒名などはありませんが、寺院の無縁仏場にあること、奥多摩や山梨の塩山地方は双体道祖神は少ないことなどから、墓石と判断しました。山梨の墓石を見ると、戦国末期から武家の墓に五輪塔を納めた石祠型墓石が登場し、近世初頭には庶...里山の石神端書232双体像(山梨県丹波山村)

  • 里山の石神端書231 木花開耶姫神(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村奥秋・子之神社の木花開耶姫神甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった秋山の子之神社に「磐長姫/木花開耶姫神/角行/食行/霊」銘の富士信仰石塔が立っています。中央が木花開耶姫神で富士信仰の中心になる神です。磐長姫は木花開耶姫神の姉。二人とも大山津見神の娘で、日本神話では美形の木花開耶姫神に対し醜い磐長姫という設定です。木花開耶姫を見初めた瓊瓊杵尊が結婚を申し込むと、大山津見神は磐長姫も一緒に嫁がせます。ところが瓊瓊杵尊は醜い磐長姫を送り返してしまいます。磐長姫は長寿の神で、これ以降天皇の寿命は短くなったと、古事記に書かれています。一方木花開耶姫は一晩で妊娠したことを瓊瓊杵尊に私の子ではないと言われ、産屋に入って火をつけ、3人の子(火照命=海...里山の石神端書231木花開耶姫神(山梨県丹波山村)

  • 昭和の石仏写真館(150)所沢の寺社④

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市の寺社④瑞岩寺(山口)瑞岩寺案内瑞岩寺の山口氏墓地普門院(上新井)普門院の六地蔵北野天神社(北野)北野天神社の青面金剛庚申塔、天保14年(1843)北野天神社の勝軍地蔵案内北野天神社の勝軍地蔵金徳寺(北野)金徳寺の地蔵宝玉院(三ヶ嶋)氷川神社(堀之内)昭和の石仏写真館(150)所沢の寺社④

  • 里山の石神端書230 良円和尚(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村奥秋・金龍寺の良円和尚甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった奥秋の金龍寺の墓地を訪ねました。金龍寺は真言宗の寺ですが、本堂もなく墓地だけがあります。墓地入口に良円和尚の墓碑が立っています。次に碑面を紹介します。「良円和尚は一八〇九年(文化六年)山城の国、醍醐の百姓の子として生まれる。生来頭脳明晰さと物覚えの良さは、村人で評判となり、これを伝え聞いた報恩院(醍醐)の住職が弟子に迎え僧侶として育てた。一八二三年(天保五年)良円二五歳の時報恩院(醍醐)武藏の国下恩方村浄福寺の計らいで末寺である甲斐の国丹波山村奥秋の金龍寺住職として迎えられた修行時代、山城の国(京都)清水寺での花見の折、舞台から飛び降りても怪我ひとつ追わなかったという話はあまり...里山の石神端書230良円和尚(山梨県丹波山村)

  • 里山の石神端書229 光明真言塔(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村押垣外・川上神社の光明真言塔甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった丹波山村押垣外の川上神社境内に「光明真言塔/文政八(1825)」銘の光明真言塔が立っています。真言塔が立っていたので、かつてはお寺も兼ねて僧・行者がいたと思いますが、いま境内に集会所が建っていて、その痕跡はありません。光明真言は大日如来を中心とした五智如来に生前の罪の除減を願う密教の経典です。したがって光明真言塔が造立されたのは、天台・真言の密教系のお寺がある地域となります。この丹波山村もそのようなところで、村内の丹波にある宝蔵寺、奥秋の金龍寺、保之瀬の法興寺はみな真言宗です。写真は宝蔵寺の大日如来、金龍寺の光明真言塔です。宗派による石塔をみると、禅宗は「不許葷酒入山門」...里山の石神端書229光明真言塔(山梨県丹波山村)

  • 昭和の石仏写真館(148)所沢の寺社③

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市の寺社金乗院(上山口)金乗院六地蔵石幢清照寺(上山口)清照寺六地蔵石幢清照寺庚申塔宝暦14年(1764)勝光寺(山口)勝光寺百観音供養塔1勝光寺百観音供養塔2来迎寺(山口)来迎寺案内来迎寺方除出世地蔵昭和の石仏写真館(148)所沢の寺社③

  • 里山の石神端書228 一石六地蔵(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村高尾・墓地入口の一石六地蔵甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった丹波山村高尾の墓地入口に一石六地蔵が立っています。丁寧な造りで上に三角の破風がつき、地蔵はそれぞれ何かも持っていますがよくわかりません。この一つの石に地蔵菩薩を六体並べる形は山梨独特のもので、県内のほとんどの地方に散見されます。高尾の墓地入口には一石に地蔵を3体ならべ二つにして並べる地蔵もありましたが、この形は山梨風ではありません。ところで丹波山村の位置は奥多摩の西の山梨県です。いまでは東京圏の印象が強い村という印象です。しかしこのような一石六地蔵を見ると、ここは山梨だと気づきます。ただ山梨特有の丸石が見当たりませんでした。青梅街道の山一つ越えた塩山には沢山見られるのに、こ...里山の石神端書228一石六地蔵(山梨県丹波山村)

  • 里山の石神端書228 一石六地蔵(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村高尾・墓地入口の一石六地蔵甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった丹波山村高尾の墓地入口に一石六地蔵が立っています。丁寧な造りで上に三角の破風がつき、地蔵はそれぞれ何かも持っていますがよくわかりません。この一つの石に地蔵菩薩を六体並べる形は山梨独特のもので、県内のほとんどの地方に散見されます。高尾の墓地入口には一石に地蔵を3体ならべ二つにして並べる地蔵もありましたが、この形は山梨風ではありません。ところで丹波山村の位置は奥多摩の西の山梨県です。いまでは東京圏の印象が強い村という印象です。しかしこのような一石六地蔵を見ると、ここは山梨だと気づきます。ただ山梨特有の丸石が見当たりませんでした。青梅街道の山一つ越えた塩山には沢山見られるのに、こ...里山の石神端書228一石六地蔵(山梨県丹波山村)

  • 里山の石神端書227 大六天(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村高尾・集落外れの大六天神社甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった丹波山村高尾の集落外れに大六天神社が建っています。大六天は関東一円に広く信仰された招福の神でしたが、明治の初めに社名の変更や合祀で数を減らし、いまでは神奈川県にその痕跡を残すだけになってしまいました。しかし丹波山村では今も信仰が続き、社殿は昭和40年に再建されています。境内の石燈籠には「奉納大六天宮御廣前」銘、「文政十一戌子天(4828)/氏子中」とありました。大六天は仏教を妨害する魔王でしが、仏教に取り入られて欲界の六欲天の最高位にある他化自在天になったと仏書にあります。欲界は三界(欲界・色界・無色界)の一つで、色欲食欲が強い衆生が住む世界。六欲天は他化自在天と四王天・忉...里山の石神端書227大六天(山梨県丹波山村)

  • 石仏写真館(168)所沢・狭山不動寺

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市上山口の狭山不動寺不動寺弁天堂弁天堂案内羅漢堂大黒堂大黒堂案内第二宝塔第二宝塔案内桜井門鐘石仏写真館(168)所沢・狭山不動寺

  • 屋上菜園2023-10秋の空

    涼しくなったので、夕方少しずつプランターの土の入れ替えをしています。5日の屋上は秋らしい空が広がっていまして、その美しさにしばし見とれてしまいました。東の空西の空屋上菜園2023-10秋の空

  • 里山の石神端書226 大日・馬頭(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村高尾・路傍の大日・馬頭並立像甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった丹波山村の中央公民館前で、一石に大日如来と馬頭観音を並立した石仏を見ました。風化してはっきりしない石仏ですが、向かって右は智拳印の大日如来。左は頭上に馬頭を戴く馬頭観音です。大日と馬頭を祀った山は千葉県の房総に沢山ありますが、造立の趣旨はわからないままです。また伊豆半島の河津町にも同じ石仏があり、こちらは『河津町の石造文化財』(注1)「天道大日に晴天を願い馬頭観音に馬の道中安全を願った」と紹介しています。丹波山村の大日・馬頭並立もこのような背景があっての造立なのかは不明ですが、同じ場所に馬頭観音や牛馬供養塔もあるので、この地が牛馬供養の場所であったのは確かです。大日と牛に...里山の石神端書226大日・馬頭(山梨県丹波山村)

  • 里山の石神端書225 不生位(山梨県丹波山村)

    山梨県丹波山村保之瀬・法興寺の不生位甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった保之瀬は丹波川の右岸にある小さな集落。山奥の小さな集落にも必ずお寺があり、家の数より墓地が多く、人の数よるはるかに多い墓石。これがこの国の風景です。保之瀬もそのような集落で、その中心に建つのが法興寺で、区画された墓地と立派な墓石が並んでいました。狭い境内の覆い屋に入った六地蔵の一尊が持つのは銅鈸子(どうはつし)。洋楽器のシンバルに似た仏教の楽器です。墓地上に建つ薬師堂前にある墓石は、頭に阿字(梵字のア)があり戒名は「法印大圓不生位」。不生位は真言宗僧侶の戒名の位号(最後の居士、大姉)の文字で、『葬儀・戒名ここが知りたい』(注)では「さとりの世界を象徴した位号」としています。説明...里山の石神端書225不生位(山梨県丹波山村)

  • 石仏写真館(167)所沢の庚申塔

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市下安松・元禄10年(1697)上安松・元禄14年(1701)上安松・元禄15年(1702)牛沼・安永5年(1776)東新井町・寛政10年(1798)安松新田・嘉永5年(1852)南永井窪野・享保19年(1734)南永井八幡参道・元禄6年(1693)中富・享保元年(1716)北秋津・宝暦5年(1755)北秋津・明和7年(1770)北秋津・享保15年(1730)石仏写真館(167)所沢の庚申塔

  • 中尾紀久子展

    中尾紀久子展イラストレーターで陶芸家・中尾紀久子氏の陶芸とイラストのコラボ展です。期日2023年10月20(金)-24日(火)時間11:00-19:00(土・日は17:00)場所東京都中央区八重洲2-8-10松岡八重洲ビル3階T-BOX中尾紀久子展

  • 屋上菜園2023-10闘病日記19

    9月の屋上菜園は酷暑のため育ったのはオクラだけでした。オクラの原産地はアフリカで、暑さにめっぽう強いのが特徴だそうで、毎日4、5本取れます。しかし捨てることを知らないので、食べるのも大変です。10月になって酷暑もやっと収まりそうで、これで秋植え野菜の準備ができます。しかし体力がありませんから、ニンニクとタマネギを少し植えるつもりです。この秋は屋上菜園の縮小と庭木の縮小・終活を考えています。*食道がんステージ4の抗がん剤治療を始めて1年になります。8月末の治療ですが、血液検査の結果を見た担当医から「筋肉が壊れています。何か激しい運動しましたか」と言われました。実はこの2日前に山梨の方へ石仏調べに行って1万歩以上歩いていて、それが血液検査に出るとは思いもしませんでした。血液検査項目のKC(心筋や骨格筋に存在す...屋上菜園2023-10闘病日記19

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