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  • 里山の石神端書224 姫の石観音(東京都奥多摩町小留浦)

    東京都奥多摩町小留浦の姫の石観音甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった小留浦に「姫の石観音」という案内があったので登ってみました。登山口は太子堂。山道を15分ほど登ると小さなお堂が見えてきます。石を積んで造ったスペースに建てた御堂で、中をのぞくと祭壇に祀られていたのは大きな自然石が一つ。高さ80センチで中央に大きな割れ目が入っている自然石です。これを女陰と見て祀ったのは明らかで、大護八郎氏の『石神信仰』(注)には「小留浦の都指定文化財の太子堂の筋向いの山腹を登ると、立派なお堂の中に姫石観音といわれる、石灰岩に大木の根が食い込んで幾つかの割れ目をつくり、さながら女陰ものがまつられている。その前に石製・木製の小さな男根石が奉賽され、堂正面欄間のかえる股に...里山の石神端書224姫の石観音(東京都奥多摩町小留浦)

  • 里山の石神端書223 太子堂(東京都奥多摩町青梅街道)

    東京都奥多摩町小留浦の太子堂甲州街道の裏街道・青梅街道は奥多摩の小河内、丹波山の村を通って塩山に出ました。その道筋にあった小留浦は昭和32年に完成した小河内ダムの湖底に沈み、いま湖畔に建つ太子堂はダム建設のときに現在地に移築されたものです。太子堂は聖徳太子を祀るところからの名称ですが、構造からみて芝居をするための建物というのが分かっています。太子堂の下に立つ石碑は「小河内の太子堂舞台」となっています。太子堂下の青梅街道沿いには、これもダム建設時に移されたと思われる石仏が並んでいました。一部を追加造立した六地蔵、庚申塔、卵塔、「二十三夜/弁財尊天」銘石塔など、どこの集落にもあった生活を支えた信仰の石造物です。(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書223太子堂(東京都奥多摩町青梅街道)

  • 昭和の石仏写真館(146)所沢・薬王寺

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市有楽町の薬王寺薬王寺薬王寺案内新田家墓地六地蔵句碑馬頭観音地蔵菩薩庚申塔・天明四年(1784)不動明王昭和の石仏写真館(146)所沢・薬王寺

  • 里山の石神端書 群馬県みなかみ町・三国街道

    みなかみ町羽場・羽場日枝神社の十二山神みなかみ町羽場・広福寺の閻魔王みなかみ町新巻・但馬院の三尊仏みなかみ町新巻・徳厳寺の如意輪観音みなかみ町西峰須川・雷電神社の道祖神みなかみ町東峰・金泉寺の五色蓮華みなかみ町東峰・野々宮神社の淡島様みなかみ町須川・秦寧寺の奪衣婆みなかみ町湯宿温泉・閻魔王みなかみ町相俣宿・海円寺の庚申層塔みなかみ町猿ヶ京・赤谷七福神みなかみ町相俣の赤谷・十二神社の道祖神みなかみ町相俣の富士新田・富士浅間神社の三十番神里山の石神端書群馬県みなかみ町・三国街道

  • 里山の石神端書222 三十番神(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町相俣の富士新田・富士浅間神社の三十番神(さんじゅうばんしん)赤谷集落のさらに奥の富士新田に浅間神社があります。神社の案内には、養蚕の神、五穀豊穣の神として木花咲耶姫之命を祭神としたとあります。関東の養蚕の神としては茨城の蚕影神社が広く信仰されていて、富士浅間の養蚕は、それほど普及しなかったようですが、養蚕に熱心な富士信仰の御師が養蚕の盛んな地方に進めたようです。このみなかみ町相俣の浅間神社もその一つだったようです。しかしこの境内に蚕神関係の石造物は見当たりませんでした。境内にあるのは如意輪観音、大黒天、庚申塔、薬師如来などで浅間信仰と関係のない、生活に取り入れられた信仰の石造物です。そのなかから「守三十番神」を案内します。三十番神は日本の神が1日から30日までの1か月を交代で守護する30の...里山の石神端書222三十番神(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 昭和の石仏写真館(145)所沢の寺社②

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市の寺社神明神社(牛沼)亀ヶ谷神社(新郷)薬師堂(日比田)氷川神社(日比田)大帖稲荷神社(南永井)地蔵菩薩)(日比田路傍)八幡神社(南永井)多門院(中富)多門院毘沙門堂案内多門院毘沙門堂昭和の石仏写真館(145)所沢の寺社②

  • 里山の石神端書221 道祖神(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町相俣の赤谷・十二神社の道祖神谷川岳の懐にある赤谷集落の鎮守が十二神社。社殿脇の案内には、安産・子育て・山の神とある。安産については「陣痛の始まった産婦に十二神社からいただいた腹帯を腹に巻十二神社にローソクをあげると御産が軽くすむといわれています」と。境内に道祖神があります。男神が女神の肩を持ち(肩に指が小さく刻まれています)、女神が男神の手首を握っている姿で「寛延二年(1745)」銘。大塚省吾氏が『やぶにらみ道祖神』で、上州の双体道祖神を合掌・肩くみ手にぎり・酒器持ち、幣もち・雲上像・あからさまな性などに分類したことは、このブログの214「みなかみ町西峰須川・雷電神社の道祖神」で案内しましたが、その出現は合掌→肩くみ手にぎり→酒器持ち→その他の順としています。(注1)大塚省悟著『やぶにらみ...里山の石神端書221道祖神(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 里山の石神端書220 七福神(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町猿ヶ京・赤谷七福神(しちふくじん)猿ヶ京温泉から水上温泉に出る道の赤谷川沿いに木彫の七福神が祀られています。七福神は、この道の途中に建つ伊太祁神社がこの地に建立されたのを機に造立されたものと案内にあります。伊太祁神社は和歌山県にある五十猛命(いそたけるのみこと)祀る神社。五十猛はこの国に樹木を植えて廻った神。この分霊を東京の深川に祀ったのが日本を代表する木材商の長谷川萬治(1891~1975)。その後神社は群馬県の沼田、そして猿ヶ京の赤谷川に移ったのが平成11年。そのときに祀った神々、今は赤谷七福神として親しまれています。七福神は丸太を利用した粗削りの像や、丁寧な像などさまざま。次にその姿を写真で案内いたします。布袋毘沙門天寿老人大黒天恵比寿福禄寿弁財天(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書220七福神(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 昭和の石仏写真館(144)所沢の寺社①

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市の寺社川端霊園(御幸町)川端霊園・子抱地蔵熊野神社(西新井町)熊野神社・狛犬実蔵院(元町)実蔵院・六地蔵法華寺(元町)神明神社(宮本町)新光寺(宮本町)昭和の石仏写真館(144)所沢の寺社①

  • 里山の石神端書219 庚申層塔(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町相俣宿・海円寺の庚申層塔(こうしんそうとう)海円寺の境内入口に石造物が並んでいます。如意輪観音が二基、子安観音、庚申塔、地蔵、庚申層塔などです。ここではそのなかで珍しい庚申層塔の案内。庚申塔の主尊は近世初頭に仏菩薩から青面金剛に変わってきたことはよく知られています。形も板碑型から自然石までさまざまで、石塔型式もいろいろです。平野実氏の『庚申信仰』(注)には正保三年(1646)の五輪塔、寛永三年(1626)の宝篋印塔、寛永三年の宝篋印塔、承応三年(1654)の層塔、寛文元年(1661)の石燈籠の庚申塔が紹介されています。なかでも庚申層塔はさまざまな庚申塔が残る関東でも少なく、群馬県の北部地方に多く造立されたことが知られています。海円寺の層塔の塔身は珍しい四重(層塔は塔身は奇数が基本)で、一番...里山の石神端書219庚申層塔(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 里山の石神端書218 閻魔王(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町湯宿温泉・閻魔王(えんまおう)湯宿温泉には薬師堂があり、温泉宿の王滝屋は薬師の湯とされています。これとは別に温泉の裏山に薬師堂があります。王滝屋の脇の「聖徳皇太子」「二十二夜塔/二十三夜塔」の立つところが入口で、かつては温泉客の遊歩道として整備されていた道です。薬師堂まではかつての道が残っています。その先、渓谷にかかる橋から先は荒れてしまいました。その道をさらに登ると閻魔王と庚申塔が並んでいました。閻魔は両手で笏を持つ堂々とした姿。庚申塔は六手ショケラ(裸婦)を持ち、台座に二鶏三猿が刻されています。閻魔王はこのブログのみなかみ町羽場・広福寺で案内しました。群馬の沼田やみなかみなどの奥利根地方には、閻魔ばかりでなく奪衣婆や十王など地獄の石造物多い土地柄です。どうしてこの地方に多いのかはわかり...里山の石神端書218閻魔王(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 昭和の石仏写真館(143)所沢・庚申堂厄神社

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市東町の庚申堂厄神社庚申堂厄神社庚申お札庚申堂と石仏庚申堂石仏庚申塔・元禄11年(1698)庚申塔・宝永7年(1710)廻国供養塔・元文5年(1740)昭和の石仏写真館(143)所沢・庚申堂厄神社

  • 名号塔入門・名号塔の知識

    岡村庄造、2023年7月、日本石仏協会石仏調査で各地を歩かれる方が、寺社あるいは墓域で「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれた名号塔、あるいは六字名号塔と呼ばれる塔に気づかれると思います。宗教家独特の書体、署名、花押がありますが、それらの名号塔の調査開設を岡村庄造氏(理事・高知市在住)にお願いして、誌上講座に執筆して頂きました。2010年3月(№133)から2020年12月(№172)までの37回にわたります。岡村氏は日本全国を目標に各地の名号塔を訪ね、撮影と拓本技術を駆使して、名号塔を興味深い石造信仰物として紹介されました。それぞれの名号塔の採拓には大変はご苦労があったと想像されます。名号塔の理解を深めるためにご活用頂ければ幸いです。(日本石仏協会名誉会長坂口和子)名号塔入門・名号塔の知識

  • 日本の石仏180(2023-08)

    ■発行・日本石仏協会〒254-0031神奈川県平塚市天沼7-59-305(中森)TEL0463-24‐0203■発売・青娥書房〒101‐0051東京都千代田区神田神保町2-10-27TEL03‐3264‐2023■2200円日本の石仏180(2023-08)

  • 屋上菜園2023-09闘病日記18

    酷暑のこの夏屋上菜園は成長が止まり、8月初めに終了しました。野菜にとっては熱すぎて散々な夏だったと思います。ただオクラだけは夏に強く、まだ成長して実っています。*いま抗がん剤は2週間に1回の標準治療、点滴で静脈へ注入しています。点滴の後1週間は吐き気、口内炎、食欲不振、倦怠感などの副作用が出て、2週間目に副作用が和らぎます。ところが8月中旬の抗がん剤は、血液検査の白血球数値が低くなったため中止になりました。白血球数値が低くなった原因は抗がん剤による副作用で、よくあることと担当医の説明です。過去の血液検査の結果を見ると、白血球はこの抗がん剤を始めた6月は59(30~90が適正)102/μL、7月は47、8月は25と白血球数値はどんどん下がって、担当医も即座に抗がん剤中断と判断したようです。昨年10月から始ま...屋上菜園2023-09闘病日記18

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