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  • 里山の石神端書217 奪衣婆(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町須川・秦寧寺の奪衣婆(だつえば)参道入口に「不許葷酒入門」銘の結界石が立つ泰寧寺は曹洞宗の寺。反対側には「庚申」銘がある二猿の層塔が立ち、その先の川に朱塗りの橋がかかり、橋の手前の地蔵石仏のなかに奪衣婆が右ひざを立てて座っていました。しわくちゃで歯が欠けた老婆、胸元にはオッパイが垂れ下がっています。奪衣婆の役目は三途の川を渡ってきた死者の衣服を脱がせ取り、相棒の懸衣翁(けんねおう)に渡すこと。懸衣翁はその衣を衣領樹(いりょうじゅ)に掛け、枝のたわみ具合で生前の悪行の重さを計るとされています。したがって奪衣婆の座所は三途の川を渡った先となりますが、秦寧寺では境内に入る川の手前にありました。かつては別の場所にあったものを地蔵とともにこの地に移動したのかもしれません。橋を渡と本堂へ続く幅の広い石...里山の石神端書217奪衣婆(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 里山の石神端書216 淡島様(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町東峰・野々宮神社の淡島様(あわしまさま)野々宮神社の境内に粟島様が祀られています。粟島様の信仰は女性特有の下の病気の治癒。像容は女性の神様で粟を持っています。野々宮神社の淡島様は坊主頭ですが女性らしい姿で、右手に粟の穂を持ち、右手は何かの花を持つように見えます。慶應4年(1868)の造立。淡島様の本社は和歌山市加太の淡島神社。『日本民俗大辞典』(注)には、「淡島神は住吉神の妃神であったが、帯下の病にかかったために海に流され、三月三日に紀州の淡島に漂着して祭祀される」(注)とあります。淡島信仰が各地に広まったのは江戸時代の中期。淡島の神像を入れた笈を背負い、その由緒と功徳を説いて各地を廻り、下の病に悩む女性の代参を請け負った淡島願人の活動があって信仰が広まったようです。ただ江戸時代中期は庚申...里山の石神端書216淡島様(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 里山の石神端書215 五色蓮華(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町東峰・金泉寺の五色蓮華(ごしきれんげ)金泉寺は青銅の緑色屋根が特徴の修験の寺。庚申塔が並ぶ道を入ると「神変大菩薩」と「日限地蔵大菩薩」の石塔が立っています。神変大菩薩は役の行者、日限(ひぎり)地蔵の日限は日を決めてお参りすること。小さな境内に蓮を植えた幾つかの鉢が置かれていました。住職がそだてているもので、蓮には青・黄・赤・白・黒と五つの色があるといい、黒の蓮華を探しているというのです。寺にある五色の未敷蓮華も見せていただきました。仏教の五色の意味はいろいろあるようですが、青(緑)は如来の髪の色、黄は身体、赤は血、白は歯、黒(樺)は袈裟が知られています。修験の金泉寺は、中世に天台系熊野修験をまとめた本山派・聖護院門跡本山派。門跡は皇族が住職を務めた寺で、寺紋は皇室を印である菊の紋に、修験の...里山の石神端書215五色蓮華(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 里山の石神端書214 道祖神(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町西峰須川・雷電神社の道祖神(どうそじん)雷電神社脇の路地に庚申塔や道祖神が立っていました。道祖神は「道祖神」の文字塔と双体像です。雷電神社のある場所はかつての新治村。群馬の道祖神をまとめた大塚省悟氏は『やぶにらみ道祖神』(注1)で、新治村の道祖神を29基報告し、この村の道祖神の特徴を幣持ちの密集地としています。この幣持ちは双体道祖神の男神が御幣を持ち、女神が徳利を持つ形です。雷電神社の双体像は御幣持ちではなく、肩くみ手握りで女神が徳利を持っているようです。道祖神の石造物研究は細分化されて、とくに双体像の場合は手の組み方から持物まで分類され、大塚氏は早い時期に合掌・肩くみ手にぎり・酒器持ち、幣もち・雲上像・あからさまな性などに分類しています。その後の『石仏図典』(注2)では合掌・拱手・握手・...里山の石神端書214道祖神(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 昭和の石仏写真館(142)所沢・荒幡富士

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県所沢市荒幡の浅間神社浅間神社荒幡富士案内随神随神祓所大神荒幡富士頂上の展望弁財天の日待供養塔1弁財天の日待供養塔2昭和の石仏写真館(142)所沢・荒幡富士

  • 里山の石神端書213 如意輪観音(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町新巻・徳厳寺の如意輪観音(にょいりんかんのん)入口に地蔵と禅宗寺院によく見られる「禁許葷酒入山門」銘の結界石が立つ徳厳寺は曹洞宗の寺。参道には笏を持った閻魔王が座し、素朴な六地蔵が並んでいます。地蔵の奥に立つ如意輪観音は丸彫りで細い手と切れ長の眼が異国風の石仏。いまにも倒れそうな角度で立っていました。飛鳥時時代の細身の仏、白凰期の細い眼の仏など、奈良時代に登場する日本型仏像になる前の仏像に似ている像容なので異国風に見えましたが、装飾も付けない姿は、京都・広隆寺や、大阪羽曳野・野中寺の弥勒菩薩半跏像を思い出させる姿です。(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書213如意輪観音(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 里山の石神端書212 三尊仏(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町新巻・但馬院の善光寺式阿弥陀三尊新巻の三国街道沿いに建つ但馬院は修験の寺。塀に並ぶ「但馬院の天井絵」「諏訪の木城の縁起」「火伏地蔵尊縁起」の案内につられて境内に入ると、ご住職がおられて本堂天井絵を拝見することができました。本堂須弥壇には役小角・前鬼・後鬼が鎮座。この寺は修験の寺でした。みなかみ町生まれの林青山(1849~1933)は、江戸末期から明治にかけて群馬の多くに寺院の天井画を描きました。但馬院の天井画は64枚の花鳥獣図。火伏地蔵尊は、江戸時代の安永七年(1778)一軒の農家から出火したときにかけつけ、家の人を起こし、大地蔵となって消火にあたったことから火伏せ地蔵と呼ばれるようになったそうです。三国街道沿いに立っていたものが、道路に拡張工事のときに但馬院に移設されてそうです。境内のす...里山の石神端書212三尊仏(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 昭和の石仏写真館(141)狭山・天岑寺

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県狭山市沢の天岑寺天岑寺案内総門結界石経典供養塔板碑と二尊月待供養塔昭和の石仏写真館(141)狭山・天岑寺

  • 里山の石神端書211 閻魔王(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町羽場・広福寺の閻魔王(えんまおう)広福寺の入口に六地蔵が並び、境内の入口に閻魔王が座しています。どちらも古い石仏で風化が進んでいます。閻魔には「維旹元禄二(1688)」銘。閻魔王は群馬の沼田やみなかみなどの奥利根地方でよく見かけます。冥界の入口にあって、亡者の生前の罪行を初七日から七日ごとに暴く十王のなかの王です。仏教では古代神話の冥界の王から、十二天のなかの焰摩天として取り入れられ、人頭杖を持ち水牛に乗る姿に描かれます。江戸時代の仏画集『仏像圖彙』でも人頭杖を持つ姿になっています。これが中国に入ると、死者の集まる山である泰山の神で寿命を司る泰山府君と習合して、十王信仰が成立したといわれています。したがって閻魔王をはじめ十王の姿は道教の道服姿で、これが絵図や石造物にも引き継がれてきました。...里山の石神端書211閻魔王(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 里山の石神端書210 十二山の神(群馬県みなかみ町三国街道)

    群馬県みなかみ町羽場・羽場日枝神社の十二山神(じゅうにやまのかみ)江戸時代の後期に上州や越後で神社の拝殿彫刻を手掛けた熊谷の小林源八の作、みなかみの画家・林豊山の間引絵馬、群馬各地の神社に天井絵を描いた林青山の作品が残る日枝神社ですが、これらは社殿の中で見ることはできません。代わりに境内にある石祠を案内します。一つは境内の隅に建つ「十二宮」。十二様とよばれている群馬に多い山の神です。社殿前にある古くからの十二宮と思われる石祠には「元禄三庚午(1690)」銘で、山の神の石祠としては古いものです。社殿脇にある石祠の室部上部左右に日輪月輪があり、「天照皇大神宮/元禄二己巳(1688)」銘があります。天照を祀る伊勢神宮の伊勢信仰は江戸時代初めから全国に広がり、「天照大神宮」「太神宮」の伊勢講碑が造立されます。羽場...里山の石神端書210十二山の神(群馬県みなかみ町三国街道)

  • 昭和の石仏写真館(140)入間の寺

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県入間市の寺東光寺(小谷田)東光寺の地蔵菩薩東光寺の四国八十八大師・本尊龍圓寺(新久)龍圓寺の観音堂龍圓寺の廻国供養塔円光寺(小谷ヶ貫)円光寺の地蔵菩薩西光院(上谷ヶ貫)西光院の地蔵菩薩瑞泉寺(木蓮寺)瑞泉寺の金子一族案内瑞泉寺の金子氏一族宝篋印塔昭和の石仏写真館(140)入間の寺

  • 里山の石神端書 長野県佐久市志賀

    佐久市志賀・大閼伽流山小倉観音堂の種字真言佐久市志賀中宿・法禅寺の寒念仏塔佐久市志賀中宿・志賀城跡の祠内仏佐久市志賀上宿・笠原進三郎首塚佐久市志賀・天狗岩の高棚大天宮石燈籠里山の石神端書長野県佐久市志賀

  • 里山の石神端書209 石燈籠(長野県佐久市志賀)

    佐久市志賀・天狗岩の高棚大天宮石燈籠(いしとうろう)佐久市の東、山が始まるところの志賀は、戦国時代に武田に抵抗した笠原氏の山城があった所です。山城から東の尾根続きに天狗岩と呼ばれている山があり、その基部に高棚大天社があります。登山口は志賀上宿で、瀬早川沿いに林道を登った先ある大きな鳥居と石燈籠が神社への参道。鳥の額束には「大天宮」。鳥居脇に「高棚大天宮」に大きな石碑。鳥居前に立つ石燈籠の宝珠の下にある請花は大きく開いていました。請花は八葉の蓮華を模したものですから、このような派手に花開くことはないのですが……。それで高棚大天宮ですが、時間切れ、体力切れで登れませんでした。地元の人には話では、尾根の北側に新しい林道が出来、これを入ると神社近くまで行けるとのことでした。(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書209石燈籠(長野県佐久市志賀)

  • 屋上菜園2023-08闘病日記17

    今朝は珍しく雨です。7月中旬から続いた熱波で、屋上の野菜たちの成長は止まりました。キュウリは曲がり、トマトの皮、小松菜の茎、オクラ、ピーマンなどは硬くて調理は大変とカミさんがこぼします。夏に弱いインゲンなど花は咲けども実りません。今年の熱波は野菜にとっても大変な夏になっています。*咽の異変に気付いてから1年経ちました。食道がんステージ4を告げられたとき、1年もつとは思いませんでした。それから入院3回、抗がん剤は3種類目でどうにかここまできました。とはいっても、体力は1年前の四分の1ぐらいに落ち、抗がん剤の副作用に苦しんでいます。それは置いといて、今回は医療に間接的にかかわっているスマホのアプリについてです。スマホのアプリでよく使っているのが「お薬手帳」です。医師が出す処方箋の写真を撮り、薬局に送信するだけ...屋上菜園2023-08闘病日記17

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