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  • 里山の石神端書208 笠原新三朗首塚(長野県佐久市志賀)

    佐久市志賀上宿・笠原進三郎首塚佐久市の東、山が始まるところの志賀は、戦国時代に武田信玄に抵抗した笠原氏の山城があった所。志賀中宿の外れの田んぼのなかに笠原新三郎の首塚と呼ばれている五輪塔が立っています。信玄にとって佐久は北信濃や上州へ通じる要所。どうしても必要な土地でした。そこに立ちはだかったのが笠原清繁(進三郎1515~1547)。清繁は佐久を攻略する信玄に最後まで抵抗した城主でした。その山城の登山口に清繁の二基の石碑が造立されています。一つは登山口の雲興寺の墓地先にあるもので、覆い屋に入っていますが、銘は読めません。その先にもうある一つは昭和38年の墓碑で「志賀笠原城主依田新三郎吉重/天文十六年八月十一日戦死/城源院隆基雲興大禅定門之碑」とあります。笠原新三朗首塚は雲興寺の少し先の田んぼに中です。石を...里山の石神端書208笠原新三朗首塚(長野県佐久市志賀)

  • 里山の石神端書207 祠内仏(長野県佐久市志賀)

    佐久市志賀中宿・志賀城跡の祠内仏佐久市の東、山が始まるところの志賀は、戦国時代に武田に抵抗した笠原氏の山城があった所です。岸壁を利用した山城にいま残るのは一基の石祠だけ。その中に納められている石造物は5年前に調べましたが全体像はわかりませんでした。今回は正体を確かめるためでしたが、確認できたのは前回と同じ頭にかぶる冠だけでした。石祠型墓石も同じですが、内部に納められた神仏は屋根を外して入れるようになっていて、正面の小さな窓からのぞいても正体がつかめないことがほとんどです。昔は屋根を取り外す力があり、祠内仏を取り出して確認したこともありました。今その力はありません。志賀城跡山麓の諏訪宮近くの墓地で石祠型墓石を見ました(地図の青丸)。これは群馬から長野山梨に見られる江戸時代初期の墓石です。屋根に鬼面がついてい...里山の石神端書207祠内仏(長野県佐久市志賀)

  • 昭和の石仏写真館(139)狭山・堀兼神社

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県狭山市堀兼の掘兼神社堀兼の井庚申塔・寛文9年(1669)庚申塔・延宝5年(1677)庚申塔・安永10年(1781)子大権現小御嶽神社昭和の石仏写真館(139)狭山・堀兼神社

  • 里山の石神端書204 寒念仏塔(長野県佐久市志賀)

    佐久市志賀中宿・法禅寺の寒念仏塔佐久市の東、山が始まるところの志賀は、戦国時代に武田に抵抗した笠原氏の山城があった所です。その中志賀に建つのが法禅寺。参道に寒念仏塔が立っていました。頭に阿弥陀如来の種字キリークに続いて「寒念仏塔」、左右に「明和三歳(1766)/極月日」とあります。極月は12月の異称で、この寒い季節の小寒から節分までの30日間行うのが寒念仏で、厳しい時期に行うことによって大きな功徳を得られるという考えから、江戸時代には庶民の間でも流行し、寒念仏塔が造立されました。佐久地方は、時宗を開いた一編が踊り念仏を始めたところであり、寒の坊(このブログ長野県小海町小海で案内)と呼ばれている石仏がある土地柄です。下の写真は小海の寒の坊。寒念仏と寒の坊については、岡村知彦氏の「寒の坊」(注)から簡単に案内...里山の石神端書204寒念仏塔(長野県佐久市志賀)

  • 里山の石神端書203 種字真言(長野県佐久市志賀)

    佐久市志賀・大閼伽流山の小倉観音堂佐久市の東、山が始まるところの集落・志賀は、戦国時代に武田に抵抗した笠原氏の山城があった所です。山が始まるところの北に閼伽流山、南に大閼伽流山があり、どちらも山中に観音堂が建って石仏群で知られています。閼伽流山の石仏はこのブログの石仏85閼伽流山で案内しました。今回は南の大閼伽流山の小倉観音堂の石仏です。小倉観音堂の本尊は馬頭観音です。石仏は聖観音が主ですが、三面六臂で憤怒馬口印の本格的な馬頭観音二基突出して秀作です。造立年は江戸時代後期の天明から文政期(1782~1830)が目につきました。造立者は個人あるいは二人で、近隣の村人が奉納したようです。石仏の一つに「法禅寺」銘がありました。法禅寺は小倉観音堂山麓にある寺です。石仏のなかに船形光背に上部に真言らしい種字を刻んだ...里山の石神端書203種字真言(長野県佐久市志賀)

  • 昭和の石仏写真館(138)狭山、入間の寺社

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・埼玉県狭山市、入間市はらや地蔵(狭山市中神)高倉寺(入間市高倉)高倉寺の結界石中野原稲荷神社(入間市上小谷田)氷川神社(入間市小谷田)昭和の石仏写真館(138)狭山、入間の寺社

  • 里山の石神端書 長野県青木村田沢、修那羅峠

    青木村田沢温泉・薬師堂の子抱地蔵青木村田沢・子檀嶺神社の屋根の鬼面青木村田沢・朝光堂の石幢青木村田沢・木立地蔵堂の子抱地蔵青木村田沢・子檀嶺神社の中社築北村修那羅峠・安宮神社の修那羅の石仏①築北村修那羅峠・安宮神社の修那羅の石仏②里山の石神端書長野県青木村田沢、修那羅峠

  • 里山の石神端書204 修那羅の石仏②(長野県築北村)

    筑北村の修那羅の石仏修那羅の石仏と呼ばれた安宮神社の石仏群。この石仏奉納を指導したのが修那羅大天武(1795~1872)で、越後頚城郡大鹿村の望月留次郎(後に幸次郎)でした。その後、役師・讃狗・胎順坊・天狗仙人・修那羅天狗などと名乗り、安宮神社に居住して霊験を発揮しました。修那羅大天武となったのは死後のことのようです。修那羅の石造物の数、金子万平氏の『修那羅の石神仏』(昭和55年)では743基、今回安宮神社でいただいたパンフレットには808基となっていて、奉納は今も続いているようです。前回に続いて修那羅の石仏をいくつか案内します。名称は金子万平氏の『修那羅の石神仏』(昭和55年)に合わせてあります。ささやき大明神十王立山坊銭謹金神地蔵神像絵馬子育観音鬼裸神(地図は国土地理院ホームページより)里山の石神端書204修那羅の石仏②(長野県築北村)

  • 里山の石神端書203 修那羅の石仏①(長野県築北村)

    筑北村の修那羅の石仏久々に修那羅の石仏で知られた安宮神社を訪ねると、境内に大きなバイクが停まっていました。居合わせたライダーに尋ねると、最近のことだがこの神社はオートバイ神社として知られているとのこと。思うに、石仏ブームが去った今、オートバイは新しい参拝者を取り込むためのアイディアなのでしょう。境内には、素焼きの神仏を奉納する「長寿の宮」も建っていました。これも同じ趣旨と思われます。新型コロナ以降評判になったアマビエなる疫病封じの神も、最近では話題にならないようです。昔から流行り神は一過性のものでしたが、それは今も変わりません。修那羅の石仏をいくつか案内します。名称は金子万平氏の『修那羅の石神仏』(昭和55年)に合わせてあります。神像鬼修那羅大天武対神大日如来獄門の首猫鬼神像金神里山の石神端書203修那羅の石仏①(長野県築北村)

  • 昭和の石仏写真館(137)新宿の寺社

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都新宿区天龍寺(新宿)天龍寺の六地蔵花園神社(三光町)花園神社の獅子鬼王神社(西大久保)金龍神社(西大久保)の狛犬円照寺(北新宿)の六地蔵観音寺(高田馬場)の如意輪観音観音寺の猿昭和の石仏写真館(137)新宿の寺社

  • 里山の石神端書202 中社(長野県築北村)

    青木村田沢・子檀嶺神社の中社温泉のある小さな村・青木村。子檀嶺神社は里社・中社・奥社の三社からなっています。田沢温泉近く子檀嶺神社の里社があり、奥社は立木集落の奥にそびえる子檀嶺山の山頂です。登山口の立木集落には四脚鳥居があります。集落を抜けて山に入る所にまた四脚鳥居があって中社の境内に入ります。境内に石造物は少なく、少し離れた国道の工事中に掘り出されて境内に運ばれてきたという「文化六年/巳初冬」銘石燈籠が立っていました。神社には里社・中社・奥社の三つの神社からなるところがあります。山の神は春に里におりて作神となり、秋に山の帰るという考えから、山の上の奥社と山麓の里社が建つのはわかります。しかし中社の役目がよくわかりません。本院・中院・宝光院の三院からなる戸隠山などは、平安時代後期に別当が「当山は三院であ...里山の石神端書202中社(長野県築北村)

  • 里山の石神端書201 子抱地蔵(長野県青木村)

    青木村田沢・木立地蔵堂の子抱地蔵温泉のある小さな村・青木村。集落奥の高台に地蔵堂があり、その境内の覆い屋内に子抱地蔵がありました。抱いた子供を見下ろす表情が素晴らしい地蔵です。同じ田沢の薬師堂には笑顔の子抱地蔵がありましたが、こちらは慈悲に満ちた地蔵です。腕のある石工の作のようですが、地蔵の側にある案内には「村指定文化財/明治3年、石工は高遠の著名な人」としかありません。台座に「立谷組中」銘があります。子抱地蔵の台座を見ると、地蔵の下に敷茄子と蓮華座になっていますが、これは逆になっているようです。仏・菩薩が座る上の蓮華(受花)座と下の反花座をつなぐのが敷茄子で、石仏では丸型の敷茄子がよく見られます。仏書によると、敷茄子の茄子は食べるナスではなく、茶入れと説明されています。茄子にしてもナスにしても、これをつ...里山の石神端書201子抱地蔵(長野県青木村)

  • 昭和の石仏写真館(136)新宿・永福寺の石仏

    伊藤介二・昭和の石仏写真館・東京都新宿区東大久保昭和の石仏写真館(136)新宿・永福寺の石仏

  • 屋上菜園2023-07闘病日記16

    野菜の日除けネット、ゴムひもとフックで取り付けができるようにしました。ネットは昨年買ったものでしたが、体調不良で未完成だったものです。これで水やりも一日1回で済みそうです。いまキュウリとミニトマトが収穫中。久々にキュウリを植えましたが、キュウリの成長を見ると元気がでます。*食道がんによる体調不良から間もなく1年です。ステージ4の治療は昨年10月から化学療法(FOLFOX)+治験薬(レンバチノブ)で始まりました。しかし半年後に副作用による肺炎で中止。この5月から1週間入院の化学療法(FP療法)でしたが、腎臓機能の低下で2週間の入院に末に中止。6月末から化学療法(FOLFOX)が始まりました。これは初めに経験している抗がん剤で、通院治療で46時間の自宅点滴になります。以前に発症した副作用の肺炎の薬と、腎臓を活...屋上菜園2023-07闘病日記16

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