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小泊
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掛川市
出身
豊後高田市
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2014/10/18

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  • オミクロンとお茶

    いまオミクロンが世界的な流行語に・・・今朝の新聞の各局テレビ欄に出てくる「オミクロン」を数えたらなんと・・・15も!でもまだ、どんな風かよくわからないらしい・・念のため百科事典を引いたら・・「おみくじ」のつぎは「おみこし」で、「オミクロン」はない・・・当然。このまま百科事典に載らずに済むといいのですが。ウイルスがどんなに変化しても、たぶん、お茶の効果は変わらないでしょうね。お茶が駄目なら、あとは神頼み・・・・・・オミクロンとお茶

  • 激変の中国

    昨日、NHKの番組で現在の深圳を紹介してました。あらゆる先端技術が集積し、最も活気に満ちた都市、住民の平均年齢が三十台とか・・・以前、香港から地下鉄で深圳に行きました。まだこれからという感じでした。いまの中国の急速な技術開発と普及状況にホントに目を見張りました。国営の白酒製造工場が出てきました。昔ながらに大勢の女性従業員がすべて手作業でお酒を瓶に詰めたり包装したりしています。これを全部自動化するという取り組みが始まり、まもなく工場が一変するとか・・これは、40年くらい前の中国です。高速道路を作ってるのです。何故、重機を入れないのか聞いたら、人手が多いので、へたに機械化すると仕事がなくなるから・・・確かにいたる所、人手だらけ・・・これが中国の特徴でもあるのです。とても日本のかなわないところです。でも、お茶の世界も...激変の中国

  • 20年前秋・ネパール

    2001年の11月、ネパールに行ってたんですね・・・カトマンズ、どこ行ってもこんなお面を売ってます。いくつか持ってます。魔除けになるとか・・・カトマンズのお茶屋さん。何か買ったような買わなかったような・・・有名なイーラムの茶園・・・ここでは、ダージリンのようなオーソドックスの紅茶を作ってます。南に行くと一転してアッサムみたいな景色に・・・そして、CTCが大部分・・・ネパールも結構広いのです。何をしに行ったのか・・・?・・・20年前秋・ネパール

  • 25年前のフィルム

    25年前の中国、何をしに行ったのか気になるので、フィルムを調べてみました。折角の写真が変色してます。これは、蘇州か無錫の太湖か・・?で、分かりました。浙江省茶葉学会成立40周年に招待?された?・・・壇上から映したこんな写真があったので・・・学会の主だった方々との宴会にも出席したみたい・・・懐かしいお顔が沢山・・ただ、よく思い出せない・・・浙江省茶学会の重鎮・王家楊先生と・・先年、105歳でお亡くなりに。右は童啓慶先生。記念品に茶器を頂いた。劉祖生先生と胡坪先生・・・これは、浙江農大の構内の池・・・こんな池があるのです。早朝の写真。これからすると、大学の宿舎に泊まったのかも・・杭州での宿泊代と食事代は結局タダってことに・・・このあと、浙江大学となって移転するのです。懐かしい写真です。かの有名な太極茶道苑発足当時の...25年前のフィルム

  • マダラぼけ進行中

    以前、知り合いの年配者が訪ねてきて、帰り際、あれ、車何処に置いたかな・・・と。スーパーで買い物して、お金も払って、荷物も持って・・・さて・・・帰り道がわからない!むかし、国会に喚問された先生が、記憶にございませんを連発してました。そんな馬鹿な・・・と思ったものですが、最近は、ありうるな~と思うようになりました。いろんなことが部分的に記憶から消えているのです。人の名前を思い出さない・・・なんていうのは初期ですね。で、最近、昔の写真なんかを探して、記憶を確かめようとしてるのです。忘れないようにと、その時々にメモを取ってるのですが、そのメモ帳をどこにしまったか思い出せない・・・写真に写ってるのが誰だか忘れてるのがショックです。心当たりのある方はご連絡ください‥と言いたいとこですが、他人の知り合いなんぞ知ってる人なんぞ...マダラぼけ進行中

  • 25年前・中国の旅

    25年前、中国へ行ったのです。ちょうど今頃。主目的がなんであったのか・・・はっきり思い出せないのですが、このときは、自分でいろんな手配していったので、いろんな書類が出てきました。陶芸をやってる愚息といっしょに、関連の場所にも行ったのです。上海から江蘇省の無錫、宜興、そして汽車で浙江省の杭州へ・・8泊9日、名古屋から上海、航空運賃二人で158,000円、中国国内宿泊、列車代金などで107,000円、その他ビザ、保険料など、全部含めて311,630円を旅行社へ。一人当たり16万円ほどですね。これに杭州でのホテル代。無錫ー宜興見物のため一日タクシー借り上げと通訳で約1万5千円ほど。杭州では、全部童啓慶先生にお世話になりました。陶器のまち宜興、殆ど人影を見かけませんでした。どこでも自由に製作現場を見せてくれました。今は...25年前・中国の旅

  • 造型花茶ってこれ・・

    ・・いろんな形のものがあります。一個200円くらい・・・いまはもっと高いかも・・・・・造型花茶ってこれ・・

  • 工芸茶の作り方

    中国には工芸茶(造型花茶)という凝ったお茶があります。水中花ですね。いつだったか、それも秋だったような・・・安徽省の田舎の村に作り方を見に行ったことがあります。工芸茶づくりが盛んな村です。村一番、上手な娘さんに実演してもらいました。少量ずつなので小さな釜で生葉を炒ります・・・同じ大きさの芽を選んで、このように揃えます。真ん中をタコ糸で強く縛ります。上下に広げます。菊、千日紅、ジャスミンなどの花を適宜、糸でかがりつけます。こんな具合になります。花を押し込んで形を作ります。出来たものをこのように一個づつ金網の容器に入れます。棚式乾燥機で乾かして出来上がり。乾燥機に入れるまでに約15分。慣れた手つきはお見事!日本でも作ろうと思えばできないことはない・・でしょうね・・工芸茶の作り方

  • 一昨日の月と昨日の月・・

    これは、18日午後6時59分・・・そしてこれは、19日午後6時15分。月食ですね。珍しく日本全国で見られたみたい。だから、出すまでもないと思ったけど・・安っぽいデジカメでもこんなに写るということで・・・・・・一昨日の月と昨日の月・・

  • 2004年・秋・四川省雅安

    中国に行くのはたいてい秋です。いい季節です。いろんな催しがあります。パンダの故郷、四川省雅安に行ったのも今頃だと思たのですが、9月の下旬でした。大掛かりなお茶のイベントでした。この年は、北京オリンピックだったのでは・・・なにかざわついていた思い出があります。雅安は、茶馬古道の出発地、蒙頂山のお茶でも有名。台湾の区先生、先月、オンラインで見かけたらかなりお年を・・・もちろん私も・・・会ってもお互い分からないかも・・寺田製作所がお茶のブースを出していました。大勢の中国の人たちが、日本のお茶に大変関心をもっていました。特にこの急須に・・・日本語を勉強中の学生さんが通訳についてくれました。右は、中国茶葉博物館の副館長、飲み友達の一人です。写真を見てもいろんなことがごっちゃで、何が何やらわかりません。日付が写し込めるよう...2004年・秋・四川省雅安

  • 四十年前のセーター・・・

    驚きましたね!上の写真が40年前の物(コロラドで・・)。下が今日・・着てるセーターが同じです!同じセーターを40年間着続けたのですね!!体形が変わらなかったのを喜ぶべきか、セーターを買うお金が無かったのを憂うるべきか・・・それにしても頑丈なセーターですね。・・・四十年前のセーター・・・

  • 海外へ行く時と帰った時

    1980年11月15日、早朝、サンフランシスコ空港から飛行機に乗って日本に帰ってきたのです。時差があるので、どういうことになるんでしょうか・・・そして・・・これは、1980年11月9日の掛川駅です。新幹線の掛川駅はできてなかったんですね。初めてのアメリカへの旅立ち・・・このとき、この景色をもう見ることはないかもしれないと思って写真を撮ったのです。無事に帰ってきたら、心機一転なんて思いながら・・・そして、無事に帰国したのです。そしたら、行く時の感慨は全く雲散霧消。この気持ち、病気した時の気持ちと通じますね。寝ながら思います・・・もし、病気が治ったら、生活態度を改めて食事や運動、日々の暮らしを健康第一に改めよう・・・と。で、病気が治ったら、そんな気持ちは何処へやら・・・その繰り返し。いつまで続くのか・・・終わりがあ...海外へ行く時と帰った時

  • 松下智先生

    昨日は久しぶりに袋井市茶文化資料館へ行きました。電車とバスを乗り継いで・・・・久しぶりに松下先生にお会いしに・・・土曜日には、わざわざ豊橋から来てくださる。大変お元気・・・・先生は、91歳。あと2,3年はとおっしゃる・・・私も、あと2,3年はと思ってます。とにかく、パソコンとスマホのシバリが終わるまでは、なんとしても・・・・・・松下智先生

  • キョジンマケタ

    セ・リーグ、ヤクルト勝って巨人負けましたね。予想が外れました。でも、当然って感じでした。今年の巨人は変だった。原監督も年取ったてことでしょうか。我慢できなくなったのですね。うまく行かなくなると、どんどん選手だけでなく、首脳陣も変えちゃう。それだけ人材豊富だったことも悲劇です。選手は、内野、外野、どこでも守らせちゃう。草野球ではしょっちゅうあることです。私も、やったことのないポジションはありません。ピッチャーとキャッチャー交代なんてしょっちゅう。二刀流どころではありません。でも、プロはそう簡単ではないと思うのです。二塁手と三塁手では投げ方も違う。ときどき、ピッチャーゴロをとった投手が一塁に暴投しますね。あんな近い距離なのに・・・しょっちゅう守備や打順を変えてると、知らぬ間に浮足立ってくるのですね。きっと・・・巨人...キョジンマケタ

  • 茶エンナーレに行きました

    昨日は快晴。行ける範囲内で茶エンナーレの会場巡り・・・掛川城周辺に行きました。いいところです。市立図書館です。この図書館の前が報徳社。この門が有名。右が道徳門、左が経済門報徳図書館。ここも展示会場の一つ・・・魚の彫刻がぶら下がっています・・・これは東京から移築した有名な建物・・・伊藤博文の書いた額なんかがあります。ここも会場の一つ。どこの会場も、入って驚きますね。なにこれ!って感じで。後、周辺を散策。ステンドグラス美術館。入館料500円。以前、見たので今日は止め・・・二の丸美術館。歌川広重展。入館料200円。入ります。これは良かった!日本文化の粋ですね。それから「横さんち」で駄菓子を120円ほど買って、茶エンナーレの案内所?へ寄って、一煎パックのお茶をゲット・・・三時間ほど歩き回ったので大変疲れました。でも有意...茶エンナーレに行きました

  • 若いっていいな~

    何故、コロラドに行ったか・・・デンバーの郊外、フォートコリンズというところにコロラド州立大学があるのです。そこに、友人が留学してたのです。同級生です。でも年齢はたしか十歳くらい上。大学時代、戦後十年は経ってましたが、まだまだいろんなことがありました。彼は、どこかの町役場に勤めていましたが、勉強がしたくて、お金をためて大学に入って来たのです。当時は、そんな学生が結構いました。彼は、私の顔を見てよく言ってました。「若いっていいな~」彼も二十代だったけど・・・そんな事情だったので四六時中勉強してました。食事中はもちろん、歩きながら本を読んでいました。大学の教授になりました。随分長く会ってません。どうしてるか・・・・コロラドの秋が有名です。日本の秋は「赤」ですが、あちらは「黄色」・・・町の中もきれいです。40年前の話・...若いっていいな~

  • 41年前、今日のサンフランシスコ

    1980年の11月10日、サンフランシスコにいたのです。1年は365日、同じ日にいろんなことをやってきたのですね。そう思うと、面白いというか、不思議というか、いったい何をするために生きてるのか、何のために年月を経ているのか・・・やってきたことにどんな意味があるんだろう‥なんて思ってしまいます。秋は、人を思索的にします。サンフランシスコは坂のまちですね・・・金門橋・・・そして、翌日はコロラドに行ったのです。・・・41年前、今日のサンフランシスコ

  • 34年前、杭州の今日

    34年前、1987年の11月9日・・・杭州二度目の秋だったのです。あのころは、3年前とほとんど変わってなかったですね。いまだったら、3年の歳月は大変な変化をもたらしてたでしょうね。浙江省・杭州市でお茶の国際会議が開かれたのです。そして、この日が最終日。閉会式でした。中国でも、このような大規模な国際会議ははしりだったかも・・・いろんなエピソードがありました。盛大な「さよならパーティー」・・・私の隣の女性は、陳宗懋先生の奥様、茶病害の研究者。私もそうだったのです。あの時、日本からは二十数名の参加者があったような・・・終わってホッとして、部屋に集まって歓談・・・右から、お茶の水女子大の小林先生、農水省茶試の竹尾さん、それに、駱少君さん。皆さんもういらっしゃらない。そして、左端が山西貞先生。山西先生とはこの翌年ご一緒に...34年前、杭州の今日

  • 茶神888と柚子茶

    茶神888さまが目を患って手術をするそうで、お賽銭だけでは足らず、募金中。お札代わりに、かわいいキーホルダーをくださる・・・で、早速、888円×4可愛いキーホルダーをげっと・・・ご回復をお祈りしてます。こんな時だれにお祈りすればいいのだろう・・・仏様?昨日飲んでた柚子茶をそのまま飲んでます。美味しく飲めます!どれくらいもつのだろう・・・今日は雨・・・・・・茶神888と柚子茶

  • 丸ごと柚子茶

    ちょうど昨年の今頃、小青柑をまねて柚子茶などを作ったのです。左がポンカン、中がキンカン、右が柚子・・・中身を取り出して皮を乾かします。小青柑は雲南の黒茶を詰めていますが、ないので安い煎茶。まる一年、ほっておいたのがこれ・・・柚子です。キンカンは小さすぎました。お茶が変質してるかと思ったのですが、大丈夫でした。窓際で日にあたっていたせいでしょうか・・先日の物よりうまくできています。どこがどう違ったのか・・・?適度な苦渋味(先日の物は、なぜか苦みがなく渋みが強かった)、これなら十分楽しめますね。取り出して、蓋碗で飲みます。水色は透明な淡黄色、かすかな甘みと程よい柚子の香り・・・自画自賛ながら、立派なものです。1個200円で如何・・・?・・・丸ごと柚子茶

  • ラクテンマケタ

    楽天、やっぱ負けましたね。シーズン中と同じ負け方。まさに今年を象徴するような負け方。結局、監督のせいですね・・・じゃ、おまえやってみろ・・・と言われても困るけど・・・みんな監督を意識しすぎるのです。気持ちがグランドではなくベンチの方に向いているのです。ですから、ここは抑えなければならないというときに変に力が入ってホームランを打たれたり、ランナー出てて、ここは一発というときに変に意識して凡ゴロでダブルプレー・・・もう、いやになっちゃう・・・というのがこの一年でした。監督代わんなきゃ来年も同じでしょうね。あ~あ・・・ところで、日本シリーズはオリックスと巨人。そして、オリックスが優勝の予想・・・さて・・・・・・ラクテンマケタ

  • 茶の都ミュージアムへ行く

    今日は電車で金谷駅にいき、そこからバスで茶の都ミュージアムへ行きました。久しぶりです。金谷駅です。相変わらず人影はない・・・いい駅です。バスで二軒家原というところで下車。190円也。バス停のところにある今日だけ開店という地元の人がやってる食堂でお昼。600円也。まず、庭園を見ます。相変わらずいいですね・・・庭園をゆっくりめぐる人はあまりいないようです。八つ橋。八つの違った橋が架かっています。茶室からの風景がイイですねそして、殆ど人が行かない3階北側のテラス・・・座布団も無料で貸してくれますので、座ってゆっくり景色を楽しめます。こんな景色。牧之原台地の典型的な景色です。今日は講演会を聴きに行ったのです。久しぶりにいろんな方にもお会いしました。有意義な一日・・・・・・茶の都ミュージアムへ行く

  • 自家製小青柑を飲む

    今日は自家製の小青柑を飲みました。昨年の今頃作って、窓際に放置して、すっかり忘れていたものです。きっとホコリまみれ・・・軽くほこりを払って・・・・一個、ポットに入れます。お湯を注ぎます。5分後に恐る恐る飲んでみます。水色は、奇麗な淡黄色、厭味もなく柚子の香りが…渋味があります。使ったお茶は100グラム300円程度の緑茶ですから・・・10分後、かなり渋味が強くなりましたが、飲めんことはない・・水色は淡黄褐色に・・・ミカンを取り出します・・・お湯を継ぎ足しながら、ずっと飲んでいます。体に変調はありません。・・・自家製小青柑を飲む

  • カナダのお茶

    珍しいお茶を頂きました。最近世界中で、こんなところで‥と思うようなところでお茶を作っています。いろんな意味で大変興味深いことです。カナダのお茶を頂きました。釜炒り茶をメープルで燻煙したものです。正真正銘カナダ産のお茶のようです。珍しいので現地の写真を拝借・・・・バンクーバー島、北緯50度近辺ですのでずいぶん北ですね。シアトルの北です。冬は雪が積もり、かなり低温になる様子。で、お味は・・・お茶もこんな味がするのか~って感じがしないことはない。でないと、カナダで作ってる意味がありませんね。お茶の多様性が市民権を得てきたみたいで嬉しいですね。紅茶も頂いたので明日飲んでみよう。ちなみに、このお茶、10g2,000円くらい・・・そんな貴重品です。・・・カナダのお茶

  • 歌えるうた・・・

    思えば歌にはまったく縁のない人生でした。どんな歌が歌えるのだろう・・・?なんと、すらすら出てくるのはデモの時にうたってたあの歌この歌。どんな歌があったのだろうと思って、「労働歌」をネットで調べたら・・懐かしい題名が・・・「インターナショナル」「がんばろう」「しあわせの歌」「聞け万国の労働者」「赤旗の歌」「メーデーの歌」「若者よ」「原爆許すまじ」こんな歌を大声で声が枯れるまで歌いながらデモをやってたのですね。シュプレヒコール!「警職法反対」「勤務評定反対」「安保反対」「岸を倒せ」・・・1960年のことです。あんなことが自由にできた世の中だったのですね。思えば、息が詰まるってことのない時代でした。抵抗するのも大変だったけど。刑務所に入った先輩も何人か・・・出た後は結構出世しました。いまもいい時代かもしれないけど・・...歌えるうた・・・

  • 四季の歌

    昨日の歌の続きです・・・あれは、1988年3月のこと・・・台湾でお茶のシンポジウムがありました。このような催しのまさにはしりです。おまけに国交がなくなった台湾です。参加する人は殆どありません。それに出かけたのです。前列左から二人目が山西貞先生。両隣に堀川さんと私。そして、あれは会議が終わった後のバス旅行の時だったような・・・。参加国の人たちが、お国の歌を歌うことになったのです。山西先生が、私たちも何か歌いましょうよ、とおっしゃった。こんな時みんなで歌う歌って・・・まさか、「君が代」ってわけにもいかないし・・そしたら、先生が、「四季の歌」はどうでしょうとおっしゃった。で、みんなで「春を愛する人は・・・」って歌ったのです。私も・・たぶん、山西先生も歌をお歌いなるのは珍しいのでは・・・ずいぶん昔の楽しくも懐かしい思い...四季の歌

  • 幸せなら手を叩こう・・

    先ほどテレビを見てたら、偶然、あの「幸せなら手をたたこう」という歌の成り立ちをやってました。あんな背景があるなんて全く知りませんでした。世界中でうたわれているわけがわかりました・・・それで思い出したのです。私は歌を歌うのが好きではありません。ですから歌いません。ただ、これまで海外で二度だけうたをうたったことがあるのです。その一回が、2014年5月、浙江省天台山・華頂講寺だったのです。そして、そのうたが「幸せなら手をたたこう」だったのです。あのとき、天台山に中国全土から100名の若者が集まったのです。詳細は抜きにして、ネットで募集したらすぐに3000人の応募があったそうです。とにかくすごいこと・・・あいにくのお天気でした・・その夜、食事の後でみんなでたき火を囲んでうたをうたったのです。なぜ、あの歌が出たのか、日本...幸せなら手を叩こう・・

  • 地域活動のむつかしさ

    今日は、三カ月ぶり?に袋井茶文化資料館へ・・資料館の移転について、役員の人たちが集まって相談を・・皆さんにお会いするのも久しぶり。移転先が決まりそうです。それにしても、このような施設を市がどのように考えているのか・・何度か意見書や提案書を出しましたが、読んでる形跡がない・・いつもそうです。なぜなんだろう・・・またもとから始めるエネルギーは残っていません。疲れる一日でした。・・・地域活動のむつかしさ

  • 37年前の今日・北京

    37年前の今日、北京も快晴でした。明の十三陵、北京郊外・・・言うまでもない万里の長城、北京から80キロ・・・言うまでもなく天安門広場頤和園・・北京最大の公園・・北京動物園でパンダを見ました。そして・・・できたばかり?の地下鉄にも・・改札?の女性係員・・・でも、一日でこんなに回れるはずない・・・夢か幻か???・・・37年前の今日・北京

  • YAMAZAKI P. 丹治さん来たる

    きのうのYAMAZAKIPARADISE(掛川茶エンナーレの会場)、お天気が思わしくなかったけど大勢の人たちが・・・自然栽培のいろんな野菜をお土産に・・取れたお芋で焼き芋も・・手作り紅茶もあります。赤鬼さんがお相手をしてくれます・・知り合いが多く遠方からも来られます。今日は、思いがけず丹治さんが・・・同級生です。会うのは十年ぶりかも・・同級生といってもずいぶんな年の差・・・静岡文化芸術大学大学院の一期生です。2006年卒?だったような・・・・年月は残酷。年はとるのに年の差は変わらない。彼の活躍を祈ります。今日も秋晴れ・・・・・YAMAZAKIP.丹治さん来たる

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