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  • 池田清子「レモンあい詩」ほか

    池田清子「レモンあい詩」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年10月16日)受講生の作品を中心に。レモンあい詩池田清子セイロンティーにレモンの輪切り青い空にたくさんのレモンの輪切り紅茶の海にたくさんのレモンの輪切り刈ったばかりの田に立てかけられてるレモンの輪切り緑の木々に斜めにささったレモンの輪切りすずめ達と群れて旋回しているレモンの輪切り本当はレモンティーよりミルクティーよりストレートティーが好き檸檬ではない「最後の一行だけ、漢字。作者のこだわりがあるのだが、どんなこだわりだろうか」「レモンの輪切りのバリエーション。イメージをふくらませた詩。漢字の檸檬は輪切りにそぐわない」「刈ったばかりの田に立てかけられてる、が好き」「緑の木々に斜めにささった、はイメージしにくいので好き」。タイトルについては、「あい...池田清子「レモンあい詩」ほか

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(49)

    「一九〇三年九月」。あまたたび、ああ、あれほども、あのひとの近くに、「あ」の音が繰り返される。「あ」は「あのひと」の「あ」に向かって、まっすぐに動いていく。この繰り返される「あ」の声のなかに、いったい、いくつの「あ」の変化があるだろうか。「ああ」は、ことば(意味)を探している。「意味(ことば)」は見つからないが、感情があふれてくる。「あ」、その単純な音。口を大きく開き、喉を開き、いや、意思で口を開き、喉を開くのではない。感情が、開かせてしまうのだ。その感情に酔っている。その感情に酔いたくて「あ」を繰り返している。中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(49)

  • 野沢啓「吉本隆明の言語認識--『言葉からの触手』再読」

    野沢啓「吉本隆明の言語認識--『言葉からの触手』再読」(「イリプスⅢ」5、2023年10月10日発行)野沢啓「吉本隆明の言語認識--『言葉からの触手』再読」が、これまでの「言語暗喩論」とほんとうに連続している(関係している)のかどうか、私にはわからない。野沢の「言語暗喩論」を私なりに整理すると、こうなる。ひと(野沢は「詩人」と限定し、詩と詩人を特権化しているか、私は「ひと」と読んでおく)が、直接的に自己のいのちを生きるとき、ひとはいのちの本質(まだ名づけられていない深奥・根源)と合致している。それは既成のことば(表象/表現の仕方)ではあらわすことができないから、ただ暗喩的にのみ表現される。こう整理してみると、何のことはない、それはすでに誰それが言っていることのように思える。言い直せば、私はどこかで読んだこ...野沢啓「吉本隆明の言語認識--『言葉からの触手』再読」

  • Estoy Loco por España(番外篇404)Obra, Jesus del Peso

    Obra,JesusdelPesoMientrasmequitolaúltimaropainterior,micuerpovacilaenelespejoalsentirtumirada.No,¿esmicorazónelquevacila?Enelmomentoenquepenséenello,micuerposecongelóenelespejo.Esfríoyagudo,comouncorazónhelado.Noeselcuerposinoelcorazónloquesereflejaenelespejo.Tengomiedodemiraratrás.Simedoylavuelta,encontrarétumirada.Tumiradanomiramicuerpo,sinomicorazónref...EstoyLocoporEspaña(番外篇404)Obra,JesusdelPeso

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(48)

    「精神の成長のためには」何をすべきなのか。どうすべきなのか。法(社会)に「違反せよ」ということばが途中にある。そうであるなら、官能の喜悦こそ大いなる教育。というときの「官能」は、世間(社会)に認められている官能ではないだろう。世間が否定する官能、そしてその「喜悦」が精神を成長させる、つまり精神を教育することになる。この書き方は、論理的である。それは、その論理が、誰でもが認める公理であるという意味ではない。別のことばでは「超越(する)」とも言う。だから、この詩には「超越せよ」ということばも出てくる。そもそも「官能の喜悦」とは、官能の超越でもある。**********************************************************************★「詩はどこにあるか」オ...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(48)

  • マーティン・スコセッシ監督「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(★)

    マーティン・スコセッシ監督「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(★)(中州大洋、スクリーン1、2023年10月21日)監督マーティン・スコセッシ出演レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロこの映画がつくられるというニュースを知ったとき、見たいと思った。予告編を見たとき、期待できないと思った。そして、実際に見て、がっかりを通り越して、スコセッシもディカプリオもデ・ニーロも、もう見なくていいと思った。映画としては、まず、あ、このシーンをもう一度みたいという衝撃的な美しさを感じさせるシーンがない。(ラストの、上空からとったシーンが、反動で?、美しく見えてしまう。)映画はただストーリーを追っていくだけ。それに3時間半もつきあっていると、ただただ、疲れる。ディカプリオ。昔は気がつかなかったたが、歯が汚い。歯...マーティン・スコセッシ監督「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(★)

  • Estoy Loco por España(番外篇403)Obra, Luciano González Diaz

    Obra,LucianoGonzálezDiazElhombresediolavueltaparaocultarsutristeza.Noqueríamostrarmislágrimas.Noqueríaquevierasuslabiostemblorosos.Queríaocultarhastalamásmínimavoz.Sinembargo,latristezanoloperdonará.Latristezaletorciólaespaldaytratódedesbordarsedesuespalda.Aunquepodíacubrirselacara,susmanoserandemasiadopequeñasparacubrirsuespalda.Elhombrenoentiendeesacosa...EstoyLocoporEspaña(番外篇403)Obra,LucianoGonzálezDiaz

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(47)

    「ユリアノスと神秘」。こう言われて、このアホウは、この一行だけでは、ユリアノスが、いつ、どこで、誰に、なぜ、何を言われたのかわからないのだが、つまり、私の引用は、とても不親切でどうしようもないものになってしまうのだが。それでも、カヴァフィスがユリアノスをバカにしていることは、はっきり伝わってくる。「このアホウ」ということばの、強さ。よほど嫌いだったのだろう。そう感じるからこそ、「このアホウ」という訳語を中井は選んでいる。詩を読めば、何もかもわかるのだが、そして、それがわかったとき、読者もやはり「このアホウ」と思うかどうか。ユリアノスの行動と、そのときの周辺のひとの言動に引っ張られて、歴史の一こまを思い浮かべてしまうかもしれない。それでは、まずい。なんとしても、カヴァフィスのユリアノス嫌いを明確にする必要が...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(47)

  • 林達夫と「勉強」

    ようやく「林達夫著作集」の再読を終えた。これから読み始める本(中井久夫や林達夫より古い本)のための、なんというか、「ウォーミングアップ」のつもりで、中井久夫のエッセイ、中井久夫著作集、林達夫著作集と読み進んできたのだが、正月から10か月もかかってしまった。このままでは、死ぬまでに読みたい本を読み終えることができない、とかなしくなる。福大病院の検診には、診察券もマスクも忘れてしまった。物忘れが激しくなったし、検査の結果も、予想はしていたがつらいものがあった。でも。林達夫には励まされる。晩年になってから、ロルカに出会い、スペイン語の勉強をはじめている。NHKのラジオ講座で。かつて勉強したことがあるロシア語もラジオ講座で復習している。何歳になっても、勉強している。そういえば。林達夫の文章には、よく「勉強」という...林達夫と「勉強」

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(46)

    「紀元前二百年」。我等の共通ギリシャ語、「我等のギリシャ語」ではなく、「我等の共通ギリシャ語」。こういうとき、その「我等」のなかには「異質」が存在するということである。「異質」を超えて「共通」がある。そのとき、単に「我等の共通言語」といわずに「ギリシャ語」という。ここには乱暴な「思い上がり」のようなものがある。その「思い上がり」のために、たぶん、ギリシャはローマに屈した。中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(46)

  • Estoy Loco por España(番外篇402)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensElcírculodelcentrosemuevelibremente,subiendoybajando.Lacurvaenlapartesuperiortambiénsemuevelibrementehaciaarribayhaciaabajo,yaseadeacuerdoconestemovimientooencontradelcírculo.Avecespuedegirarunavezenelaireyregresaralcírculo.Enesemomento,¿lacurvainferiorsimplementesoportaestosdosmovimientos?Nomepareceasí.Laimaginacióndelacurvadeabajopued...EstoyLocoporEspaña(番外篇402)Obra,JoaquínLlorens

  • 山之口獏「大儀」、すぎえみこ「かたえくぼ」ほか

    山之口獏「大儀」、すぎえみこ「かたえくぼ」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年10月02日)受講生が、みんなと一緒に読みたいという作品、山之口獏「大儀」を持ってきた。大儀山之口獏躓づいたら転んでゐたいのであるする話も咽喉の都合で話してゐたいのであるまた、久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも逢へば直ぐに、さよならを先に言ふて置きたいのであるあるいは、食べたその後は、口も拭かないでぼんやりとしてゐたいのであるすべて、おもふだけですませて、頭からふとんを被って沈殿してゐたいのである言いかえると、空でも被って、側には海でもひろげて置いて、人生か何かを尻に敷いて、膝頭を抱いてその上に顎をのせて背中を丸めてゐたいのである。「空でも被って、何かを尻に敷いて、がいいなあ。面倒なことを放り出していたい。後半が大...山之口獏「大儀」、すぎえみこ「かたえくぼ」ほか

  • Estoy Loco por España(番外篇401)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPablo"aquellugar"100X811990,ÓleolinoMedijolavoz:"Estaréesperandoenaquellugar",ylavozcolgóelteléfono.Eralavozquehabíaescuchadoantes,peronopodíaidentificarquienmellamó.Aunquenosabíadóndeestabaaquellugar,lorecordé.Aquellugardondeteperdí.Medijistequeabrieralosojos,ycuandolohice,unanegruragloriosametragóaquellugar.Unaluznegrailuminóunaciudadcomo...EstoyLocoporEspaña(番外篇401)Obra,JesusCoytoPablo

  • 原田眞人監督「BAD LANDS バッド・ランズ」(★★)

    原田眞人監督「BADLANDSバッド・ランズ」(★★)(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン3、2023年10月10日)監督原田眞人出演安藤サクラ安藤サクラを見たくて行ったのだが。タイトルが出てくるまでの部分は、まあ、おもしろかった。詐欺グループも、捕まらないように工夫しているのか、スパイ映画みたいだな、と妙に感心した。しかし、それからあとがおもしろくない。いちばんの問題は、登場人物の、「詐欺」の仕事以外の部分がぜんぜんわからないことだ。安藤サクラの「過去」は、いちおう映画の中で語られるが、ほかの人物には「過去」がない。つまり、「役」を納得させる「存在感」がない。映画の中で、自分を見せるのではなく、単に「役」を演じて見せているだけ。映画にしろ、芝居にしろ、もちろん「役」も見るのだけれど、「役」を...原田眞人監督「BADLANDSバッド・ランズ」(★★)

  • 神原芳之「熱帯夜」

    神原芳之「熱帯夜」(「午前」2023年10月25日発行)神原芳之「熱帯夜」、荒川洋治「枇杷の実の上へ」、工藤正廣「賛歌」と読み進んで、あれ、三人は申し合わせでもしたのだろうか、と思ってしまった。書いていることは違うのだが、私には、同じことをことを書いているように思えた。簡単に要約すれば、とりかえしのつかないことをしてしまった、という気持ちが、ことばの奥に動いている。とりかえしがつかないことは忘れてしまえばいいのだが、忘れられない。そのときの、忘れられないという気持ちのどうしようもなさ。荒川洋治の作品が、いつものながらに手が込んでいて(ことばが、論理=意味になる前に肉体の方へ引き返してきて)刺戟的なのだが、神原芳之「熱帯夜」について書くことにする。眠りに入ったと思ったら眠りから放り出されてしまった夢の門が開...神原芳之「熱帯夜」

  • 石毛拓郎「母乳、余滴。」

    石毛拓郎「母乳、余滴。」(「ココア共和国」2023年10月号)石毛拓郎「母乳、余滴。」には長いサブタイトルがついている。それは省略する。その終わりの方の部分。いまは、大潮の赤帯のそよぎでざわめいている。その気配で、馬鹿貝は赤い泡を吐き出して、跳ぶのだ。跳びあがれないで、土左衛門になってしまうものは海中の砂楼閣、貝塚をしつらえる。貝を探す者の足裏に当たる、主人を失くした殻よ。(土佐意識と観念は、このように何気なく隠れている)この部分と、私がこれから引用する林達夫の文章とどういう関係があるのか、実は、私にもわからない。ただ、突然、思い出してしまったのだ。「ちぬらざる革命」という文章の中にある。(林達夫著作集5)君は不服そうな顔をしているが、それは君の時代を見る目が、下らぬ新聞や雑誌の見出し(ヘッドライン)にし...石毛拓郎「母乳、余滴。」

  • Estoy Loco por España(番外篇400)Obra, Juancarlos Jimenez Sastre

    Obra,JuancarlosJimenezSastre¿Dóndeestabanestosárboles,piedrasyhierroantesdequesereunieronaquí?¿Queestabanhaciendo?Habríanvividodeunaformadiferentealaqueexistenaquíahora.No,esposiblequelohayandesechadoporconsiderarlosalgoinútiles.Sinembargo,inclusosisetiraalasbasuras,hay"vida"enellos."Losrecuerdos"permanecen.El“tiempo”continúa.Yestoscontinuarán.Nosientoque...EstoyLocoporEspaña(番外篇400)Obra,JuancarlosJimenezSastre

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(45)

    「さるギリシャ大植民地にて、紀元前二百年」。とてもおもしろい一行がある。重箱の隅までつつかれ、刻まれ、粉々だあ。ギリシャに「重箱」はないだろう。だから、これは意訳。さて。ここからが問題。「重箱」がないとして、それでも「重箱の隅までつつく」に類似した言い方はないといえるか。他の部分に書いてあるが、「些細なことを問題にし」難癖をつけるというのは、どの世界にもあることだからね。だからね……というのは、私の飛躍なのだが。だからね、ことばを読むときは「動詞」を中心にして読まないといけないのだ。動詞とは、つまり肉体の動きだが、その肉体の動きは、どのひとにも共通するものがある。肉体にできることは限られているからね。肉体は「概念」ではないから、他人とまったく違ったことができる人は限られている。みんな、似たりよったり。だか...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(45)

  • 林達夫「イタリア・ファシズムの教育政策」

    林達夫「イタリア・ファシズムの教育政策」(林達夫著作集5)(平凡社、1982年3月23日、初版第12刷発行)林達夫「イタリア・ファシズムの教育政策」を読んでいて、次の文章に出会う。昔は気がつかなかった。読み落としていた。ファシスト教育はあらゆる手段を以て資本主義体制を防衛し、ブルジョアジーの階級的支配を確保することに重点を置いている(30ページ)ここでいう「ブルジョアジー」とはいわゆる「資本家」のことである。労働者階級の地位を徹底的に劣悪化することによって(賃金値下げ、労働時間延長、合理化強行)辛うじて命脈を保ってきたイタリア資本主義は、今日、深刻な経済恐慌の渦中にあって気息奄々としている。(35ページ)「イタリア資本主義」を「アベノミクス」に変えれば、日本の現状にぴったり合致する。いま岸田は、「賃上げ」...林達夫「イタリア・ファシズムの教育政策」

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