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  • 谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」

    谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」(2022年05月29日、日本の詩祭座談会)2022年05月29日、日本現代詩人会の「日本の詩祭」があった。H氏賞の授賞式などがメインなのだが、谷川俊太郎が先達詩人賞を受賞したので、受賞者を囲んで座談をしようということになった。谷川はズームでの参加だった。秋亜綺羅が「台本」というか、どんな具合に座談を進めていくかというアウトラインをつくったのだが、それにそって動いたのは最初だけ。座談は「なまもの」だから、やはりあっちへいったり、こっちへいったり。私がテキトウにその場での思いつきを言ってしまったからかもしれないが。そのとき話したこと、その後の補足を交えて、どんなことを話したかを書いておく。他の参加者の発言は一部をのぞいて省略する。ひとのことばなので、...谷川俊太郎、秋亜綺羅、杉本真維子、谷内修三「鉄腕アトムのラララ」

  • 「かきまぜる」

    捨てようとしたノートから、紙がこぼれてきた。こんなことが書いてあった。ひとつの新しいことばが加わることで、それまでのことばの意味づけ(価値)が変わってくる。そういう運動をひきおこすのが詩のことばである。たとえば「かきまぜる」という動詞。エリオットの詩のなかにあっても、日常の会話のなかにあっても「意味」は同じだ。だが「荒れ地」のなかでは特別な意味を持つ。それは「生と死」を「かきまぜる」。反対のものをかきまぜる。「異質なもの」を超えて、反対のものをかきまぜる。だから驚く。詩を感じる。ことばには一定の結びつきがある。水と小麦粉をかきまぜる。水と油をかきまぜる。これは「異質なもの」をかきまぜる。かきまぜるには、「異質」であることを無視してしまう乱暴さ(暴力)がある。ここまでは、これまでの「ことば」が体験してきたことであ...「かきまぜる」

  • 山本博道『夜のバザール』

    山本博道『夜のバザール』(思潮社、2022年05月31日発行)山本博道『夜のバザール』を読みながら、私は困惑した。山本はいろいろな土地を訪ね歩いている。「カンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、バングラデシュ……」と帯に書いてある。しかし、私には、その違いがわからない。山本の詩を読んでも、どこが違うのかわからない。違いではなく、共通するものを描こうととしているのかもしれないが、違いがわからなければ共通も浮かび上がらないように思う。違っている、けれど、なにか通じるものがあるというように「認識」は進んでいくと私は考えているが、どうも先に「共通」があり、それを「個別」のなかに展開しているような気がする。「共通」にあてはまる「個別」を選びながら、ことばが動いている感じがする。窮屈なのだ。そうした印象の中で、次の数行は、...山本博道『夜のバザール』

  • 「戦争」と物価

    2022年05月24日の読売新聞(西部版・14版)の「いまを語る」は、東大教授・渡辺努のインタビュー。「物価上昇乗り切る知恵/親、祖父母の経験若者に伝えて」という見出しがついている。ロシアのウクライナ侵攻に関連して、物価上昇がつづいていることに対する対処方法を語ったものである。そのなかで、非常に気になる部分があった。↓↓↓↓↓日本の物価が上がりにくい一因に、労働者の賃金が上がっていない点があります。米国は労働者の賃金も急上昇しているので、企業側も原材料費の急騰を受けて商品を大幅値上げしていますが、日本は十分に賃上げしていません。消費者が買い控える可能性があり、企業は原材料費の上昇分すべてを商品価格に転嫁できないのです。↑↑↑↑↑これだけ読むと、日本の物価が上昇していないように見えるが、実際は上がっている。原材料...「戦争」と物価

  • バイデンの強欲主義的想像力

    バイデンの強欲主義的想像力2022年05月24日の「日米首脳会談」を伝える読売新聞(西部版・14版)の一面の見出し。①首相「防衛費相当な増額」/対中国同盟の抑止力強化②バイデン氏「台湾有事に軍事介入」記事は①②の順序だが、これはウクライナ情勢を受けての「緊急首脳会談」だとすれば、どう見ても書き方が逆だろう。つまり、「真意」を隠した報道の仕方だろう。アメリカは、ウクライナへのロシア侵攻を誘発し、その後、ロシア封じ対策で世界をリードした。その結果、アメリカの軍需産業は利益を拡大し、アメリカの化石燃料産業もぼろもうけをしている。資源大国のアメリカは農産物(穀物)でも大幅な利益を上げるだろう。次は、すでに経済大国になっている中国をどう封じ込めるか。中国に、台湾を攻撃させ(中国軍を台湾に侵攻させ)、それを契機に中国を批判...バイデンの強欲主義的想像力

  • Luigi Alberto Di Martino「Espana como pais Multocultural」

    LuigiAlbertoDiMartino「EspanacomopaisMultocultural」(出版社、発行日不詳)LuigiAlbertoDiMartino「EspanacomopaisMultocultural」には「スペイン語読書の教科書(librodelecturaparaestudiantedeespanol)」と書いてある。この本を読みながら思ったことは、ひとつ。私たち(といっていいのか、私と言うべきなのかわからないが)日本人の「国家」に対する意識は、多くの国の国民が持っている「国家」の意識とはぜんぜん違うのではないか、ということである。ことばひとつをとってもみてもそうである。私はあるひとと話していて「おまえはカステジャーノ(いわゆるエスパニョール、スペイン語だろうか)を話すのかカタラン(カタ...LuigiAlbertoDiMartino「EspanacomopaisMultocultural」

  • Vicente Barbera Albalat「MPERMANENCIA」(facebook)

    フェイスブックのVicenteBarberaAlbalatのページで「MPERMANENCIA」を読んだ。「MPERMANENCIA」Todoynadaalmismotiempo.Quisieracontestaratuspreguntasypoderparasiempreconvencertedequeresultainútilpretendervivirenestemundosinmorir.Semuerecadadíapocoapoco,sibailas,sipaseas,siestástriste.Semueresinquererlo,encadainstante,perotambiénsevivesidisfrutasdeuntiernoamanecercadamañana.Lainextricabl...VicenteBarberaAlbalat「MPERMANENCIA」(facebook)

  • 笠井杢「四丁目公園」

    笠井杢「四丁目公園」(「アンエディテッド」4、2022年05月31日発行)笠井杢「四丁目公園」。飛行機雲には空を切り裂いていくのと空を閉じていくのがあってこのジャンボジェットも遠い空にどちらかを残していまは街に腹を晒している寝っころがれないベンチの仕切りの向こうに缶コーヒーを置いて離れてパンをかじる人の安全性を確認しながらわたしも誰かに見られているこの「わたしも誰かに見られている」。これは、ちょっといやだなあ。こんな詩を読みたくないなあ、と思う。誰もあなたを見ていない。見たとしても、単に「見た」だけであって、それが意味になること、つまり見た人を変えてしまうことなどない。だれも人のことなど気にしない。それぞれが自分の意味を生きているだけ。と言いたくなるのだが。この詩の場合は、そうでもない。ふーん、と思ってしまう。...笠井杢「四丁目公園」

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(18)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(18)(紫陽社、2022年06月01日発行)18篇目「夢か、」。この詩は不思議な「構成」。「夢か、」という行を冒頭にして、五連でできている。一、二、四、五連目には「父」ということばがある。ただし、四連目の「父」は林芙美子の父であって、石毛の父ではない。だから、ほかの連の父だって、石毛の父ではないのかもしれないが。一方、三連目には、そこに書かれている人物が詩人・黒田三郎であると後注で明記されている。「口惜しさのあまり、火の玉を、威勢よく吐き出していた」ような黒田は、石毛にとって父のような存在だったのか、と私はなんとなく思うのである。意識せずにはいられなかった、ということだけは確かである。では、父とは、どういう存在なのか。下総台地のふもとを、汽車が走っている。それに乗って、水郷佐原を廻れ...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(18)

  • Antonio Baños Roca「LA MUSA Y EL POETA」

    AntonioBañosRoca「LAMUSAYELPOETA」...LAMUSAYELPOETA...Enelsilenciodelanoche,cuandoinclusolabrisaduerme,lleganletrascomosombras,queseagolpanenlamentedelpoeta;paradarvidaalpoemaqueseresiste.Asualrededor,revoloteanmariposasdemúltiplescoloresquelesusurranpalabras,llenandolasoledaddelmomento,causadaporlaausenciadesumusa,que,comounsurtidordepalabras,llenalossentimie...AntonioBañosRoca「LAMUSAYELPOETA」

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(17)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(17)(紫陽社、2022年06月01日発行)17篇目「白秋を笑った」。後注に田村奈津子の名前が出てくる。二〇一八年一〇月一一日、十七回忌。知らなかった。田村奈津子の名前は、石毛から聞いた。石毛、田村、私の三人で同人誌をやったのだったか、田村に断られて石毛と二人で同人誌を出したのだったか、うろ覚えだが、石毛が田村を誘い込もうとしたことは覚えている。たしかそのとき田村の詩集を読んだような気がするが、これも定かではない。こういうことは詩を読むときに、どう影響するのか。私は、突然、ぼんやりしてしまった。きのう読んだ「六根、リヤカーを引け!」には知らないひとが出てくる。登場人物のことを何も知らないので、私は「ギリシャ悲劇」の一シーンを見るように、勝手に想像し、興奮した。そのときの興奮が、この詩...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(17)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(16)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(16)(紫陽社、2022年06月01日発行)16篇目「六根、リヤカーを引け!」を読みながら、詩とは不思議なものだと思う。詩だけではなく、文学が不思議だし、ことばが不思議なのだ。そんなにむちゃ引きしていいのかね急げば六根からだにさわります少し乱暴だが是が非でも会っておきたい友がいるどこかあどけなく右手の中指で解放の二文字を宙に書き綴る肺病に囚われた気丈の男がリヤカーの荷台でおれの六根を急かす松の竹の梅の小径を蹴散らしてリヤカーをはやく引け!東村山「国立療養所多磨全生園」へ前書きというか「副題」というか。それとつきあわせて読むと、どうも肺病の男が、友人の危篤の知らせを聞いて、どうしても会いたくなり、リヤカーに乗って駆けつけようとしている。で、不思議、というのは。こういう詩を(ことばを)読...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(16)

  • Estoy loco por espana(番外篇166)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensT.Hierromacizo64x52x25Seleccionada,Concursodeescultura,Álora(Malaga)Lacolumnaredondaesinteresantisima.Elcuadradoyelcírculo,lapresenciaheterogénearefuerzaelconjunto.Alencontrarsecondisimilitudes,cadaunoseconfirmaasímismo.Todalaexistenciapuedeserunarepeticióndeesteproceso.丸い柱が興味深い。異質の存在が、全体を強くする。異質なものと出会い、それぞれが自己を確かめる。あらゆる存在は、その繰り返しなのかもしれない。Estoylocoporespana(番外篇166)Obra,JoaquínLlorens

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(15)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(15)(紫陽社、2022年06月01日発行)15篇目「コーヒールンバ異聞」。この作品については、わりと最近(たぶん、今年だと思う)、感想を書いた。感想を書いたということは覚えているが、ほかは何も覚えていないので勘違いかもしれない。こんなことは詩にとってはどうでもいいことか。そうかもしれないが、そうでないかもしれない。ほら、この詩の「題材」が「コーヒールンバ」なのだから。で、私が、いま書いた「ほら」の意味がどれだけ他人に伝わるか。たぶん石毛には伝わるだろうと思う。私の感想は、もともと「返信」のようなものだから、作者以外に伝わらなくても気にしないし、作者がその感想を気に食わなくても気にしない。だいたい、「気に食わない」という反応以上に、感想が届いたという明確な証拠(?)はないのだから、作...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(15)

  • 江上紀代『空を纏う』

    江上紀代『空を纏う』(鉱脈社、2022年04月15日発行)江上紀代『空を纏う』は初々しい詩集である。詩を書く、ことばを書く喜びにあふれている。「みどり児」の全行。蕗の薹がさっき生まれた難民キャンプの闇を発ちコンクリートの分厚い壁を破り鉄条網の棘をすりぬけ……地べたを貫いてここに生まれてきたときキュンと泣いた事を誰も知らない音をたてずに滑らかに廻る秒針は誕生の時刻などカウントしない産毛の乾かない嬰児のため誰も子守唄をうたわない午後の陽ざしはやがて北向きのこの一角を見つけるだろうまだ風はつめたい「嬰児」には「みどりご」というルビがふってある。この少し気取ったことば(日常的には、あまりつかわない文学的?なことば)と「キュンと泣いた」の「キュン」の対比がおもしろい。「キュン」だけでも、あ、いいなあ、これが書きたかったん...江上紀代『空を纏う』

  • 江上紀代『空を纏う』

    江上紀代『空を纏う』(鉱脈社、2022年04月15日発行)江上紀代『空を纏う』は初々しい詩集である。詩を書く、ことばを書く喜びにあふれている。「みどり児」の全行。蕗の薹がさっき生まれた難民キャンプの闇を発ちコンクリートの分厚い壁を破り鉄条網の棘をすりぬけ……地べたを貫いてここに生まれてきたときキュンと泣いた事を誰も知らない音をたてずに滑らかに廻る秒針は誕生の時刻などカウントしない産毛の乾かない嬰児のため誰も子守唄をうたわない午後の陽ざしはやがて北向きのこの一角を見つけるだろうまだ風はつめたい「嬰児」には「みどりご」というルビがふってある。この少し気取ったことば(日常的には、あまりつかわない文学的?なことば)と「キュンと泣いた」の「キュン」の対比がおもしろい。「キュン」だけでも、あ、いいなあ、これが書きたかったん...江上紀代『空を纏う』

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)(紫陽社、2022年06月01日発行)14篇目「母語について」。ここで言われる「母語」は生まれ育ったところで聞いたことば、ということ。「方言」のことである。---おしまいな!夕闇を断ち切って〈おしまいな!〉の声がする仕事を手をとめて声の主を確かめる---いつまでやっているんだあ!いい加減でやめなさい!そういうことだと祖母の背中で教わったのだいいねえ、この「おしまいな!」。似たことばが私の田舎にもあったと思うが、忘れてしまった。「からだを壊したら、なんにもならんよ」くらいの意味だった。何をするにしても、そのことばがついてまわった。私は病弱だったから、田畑の仕事はほかの友人に比べると少なかったが、それは学校の宿題やなんかをしているときにもついてまわった。これは私にはなかなかおもしろ...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(14)

  • 「ことば」の持つ意味(新聞の読み方)

    2022年05月15日の朝刊(西部版・14版)の「コラム面」の「広角多角」というコーナーで、社会部次長・木下敦子が、「「認知症」と「キーウ」呼び名を変えた意味」という作文を書いている。「認知症」は、それまでつかわれていた「痴呆」や「ぼけ」が侮蔑的であるという理由で「認知症」に改められた。そうした日本の現実を踏まえた上で、ウクライナ問題に関して「キエフ」が「キーフ」に改められたことに書いている。木下自身のことばではなく、在日ウクライナ人、ソフィア・カタオカ語らせている。彼女は、こう語っている。↓↓↓↓今回の呼称変更は、私たちにとって非常に大きな、尊厳の問題につながります。↑↑↑↑これは大事な問題である。「尊厳の問題」である。これを、木下は、こう言い直している。↓↓↓↓▽ウクライナには固有の歴史と文化があり、固有の...「ことば」の持つ意味(新聞の読み方)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)(紫陽社、2022年06月01日発行)13篇目「峠の墳墓にて」。国木田独歩が出てくる。あ、石毛は独歩を読んでいたのか。私は独歩をまともに読んだことはないが、透明なひとだと思う。硬質の透明さが、古さと、古いものだけが持つ確かさをもっている。それは石毛のことばを媒介にして、こんなふうに噴出してくる。潮垂れるからだをもてあまし武蔵野の山林をかけのぼる雲山千里の峠の墳墓に感傷的な思いをふき懸けるとみどりの隙間に古里の海がせまるいま、こんな描写をする詩人はいないだろう。まるで時代小説の文体ではないか。と書いて思うのだが、石毛のことばの奥には、何か「通俗小説」と書いてしまうと語弊があるのだが、気取りきっていない文学との交流がある。そして、その水脈は「細々」というのではなく、妙に「太い」ので...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(13)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)(紫陽社、2022年06月01日発行)12篇目「植民見聞録」。後注で、石毛は、こう書いている。ヤン・ソギル原作。崔洋一監督の映画『月はどっちに出ている』を観戦。そこから、屑のひかり、その生き方に、共振した。「観戦」か。書き間違えかなあ。たぶん意識的に書いていると思う。「屑のひかり」という表現も、意図的だろう。石毛は、映画を見ながら、何と戦ったのか。そこに描かれているのは「屑」だ。しかし、「屑」はただ汚いもの、捨てられたものではない。「屑」と呼ばれても、生きている。「屑」と呼ばれたことを自分の支えにして生きている。人間は、そうやって生きるということをはじめなければならないのかもしれない。そう感じて「共振」したのか。しかし、詩には、こういう表現がある。階下の初老の男が死にかけている...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(12)

  • Estoy loco por espana(番外篇165)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensOtroángulodelaobracompartidoel8.Seríaextrañollamarlobaileflamencodelosdelfines?Pasión,ritmoydinamismo.Elritmoesmástridimensionaldesdeesteángulo.El"espacio"queexisteenlugaresinesperadosesunfuerteacento.Lainterseccióndelahorizontalylaverticalesdinámica.8日に紹介した作品の別角度。イルカのフラメンコダンス、というと変だろうか。情熱とリズムと躍動。この角度の方がリズムに立体感がある。思いがけないところに存在する「空間」が強いアクセン...Estoylocoporespana(番外篇165)Obra,JoaquínLlorens

  • 野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」

    野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」(「ダンブルウィールド」11、2022年03月01日発行)野木京子「小舟と声」は、一連目が魅力的だ。今朝カーテンを開けると窓の向こうの湾にいくつもの小舟が少しずつ離れて浮かんでいたそれは釣りをするひとたちの舟だったけれどわたしが知らない夜のうちに異界の海から浮かび上がってきたように思えたそのひとたちは水からなにかを釣り上げるときに境界を越えるおそろしさを感じるだろうか「異界」ということばが何か安易につかわれている気がする。私が「異界」というものを感じないせいだろうか。つまり、私は野木の書いている「異界」を実感ではなく、「頭」で書いたことばとして受け取ってしまうので、そこでつまずくのである。しかし、そのあとの三行がとてもおもしろい。私は釣りをしないが、子どものとき遊びで...野木京子「小舟と声」、北川朱実「コンクール」

  • 前田利夫『生の練習』

    前田利夫『生の練習』(モノクローム・プロジェクト、2022年04月11日発行)前田利夫『生の練習』の巻頭の「距離」。凍るような闇におおわれているもう先が見えなくなっている私は手さぐりで広い歩道にでるがそこには夜はない誰もいない路上灰色の靴音をききながら歩くと乾いた響きのなかにはじめて夜が生まれる「夜はない」から「夜が生まれる」への変化。「広い歩道」にではなく「乾いた響きのなかに」「夜が生まれる」。このときの「乾いた響きのなかに」の「なかに」がこの詩のポイントだろう。「響き」はもちろん「広い歩道」に響いているとも言えるが、むしろ「私(話者/前田)」の「肉体のなか」に響いている。前田は「響き」になっている。それが「生まれる」ということならば、この「生まれる」は前田の再生であり、それは前田の「肉体のなか」での変化であ...前田利夫『生の練習』

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)(紫陽社、2022年06月01日発行)11篇目「朱も丹も」。つげ義治のことを書いているのか、本庄又一郎のことを書いているのか、「副題」と「後注」を読むと、わからなくなる。まあ、どっちでもいい。誰のことを書いているかわかったところで、私はその二人のことを知らないから、二人を手がかりに詩を読むことはない。石毛によれば、二人には「共通点」がある。鉱物、地質に関心がある。そういうふうに認識し、書いていく石毛のことばの動きの方に私の関心がある。「鉱物には、決まって無援の哀しさがつきまとう側面がある」これは誰のことばか知らないが、括弧付きで引用されている。とても興味深い。一行に、詩がある。よくわからないが、そう言われればそうかもしれない、という説得力がある。「無援」は「孤立」ということかも...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(11)

  • Estoy loco por espana(番外篇164)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensLadanzasalvajedelosdelfines.Lamúsicavibranteseextiendeentreelmaryelcielo.Vamásalládelhorizonte.Estaobramehacemuchailusión.Tengoganasdedecirqueelarteeselpoderdecrearilusiones.イルカの乱舞。海と空の間に、躍動感あふれる音楽が広がる。それは水平線を超えていく。そんな錯覚を与えてくれる。芸術は、錯覚を引き起こす力である、と言ってみたくなる。Estoylocoporespana(番外篇164)Obra,JoaquínLlorens

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)(紫陽社、2022年06月01日発行)10篇目「渚のダダ」。渥美湾で発生した赤潮のために馬鹿貝が大量に死んだ。その報告書(杉浦明平)を読んだことが、この詩のきっかけになっている。(と、前書きに書いてある。)赤潮を逃れようとして、棲んでいた海からジャンプする。だが、どこまで跳べるのか。どこまで跳べば赤潮を脱出できるのか。いちばん遠くまで飛んだ馬鹿貝は未知との遭遇の絶滅という今世紀末にドキュメント「場替えのなぎさもん集団自殺」という屑の叙事詩に描かれ町会議場でその滑稽さを嫌というほど示してくれた1960年6月15日深更に、伊良湖一万の友は堤防を越えました。1990年6月15日早朝に、伊勢湾渥美十万の友も岸辺で息絶えました。ベロを出し二枚の羽を広げたままの集団自殺渚者はおのれの棲家を...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)

  • 竹中優子「冬が終わるとき」

    竹中優子「冬が終わるとき」(「現代詩手帖」2022年05月号)竹中優子は、第60回の現代詩手帖受賞者。「冬が終わるとき」が今月選ばれた作品。ことばに浮ついたところがない。ことばに奥行きがある。ことばの奥行きに知らずに引き込まれる作品である。詩に年齢は関係ないのだが、略歴にたまたま生年月日が書かれているのが目に入った。1980年生まれ。ふと、私が投稿していたときの、青木はるみを思い出した。他の投稿者のことばに比べて、奥行きがとても自然で、そこに引き込まれる。こういう奥行きは、私には書けないなあ、と感じていた。その青木は、投稿者の多くが10代後半から20代前半なのに対して、たしか40代だったと、彼女が受賞したときに知った。あのとき、私が感じたことを、いま投稿している若い世代も感じているかもしれない。「ことばの奥行き...竹中優子「冬が終わるとき」

  • 徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」

    徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年05月02日)受講生の作品。夜の子馬徳永孝夜のベッドに寝ているとバルコニーに小馬がやってきた歩きまわり白い鼻息を吐くいななく声が聞こえる空を飛んでいろんな所へ行こうよ一諸に冒険しようよケニーは馬に乗って旅立って行ったけれどぼくはおくびょうなんだここを抜け出して君がそこにいることを確かめることも出来やしない君のけはいを感じながらただベッドにじっとしているだけ四連目。「ぼくはおくびょうなんだ」をどう読むか。「ぼくは臆病だから、馬に乗って旅立っていくことはできない。ケニーのようにはならない」、そして「ただベッドにじっとしているだけ」と読むのが自然だと思うが、受講生のひとりがとても味わい深い読み方...徳永孝「夜の子馬」、池田清子「幸せ」、青柳俊哉「点滴」、永田エミ「ジャズが聞きたい」

  • 山田裕彦『囁きの小人』

    山田裕彦『囁きの小人』(思潮社、2022年04月30日発行)山田裕彦『囁きの小人』に「さよならタヴァーリシ」という詩がある。その書き出し。寝つけない夜半ほつほつと禿頭に降りかかる忘れ去られた言葉山田は「忘れ去られた言葉」と書いている。このことばがこの詩集を象徴しているように思えた。「忘れ去られた」とはいうものの、「思い出せない」わけではない。つまり、いまはつかわなくなったことばを「忘れ去られた言葉」と山田は呼んでいるのである。書き出しの「寝つけない夜半」にも、その匂いがある。「夜半」ということば、はたして、今の若者がつかうか。たとえば、最果タヒは「夜半」ということばを書くだろうか、と思ったりする。山田の書いていることばの「意味」はわかる。しかし、そのことばを読んだ瞬間に、あ、これは「過去」だ、と思ってしまう。し...山田裕彦『囁きの小人』

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)(紫陽社、2022年06月01日発行)9篇目「蝉の暮れ方」。花田清輝のことばが副題に引かれている。蝉の暮れ方うたうにはこの甲冑が邪魔だパックリと割れた背殻を脱ぎ捨てて新参者の蝉は歌っていることばのリズムがかっこいいね。「甲冑」「背殻」「新参者」という漢字がしゃきっとしているし、「パックリ」も響きがいい。そして、これは、このあとにつづくことばと、対照的である。ああいつの間にか秋が来てしまったこまったこまった先に引用した部分が、「パックリ」は少し違うが、「甲冑」「背殻」「新参者」は「文語的」である。それに対して後に引用した部分は「口語的」である。文語と口語がぶつかり、互いを刺戟する。そして、その衝突を、矛盾の方にひっぱっていきながら、いままで気づかなかったこと(知っていたかもしれない...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(9)

  • 石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)

    石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)(紫陽社、2022年06月01日発行)8篇目「ぼんくら」。「谷川雁」のことばが「副題」に引用されている。谷川雁は、ある時期、谷川俊太郎よりも有名だった(と、思う)。その谷川雁を石毛はどう受け止めていたのか。からだの孔という孔に「軍歌」が潜りこみ鼻の孔をゆるがす大粒の「ジャズ」がこぼれ眼の孔から塞ぎきれぬ怒濤の「演歌」がながれ耳の孔からとぎれぬ悲鳴のような「童謡」が風下の方へと消えていく「軍歌」「ジャズ」「演歌」「童謡」が共存する。それもひとりの「からだ」のなかでである。「孔」から入り込んでくる音楽、リズム、旋律。谷川雁の詩には、何よりもリズム、旋律があった。それは、ことばの「調和」というよりも「衝突」がうみだす「響き」だった。「ことばの肉体」の「思春期」、あるいは「ことばの肉体の...石毛拓郎『ガリバーの牛に』(8)

  • マイク・ミルズ監督「カモンカモン」(★★★★)

    マイク・ミルズ監督「カモンカモン」(★★★★)(2022年05月01日、中州大洋、スクリーン4)監督マイク・ミルズ出演ホアキン・フェニックス、ウッディ・ノーマン「ジョーカー」でアカデミー主演男優賞をとったホアキン・フェニックスが、わがままな子役を相手にどういう演技をするか。それを期待して見に行ったのだが、おもわぬ収穫もあった。物語の舞台が次々にかわっていくのだが、モノクロの映像が、登場人物の表情に焦点を当てるので、見ていて意識が散らばらない。舞台(都市)の変化をきちんととらえながらも、それがうるさくない。都市の表情、その情報量が抑制され、人間の心理の変化が際立つ。画面の切り替えが多いし、「字幕情報」も多いのだが、モノクロの映像が、そのままストーリーの中心になる感じがする。モノクロ映画は、やっぱりすばらしい。ホア...マイク・ミルズ監督「カモンカモン」(★★★★)

  • 最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(3)

    さっきまでは薔薇だったぼく最果タヒ小学館最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(3)(小学館、2022年04月18日発行)最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』の「紫陽花の詩」は、タイトルが最後に書かれている。とつぜん本文が始まり、最後がタイトル(だと思う)。ぼくはきみの友達ではない、インターネットを見るとき、街を見るとき、いつも思っていることがあなたには伝わらない、ぼくはきみの友達ではないが、きみは生きている、そのことがよくわからない。血を出すような怪我をしたときや、優しくしたときなんかに誤解してそのままにされた人間たちは、誰もが生きていると口々に言うがそれは、恋をしているだけなんだ。節操もなくぼく以外、誰も彼もに恋をして、雨に濡れた葉っぱさえ美しく見えるんでしょう。季節なんて、腐り落ちてしまえ。紫陽花の詩同...最果タヒ『さっきまでは薔薇だったぼく』(3)

  • 戦争とことば

    ロシアのウクライナ侵攻、その戦争。この報道をめぐることばには様々な問題がある。読売新聞を引用しながら何度か書いてきたが、別の問題(たぶん他紙にも共通するだろう)について書くことにする。読売新聞は、自民党寄り、あからさまにアメリカ戦略の宣伝機関となって報道している。しかし、その読売新聞(西部版、朝刊14版、夕刊4版)が、こんな見出しをつけている。①は2022年05月1日朝刊、②は2022年04月30日夕刊。①ウクライナ/露軍東部拠点で「停滞」/イジューム激しい抵抗受け②ウクライナ/露軍東部作戦に遅れ/米分析「補給維持へ慎重」私は、ロシアの侵攻を正しいとは一度も思ったことはないし、かならずロシアが敗退するだろうと思っているが(その理由はすでに書いた)、つまり、ロシアを支持するのではなく、ウクライナを支持するのだが。...戦争とことば

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