生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。
生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。
回復と重さを知ること L・M・モンゴメリ『赤毛のアン』(山本史郎訳)
摂食障害と希死念慮を抱えた精神科医の当事者本『人は、人を浴びて人になる』のなかで、筆者が大きく影響を受けた一冊がモンゴメリの『赤毛のアン』でした。 僕はある人の心に深く残ったということのなかには何かがあると思っていて、考えるときの参照点にしています。それは、心を湖にたとえるなら、かなりの深度を持ったところにある何かなのであって、その点を端緒にして考えていくと見えてくることがあると思っています。 それで図書館で山本史郎訳の『赤毛のアン』を借りてきて読んでいます。 訳者によると、村岡花子訳の同書では、アンのヒロイン的キャラクターをひきたてるために、アンをひきとった養育者のマリラは、ちょっとこわいお…
【催しもの】6/21(金)19:30 ワークショップ わたしの「時間」を知る
次回の「時間」のワークショップは6月21日(金)19:30、場所は大阪の高槻市富田町のカフェコモンズです。 ◆ワークショップ わたしの「時間」を知る◆ 日時:6月21日(金) 19:30 場所:カフェコモンズ http://www.cafe-commons.com/ 「時間」のワークショップには教える人は別にいらないと感じています。 なぜなら、誰かが語ってくれた「時間」の動き、あるいは「時間」が止まったことそれ自体が、重要なことを教えるからです。 「時間」とはプロセスです。プロセス自体がプロセスとは何であるかを語るのです。 また「時間」が止まった苦しい経験を経た人ほど、「時間」とは自分にとって…
次回、DIY読書会は5月7日(火)19:45からちいさな学校鞍馬口です。自分が発表したいことをまとめてきて発表するというスタイルの読書会です。初参加の方もどうぞお越しください。 発表は、奥野克巳さんの『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』の第10章、学校に行かない子どもたち、第11章アナキズム以前のアナキズムです。 d.hatena.ne.jp マレーシアの民、プナンが学校制度に対して自律的でいられるのは、マレーシア政府の管理がまだ緩やかだということがあると思います。だんだんと囲い込まれるように、真綿で首を締められるようにさまざな制度をつくり管理を徹底させて…
4/21の日曜日に自給農法を学ぶ講座の1回目を行いました。 畑をはじめるときに気をつけること、自給農法流の畝の立て方などを学びました。 ◆畑と排水について 畑はまず排水がどうなっているかが重要です。排水が悪いと肥料をやったとしても病気になったり、育ちが悪いということがおこります。地球研そばの畑は、もともと田んぼで水がたまりやすいのはわかっていたのですが、畑の一番低い部分が川への排水口につながる南東角かと思っていたのですが、どちらかというと中央西の部分のほうが低く、水がしつこくたまることに最近気づきました。 今日は、ネットの外の外堀をケアすることで排水状況の改善を試みました。川へと繋がる外堀は3…
社会と運動について友人と話していました。 社会はつまるところ「勝った」人たちが自分たちのためにつくった社会なのだろうと思います。 そしてそうであってもなお損と犠牲を引き受けてきた人たち、現状の社会の価値における「勝ち」を自分から他人に譲ってきた人たちによって、その後退はスピードを遅くされていたのだと思います。 社会が良い状態にあったということは、善意ある人同士の無傷の協働によって生まれたのではなく、得られるものを不意にした人の犠牲によっているようです。 そしてその犠牲を知らなかったといっても、いい状態だけ享受して当然だとすることは、他人によって作られたものに乗っかって果実だけ消費しているだけに…
ジャンル難民ふりかえり 『制作へ』のパラダイムのほうへはどう行けるだろうか?
時間のワークショップ、ジャンル難民の集まりをはじめてみて4ヶ月。 活動をどう更新していくか。相変わらずの自分の考えなしをあらためていかないとなと思う。 去年のジャンル難民の集まりから派生した時間のワークショップは独立してやることになっていった。エスコーラでやっているジャンル難民の集まりは、1回目は多くの人が来たけれど、その後継続的に自分の研究をすすめて発表するというかたちにはなかなかなっていない。 そもそもジャンル難民で何をやりたかったのかというと、自分自身の研究や探究の発表の場を作ることプラス、同じように自分の研究や探究を持っている人が集まってお互いに刺激をうるような場を作りたかった。けれど…
休みとは何かとふられて、自分が今は余生だと思うと言った。 そこに、のんびり気楽ですみたいな意味は全くなかった。 休みというのは、仕事に対するもの。主たる活動や目的があって、それがない時の時間が休みということになる。しかし、生きていてするべきことなどあるのだろうか。こう生きなければならないということがあるだろうか。 個々の人は、自分で行きたいとも思ってなかったのにこの世界に放り出されただけだ。その上でなお生きるべきこと、するべきことなどは何もない。 「(今考えるなら)生まれたときから余生なのだと思っています。生きることに目的などないのだから。」 そう言ったときに強い気持ちが湧いた。しかし、そう言…
繰り返すフラッシュバックの直接的な苦痛はだんだんと弱まっていったけれど、この自分が生きていけないという未来に対する恐怖が自分を圧倒していた。 生きていけそうにないけれど、生きていかなければならない。その感じは今は以前ほどではないけれど、なぜそれはあれほど強い感覚だったのだろうか。 生きていけるようにならなければいけない。しかし、生きていけるような状況に自分をもっていけない。恐れがあるのにその恐れに駆り立てられて動くのではなく、かえって疲弊し、緊張し、動けない。 強迫的にゲームやネットと気をそらすことばかりに向かってしまう。そして計画していたり、やろうとしたことができず、また一日が過ぎていく。次…
整体の稽古に通わせてもらっている角南さんのブログで、上橋菜穂子さんが自分自身のこれまでのことを語る『物語ること、生きること』が紹介されていたので、これはと思って図書館でかりる。 dohokids.blogspot.com huyukiitoichi.hatenadiary.jp お勧めされたり、第一印象で面白そうと思っても、読めない本は読めないなあと思うけれど、この本は読めた。 本のなかで上橋さんは、おばあさんから昔話をずっと聞いていたり、アボリジニの調査に行ったり、古武術を習ったりという実際の経験が物語を書くことの基盤となったというふうに基本的に述べていると思う。 その一方で、短く紹介される…
西川勝さんとの熾(おき)を囲む会がもうすぐ。 kurahate22.hatenablog.com どのような話しの場にするか。場の設定、最低限の枠組みを用意するけれど、僕は話しの場というのは誰かの「状態」が伝わってできるものだと考えているので、細かな技術のことではなく、乱暴だけれど、自分がどの「状態」になるかを考えればいいと思っている。 映画「インターステラー」で気づいたことがある。 jimmys-nooker.hatenablog.com 農作物が次々とだめになっていく疫病が止められず、将来的に人間が絶滅するのが確実な地球を救うために主人公たちは宇宙に向かう。 最初に着陸したのは、そこでの1…
【催しもの案内】4/12(金) 19時30〜 ワークショップ わたしの「時間」を知る
カフェコモンズでの「時間」のワークショップです。初めての方も、参加したことがある方も参加できます。 www.facebook.com わたしの「時間」が動いている、またはわたしの「時間」が動いていたと感じられたときはどんな時だったでしょうか。 この社会で、時間という言葉は、多くの場合、自分を縛ったり、動き方を決めるものになっているかと思います。 一方、私の「時間」が動いていたと思われるときには、外側から自分を支配する時間への意識は薄れていて、自分の内側の「時間」が勝手に動いていたのではないでしょうか。 自分が生きている意味はどれだけあるかを明に暗に問われる社会では、自分が日々の自分を意識的にコ…
精神科医かつ希死念慮(自殺未遂2回)や摂食障害の当事者でもあった夏苅郁子さんの当事者本。発行年をみると2017年なので当事者研究も(知る人には)だいぶ認知されてきてその流れや時代の呼応なのかなと思いました。 dokushojin.com 赤裸々な自分の姿、そして結果的に自分に回復をもたらした様々な出会いとプロセスが詳細に書かれているので、回復のヒントを求める人にとっても貴重な知見が多く埋まっている本ではないかと思います。 あと、赤裸々な姿を自分で書くということは、決別なのだなと思いました。筆者は書く段階では、1人の当事者として自分と同じ苦しみをもつ人たちにとって自分の経験してきたことのシェアが…
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