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千の朝 https://plaza.rakuten.co.jp/beabea65/

「千の朝」で、最近読んだ本の中で、考えさせられたフレーズを紹介しています。

 自分がたまたま生を受けて、そして間もなく死んでしまう意味を知りたいのだ。  これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。  充実して生きる道を探しているのだ。  それが、何にもまして一番重要なことなのだ。  それは、広い意味における自分の「仕事」を探していることにほかならない。

beabea65
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2014/09/11

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  • キリスト教徒の独善と狂信2

    大航海時代の西欧の侵略に対する 第三の疑問、異教徒の土地を武力占拠し、 原住民を奴隷化してもよいという 正当性の根拠ですが、 ポルトガルのジョアン三世が 一五三〇年より前の時点で、 異教徒に対して戟争

  • 西欧の国家意識

    第一の疑問ですが高瀬弘一郎は 『キリシタン時代の研究』という本で、 従来の教会版キリシタン史を排し、 ポルトガル人とスペイン人の国家意識を暴き、 アジアの状況の全貌を明らかにしました。 大航海時代の

  • 日本の軍事力

    大航海時代の西欧の侵略に対する 第二の疑問の 日本が植民地化されなかった理由 について言えば、 原住民の文化と歴史の厚みの差、 宗教発展段階の違い、 日本や支那における宗教に対する政治の優位、 西欧に

  • キリスト教徒の独善と狂信

    日本人であるわれわれは 大航海時代の西欧の侵略に対して、 ごく自然に、 次のような三つの疑問に 思いが及ぶのを禁じえません。 第一に、ポルトガルとスペインの取り決めた デマルカシオン(境界画定)によ

  • サラゴサ条約

    一五二九年に ポルトガル、スペイン両国は サラゴサに会し、条約を結びました。 第一に、スペイン国王は モルツカ諸島に関するすべての権利を 黄金三十五万ドゥカドで ポルトガル国王に売り渡す。 ただし

  • モルツカ諸島の帰属

    ポルトガル人でありながら、 スペイン王朝のために働いた マゼランの世界一周航海は、 一五一九年に始まり、 グアムやサイパンといった、 日本人に身近なマリアナ諸島にまで足跡をとどめ、 一五二一年フィリピ

  • スペイン黄金時代

    ポルトガルはインドのゴアを アジア進出の中心地に定めました。 そこにルネサンス様式の 壮大な寺院や宮殿を建設し、 さらに東進し、 マラッカ (マレーシアの首都クアラルンプールの少し南) を占領し、モ

  • ポルトガルとスペインの争奪戦

    ポルトガル、スペイン両国が 一四九四年にトルデシリヤス条約を結んだ後の 東回りと西回りの地球争奪競争は有名です。 一四九七年にリスボンを出た ポルトガルのヴアスコ・ダ・ガマ遠征隊は、 アフリカ南端の

  • 東南アジアへの侵略

    一六八〇年代前後からイギリスで 近代民主主義の原型が確立され、 西欧人はアジアにたいする侵攻をすすめます。 それ以前の西欧人のアジア進出は、 どちらかといえは、 貿易と略奪がおもだったのですが、 一

  • アジアへの侵略

    このようにすべての人間は平等であり、 生命・自由・財産の権利を主張した近代西欧人が、 その後、アジアにたいして 積極的な侵略にのりだしてきたことは 注目すべきです。 その最大の原因は、西欧の民主主義

  • 科学の発展

    イギリスにおける 「近代科学と近代民主主義の確立」を 可能にさせたのは イギリスの初期資本主義の確立(経済の発展) ということができます。 市民革命にもっとも貢献したのは、 マニュファクチャーの資本

  • 資本主義

    一七世紀は、近代科学の発達、 近代民主主義の確立とあわせて、 イギリスに資本主義が誕生した時期でもあります。 本格的な資本主義の発展は 産業革命以後ですが、 このころの資本主義は 「初期資本主義」と

  • 香料の用途

    当時の西欧はまだ ジャガイモ、トウモロコシ、トマトなどという、 こんにちの西洋料理につきものの野菜を知らず、 レモンや砂糖の使用も稀で、 コーヒーや紅茶もないという有様だったので、 富裕な階級が食味の

  • オランダ東インド会社

    オランダ東インド会社は 香辛料の独占を目的に、 セイロンに進出しました。 チョウジはモルツカの テルナテ、ティドーレ、マキアン、モティ、 バチャンの五つの島を主産地とし、 この諸島以外には世界中のど

  • 印度の衝撃

    イギリス木綿は 印度のオリジナル製品に対する コピー製品でした。 コピーには必ずオリジナルがあります。 イギリスは印度製オリジナルの コピーをつくるのに優に一世紀を要し、 産業革命をまって初めて

  • 綿織物と香辛料

    インドは棉の原産地で、 綿織物の生産は 紀元前二十五世紀頃から行なわれていまし。 とくにべンガル、ビハール、グジェラート、 タミールのものが有名です。 十九世紀初めに イギリスの機械織りの綿布が

  • マラッカ王国

    ジャワのマジャパイト王国の 王位継承の争いにまき込まれた、 パレンバン出身の一王子パラメーシュヴァラが、 シンガプーラ(現在のシンガポール)その他の 各地に逃れて転々とした後、 およそ一四〇〇年頃に、

  • 東インド会社

    ポルトガル・スペインについで オランダが東インド会社をつくって、 アジア進出をはたしました。 一六一九年に バタヴィア(現ジャカルタ)に要塞を築き、 その後はインドネシア全域を植民地としました。

  • 西欧の世界侵略2

    アジアが 欧米の支配下におかれはじめたのは 約五〇〇年前からです。 西欧はインド洋へ、東南アジア諸島へ、 東シナ海とアジア大陸へ、 南アジアからポリネシアへ、アメリカ大陸へ 大航海時代の先頭を切って

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