やさしい聖書入門『箴言4:25-27』27. 今回のかしょのはじめのことばは、「前方(ぜんぽう)を見つめなさい」、「まっすぐ前を見て生きなさい」という意味(いみ)のことばですが、これは「前むきに生きなさい」という意味ではありません。そのすぐあとのことばからこれは、
2024年5月
やさしい聖書入門『箴言4:25-27』27. 今回のかしょのはじめのことばは、「前方(ぜんぽう)を見つめなさい」、「まっすぐ前を見て生きなさい」という意味(いみ)のことばですが、これは「前むきに生きなさい」という意味ではありません。そのすぐあとのことばからこれは、
無垢な動物のように生き、諦めたように死んでいくねえ気づいてるかい?夜のしじまの中であんたが見ている夢がたとえ千の色を持っていようと今のことや未来を装っていようとあんたが見ているのはいつだって過去のことどこまで夢を旅しても過去から逃れられないとそれでも必死
やさしい聖書入門『箴言4:24』26. 私たちが人になにかを言うときに、もしも言おうとしていることがだいじなことなら、同じことをくりかえし言うばあいがあります。今回のかしょもそうです。「まがったことを言う口をあなたから取りのぞき、ゆがんだことを言うくちびるをあな
やさしい聖書入門『箴言4:23』25. ものごとには、ていねいに説明(せつめい)する必要(ひつよう)があるばあいと、説明をしないほうがよいばあいとがあります。ていねいに説明することで、かえって、「そんなのいらない」と思われてしまうこともあるでしょうから。 それに
2024年5月
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やさしい聖書入門『箴言4:25-27』27. 今回のかしょのはじめのことばは、「前方(ぜんぽう)を見つめなさい」、「まっすぐ前を見て生きなさい」という意味(いみ)のことばですが、これは「前むきに生きなさい」という意味ではありません。そのすぐあとのことばからこれは、
無垢な動物のように生き、諦めたように死んでいくねえ気づいてるかい?夜のしじまの中であんたが見ている夢がたとえ千の色を持っていようと今のことや未来を装っていようとあんたが見ているのはいつだって過去のことどこまで夢を旅しても過去から逃れられないとそれでも必死
やさしい聖書入門『箴言4:24』26. 私たちが人になにかを言うときに、もしも言おうとしていることがだいじなことなら、同じことをくりかえし言うばあいがあります。今回のかしょもそうです。「まがったことを言う口をあなたから取りのぞき、ゆがんだことを言うくちびるをあな
やさしい聖書入門『箴言4:23』25. ものごとには、ていねいに説明(せつめい)する必要(ひつよう)があるばあいと、説明をしないほうがよいばあいとがあります。ていねいに説明することで、かえって、「そんなのいらない」と思われてしまうこともあるでしょうから。 それに
本物とにせ物世の中の物事にはおおよそ二種類あるおおよそ二種類あって1つは「本当」のこと本当に正しいとか本当に必要なこととか本当にいけないとか本当は不必要とかそしてもう1つはただ「もっともらしく聞こえること」「この仕事をするのならこの本は必読だ」とか「クリ
やさしい聖書入門『箴言4:18-22』24. 個人的(こじんてき)なことですが、今回のかしょのさいしょの言葉―「正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよかがやきを増(ま)して真昼となる」という言葉には悲しい思い出があります。 この言葉は、むかし一人の青年
やさしい聖書入門『箴言4:14-17』23. 私たち人間は、一人の例外(れいがい)なく、自分の経験(けいけん)をもとに生きています。たとえば大声でおびやかされてきた人は、大きな声を聞くと「こわい」と感じるでしょうし、春や夏に楽しい思い出をたくさん持っている人は、そ
やさしい聖書入門『箴言4:7‐13』22. ほんとうにだいじなことというものは、「さいしょだけだいじ」とか、「さいごだけだいじ」というものではありません。さいしょからさいごまで、ずっとだいじです。知恵(ちえ)はまさにそれです。 しかし、それがなかなかわからないの
やさしい聖書入門『箴言4:1-6』21. 私たちには、だれかからなにかを教えてもらう機会(きかい)というものがあります。そして教えてもらうといってもいろいろです。 勉強(べんきょう)や料理(りょうり)のしかたもあれば、自転車ののりかたのようなものもあります。そし
表出(ひょうしゅつ) このところ、ある県の知事が「職業差別だととられかねない発言」をしたといって、ニュースで取り上げられている。 そもそもいったいマスコミはなぜ「職業差別だととられかねない」というような、奥歯にもののはさまった言い方をしているのか。あれは
やさしい聖書入門『箴言3:35』20. 私たちは自分で物事(ものごと)を考え、自分がどうするのかや、なにをいうのかを決めます。それらはぜんぶ、自分のこころの中でやるわけです。 自分のこころの中のことを自分でぜんぶわかっているわけではありませんが、でも「考えた」と
やさしい聖書入門『箴言3:34』19. 今回のかしょには、いい気になって、ほかの人のことを「たいしたことない」って思う人のことを、神さまの方がそう思うと書かれています。そしてその反対に、自分はそんなにえらくない、それどころかいろんな人たちにたすけてもらいながら生
やさしい聖書入門『箴言3:31-33』18. 今回のかしょには、まず暴虐(ぼうぎゃく)、つまり乱暴(らんぼう)で人をくるしめるようなことをへいきでやるような人のことを、「うらやましい」と思ってはいけないと書かれています。 もしかしたら、そんな人のことを「うらやまし
やさしい聖書入門『箴言3:29-30』17. 今回のかしょには、やさしく言い直すとつぎのようなことが書かれています。あなたのみじかな人にわるいことをしてはいけない、あなたに何(なに)もわるいことをしていないのにだれかとあらそってはいけないと。 これをよんで「そんな
やさしい聖書入門『箴言3:27-28』16. 私たちには自分以外の人とかかわる、たくさんの機会(きかい)があります。だれかになにか話す機会、へんじをする機会、しない機会、しんせつにする機会、しんせつにしない機会というように…。 そして「機会がある」ということがあま
やさしい聖書入門『箴言3:25-26』15. 私たち人間は、よほどめぐまれた人でないかぎり、なにかについて「こわい」と感じることがあります。じっさいにこわいめにあったことのない人でも、テレビでみたこわいシーンがわすれられないという人もいますし、それに夜こわい夢(ゆ
やさしい聖書入門『箴言3:21-24』14. あなたはいま、自転車にのって、どこか知らないところへ向かっているとしましょう。 あなたが小さくてまだ自転車にのれなかったころは、練習(れんしゅう)のとき、「右足のペダルをふんで、つぎは左足のペダルをふんで…」と、こころ
恵まれた者たちにあわれみをなあ、考えてみてはどうだい?たとえば、そうだなバイクのバリエーションの中にツアラーってバイクがある文字通り乗り手が旅をすることを意識して設計されたバイクだこういうバイクで旅をするのはたしかに楽だゆったりしたポジションに余裕のある
遠い道程なかばで遠い道程なかばで力尽きてしまい冷たい道に伏して後は死を待つだけだったこの身神に従ったところで受けるのはこんなものかと砂を噛む想いで一度は滅びるに身を任せたでもこんな死の谷の乾いた砂の中でさえなんとイエスよあなたはわが先に生きておられた生き
やさしい聖書入門『箴言3:13-20』13. 今回のかしょには、「知恵(ちえ)」というもののたいせつさがたくさん書かれています。 知恵というと、なにかむずかしいことのように思えるかもしれませんね。まして今回のかしょにいろんなことがたくさん書かれているのをみて、ます
ダビデはクリスチャンの模範か④1.聖書の読み方 予告しておいた通り、いよいよ私はダビデを検証するこの一連の記事の最後の部分に取りかかりたい。そしてその前に、聖書を読む際に大事な2つのポイントをおさえておこう。 その第1は、「文章はどのようなものであれ、一部分
やさしい聖書入門『創世記42:1-4』108.信仰があったところで 前回まではヨセフを中心に話が進んでいましたが、今回のお話ではヤコブがひさしぶりに出てきます。このヤコブは聖書のなかの人物(じんぶつ)として、ちょっと特別な人物です。というのは、若いころからおとしよ
人間の記憶の話-言った・言わない 昔、一般企業でビジネスマンをしていた時のこと。ある大きな公共交通機関の整備部門から、特殊な部品の発注を受けたことがあった。相手が確かなところなので、それまでは多少高額な商品でも二つ返事で受注をしていたけれど、その部品はそ
福音ウソみたいだろ?信じられるか?こんなクソダメみたいなところにさ救いの到来を告げられるそんなことがあるなんてさウソみたいだろ?信じられるか?俺みたいなろくでなしにさ救いの到来を告げられるそんな奇跡があるなんてさでも考えてみればほんとに神さまがいるのなら
やさしい聖書入門『創世記41:47-57』107.あんしん 今回のかしょでは、前回のかしょでヨセフが言っていたとおりのことが起こってしまいます。つまり7年間の豊作(ほうさく)のあとで、食べ物がえられない「ききん」の時がやってきて、それが7年もつづくという、そのようなた
真理の道どうしても解せないことがある何人かの牧師が語った「悩み事を聞く際に 相手が異性だったらば よほど気を付けないといけない」となんだったら伴侶をそこに伴うかいついつ誰それがここへきて話を聞く予定だと告げその時間中祈ってもらわないと肉体関係を結んでしま
やさしい聖書入門『創世記41:1-46』106.言葉で書くとすぐだけど 今回のかしょは「それから二年後」という言葉ではじまります。「それから」というのはもちろん、前回見たできごとがあってからという意味(いみ)です。つまり言いがかりをつけられて、ろうやに入れられたヨセ
やさしい聖書入門『創世記40章』105.ヨセフの謙遜(けんそん) 私は心理カウンセラーの仕事をしています。いろんな人が相談にきますが、その中の何人かは自分の物事のとらえ方や考え方で苦しんでいる人たちです。そしてそのような人たちもうまくゆくとなおってゆきます。
破戒よくもそうまで神のみこころをないがしろにできたもんだ正しい人間にならなければだって?お前はいったい今まで何を聞かされてきたんだい?神は罪びとの俺たちを憐れんでキリストをつかわし神の国を奪わせてくださったそれが福音のはずだろういったいお前らはどこで左に
やさしい聖書入門『創世記39:16-23』104.人の好意と神さまの好意今回も前回の、ヨセフが主人(しゅじん)のおくさんからゆうわくをされ、からくも逃げ出したお話のつづきです。 このときおくさんの手元には、ヨセフの上着(うわぎ)がのこっていました。私は、この上着にか
やさしい聖書入門『創世記39:6‐15』103.一方的 私たちが人と話すときは、とうぜん話す相手がいるわけで、正しい会話(かいわ)は自分も相手も平等(びょうどう)でなければなりません。 あるいは話に出てくる人がその場にいなくて、だれか別の相手にその人のことについて
ちょっとおどろいた話―本性にご用心 今日、早めに帰ってきてテレビをつけたら、関西の情報バラエティ番組をやっていて、ときどきテレビで見かける白髪頭のジャーナリストが出ていた。そしてこの日の朝出されていたJアラートにかんして、いかにも「自分は正義の味方です」み
やさしい聖書入門『創世記39:3-5』102.神さまとともにあゆむくらし 文には「主語(しゅご)」というものがあります。主語とは「いつ、どこで、だれが、何をした」という時の「だれが」にあたる言葉です。たとえば「きのうぼくは映画(えいが)を見に行ったんだ」という文で
ジャズと絵本と心理学 以前、ある小学校で図書室から出てきた一人の子どもが、まだもっと小さかった時に好きだった本を見つけたと言って、1冊の絵本を見せてくれたことがありました。『もけらもけら』というタイトルの、なんともふしぎな絵本でした。 その絵本には建物なん
やさしい聖書入門『創世記39:1-2』101.人の目と神の目 4月に入りましたね。学校ではもうすぐ新学期、いろんな職場(しょくば)では新しい年度(ねんど)のスタートです。日本では1月にならんで―というより、ある意味では1月以上に―4月は新しい年のスタートです。 と
すでにむくいを だいぶ前の話なんやが、職場の近くのイタリアンのレストランへ、パスタを食いに行ったんや。その近辺では「うまい」と評判の店で、じっさい何もかもうまかった。 するとそこへ一組の若い男女がやって来て、やっぱりパスタを頼んだんや。あの感じやと、たぶ
やさしい聖書入門『創世記38:27-30』100.ごまかし このところずっとこのコーナーでは1つのやりかたをしています。 それは聖書を読むときに、その読むかしょについてこれまで教会で聞いたり本などで読んだことをわざとわすれて読むというやり方です。 今回のかしょだって
ほめられて悲しむ ずうっと以前、私はある教会の人と、大勢の人に関係する、ある奉仕をやったことがあった。 その奉仕は教会行事にかかわるもので、計画の立案から当日の作業など、けっこう大変だった。 しかしそれは私が「大変な思いをした」というわけではない。 とい
やさしい聖書入門『創世記38:1-26』99.みにくさを恐れない 今回のかしょは「そのころのことであった」という言葉で始まっています。「そのころ」というのは前回にみた話―つまり弟のヨセフをお兄さんたちが殺そうとし、ユダは殺すのではなく売ってしまおうと言って、じっさ
やさしい聖書入門『創世記37:25-36』98.だれも家族の問題を 今回のかしょに書かれていることは、家族の人たちがなまけたせいで起こった、ざんねんな結果です。この家族の人たちを同情(どうじょう)するにはおよびません。ヨセフがお兄さんたちににくまれて、奴隷(どれい)