自分の中に醜いものや卑しいところがあるのを見てもそれを否定するなあってはならぬと言って拒むな自分の一部分さえも愛せない人間に目に見えない神や人を愛せるものかあなたの神を愛するようにあなたの醜い部分を愛せよこころを尽くし思いを尽くし知力を尽くして醜くずるい
自分の中に醜いものや卑しいところがあるのを見てもそれを否定するなあってはならぬと言って拒むな自分の一部分さえも愛せない人間に目に見えない神や人を愛せるものかあなたの神を愛するようにあなたの醜い部分を愛せよこころを尽くし思いを尽くし知力を尽くして醜くずるい
やさしい聖書入門『箴言15:29』149 主は悪(あ)しきものからとおくにおられ、正しい人のいのりをきかれる。 あなたがもしもきらいな人や、あなたにつめたい態度(たいど)をとる人のすぐちかくにいるとしたら、その人とは体の距離(きょり)はちかくでも、こころの距離は
やさしい聖書入門『箴言15:26-28』 148 悪人(あくにん)の計画(けいかく)は主にいみきらわれる。親切(しんせつ)なことばは、きよい。 利得(りとく)むさぼるものは自分の家族(かぞく)をこまらせ、賄賂(わいろ)をにくむものは生きながらえる。 正しい人の心は
神社や仏閣を見るとそこに悪霊の存在を感じる?よく見ろ、それは鏡に映ったお前の顔だ
やさしい聖書入門『箴言15:24-25』147 賢明(けんめい)なものはいのちの道をのぼって行く。下にあるよみからはなれるためだ。主はたかぶるものの家をねこそぎにし、やもめの地境(じざかい)をきめる。 ことしは夏のおわりごろから、日本のあちこちで大雨(おおあめ)がふ
やさしい聖書入門『箴言15:23』 適切(てきせつ)なへんじをすることは、その人のよろこび。時宜(じぎ)にかなったことばは、なんとうるわしいことか。146 自動車(じどうしゃ)にはクラクションというものがついています。おすと大きな音(おと)がします。でも、だから
やさしい聖書入門『箴言15:22』145 よく相談(そうだん)しなければ、計画(けいかく)はたおれる。おおくの助言者(じょげんしゃ)によって、それは成功(せいこう)する。 「ものごとは、自分(じぶん)でしなければいけない」というかんがえかたがあります。このかんが
やさしい聖書入門『箴言15:19-21』144 なまけものの道(みち)はいばらのいけ垣(がき)のよう。すぐな人のすすむ道はたいらな大路(おおじ)。知恵(ちえ)のある子は父をよろこばせ、おろかな人はその母をさげすむ。良識(りょうしき)のないものにはおろかさがよろこび。
やさしい聖書入門『箴言15:17-18』143 野菜(やさい)をたべてあいし合うのは、こえた牛(うし)をたべてにくみ合うのにまさる。げきしやすいものは口論(こうろん)を引き起こし、いかりをおそくするものはあらそいごとをしずめる。 私たちにはひとりひとり、なにかをたい
やさしい聖書入門『箴言15:16』142 わずかなものをもって主をおそれることは、ゆたかな財宝(ざいほう)をもって混乱(こんらん)するよりもよい。 今回のおはなしも、前回(ぜんかい)のお話とちょっとにています。前回は、私たちが神さまにあたえられたものを「よい」と
やさしい聖書入門『箴言15:15』141 なやみくるしむものの毎日(まいにち)はわるいことのみ。こころにたのしみのある人には毎日(まいにち)が祝宴(しゅくえん)。 神さまは、私たちがどんなときでもよろこんでいるようにと、ねがっておられます。 でもそれは、よろこべ
やさしい聖書入門『箴言15:14』140 さとりのあるものの心は知識(ちしき)をもとめるが、おろかなものの口はおろかさをくいあさる。 世(よ)のなかには、かしこい人もいれば、そうでない人もいます。 そしてかしこい人は、自分(じぶん)やほかの人のやくにたつことをた
やさしい聖書入門『箴言15:13』139 よろこんでいるこころは、顔色(あおいろ)よくする。こころのいたみの中には、うちひしがれた霊(れい)がある。 私たちはふつう、「よいことがあると人のこころはよろこぶ」とか、「つらいことがあるからこころがいたむのだ」とだけ、
教会総会 そ総会が恨み言を遠回しに言う場と化す。
教会図鑑 し自分のところの教派が一番正しいと思っている。
教会図鑑 ななんでも「サタン」のせいにする。
やさしい聖書入門『箴言15:12』138 あざける者(もの)はしかられることをこのまない。知恵(ちえ)のある者にもちかづかない。 自分(じぶん)で自分のことを「人よりもえらい」とおもっている人がいます。 こういう人は、自分に自信(じしん)がある、というわけではあ
やさしい聖書入門『箴言15:9-11』137 主は悪(あ)しきものの道(みち)をいみきらい、義(ぎ)をおいもとめるものを愛(あい)される。道をすてるものにはきびしいこらしめがあり、叱責(しっせき)をにくむものは死(し)にいたる。よみとほろびの淵(ふち)は主の前にあ
やさしい聖書入門『箴言15:7-8』136 知恵(ちえ)のあるもののくちびるは知識(ちしき)をひろめる。おろかなもののこころはそうではない。悪者(わるもの)のいけにえは主(しゅ)にいみきらわれ、こころのすぐな人のいのりは主に受け入れられる。 人が話すことばは、口か
やさしい聖書入門『箴言15:5-6』135. おろか者は自分(じぶん)の父の訓戒(くんかい)をあなどる。叱責(しっせき)をだいじにするものはかしこくなる。 正しい人の家には多くの富(とみ)がある。悪(あ)しきものの収穫(しゅうかく)はわざわいをもたらす。 今回のか
乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。 (箴言17:1)この言葉は本当だ。ごちそうがたっぷりなのはいいが、争いも満ちているなんていただけない。それよりも、パンがただ一切れであっても、平和であるなら一番だ。
キリストの血が誰のどんな罪をも洗い流すというのは本当だしかしその誰かがあなたにつけたこころの傷は何をもっても流せないキリストの血でも消すこともできずいやすこともできずそれは一生残るだろうだから諸君!よく考えよ!そして立ち上がれあなたがあなたの主役たれ!
やさしい聖書入門『箴言15:4』134. おだやかな舌(した)はいのちの木。舌のねじれは霊(れい)のやぶれ。 私たちがだれかになにかを言うとき、それがなんであれ、ただ言いたいことだけが相手(あいて)につたわるわけではありません。それいがいのこともつたわります。
やさしい聖書入門『箴言15:4』134. おだやかな舌(した)はいのちの木。舌のねじれは霊(れい)のやぶれ。 私たちがだれかになにかを言うとき、それがなんであれ、ただ言いたいことだけが相手(あいて)につたわるわけではありません。それいがいのこともつたわります。
やさしい聖書入門『箴言15:3』133. 主の目はどこにもあり、悪人(あくにん)と善人(ぜんにん)をみはっている。 よのなかには3種類(しゅるい)の人がいます。まず自分(じぶん)がなにかしたり、いったりするときに、自分のかんがえだけできめる人。このような人は、あい
やさしい聖書入門『箴言15:1-2』132. やわらかなこたえはいきどおりをしずめ、はげしいことばはいかりをあおる。知恵(ちえ)のあるものの舌(した)は知識(ちしき)をうまくもちい、おろかなものの口はおろかさをはきだす。 私たちが人と話すとき、その相手(あいて)が
やさしい聖書入門『箴言14:34-35』131. 正義(せいぎ)は国をたかめ、罪(つみ)は国民(こくみん)をはずかしめる。 王の好意(こうい)は賢明(けんめい)なしもべに、王の激怒(げきど)ははじしらずのものに。 これまでこのコーナーで、正しく生きることのたいせつさ
日曜日は教会まで神さまに会いに行くけど帰るところは同じなんだね
やさしい聖書入門『箴言14:32-331』130. 悪(あ)しきものは自分の悪(あく)によっておしたおされるが、ただしい人は自分の死(し)の中にものがれ場(ば)がある。知恵(ちえ)はさとるものの心(こころ)のうちにやすらぎをえる。おろかなものの間(あいだ)でもそれはし
やさしい聖書入門『箴言14:31』129. 弱い者をしいたげる者(もの)は自分のつくりぬしをそしり、まずしい者をあわれむ者はつくりぬしをうやまう。 「自分(じぶん)よりもよわい人や、おとなしい人をいじめてはいけない」というのは当然(とうぜん)です。「やさしくし、な
やさしい聖書入門『箴言14:28-30』128. 王のさかえは民(たみ)が多いこと。君主(くんしゅ)のほろびは国民がいなくなること。いかりをおそくする者にはゆたかな英知(えいち)がある。気(き)のみじかい者はおろかさを増(ま)す。おだやかな心は、からだのいのち。ねた
やさしい聖書入門『箴言14:26-27』127. 力あるよりどころは主をおそれることにあり、それは主の子らのさけどころとなる。 主を恐れることはいのちのいずみ、死(し)のわなからはなれさせる。 これまでこのコーナーで、私たちが正しくいきるべきだということ、また私たち
やさしい聖書入門『箴言14:25』126. 真実(しんじつ)な証人(しょうにん)は人のたましいをすくう。あざむく者(もの)はいつわりを吹聴(ふいちょう)する。 なにか話(はな)すことで、人をうごかしたり、影響(えいきょう)をあたえることがあります。 そして今回のこ
やさしい聖書入門『箴言14:23-24』125. いかなる労苦(ろうく)にも利益(りえき)がある。無駄口(むだぐち)は損失(そんしつ)をまねくだけ。知恵(ちえ)のあるものの冠(かんむり)はそのものの富(とみ)。おろかなもののおろかさは、ただおろかさ。 4月がもう半分
やさしい聖書入門『箴言14:22』124. 悪(あく)をたくらむものはさまよわないだろうか。しかし、善(ぜん)をはかるものにはめぐみとまことがある。いかなる労苦(ろうく)にも利益(りえき)がある。無駄口(むだぐち)は損失(そんしつ)をまねくだけ。知恵(ちえ)のある
やさしい聖書入門『箴言14:22』124.悪をたくらむ者(もの)はさまよわないだろうか。しかし、善(ぜん)をはかる者にはめぐみとまことがある。 どんなことにも、それにあった「やりかた」とか「いきかた」というものがあります。その「やりかた」や「いきかた」をしなかった
やさしい聖書入門『箴言14:20-21』123. 今回のかしょにはまず、まずしい人はみじかな人からもにくまれて、お金もちはあくさんの人からあいされるとかかれています。これは世(よ)のなかの現実(げんじつ)です。その現実を、神さまはズバっといっておられるのです。 この
やさしい聖書入門『箴言14:18-19』122. あなたがもし池(いけ)に石をなげたとしたら、その石は小さな波(なみ)をおこすでしょう。どんななげかたをしたところで、波がおこるのはまちがいありません。 おろかな生き方をするというのも、それとおなじです。おろかな生き方
やさしい聖書入門『箴言14:16-17』121. 今回のおはなしは16せつと17せつからで、17せつには短気(たんき)-つまりすぐにおこったりする人はバカなことをするし、わるいことをしようとする人はほかの人からきらわれるということがかかれています。あたりまえといえばあたり
やさしい聖書入門『箴言14:15』120. 私たちは神さまをしんじています。そして神さまに関係(かんけい)するいろんな話(はなし)をきくと、それもまたしんじます。 さらには、自分のかんがえも正しいとしんじます。自分が「正しい」としんじるように生きることは、すこしか
やさしい聖書入門『箴言14:14』119. まえに、こんな話を聞いたことがあります。 船(ふね)にのっている人が、船がしずむそうになって小さなボートで脱出(だっしゅつ)するときに、まずなにをやるか。 それは、しずんでいこうとしている船からできるだけはなれる、という
やさしい聖書入門『箴言14:10-13』118. 今回のかしょのことばは、かなしみやよろこびというものはじぶんだけのもので、ほかの人にはなかなかわからないという意味(いみ)のことばです。とうぜんといえばとうぜんです。こころのなかというのは、なかなかわからないからです
やさしい聖書入門『箴言14:9』117. よい人と、よくない人とのあいだには、いくつかのちがいがあります。今回のかしょに書かれていることはその1つです。それは、わるいことをしてしまったことの結果(けっか)がどうなるかを、ちゃんとかんがえるか、かんがえないか、とい
やさしい聖書入門『箴言14:6-8』116. 自分を「かしこい人だ」とおもう人は、たぶんたくさんいるでしょう。でもそのような人たちの中にもいろんな人がいます。中には、自分いがいの人のことを「かしこくない」とばかにすることで、自分のことを「かしこい」とおもいこむ人も
やさしい聖書入門『箴言14:5』115. 今回のかしょは、しょうじきな人はうそをつかないし、うそつきはうそをつくのだという意味(いみ)のことばです。このことばをよむと「そんなこと、あたりまえ」と思うかもしれません。 しょうじきな人はうそをつかないというのは、たし
やさしい聖書入門『箴言14:4』114. ちょっとこんなことをかんがえてみてください。 あなたがなにか動物(どうぶつ)をかいたいとおもって、家(いえ)の人の賛成さんせい)ももらって、いよいよ動物をかうことになったとします。 それであなたは動物をかうのにひつような
やさしい聖書入門『箴言14:1-3』113. 私たちから見ると、なにも問題(もんだい)がないような生き方やもののいい方、人とのかかわり方というものがあります。またはんたいに、よい生き方やもののいい方や人とのかかわり方にはちがいないけれど、それをしていたからといって
さいごのさいごの時こんなふうに1日のなんでないいい時間をスクラップにして切り取っていればいつか思うことができるのかな生まれてきてまんざらでもなかったと嫌なこともたくさんあったけどトータルでみればまあ悪くはなかったとぐっと思いを入れなければ思い出せないよう
やさしい聖書入門『箴言13:22-25』112. 私たちがもしも正しいことをすれば、神さまはそのことによって私たちによくしてくださるというのは、まちがいのないことです。でも、そのことはなかなか、わかりにくいのです。 私たちが神さまからごらんになって正しくて、それで神
やさしい聖書入門『箴言13:20-21』111. これまでこのコーナーでは、私たちじしんのこころの中の声(こえ)について話してきました。それはつぎのような話でした。 私たちじしんのこころの中には私たちをよいほうへみちびいてくれる知恵(ちえ)の声があります。それはどん
やさしい聖書入門『箴言13:18-19』110. ほかの人から、じぶんについて、思ってもいなかったことをいわれることがあります。そんなときその「いわれたこと」をすんなりきけることもあれば、きけないこともあります。 私たちは、じぶんがおもっているとおりのことを人にいわ
やさしい聖書入門『箴言13:15-17』109. 私たちは、ほかの人たちといっしょに、この世界(せかい)にすんでいます。 だから私たちがなにをして、なにをしないかについて、「まわりの人たちにどうおもわれるか」ということが、とてもだいじです。 なにかするときや、ものを
やさしい聖書入門『箴言13:12-14』108. 私たちは「期待(きたい)」というものをこころの中にもちます。期待には、「クリスマスプレゼントに自分(じぶん)がほしかったものをもらえるかな?」というみじかい期間(きかん)に結果(けっか)がわかるものをありますし、ずう
やさしい聖書入門『箴言13:9-11』107. 人やものごとにたいして、正しくおこなう人と正しくおこなわない人がいます。 この2人の大きなちがいは、あとのことをかんがえているかどうかというちがいです。 「じぶんは今、こういうことをやりたい」、「こういうことをいいたい
やさしい聖書入門『箴言13:7-8』106. 今回のかしょには、富(と)んでいるふり―つまりお金持ちのふりをしている人のことや、お金でいのちが助かることがあるのだという意味(いみ)のことがかかれています。またそのはんたいに、お金がないみたいなふりをして、ほんとうは
やさしい聖書入門『箴言13:5-6』105. 世(よ)の中にはだいじで、ねうちがあることがあります。「正しい人であること」もそうです。 かんがえてみれば、「わるい人であること」も、人間の生き方の1つです。だからじっさい、わるい生き方をする人もいます。 よの中には、
やさしい聖書入門『箴言13:4』104. 今回のかしょには、なにかをほしいと思ったり、こうなってほしいと思いながら、何も手にすることができなかったり、思ったとおりにならない人のことがかかれています。 なにかをのぞむことじたいがわるいわけではありません。でもこころ
やさしい聖書入門『箴言13:2-3』103. 人には「気持ち」というものがあり、それをことばにして出すかどうかという問題(もんだい)があります。また「ことば」というかたちで出さなくても、態度(たいど)で出すかどうかということもあります。 ことばや態度でおもてに出す
やさしい聖書入門『箴言13:1』102. 今回のかしょには、お父さんが「こうするのがいい」とか「いけない」といったらそれをききなさいとかかれています。これは「お父さんがいうことはいつも正しい。だからいうことをききなさい」といっているのでではありません。 私たちが
やさしい聖書入門『箴言12:27-28』101. 今回のかしょのことばは、ちょっとふしぎなかんじがするかもしれません。「なまけものはとれた獲物(えもの)を火であぶらない」という意味(いみ)のことばが、「コツコツとがんばることが人間のだいじな財産(ざいさん)だ」という
やさしい聖書入門『箴言12:25-26』100. 今回のかしょのさいしょのことばは、「不安(ふあん)な時はこころがおちこむ」という意味のことばです。「自分がそんなふうになる」とかんがえるとあたりまえと思えますが、これは「自分が不安だったら」という話ではなく、「人を不
やさしい聖書入門『箴言12:24』99. 今回のかしょには、まじめにがんばれば支配(しはい)するがわの人になれるけれど、さぼっていれば支配されるがわの人になってしまうという意味(いみ)のことばが書かれています。 聖書のほかのかしょにかかれている教えをかんがえると
やさしい聖書入門『箴言12:23』98. 今回のかしょには、かしこい人は自分(じぶん)が知っていることだからといってむやみにものをいわないが、おろかな人はむやみに話すことで自分が「おろかな人だ」ということを自分でいいひろめてしまうのだということがかかれています。
やさしい聖書入門『箴言12:22』97. 今回のかしょには、うそをつくことは神さまにいやがられ、ただしくおこなうことは神さまによろこばれるということが書かれています。 これはあたりまえのことです。あたりまえすぎて、「わざわざいう必要(ひつよう)はあるのか」と思え
やさしい聖書入門『箴言12:20-21』96. 今回のかしょには、わるいことをたくらむ人のこころの中にはウソがあると書かれています。なるほど、わるい人だからほかの人にウソをつくかもしれません。 でもそれだけではありません。わるいことをたくらむ人は自分じしんにたいして
やさしい聖書入門『箴言12:18-19』95. だれかにものをいうときに、よく考えないでいって、そのせいで人をきずつけてしまう人がいる、と今回のかしょに書かれています。「人をきずつけてしまうことがある」ではありません。「きずつける人がいる」と書かれているのです。 そ
やさしい聖書入門『箴言12:17』94. 今回のかしょには、本当(ほんとう)のことを言っている人は正しいことを言っていて、うそをいう人はうそを言っているのだという意味(いみ)のことがかかれています。これをよむと「そんなことあたりまえじゃないか」とあなたはおもうか
やさしい聖書入門『箴言12:16』93. 「こころの余裕(よゆう)」ということばがあります。こころの大きさや小ささをあらわしているこのことばは、私たちにとってたいせつなことをよく言いあらわしています。 レジ袋(ぶくろ)のようなものをちょっと想像(そうぞう)してみ
やさしい聖書入門『箴言12:15』92. 私たちがなにか見たとき、その目はまっすぐにそれを見ています。そのことは、私たち人間の特徴(とくちょう)です。 でも鹿(しか)など、ほかの動物(どうぶつ)は、かおをまっすぐ前にむけていても前だけでなく後ろ(うしろ)のほうも
やさしい聖書入門『箴言12:13-14』91. 「こころの正しさが大事(だいじ)だ」とかんがえる人たちがいます。 でも、こころが正しいというのはどういうことをいうのでしょうか。 こころは目に見えません。私たちはあたまの中で「こころ」というものを考えているにすぎません
やさしい聖書入門『12:11-12』90. 「おいしいごはんをたべたい」とか「お金がほしい」といったおもいをもつことは、わるいことではありません。それに私たちは、いまよりももっといいものを手に入れるために工夫(くふう)をしたり、がんばったりしますが、それは「よりよい
やさしい聖書入門『箴言12:10』89. 今回のかしょには、だれかをかわいそうに思って助(たす)けようとするときでさえ相手(あいて)を傷(きず)つけてしまう人がいて、そういう人のことを悪い人だとかかれています。 じっさい、だれかを助けようとしたことで人を傷つけ、
やさしい聖書入門『箴言12:9』88. 人というものについて、「この人はどんな人だろう?」と考えるとき、私たちはその人たちがもっている特徴(とくちょう)を見て考えていることがよくあります。その一つは、いきおいがあるかどうかです。 いきおいがある人はとにかく目立つ
やさしい聖書入門『箴言12:7-12:8』87. 聖書は、いつまでものこるものがだいじだと、いろんなかしょでおしえています。しんだらおわりでないから、永遠(えいえん)のいのちをえるようにということもおしえていますし、私たちのことをずっと見ておられる神さまが私たちにつ
やさしい聖書入門『箴言12:5-6』86. 人とかかわるときに、どういうふうだと正しいのか、それとも正しくないのか。あなたはどう思いますか。よくきくこたえは「なにもまちがっていなければ」です。 自分のかんがえや、自分がすることが「まちがっていなければ」それは正しい
やさしい聖書入門『箴言12:4』85. 私たちは、ほかの人のちかくでいるというだけで、ほかの人に影響(えいきょう)をあたえています。自分(じぶん)はきづかなくてもです。そして、いい影響をあたえていることもあれば、よくない影響―たとえばこまらせたり傷(きず)つけた
やさしい聖書入門『箴言12:2-3』84. このところ箴言(しんげん)というところから聖書をまなんでいるわけですが、この箴言では多くのかしょで、あることばとその反対のことばをならべていうということがおこなわれています。 今回のかしょでも、2せつでは「善人(ぜんにん
やさしい聖書入門『箴言12:1』83. 多くの人にとって、自分がやりたいとおもうことや、何かをするときに自分なりの「やり方」というものがあります。それにたいして他(ほか)の人から「そうじゃなくてこっちをやりなさい」とか、「こういうふうにやりなさい」と言われること
やさしい聖書入門『箴言11:30-31』82. 今回のかしょには、「正しい人はよい結果(けっか)にめぐまれ、わるい人にはわるい結果がやってくる」という意味(いみ)のことがかかれています。 「そのとおりだ」とおもいたいところですが、そうもいえません。というのは、正しい人
やさしい聖書入門『箴言11:29』81. やってはいけないようなことをしても、その人じしんはとくになにもこまらない、ということは世(よ)の中によくあります。すると人はその「やってはいけないようなこと」をつづけるようになります。 でもそれはけっきょく、いまのことし
やさしい聖書入門『箴言11:24-28』80. 世の中のことは算数のたしざん・ひきざんににています。たとえば、がんばりすぎると元気(げんき)がなくなってしまいにゼロになってしまいますし、からといってがんばらなければ結果(けっか)のほうはゼロのままです。結果というのは
やさしい聖書入門『箴言11:23』79. 今回のかしょのことばは、「正しい人のねがいは、ただよいこと」ということばではじまります。正しい人のねがうことは、「よいこと」の範囲(はんい)の中だけだという意味(いみ)です。 人間ですからいろいろなことを考えます。でもど
やさしい聖書入門『箴言11:22』78. 聖書は神さまのことば、もしくは、神さまのことを知る一番いい手がかりです。 「一番いい」というのは、だれが読んでも同じかしょに書かれていることは同じだからです。「あの人はこう言ってる」とか、「この人はこんなことを『聖霊にし
やさしい聖書入門『箴言11:20-21』77. 私たちは、良いことをしようと思えばできるし、わるいことをしようと思えばそれもできるというばあいに、良いことのほうをえらぶということが、なかなかむずかしいことがあります。 それがなぜむずかしいかの原因(げんいん)の1つは
やさしい聖書入門『箴言11:16-19』76. 今回のかしょは、対比(たいひ)というものがおこなわれています。たとえば、やさしい人はほかの人との関係(かんけい)でうまくいくようになり、乱暴(らんぼう)な人は一時的(いちじてき)にうまくいくと。 その一時的な成功(せい
やさしい聖書入門『箴言11:15』75. こんかいのかしょに、「保証人(ほしょうにん)」ということばがでてきます。このことばは、関西(かんさい)に住んでいる人は、吉本新喜劇でおなじみかもしれません。 劇(げき)の中でならず者がやってきて、「かしたお金をかえせ」と
やさしい聖書入門『箴言11:14』74. 今回のさいしょのことばは、「指導(しどう)されるということがなければ、人々はたおれてしまう」ということばです。「こうしたほうがいいよ」とか、「それはやめたほうがいいよ」ということを言ってもらえることと、そのように言われる
やさしい聖書入門『箴言11:9-11』72. これまでこのコーナーで、知恵(ちえ)によって生きることのたいせつさについて勉強(べんきょう)してきました。でもそれは、知恵によって生きることが「その人自身(じしん)にとってよいことなのだ」ということを勉強してきたのでし
やさしい聖書入門『箴言11:2-8』71. これまでこのコーナーで、知恵(ちえ)というものはだれに対してもかたりかけ、ただしい道をおしえてくれるのだということをなんどもまなびました。 そして今回のかしょにも、知恵が教えてくれることに私たちが従(したが)った結果(け
やさしい聖書入門『箴言11:1』70. 聖書には、たびたび出てくることがあります。その1つが、今回出てきた、「はかりをごまかすな」ということです。 たとえば何か食べ物を売る時に、むかしは「はかり売り」ということをよくやっていました。今のようにパッケージに入って食
やさしい聖書入門『箴言10:31-32』69. 今回のかしょも知恵(ちえ)のお話、それも知恵とただしい人との関係(かんけい)についてのお話ですが、これまでのお話とはガラリと変わっています。これまでは「正しい人は知恵のことばを聞く」というお話でしたが、今回のお話はぎゃ
やさしい聖書入門『箴言10:27-30』68. 何かの文章(ぶんしょう)をよんだり、人のことばを聞いたりするときに、どうしても考えないといけないことがあります。それは、その文章をかいた人やそのことばをはなした人が、「なにについてかたっているのか」をかんがえることです
やさしい聖書入門『箴言10:26』67. 今回のことばは、「なまけ者」は、つかわす人にとって、やっかいな人だといういみのことばです。なまけ者は、歯(は)にとってお酢(す)が、目にとってけむりがしみて痛(いた)むように、やくにもたたず、やっかいだと言っています。
やさしい聖書入門『箴言10:23-25』66. このところ学んでいる聖書の箴言は「知恵(ちえ)のことば」です。知恵はなにかを人にすすめます。時にはほかの人からの教えや注意として、また時には自分自身(じぶんじしん)からのメッセージとして。 そして私たちはそれらの知恵の
やさしい聖書入門『箴言10:23-25』66. 今回のかしょのまんなかのところには、「悪い人がおそれていることはその人にふりかかり、正しい人がねがうことはかなえられる」、と書かれています。これはちょっと見ただけだと、「悪い人にはかならずバチがあたってしあわせにはなれ
やさしい聖書入門『箴言10:22』65. 今回のかしょには、私たちをゆたかにするのは神さまからの祝福(しゅくふく)であって、人間の努力(どりょく)は関係(かんけい)ないって書かれています。ほんとうでしょうか?もしほんとうなら、努力なんてしても、しなくてもおなじだ
やさしい聖書入門『箴言10:21』64. 私たちには、「ものを言う自由(じゆう)」というものがあります。もちろん、自由にものを言えないことはあります。こわい人やえらい人の前では自由にものを言えないなどです。 でも考えてみればそんなときだって、「ものを言わないでお
やさしい聖書入門『箴言10:18-20』63. 私たちはおおぜいのいろんな人たちとくらしていて、その中にはいろんな人がいます。だから、ときには相手のことで、いやな気持ちをもつこともあります。 そんなとき私たちは、相手の人ににくしみを感じることもあるでしょうし、つい相
やさしい聖書入門『箴言10:16-17』62. 私たちは今回のかしょからも、だいじなことを知ることができます。今回のかしょも、これまで見た箴言の多くのかしょとおなじように、一つのことと、そしてそれとは逆のもう一つのことの二つがならべられています。 今回ならべられてい
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自分の中に醜いものや卑しいところがあるのを見てもそれを否定するなあってはならぬと言って拒むな自分の一部分さえも愛せない人間に目に見えない神や人を愛せるものかあなたの神を愛するようにあなたの醜い部分を愛せよこころを尽くし思いを尽くし知力を尽くして醜くずるい
やさしい聖書入門『箴言15:29』149 主は悪(あ)しきものからとおくにおられ、正しい人のいのりをきかれる。 あなたがもしもきらいな人や、あなたにつめたい態度(たいど)をとる人のすぐちかくにいるとしたら、その人とは体の距離(きょり)はちかくでも、こころの距離は
やさしい聖書入門『箴言15:26-28』 148 悪人(あくにん)の計画(けいかく)は主にいみきらわれる。親切(しんせつ)なことばは、きよい。 利得(りとく)むさぼるものは自分の家族(かぞく)をこまらせ、賄賂(わいろ)をにくむものは生きながらえる。 正しい人の心は
神社や仏閣を見るとそこに悪霊の存在を感じる?よく見ろ、それは鏡に映ったお前の顔だ
やさしい聖書入門『箴言15:24-25』147 賢明(けんめい)なものはいのちの道をのぼって行く。下にあるよみからはなれるためだ。主はたかぶるものの家をねこそぎにし、やもめの地境(じざかい)をきめる。 ことしは夏のおわりごろから、日本のあちこちで大雨(おおあめ)がふ
やさしい聖書入門『箴言15:23』 適切(てきせつ)なへんじをすることは、その人のよろこび。時宜(じぎ)にかなったことばは、なんとうるわしいことか。146 自動車(じどうしゃ)にはクラクションというものがついています。おすと大きな音(おと)がします。でも、だから
やさしい聖書入門『箴言15:22』145 よく相談(そうだん)しなければ、計画(けいかく)はたおれる。おおくの助言者(じょげんしゃ)によって、それは成功(せいこう)する。 「ものごとは、自分(じぶん)でしなければいけない」というかんがえかたがあります。このかんが
やさしい聖書入門『箴言15:19-21』144 なまけものの道(みち)はいばらのいけ垣(がき)のよう。すぐな人のすすむ道はたいらな大路(おおじ)。知恵(ちえ)のある子は父をよろこばせ、おろかな人はその母をさげすむ。良識(りょうしき)のないものにはおろかさがよろこび。
やさしい聖書入門『箴言15:17-18』143 野菜(やさい)をたべてあいし合うのは、こえた牛(うし)をたべてにくみ合うのにまさる。げきしやすいものは口論(こうろん)を引き起こし、いかりをおそくするものはあらそいごとをしずめる。 私たちにはひとりひとり、なにかをたい
やさしい聖書入門『箴言15:16』142 わずかなものをもって主をおそれることは、ゆたかな財宝(ざいほう)をもって混乱(こんらん)するよりもよい。 今回のおはなしも、前回(ぜんかい)のお話とちょっとにています。前回は、私たちが神さまにあたえられたものを「よい」と
やさしい聖書入門『箴言15:15』141 なやみくるしむものの毎日(まいにち)はわるいことのみ。こころにたのしみのある人には毎日(まいにち)が祝宴(しゅくえん)。 神さまは、私たちがどんなときでもよろこんでいるようにと、ねがっておられます。 でもそれは、よろこべ
やさしい聖書入門『箴言15:14』140 さとりのあるものの心は知識(ちしき)をもとめるが、おろかなものの口はおろかさをくいあさる。 世(よ)のなかには、かしこい人もいれば、そうでない人もいます。 そしてかしこい人は、自分(じぶん)やほかの人のやくにたつことをた
やさしい聖書入門『箴言15:13』139 よろこんでいるこころは、顔色(あおいろ)よくする。こころのいたみの中には、うちひしがれた霊(れい)がある。 私たちはふつう、「よいことがあると人のこころはよろこぶ」とか、「つらいことがあるからこころがいたむのだ」とだけ、
教会総会 そ総会が恨み言を遠回しに言う場と化す。
教会図鑑 し自分のところの教派が一番正しいと思っている。
教会図鑑 ななんでも「サタン」のせいにする。
やさしい聖書入門『箴言15:12』138 あざける者(もの)はしかられることをこのまない。知恵(ちえ)のある者にもちかづかない。 自分(じぶん)で自分のことを「人よりもえらい」とおもっている人がいます。 こういう人は、自分に自信(じしん)がある、というわけではあ
やさしい聖書入門『箴言15:9-11』137 主は悪(あ)しきものの道(みち)をいみきらい、義(ぎ)をおいもとめるものを愛(あい)される。道をすてるものにはきびしいこらしめがあり、叱責(しっせき)をにくむものは死(し)にいたる。よみとほろびの淵(ふち)は主の前にあ
やさしい聖書入門『箴言15:7-8』136 知恵(ちえ)のあるもののくちびるは知識(ちしき)をひろめる。おろかなもののこころはそうではない。悪者(わるもの)のいけにえは主(しゅ)にいみきらわれ、こころのすぐな人のいのりは主に受け入れられる。 人が話すことばは、口か
やさしい聖書入門『箴言15:5-6』135. おろか者は自分(じぶん)の父の訓戒(くんかい)をあなどる。叱責(しっせき)をだいじにするものはかしこくなる。 正しい人の家には多くの富(とみ)がある。悪(あ)しきものの収穫(しゅうかく)はわざわいをもたらす。 今回のか
やさしい聖書入門『箴言12:23』98. 今回のかしょには、かしこい人は自分(じぶん)が知っていることだからといってむやみにものをいわないが、おろかな人はむやみに話すことで自分が「おろかな人だ」ということを自分でいいひろめてしまうのだということがかかれています。
やさしい聖書入門『箴言12:22』97. 今回のかしょには、うそをつくことは神さまにいやがられ、ただしくおこなうことは神さまによろこばれるということが書かれています。 これはあたりまえのことです。あたりまえすぎて、「わざわざいう必要(ひつよう)はあるのか」と思え
やさしい聖書入門『箴言12:20-21』96. 今回のかしょには、わるいことをたくらむ人のこころの中にはウソがあると書かれています。なるほど、わるい人だからほかの人にウソをつくかもしれません。 でもそれだけではありません。わるいことをたくらむ人は自分じしんにたいして
やさしい聖書入門『箴言12:18-19』95. だれかにものをいうときに、よく考えないでいって、そのせいで人をきずつけてしまう人がいる、と今回のかしょに書かれています。「人をきずつけてしまうことがある」ではありません。「きずつける人がいる」と書かれているのです。 そ
やさしい聖書入門『箴言12:17』94. 今回のかしょには、本当(ほんとう)のことを言っている人は正しいことを言っていて、うそをいう人はうそを言っているのだという意味(いみ)のことがかかれています。これをよむと「そんなことあたりまえじゃないか」とあなたはおもうか
やさしい聖書入門『箴言12:16』93. 「こころの余裕(よゆう)」ということばがあります。こころの大きさや小ささをあらわしているこのことばは、私たちにとってたいせつなことをよく言いあらわしています。 レジ袋(ぶくろ)のようなものをちょっと想像(そうぞう)してみ
やさしい聖書入門『箴言12:15』92. 私たちがなにか見たとき、その目はまっすぐにそれを見ています。そのことは、私たち人間の特徴(とくちょう)です。 でも鹿(しか)など、ほかの動物(どうぶつ)は、かおをまっすぐ前にむけていても前だけでなく後ろ(うしろ)のほうも
やさしい聖書入門『箴言12:13-14』91. 「こころの正しさが大事(だいじ)だ」とかんがえる人たちがいます。 でも、こころが正しいというのはどういうことをいうのでしょうか。 こころは目に見えません。私たちはあたまの中で「こころ」というものを考えているにすぎません
やさしい聖書入門『12:11-12』90. 「おいしいごはんをたべたい」とか「お金がほしい」といったおもいをもつことは、わるいことではありません。それに私たちは、いまよりももっといいものを手に入れるために工夫(くふう)をしたり、がんばったりしますが、それは「よりよい
やさしい聖書入門『箴言12:10』89. 今回のかしょには、だれかをかわいそうに思って助(たす)けようとするときでさえ相手(あいて)を傷(きず)つけてしまう人がいて、そういう人のことを悪い人だとかかれています。 じっさい、だれかを助けようとしたことで人を傷つけ、
やさしい聖書入門『箴言12:9』88. 人というものについて、「この人はどんな人だろう?」と考えるとき、私たちはその人たちがもっている特徴(とくちょう)を見て考えていることがよくあります。その一つは、いきおいがあるかどうかです。 いきおいがある人はとにかく目立つ
やさしい聖書入門『箴言12:7-12:8』87. 聖書は、いつまでものこるものがだいじだと、いろんなかしょでおしえています。しんだらおわりでないから、永遠(えいえん)のいのちをえるようにということもおしえていますし、私たちのことをずっと見ておられる神さまが私たちにつ
やさしい聖書入門『箴言12:5-6』86. 人とかかわるときに、どういうふうだと正しいのか、それとも正しくないのか。あなたはどう思いますか。よくきくこたえは「なにもまちがっていなければ」です。 自分のかんがえや、自分がすることが「まちがっていなければ」それは正しい
やさしい聖書入門『箴言12:4』85. 私たちは、ほかの人のちかくでいるというだけで、ほかの人に影響(えいきょう)をあたえています。自分(じぶん)はきづかなくてもです。そして、いい影響をあたえていることもあれば、よくない影響―たとえばこまらせたり傷(きず)つけた
やさしい聖書入門『箴言12:2-3』84. このところ箴言(しんげん)というところから聖書をまなんでいるわけですが、この箴言では多くのかしょで、あることばとその反対のことばをならべていうということがおこなわれています。 今回のかしょでも、2せつでは「善人(ぜんにん
やさしい聖書入門『箴言12:1』83. 多くの人にとって、自分がやりたいとおもうことや、何かをするときに自分なりの「やり方」というものがあります。それにたいして他(ほか)の人から「そうじゃなくてこっちをやりなさい」とか、「こういうふうにやりなさい」と言われること
やさしい聖書入門『箴言11:30-31』82. 今回のかしょには、「正しい人はよい結果(けっか)にめぐまれ、わるい人にはわるい結果がやってくる」という意味(いみ)のことがかかれています。 「そのとおりだ」とおもいたいところですが、そうもいえません。というのは、正しい人
やさしい聖書入門『箴言11:29』81. やってはいけないようなことをしても、その人じしんはとくになにもこまらない、ということは世(よ)の中によくあります。すると人はその「やってはいけないようなこと」をつづけるようになります。 でもそれはけっきょく、いまのことし
やさしい聖書入門『箴言11:24-28』80. 世の中のことは算数のたしざん・ひきざんににています。たとえば、がんばりすぎると元気(げんき)がなくなってしまいにゼロになってしまいますし、からといってがんばらなければ結果(けっか)のほうはゼロのままです。結果というのは
やさしい聖書入門『箴言11:23』79. 今回のかしょのことばは、「正しい人のねがいは、ただよいこと」ということばではじまります。正しい人のねがうことは、「よいこと」の範囲(はんい)の中だけだという意味(いみ)です。 人間ですからいろいろなことを考えます。でもど