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里遊庵〜八葉蓮華のエコロジー・田舎暮らし編〜 https://blog.goo.ne.jp/hanyaisuke2

24時間、自然を感じて暮らしたい。定年後の住まいは里遊庵。藤枝の山隅で田舎暮らしと洒落込んでいます。

光陰のごとく過ぎゆく日々。還暦も既に過ぎました。自然の中で自然を感じて自然に生きる。全て自分の時間。有り余る自然の中で我が意のままに、肌に合った生き方を楽しもうと思っている。 我が舌足らずのブログですが、 それを補足するHPはこちら http://www.asahi-net.or.jp/~ri7K-sgmt/ なので、よかったら覗いてみてください。

竹風亭凡凡
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住所
藤枝市
出身
藤枝市
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2014/04/30

  • 農山漁村活性化法って言っても所詮・・

    所詮、農水省のお役人の自己満足法だよな。法律、政令、施行規則、要綱、要領、云々なんちゃらかんちゃら、微に入り細に入りがんじがらめになるように出来ている。つまるところ、お役人の手の上でしか踊れない。何が独自性か何が自発性か。肝心要のところががんじがらめだ。補助金行政デジャブ―補助金行政がいかに地方再生に役に立たないか。その原理を理解しない限り、おんなじことの繰り返しだ。所詮官僚の自己満足やってる感の上塗りでしかない。さむしい農山漁村活性化法って言っても所詮・・

  • 農地は農家に多大な負担となっている

    ついこの間まで、(多分ざっと20~30年くらい前まで)、農地や山林は確かに財産としての価値を有していた。農地を持っているだけで、山林を持っているだけで、それだけで財産だったのだ。弥生時代ごろからのことなんだろうなと思う。二千年来この方、稲作開始とともに計画的な農地開発が始まり、農耕が始まり、農民が出来、農村が出来た。米作りはよほど我が民族と相性が良かったと見えて、米作りはどんどん文化を生み出し、発展させた。人口もどんどん増え、たくさんの外来移住者、帰化人や知識・文明をも迎え入れて立派な日本国を形成した。ざっくりと言ってそういうことなんだろう。定住農耕社会はいつの間にか我が国の当たり前の社会是となり、米本位制国家を作り上げた。家屋敷田畑山林の財産価値とそれに基づく社会秩序が出来上がった。第2次大戦後は地主制...農地は農家に多大な負担となっている

  • 葉梨ブレイクの予感

    今日は葉梨の郷という朝市の総会があった。私も3年越しの会長の職を辞し、後任の方に託すことが出来てやれやれだった。この3年間朝市の会長を務める間、来店いただくお客さんと懇ろに接してみて、改めて人々の食に対する素朴かつ真摯な思いに接してすることが出来た。すべての人間が、朝昼晩と毎日毎日3食を食するということのなんとも凄まじくも膨大なエネルギーをそこに費やすことか。何はなくともとにかく飯を食い、エネルギーをつなぐ。そのことに対して一人として同じ食い方はない。皆それぞれに己の腹を満たす食い方をする。不思議なものだ。同じものに対しても人の評価が異なったりもする。お酒だって百薬の長だったり百害あって一利なしだったり。とにかく食の世界は奥が深い。そして万人に関係するのでまあどこでも賑やかいこと。これこそマルシェのマルシ...葉梨ブレイクの予感

  • 田舎の選択肢をもっと増やすべきだ

    都会には選択肢がたくさんある。それは生きる自由度が高いということだろう。田舎も都会と同様、基本は自由な世界だ。自由な世界であると言いながら、実際の選択肢は極めて限られてしまう。いろいろな旧弊やしがらみ、近所づきあいや親せきづきあい、町内会や農村集落付き合いなど、さらに職業選択の自由度や買い物の選択肢の制約など都会と比較した場合に比べ物にならないくらいに個人の自由選択に対する制約因子が多い。そうしたことが田舎からの若者の流出につながっているのだろう。人口減少の我が国で若者が都会でなく地方に住むことを選択するためには、若者に選択肢の幅を広げる工夫をしなければならない。その有力な手段の一つが土地利用の自由度を高めるということだと考えている。もちろん、そこにはデメリットもついてくるだろう。だが空き家だけが増え続け...田舎の選択肢をもっと増やすべきだ

  • 自由経済農業と戦略的農業とを分けるべきだ

    自由経済農業とは文字通り自由主義世界でのグローバル競争環境下でしのぎを削る農業である。本来はそんな農業は好ましいものではないように思うが、現今世界情勢を見ていると自由主義経済圏での資本主義丸出しの弱肉強食論理の農業生産活動が最も人間の本性にあったやり方であることは残念ながら認めるしかない。人間は所詮欲望の塊だからだ。一方、戦略的農業とは突き詰めればやっぱり人間の欲望に行き着くのだが、そこをオブラートに包んで別の角度、もっとヒューマニズム的視点からのアプローチとするところに分けるべき必然性がある。そのうちの一つはズバリ食糧安全保障、自給率の確保だ。昨今の世界の食糧情勢は実に危うい。毎日毎日ひやひやしてニュースを眺めている。70%もの食糧を輸入に頼る現状は、早急に改めるべきだ。日常の風景は一夜にしてころっとひ...自由経済農業と戦略的農業とを分けるべきだ

  • ぼちぼちサルが出没し始めたようだ

    サルは困る。サルは見境なく農作物を食い荒らす。秋以降、柑橘や柿など山の畑に実る農作物のほかに、いろいろな自然の果実類が豊富に実るので、サルたちは里から去り、山に帰っていたが、そろそろ山にも食い物が底をついて来たようで、里に下りて来た。これは今日猟友会の会員から得た情報だ。既に奥の方の集落ではサル罠に数匹がかかったということだ。という話を午前中にして、午後、何となく我が家の裏山に気を配りながら畑仕事をしていたら、突然、バリバリ、という木の枝を割く音が響いて来た。アレッ?と音のした方を見やると、裂けた枝がぶらぶらと揺れている。あれあれ、なんということだ。早々とサルが現れた。その裂けた枝のすぐ先には夏ミカンの樹があって、黄色い実が人目(サル目)を引いたに違いない。こりゃあかん、うっかりしているとこちらの畑まで侵...ぼちぼちサルが出没し始めたようだ

  • 今年もタケノコが遅れている

    今年もタケノコが遅れている。昨年も出が悪かった。秋の乾燥と厳しい寒さ、さらに今どきの冷え込みと雨不足、などがタケノコが遅れていることの理由として挙げられるようだ。ただ全然ないわけではなく、じっくりと竹藪を探せば陽だまりのようなところに少しは生えていることもある。実は我が家でも2月中旬に既に1本掘り出している。初物の高級白子ということで、早速煮て食うてしもうた。柔らかくてえぐみなども全くなく、とてもおいしかった。おかげで97歳になるバーさんが、また少しは長生きできるべな。健康で長生きして、ぼちぼちと百姓仕事。自産自消がええで。田舎に住むメリットやな。ほいでタケノコが出ないなら出ないなりに、今は春野菜の植え付けや畑づくりに忙しい。そうそう、山の上のワラビの生えるのっぱらも、草を刈り払って肥料をふらんとあかんな...今年もタケノコが遅れている

  • 東京に行って来た

    一昨日から昨日にかけて、東京にって来た。新幹線で小一時間でこの大都会の真ん中に建てる。これも凄いことだ。そんな、まごまごしていると踏みつぶされてしまいそうな圧倒的な東京の雑踏と喧噪や熱量の中で田舎を思った。田舎とまるで違う、異次元の空気感の中で、こりゃあかん、まるで太刀打ち出来んわい。正直にそう思った。田舎が束になってかかっても、東京という超巨大バルーンの中ではその存在はほんのわずかな存在案しか発揮出来ないだろう。だから都会人には田舎はせいぜいペット程度の価値しかないかもしれない。しかしそれでも田舎は都会人にとってはなくてはならない後背地だ。その後背地は都会人がよって立つ根拠であり、食料提供地であり、その他もろもろの文化や価値観、あるいは教養、人間や動物本来の本能や嗅覚感性再生の拠り所でもある。失ってはな...東京に行って来た

  • 農業を魅力ある産業にするために(その5)

    自作農創設特別措置法というのがあった。既に廃止された法律のようであるが、戦後の農地解放に絶大な権力を発揮したはずだ。はずだというのは、私が生まれる前の出来事なので実態を知らないということだ。小地主だった我が家も、そう多くない田んぼのうち、いくばくかの田んぼは取り上げられた。そして旧小作人の方に転売された。そういうことが国家の政策としてなされた。そういう絶大な力で行った政策だから、今もって我が国の農業政策の根本はその呪縛から逃れられないでいる。農業を産業として育てるという純粋な政策が立てられない。あくまで自作農を維持すること、それが大命題になってしまっている。ところが現代、そうやって80年近くも守り育てて来たはずの自作農の方々のうち、どの程度の割合か確たることは分からないが、少なくとも私が知りうる我が地域の...農業を魅力ある産業にするために(その5)

  • 農業を魅力ある産業にするために(その4)

    私は田舎の百姓家に生まれて田舎に住んで、その間、都会に出たのは大学の4年間のみだった。昭和28年生まれの私は、中学から高校に行くとき何の考えもなく、自分は百姓を継ぐんだろうな、くらいの気持ちだった。ただし、普通高校には行きたくないと思っていて、進学するなら農業高校か工業高校かと思っていた。そんな時,大正12年生まれで太平洋戦争から生還した親父が、「これからは百姓はだめだ、普通へ行け」という考えだった。大学を出なきゃダメだ、という考えだった。その頃はお茶とミカンで生計を立てていた。普通の農家だった。そんなもんかと深い考えもなく、4年制大学を出て就職と同時に田舎に帰った。結局百姓にはならず、就職して定年まで勤め上げた。その間、親父に代わって町内会の部農会や草刈りや田んぼ仕事などの手伝いくらいはして来た。軍隊帰...農業を魅力ある産業にするために(その4)

  • 農業を魅力ある産業とするために(その3)

    荒っぽい提案で申し訳ないが、農業を魅力ある産業とするためのいくつかの提案をしたい。その第一はまず農業を産業農業と伝統(維持)農業とに2分する。その2分の元に具体的な分割を施しながら、前者は世界競争的育成農業とし、後者は伝統文化保持、あるいは産業遺産の一種として位置付けて施策を行う。その上で第二に時代に合わない農振法を廃止し、産業農業育成のための振興法とし、片や振興法以外の農地は伝統文化及び環境や農村、自然環境保持のための農業文化あるいは農業産業文化保持育成法のような法律を作る。そして第三に、農地法を改正し、農地を農業保全振興のための農地と、伝統文化及び環境や農村、自然環境保持のための農地とに2分する。その上で、農地の底地の上に譲渡可能な土地債権を創設し、売買可能とする。その主眼は土地に縛られ続ける農家制度...農業を魅力ある産業とするために(その3)

  • 農業を魅力ある産業とするために(その2)

    農業を魅力ある産業とするために必要なことは、農政として一緒くたにとらえている農業・農家・農地・農村という4つの事柄について、それぞれの考え方を深堀し、国として政策として何を行うべきかを明確にすることではないか。魅力ある産業とは農家にとってではない、職業選択の自由のもと、大方の人間が肯定的に魅力ある産業だと、農業をやってみたいと思うような産業に仕立て直すということだ。そういう判断基準を与えることの出来ないがんじがらめの農地農家制度をほぐして大方の国民の前に魅力的な職業ですよと提案しなおすことだ。もとより農業は全ての国民が毎日朝昼晩と3度食べる食糧を様々に提供する仕事だ。国家にとっては最重要な仕事のはずだ。おかげさんで我が国が弥生時代以来2千年の時を経ても安定した国家でいられることは、この食糧生産システムがし...農業を魅力ある産業とするために(その2)

  • 農業を魅力ある産業とするために(その1)

    農業は、日本で農業という場合、大ざっぱにいう場合、農家、農村、農地(とりわけ田)がワンセットでついて来る。この構造を変えない限り、日本の農業は旧態依然のまま、大多数の若い衆からそっぽを向かれ続けることになるだろう。私なんかも、昔だったら純農村の真っただ中にいることになる。今起きている現象は、農村の真っただ中に居ながら、実は農業に従事している者がほとんど見当たらない、という事実。こういう事実はおそらくほぼ日本列島で広く起きている現象だろうと想像する。一昔前なら農村で住まうということは、農家であり、まず家があり、農地があり、跡取りがいて跡を継ぎ、農地と家と家にまつわる諸々のことども農協(JA)や農道、水に関する様々な権利や義務、部農会、風習やしきたり、墓や寺や葬儀や婚姻等冠婚葬祭に関わる町内のしきたり、氏神や...農業を魅力ある産業とするために(その1)

  • 命は愛おしい

    命とは輪廻転生のことだよスパイラルはどんどん先に行くよ逆戻りはしないよ時間は前にしか行かないよそれがエネルギーなんだよすべての命は時間の集積なんだよだから命のコピーなんて出来ないよ宇宙は命が可愛いんだよそういう気がする宇宙こそ全知全能なんだよきっと命は愛おしい

  • 和田さんありがとう

    和田さんありがとうようやくブログが再会出来ました。何かが吹っ切れたような気がしています。今後ともいろいろとご指導よろしくお願いします。和田さんありがとう

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