冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。
本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧
◎報身での地上天国到来仏教でいう弥勒三会とは、弥勒菩薩が五六億七千万年後に兜率天より人間界に下生して、竜華樹の下で悟りを得て、三会(三回)にわたり説法すること。弥勒の三回の演説会、これでは何もわからない。出口王仁三郎は、みろく三会を、五六七(みろく)三会、弥勒三会として非常に重視した。まず弥勒が出ることが重要イベントだが、既に明治の初めから出ているとして問題にもしない。弥勒は、法身、応身、報身と分かれる。法身は真理そのもの、善そのもの、至善、至美、善一筋。応身とは、その個人の立場に応じて、サラリーマンだったり、学生だったり、悪党だったり、小金持ちだったりするのだが、その立場役割を真摯に果たして行くことで神・仏に目覚めること。法身の弥勒は既に天にあって広く守護を行っており、応身の弥勒は地に降りて泥をかぶって艱難辛...弥勒三会とは-1
◎只管打坐、普勧坐禅儀只管打坐とは、背骨を真っ直ぐに立てて、半跏または結跏趺坐にて、呼吸を落としながら、意識をはっきりさせたままにいることである。これで決まれば、その功徳により身心脱落が起こる。身心脱落が起こらないことを以って只管打坐の絶対性を疑う人もいるが、身心脱落が起こった道元や天童如浄などは、只管打坐の絶対性に対しては微塵も疑念を持っていない。普勧坐禅儀には、事細かにやり方が書かれてある。白隠軟酥の観。これは、夜船閑話という書にやり方が少々書かれているだけだ。クリームのような癒しの光が頭頂にあると想像し、その光を丁寧に全身にしみわたらせるというもの。私は、あまり病気をしない方だったが、絶不調時にはこれを行うことがあった。この観想法の前に音楽をかけてうつうつとした気分を晴れやかにするというのも立派な療法であ...ポスチャー姿勢、やり方の絶対性
◎バンチェン・ラマの後継捜しまで本格的に中共がチベット侵攻した1958年以降、チベット密教の博識の高僧たちは強制収容所に送られ、あるいは自らインドなどへ亡命し、弟子たちへの道統継承の手段は、チベット域内ではほとんど断たれた。転生活仏は、僧院の精神的主柱であり、財政基盤そのものであったが、転生活仏を認定、教育訓練する師匠が去ったことで、それは断絶となった。文化大革命中、転生活仏の認定は封建的迷信であるということで、中共が禁止としたが、信者の一部は密かに転生活仏を探し出し、崇拝などすることもあったものの、15年間必要と言われるチベット密教の教育訓練が施されないため、その尊崇に値しない転生活仏も現れてしまうのも当然の流れだった。こうした中、先代のバンチェン・ラマ後継の転生活仏が、中国側選定とインド亡命側選定と二人現れ...転生活仏の資質と悪教育環境
◎低調そのもの以前『釈迦は何を悟ったのか』をググッってみたが、今回はtwitter検索してみた。『七つの身体』:自分の文章しか出てこなかった。『悟り』:これは言葉としてはポピュラーだが、真面目な取り組みのものは少ない。『大悟覚醒』:ほぼ自分の文章しか出てこない。『只管打坐』:曹洞宗関係が多い。いろいろ書く人がいるほどに、坐っている人も多いのであればいいのだが。『鎮魂帰神』:神社系、大本教系の勢いがあるので、まあまあある。霊能系のツィートも多い。『出口王仁三郎』:これは活発。霊界物語は読まずとも、近代のスーパー超能力者にして、預言者であり、右翼でありながら国家神道に反抗して大弾圧を教団ごと受けた、日本史上初の人物。伝記も多数出版されているから、皆の関心も高いのだろう。『OSHOバグワン』:これは著作が沢山あるのに...重要なスピリチュアル用語をtwitter検索
◎メディテーション・トラベル・ガイドから未悟者から見れば、覚者の透徹した絶対的な孤独とあらゆるものが未知である現実感は、大きな違いである。そこを見過ごすと、次のダンテス・ダイジの救世主入門の一節は、単なる感想や戯言になってしまう。『友人は君について君の知人が千年かかって知るよりはるかに多くのことを出会いの一刹那で知るだろう君が愛人と出会う時そこにはどのような意味での必要も偶然もない時を忘れた時の中で君は思い出すだろう愛人とのいくたびもの戯れのすべてを』さらに、次のような謎の一節も置かれている。『さようならの時にうろたえてはいけない別れは再びめぐり逢う前になくてはならないものだからそして再会の時は必ずやってくる君とその友人のためにある時間を経ていくつかの人生を巡った後に必ずやってくるものだ』輪廻転生を語る場合、A...友人との出会い、愛人との出会い
◎この一万二千年と聖者の二潮流トオス系は一言で言えば祭政一致であり組織宗教(組織者、指導者、司政者)。ダンテス系は、外形的には一人宗教で宇宙遊戯(生活者、冥想者、遊戯者)。ダンテス・ダイジは、メディテーション・トラベル・ガイドにおいて、トオス系とダンテス系については本質的な相違はないが、その系流の違いを仮に弁別している。1.聖王トオスの系統エジプトのトス並びにヘルメス(これはトオスという名の変化継承されたもの)、モーゼ、イエス・キリスト、マホメット、聖徳太子、空海、出口王仁三郎など。2.ダンテスの系統クリシュナ、釈迦、老子、達磨、臨済、普化、ドン・ファン・マトゥスなど。この二つについて違いのないことに関してダンテス・ダイジは、相互に依存交流しかつ現れた神という本質において一つである、と念を押す。アトランティス末...トオス系とダンテス系
◎疾風に勁草を知る1950年代後半生まれの人々にはグランド・クロス(大十字)がある場合が多い。海王星(天秤座か蠍座)、天王星(蟹座か獅子座)、これが90度であってグランド・クロスの材料となる。これに更に反対側に十字型に惑星が入るとグランド・クロスが完成する。グランド・クロスを持つ人物は公私ともに結構なプレッシャーを受けながら暮らしていくものだが、世代全体として、それはどういうことを意味するのだろうかと昔から疑問に思っていたものだ。いま、精神世界オタク、スピリチュアルヲタクとして馬齢を重ねてみると、それはこのようなことであったと思う。1.カルトその1朝鮮系新興宗教の勧誘が盛んに行われ、その対象となった中心世代であって、「青春を返せ」裁判まで引き起こしたカルト全盛の時代。この宗教の関係では、集団結婚のために6千人以...グランド・クロスの世代
◎観音様を心から求める17歳の一休は、謙翁和尚を師匠として修業を始め、既に20歳の時にその悟りを認められていた。21歳、謙翁和尚が亡くなってしまった。ところが葬式を出したくても金がないので、いたずらに心の中で哀悼の気持ちに苦しむだけであった。壬生の寺を去って清水寺に参詣したが、折しも大晦日から2週間は寺全体が、人の出入りを禁じ、断食し香を焚いて経を読む時期に入っていた。仕方なく母親のところに行き、再び清水寺に参詣し、大津に出た。穴倉に入ったような一休の喪失感を見て一人の人が、暮れによく作るきな粉餅数枚をくれ、それを食べながら、ふらふらと石山寺に向かった。石山の観音像前で、自分の道心の堅固なることを七日間祈っていると、これを見ていた曹洞宗の僧が一休を自分の庵に招いて手厚くもてなしてくれた。かの僧が曹洞宗の古則百則...一休、謙翁和尚の葬式を出せず
◎教育トレーニング環境と正師選び前任のダライ・ラマやバンチェン・ラマなどが逝去直前に次はどこに転生するなどと予言したり予言しなかったり。それでも後に残されたチベット密教幹部は、さる神聖な湖の湖面に冥想して、どこに生まれたか、どんな家に生まれ、両親はどのようだったかをビジョンする。真正なビジョンは一個しかないはずだが、なぜか数個の転生活仏候補が選定され、摂政などが、どれをダライ・ラマにするかバンチェン・ラマにするかを定める。首尾よくダライ・ラマに選ばれても、摂政の意向か何かは知らないが、過去14人のダライ・ラマの半数以上が成人する前に亡くなり、今のダライ・ラマ14世は、稀な長寿と言える。先代のバンチェン・ラマは、中国共産党の下で独房生活8年以上など、バンチェン・ラマとなったのが良かったのか悪かったのか。ダライ・ラ...選ばれなかった転生活仏候補
◎一休から人類大量死まで聖人、聖者が自ら自殺しようとしたことがあったことを語るのは、そう実例が多いわけではない。せいぜいが、古くは一休であり、最近ではダンテス・ダイジであり、チベット密教ではミラレパ。出家とは、自分の生きる宇宙から遁走することであるから社会的には自殺だが、実際に自殺に踏み切ったとなると、社会的もへったくれもなく、一種の狂気にいないとそうはならないのだろうと思う。一休は、17歳で謙翁の弟子となったが、4年後に、謙翁は逝去。突然の師の喪失に行き場を失った一休は自殺を図った。臨済禅は、気力だ、胆力だとやるものだから自殺ということから縁遠いものかと思われるが、精神を操作すれば何でも起きるもの。自分が死ぬ、大死一番などという世界なのだから本来自殺があってもおかしくはない。祖師の一人が自殺未遂経験者というの...聖者の自殺未遂
◎稚児の道など日本人全体を腑抜けにするためかどうかは知らぬが、マスコミではおかまタレントが全盛である。キリスト教世界では、同性愛は有無を言わさず異端であり、何でもありの中国では古代よりあるものはあるという立場であったから、始末におえない。ラスト・エンペラーは両刀使いだったらしい。日本でも戦国武将、侍の衆道は広く行われ、ご禁制ではなかったが、江戸時代になると君主が衆道に入れ込み過ぎて、お世継ぎができないことがあって、周辺が苦労した逸話は出てくるもの。なんと武士道の鑑、葉隠にも衆道のことが出てくる。鍋島藩の衆道名人にこれを語らせている。それによると、若い頃にホモで乱倫するのは娼婦と同じ男娼であり、武士としての面目を失う。武士にとっては、殉ずる君主がまず第一であり、恋うる気持のあまりあちこちの男と浮名を流すのは、武士...葉隠と魂の伴侶
◎死がちゃんと理解されていない一休骸骨から。『何事も皆な偽りの世なりける死ぬると云うも真ならねばみんなの迷いの眼から、肉体は死ぬが魂は死なないというのは、大きな誤りである。悟っている人の言葉では、身も種(魂)も同じく死ぬという。仏というのも虚空である。天地国土一切の本分の田地に帰るべきものである』これは、サラサラと読めるような気がするのだが、さに非ず。魂も死ぬとはどういうことか説明がないからである。ダンテス・ダイジ流の輪廻転生観では、Aさんは、死後本分の田地に帰り、Aさんによく似たA‘さんとして出生してくるが、それはAさんそのものではないから、厳密に言えば輪廻転生ではない。一休骸骨は、そういう立場で言っているのか、そこをわかっていっているのかが、非常に興味の沸くところである。これは禅の伝統的な言説より突っ込んだ...一休骸骨、肉体だけでなく、魂も死ぬ
◎あらゆる宇宙を包含する第六次元七つの身体とは七つの次元だから、それは七つの世界のことである。この肉体・物質世界にも、地球のような生物の棲む惑星がいくつかあるだろうことは予想されている。また仏典を読むと一念三千世界など、無数のアストラル世界があることが言及されている。またダンテス・ダイジのクンダリーニ上昇プロセスでは、頭頂から肉体を離脱し、一直線に金色の光線となってあらゆる宇宙を包含するところの第六次元までを通過したとしている。一般に世界には、時間軸と空間軸が厳然と不動のものとしてあるという大前提を以って世界と考えがちだが、時間も相対的で揺らぎ、空間も相対的で揺らぎ、物質、肉体も変化する世界があり得ると、先哲は語っている。実体験した人は、実感としてそれを語り得るが、証明は同一体験を有する者に対してしかできない。...七つの身体、七つの世界
◎本当の息の一筋(ひとすじ)マーヤは幻想。あらゆるものは、すべて滅び、あるいは死ぬ。だから現実とはマーヤでもある。そういう真相を知る人があるかと思って、人気のない仏堂に籠って一夜を眠れぬままに明け方になって、まどろんだ。その夢の中で仏堂の後ろに行ってみたら多くの骸骨たちがいて、その振る舞いは別々であって、まるで生者のようだと見ていると、ある骸骨が歩み寄って詠むには、思ひ出の有るにもあらず過ぎ行かば夢とこそなれあぢきなの身や(何か特に思い起すこと(求道)がないままに一生を過ごしてしまえば、夢のようなものである、味気ないこの身よ)仏法を神や仏に別かちなば真の道にいかが入るべき(仏法を本来一つである神道と仏教に分けてしまえば、真(まこと)の道に入ることはできない)しばしげに息の一筋(ひとすじ)通う程野辺の屍(かばね)...一休骸骨、マーヤとしての現実
◎結果を先に見て原因を改める映画やドラマを逆回しにして見ても、音声は聞き取れないし、動作は奇妙なので意味不明なことになる。だが、音声も動作も出来事もわかる状態で逆回しで見れるシチュエイションがある。それは、前世記憶を見る場合である。これはOSHOバグワン(死・終わりなき生)が語っているのだが、自分の人生を遡って行って、3歳付近のことを思い出し、出生時のことを思い出すと、やがて子宮を選ぶシーンも見る。その次に前世における自分の死を見て、前世で離婚したのならば、離婚して、子供ができて、結婚して、恋人になって、また我が少年時代を見るというように、結果を先に見て原因を後で見る。こうした前世を逆順に見ることは、大悟覚醒した後に、いわゆる宿命通を発揮した場合に見ていくことができるという。この例で言えば、前世で離婚を経験した...人生を逆順に見る
◎ケルト、アーサー王伝説、ギリシア神話リンゴは、キリスト教、ユダヤ教以外でも重要なシンボルであった。ケルトでは、リンゴは再生、永遠の生、豊穣多産の意味があり、その上黄泉の国でもリンゴは育ち、春に女神オルウェンが死者を復活させるまでの間、死者の食べ物になっていた。アーサー王伝説では、モルドレッドとの激戦を終えた瀕死のアーサー王は、リンゴの国アヴァロンへ女神たちによって運ばれた。処女にはユニコーンが付き物だが、ユニコーンの棲家は、リンゴの木の下である。ユニコーンは処女の懐で大人しくなる。ギリシア神話では、ヒッポメネス(男)は、アタランタ(女)に徒競走で勝つためにウェヌスから黄金のリンゴを貰って勝利することができた。またヘーラーとゼウスの結婚の際に、ガイアから不死を得られる黄金の林檎の木が贈られた。このヘーラーの果樹...リンゴ、象徴としてのアップル-3
◎葉隠武士道とは、死ぬことと見つけたりの葉隠に武士の子供の育て方が書いてある。おそらくはスパルタ教育だろうと想像するが、実はそれとは全く異なることを言っている。1.幼い頃から勇気を持たせるようにする。2.かりそめにも脅したり騙したりすることはいけない。幼少の時から臆病であれば、武士としては一生の傷となる。3.雷が鳴ると更に怖がらせ、暗がりに行かせまいとして更に怖がらせるようなことを言ったり、泣き止ませようとしてもっと恐いことを言うと、子供が怖気づく。4.幼少の時に強く叱ると気弱になるので、そうしてはいけない。要するにのびのび育てないと、幼少に勇気凛々な気質は育たないということ。だが少年から青年にかけて依然として怖いもの知らずだと、多くはろくでもないことをしがちだが、ここではあくまで幼少期の育て方に限ったアドバイ...子供を武士に育てる
◎知恵の木と生命の木旧約聖書の創世記。エデンの園の中央には、二本の木が生えている。一本は知恵の木で、もう一本は生命の木。知恵の木とは善悪を知る木であり、神が食べることを禁じた。この木の実がリンゴであり、蛇がイブに勧め、更にイブに勧められたアダムがこの知恵のリンゴを食べて、人間に生と死が発生することになった。これがappleの齧られた林檎。悪いのは蛇みたいに描かれているが、人間が知恵なる自我の膨張、発達過程をへて神に至るカリキュラムに思い至り、リンゴを食べて知恵の木の限界を知れば、やがてもう一本の木である生命の木にとりつくのは、順当な成長と言うべきものだと思う。生命の木にとりつくとは、やがて惨めで情けない自分が死なねばならないということ。ユダヤの生命の木は10球であり、人間の10チャクラをシンボライズする。古事記...リンゴ、象徴としてのアップル-2
◎黄金のリンゴ象徴としてのアップルと言えば、一時日本のスマホの7割を占めていたアップル。かじられたリンゴのマーク。アップルとは、何かと言えば、ニューヨークのマンハッタン島だと言い、極東なら香港島だとも言う。そうではなくて、リンゴが多くのリンゴを生むためにはまず腐敗する。あるものの腐敗は別のものの発生。その腐敗は、死と再誕のための腐敗であり、次に第一質料(プリママテリア)への回帰し、最後は万物の創造の源への帰還へと進む。錬金術書太陽の輝き(サロモン・トリスモシン。16世紀)の第七図(出典:ウィキペディアhttps://en.wikipedia.org/wiki/Splendor_Solis)の本文では、年老いた王が海で溺れ(右上)、後継者としての息子として再誕する。彼の持つ王笏には、七惑星が正しい順序で並び、三つ...リンゴ、象徴としてのアップル-1
◎総員死ニ方用意年をとると若い時には読めなかった文章が読めるようになり、頭の中に入ってくることがある。「巨大戦艦大和~乗組員たちが見つめた生と死~」NHK特集は2012年の番組だが、これもそうしたものの一つ。東日本大震災の翌年によくこういう番組を作ったものだくらいのショッキングなものだった。サイパン島のバンザイ・クリフは集団自決として有名だが、それよりひどいのがテニアン島にあった。昭和19年テニアン島邦人15000名中16歳より45歳までの者全員3500名義勇隊に編成し、老幼婦女子は集結の上爆薬により処決したそうだ。日本帝国軍が自分で天皇陛下の赤子に手をかけるとは、何をかいわんや。沖縄でもここまではやらなかったのではないか。それはさておき、戦艦大和。戦艦大和の最期は、高校だかの教科書に日銀方の文章で書かれてはい...戦艦大和沖縄特攻
◎認知症、発狂、クンダリーニ上昇これは、思いつきだが、それぞれのシーンについて毎度感じていることでもある。1.ムラダーラ・チャクラとクンダリーニは、無条件でいつも接続しているものと思われがちだが、そうではない。人間という認知形式は、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニが接していてのこと。その条件のもとに社会を認識して社会性が成立する。2.それは、ダンテス・ダイジ説である。ダンテス・ダイジは、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニの分離が、クンダリーニ上昇プロセスの一段階で発生することがあることを示している(ニルヴァーナのプロセスとテクニック)。加えて、発狂する時に、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニが分離することも談話の中で述べている。3.人間は、その死に際してムラダーラ・チャクラとクンダリーニは分離する。死に際して...人間の社会性とクンダリーニ
◎価値の逆転への道中国共産党は、2千年にわたる親孝行思想を排斥し、共産主義を絶対的崇拝の対象である「親」と入れ替えるために、「親」を徹底的に攻撃した。1966年から10年間行われた文化大革命時には、革命的ではない「反革命」という罪状のもとに子が親を多数の他人の前で吊し上げ、暴行を加えたり、リンチ殺人を犯すことすら奨励された。(このようなエピソードは、文化大革命時代の本を読めばいくらでも出てくる)これによって、「親孝行」を中核とする儒教的道徳観は姿をひそめ、行儀所作が乱暴であることが「革命的」であると広く評価される共産主義洗脳社会は確立した。ところが、家族をも政治が破壊することで、もともと高いとは言えなかった公徳心を更に低下させ、強き者である政権に屈従する感情はさらに複雑さを増した。そうした中国人が今大量に日本に...洗脳と回心の違い
◎人間の究極の救済教は細々と戦後の新興宗教は、現世利益を旗印にして大をなしたものが多い。現世利益教は、築き上げた財産をあの世に持っていけないのを承知しつつ、我が教団に入信すれば現世利益が大いに得られるなどと説くのだろう。先日、さる禅宗の坊さんと話す機会があったが、彼は禅宗には現世利益なしと説きつつ、檀家が現世利益教に奪われるのを嘆いていた。現世利益教は、人間関係、近所関係、職場関係で攻めてくるものだから、現世利益のない禅宗はなかなか正面からの反論ができにくいと、ぼやくでもなくぼやいていた。人間の側に、人間である以上は、何かうまい手があるわけではない。人間である以上は根本的な救いはないというところを強調していけば、むざむざ現世利益教にしてやられることはなかったのではないか。『人間である以上、人間に救いなどない』と...現世利益と死あるいは新興宗教
◎OSHOバグワン説一つの肉体に複数の魂があり得ることをOSHOバグワンも語っている。彼は漠然と人間全体はマンツーマン輪廻転生であることを仄めかし、普通の人は、チベット死者の書に見るように、死後何百組の人がセックスしているのを目撃し、その場で次の転生のための適当な子宮を決めるとする。ところが、特に優れた魂と特に劣った魂は、適当な子宮がみつかりにくく、そうした場合に、転生先が見つかるまで『肉体なしの魂』が発生する。ところが、劣った魂ほど肉体にまつわる食欲、性欲などが旺盛なものだから、隙あらば空いている肉体になんでもいいから入り込もうとする傾向がある。さて、ここに臆病な人がいて、やたらに恐怖する。幸福だと、人は膨らむが、恐怖すると人の魂は縮まる。すると肉体の大きさはそのままに魂は縮むので、肉体の側に魂が入り込む空っ...一つの肉体に複数の魂
◎アメリカの薬物ジャンキーなライフ・スタイル2019年8月1日ドナルド・トランプ米大統領は、中国からの輸入品3000億ドル(約32兆円)相当に10%の制裁関税を課すと発表した。さらにトランプ氏はTwitterへの投稿で、習近平国家主席はフェンタニルの米国への売却をやめると言ったが、これも実現せず、多くの米国人が死に続けている!」と主張した。フェンタニルの方は聞きなれないので、スルーした人も多かったかもしれない。フェンタニルは強力で依存性のあるオピオイド系鎮痛剤。オピオイドと言えば、トヨタ自動車のジュリー・ハンプ常務役員(55)が2015年6月18日、麻薬取締法違反の容疑のため、滞在していた都内のホテルで逮捕された事件があった。中身が「ネックレス」と記載されていた米国からの国際宅配便の小包に、麻薬成分の「オキシコ...フェンタニル
◎激痛と無意識OSHOバグワンの説法は、1960年代、70年代、80年代と下がるにつれて、通俗化するところがあるように感じる。それは聴衆のレベルに対応するところだとは思う。例外的に晩年に世界各国が入国を認めず、お尋ね者みたいになってからは、よりdeepな説法が出されている。1960年代の説法で、出版されているものは数少ない。その当時の聴衆は、インド人が多かったせいか、深遠な内容を余計な注釈なしにダイレクトに述べるものがある。彼は、20世紀初頭にインド人の王が2時間ほどの開腹外科手術を麻酔なしで受けたことについて述べている部分がある(死・終わりなき生/OSHOバグワン/講談社P52)。これは、自分を肉体意識から退行させてできる技ではある。これについて彼は、死とは最大の外科手術であると言ってのける。曰く、死とは全生...外科手術としての死
◎異郷の客の悲しみノン・デュアリティの実感が、今ホットなトピックらしい。生死一如と口で唱えることは恐ろしく簡単だが、生死一如を生きるのは、悲しみの極みであり、孤独の極みであるとする。それはなぜだろうか。ダンテス・ダイジの詩集「絶対無の戯れから」『私は私という心身の異郷の客であり何一つとして私のかつて見知った事柄はないこの悲しみが人間に理解できるだろうか私達はこの世では孤独であり続ける私達の眼は私達の故郷を見知らぬものとして眺め私達の家族を初めて見るこれは私達の眼がかすんだゆえではない私達の眼がより透明になったせいだ何もかもが常に未知なものとしてあり何もかもが常に新しい何もかもが未知な新しさであれば私達の脳髄は尽虚空中に砕破する死はなんと私達の身近にあったことだろう最も身近な死だけが人類の唯一最大の教師だ手足を放...ノン・デュアリティの実感とは何か
◎人間の進化と循環、そして輪廻転生人は、朝はより神に近く「人間」だが、日中のありとあらゆることで混乱し、夕方にはより神から遠い「獣」となる。夕刻には、世界の雰囲気は一変し、更に猥雑なアルコール、ギャンブル、エロス、騒音などの世界に沈没する人もいれば、静かな夜の闇に自分を見つめ直す人もいる。夜は概して「獣」優勢の世界だが、夜が更けると、人は休息し、朝を迎える。人が神・仏になることを一つの目標とする輪廻転生という視点では、紆余曲折はあるが、あるいは一時的な退歩はあるかもしれないが、長期的に見れば後戻りすることはないのだと思う。日本や中国では、覚醒後でも人間は存在するが、インドでは覚醒したら終わりなどという違いのことはここでは言わない。文明全体の無明への沈降から覚醒への上昇到達、そしてまた無明への沈降へという巨視的循...朝は人間、夜は獣
◎戦前以上の思想統制の足音新聞を取らずニュースを見ない人々は中高年だけかと思ったら、青少年・若い人にも増えており、愕然とした。例えばオレオレ詐欺防止策の宣伝をテレビなどで盛んにやっているが、ニュースもほとんど見ないのでは、世の流れの変化についていけてないどころか、世の流れに関心を持たず生きているということである。これは社会性の喪失の初まりであり、スマホを持って動画や漫画やモバゲーばかりやっていて時事ニュースを見ないけれども、人間関係はフツーにこなしてはいる人々は、一朝事あればニート・ひきこもりに転化する可能性を有している。それほどまでに日本は平和であり、治安が良好であり、お人よしが大量に生息し得たので、期せずして家畜型人間がここまで増えてしまったのだろう。古代ローマでは、市民に対して皇帝が見世物と食べ物を十分に...ニュースを見ない人々
◎自己催眠を脱却するには肉体も精神も暗示に従う。その一方で、日々仕事やら家事やら勉強やらをやるには、暗示の複合である一定の緊張を伴う。ものによっては長時間の緊張を必要とするものがあり、そうした緊張の後は肉体も精神もリラックスを求める。人は最初に肉体がリラックスし、脈拍が落ち、呼吸が落ち着き、その後頭がくつろぐ。頭の中で緊張のネタが回っていつまでもリラックスできない場合、何らかの暗示を自分にかける。緊張しっぱなしは身体に悪い、テレビを見れば気がまぎれる、風呂に入ればゆっくりするなど・・・。頭=マインドのシーンを変えるのだ。そこでリラックスできれば、催眠の効果は終わり、自分を見るという冥想に入れる。人は、嫌ったり怖がったりいやがったりする当のものに、逆に引きつけつけられ、魅せられるということがある。だから同じシーン...自ら催眠にかかる
◎それでも善いことをして悪いことをしない外気温が、日中になると、仕事場の気温もエアコンは26度設定だが、28度くらい。夜間から早朝に自宅でも外気温は28度くらいだが、室内は前日日中の暑さで温まっており、28度くらい。大学生の時に、エアコンのない下宿にいたが(当時はそれが普通)、暑くて堪えられないときは、涼しくなるというヨーガ呼吸法などをチャレンジしてみたが、あまり効果があるとは言えなかった。長時間座り切りでいるわけでなく、家事やら、雑事やらするからである。今は、エアコンの下でやる方が何かとはかどる天候の時代になってしまったし、昔は連日35度以上などということは滅多になかったのではないか。このクレイジーな暑さの時期の2020東京オリンピックの無謀さよ。こうした乾いた猛暑の夏は、ノストラダムスのセザールへの手紙の一...猛暑を耐える
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