娘が大学生になって、女子大生風ファッションをするようになって思ったのは、私が大学生の頃と時代の違いです。
成績が悪い子供は一筋縄ではいかない・・・ そんな娘の夢を応援したいと思います。
中学に入って成績が底辺まで落ち込んだ娘が高校生になりました。 うちの子はなぜ勉強しないのか?また、壮絶な反抗期を振り返って、反抗期とは何だったのか?思春期の娘の変化と、揺れ動く私の気持ちの変化、不安、勉強ができない子を持つ母親としての悩みを書き綴っていきます。
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娘が大学生になって、女子大生風ファッションをするようになって思ったのは、私が大学生の頃と時代の違いです。
私には学生時代からの男友達がいました。 その友達とは共通の友達がいて、飲み会で一緒になったり、時々電話でだべったり、遊びに行ったりしていました。
1月20日、円錐切除の手術の説明を受けるために、病院へ行きました。 ダンナが朝8時頃会社に行った後、私は猛スピードで掃除などの家事をして、朝9時頃に家を出ました。
娘が高校生の頃はほとんど制服だったし、洋服を買う時は、アウトレットかバーゲンの時に一緒に買物に行き、洋服を買ってあげました。 娘に買ってあげた洋服はほとんどがアウトレットかセール品で、金額は高くても一点が4000円~5000円の服でした。 高校の時は娘は時々私のクローゼットをあさって、私の服や靴を履いて行く事もありました。
娘が実際に通う事になった第一志望(A学科は不合格、B学科に入学)の大学に関しては、ダンナと私の見解は一致しました。
診察の後、術前検査を受ける事になりました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle …
高校2年生から3年生まで続けていたボランティアでは、できれば大学生になったらバイトとして来て欲しいと言われました。 ==> 高2から続けているボランティア・・大学生になったらバイトとして続けて欲しいと頼まれる 娘は満更でもないような顔でどうしようかなと言ってましたが、実際に大学に入学すると、大学とイベントスタッフの…
娘が大学に入学してしばらくしてから、私は大学選びは間違っていなかったと確信しました。 …
高度異形成と診断された私は円錐切除の手術を受ける事を決意し、転院先の病院で2泊3日の入院と手術の日程を決めました。 私は術後、いつ頃から出勤していいのか気になるので、聞いてみました。
娘は大学生になってから、自分のお小遣い(バイト代)でインテリア用品や家具、家電などを買ってくるようになりました。 一緒に買い物に行く時は私がお金を出しますが、娘が買ってきて、サプライズみたいに夜私が寝た後とか、いない時に設置する事もありました。
以前、番外編として、Facebookで連絡を取っていた独身時代の男友達の話を書きましたが、この話は別の男友達の話です。 今回書く男友達は、大学時代からの男友達です。
子宮頸がんの検査で高度異形成という結果が出てしまったため、2泊3日で円錐切除の手術を受ける事になり、転院先の病院の診察室で、手術の日程を決めました。
東大に通う同級生で親戚(私の従妹の子供)のB君の学生寮に訪問した娘はその後もLINEで連絡を取り合っているようでした。
娘が大学生になってから変わった事は、ほとんど家で夕食を食べなくなった事です。 (…
内診が終わり、診察室に戻りました。 そして、手術の日程を決める事になりました。 …
娘はその後、東大で同級生の親戚B君とLINEで連絡を取っていたようでした。 従妹家族と会った時に、娘が大学で使うために買った文房具一式がB君の荷物に紛れ込んでしまい、間違えて持って帰ってしまったのです。
仕事で受けなければならない2度目の資格認定試験は早目に勉強を始めて、合格ラインに達した感覚はありましたが、それでも絶対に受かる自信はありませんでした。
近所の総合病院で受けた子宮頸がんの検査で中度異形成が高度異形成に進んだと診断された私は、円錐切除の手術を受ける決断をしました。 そして、紹介状を持って別の病院に行きました。 予約の時間になり、名前を呼ばれました。 担当の先生は、近所の総合病院で週に1回、外来の診察をしている先生と同じ先生でした。
ある時、私は娘と大学で使う文房具一式を買いに行きました。 娘が大学で少しでも勉強をやる気になれるような文房具を選びたいと思って、私は「こんなのがいいんじゃない?」と娘と一緒に文房具を選びました。 あれもこれも買おうとする私に対して、娘は「そんなに使わないよ」と言いましたが、それでもノートやファイルなどを選びました。
2度目の資格認定試験の日程が2週間後に迫ってきた頃、私は苦手な同僚からメール攻撃を受け、PTSDのような症状になってしまいました。
1月下旬頃から、娘が「スマホが壊れた。電源が突然切れる」と言い出しました。 私は、「電源が切れるんだったらまたつければいいじゃない」と相手にしませんでしたが、娘は「2ギガじゃ足りない!1週間で速度制限がかかる。調べ物もGoogleマップもできない」とすごい剣幕でした。
ダンナの存在の私は、ある時、「ダンナ ストレス」などで検索したりしていました。 そして、このブログを書き終えたら、「ダンナがストレス」というタイトルのブログでも書こうかなと考えていました。
1月最後の日、会社帰りに実家に寄ると、甥がいたので、話をしました。 娘には年の近いいとこや親戚が数人いますが、娘以外はみんなそこそこ賢いのです。 国立大に行った子やT大志望の子もいました。
ダンナを見ていると、男性は仕事が原因で心の病になる場合が多くて、女性は子育てが原因でメンタルをやられる事が多いのではないかと思います。 ダンナは育児に関しては、他人事で、娘が反抗期でも、成績が底辺まで落ちても、対岸の火事のように見ていたので、メンタルがやられるという事は全くありませんでした。
子宮頸癌の検査を受けた翌週、有給を取って検査結果を聞きに近所の総合病院へ行きました。 …
大学の入学手続きも一段落してほっとしたある火曜日、登校日だという娘は朝6時頃起きました。 初めてひとりで新幹線に乗って中学生の頃の友達の家に行った事が何らかの刺激や影響を与えたのか、高校に入ってから朝食を食べなかった娘が、学校のある日も家で朝食を食べるようになりました。 学校がある日は娘の方が家を出るのが早いので、娘のパンを先に焼き、娘が6時半過ぎに食べ終わりました。
娘の高校は遠くて、朝早い事もあって、高校に入ってから娘はあまり朝食を食べなくなりました。 何だったら食べる?何を食べたい?と聞いても、朝ギリギリに起きるので、食べないで出かけていました。 私もダンナも朝食はしっかり食べる派だったので、健康面でも娘が朝食を食べない事は心配していました。
イベントスタッフのバイトは単発で入れるので、大学生になっても続けたいそうですが、配置先によって明るいカラーはダメ、ピアスは外すなどの制限があるので、娘は「カラーは暗い色にする。ママくらいの色がいいな」とか、「ピアスはやめる」と言い出しました。
1月も下旬に近づいてきました。 ある時は、朝5時に家を出てイベントスタッフのアルバイトへ行きました。帰りは夜9時頃でした。
ダンナは、3社目の会社でパワハラを受けました。 会議には呼ばれず、社内メールのアドレスも貰えなかったそうです。
大学手続きのために有給を取った日の午後は子宮頸がんの精密検査でした。 私は中度異形成の事はあまり考えないようにしましたが、以前の検査の時手術の話も出たので、待合室で待っている間、いろいろ調べてみました。
センター試験の翌週の平日、私は有給を取っていました。 (adsbygoogle = window.adsby…
センター試験の日、娘はなかなか帰ってきませんでした。 私は大学の入学書類を最終チェックしました。
正式な合格通知が届く前にセンター試験を申し込んでいたので、娘は試験を受ける事になりました。 センター試験前日、娘はクラスの友達とジムに行ったそうです。
娘のボランティア先では慢性的な人で不足のようで、4月からバイトに来てとお願いされ、4月からの話もしたそうです。 大学の健康診断の書類と、細菌検査が必要になるそうです。
1月中旬、父に娘の大学の保証人になってもらうために実家に行きました。 父は、「〇〇ちゃん、いい子になったね。挨拶ちゃんとするし。」と言いました。
ダンナは3回転職しましたが、1社目では、残業100時間を超えるブラック企業でした。 残業100時間は過労死レベルだと私は思ったので、私は、「働くもののいのちと健康を守る全国センター」に相談しました。
1月の中旬、初めてのひとり旅に行ってきた娘は、山のようなお土産を持って夜9時半頃帰宅しました。 お友達とお揃いで買ったというスカートを履いていました。
1月中旬、娘が初めてのひとり旅に行きました。 行き先は関西。 (adsbygoogle = wi…
1月の2週目のある日、娘は初めてのひとり旅のために荷造りをしていました。 中1の時に塾で一緒で関西に引っ越してしまった友達の家に新幹線で行くのです。 娘の出発は三連休の土曜日。