私が生まれた昭和30年代から出会った本やテレビ番組、流行歌のことなどを書く。
昭和30年代、北関東の田舎にに生まれて、過ごした少年時代は、近くに本屋はありませんでした。情報の仕入れ先はもっぱらテレビからでした。テレビから得た情報は、いつか本とリンクしてゆき、大学卒業後は出版社に勤め、やがてひとりで書房を経営するようになりました。私が歩いてきた50年間、そこで見た日本のカルチャーシーンを、自分なりに分析しています。
女優談義は続きます。 小川真由美という女優もいましたね。テレビドラマにもたくさん出ていたし、時代劇にもたくさん出ていました。普通の美人というのでなく、どこかに愛らしさを秘めつつ、コケティッシュなところのある人。異色作としては、寺山修司の最後の映画「さらば箱舟」にも出ていました。 寺山と言えば、渋谷のジャンジャンには、時々見に行ってました。ミカリという女優もいました。漢字3文字のミ・カ・リ、ど…
大学入学で東京(初めは事情があって横浜でしたが)での生活となります。そろそろ横浜・東京編に突入といきたいところですが、その時代はテレビをあまり見ていませんでした。映画や観劇やサークル活動などで忙しく、独り暮らしだと、テレビ見ませんねえ。 まだ、もう少しテレビがらみの話をしたいです。 前にも書きましたが、テレビはよく(そのころ=昭和40年代)すでに古いものをよく放送していました。 時代劇は、子…
海江田万里さん、民主党、漢詩の精神に還ろうではありませんか。
閑話休題。 前回は当選した山加朱美さんのことを書いたので、今回、敗軍の将となられた海江田万里氏についても、ひとこと。 海江田さんは、もとも国会議員だった野末陳平さんの秘書を長くされていたというだけあって、漢文の素養は凄いのである。野末さんも、タレント稼業のような時代が長く、そして国会議員になられたため、当時流行したタレント議員の一人という評価が一般的だ。しかし、彼の中国古典の素養はなみのものでは…
「走れ歌謡曲」パーソナリティーから都議へ・・・山加朱美さん。
閑話休題。 6月22日(日)の都議選で、練馬区から立候補の山加朱美さん、みごと連続当選を果たした。4期というから、たいしたものである。 私の知る山加さんは、文化放送「走れ歌謡曲」のパーソナリティーだった。まだ、20代後半だったと思う。 声も美しかった。(声も、というのは、お顔も、という意味が込められている。なにせ20代前半は飛行機の客室乗務員だった。) 練馬区に住んでいない私は、残念なが…
大仏次郎の『天皇の世紀』は、とてもあの『鞍馬天狗』を書いたのと同じ作家とは思えぬくらい、格調の高い文章であった。 大仏次郎は、1897年、神奈川県の生まれ。 代表作は、『鞍馬天狗』(1924-1965)、『赤穂浪士』(1929)、『帰郷』(1949)、『パリ燃ゆ』(1964)、『天皇の世紀』(1969-1973)。現代小説、歴史小説、ノンフィクション、さらには新歌舞伎や童話まで手掛けた作家である。 …
田中角栄政権始まり、日中国交正常化でパンダ訪日、国際的には混沌とした時代
1972年で、書きもらしたこと。 この年7月、田中角栄が総理大臣に就任。角栄の著書『日本列島改造論』はベストセラーになりました。現職総理が、今後の日本を改造するビジョンを展開した本として売れに売れたのです。私だって手にしました。読んでいて、細かいことはわからないまでも、とにかくこの日本をブルドーザーで住みよい国に改造します、そうすることの「メリット」はコレコレ、しないことの「デメリット」コレコレと主…
1972年 「坂の上の雲」ベストセラー街道、発進!あっしにはかかわりのねえことで・・・
テレビ「木枯らし紋次郎」(「あっしにはかかわりのねえことで」といいつつも、事件に巻き込まれる紋次郎。三度笠にカッパをからげたスタイル、口には大きな楊枝をくわえ、バッサバッサと悪人を切る。主演の中村敦夫はこれだけで顔を売り、のちに国会議員になる) 「太陽にほえろ!」(ボスは石原裕次郎、露口茂や、竜雷太らが脇を固め、松田優作ら若手を起用し人気のあった刑事もの)「必殺仕掛人」(池波正太郎原作の勧善懲…
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