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  • 第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)

    訪問日:2018年4月吉田城は愛知県豊橋市にあったお城です。続日本100名城にも選ばれています。背後に豊川を抱いた微高地に築かれたこの城は戦国時代初期の1505年に国人領主である牧野古白(まきのこはく)によって築かれたとされます。戦国時代には今橋城と呼ばれ,東三河を支配する上で重要な拠点であったため,牧野氏や戸田氏の争奪の場となりました。やがてこれが拡大し駿河・遠江の大大名 今川氏と 西三河の松平氏の争奪の場と...

  • 第374回:[三河]野田城(野田菅沼氏の奮戦,信玄狙撃の伝説)

    訪問日:2018年4月野田城は愛知県新城市にあったお城です。市史跡に指定されています。奥三河の有力豪族であった菅沼氏一族の菅沼定則(すがぬまさだのり)により1508年に築かれたとされます。その後も子の定村,孫の定盈(さだみつ)までの三代にわたり野田菅沼氏の本拠地となりました。野田菅沼氏は今川氏と松平氏の間を帰属先を変えながら生き延び,菅沼定盈の時代には今川氏より独立した松平氏(徳川氏)に従い行動します。武田...

  • 第373回:[三河]亀山城(山家三方衆 奥平氏の居城)

    訪問日:2018年4月亀山城は愛知県新城市にあったお城です。奥三河の豪族 山家三方衆(やまがさんぽしゅう)の一つとして知られる奥平氏が1424年 奥平貞俊が当主の時に築き,それまでの本拠地であった川尻城より居城を移しました。戦国時代 奥平定能(貞能)と信昌 親子の時代に武田氏と徳川氏の間を上手く泳ぎ切り名を上げます。徳川氏に転じた後の1575年 長篠城主となっていた奥平信昌は1万5千とも言われる武田氏の包囲を耐え抜き...

  • 第376回:二連木城(東三河の国人 戸田氏の本拠地として今橋城に対抗)

    訪問日:2018年4月二連木城(にれんぎじょう)は愛知県豊橋市にあったお城です。仁連木城と表記することもあります。現在の渥美郡(現在の 豊橋市や田原市)に勢力をはった国人領主の戸田氏の中興の祖とされ戸田宗光が田原城に続き二連木城を築城したのは1493年とされます。同じ東三河の国人であった牧野古白は波多野時政との抗争にけりをつけ,1505年に今橋城(後の吉田城)を築きます。二連木城の西わずか1km程度の場所に築かれ...

  • 第372回:古宮城(武田氏の東三河前線基地といわれる土の名城)

    訪問日:2018年4月古宮城(ふるみやじょう)は愛知県新城市にあったお城です。市史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。築城時期や経緯については不明な点も多いのですが江戸時代の三河二葉松によると1573年 武田氏の東三河侵攻のための拠点として築かれ,武田軍の名将 馬場信春による縄張りとされています。1575年の長篠の戦いで武田氏が敗れ勢力が縮小したことにより廃城となったと考えられます。  ◆訪城前に城の...

  • 第371回:赤穂城(赤穂浪士の故郷として知られる名城)

    訪問日:2018年1月赤穂城(あこうじょう)は兵庫県赤穂市にあったお城です。国史跡に指定され,日本100名城に選定されています。15世紀の後半この場所には加里屋城と呼ばれる城があったようですが,1600年に播磨を与えられた池田輝政の弟である池田長正が赤穂に入り代を拡大し掻上城を築きました。現在の赤穂城は1645年にこの地に入った浅野長直が築城し巨大近世城郭へと生まれかわり1661年に完成しました。甲州流軍学者であった...

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