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  • 第451回:西方院山城(興福寺の軍事勢力により築城){付 鬼薗山城}

    訪問日:2022年10月西方院山城(さいほういんざんじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。興福寺の軍事勢力であった古市氏は対抗勢力である筒井氏に備えるために,現在は奈良ホテルとなっている大乗院の境内に鬼薗山城(きおんざんじょう)の築城を開始しました。途中で境内であることが問題視されたため,国道169号線を隔てた東隣の西方院山にこの城を築城しましたが,再度計画は変更され鬼薗山城を完成させました。1445年に筒...

  • 第450回:多聞山城(天守を備え近世城郭の先駆けともいわれる)

    訪問日:2022年10月多聞山城(たもんやまじょう)は奈良県奈良市にあったお城で多聞城の名前でも知られます。戦国時代の大和の支配者として力を持った松永久秀が1559年 支配拠点として眉間寺山に築城を開始し1561年に入城したとされます。現在建物は残っていませんが,各史料・文献より後の天守の元となる四層の櫓や名前の由来にもなっている多聞櫓を備えた非常に先進的な城であったことで知られ,軍事・政治の両面で優れた拠点で...

  • 第449回:椿尾下城(筒井氏を支えた椿尾氏の城)

    訪問日:2022年10月椿尾下城(つばおしもじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。築城時期は定かではありませんが興福寺の門跡である大乗院方の衆徒であった椿尾氏が築いたものと考えられており,筒井順慶と松永久秀の争いの中では筒井方として筒井氏の拠点となった...

  • 第448回:椿尾上城(筒井城を奪われた筒井順慶が本拠とた)

    訪問日:2022年10月椿尾上城(つばおかみじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。築城の時期は明らかになっていませんが,1531年には筒井氏の持ち城であったことから筒井順昭による築城の可能性が高いと考えられています。筒井氏は平城である筒井城を本拠地としていたことからこの城は詰城としての役割を担っていたようですが,1559年に筒井順慶が松永久秀により筒井城を奪われると順慶はこの城を本拠地として交戦しました。 157...

  • 第447回:郡上八幡城()

    訪問日:2021年11月郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は岐阜県郡上市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。戦国時代の郡上を支配した東氏(とうし)の拠点であった赤谷山城をめぐり東常慶(とうつねよし)・常堯(つねたか)に対抗した遠藤盛数(えんどうもりかず)が現在の八幡山に築いた砦がこの城の最初となります。これに勝利した盛数のこの遠藤慶隆(えんどうよしたか)により城と城下町...

  • 2023年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2014年の3月から始めたこのブログも次の3月から10年目に突入です。タイはバンコク暮らしも2年の任期延長にともない6年目となっています。世界中の新型コロナウィルスの影響は緩和されているものの,日本へ帰国する機会はめっきり減ってしまいました。2022年は2度帰国したのですが,1回目は出張による非常に短いものでしたので,10月末から11月頭にかけて帰国...

  • 第446回:乗政城(乗政川流域を治めた地元勢力の城館?)

    訪問日:2021年11月乗政城(のりまさじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。詳細は不明ですが11世紀末頃 平安時代の永長年間に吉川遠江守則政がこの地に居城したと郷土史に記載が残る。乗政川流域に勢力をもったであろうこの人物の名前である則政(のりまさ)がこの地の由来になったとも考えられます。城跡は現在は水田になっていますが元々は城平(しろだいら)と呼ばれています。  ◆県道440号線より見る城跡。現在は水田...

  • 第445回:萩原諏訪城(萩原郷に築かれた金森氏の支城)

    訪問日:2021年11月萩原諏訪城(はぎわらすわじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。県史跡に指定されています。戦国時代の飛騨で勢力を持った三木氏(みつきし)を没落させた金森長近は1584年 三木氏の重要拠点であった桜洞城にほど近い萩原郷に娘婿の佐藤秀方に命じて築城させたとされます。1619年 現名の一国一城令の後も参勤交代や領内管理の宿泊所である旅館として機能したようですが,1692年の出羽国転封により廃されまし...

  • 第444回:桜洞城(三木氏の冬城として知られる)

    訪問日:2021年11月桜洞城(さくらぼらじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。市史跡に指定されています。正確な築城時期は分かっていませんが,16世紀の初頭に三木直頼(みつきなおより)が築城したとされます。それ以降,三木氏代々の本拠地として機能しました。戦国時代の当主である三木自綱(みつきよりつな)が1579年に松倉城を築いて居城を移したことから息子の三木信綱が入り支城として機能しましたが,自綱は冬場は高所...

  • 第443回:鍋山城(三木氏から金森氏による支配へ)

    訪問日:2021年11月鍋山城は岐阜県高山市にあったお城です。県史跡に指定されています。築城については諸説ありますが一般に天文年間(1532-1555年)に鍋山安室(なべやまあんじつ)により築城されたと伝わります。安室には嫡子がおらず,戦国時代の飛騨国の最大勢力と言える三木自綱(みつきよりつな)の弟である顕綱(あきつな)を養子としましたが,結局 安室は顕綱に毒殺され鍋山氏は城を追われました。その後,自綱の次男である...

  • 第442回:高山陣屋(天領時代の飛騨における政治の中心)

    訪問日:2013年9月, 2021年11月高山陣屋は岐阜県高山市にあった陣屋です。現存する貴重な陣屋跡として国史跡に指定され,高山の観光名所の一つになっています。豊臣政権下より高山城を本拠地とし飛騨国を治めた金森氏が出羽国上ノ山に転封となると,江戸幕府は1692年に飛騨を直轄領である天領としまし,金森氏の下屋敷であったこの場所を政治の中心である役所を置き高山陣屋と呼びました。これ以降,明治維新まで陣屋は存続し,明...

  • 第441回:増島城(金森氏による飛騨統治を支える支城)

    訪問日:2021年11月増島城は岐阜県飛騨市にあったお城です。県史跡に指定されています。1585年より豊臣政権下の武将として金森長近飛騨国の統治者となりました。その後,本城である高山城の整備と並行して築城が始まったと考えられています。 飛騨国を掌握するための支城として飛騨古川を押さえたこの城には長近の養子である金森可重(かなもりよししげ)が入りました。 1615年の元和の一国一城令により廃城となりましたが,引続き...

  • 第440回:東町城(神岡町のシンボルの一つとなっている)

    訪問日:2021年11月東町城(ひがしまちじょう)は岐阜県飛騨市にあったお城です。市史跡に指定されており高原川の河岸段丘に位置しており一般的には神岡城として知られています。一方で歴史的には東町城というのが正しい呼称です。河川と街道を押さえる交通の要衝として機能した考えらています。正確な築城年代は分かっていませんが,16世紀後半に武田信玄の家臣である山県昌景が江馬時盛に命じて築城させ飛騨・越中攻略の拠点とし...

  • 第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)

    訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄としえ知られる江馬氏が高原郷(飛騨市神岡町)に入ったのは13世紀の中頃と言われています。江馬氏は室町幕府直属の武士であったことが史料からわかっており,この下館の利用は14世紀には始まったと考えられています。14世紀末から15世紀になると堀や庭園が設けられ発展し現在の姿へ...

  • 第438回:高原諏訪城(北飛騨の雄 江馬氏の本拠地)

    訪問日:2021年11月高原諏訪城(たかはらすわじょう)は岐阜県飛騨市にあったお城です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。14世紀 室町時代より飛騨国の北部にある高原郷(現在の飛騨市神岡)に勢力を持った江馬氏の本城として知られます。当初は下館である江馬氏館を中心に治めていたようですが,16世紀に入り戦国時代となると飛騨国南部で勢力を拡大した三木氏(みつきし)等との勢力争いの中で山城である高原...

  • 第437回:安祥城(家康の祖先が本拠地とした)

    訪問日:2021年11月安祥城(あんじょうじょう)は愛知県安城市にあったお城です。市史跡に指定されています。安城城とも書きます。正確な築城年代や築城者は分かっていませんが、室町時代 15世紀前半に和田親平がこの地を治めていた頃の築城と言われます。戦国時代の1476年頃に松平信光がこの城を奪い取ったことにより歴史の表舞台に登場します。以後,徳川家康の祖父である松平清康が1524年に本拠地を岡崎城に移すまで4代にわたっ...

  • 第436回:岡崎城(徳川家康誕生の城として知られる名城)

    訪問日:2021年11月岡崎城は愛知県岡崎市にあったお城です。市史跡に指定され日本100名城に選定されています。前身となる城は現在地より南の明大寺にあり15世紀前半に三河国守護職にあった仁木氏の守護代であった西郷稠頼(さいごうつぎより)によって築城されたとされます。 西郷信貞が当主の時代の1524年に徳川家康の祖父に当たる松平清康により攻略され岡崎は松平氏の本拠地となりました。その後,1531年頃に現在地に移され本格的...

  • 第435回:田峯城(奥三河に勢力を持った田峯 菅沼氏の本拠地)

    訪問日:2021年11月田峯城(だみねじょう)は愛知県北設楽郡設楽町にあったお城です。奥三河で重要な勢力であった作手の奥平氏,長篠の菅沼氏とおもに山家三方衆と呼ばれた田峯 菅沼氏の本拠地です。築城は1470年 菅沼定信によるとされます。歴史が大きく動いたのは1575年 当主の菅沼定忠と家老の城所道寿は武田勝頼方として長篠の戦いに参陣するも敗退。親族の菅沼定直や家老の今泉道善に謀反に起こされ城に戻れず命からがら敗走...

  • 第434回:長篠城(長篠の戦いにおける籠城戦)

    訪問日:2021年11月長篠城は愛知県新城市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城に選定されています。豊川と宇連川(うれがわ)が合流する地点の断崖にあるこの城は1508年に山家三方衆として知られる奥三河の主要国人であった菅沼氏の菅沼元成により築城されました。 織田信長と武田信玄の争いが表面化すると菅沼氏は武田方に属することになりましたが,1573年に織田方の徳川家康に追われ,その代わりに1575年 奥平信昌が...

  • 第433回:水茎岡山城(足利将軍の避難所にもなったことで知られる)

    訪問日:2021年11月水茎岡山城(すいけいおかやまじょう)は滋賀県近江八幡市にあったお城です。1508年 室町幕府11代将軍であった足利義澄は大内義興に追われ近江に逃れました。水茎岡山城はその頃に義澄の頼った九里信隆(くのりよしたか)により築城されたとされます。1510年にはこの城で幕府軍を退けており,後に12代将軍となる足利義晴もこの城で誕生しましたが,結局,義澄は今日に戻れぬままこの城で死去しました。九里信隆は...

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