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  • 第418回:[伊勢]亀山城(東海道を押さえる交通の要衝){付 亀山古城}

    訪問日:2019年12月亀山城は三重県亀山市にあったお城です。元々は鈴鹿郡一帯を治めていた関五家の一人である関実忠(せきさねただ)が鎌倉時代の1265年に築城したと伝わります。当初は古城と呼ばれる小高い丘に築城され,関氏が代々本拠地としている間に現在の位置に移りました。織田信長の伊勢侵攻より後は東海道を押さえる交通の要衝であったこの城は戦いの場となっていきます。1583年関盛信の時代には家臣のクーデターにより一...

  • 第417回:田丸城(南北朝時代から続く南勢の重要拠点)

    訪問日:2019年12月田丸城(たまるじょう)は三重県度会郡玉城町にあったお城で,玉丸城とも表記されます。県史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。元々は南北朝時代に南朝の主力勢力であった北畠親房が築いたとされます。吉野と伊勢を結ぶ街道を押さえる要衝でしばしば争奪の場となりましたが南北朝統一は北畠氏一族の拠点となり戦国時代を迎えます。新興勢力である織田信長軍が伊勢に進行すると当主の北畠具教(き...

  • 第416回:岩国城(江戸時代に吉川氏が本拠地とした名城)

    訪問日:2019年10月岩国城は山口県岩国市にあったお城で,日本100名城にも選ばれています。1600年 関ケ原の戦いでは西軍の総大将であった毛利輝元は大幅な減俸となり本拠地を萩城に移しました。毛利の有力な一族衆で両川としれ知られる吉川氏の当主 吉川広家は東軍の徳川家康に通じますが,それまでの米子から岩国に国替えされました。岩国城は横山に要害となる山城を築き,藩主は山麓には御土居と呼ばれる居館で政務をとり居住し...

  • 第415回:荒滝山城(大内氏重臣 内藤氏の城と伝わる)

    訪問日:2019年10月荒滝山城は山口県宇部市にあったお城です。県史跡に指定されています。陶氏や杉氏 等と並ぶ大内氏の重臣で長門守護代を任された内藤氏の居城と伝わります。中でも最大の力を持ち知名度も高い内藤興盛は陶晴賢が大内義隆に反旗を翻した大寧寺の変では消極的に協力したようですが,興盛の死後に毛利元就と陶晴賢が争った厳島の戦いでは内藤氏家中も分裂,嫡孫の内藤隆世は大内氏に殉じ滅亡,この城に居城していた...

  • 第414回:萩城(幕末志士の多くを輩出した毛利氏の本拠)

    訪問日:2019年10月萩城は山口県萩市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。背後の指月山(しづきさん)の麓に建てられ,山上に詰丸もあることから指月城とも呼ばれます。1600年 関ケ原の戦いで西軍総大将となり敗れた毛利輝元は大幅に減封され安芸など計8か国の大大名から長門・周防二か国の大名となり,広島城からこの萩に本拠地を移しました。戦国時代には吉見氏の城があったそうですが,指月山山...

  • 第413回:[周防]山口城(毛利氏が幕末に本拠地とした)

    訪問日:2019年10月山口城は山口県山口市にあったお城です。幕末の動乱期に尊王攘夷に舵を切った長州藩 毛利氏は有事に備え,本拠地の萩城に代えてこの城を築きました。1863年から1864年にかけて毛利敬親(もうりたかちか)により本拠地を山口城に移転,幕府には居館の移転として申請したため山口屋形・山口政庁とも呼ばれます。屋形と言いながらも大砲による砲撃戦を想定した近代的な縄張りの平城で戦国時代より背後の鴻峰山にあ...

  • 第412回:[周防]築山館(大内氏の別邸として築かれた)

    訪問日:2019年10月築山館は山口県山口市にあった城館です。大内氏遺跡として国史跡に指定されています。15世紀中頃 室町時代に大内教弘(おおうちのりひろ)が本拠地の大内氏館で手狭になったことから大内氏館のすぐ北側に築いたとされます。江戸時代までは築地や庭園跡がよく残っていたそうですが,現在は西北隅の築地(土塁)が残っているのみです。  ◆館跡は築地神社と八坂神社という二つの神社の境内となっています。◆史...

  • 第411回:大内氏館(栄華を誇った名門 大内氏の本拠地)

    訪問日:2019年10月大内氏館は山口県山口市にあった城館です。大内氏遺跡として国史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。この居館は守護大名として室町時代から戦国時代まで西国に絶大な勢力を誇った大内氏の本拠地として 1360年 大内弘世(おおうちひろよ)の頃に築かれたとされます。大内氏は中国や朝鮮といった海外との貿易を盛んに行い,京都の貴族との交流も盛んで,文化にも造詣が深かった第14代 大内政弘の頃に...

  • 第410回:高嶺城(大内氏の本拠地を守る詰城)

    訪問日:2019年10月高嶺城(こうのみねじょう)は山口県山口市にあったお城です。大内氏遺跡として国史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。周防・長門から九州の一部まで支配した名門 大内氏は1551年 家臣である陶晴賢の謀反により大内義隆が自害した大寧寺の変により滅亡に向かいます。晴賢は大友氏より養子となった大内義長を当主に立てましたが1555年 厳島の戦いで晴賢自身が毛利元就に敗れ自害。1556年 本拠地に...

  • 第409回:大垣城(関ケ原の戦い前夜)

    訪問日:2019年4月大垣城は岐阜県大垣市にあったお城です。市史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。麋城(びじょう),巨鹿城(きょろくじょう)の別名を持ちます。1535年に宮川安定が築城したと言われます。戦国期の16世紀後半には西美濃三人衆の一人である氏家卜全やその子の氏家直重が城主を務めた時期もあります。天守は豊臣秀吉の家臣である伊藤盛景(祐盛)が築きました。1600年の関ケ原の戦いの直前には石田三成...

  • 第408回:黒野城(短命に終わった美濃の近世平城)

    訪問日:2019年4月黒野城は岐阜県岐阜市にあったお城です。市史跡に指定されています。1595年 豊臣秀吉政権の時に加藤貞泰(かとうさだやす)に築城されました。斎藤龍興,織田信長,豊臣秀吉に仕え功のあった父の加藤光泰が朝鮮出兵で陣没したことにより家督を継いだ貞泰は所領の甲斐より4万石で同地に移封となりました。1600年 関ケ原の戦いでは初め西軍につくも途中で東軍につき所領を安堵されています。貞泰は黒野城の城下町の...

  • 第407回:鷺山城(斎藤道三の隠居城として知られる)

    訪問日:2019年4月鷺山城(さぎやまじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。鎌倉時代 12世紀末期に佐竹秀義によって築城されたとされます。室町時代から戦国時代にかけ美濃守護であった土岐氏の本城である革手城の支城として機能した後,土岐氏の内訌を制した11代土岐頼芸はこの城に居を構えていました。その後,戦国時代の美濃の覇者となった斎藤道三は本拠地の稲葉山城を息子の斎藤義龍に譲ると自身は隠居してこの城に入りまし...

  • 第406回:上茜部城(堀秀政 生誕の城)

    訪問日:2019年4月上茜部城(かみあかなべじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。織田信長,豊臣秀吉に仕えた名人久太郎とも呼ばれた堀秀政の生誕の城として知られますが,現在は道路沿いの石碑と案内板のみが城があったことを示しています。城自体は16世紀の前半に堀資重により築かれたと伝わります。その子孫である堀秀重の子としてこの城で誕生した堀秀政は織田政権,豊臣政権にとって無くてはならない存在の武将となってい...

  • 第405回:革手城(美濃守護であった土岐氏の本拠地)

    訪問日:2019年4月革手城(かわてじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。川手城とも書きます。室町幕府の元では美濃国の守護職であった名門 土岐氏の城として知られます。1353年 3代守護の土岐頼康によって築かれ11代の土岐頼芸(ときよりのり/よりあき)まで土岐氏の本拠地,即ち美濃の守護所として機能しました。戦闘向けの城郭というよりは屋敷風の平城であったとされ,応仁の乱などの戦乱を避け逃れてきた公家等を受け入れ...

  • 第404回:加納城(近世 美濃の重要拠点であった)

    訪問日:2019年4月加納城(かのうじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。国史跡に指定されています。元々この場所には1445年に土岐氏の家臣であった斎藤利永が土岐氏の本拠地であった川手城を守る城として築いた沓井城(くついじょう)がありました。この城自体は既に廃城となっていたものの,関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は美濃の中心城郭であった岐阜城を取り壊しました。1601年 普請奉行として徳川四天王の本多忠勝が指揮...

  • 第403回:敦賀城(名将 大谷吉継が居城とした)

    訪問日:2019年11月敦賀城は福井県敦賀市にあったお城です。1582年に羽柴秀吉の家臣であった蜂屋頼隆により三層の天守も備えた城として築かれました。1589年 頼隆が病死した後は,名将として知られる大谷吉継が入り居城としました。1600年 関ケ原の戦いで吉継が敗死した後は越前を与えられた徳川家康の次男 結城秀康の代官によって治められました。1616年 一国一城令により廃城となりました。1624年 敦賀が小浜藩の京極氏に引き継...

  • 第402回:新善光寺城(南北朝の動乱,越前で両陣営が争った痕跡)

    訪問日:2018年11月新善光寺城は福井県越前市にあった城です。市史跡に指定されています。築城時期は不明ですが,南北朝時代の動乱で機能した城郭で,北朝方の越前守護 斯波高経が築いたとされます。1336年 南朝方の瓜生保(うりゅうたもつ)の攻撃により落城しますが,金ヶ崎城で苦境に陥った新田義貞の救援に向かった瓜生保は討たれ,再度北朝方が奪還。1338年には勢力を回復した新田義貞の勢力に攻撃され落城しました。1366年に...

  • 2021年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2017年の10月にタイに転勤となって以来,2020年9月末で丸3年,タイ生活も4年目に突入しております。2020年は新型コロナの影響で正月に日本に帰国して以来ついに戻ることができませんでした。自分でも良くブログ続けているなと思うのですが400回を無事に通過しました。継続は力なり。しかしながら,流石に城ネタの入手が不可能な状態には困ったものです,あと...

  • 第401回:小丸城(佐々成政が築き居城とした)

    訪問日:2018年11月小丸城は福井県越前市にあった城です。県史跡に指定されています。1575年 朝倉氏を滅ぼした織田信長は北方司令官の柴田勝家の与力としてに府中三人衆と呼ばれる前田利家・佐々成政・不破光治にこの地域を治めさせました。小丸城は府中東の味真野扇状台地の末端に佐々成政が築城しました。野々宮廃寺を縄張りに取込み,城域はかなり広かったようですが,1581年には成政は越中国に移封となり富山城に移りわずか6年...

  • 第400回:丸岡城(北陸に唯一残る現存天守)

    訪問日:2018年11月丸岡城は福井県丸岡市にあった城です。霞ヶ城とも呼ばれ日本に12基のみ残る現存天守が残るとして知られ日本100名城に選ばれています。長らく犬山城と最古の天守の座をめぐって議論されてきましたが,現在では江戸時代 初期の寛永年間に建造されたされ,犬山城に軍配が上がっております。織田信長より北陸攻略を任されていた柴田勝家の甥である柴田勝豊が1576年に築城しました。1582年の本能寺の変の後,清須会議...

  • 第399回:龍門寺城(府中三人衆 不破光治の居城であった)

    訪問日:2018年11月龍門寺城は福井県越前市にあった城です。市史跡に指定されています。元々は龍門寺という寺があった場所でしたが,織田信長が朝倉義景を攻め滅ぼした後,朝倉方より寝返った富田長繁(とだながしげ)は城を築き居城としました。長繁は朝倉氏滅亡後に越前の守護代となった前波吉継を攻め滅ぼし一時期は越前を支配するまでになりましたが,一向一揆勢と対立し1574年身内の裏切りにあい討たれてしまいました。その後...

  • 第398回:[越前]府中城(府中三人衆となった前田利家が居城とした)

    訪問日:2018年11月府中城は福井県越前市にあった城です。戦国時代 越前の覇者朝倉氏の時代には府中奉行所があったとされ,1575年 朝倉氏を滅ぼした織田信長は北方司令官の柴田勝家の与力としてに府中三人衆と呼ばれる前田利家・佐々成政・不破光治にこの地域を治めさせました。前田利家がこの場所を二重の堀を持った城郭を築城し利家が能登に移った後は息子の前田利長が入りました。1583年 賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉は柴田勝家を滅...

  • 第397回:千早城(籠城戦で知られる楠木正成の詰城)

    訪問日:2018年12月上赤坂城(かみあかさかじょう)は大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。国史跡に指定されており,日本100名城にも選ばれています。鎌倉幕府末期の1331年より始まった元弘の乱で後醍醐天皇方として名を上げた楠木正成の城です。金剛山の各尾根に築かれた城郭群の中でも1333年 正成自身が3カ月半の籠城戦(千早城の戦い)において,大軍であった幕府軍を寡兵ながらも奇策をもって翻弄し撃退した城として歴史的...

  • 第396回:上赤坂城(楠木軍 VS 幕府軍の激闘)

    訪問日:2018年12月上赤坂城(かみあかさかじょう)大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。楠木城とも呼ばれ国史跡に指定されています。鎌倉幕府の末期,北条高時と後醍醐天皇の勢力が争った元弘の乱において天皇方の楠木正成率いる楠木軍が活躍した舞台として知られます。1333年の上赤坂城の戦いでは主将に平野将監入道,正成の弟である楠木正季(くすのきまさすえ)が副将として籠城し鎌倉幕府軍を迎え撃ちます。1331年に落城...

  • 第395回:下赤坂城(楠木正成が鎌倉幕府軍を翻弄し名を上げた)

    訪問日:2018年12月下赤坂城大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。国史跡に指定されています。鎌倉幕府末期から南北朝の動乱期に活躍した楠木正成の城として知られます。楠木正成と言えば後醍醐天皇に従い各地でゲリラ戦を行い鎌倉幕府打倒に貢献し,忠臣の鏡,変幻自在の戦術で大軍を翻弄する軍略家として広く知られた名将です。その正成の最初の派手な活躍は1331年 討幕のため笠置山で挙兵した後醍醐天皇に呼応しこの城で挙...

  • 第394回:竹中氏陣屋(櫓門の残る石垣造りの陣屋)

    訪問日:2018年11月菩提山城(ぼだいさんじょう)は岐阜県不破郡垂井町にあったお陣屋です。県史跡に指定されています。豊臣秀吉の名軍師として名高い竹中半兵衛(重治)が病死した後は子である竹中重門が継ぎ,1589年には元の本拠地であった菩提山城がある美濃不破郡5000石を与えられました。この後,現在地に本拠を移し岩手城としましたが,江戸時代に入ると1万石未満の交代寄合の身分となったため城とは名乗れず岩手陣屋,竹中...

  • 第393回:菩提山城(竹中半兵衛の居城として知られる城)

    訪問日:2018年11月菩提山城(ぼだいさんじょう)は岐阜県不破郡垂井町にあったお城です。町史跡に指定されています。元々は大御堂城を居城とした竹中重元がこの地を治めていた岩出氏を滅ぼした翌年の1559年に築いたとされています。この城は標高400m以上の高所に築かれた西美濃最大級の山城で多くのを遺構を見ることが出来ますが,やはり重元の子である後の名軍師 竹中半兵衛こと重治が居城としていたことで知られます。江戸時代...

  • 第392回:鎌刃城(近江を南北に分けた境目の城)

    訪問日:2018年11月鎌刃城(かまはじょう)は滋賀県米原市にあったお城です。国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。384mの高所に建てられたこの山城は築城時期などの詳細はわかっていませんが,湖北地方と湖南地方の境目に築かれた軍事上の重要拠点でした。戦国時代には北の浅井氏と南の六角氏の攻防の場となり,織田信長が侵攻してきた際には浅井長政についていた城主の堀秀村は途中で織田方に転じています。1974年...

  • 第391回:[伊予]黒城(西園寺氏の本拠 黒瀬城を守る支城)

    訪問日:2018年10月岡城は愛媛県西予市にあったお城です。城の歴史の詳細については不明ですが,南西部 宇和郡を中心に勢力を持った西園寺氏の本拠地であった黒瀬城の尾根沿い背後を守備する支城して築かれたと考えられます。  ◆黒瀬城と同じく運動公園のグランド奥の道沿いの登山口,宇和運動公園施設プールの裏にも登山口。または,裏技で裏の林道側からアクセスが可能です。今回は黒瀬城とセットで背後の林道からアクセス...

  • 第390回:黒瀬城(伊予南西部に勢力を持った西園寺氏の本拠地であった)

    訪問日:2018年10月黒瀬城(くろせじょう)は愛媛県西予市にあったお城です。強力な戦国大名が現れなかった伊予国は複数の戦国大名がそれぞれの地域を支配していました。黒瀬城は南西部 宇和郡を中心に勢力を持った西園寺氏の後期の本拠地でした。室町時代に西園寺公良がこの地に入った後の初期には松葉城を本拠地としていましたが,戦国時代に入ると他家に圧迫され西園寺実充もしくは西園寺公家の時代にこの城に移り本拠地としま...

  • 第389回:大洲城(精巧な木造復元天守,南予の重要拠点)

    訪問日:2018年10月大洲城(おおずじょう)は愛媛県大洲市にあったお城です。県史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。1331年 鎌倉時代に宇都宮豊房が守護として入り築いたとされその頃は地蔵ヶ嶽城と呼ばれていました。その後大洲の旧名である大津から大津城とも呼ばれていました。戦国時代末期まで南予を支配した伊予 宇都宮氏の居城でしたが,1568年に毛利氏・河野氏連合軍に敗れて降伏し,その後,河野氏の武将であっ...

  • 第388回:松山城(加藤嘉明が築いた連立式天守の城)

    訪問日:2018年10月松山城は愛媛県松山市にあったお城です。日本に12基しか残っていない現存天守の城。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。また,日本三大平山城の一つにも数えられます。賤ケ岳の七本槍の一人として知られる加藤嘉明が1600年 関ケ原の戦いの功のより10万石より20万石に加増,それまでの居城であった松前城(まさきじょう)に変えて1602年より勝山に築城を開始しました。1603年には嘉明はこの地に入り...

  • 第387回:[伊予]松前城(加藤嘉明が水軍を率いた城)

    訪問日:2018年10月松前城(まさきじょう)は愛媛県伊予郡松前町にあったお城です。正木城とも書き,読みは”まさき”です。町史跡に指定されています。歴史的には非常に重要な城ですが,東レの工場と住宅により跡形も無い状態で,県道22号線沿いの一角にある城碑と案内板だけがかつて城であったことを示しています。歴史は古く平安時代に遡るともいわれますが,南北朝時代には存在があったことが文献で確認されます。南北朝の動乱で...

  • 第386回:港山城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)

    訪問日:2018年10月港山城(みなとやまじょう)は愛媛県松山市にあったお城です。湊山城とも書きます。1186年 河野通信が築いたという説もありますが,14世紀の前半 建武年間に河野通盛(こうのみちもり)が湯築城に移った時に海を守る支城として築いたというのが一般的かと思います。1460年代には分家 予州家の河野通春が本拠とし宗家の河野教通(こうののりみち)に対抗したとされています。通春は1481年に宗家との戦いで戦死し...

  • 第385回:荏原城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)

    訪問日:2018年10月荏原城(えばらじょう)は愛媛県松山市にあったお城です。県史跡に指定されおり,恵原城や会原城等とも表記されます。築城時期は不明ですが,建武年間には忽那氏が戦ったとの記述が残りその時代と考えられますが,室町時代後期から戦国時代からは伊予守護であった河野氏の重臣 平岡氏の居城でありました。内紛などで有力な戦国大名へとなることができなかった河野氏ですが平岡氏は主家に最後まで支え主力として...

  • 第384回:[近江]北之庄城(山岳寺院から発達?内枡形が良く残る)

    訪問日:2018年6月北之庄城(きたのしょうじょう)は滋賀県近江八幡市にあったお城です。八幡山城の尾根続きのハイキングコース上にありますが,文献や資料がほとんど残っておらず謎の多い中世城郭です。元々は天台宗の峰々を巡る回峰行のルートであり阿弥陀寺という寺院があり,さらに南近江の戦国大名 六角氏の家臣である岩崎氏がこの付近に築城したの記述が近江輿地志略や近江温故録といった郷土史料にあります。これにより,寺...

  • 第383回:八幡山城(羽柴秀次による近江支配拠点)

    訪問日:2018年6月,2018年12月 等八幡山城は滋賀県近江八幡市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。1585年 豊臣秀吉は甥である羽柴秀次に紀州攻め、四国征伐の戦功により近江国43万石(秀次分として20万石,宿老分として223万石)を与えました。秀次は近江の支配拠点として織田信長の安土城の程近くの八幡山へ山城と山麓に居館を築きました。秀次は補佐役の田中吉政とともにこの城に入り城下町を...

  • 第382回:忍城(石田三成の水攻めを耐え抜いた浮城)

    訪問日:2018年6月忍城(おしじょう)は埼玉県行田市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。また,戦国時代の関東七名城の一つにも数えられます。沼地に作られた難攻不落の忍の浮城として知られる城で1478年ごろに成田顕泰(なりたあきやす)により築かれたとされます。関東管領となった上杉謙信が関東に乗り出してくると成田氏はこれに従いますが,1561年 謙信による小田原城攻めに従軍した成田長...

  • 第381回:[武蔵]小倉城(関東では貴重な石積みが残る中世城郭)

    訪問日:2018年6月小倉城(おぐらじょう)は埼玉県比企郡ときがわ町にあったお城です。比企城館跡群の一つとして国史跡に指定されています。比企城館群のある地域は15世紀後半の享徳の乱や長享の乱で山内上杉氏と扇谷上杉氏の争いになった場所です。小倉城もその頃に築城されたと考えられますが史料への登場が無く城主は不明です。その後の後北条氏の支配下では遠山氏を城主とする新編武蔵風土記稿と上田氏を城主とする武蔵誌の二...

  • 第380回:菅谷館(中世城郭の傑作とも言われる)

    訪問日:2018年6月菅谷館(すがややかた)は埼玉県比企郡嵐山町にあったお城です。比企城館跡群の一つとして国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。菅谷館の歴史は古く鎌倉時代の1187年に有力御家人であり名将として名高い畠山重忠が館としていたという記録が吾妻鏡に現れます。後に北条義時等と対立し畠山重忠の乱として知られる乱に発展しますが, 1205年 この館より重忠は出陣し討死(または自害)し滅亡したと伝わ...

  • 第379回:杉山城(中世城郭の傑作とも言われる)

    訪問日:2018年6月杉山城は埼玉県比企郡嵐山町にあったお城です。比企城館跡群の一つとして国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。この城はその歴史より良好に残る数々の戦国時代の城郭遺構が有名で昔からお城好きの間では非常に知名度の高い城でした。中世城郭の粋を集めたような築城技術により築城の教科書と称されることもあります。一方で歴史は謎が多く永らく築城主が定まらず歴史家の論争の的となっていました。...

  • 第378回:三星城(作東の雄 後藤氏の居城)

    訪問日:2018年4月三星城(みつぼしじょう)は岡山県美作市にあったお城で市史跡に指定されています。標高233mの三星山に築かれ山頂が3つの峰に分かれていることが城名の由来とも言われます。築城は古く平安時代の1160年に土豪の渡辺氏によると伝わります。室町時代の1336年に地頭として入った後藤氏が,戦国時代の末期までの約200年間この城を居城としました。最も有名な武将は最盛期を築きながらも滅亡に至った後藤勝基(ごとう...

  • 【追悼】ブサかわ犬 “わさお”の思い出

    お城と直接関係ありませんが,ブサかわ犬として人気のあった“わさお”が2020年6月8日に永眠しました。推定13歳だそうです。青森県の鰺ヶ沢町の道の駅で菊谷節子さんによって保護された長毛種の秋田犬。2008年にとあるブログで紹介されたことにより全国区の有名犬となり、「天才!志村どうぶつ園」といったテレビへの出演や映画化、さらには片田舎であった鰺ヶ沢町を有名にし観光大使になる等 その活躍は知られるところです。2014年5...

  • 第377回:[美作]勝山城(戦国時代 三浦氏累代の城から江戸中期の再建へ)

    訪問日:2018年4月勝山城は岡山県真庭市にあったお城です。現在は江戸時代の名残の残る城下町として有名な美作勝山の城は市史跡に指定されています。戦国時代は美作西部に勢力を持った三浦氏の本拠地であり,その頃は高田城と呼ばれていました。(現在も城名は勝山城,高田城 どちらも同じくらいの頻度で使われます)関東より地頭として下った三浦貞宗が14世紀後半に築いたとも戦国時代に入り三浦貞連が築いたとも言われますが定か...

  • 第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)

    訪問日:2018年4月吉田城は愛知県豊橋市にあったお城です。続日本100名城にも選ばれています。背後に豊川を抱いた微高地に築かれたこの城は戦国時代初期の1505年に国人領主である牧野古白(まきのこはく)によって築かれたとされます。戦国時代には今橋城と呼ばれ,東三河を支配する上で重要な拠点であったため,牧野氏や戸田氏の争奪の場となりました。やがてこれが拡大し駿河・遠江の大大名 今川氏と 西三河の松平氏の争奪の場と...

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