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  • 第433回:水茎岡山城(足利将軍の避難所にもなったことで知られる)

    訪問日:2021年11月水茎岡山城(すいけいおかやまじょう)は滋賀県近江八幡市にあったお城です。1508年 室町幕府11代将軍であった足利義澄は大内義興に追われ近江に逃れました。水茎岡山城はその頃に義澄の頼った九里信隆(くのりよしたか)により築城されたとされます。1510年にはこの城で幕府軍を退けており,後に12代将軍となる足利義晴もこの城で誕生しましたが,結局,義澄は今日に戻れぬままこの城で死去しました。九里信隆は...

  • 第432回:[丹後]田辺城(細川幽斎の籠城戦で知られる)

    訪問日:2021年11月田辺城は京都府舞鶴市にあったお城で市史跡に指定されています。舞鶴城(ぶかくじょう)とも呼ばれます。織田信長の配下として丹後に進攻し守護大名である一色氏を滅亡に追いやった細川藤孝・忠興親子は八幡山城に入り,その後宮津城を築城し居城としました。家督を忠興に譲り隠居した藤孝は幽斎と号し元々は一色氏の八田守護所があったとされる場所に田辺城を築城して1582年に完成させ移りました。最も田辺城を...

  • 第431回:宮津城(近世 丹後国の支配拠点となった)

    訪問日:2021年11月宮津城は京都府宮津市にあったお城です。1580年頃 室町時代より続いた丹後守護職の一色氏を滅亡へと追いやった織田信長傘下の細川藤孝が丹後に入った当初は山城である八幡山城を居城としたようですが,その後すぐに統治の便利な宮津城を築城しました。1582年の本能寺の変の後に藤孝は家督を子の細川忠興に譲り,自身は幽斎と号し田辺城に隠居しました。1600年の関ケ原の戦いで東軍についた細川氏は丹後に残った...

  • 第430回:弓木城(一色氏が最後の抵抗を試みた稲富氏の居城)

    訪問日:2021年11月弓木城(ゆみのき/ゆみきじょう)は京都府与謝郡与謝野町にあったお城です。この一帯は鎌倉時代の後期より稲富保(いなとみのほ)と呼ばれた,室町時代にはこの地域を治めた稲富氏がこの城を居城としました。稲富氏で最も著名な人物は鉄砲の名手として知られた四代目の稲富祐直(いなとみすけなお )です。晩年には一夢(いちむ)と号しました。織田信長軍傘下である細川藤孝・忠興親子の軍により勢力を失ってき...

  • 第429回:[丹後]八幡山城(一色氏から細川氏へ続く丹後支配の変遷)

    訪問日:2021年11月八幡山城は京都府宮津市にあったお城です。正確な築城者は不明ですが,室町時代から戦国時代にかけては丹後守護職であった一色氏の勢力下にあったとするのが妥当です。1580年 織田信長の命を受け丹後に進攻して一色氏を衰亡させた細川藤孝・忠興が最初に居城とした城考えられています。 但し,翌年より統治に便利な平城である宮津城の築城が開始されます。完成後に宮津城に移ったことにより,八幡山城は地域統治...

  • 第428回:宇谷城(豪快な畝状竪堀が見所)

    訪問日:2021年11月宇谷城(うだにじょう)は京都府舞鶴市にあったお城です。宇谷城は由良川沿いの交通の要衝にあたる尾根先に築かれており,物流を押さえる拠点であり,地元の伝承などから一色氏の配下である在地領主の井田氏(飯田氏?)の城であったと考えられています。  ◆城は比高 50m程度の小山に築かれています。◆民家の軒先の奥に登り口があります。  ◆登山道の様子。◆城域の北端に到達しました,この辺りから竪...

  • 第427回:[丹後]中山城(一色義道が裏切りにあったとされる)

    訪問日:2021年11月中山城は京都府舞鶴市にあったお城です。戦国時代に守護職 一色氏の城として機能しており,一色義道や沼田幸兵衛清延が城主であったと伝わります。一色氏の当主であった義道が城主であったとすると本城郭の重要な城であったと推測されます。1579年 義道は織田信長傘下の明智光秀や細川藤孝に本拠地である建部山城を落とされこの城に逃げ込みました。ところが城主の沼田幸兵衛の裏切りにあい追い詰められ自刃した...

  • 2022年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。タイはバンコク暮らしも5年目に突入していますが,2020年から2021年にかけて世界中の新型コロナウィルス蔓延。これによる混乱は海外駐在者を直撃し,何年も日本に帰れなくなるということが常態化しました。私自身最後に日本に帰国していたのは2019年末から2020年の元旦にかけてでした。つまり,2年近くお城巡りも全くできなかったことにより記事にするネタも...

  • 第426回:建部山城(丹後守護 一色氏が本拠地とした城)

    訪問日:2021年11月建部山城(たけべやまじょう)は京都府舞鶴市にあったお城です。城自体は南北朝期に地元勢力により築かれたと伝わりますが,室町幕府では四職の筆頭をもつとめた名門 一色氏が丹後守護職として在所とした八田守護所を守る城とし機能したことで知られます。1578年 織田信長軍の一翼である細川藤孝(幽斎)・忠興親子の侵攻を受けて,当時の当主である一色義道は建部山城に籠城し抵抗をしますが,1579年には落城しま...

  • 一時帰国のお城巡り

    皆さんご無沙汰しております。11/8より日本に一時帰国しており日本にいます。実に2019年末から2020年元旦に帰国して以来ですので2年弱ぶり。自主隔離がありますので2週間ちょっとの間ですが,友達に会ったり会社に顔を出したりとこの間に会えなかった人への挨拶はもちろんのことですが,たくさんお城に行ってきました。●一色氏から細川氏への流れを見ようと丹後地方に出陣。建部山城,中山城,弓木城,宇谷城,八幡山城,宮津城,...

  • 記事更新 一時停止のお知らせ

    残念なお知らせです。ついに 「こにるのお城訪問記」 記事用のお城ネタが尽きました。2017年のタイ・バンコクへの転勤という大きな危機をいとも簡単に乗り越えて第2期に突入。それから3年10カ月ほどで第425回まで更新を継続することが出来きました。2019年末まではかなりの頻度で日本に帰国する機会に恵まれ,その度にお城には行っていました。これによりむしろブログ更新数よりネタの増加が上回りブログの更新には支障がない状態...

  • 第424回:[播磨]山崎城(因幡街道の主要都市を支配した近世城郭)

    訪問日:2019年12月山崎城は兵庫県宍粟市にあったお城です。山崎陣屋,鹿沢城とも呼ばれます。宍粟郡山崎町(現 宍粟市)は姫路と鳥取を結ぶ因幡街道の中間地点として栄え,戦国時代は宇野氏が本拠地とし,長水城や篠ノ丸城といった中世城郭が支配拠点として機能しました。織豊政権下では黒田官兵衛や木下勝俊 等がこの地を治めましたが,江戸時代の1615年には池田輝政の子である輝澄がこの地に3万8千石で入り近世城郭である山崎城...

  • 第425回:塚口城(因幡街道の主要都市を支配した近世城郭)

    訪問日:2020年1月塚口城は兵庫県尼崎市にあったお城です。塚口寺内町とも呼ばれます。室町時代から戦国時代にかけて,この地域における一向一揆の拠点であった塚口御坊を中心とした寺内町として発展しました。周囲を高い土塁と堀で囲んだ惣構えの構造になっており,1578年に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際には城郭として機能しました。現在は宅地化により面影が失われていますが,4か所に造られたという虎口の一部や堀跡に...

  • 第423回:聖山城(長水城攻めで秀吉が本陣とした)

    訪問日:2019年12月聖山城(ひじりやまじょう)は兵庫県宍粟市にあったお城です。1493年に宇野氏の重臣であった下村則真(しもむらのりざね)によって築いたとされ,長水城を本拠地氏とした宇野氏の支城として機能しました。1580年 織田信長軍の司令官としてこの地に侵攻した羽柴秀吉はまずはこの城を攻め落とし本陣として宇野氏の籠る長水城と篠ノ丸城を攻略しました。  ◆登り口は山麓の觱篥神社(ひちりきじんじゃ)の横に...

  • 第422回:篠ノ城(長水城と連動し地域の支配拠点として機能した)

    訪問日:2019年12月篠ノ丸城(ささのまるじょう)は兵庫県宍粟市にあったお城です。宍粟市(旧 山崎町)の中心に突き出した尾根の先に築かれたこの城は南北朝時代の14世紀半ばに赤松顕則(あかまつあきのり)によって築かれた伝わります。戦国期はこの地域で勢力を誇った宇野氏の居城である長水城の支城として機能したと考えられ,宇野正頼が当主である時にはその子の光景の城となっていましたが,父子の対立により光景が殺害され...

  • 第421回:長水城(山上に聳える石垣,宇野氏の居城)

    訪問日:2019年12月長水城(ちょうずいじょう)は兵庫県宍粟市にあったお城です。長水山城とも呼ばれます。標高584mの高所に築かれたこの城は南北朝時代の14世紀中盤。播磨守護の赤松則祐(あかまつのりすけ/そくゆう)により築かれその四男である広瀬師頼が城主となったとされ,広瀬氏四代の後,宇野氏に城主が代わり五代続きました。1580年 織田信長軍の司令官として聖山城に入った羽柴秀吉による攻撃により落城。城主であった...

  • 第420回:伊賀上野城(天正伊賀の乱の舞台となった城)

    訪問日:2019年12月伊賀上野城は三重県伊賀市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。平安時代この場所には平楽寺や薬師寺という寺院があったとされ,室町時代には伊賀守護の仁木氏(につきし)の城館がありました。豊臣政権下の1585年になり筒井定次が伊賀に入ると仁木氏館の跡に近世城郭を築城しました。関ケ原の戦いの間に一時西軍の新庄直頼・直定父子に城を奪われるなどしましたが,定次は奪還に...

  • 第419回:[伊賀]丸山城(天正伊賀の乱の舞台となった城)

    訪問日:2019年12月丸山城は三重県伊賀市にあったお城です。元々は北畠具教(きたばたけとものり)が隠居氏として築城を試みたのが始めともされるが,本格的な築城は伊賀進出を目論んだ織田信長の次男 北畠(織田)信雄が1578年 部下の滝川雄利(たきがわかつとし)に命じて開始しました。築城途中の城が大規模城郭であることに気づき危機感を募らせた伊賀の土豪たちは不意を突いて攻撃し滝川雄利軍を追い払うことに成功しました。...

  • 第418回:[伊勢]亀山城(東海道を押さえる交通の要衝){付 亀山古城}

    訪問日:2019年12月亀山城は三重県亀山市にあったお城です。元々は鈴鹿郡一帯を治めていた関五家の一人である関実忠(せきさねただ)が鎌倉時代の1265年に築城したと伝わります。当初は古城と呼ばれる小高い丘に築城され,関氏が代々本拠地としている間に現在の位置に移りました。織田信長の伊勢侵攻より後は東海道を押さえる交通の要衝であったこの城は戦いの場となっていきます。1583年関盛信の時代には家臣のクーデターにより一...

  • 第417回:田丸城(南北朝時代から続く南勢の重要拠点)

    訪問日:2019年12月田丸城(たまるじょう)は三重県度会郡玉城町にあったお城で,玉丸城とも表記されます。県史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。元々は南北朝時代に南朝の主力勢力であった北畠親房が築いたとされます。吉野と伊勢を結ぶ街道を押さえる要衝でしばしば争奪の場となりましたが南北朝統一は北畠氏一族の拠点となり戦国時代を迎えます。新興勢力である織田信長軍が伊勢に進行すると当主の北畠具教(き...

  • 第416回:岩国城(江戸時代に吉川氏が本拠地とした名城)

    訪問日:2019年10月岩国城は山口県岩国市にあったお城で,日本100名城にも選ばれています。1600年 関ケ原の戦いでは西軍の総大将であった毛利輝元は大幅な減俸となり本拠地を萩城に移しました。毛利の有力な一族衆で両川としれ知られる吉川氏の当主 吉川広家は東軍の徳川家康に通じますが,それまでの米子から岩国に国替えされました。岩国城は横山に要害となる山城を築き,藩主は山麓には御土居と呼ばれる居館で政務をとり居住し...

  • 第415回:荒滝山城(大内氏重臣 内藤氏の城と伝わる)

    訪問日:2019年10月荒滝山城は山口県宇部市にあったお城です。県史跡に指定されています。陶氏や杉氏 等と並ぶ大内氏の重臣で長門守護代を任された内藤氏の居城と伝わります。中でも最大の力を持ち知名度も高い内藤興盛は陶晴賢が大内義隆に反旗を翻した大寧寺の変では消極的に協力したようですが,興盛の死後に毛利元就と陶晴賢が争った厳島の戦いでは内藤氏家中も分裂,嫡孫の内藤隆世は大内氏に殉じ滅亡,この城に居城していた...

  • 第414回:萩城(幕末志士の多くを輩出した毛利氏の本拠)

    訪問日:2019年10月萩城は山口県萩市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。背後の指月山(しづきさん)の麓に建てられ,山上に詰丸もあることから指月城とも呼ばれます。1600年 関ケ原の戦いで西軍総大将となり敗れた毛利輝元は大幅に減封され安芸など計8か国の大大名から長門・周防二か国の大名となり,広島城からこの萩に本拠地を移しました。戦国時代には吉見氏の城があったそうですが,指月山山...

  • 第413回:[周防]山口城(毛利氏が幕末に本拠地とした)

    訪問日:2019年10月山口城は山口県山口市にあったお城です。幕末の動乱期に尊王攘夷に舵を切った長州藩 毛利氏は有事に備え,本拠地の萩城に代えてこの城を築きました。1863年から1864年にかけて毛利敬親(もうりたかちか)により本拠地を山口城に移転,幕府には居館の移転として申請したため山口屋形・山口政庁とも呼ばれます。屋形と言いながらも大砲による砲撃戦を想定した近代的な縄張りの平城で戦国時代より背後の鴻峰山にあ...

  • 第412回:[周防]築山館(大内氏の別邸として築かれた)

    訪問日:2019年10月築山館は山口県山口市にあった城館です。大内氏遺跡として国史跡に指定されています。15世紀中頃 室町時代に大内教弘(おおうちのりひろ)が本拠地の大内氏館で手狭になったことから大内氏館のすぐ北側に築いたとされます。江戸時代までは築地や庭園跡がよく残っていたそうですが,現在は西北隅の築地(土塁)が残っているのみです。  ◆館跡は築地神社と八坂神社という二つの神社の境内となっています。◆史...

  • 第411回:大内氏館(栄華を誇った名門 大内氏の本拠地)

    訪問日:2019年10月大内氏館は山口県山口市にあった城館です。大内氏遺跡として国史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。この居館は守護大名として室町時代から戦国時代まで西国に絶大な勢力を誇った大内氏の本拠地として 1360年 大内弘世(おおうちひろよ)の頃に築かれたとされます。大内氏は中国や朝鮮といった海外との貿易を盛んに行い,京都の貴族との交流も盛んで,文化にも造詣が深かった第14代 大内政弘の頃に...

  • 第410回:高嶺城(大内氏の本拠地を守る詰城)

    訪問日:2019年10月高嶺城(こうのみねじょう)は山口県山口市にあったお城です。大内氏遺跡として国史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。周防・長門から九州の一部まで支配した名門 大内氏は1551年 家臣である陶晴賢の謀反により大内義隆が自害した大寧寺の変により滅亡に向かいます。晴賢は大友氏より養子となった大内義長を当主に立てましたが1555年 厳島の戦いで晴賢自身が毛利元就に敗れ自害。1556年 本拠地に...

  • 第409回:大垣城(関ケ原の戦い前夜)

    訪問日:2019年4月大垣城は岐阜県大垣市にあったお城です。市史跡に指定され,続日本100名城にも選ばれています。麋城(びじょう),巨鹿城(きょろくじょう)の別名を持ちます。1535年に宮川安定が築城したと言われます。戦国期の16世紀後半には西美濃三人衆の一人である氏家卜全やその子の氏家直重が城主を務めた時期もあります。天守は豊臣秀吉の家臣である伊藤盛景(祐盛)が築きました。1600年の関ケ原の戦いの直前には石田三成...

  • 第408回:黒野城(短命に終わった美濃の近世平城)

    訪問日:2019年4月黒野城は岐阜県岐阜市にあったお城です。市史跡に指定されています。1595年 豊臣秀吉政権の時に加藤貞泰(かとうさだやす)に築城されました。斎藤龍興,織田信長,豊臣秀吉に仕え功のあった父の加藤光泰が朝鮮出兵で陣没したことにより家督を継いだ貞泰は所領の甲斐より4万石で同地に移封となりました。1600年 関ケ原の戦いでは初め西軍につくも途中で東軍につき所領を安堵されています。貞泰は黒野城の城下町の...

  • 第407回:鷺山城(斎藤道三の隠居城として知られる)

    訪問日:2019年4月鷺山城(さぎやまじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。鎌倉時代 12世紀末期に佐竹秀義によって築城されたとされます。室町時代から戦国時代にかけ美濃守護であった土岐氏の本城である革手城の支城として機能した後,土岐氏の内訌を制した11代土岐頼芸はこの城に居を構えていました。その後,戦国時代の美濃の覇者となった斎藤道三は本拠地の稲葉山城を息子の斎藤義龍に譲ると自身は隠居してこの城に入りまし...

  • 第406回:上茜部城(堀秀政 生誕の城)

    訪問日:2019年4月上茜部城(かみあかなべじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。織田信長,豊臣秀吉に仕えた名人久太郎とも呼ばれた堀秀政の生誕の城として知られますが,現在は道路沿いの石碑と案内板のみが城があったことを示しています。城自体は16世紀の前半に堀資重により築かれたと伝わります。その子孫である堀秀重の子としてこの城で誕生した堀秀政は織田政権,豊臣政権にとって無くてはならない存在の武将となってい...

  • 第405回:革手城(美濃守護であった土岐氏の本拠地)

    訪問日:2019年4月革手城(かわてじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。川手城とも書きます。室町幕府の元では美濃国の守護職であった名門 土岐氏の城として知られます。1353年 3代守護の土岐頼康によって築かれ11代の土岐頼芸(ときよりのり/よりあき)まで土岐氏の本拠地,即ち美濃の守護所として機能しました。戦闘向けの城郭というよりは屋敷風の平城であったとされ,応仁の乱などの戦乱を避け逃れてきた公家等を受け入れ...

  • 第404回:加納城(近世 美濃の重要拠点であった)

    訪問日:2019年4月加納城(かのうじょう)は岐阜県岐阜市にあったお城です。国史跡に指定されています。元々この場所には1445年に土岐氏の家臣であった斎藤利永が土岐氏の本拠地であった川手城を守る城として築いた沓井城(くついじょう)がありました。この城自体は既に廃城となっていたものの,関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は美濃の中心城郭であった岐阜城を取り壊しました。1601年 普請奉行として徳川四天王の本多忠勝が指揮...

  • 第403回:敦賀城(名将 大谷吉継が居城とした)

    訪問日:2019年11月敦賀城は福井県敦賀市にあったお城です。1582年に羽柴秀吉の家臣であった蜂屋頼隆により三層の天守も備えた城として築かれました。1589年 頼隆が病死した後は,名将として知られる大谷吉継が入り居城としました。1600年 関ケ原の戦いで吉継が敗死した後は越前を与えられた徳川家康の次男 結城秀康の代官によって治められました。1616年 一国一城令により廃城となりました。1624年 敦賀が小浜藩の京極氏に引き継...

  • 第402回:新善光寺城(南北朝の動乱,越前で両陣営が争った痕跡)

    訪問日:2018年11月新善光寺城は福井県越前市にあった城です。市史跡に指定されています。築城時期は不明ですが,南北朝時代の動乱で機能した城郭で,北朝方の越前守護 斯波高経が築いたとされます。1336年 南朝方の瓜生保(うりゅうたもつ)の攻撃により落城しますが,金ヶ崎城で苦境に陥った新田義貞の救援に向かった瓜生保は討たれ,再度北朝方が奪還。1338年には勢力を回復した新田義貞の勢力に攻撃され落城しました。1366年に...

  • 2021年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2017年の10月にタイに転勤となって以来,2020年9月末で丸3年,タイ生活も4年目に突入しております。2020年は新型コロナの影響で正月に日本に帰国して以来ついに戻ることができませんでした。自分でも良くブログ続けているなと思うのですが400回を無事に通過しました。継続は力なり。しかしながら,流石に城ネタの入手が不可能な状態には困ったものです,あと...

  • 第401回:小丸城(佐々成政が築き居城とした)

    訪問日:2018年11月小丸城は福井県越前市にあった城です。県史跡に指定されています。1575年 朝倉氏を滅ぼした織田信長は北方司令官の柴田勝家の与力としてに府中三人衆と呼ばれる前田利家・佐々成政・不破光治にこの地域を治めさせました。小丸城は府中東の味真野扇状台地の末端に佐々成政が築城しました。野々宮廃寺を縄張りに取込み,城域はかなり広かったようですが,1581年には成政は越中国に移封となり富山城に移りわずか6年...

  • 第400回:丸岡城(北陸に唯一残る現存天守)

    訪問日:2018年11月丸岡城は福井県丸岡市にあった城です。霞ヶ城とも呼ばれ日本に12基のみ残る現存天守が残るとして知られ日本100名城に選ばれています。長らく犬山城と最古の天守の座をめぐって議論されてきましたが,現在では江戸時代 初期の寛永年間に建造されたされ,犬山城に軍配が上がっております。織田信長より北陸攻略を任されていた柴田勝家の甥である柴田勝豊が1576年に築城しました。1582年の本能寺の変の後,清須会議...

  • 第399回:龍門寺城(府中三人衆 不破光治の居城であった)

    訪問日:2018年11月龍門寺城は福井県越前市にあった城です。市史跡に指定されています。元々は龍門寺という寺があった場所でしたが,織田信長が朝倉義景を攻め滅ぼした後,朝倉方より寝返った富田長繁(とだながしげ)は城を築き居城としました。長繁は朝倉氏滅亡後に越前の守護代となった前波吉継を攻め滅ぼし一時期は越前を支配するまでになりましたが,一向一揆勢と対立し1574年身内の裏切りにあい討たれてしまいました。その後...

  • 第398回:[越前]府中城(府中三人衆となった前田利家が居城とした)

    訪問日:2018年11月府中城は福井県越前市にあった城です。戦国時代 越前の覇者朝倉氏の時代には府中奉行所があったとされ,1575年 朝倉氏を滅ぼした織田信長は北方司令官の柴田勝家の与力としてに府中三人衆と呼ばれる前田利家・佐々成政・不破光治にこの地域を治めさせました。前田利家がこの場所を二重の堀を持った城郭を築城し利家が能登に移った後は息子の前田利長が入りました。1583年 賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉は柴田勝家を滅...

  • 第397回:千早城(籠城戦で知られる楠木正成の詰城)

    訪問日:2018年12月上赤坂城(かみあかさかじょう)は大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。国史跡に指定されており,日本100名城にも選ばれています。鎌倉幕府末期の1331年より始まった元弘の乱で後醍醐天皇方として名を上げた楠木正成の城です。金剛山の各尾根に築かれた城郭群の中でも1333年 正成自身が3カ月半の籠城戦(千早城の戦い)において,大軍であった幕府軍を寡兵ながらも奇策をもって翻弄し撃退した城として歴史的...

  • 第396回:上赤坂城(楠木軍 VS 幕府軍の激闘)

    訪問日:2018年12月上赤坂城(かみあかさかじょう)大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。楠木城とも呼ばれ国史跡に指定されています。鎌倉幕府の末期,北条高時と後醍醐天皇の勢力が争った元弘の乱において天皇方の楠木正成率いる楠木軍が活躍した舞台として知られます。1333年の上赤坂城の戦いでは主将に平野将監入道,正成の弟である楠木正季(くすのきまさすえ)が副将として籠城し鎌倉幕府軍を迎え撃ちます。1331年に落城...

  • 第395回:下赤坂城(楠木正成が鎌倉幕府軍を翻弄し名を上げた)

    訪問日:2018年12月下赤坂城大阪府南河内郡千早赤阪村にあった城です。国史跡に指定されています。鎌倉幕府末期から南北朝の動乱期に活躍した楠木正成の城として知られます。楠木正成と言えば後醍醐天皇に従い各地でゲリラ戦を行い鎌倉幕府打倒に貢献し,忠臣の鏡,変幻自在の戦術で大軍を翻弄する軍略家として広く知られた名将です。その正成の最初の派手な活躍は1331年 討幕のため笠置山で挙兵した後醍醐天皇に呼応しこの城で挙...

  • 第394回:竹中氏陣屋(櫓門の残る石垣造りの陣屋)

    訪問日:2018年11月菩提山城(ぼだいさんじょう)は岐阜県不破郡垂井町にあったお陣屋です。県史跡に指定されています。豊臣秀吉の名軍師として名高い竹中半兵衛(重治)が病死した後は子である竹中重門が継ぎ,1589年には元の本拠地であった菩提山城がある美濃不破郡5000石を与えられました。この後,現在地に本拠を移し岩手城としましたが,江戸時代に入ると1万石未満の交代寄合の身分となったため城とは名乗れず岩手陣屋,竹中...

  • 第393回:菩提山城(竹中半兵衛の居城として知られる城)

    訪問日:2018年11月菩提山城(ぼだいさんじょう)は岐阜県不破郡垂井町にあったお城です。町史跡に指定されています。元々は大御堂城を居城とした竹中重元がこの地を治めていた岩出氏を滅ぼした翌年の1559年に築いたとされています。この城は標高400m以上の高所に築かれた西美濃最大級の山城で多くのを遺構を見ることが出来ますが,やはり重元の子である後の名軍師 竹中半兵衛こと重治が居城としていたことで知られます。江戸時代...

  • 第392回:鎌刃城(近江を南北に分けた境目の城)

    訪問日:2018年11月鎌刃城(かまはじょう)は滋賀県米原市にあったお城です。国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。384mの高所に建てられたこの山城は築城時期などの詳細はわかっていませんが,湖北地方と湖南地方の境目に築かれた軍事上の重要拠点でした。戦国時代には北の浅井氏と南の六角氏の攻防の場となり,織田信長が侵攻してきた際には浅井長政についていた城主の堀秀村は途中で織田方に転じています。1974年...

  • 第391回:[伊予]黒城(西園寺氏の本拠 黒瀬城を守る支城)

    訪問日:2018年10月岡城は愛媛県西予市にあったお城です。城の歴史の詳細については不明ですが,南西部 宇和郡を中心に勢力を持った西園寺氏の本拠地であった黒瀬城の尾根沿い背後を守備する支城して築かれたと考えられます。  ◆黒瀬城と同じく運動公園のグランド奥の道沿いの登山口,宇和運動公園施設プールの裏にも登山口。または,裏技で裏の林道側からアクセスが可能です。今回は黒瀬城とセットで背後の林道からアクセス...

  • 第390回:黒瀬城(伊予南西部に勢力を持った西園寺氏の本拠地であった)

    訪問日:2018年10月黒瀬城(くろせじょう)は愛媛県西予市にあったお城です。強力な戦国大名が現れなかった伊予国は複数の戦国大名がそれぞれの地域を支配していました。黒瀬城は南西部 宇和郡を中心に勢力を持った西園寺氏の後期の本拠地でした。室町時代に西園寺公良がこの地に入った後の初期には松葉城を本拠地としていましたが,戦国時代に入ると他家に圧迫され西園寺実充もしくは西園寺公家の時代にこの城に移り本拠地としま...

  • 第389回:大洲城(精巧な木造復元天守,南予の重要拠点)

    訪問日:2018年10月大洲城(おおずじょう)は愛媛県大洲市にあったお城です。県史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。1331年 鎌倉時代に宇都宮豊房が守護として入り築いたとされその頃は地蔵ヶ嶽城と呼ばれていました。その後大洲の旧名である大津から大津城とも呼ばれていました。戦国時代末期まで南予を支配した伊予 宇都宮氏の居城でしたが,1568年に毛利氏・河野氏連合軍に敗れて降伏し,その後,河野氏の武将であっ...

  • 第388回:松山城(加藤嘉明が築いた連立式天守の城)

    訪問日:2018年10月松山城は愛媛県松山市にあったお城です。日本に12基しか残っていない現存天守の城。国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。また,日本三大平山城の一つにも数えられます。賤ケ岳の七本槍の一人として知られる加藤嘉明が1600年 関ケ原の戦いの功のより10万石より20万石に加増,それまでの居城であった松前城(まさきじょう)に変えて1602年より勝山に築城を開始しました。1603年には嘉明はこの地に入り...

  • 第387回:[伊予]松前城(加藤嘉明が水軍を率いた城)

    訪問日:2018年10月松前城(まさきじょう)は愛媛県伊予郡松前町にあったお城です。正木城とも書き,読みは”まさき”です。町史跡に指定されています。歴史的には非常に重要な城ですが,東レの工場と住宅により跡形も無い状態で,県道22号線沿いの一角にある城碑と案内板だけがかつて城であったことを示しています。歴史は古く平安時代に遡るともいわれますが,南北朝時代には存在があったことが文献で確認されます。南北朝の動乱で...

  • 第386回:港山城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)

    訪問日:2018年10月港山城(みなとやまじょう)は愛媛県松山市にあったお城です。湊山城とも書きます。1186年 河野通信が築いたという説もありますが,14世紀の前半 建武年間に河野通盛(こうのみちもり)が湯築城に移った時に海を守る支城として築いたというのが一般的かと思います。1460年代には分家 予州家の河野通春が本拠とし宗家の河野教通(こうののりみち)に対抗したとされています。通春は1481年に宗家との戦いで戦死し...

  • 第385回:荏原城(堀と土塁が良く残る平岡氏の城)

    訪問日:2018年10月荏原城(えばらじょう)は愛媛県松山市にあったお城です。県史跡に指定されおり,恵原城や会原城等とも表記されます。築城時期は不明ですが,建武年間には忽那氏が戦ったとの記述が残りその時代と考えられますが,室町時代後期から戦国時代からは伊予守護であった河野氏の重臣 平岡氏の居城でありました。内紛などで有力な戦国大名へとなることができなかった河野氏ですが平岡氏は主家に最後まで支え主力として...

  • 第384回:[近江]北之庄城(山岳寺院から発達?内枡形が良く残る)

    訪問日:2018年6月北之庄城(きたのしょうじょう)は滋賀県近江八幡市にあったお城です。八幡山城の尾根続きのハイキングコース上にありますが,文献や資料がほとんど残っておらず謎の多い中世城郭です。元々は天台宗の峰々を巡る回峰行のルートであり阿弥陀寺という寺院があり,さらに南近江の戦国大名 六角氏の家臣である岩崎氏がこの付近に築城したの記述が近江輿地志略や近江温故録といった郷土史料にあります。これにより,寺...

  • 第383回:八幡山城(羽柴秀次による近江支配拠点)

    訪問日:2018年6月,2018年12月 等八幡山城は滋賀県近江八幡市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。1585年 豊臣秀吉は甥である羽柴秀次に紀州攻め、四国征伐の戦功により近江国43万石(秀次分として20万石,宿老分として223万石)を与えました。秀次は近江の支配拠点として織田信長の安土城の程近くの八幡山へ山城と山麓に居館を築きました。秀次は補佐役の田中吉政とともにこの城に入り城下町を...

  • 第382回:忍城(石田三成の水攻めを耐え抜いた浮城)

    訪問日:2018年6月忍城(おしじょう)は埼玉県行田市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。また,戦国時代の関東七名城の一つにも数えられます。沼地に作られた難攻不落の忍の浮城として知られる城で1478年ごろに成田顕泰(なりたあきやす)により築かれたとされます。関東管領となった上杉謙信が関東に乗り出してくると成田氏はこれに従いますが,1561年 謙信による小田原城攻めに従軍した成田長...

  • 第381回:[武蔵]小倉城(関東では貴重な石積みが残る中世城郭)

    訪問日:2018年6月小倉城(おぐらじょう)は埼玉県比企郡ときがわ町にあったお城です。比企城館跡群の一つとして国史跡に指定されています。比企城館群のある地域は15世紀後半の享徳の乱や長享の乱で山内上杉氏と扇谷上杉氏の争いになった場所です。小倉城もその頃に築城されたと考えられますが史料への登場が無く城主は不明です。その後の後北条氏の支配下では遠山氏を城主とする新編武蔵風土記稿と上田氏を城主とする武蔵誌の二...

  • 第380回:菅谷館(中世城郭の傑作とも言われる)

    訪問日:2018年6月菅谷館(すがややかた)は埼玉県比企郡嵐山町にあったお城です。比企城館跡群の一つとして国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。菅谷館の歴史は古く鎌倉時代の1187年に有力御家人であり名将として名高い畠山重忠が館としていたという記録が吾妻鏡に現れます。後に北条義時等と対立し畠山重忠の乱として知られる乱に発展しますが, 1205年 この館より重忠は出陣し討死(または自害)し滅亡したと伝わ...

  • 第379回:杉山城(中世城郭の傑作とも言われる)

    訪問日:2018年6月杉山城は埼玉県比企郡嵐山町にあったお城です。比企城館跡群の一つとして国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。この城はその歴史より良好に残る数々の戦国時代の城郭遺構が有名で昔からお城好きの間では非常に知名度の高い城でした。中世城郭の粋を集めたような築城技術により築城の教科書と称されることもあります。一方で歴史は謎が多く永らく築城主が定まらず歴史家の論争の的となっていました。...

  • 第378回:三星城(作東の雄 後藤氏の居城)

    訪問日:2018年4月三星城(みつぼしじょう)は岡山県美作市にあったお城で市史跡に指定されています。標高233mの三星山に築かれ山頂が3つの峰に分かれていることが城名の由来とも言われます。築城は古く平安時代の1160年に土豪の渡辺氏によると伝わります。室町時代の1336年に地頭として入った後藤氏が,戦国時代の末期までの約200年間この城を居城としました。最も有名な武将は最盛期を築きながらも滅亡に至った後藤勝基(ごとう...

  • 【追悼】ブサかわ犬 “わさお”の思い出

    お城と直接関係ありませんが,ブサかわ犬として人気のあった“わさお”が2020年6月8日に永眠しました。推定13歳だそうです。青森県の鰺ヶ沢町の道の駅で菊谷節子さんによって保護された長毛種の秋田犬。2008年にとあるブログで紹介されたことにより全国区の有名犬となり、「天才!志村どうぶつ園」といったテレビへの出演や映画化、さらには片田舎であった鰺ヶ沢町を有名にし観光大使になる等 その活躍は知られるところです。2014年5...

  • 第377回:[美作]勝山城(戦国時代 三浦氏累代の城から江戸中期の再建へ)

    訪問日:2018年4月勝山城は岡山県真庭市にあったお城です。現在は江戸時代の名残の残る城下町として有名な美作勝山の城は市史跡に指定されています。戦国時代は美作西部に勢力を持った三浦氏の本拠地であり,その頃は高田城と呼ばれていました。(現在も城名は勝山城,高田城 どちらも同じくらいの頻度で使われます)関東より地頭として下った三浦貞宗が14世紀後半に築いたとも戦国時代に入り三浦貞連が築いたとも言われますが定か...

  • 第375回:吉田城(中世から近世を通じて東三河を代表する城郭であった)

    訪問日:2018年4月吉田城は愛知県豊橋市にあったお城です。続日本100名城にも選ばれています。背後に豊川を抱いた微高地に築かれたこの城は戦国時代初期の1505年に国人領主である牧野古白(まきのこはく)によって築かれたとされます。戦国時代には今橋城と呼ばれ,東三河を支配する上で重要な拠点であったため,牧野氏や戸田氏の争奪の場となりました。やがてこれが拡大し駿河・遠江の大大名 今川氏と 西三河の松平氏の争奪の場と...

  • 第374回:[三河]野田城(野田菅沼氏の奮戦,信玄狙撃の伝説)

    訪問日:2018年4月野田城は愛知県新城市にあったお城です。市史跡に指定されています。奥三河の有力豪族であった菅沼氏一族の菅沼定則(すがぬまさだのり)により1508年に築かれたとされます。その後も子の定村,孫の定盈(さだみつ)までの三代にわたり野田菅沼氏の本拠地となりました。野田菅沼氏は今川氏と松平氏の間を帰属先を変えながら生き延び,菅沼定盈の時代には今川氏より独立した松平氏(徳川氏)に従い行動します。武田...

  • 第373回:[三河]亀山城(山家三方衆 奥平氏の居城)

    訪問日:2018年4月亀山城は愛知県新城市にあったお城です。奥三河の豪族 山家三方衆(やまがさんぽしゅう)の一つとして知られる奥平氏が1424年 奥平貞俊が当主の時に築き,それまでの本拠地であった川尻城より居城を移しました。戦国時代 奥平定能(貞能)と信昌 親子の時代に武田氏と徳川氏の間を上手く泳ぎ切り名を上げます。徳川氏に転じた後の1575年 長篠城主となっていた奥平信昌は1万5千とも言われる武田氏の包囲を耐え抜き...

  • 第376回:二連木城(東三河の国人 戸田氏の本拠地として今橋城に対抗)

    訪問日:2018年4月二連木城(にれんぎじょう)は愛知県豊橋市にあったお城です。仁連木城と表記することもあります。現在の渥美郡(現在の 豊橋市や田原市)に勢力をはった国人領主の戸田氏の中興の祖とされ戸田宗光が田原城に続き二連木城を築城したのは1493年とされます。同じ東三河の国人であった牧野古白は波多野時政との抗争にけりをつけ,1505年に今橋城(後の吉田城)を築きます。二連木城の西わずか1km程度の場所に築かれ...

  • 第372回:古宮城(武田氏の東三河前線基地といわれる土の名城)

    訪問日:2018年4月古宮城(ふるみやじょう)は愛知県新城市にあったお城です。市史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。築城時期や経緯については不明な点も多いのですが江戸時代の三河二葉松によると1573年 武田氏の東三河侵攻のための拠点として築かれ,武田軍の名将 馬場信春による縄張りとされています。1575年の長篠の戦いで武田氏が敗れ勢力が縮小したことにより廃城となったと考えられます。  ◆訪城前に城の...

  • 第371回:赤穂城(赤穂浪士の故郷として知られる名城)

    訪問日:2018年1月赤穂城(あこうじょう)は兵庫県赤穂市にあったお城です。国史跡に指定され,日本100名城に選定されています。15世紀の後半この場所には加里屋城と呼ばれる城があったようですが,1600年に播磨を与えられた池田輝政の弟である池田長正が赤穂に入り代を拡大し掻上城を築きました。現在の赤穂城は1645年にこの地に入った浅野長直が築城し巨大近世城郭へと生まれかわり1661年に完成しました。甲州流軍学者であった...

  • 第370回:志苔館(東の端を守る道南十二館)

    訪問日:2017年8月志苔館(しのりたて)は北海道函館市にあったお城館です。国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。新羅之記録に登場する道南十二館の中でも最東端に位置する城館として知られます。14世紀末から15成形の初めに小林重弘により築かれたとされ,小林良景が館主であったと記録される1546年に志苔館付近で発生した和人とアイヌの口論を切っ掛けにアイヌが蜂起,1457年のコシャマインの戦いに繋がっています...

  • 第369回:館城(幕末の動乱の最中に築城された)

    訪問日:2017年8月館城(たてじょう)は北海道檜山郡厚沢部町にあったお城です。明治元年 幕末の動乱に築かれた城として知られ国史跡に指定されています。江戸時代には松前城を本拠地として蝦夷の渡島半島を治めた松前氏ですが旧幕府の攻撃に備えに加え,江差商人の勧めなどもあり内陸のこの地に本拠地を移すべく築城されました。突貫工事であったらしく9月に着工からわずか50日余りの10月末には藩主である松前徳広やその一族を迎...

  • 第368回:洲崎館(武田信広はこの城館から勢力を伸ばした)

    訪問日:2017年8月洲崎館(すざきだて)は北海道檜山郡上ノ国町にあったお城です。国史跡に指定されています。1457年のアイヌの蜂起であるコシャマインの戦いを平定した中心人物として知られる武田信広の城館として知られます。信広は客将として仕えていた花沢館の館主であり上ノ国守護であった蠣崎季繁(かきざきすえしげ)に気に入られその養女を妻を迎えました。この時に築いたのが洲崎館で後に勝山館を築き本拠地を移すまでこ...

  • 第367回:花沢館(武田信広が活躍した道南十二館の一つ)

    訪問日:2017年8月花沢館(はなざわだて)は北海道檜山郡上ノ国町にあったお城館です。新羅之記録に登場する道南十二館の一つとして知られ国史跡に指定されています。1457年にアイヌが蜂起したコシャマインの戦いでは館主であった蠣崎季繁(かきざきすえしげ)とその客将から婿養子となった武田信広が活躍し上ノ国の中心であった花沢館を守り切ったとされます。その後,武田信広はコシャマインの乱を鎮めたことにより力を持ち,勝...

  • 第366回:勝山館(蠣崎氏 蝦夷支配の中心となった城)

    訪問日:2017年8月勝山館(かつやまだて)は北海道檜山郡上ノ国町にあったお城です。国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。築城時期は不明ながら蝦夷を支配した戦国大名 蠣崎氏の祖にあたる武田信広が築いたとされます。武田信広は花沢館の蠣崎季繁(かきざきすえしぎ)の客将 時代に気に入られ蠣崎氏の婿養子となっています。1457年 アイヌが蜂起したコシャマインの戦いでは道南十二館の内,十館まで陥落しましたが...

  • 第365回:比石館(大鮫伝説の残る道南十二館の一つ)

    訪問日:2017年8月比石館(ひいしだて)は北海道檜山郡上ノ国町にあったお城です。新羅之記録に登場する道南十二館の一つとして知られます。石崎川(早川)の河口に伸びる細い岬の上にあり非常印象的な場所にあります。1441年に畠山重忠の一族と言われる厚谷右近将監重政が築いたとされます。1457年のコシャマインの戦いで落城し重政は討死にしましたがに大鮫に化け石崎川の主になったという伝説が残ります。戦いの後,館自体はそ...

  • 第364回:原口館(発掘調査も行われた道南十二館の推定地)

    訪問日:2017年8月原口館は北海道松前郡松前町にあったお城です。松前藩の歴史を示した新羅之記録に道南十二館の一つとして登場し,1547年のコシャマインの戦いの時の城主は岡辺六郎左衛門尉季澄とされており戦いで落城したとされます。地元の有史や松前町教育委員会によって現在 原口A遺跡とされている推定地で発掘調査され大規模な空堀が発見されています。しかしながら,新羅之記録に記載された15世紀中頃と特定される遺物の発...

  • 第362回:[蝦夷]大館(戦国時代における蠣崎氏の本拠地)

    訪問日:2017年8月大館(おおだて)は北海道松前郡松前町にあったお城です。松山大館,徳山館と呼ばれることもあるこの城は道南十二館の中でも特に重要な一つと考えられ国史跡に指定されています。室町時代 15世紀の前半である嘉吉年間には南部氏との戦いに敗れ東北より移り住んだ安東氏の居館として築かれたと考えれています。1457年 コシャマインの戦いでは落城し城主の安東定季は捕らえられ後に武田信広により救出されています...

  • 第361回:[蝦夷]松前城(北海道に残る日本式近世城郭)

    訪問日:2017年8月松前城(まつまえじょう)は北海道松前郡松前町にあったお城です。福山に築かれたため福山城の別名も持つこのお城は国史跡に指定され,日本100名城に選定されています。江戸時代を通じてこの地を治めた松前氏は元々 蠣崎氏(かきざきし)といい,戦国時代から蝦夷の渡島半島を本拠地としていました。元々は大館を本拠地としていましたが松前藩 初代の蠣崎(松前)慶広が1600年頃から福山館を築き本拠地を移しこの地...

  • 第360回:隠内館(青函トンネル工事で消滅した道南十二館の一つ)

    訪問日:2017年8月隠内館(おんないだて)は北海道松前郡福島町にあったお城館です。道南十二館の一つとされ蒋土甲斐守季直が城主であった1457年 コシャマインの戦いで落城したとされます。長らくその所在は不明でしたが1962年の調査で台地の上に遺構が発見されたのですが,青函トンネルと国道建設のために台地は切り崩され城跡は消滅してしまいました。  ◆城館のあった台地はごっそり削り取られてしまいましたので,現在は国...

  • 第359回:茂別館(コシャマインの攻撃を防ぎ切った道南十二館の一つ)

    訪問日:2017年8月茂別館(もべつたて)は北海道北斗市にあったお城館で国史跡に指定されています。道南十二館(どうなんじゅうにたて)は松前藩の歴史が記録された新羅之記録に示される,蝦夷地にあったとされる倭人の十二の館の総称で,茂別館は規模も大きく主要な館の一つであったと推測されます。元々は1443年 津軽の安東太郎盛季が本拠地である十三湊を追われ蝦夷に渡った時に築いたとされます。以後,渡島半島は安東氏の下に...

  • 第363回:禰保田館(謎の多き道南十二館の一つ)

    訪問日:2017年8月禰保田館(ねぼたたて)は北海道松前郡松前町にあったお城です。松前藩の歴史を示した新羅之記録に道南十二館の一つとして登場し,1547年のコシャマインの戦いの時の城主は近藤四郎右衛門尉季常とされており戦いで落城したとされます。しかしながら,場所の特定等 詳細がわかっておりません。今回は推定地とされる場所を訪れました。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Rankin...

  • 第358回:戸切地陣屋(幕末の動乱期に築かれた日本最初の稜堡式城郭)

    訪問日:2017年8月戸切地陣屋(へきりちじんや)は北海道北斗市にあったお城で国史跡に指定されています。1854年箱館港の開港に際し,箱館の守備を強化するために幕府が松山藩に命じて築城させた陣屋です。12代藩主 松前崇広(まつまえたかひろ)の時代で縄張りは松前藩士の藤原主馬(ふじわらしゅめ)によるものとされます。大砲時代に対応するための星形の縄張りで日本で最初の稜堡式城郭です。1868年の箱館戦争では松前藩が守備...

  • 第357回:四稜郭(五稜郭の背後を守る稜堡式城郭)

    訪問日:2017年8月四稜郭(しりょうかく)は北海道函館市にあったお城で国史跡に指定されています。幕末の箱館戦争において旧幕府軍の拠点となった 五稜郭の背後を固めるために1869年 北方約3kmの丘陵に築かれました。西洋式城郭の縄張りを取り入れた堡塁で大鳥圭介か旧幕府軍についていた仏軍顧問団のジュネール・ブリュレによる設計と言われます。四方向に砲座を設置した姿から四稜郭と呼ばれ,旧幕府軍の兵士と住民の計 約300名...

  • 第356回:五稜郭(幕末に築城され,箱館戦争の舞台となった稜堡式城郭)

    訪問日:2017年8月五稜郭は北海道函館市にあったお城です。国特別史跡に指定され,日本100名城に選定されています。幕末に大砲による砲撃戦に対応するため西洋の築城術を取り入れて作られた稜堡式城郭として知られ,星形の特徴的な形から五稜郭と呼ばれるようになりました。日米和親条約による箱館港の開港に伴い1856年から築城を開始し1864年より箱館奉行所を移し機能を始めました。大政奉還の後の1868年 榎本武揚が率いる旧幕府...

  • 第355回:楽々前城(畝状竪堀が良く残る垣屋氏による巨大中世城郭)

    訪問日:2017年7月楽々前城は兵庫県豊岡市にあったお城でます。読み方が難しくささのくまじょうと読みます。応仁の乱までは絶大な権力を誇った山名氏の重臣である山名四天王の一つ垣屋氏の居城と知られます。築城時期は14世紀末から15世紀前半の応永年間に垣屋隆国により築かれたと伝わりますが定かではありません。戦国時代に入ると垣屋氏はこの城を本拠地として守護家である山名氏と対立し戦闘を行いました,1512年頃に垣屋光成...

  • 第354回:鶴城(山名四天王 田結庄氏の居城)

    訪問日:2017年7月鶴城(つるじょう)は兵庫県豊岡市にあったお城で市史跡に指定されています。15世紀の前半に山名宗全によって築かれたと言われ,その後の戦国時代は山名四天王に数えられる田結庄氏(たいのしょうし)の居城となりました。1575年 田結庄是義は織田方の勢力となり,毛利方勢力となった轟城の垣屋豊続と対立,野田合戦に発展します。この戦いに敗れた 田結庄是義は自刃したとも伝わり,これ以降 田結庄氏は没落しま...

  • 第353回:膳所城(琵琶湖岸に築かれた三大湖城にも数えられる城)

    訪問日:2017年7月膳所城(ぜぜじょう)は滋賀県大津市にあったお城です。この城は琵琶湖に突き出した縄張りで日本三大湖城に数えられます。1600年 関ヶ原の戦いの後,徳川家康は大坂の豊臣方に対抗するための重要な拠点として,それまでの支配拠点であった大津城に代えて築城を命じました。天下普請の第一号となったこの城の縄張りは築城の名手として知られる藤堂高虎が行いました。城主としては戸田一西(とだかずあき)が入り,...

  • 第352回:福地城(織豊系城郭の特徴も持つ伊賀を代表する中世城郭)

    訪問日:2017年5月福地城は三重県伊賀市にあったお城です。福地氏城とも呼ばれ県史跡に指定されています。伊賀国 柘植郷を領した福地氏の城として史料に登場し,1581年 織田信長軍による伊賀侵攻(天正伊賀の乱)では福地伊予守が織田信長軍に付き手引きしました。伊賀攻略後に織田信雄がこの城を池尻平左衛門尉に与え,この頃の改修により織豊系城郭の特徴も持つに至ったと考えらます。1582年 織田信長が本能寺の変で横死すると,...

  • 第351回:百地城(伊賀の上忍 百地丹波の城)

    訪問日:2017年5月百地城(ももちじょう)は三重県伊賀市にあったお城です。百地丹波守城,百地氏城,百地砦 等 多くの別名があります。築城年代は定かではありませんが,伊賀の喰代で勢力をもった百地丹波守の城と伝わります。百地氏は一般に百地氏は伊賀の忍者衆を束ねる上忍として知られ,織田信長軍による伊賀侵攻として知られる天正伊賀の乱でも活躍しました。1578年の戦いで伊賀一揆は織田軍を撃退したものの1581年の二度目...

  • 2020年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2017年の10月にタイに転勤となって以来,2019年も引き続きタイでブログを書き続けています。2018年はタイ赴任直後ということで更新頻度は低下しましたが,2019年は更新数を回復することができ40本以上の記事を更新してります。さらに日本へ帰国する機会をとらえて30城弱のお城へ行くことができました。お城以外の話ですがタイに慣れてきたこともあり,ついに...

  • 第350回:天王寺砦(織田 VS 本願寺,天王寺の戦い)

    訪問日:2019年10月天王寺砦は大阪府大阪市にあったお城です。1570年より始まった織田信長と顕如率いる石山本願寺との戦いは石山合戦と呼ばれ10年間にも及びました。中でも1576年に行われた天王寺の戦いは信長の戦績の中でも危機であったと言えるものでしょう。信長は石山本願寺を包囲するため荒木村重,明智光秀,細川藤孝,塙(原田)直政 等に6つの砦を築かせました。塙直政 により築かれた天王寺砦には明智光秀,佐久間信栄(...

  • 第349回:天筒山城(織田 VS 朝倉 金ヶ崎の戦いへ)

    訪問日:2019年11月天筒山城(てづつやまじょう)は福井県敦賀市にあったお城です。手筒城・天筒城・手筒山城とも呼ばれます。建武年間の1336~1338年の2年間 後醍醐天皇方の勢力と足利尊氏方の勢力との間でし金ヶ崎城をめぐり激しい争奪戦が繰り広げら時に尾根続きで支城であった天筒山城は足利方が陣を敷いたようです。れました。戦国時代に入り1570年金ヶ崎の退き口(かねがさきののきぐち)として知られる織田信長の撤退戦は,...

  • 第348回:金ヶ崎城(有名な織田信長の撤退戦)

    訪問日:2019年11月金ヶ崎城(かねがさきじょう)は福井県敦賀市にあったお城です。国史跡に指定されています。この城が最初に歴史の表舞台に登場するのは南北朝時代の建武の乱の最中。1336~1338年の2年間 後醍醐天皇方の勢力と足利尊氏方の勢力との間でこの城をめぐり激しい争奪戦が繰り広げられました。1336年には新田義貞,恒良親王(つねよししんのう),尊良親王(たかよししんのう)等が籠城し義貞は途中で脱出しますが,城...

  • 第347回:鹿背山城(山城南部を代表する巨大中世城郭)

    訪問日:2017年5月鹿背山城(かせやまじょう)は京都府木津川市にあったお城です。築城時期は明確になっていませんが,15世紀には軍事力も有した興福寺の北方防御の拠点として機能したと史料に登場します。16世紀後半の戦国時代となると大和を支配した松永久秀による改修が入ったと想定されており,現在に残る大規模な中世城郭へと発展しました。  ●分岐を西念寺へ向かうと城山への登城口となります。●分岐付近にある 左 鹿背...

  • 第346回:園部城(日本で最後に城になった城として知られる)

    訪問日:2017年4月園部城は京都府南丹市にあったお城です。園部陣屋とも呼ばれるこの城は現在は日本の歴史上最後に城になった城として知られ,現在 中心部は京都府立園部高校の敷地となっています。現在の園部城の元となったのは1619年 出石城より移ってきた小出吉親により小麦山の山麓に築かれました。それ以前にも織田信長軍により丹波平定におり何らかの城郭があり荒木氏綱が在城したとも伝わるのですが信憑性のある史料に乏し...

  • 第345回:[土佐]中村城と中村御所(土佐の名門 一条氏の本拠地)

    訪問日:2017年5月中村城は高知県四万十市にあったお城です。別名を為松城とも呼び,現在は為松公園として整備されています。1468年に応仁の乱を避けて下向した前関白一条教房が下向,その子である一条房家も京には戻らず土着して土佐一条氏となりました。一条氏の居館として町中に築かれた館は中村御所と呼ばれ,公家から戦国大名となった名門 一条氏が土佐でも別格の存在であったことをうかがわせます。標高70m程度の丘に築かれ...

  • 第344回:浦戸城(長宗我部氏が最後に居城とした)

    訪問日:2017年5月浦戸城は高知県高知市にあったお城です。坂本龍馬の桂浜で有名な浦戸にあり市史跡に指定されています。築城は16世紀 土佐七雄の本山氏が朝倉城を本拠地としている時に支城として築いたとされます。その後,浦戸城は勢力を伸ばした長宗我部国親のものとなり,その後を継ぎ四国の覇者となった長宗我部元親は豊臣秀吉に降伏した後の1588年 岡豊城より居城を大高坂山城(後の高知城) に移しましたは,治水の便が悪か...

  • 第343回:姫野々城(土佐七雄 津野氏の本拠地)

    訪問日:2017年5月姫野々城は高知県高岡郡津野町にあったお城です。町史跡に指定されています。築城年代は不明ですが,代々この城を居城とした津野氏がこの地に入ったのは913年,1224年の二つの説があります。津野氏は土佐七雄の一つとして高岡郡全域に勢力を持ちましたが,1517年に津野元実が一条氏との戦いで戦死したことにより衰退し一条氏の支配下にはいりました。さらに,戦国時代後期の津野勝興の時代になると長宗我部氏より...

  • 第342回:吉良城(土佐七雄 吉良氏の本拠地)

    訪問日:2017年5月吉良城は高知県高知市にあったお城です。市史跡に指定されています。築城時期は不明ですが,土佐七雄の一つであった吉良氏代々の居城として知られています。戦国時代には1540年に朝倉城を築いて土佐平野中心部に進出してきた本山氏の圧迫を受けます。当主であった吉良宣直は本山茂辰の奇襲により命を落とし吉良城も落城しました。その後,本山氏自体が長宗我部氏の攻勢により朝倉城を破棄して本山城に撤退したこ...

  • 第341回:[土佐]朝倉城(本山氏と長宗我部氏が覇権を争った)

    訪問日:2017年5月朝倉城は高知県高知市にあったお城です。土佐を代表する中世城郭の一つに数えられ県史跡に指定されています。築城時期は不明確ですが,土佐七雄の中でも最大勢力を誇った本山氏の当主 本山茂宗(清茂/梅慶)は大永年間(1521~1527)に土佐中央部に進出するために朝倉城を築きも本山城より移ったとされます。1555年 名将であった茂宗の死去の後,子の本山茂辰(もとやましげとき)が跡を継ぎましたが,本山氏の勢...

  • 第340回:高知城(現存天守の残る近世 土佐の中心)

    訪問日:2017年5月高知城は高知県高知市にあったお城です。天守をはじめとする多くの現存建築物(重要文化財15棟)を残す高知城は国史跡に指定され日本100名城にも選定されています。元々は南北朝時代に大高坂氏の築いた大高坂城(大高坂山城)があったとされる。その後は廃城になっていたようですが,1587年に豊臣秀吉に降伏した長宗我部元親が再度 大高坂城を築城し,岡豊城より居城を移しました。しかしながら,治水が苦慮し1591...

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