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  • 第478回:[出羽]中野城(最上一族の骨肉の争いの跡と伝わる)

    第478回:[出羽]中野城(最上一族の骨肉の争いの跡と伝わる)

    訪問日:2023年10月中野城は山形県山形市にあった城です。築城年代は定かではありませんが,15世紀初めに最上義直の次男である中野満基により築かれたと案内板にあります。以後,中野氏を名乗り最上一族の主要な分家として宗家の当主を幾人も輩出しています。戦国時代にも最上義守が中野家より最上宗家に入り第十代目の当主となっています。この義守の長男が有名な最上義光であり,次男が中野家を継いだ中野義時です。1574年に最上...

  • 第477回:天童陣屋(信長の子孫が治めた天童織田藩)

    第477回:天童陣屋(信長の子孫が治めた天童織田藩)

    訪問日:2023年10月天童陣屋は山形県天童市にあった陣屋です。1830年に高畠藩主であった織田信美(おだのぶかず)は天童陣屋に移り天童藩の初代藩主となりました。この家系は織田信長の次男で織田信雄(おだのぶかつ)の子孫にあたる家系です。江戸時代を通じて明治時代まで存続しましたが,1868年 戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いの後は新政府方として奥羽鎮撫使先導役に任じられました。この時,藩主 織田信学(おだのぶみち)は病...

  • 第476回:天童城(天童氏が本拠とした県下最大級の山城)

    第476回:天童城(天童氏が本拠とした県下最大級の山城)

    訪問日:2023年10月天童城は山形県天童市にあったお城です。舞鶴山の全域にわたって築かれたこの城は天童古城とも呼ばれ天童市舞鶴山公園として整備されています。築城時期は南北朝時代の北畠天童丸によるとの伝承がありますが,14世紀の後半に最上直家の子である里見頼直がこの城に入り天童氏を称しました。戦国時代に入ると出羽国村山地方で勢力を拡大し最上氏に並ぶ勢力となり,共闘と対立を繰り返します。当主が天童頼貞の時 1...

  • 第475回:寒河江城(名門大江氏の流れをくむ寒河江氏の城)

    第475回:寒河江城(名門大江氏の流れをくむ寒河江氏の城)

    訪問日:2023年10月寒河江城(さがえじょう)は山形県寒河江市にあったお城です。鎌倉幕府政所別当として有名な大江広元の子である大江親広が最初に寒河江に入ったことに始まり,室町時代の時氏の頃に寒河江氏を名乗り,それまでの館であったものが城として整備されていったと考えられています。戦国時代になると最上義守・義光 親子の争いである天正最上の乱で義守についたため,義光が当主となると粛清の対象となり1584年 寒河江...

  • 第474回:谷地城(最上義光に謀殺された白鳥長久の城)

    第474回:谷地城(最上義光に謀殺された白鳥長久の城)

    訪問日:2023年10月谷地城(やちじょう)は山形県西村山郡河北町にあったお城です。町史跡に指定されています。15世紀半ばの弘治年間(1555年~1558年)に中条長昌(ちゅうじょうながまさ)により築城されたとされます。その後,中条氏は断絶し谷地北方に勢力をもっていた白鳥十郎長久がこの城の城主となり城の整備が進みました。この白鳥長久ですが最上義守・義光 親子の争いでは義守に味方し,旗色が悪くなると仲介役を買って出...

  • 第473回:東根城(沼地を生かした大規模な堀で防御された)

    第473回:東根城(沼地を生かした大規模な堀で防御された)

    訪問日:2023年10月東根城(ひがしねじょう)は山形県東根市にあったお城です。築城時期は南北朝時代の1347年に小田島長義が鎌倉から所領に戻り築城したとされることから小田島城とも呼ばれます。その後は天童氏の一族が東根氏を名乗り有力国人として勢力を持ちました。天童頼澄と最上義光が対立すると天童八楯の一翼として最上氏に対抗しますが1584年 家老の里見景佐(さとみかげより)が最上氏に寝返ったことにより落城し城主の...

  • 第472回:延沢城(怪力で知られる延沢満延を輩出した)

    第472回:延沢城(怪力で知られる延沢満延を輩出した)

    訪問日:2023年10月延沢城は山形県尾花沢市にあったお城で,国史跡に指定されています。野辺沢城と表記することもあり霧山城の別名も持ちます。延沢氏は南出羽で力を持った国人ですが,築城年には諸説ありますが1547~1552年の間に 延沢満重が築城したとされます。戦国時代には天童氏を盟主とした同盟体である最上八楯に属し,最上義光に抵抗しました。時の当主である延沢満延は剛力をもって知られ最上軍を散々悩ましました。最終...

  • 第471回:[出羽]清水城(最上川の主要港を押さえる城郭)

    第471回:[出羽]清水城(最上川の主要港を押さえる城郭)

    訪問日:2023年10月清水城は山形県最上郡大蔵村にあったお城で,県史跡に指定されています。1476年 最上氏の一族にあたる成沢満久がこの地に入り1478年に築城したとされます。これ以降,清水氏と名乗り代々の居城となりますが最上川の重要な河港を押さえるこの地は武藤氏や小野寺氏との争いの最前線となりました。五代目の清水義高は武藤氏との戦いで戦死しています。子の無かった六代目の清水義氏は最上義光の三男であった義親を...

  • 第470回:[出羽]新庄城(近世 最上地域の中心城郭)

    第470回:[出羽]新庄城(近世 最上地域の中心城郭)

    訪問日:2023年10月新庄城は山形県新庄市にあったお城で,市史跡に指定されています。戦国時代から出羽を支配した山形藩の最上氏が1622年に改易となると,譜代の鳥居忠政が入りましたが,鳥居氏と縁戚関係にあった戸沢政盛が6万石でこの地を治めることになりました。当初は鮭延城に入りましたが山城で手狭であったため1624年から平城である新庄城の築城にとりかかったり翌年完成しました。戸沢氏による新庄藩は明治維新まで続いた...

  • 第469回:鮭延城(猛将 鮭延秀綱が本拠地とした)

    第469回:鮭延城(猛将 鮭延秀綱が本拠地とした)

    訪問日:2023年10月鮭延城(さけのべじょう)は山形県最上郡真室川町にあったお城で,真室城や真鶴城とも呼ばれます。町史跡に指定されています。築城時期は1534-35年頃 小野寺氏に仕えていた佐々木綱村によって築かれたとされます。この佐々木氏は鮭延氏と称しこの城は小野寺氏勢力範囲の南を守る重要拠点となりました、綱村の子である鮭延秀綱の時代に最上義光に攻められ降伏した後は一貫として最上氏の重臣として活躍していく...

  • 第468回:亀ヶ崎城(酒田湊を押さえる重要拠点)

    第468回:亀ヶ崎城(酒田湊を押さえる重要拠点)

    訪問日:2023年10月亀ヶ崎城は山形県酒田市にあったお城です。築城域については不明な点が多いのですが15世紀の後半に武藤氏(大宝寺氏)がこの地に城を築き当初は東禅寺城と呼ばれていました。戦国時代には武藤氏の一族がこの城に入り東禅寺氏を名乗り,砂越氏との抗争の舞台にもなりました。1583年 武藤氏の最盛期を築いた武藤義氏の家臣である前森蔵人は最上義光と通じ主君を弑逆し東禅寺義長を称したとされます。その後,義長の...

  • 2024年 御挨拶

    2024年 御挨拶

    皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。この新年の挨拶も10回を数えています。タイはバンコク暮らしも6年半ですので,既に日本でブログを書いていた期間よりタイで日本のお城のブログを書いている期間の方が長くなってしまいました。新型コロナウィルスの終息とともに,日本へ帰国する機会も少し増えて出張で帰国した時に少し,慰労帰国ではまとめて沢山のお城に行くことが出来ました。2023年に行っ...

  • 第467回:砂越城(川北を代表する砂越氏の居城)

    第467回:砂越城(川北を代表する砂越氏の居城)

    訪問日:2023年10月砂越城は山形県酒田市にあったお城です。築城時期は定かにではありませんが,平安時代末期の1154年 播磨国の赤松氏の分家が石黒氏を名乗り土着し築いたと伝わります。鎌倉時代に入り源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼすと砂越氏が郡司としてこの地に入り,この城を本拠地にするようになりました。戦国時代になると庄内地方は最上川北域の砂越氏と最上川南域の武藤氏(大宝寺氏)が二大勢力として激しく争うことになりま...

  • 第466回:出羽松山城(庄内藩を支えた支藩の城)

    第466回:出羽松山城(庄内藩を支えた支藩の城)

    訪問日:2023年10月出羽松山城は山形県酒田市にあったお城です。明治維新後は松嶺城とも呼びました。鶴ヶ岡城を本拠地とする庄内藩 酒井家 初代藩主の酒井忠勝の遺言により1647年 二代藩主の酒井忠当(さかいただまさ)が弟の酒井忠恒に庄内中山2万石を分与したことにより始まります。当初,中山陣屋が拠点となっていましたが後に中山は松山と名称を変え出羽松山藩となりました。 1779年 三代目の酒井忠休(さかいただよし)が500...

  • 第465回:尾浦城(悪屋形の最期)

    第465回:尾浦城(悪屋形の最期)

    訪問日:2023年10月尾浦城は山形県鶴岡市にあったお城です。大浦城や大山城とも呼ばれます。築城時期は定かではありませんが,この地域を治めた武藤氏(大宝寺氏)によるもとされます。武藤氏は宗教権威である羽黒山の別当職を兼ねる戦国大名として成長しますが,1532年 武藤晴時が当主の時に本拠地の大宝寺城が砂越氏により攻撃され焼失されると本拠地をこの城に移しました。武藤義増は本庄繁長の乱に加担し上杉謙信に反旗を翻し...

  • 第464回:鶴ヶ岡城(奥州列藩同盟で存在感を見せた庄内藩)

    第464回:鶴ヶ岡城(奥州列藩同盟で存在感を見せた庄内藩)

    訪問日:2023年11月鶴ヶ岡城は山形県鶴岡市あったお城です。続日本100名城に選定されています。 元々は室町時代にこの地を支配した大宝寺氏(武藤氏)の本拠地として築城され大宝寺城と呼ばれていました。1532年 武藤晴時が当主の時に砂越氏維に攻められ焼失しました。この後,武藤氏は尾浦城に本拠地を移し大宝寺城は支城となりました。その後,上杉氏の史城として機能していたようですが,関ケ原の戦い後にこの地に入った最上義光...

  • 第463回:村上城(本庄繁長が上杉謙信を迎え撃った)

    第463回:村上城(本庄繁長が上杉謙信を迎え撃った)

    訪問日:2023年村上城は新潟県村上市にあったお城です。中世城郭,近世城郭 双方の特徴を残し国史跡に指定され続日本100名城にも選定されています。 別名舞鶴城とも呼ばれ,本庄氏が治めた時代は本庄城と呼ばれていました。臥牛山に築かれた平山城で築城時期は不明ですが16世紀前半頃に築かれ,戦国期には現在の新潟市より北方に勢力を持った国人衆である揚北衆の代表格である本庄氏の本拠地として機能していたようです。本庄時長...

  • 第462回:江上館(奥山荘の繁栄を示す城館)

    第462回:江上館(奥山荘の繁栄を示す城館)

    訪問日:2023年10月江上館(えがみやかた)は新潟県胎内市にあった城館です。 奥山荘城館遺跡(おくやまのしょうじょうかんいせき)として国史跡に指定されています。鎌倉時代の初期に三浦和田一族である和田義茂が地頭としてこの地に入りました。1277年に分割統治され中条地域を支配した一族が中条氏(なかじょうし)を名乗り15世紀 室町時代に江上館を本拠地としたとされます。同時に北条地域を引き継いだ同族の黒川氏とは争いが...

  • 第461回:五十公野城(新発田氏とともに滅亡した)

    第461回:五十公野城(新発田氏とともに滅亡した)

    訪問日:2023年10月五十公野城(いじみのじょう)は新潟県新発田市にあったお城です。築城時期は不明も新発田氏の一族である五十公野氏によって築かれたとされます。戦国時代に新発田重家が五十公野治長という名でこの城を継いでいましたが兄である長敦の死により本家の新発田氏を継ぐことになりました。これによりこの城は義弟の五十公野信宗が後を継ぎました。1581年より勃発した新発田重家が上杉景勝に反旗を翻した新発田重家の...

  • 第460回:新発田城(新発田氏の活躍に始まり溝口氏が発展させた名城)

    第460回:新発田城(新発田氏の活躍に始まり溝口氏が発展させた名城)

    訪問日:2023年10月新発田城は新潟県新発田市にあったお城です。菖蒲城(あやめじょう)とも呼ばれ日本100名城に選ばれ,国の重要文化財となる建築物を2基持つ名城です。また本丸の一部は市史跡に指定されています。近世以前の城の正確な築城時期は不明ですが,前身となる城は中世にこの地を支配した新発田氏によるものと考えられます。揚北衆の新発田氏と言えば御館の乱で上杉景勝を助けた新発田長敦や重家が有名ですが,御館の...

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