とき号に 乗って帰省の ふるさとは コシのヒカリの田園地帯
ふと止まり シャッターを切る 一輪の 空き地に咲いたひなげしの花
血液の 検査結果の 良好で 皐月の空に生きるちからが
青空に 雪の富士山 足もとに 茶畑ひろがる武蔵の丘は
春キャベツ ペペロンチーノで 食すれば 笑みがふくらむ昼のリビング
神経の 回路が上手く つながった ような気がする朝の散策
この朝の 草木も花も それぞれに 個性をはなつ色とりどりに
やわらかな みどりの風を 呼び込んで 深く息吐く朝のリビング
病院を めぐりめぐりて 健康な わたしはどこに五月の空へ
澄みわたる 大地の空に 魅せられて 定住決めた武蔵の国に
万博を 賛美する声 挙がる中 われは行かない意地でも行かない
またひとつ お茶の畑が 消えてゆく 再開発の美名のもとに
一輪の 花には深い 意味がある 愛猫「プー」への想いを込めて
北向きの 個室の窓に 降る雨は そっとしずめる高鳴る胸を
チューリップ いちめん広がる 河川敷 わがふるさとの春の記憶は
保護主義は いくさの道に 繋がると 歴史が示す曇天の空
異常無く ひと安心の 春の日よ 年に一度の胃カメラ検査
ハイキング できるかどうかの 不安あり それでも参加仲間とともに※群馬県 玉原湿原に
それぞれの 学者は根拠を 示しつつ 評価は割れる織田信長の
西陽差す 洋間でひとり 歌を詠む 明日の胃カメラ検査を控え
はつ夏の ひかりを浴びる 満開の 目にて焼きつく絞りの牡丹
血液の 検査のありて 病院へ 朝食抜きでからだも軽く
果てしなき 再開発の 行く末に 不安がよぎるわたくしだけか
湘南の 四号館の キャンパスの あしたが見える螺旋階段
上京し 初めて知った 湘南の 絵にも描かない冬の青空
おもむろに 窓開けはなつ リビングの 午前五時半四月の二十日
ふるさとの 町にもどらず 五十年 今はすっかり武蔵の人に
ふるさとの 香りを乗せた 上野駅 降りてわたしのとびらがひらく※1971年
ゆく春や ふるさと出でて 五十年 記憶は白きすずらんの花
やわらかな 春の大気を 取り入れて 深く息する午前五時半
わたくしの 春の記憶は ふるさとの 実家の庭のシャクヤクの花
歯が欠けて ちょっと歯科医に 診てもらう 場所はリッチな東京銀座の
あんパンを 食べた程度で 歯が欠けた 情けなきかなこれも老化か
野の花も 空飛ぶ鳥も 生きている わたしも生きる本気で生きる
はつ夏の ひかりを浴びて 咲き初むる 豊かな紅の牡丹の花が
咲き初むる うすべに色の はなみずき 雨の上がりし四月の十日
さくら花 散ればツツジか はなみずき はつ夏かおる並木通りは
たっぷりと 砂糖を入れて キュッと飲む エスプレッソで今日がはじまる
ふるさとの 春の記憶は むらさきの 庭に咲きたるツツジの花よ
降りしきる さくらの花の 絨毯に ふと足を止めシャッターを切る
咲き初むる つつじの花の 一輪が 南の風にゆらゆら揺れて
友からの LINE返信 無き午後は 春の空見るカフェ・オ・レ飲んで
絶え間なく 音符が天から 舞い降りる 神の選びしあのモーツァルト
美しく 水面に散りし 花びらの 流れる春にわが胸揺れる
万博に 夢や希望を 持っていた 七十年のあの大阪の
わが友の 回復具合に 安堵をし モーツァルト聴く春のリビング
しあわせは きみのこころの なかにある ひらけよひらけさくらのように
百花繚乱 されど品位を 損なわず 凛とたたずむすずらんの花
春の日を 浴びたよもぎを 摘み取って 草餅にした笹にくるんで*ふるさとの思い出
トンネルを 抜けるとそこは 春だった ついに上京二十歳のわれは
めずらしく 歌の生まれる 昼下がり 春のかおりにこころの揺れて
うららかな 春の河原の 散策は 百花繚乱スマホでパチリ
チューリップの 花のベッドで 昼寝する ふるさと越後の春の思い出
校歌にて「弥彦の山を窓に見て」夢を抱いたおさなき頃に
わが胸の こころの闇は 消えてゆく 雲無き朝の空を仰げば
花日和 散策途中の 喫茶にて 喉をうるおすアイスコーヒー
雨上がり 団地の裏の 水仙の かおりがとどくすがしき朝に
とき号に 乗って降りたる 上野駅 わたしがわたしに芽生えたあの日
青春の グループLINEは マージャンと ギター愛した四人の仲間
寒き雨 降るこの朝は カフェ・オ・レの ホットがしみる四月の二日
武蔵野は 雨のスタート まるで冬 雪に変わるか四月一日
新年度 エールを送る 新人に 冷たい雨の一日なれど
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とき号に 乗って帰省の ふるさとは コシのヒカリの田園地帯
南風 吹きて雨降る この夜は なぜか落ちつくこころの奥が
咲いている ノウゼンカズラの 花房が 暑さに負けず朱色に染まり
咲いている 虞美人草の 一輪が 午後の日差しをたっぷり浴びて
ふるさとは きっと実りの コシヒカリ すくすく育て越後の里に
かならずや 選挙の前に 電話あり 同級生より律儀なほどに
涼しさに 胸おどらせた 蓼科の 山荘泊まる林間学校※引率として
駅前の ビタミンカラーの 花を観て 夏を乗りきる酷暑の日々の
この朝は 花を見つける 旅に出る わずか五分の小さな旅に
天高く 咲いていますよ ひまわりは 午前四時半花の散歩に
病院の 玄関横に 薔薇が咲く 赤白ピンク色をそろえて
北からの 涼しき風を 呼び込めば 一首が浮かぶエアコン無しで
清らかに そっと咲きたる 白百合の 花一輪をスマホにかざす
陽に映えて 真っ赤に燃える ハマナスの 花一輪をスマホにかざす
流行の ファーストよりも 共生を 願うわたしはいつのいつでも
見つければ スマホかざして 花を撮る 名もなき花も名のある花も
降りてくる 歌が自然に 降りてくる 天の国からわたしの胸に
トンカツの 定食食べる 夕食に「孤独のグルメ」観るかのように
ステントや ペースメーカー 入れながら それでも生きるしぶとく生きる
ひまわりの ようにまっすぐ ひらきます 今日もあしたもあさってまでも
亡きネコの「プー」がスマホに あらわれて 忘れないでと呼びかけてくる
言葉には つばさのありて 歌詠めば 世界広がるこころの奥の
歌詠みは わが体調の バロメータ 今日は詠めそう一首二首へと
柏崎 刈羽原発 再稼働 めざす東電背後に何が
めずらしく 目覚めすっきり この朝は 咳も止まりて麦茶がうまい
カナカナと 梅雨の晴れ間の 夕暮れに 鳴いてすがしきひぐらしの音
清涼な 風を呼びこみ 歌を詠む 冷えたサイダー机の横に
発熱と 喉の痛みに 2リットル ペットボトルの麦茶を空に
学びとは 探究心と 好奇心 歴史にはまる七十過ぎて
テレビでの 野球観戦 大リーグ 午前二時半目をこすりつつ
寝汗かき 体温下がる この朝は 体調優れごはんがうまい
咲きほこる 奈良大和路の ハスの花 訪ねてみたい藤原京に
むせかえる 喉の辛さに 耐えかねて 口に入れこむ塩飴二つ
ベトナムの コーヒーを飲む 練乳と 氷を入れてかき混ぜながら
アメリカン エスプレッソと それぞれに 味わい深きコーヒーの味
一時間 帰省切符の 購入に ならぶみどりの窓口前に
コロナでの 抗体検査の 陰性に ホッと息つく診察室で
ファシズムが あっと言う間に 舞い降りる 東京都知事選挙の夜に
挽きたての コーヒー一杯 飲む朝は われにとっての極楽浄土
午前四時 返歌三首に 目が覚めて 思い深めるあの夏の日を