ドトールの ミラノサンドを 食すとき イタリアもどきのおのれを笑う
マイナスに こころが揺れに 揺れたとき いいのでしょうか歌を詠んでも
マイナスを プラスに変えて 歌を詠む なまりの空もいつか青空
このところ モスのポテトが 美味しくて 整体帰りにちょこちょこ食す
雪空を ながめて思う 寂しさは 友の裏切り友との別れ
信用は あっという間に 崩れ去る 新任以来の友だったのに
おさえても おさえきれない この怒り われの情報流した友に
めずらしく 雪の舞い散る 武蔵野の ホッと息するかわいた大地
リフレッシュ すればふたたび 青春に もどる気のする三月四日
音楽は 遠い記憶を 呼びこんで われにあたえるはるかな日記
サクサクの クロワッサンと コーヒーで 弥生三月朝がはじまる
若さとは 年では無くて 情熱と 勝手に思う三月一日
夕暮れの 秩父の山を 窓に見て 明日を夢見る七十過ぎて
朝の陽を 受けていっぱい カフェテリア 三月一日モスバーガーの
二回目の 整骨医師の 診察に 左の足の悲鳴が止まる
あたたかな 春のひかりを 窓に受け すらすらはしるわたしのペンは
はまぐりの お吸い物付き ちらし寿司 お雛祭りの今日のランチは
新宿の 紀伊国屋にて 待ち合わせ 70年代われの時代は*アルタではなかった
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ドトールの ミラノサンドを 食すとき イタリアもどきのおのれを笑う
純白の テツポウユリを 眺めつつ 夏の夜明けを楽しむわれは
なにひとつ 浮かびやしない こんな時 ひとり静かにコーヒー淹れる
スペインの 巡礼終えた わが友の ありがたきかなブログの歌は
つまらない 歌と言えども 詠います 明日につながるわたしの歌を
七月に 入り歌詠む まず三首 気取ることなく飾ることなく
短冊に 願いを記す この歳で 愛は不滅とやや大げさに
歌を詠み 今日がはじまる この朝は コーヒー添えて更なる一首
陽が昇り 今日の暑さを 予感する 梅雨は開けたか七月一日
短冊を かざる団地の 子どもらは 明日を夢見て願いを記す
たくましき ブログの友に ただ拍手 スペイン巡礼ひとりの旅に
どことなく すがしき大気を 取り入れて 歌でも詠もう午前四時半
ポルトより ブログがとどく 友からの 歌と写真と笑顔を載せて
裏道の ノウゼンカズラは 生き生きと 花を咲かせる夏のにおいの
一輪の 薔薇を見つけた 花散歩 夏のにおいの並木通りで
土曜日の 朝の散歩で 探すのは 明日の希望とあさがおの花
香り立つ 朝のコーヒー 淹れましょう タッツァドーロの豆を用いて
まっすぐに 伸びて花咲く タチアオイ 白が際立つ午前の四時に
新聞を 運ぶバイクの 音のして 今日がはじまる梅雨晴れの朝
愛猫の 遺影に花を 手向ければ 風がわたしを優しく撫でる
ゆったりと 時が流れる 新聞を 大きく広げる土曜日の朝
さて明日は 7月7日 七夕の 笹の葉揺れて短冊揺れる
短冊に 何を願うか まず平和 ウクライナでもパレスチナでも
作為なく ありのままにて あゆみゆく 凛と咲きたるあじさいのごと
いくさ無き 世の中願い 今日もまた テキストひらく世界の歴史
あじさいは 朽ちていきます ポツポツと 夏のひかりをまともに受けて
見渡せば 素材の無くて なにひとつ 浮かばぬわれは空を見上げる
振り返る ことの多くて 今日もまた 読書にふける「裏の日本史」
なにひとつ 浮かばぬことも あるだろう それでも記す空のこころを
小雨降る 団地の隅の 笹の葉の さらさら揺れる七月一日
健康と 平和やっぱり この二つ 七夕様に願うとすれば
晩年は 生徒指導に 明け暮れて 夕陽がきみのこころをひらく
さくさくと 敷石あゆむ 城下町 小江戸川越日曜の午後
とりあえず ビールではなく とりあえず コーヒーなのですわたしの場合
さて明日は 仲間四人と 散策に 小江戸川越歴史の道を
官能の 声が聞こえる くちなしの 白き花咲く雨の路地裏
若き日に めぐる欧州 ひとり旅 ラインの川の流れにまかせ
ポイントを 教えてくれた 講習会「俳句は切れる」「短歌は述べる」
アイスかな それともホット 週末の 喫茶で迷う梅雨のコーヒー
五十年 内装変わらぬ 喫茶店 たばこの匂う昭和のままに